作品情報

濃蜜子づくり社員旅行~職場結婚ツンツン夫婦がこっそりイチャイチャしています!~

「このまま、しよう? そろそろ、作ろう……俺たちの赤ちゃん」

あらすじ

「このまま、しよう? そろそろ、作ろう……俺たちの赤ちゃん」

 妻の可愛い姿を見られたくなくてツンツンしちゃう夫颯真(そうま)と、イチャイチャしてる所を見られるのが恥ずかしくてツンツンしちゃう妻澄乃(きよの)。
 上司と部下のツンツン夫婦ぶりは、職場のみんなに心配されてしまいがち。そんな二人が行く社員旅行の行き先は、風情豊かな温泉旅館。同僚達の目を盗んで二人っきりになるチャンスは来るのでしょうか。

作品情報

作:雪宮凛
絵:桐都

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第一章 他人行儀な夫妻の秘密

「笹井《ささい》、ただいま戻りましたー」
 ゴールデンウィークが終わり、しばらく経った五月中旬。
 営業先から戻ってきた澄乃《きよの》は、それぞれのデスクで働く同僚たちに声をかけながら、入り口横にあるホワイトボードへ近づく。
 彼女の声に反応してか、仕事中の社員たちは「お疲れー」と次々に労いの言葉をかけてくれる。
 なんてことない些細な優しさを感じ、嬉しくなって口角を上げた澄乃は、営業部に所属する面々の行動予定が書かれたボードの前に立った。
 黒板消しを彷彿とさせるイレーザーを手に取り、自分の名前入りマグネットの横スペースの文字を消していく。
 始業後すぐに出先の社名と共に書いた“外出中”の文字を消した彼女は、そこへ新たに“在席”とマジックで書きこむ。
(これでよしっと)
 ついでに、ザっと同僚たちの予定にも目を通した彼女は、満足げに頷きながらペンのキャップを閉め元の場所へ戻した。
 これで今日こなす仕事のうち一つは終わったと、澄乃はホッと息を吐き出す。
「ちょっといいか?」
 その時真横に誰かが立ち止まった気配を感じ、同時に男性特有の低音がすぐそばから聞こえてきた。
 声につられるまま、自分のデスクへ戻ろうとしていた脚の力を緩めて振り向いた。
 そのまま見上げるように顔を上げれば、百六十センチの澄乃より二十センチ程背の高い同僚社員が、自分を見下ろしているのが見える。
 ダークブラウンに染まった前髪から覗く切れ長な瞳が、真っ直ぐ自分を射抜いていた。
「何でしょうか? 月森《つきもり》課長」
 澄乃は改めて、自分の上司でもある営業部課長月森《つきもり》颯真《そうま》に向き直った。
 首を傾げれば、カサっと紙同士が擦れる音が聞こえる。
 音の出所をたどるように視線を落としていけば、手にしていた紙束をこちらへ差し出す大きくて無骨な手が瞳に留まった。
「昨日出してもらった報告書だ。こちらでチェックしたが、もう少し手直しした方が良い」
「……わかりました」
 不意を突かれた修正要求の声に、澄乃は悔しさを覚え、思わず眉間に皺を寄せたまま目の前にある紙束を受け取った。

