「……君に、苦しいほどの快楽を」
あらすじ
「……君に、苦しいほどの快楽を」
限界社畜OL・ルキの転生先は、観衆が集う処刑台の上だった。スパッと首を刎ねてもらえる!と喜ぶルキに反して、罪人の処刑は延期。「死神」と呼ばれる美麗の処刑人・アリスターに身柄を引き取られた彼女は、暴虐な王が統治する世界で聖女として何者かに呼び出されたことを知る。だがその最中、処刑延期の罪人が獄中死。罪を擦り付けられたルキはアリスターもろとも死刑宣告を受ける(正直嬉しい)――だが、唯一の心残りは胸を焦がすほどの恋をしていないこと。彼女が相談すると死神は告げた。「どうせ死ぬつもりなら、恋をしてみないか?」息が詰まるのと同時に強い感覚が走った。ようやく絶頂を迎えようとするその瞬間、彼女は時間を遡って……!
作品情報
作:桜旗とうか
絵:ちょめ仔
デザイン:RIRI Design Works
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本文お試し読み
零.死神は神と決別する
緩やかな丘を登っていく。
辺りは荒れ放題で足元の草は臑の高さまで伸び、手入れをされることもない。木はいくつか見えるが、この時期はまだ寒そうだ。
もう少しで春が来る。暖かな昼下がりに、木の根元で木漏れ日を受けながら昼寝をしていた記憶はもう、重たい蓋で閉ざしてしまった。それでもまだ、ときおりぐらつくのは耐えがたい嫌悪感のせいかもしれない。
丘のてっぺんに近づくと見えてくるのは、錆び付いた教会のシンボル。円形の縁に、放射状の直線が中心で交わり、蔦のような模様を刻むもの。太陽のモチーフだとも、草木のモチーフだとも言われている。
その下にある本体の教会は廃墟同然。雨も風も凌ぐには厳しいが、ないよりはまし。
ここは、リオデイル王国、南の最果て。一人の司祭がひっそりと暮らしている場所だ。
「司祭様」
丘を登り切ったところからさらに少し進むと、寂れた小屋がある。その扉を開いて俺は中の住人に声を掛けた。
「いらっしゃい」
木でできた丸椅子に、背を丸めて座る男。老人と呼ぶにはまだいささか早いが、外見は老いて見える。色が抜けきった白髪。枯れ枝のような手足。しわがれた声。司祭は、手に杖を持って立ち上がった。彼は足が悪い。
「話を聞こうか」
司祭が笑った。目尻を下げて、皺だらけの顔で、俺に話しかける。
俺に笑って話しかけてくるのはこの司祭くらいだが、彼とて笑顔を作っているのだ。心底笑い合うことはない。
「いいえ」
首を横に振る俺に、司祭はすぐにはなにも言わなかった。
ややして彼が口を開く。
「今日はお勤めがなかったのかい?」
「……いいえ」
司祭が眉をひそめる。
この教会へ来るようになって二年。毎日、毎日、繰り返すように俺は心を吐き出した。
初めてここへたどり着いたときは十六歳。迷うように歩いてきて、錆びた教会のシンボルを見つけて駆け込んだ。救われたかったのだ。
俺はそこで、あらゆるものを吐いた。胃の中にあったもの。悲しみ。怒り。嫌悪感と恐怖。俺は最後に兄が憎いと呟いた。
「今日は、早朝から人の首を刎ねました」
「そう……かい。だったら……」
「だから、なにも言わないのです」
唇を噛んだ。
薄汚れた窓に映る俺の姿は、まるで化け物のようだ。
落としてきたはずの血がこびりついて見える。手のひらを見つめれば、赤く染まっているようだ。悲鳴が耳の奥で反響していた。
「俺は、処刑人です。こんな日が来ることはわかっていました」
「……吐き出してしまえばいいんだよ。神はすべてを許し、救って――」
「救ってくださらないではないですか……!」
空気を切り裂くような声が出た。司祭は一瞬目を見開いたが、すぐに表情を和らげる。
俺の感情は止まることを知らないかのように、言葉として溢れた。
「ずっと神を信じて祈ってきた。礼拝も欠かさず、後ろめたいことはなにもしてこなかった。それでも、神は俺を見捨てたではありませんか!」
二年前、そう言った俺に司祭はなにも言わなかった。今日も、司祭はなにも言わず黙って聞くだけだ。
「それを試練だと受け入れた。でも俺が最初に処刑したのは二十歳にも満たない娘だった。……泣いて、叫ぶ娘の目の前に、彼女の幼い子どもを置いて……罰なのだと言って刑を与えて苦しめることが本当に試練だったのですか……!」
いまでも初めて処刑した人間のことは覚えている。忘れられるはずがない。十五歳で貴族の愛人となった平民の娘だった。その娘は貴族の子を平民が宿すなど不敬だとして笞打ち刑に処されてしまったのだ。年若い娘が耐えきれるはずもなく、命は助かったが大きな後遺症をもたらした。
リオデイル王国での処刑は公開されることが一般的だ。王は、特等席に罪人の娘を置けと命じ、たった四歳の子どもの前で処刑させた。
残酷な男だと思った。
「それでも俺は耐えられた。……神が、救ってくれるとまだ信じられたから」
膝から崩れ落ちた俺の肩を、司祭がそっと撫でる。優しい手は、初めて来たときから変わらず冷たく、けれど温かさを感じた。
「でも、もう耐えられない」
早朝に見た光景が瞼の裏に焼き付いて消えない。
十八歳になって、初めて斬首刑の罪人が充てられた。最底辺である処刑人が王の決めたことに否を突きつけられるはずがない。俺にできることは、罪人を処すために準備を進め、滞りなく執行することだけだ。
「……今日の罪人は、俺の母でした……」
司