(あー、もう。今回は上手く作れたと思ったんだけどな)
 自分のデスクに戻った後、上司から受け取ったばかりの報告書をパラパラとめくっていく。
 自分なりに良くまとめられたと思い提出したものだったが、仕事に厳しいと良くも悪くも定評のある課長から見ると合格の域に達していないらしい。
 その証拠に、報告書の至る所に付箋が貼られ「ここは不要」「もっと詳しく」など、様々な指摘が書き込まれていた。
「あ、相変わらず修正がエグい……」
 一通り戻ってきたばかりの報告書に目を通し、思わず澄乃がボヤけば、隣の席でキーボードを叩いていた後輩――島本《しまもと》景子《けいこ》の手が止まる。
「また課長からダメ出しですか?」
「そうそう。今回は結構自信あったんだけどね」
 首を傾げる後輩の言葉に、肩を竦めた澄乃は、報告書をデスクの上に置き、天井に向かって両腕を突き上げ大きく伸びをする。
 今回のように、提出書類に月森のチェックが入り戻ってくることは、営業部に所属する社員ならもう何度も経験していることだ。
 澄乃と同期入社の彼は、二十八歳という若さながら課長に抜擢されるほど仕事が出来、なお且つ部署の垣根を越えて役職持ちの社員たちからの評判も良い。
 その敏腕ぶりを証明するように、彼の指摘を加味して作り直した書類や資料は、「よく出来ているな」なんて褒められることがたびたびある。
 本来なら、上司からの指摘無しでそのクオリティまで持っていければ良いのだろう。
 大学卒業と同時に入社して数年。毎年自分なりの成長を感じているものの、まだまだ課長のレベルには到達出来そうにない。
 今後も日々精進だと心の中で自分に喝を入れながら、数回グルグルと肩甲骨を回して、長時間の打ち合わせで凝り固まった筋肉をほぐしていく。
 その最中、隣から遠慮がちに「先輩」と自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
 何事かと思って澄乃が振り向けば、キャスター付きの椅子に座ったままの景子が、すすっとこちらへと近づいてくる。
「課長って、本当のほんっとーに、先輩の旦那さん、ですよね?」
「……へっ?」
 後輩の様子に首を傾げれば、耳元で予想もしない囁きが聞こえてくる。
 まさかの質問に驚くあまり、大きく目を見開いた澄乃の口からは、数秒遅れで気の抜けた声が漏れていく。
 驚くまま景子の方を向けば、彼女は真剣な様子で先輩を見つめていた。
 後輩の真っ直ぐな眼差しは、冗談や悪ふざけで質問したんじゃないことを教えてくれる。
 同時に、何故今なのかと首を傾げたい気持ちを堪え、澄乃は自分が座る椅子を回転させ、景子へ向き直った。
「前から言ってるでしょう? 私と課長は結婚してるって」
 去年、景子がまだ新入社員だった頃にも同じ質問に答えたな、なんて微笑ましい記憶を呼び起こしながら、どこか後輩を諭すように口を開く。
「で、でも名字が――」
「同じ部署に、二人も月森が居ちゃ、電話応対の時にややこしいでしょう」
 先輩直々の返答を聞いても納得がいかない様子の景子が、眉を下げながらも新たな質問と共に澄乃に食い下がる。
 そんな後輩に対応しながら、澄乃は一瞬自分の首にかけられた社員証へ目を向ける。
 そこには彼女の旧姓“笹井澄乃”の名前が印字されているのだ。
「先輩、お昼食べる時とか、私たちとばっかりじゃないですか。たまには、課長と食べたっていいんですよ?」
「課長には課長の、私には私のペースがあるの。無理に合わせてお昼を食べなくたって、全然問題ないわ。それに、貴女たちと一緒にお昼を食べるの、私結構好きなのよ」
 どこか必死な様子で新しい疑問を捻出する後輩の様子に、つい口から苦笑いが零れた。
 言葉通り、澄乃はお昼休憩になると同じ部署の女性たちと一緒に昼食をとっている。
 自分一人じゃ決して知れない情報や噂話などを聞けるため、毎日密かに楽しみにしている時間でもあるのだ。
 それが嫌なのかと彼女が首を傾げれば、景子は必死な様子でブンブンと首を横に振って否定する。
「本当にどうしたの? 今さら私と課長のことなんて……」
「私だけじゃないです! 皆言ってますよ。先輩たちは結婚してるのに、どうしてあんなに他人行儀なのかって!」
 今日の彼女は随分あきらめが悪い。どうしたものかと頭を悩ませる澄乃の前で、景子が子供っぽく唇を尖らせる。
 詳しく話を聞くと、先程澄乃を呼び止めた月森の態度や、二人のやりとりに夫婦っぽさが皆無な点に関して、ランチ仲間から不満が出ているらしい。
 課長としてバリバリ仕事をこなす月森ほどではないが、澄乃にも彼女を慕う後輩や、休憩時間に話す同期や先輩など、仲良くしている同僚は多い。
 そんな同僚たちが、全員一致で疑問視しているのが、結婚しているはずの二人がお互いを相手にする時の態度だった。
 澄乃たちが働く職場は、社内恋愛を禁止しているわけじゃない。そのため、社内ではあちこちでカップルを見かけることはよくある。
 休憩時間中に立ち話をしながらイチャついたり、一緒にお昼を食べたりする社員たちなどがそれだ。
 節度を守り、問題さえ起こさなけなければ良いと、皆、つかの間の逢瀬を見て見ぬふりをするのが、いつの間にか暗黙のルールにもなっている。
「それなのに……どうして先輩たちは、あんなに他人行儀なんですか! 結婚だってしてるのに!」
 眉間に皺を寄せた景子が、不満な気持ちを隠しもせずふくれっ面で澄乃を見つめる。
 一応彼女も今が仕事中と理解しているようで、声量を抑えて怒っている。
 その辺りは評価してもいいかと、つい困った生徒を前にした教師のような気持ちになるのは仕方ないはず。
(どうして他人行儀か、なんて言われても……)
 自分の中にあった疑問をぶつけ、先輩からの答えを待つ後輩の純粋な視線に、つい口元が歪んでいくのがわかる。
「これが私たちだから……ってしか、言いようが無いのよ」
 どう返事をしようか少しの間考え、頭の中に浮かんだ答えを口にする。
 しかし、澄乃の返答に納得いかなかったのか、こちらを見つめる景子の表情は不満一色に染まっていく。
「ほらほら、お喋りはこのくらいにして仕事しましょう」
 ちらりと壁掛け時計に視線を向けた澄乃は、後輩へ仕事の続きを促しながら、自分もデスクに向かおうと身体の向きを変える。
 途中、視界の端に他の社員と話す上司の姿が映り込んだものの、彼女は特に気にする様子を見せず修正要求のあった書類へ目を落とす。
 仕事を再開した澄乃の左手と、部下に指示を出す颯真の左手に、同じデザインの指輪がキラリと光りその存在を主張した。

 その日の夜。仕事を終え自宅マンションへ帰った澄乃は、着替えを済ませた足でキッチンに立っていた。
 既に前菜のサラダやみそ汁、副菜やご飯などの準備は万端だ。最後にメインをと、目の前でパチパチ音を立てながら油の中で踊るコロッケを見つめる。
「んっ、上出来……はふっ」
 フライヤーの中で香ばしく揚がっていくそれを眺めながら、澄乃は最初に揚がったモノを味見と称して摘まんでいた。
 サクサクの衣に、ひき肉のうま味が混ざったジャガイモのホクホクとした食感。
 口の中に広がる熱を逃がすように、ハフハフと息を吐きながら、彼女は満足げに目を細める。
 ――ガチャッ。
 口と同時に菜箸を持った右手を動かし、頃合い良く揚がったコロッケを油から引き揚げた時、玄関の方でドアが開く音が聞こえた。
 続けざまに「ただい……ん?」と、自分の瞳に映る光景を疑問視する夫――颯真の声もかすかに聞こえてくる。
「ごめーん! 今コロッケ揚げてるから、そっち行けないの!」
 その声に応えるように、数秒だけ手元から目を離した澄乃は、廊下に面したドアの隙間から少しばかり声を張り上げた。
 すると、彼女の声は帰宅したばかりの旦那にしっかり届いたようで、数秒と経たずに「わかった」と頷く声が聞こえた。

 お互いの姿を見ないまま二人が言葉を交わしてから数分。コンロの火を止め、揚げ物との格闘が終わったと澄乃が一息吐いた頃。
 彼女の胸元に、背後から伸びた太い両腕が絡みついた。
「ちょっ! 揚げ物してる時は抱きつかないでって、何度言ったらわかるのっ!」
 突如、背中から全身をすっぽりと包み込むぬくもりを感じたものの、それに反応する澄乃の声は状況的にとげとげしくなってしまう。
「んー? ちゃーんとわかってるって。その証拠に、しっかり火を消して、お前がコンロから離れた今を狙ったんだから」
 しかし、明らかにお怒りな彼女を抱きすくめる旦那は、特に妻の声を気にすることなくひらりとかわして、自分より華奢な身体を抱く腕に力をこめた。
 ワザとらしく耳元で囁く声のせいで、澄乃の中から言い返す気力が削がれていく。
 これでまた何か言い返した所で、自分はこの人には敵わないと、十数年という月日で嫌というほど理解しているからだ。
 だけど、すぐにわかったと頷くには癪で、何も答えず黙り込む。
 そのまま数回瞬きをしていれば、抱き込まれていた身体が夫の手によってくるっと反転させられる。
 百八十度変わった視界に映るものが、ついさっきまで手を洗っていたシンクから、部屋着に着替えた夫の胸元に変わった。
「あ、油の匂いが移っちゃうから離れて!」
 なおも拘束の手を緩めない颯真に、澄乃は彼の胸元に両手を置いて突っぱね上半身をのけ反らせる。
 しかし、その態度が気に入らないのか、彼女を抱きしめる颯真の片手が妻の後頭部へまわされた。
 そのままグッと大きな手で頭を包み込まれたかと思えば、次の瞬間にはもう夫の胸元へ強制的に顔を押し付けられる。
「この匂いは、澄乃が俺のために夕飯を作ってくれた匂いだろう? それを嫌がる旦那がどこに居るんだよ」
 自分より大きく力強い熱に包み込まれた状態で、妙に心がくすぐったくなる声を聞いてしまえば、澄乃の中にあったわずかな抵抗心が消えていく。
 二人の胸の間に挟まれ、行き場を無くしていた両腕から力を抜いた彼女は、そのまま軽く身動ぎをして顔を上げる。
 自然と上を向いた瞳に映るのは、優しく微笑みながら自分を見つめる颯真の姿だ。
「残業するってメッセージにあったから、もっと遅くなるかと思ってたけど……早く終わったんだね」
「一人だけ会社に居残ってるのが空しいから、急いで終わらせてきた」
 互いに見つめ合いながら声をかけた澄乃は、ダークブラウンに染まった颯真の前髪へおもむろに右手を伸ばす。
 その様子を見た颯真が、彼女が触りやすいよう頭を下げてくれる。
 優しい彼の厚意に甘えて、数秒前髪を指で弄んだ後、指先、そして手のひら全体を使って目の前にある頬を撫でていく。
 予告なしの妻の行動に颯真は文句を言わず、小首を傾げる彼女の声に苦笑混じりで帰宅までの状況を教えてくれた。
 寂しがりやの言い訳にも聞こえる返答に澄乃がクスクス笑っていると、その目元へ颯真のカサついた親指が伸びていく。
「颯真、今日も一日お疲れ様」
「澄乃もお疲れ様」
 しばらくの間、お互いに相手の目元や頬を撫で合いながら、労いの言葉をかけあっていく。
 それと同時に、ゆっくりと二人の間にあった距離は縮まっていき、額をくっつけたかと思えば、鼻先を数回すり合わせていく。
 澄乃がゆっくり瞳を閉じると、彼女の小さな唇は夫のそれに数回啄まれ、何度目かのリップ音が響いた後に重なり合う。
 そのまま幾度となく口づけを繰り返すのと同時に、「ただいま」「おかえり」と言い合いながら、澄乃の両腕は愛する夫の大きな背中へ回った。
 キュっと腕に力をこめれば、二人の身体はさらに密着し、服を着ていても相手の体温をしっかり感じられるほど、夫婦の距離は限りなくゼロになっていった。

 澄乃と颯真が出逢ったのは、それぞれが進学先に選んだ同じ高校だった。最初はただのクラスメイトとして接していたのに、気づけば一年と経たず恋に落ち交際をスタートさせた。
 時々喧嘩はするものの、二人が別れることは無かった。高校を卒業後、別々の大学に進学してからも一緒の時間を過ごし、社会に出てすぐ籍を入れた。
 結婚してからもう三年。出逢ってからは十年以上。
 澄乃の後輩から素っ気ないと怪訝な顔をされた月森夫妻は、高校時代から変わらず今もお互いを最愛の人とするラブラブ夫婦なのである。

 なかなかキスを止めない夫から、「コロッケが冷めるから」なんて言いくるめて離れ、二人で夕食を食べた後。
 率先して「油ものだし、今日は俺が洗うから」と言ってくれる颯真に後片付けを任せた澄乃は、お風呂のお湯を溜めに浴室へ向かった。
 準備を済ませて、お湯張りセンサーが反応するまでの間に澄乃もキッチンに立ち、二人で片づけを進めていく。
 すると、丁度お湯が沸いたとアナウンスが聞こえる前にシンクの中が綺麗になっていた。
 面倒な洗い物も、颯真とお喋りをしていればあっという間に終わるから不思議だ。
 洗い物が終わった後は、二人で当たり前のようにそれぞれ着替えを持ち、脱衣所へ向かう。
 服を脱いだ後、一方は湯舟に浸かり、もう一人は身体と髪を洗っていく。
 颯真と交代で身体を綺麗にした澄乃は、夫より少し明るく染めている茶髪を軽くまとめ上げ、浴槽内でくつろぐ夫の元へ戻った。
 澄乃がゆっくり身体をお湯に沈めていくと、一人の時は溢れなかった入浴剤入りの黄色がかったお湯が勢いよく溢れていく。
 その音に耳を傾けながら、彼女は力を抜いた身体を背後にいる夫の胸元へ預ける。
「そう言えば……今日、営業先から戻ってきた後にね――」
「ん?」
 夫の脚の間に座り、その身体に寄りかかった澄乃は、頭をのけ反らせ浴槽内で自分を抱きしめる夫を見上げる。
 何かを思い出した様子で、唐突に声を上げる妻の姿に、颯真は小首を傾げ続きを促した。
 澄乃の口から語られるのは、昼間に景子から受けた質問について。
 これまでにも、同じ営業部で働く同僚や、他部署に所属しながらも親しくしている女性社員数人から似たような質問をされたことは何度もある。
 たまに「課長って、家でもあんなに素っ気ないの?」と聞かれることもあった。
 その度に、澄乃はいつも曖昧な返答でひらりひらりと追及を回避している。
 理由はもちろん、自分を抱きしめている男のせい。
 話の最中、手元が寂しくて、ついつい夫の手を触って遊んでしまった。だけどしばらくして、それが湯舟の中に急に消えたと思えば、グッとお腹の辺りに太い腕が回される。
 ほぼ同時に、耳元で囁く声が聞こえ振り向こうとした瞬間、湯船の淵に乗っていた逞しく大きな手がするりと頬を撫でていく。
「澄乃の可愛い姿は、俺だけが知ってればいいんだよ」
「ん、ふっ」
 そのまま、グイっと強制的に彼の方へ顔を向けられ、もう幾度となく味わってきた肉厚な唇が澄乃のそれを塞ぐ。
 顔だけ後ろを向く体勢がキツく、澄乃はキスをしたままペシペシと湯舟に沈む夫の腕を叩いた。
 すると彼女の訴えに応えるように、拘束がわずかに緩む。
 それを知って一度唇を離した澄乃は、浴槽の中で身動ぎしながら体勢を変え、細身ながら程よく筋肉がつく夫の太ももに改めて座り直した。
 颯真も座る位置を調整し、澄乃が座りやすいように場所を変えていく。
「こんなこと、颯真以外にしないよ?」
「知ってる。だけど、嫌なものは嫌なんだ」
 身長差のせいで、普段から見上げてばかりの夫の顔を、今自分は見下ろしている。
 なんてどこか優越感に似たものを覚えながら澄乃が小首を傾げた。
 だが颯真は、彼女の言葉に頷くもどこか不服そうな言葉を発し、拗ねた表情を浮かべる。
「颯真ったら、可愛いな、もう!」
「おまっ、男に可愛いとか言うな!」
 子供じみた表情を浮かべる最愛の人を見て、つい心の中でつぶやくはずだった声が音になった。
 間近でその声を聞いた夫が、カッと瞳を見開き抗議の声を上げる。
 そんな怒りをあらわにした表情を見ても、澄乃はニコリと笑みを浮かべるだけで屈する様子は無い。
(会社でも、こんな風に話せたらいいのにな。……でも、やっぱり、恥ずかしいよね)
 すると不意に、背中に回され身体を支えてくれていた彼の片手が後頭部へ移動し、大きな手のひらにすっぽりと頭を包み込まれる。
 それを合図に二人はまた唇を重ね、澄乃も自分より暗いトーンの茶髪に指を這わせながら目の前にある愛しい人の頭部を掻き抱く。
 昼間の素っ気ない態度が嘘みたいに、澄乃たちは湯舟に浸かったまま幾度となく唇を重ねだした。
「んぅ、ふ……そ、ま……好きぃ……」
「は、あ……俺だって好きだ、愛してる……んっ」
 時間が経つにつれ口づけは激しさを増し、浴室内に様々な音が響き渡る。
 二人の吐息と、お湯の中で相手の身体を弄り合うせいでジャブジャブと揺れる水音。そしてお互いを求め、愛を囁く声が木霊する中で、澄乃は無意識に閉じていた瞼をほんのわずか押し上げる。
 そして、開けた視界に熱情に塗《まみ》れたギラつく視線をとらえれば、下っ腹――丁度子宮の辺りが甘く疼くのがわかった。

 他の社員カップルのような振る舞いを自分たちもしてみたい。
 澄乃だって、仲睦まじくランチを食べる恋人たちを羨ましく思ったことは、一度や二度じゃない。
 だけど、それを行動に移せないのは、「可愛い澄乃の姿を他の誰にも見せたくない」という上司兼夫の何とも言い難いわがままが原因の一端だったりする。
 颯真曰く、自身の愛情を一身に受け、恥ずかしがったり、頬を緩めたりする愛しい嫁の可愛い姿を外で見せたくないらしい。
 そんな気持ちがある故に、会社内では素っ気ない態度になってしまうと、以前彼は話してくれた。
 そんな夫の言葉に驚きを隠せない澄乃の中にも、少なからず似た気持ちがあったりする。
 会社でバリバリ仕事をこなす夫は、妻としての欲目無しに見ても格好いい。
 その姿に見惚れる新入社員や、他社から打ち合わせに来た女性たちが熱い眼差しを送っていることも、同僚たちの目撃情報などで澄乃なりに把握している。
 故に嫉妬するなと言う方が無理なのだが、颯真に見惚れた女性たちが皆、彼の左手薬指に光る指輪に気づき我に返ってくれるので、彼女は心に余計な波風を立てずに済んでいるのだ。
 そして、澄乃が会社で夫とイチャつけない要因になっているもう一つの原因は、単純に颯真からの愛情たっぷりな言動に平常心でいられる自信が無いためだったりする。

「もう、上がるか?」
「……ん」
 相手の舌に自分のそれを絡め、クチュクチュといやらしい水音を立てること数分。
 口端からどちらのとも分からない唾液を垂らし、蕩けた瞳で夫を見上げる澄乃は、彼の言葉に小さく頷く。
 すると、了解とでも言うようにチュッと彼女の額にキスを落とした颯真は、自分の身体に跨る妻を軽々と抱きかかえ立ち上がった。
 足元を気にしつつ、颯真はゆったりとした足取りで脱衣所を目指す。
「颯真、おっきくなってるよ」
 その様子を、熱を帯びた瞳で見つめていれば、ふと彼の気を引きたい欲が芽生えて喉を震わせる。
 愛しい人の横顔を見つめていた視線が、ツツっと自分の身体に隠れ今は見えない彼の下半身へ向いた。
 お湯の中で激しい口付けを交わしている途中から、ずっとお尻のあたりにあった違和感。
 お湯とは違う熱を発し、次第に硬くなっていく質感のソレは、彼と出会って何度も自分に快感と絶頂を与えてくれた夫の肉欲だ。
 颯真が慎重に歩くたび、その先端がツンツンと澄乃のお尻に触れてしまう。
 当人もしっかり把握しているだろう事実を告げれば、不意に自分の足元へ向いていた彼の視線がこちらへ向く。
「お前だってグチョグチョのくせに」
 ニヤリと意味深な笑みを浮かべた颯真の声が、耳元でいやらしく聞こえてくる。かと思えば、抱えられたままの体勢で抱き寄せられ、手入れされた恥丘を彼の腹部に押し付けられる。
 自分の意思とは無関係に揺れた秘部から、かすかにクチュッと粘り気混じりな水音が聞こえてきた。
「ベッド行くぞ」
 熱情に塗れたキスに興奮していたのは、どうやら自分も同じなようだ。
 なんて現実を夫に教えられ、みるみる熱を持つ頬とドクドクと煩い心音に意識が向く。その最中、また耳元で愛する人の声が聞こえた。
 数回瞬きをして無意識に俯いた顔を上げれば、先程より更に熱と欲を帯びた瞳に射抜かれる。
 声など出さず一度だけ小さく頷けば、それを合図に、颯真は脱衣所に用意していたバスタオルへ手をのばした。

(――つづきは本編で!)

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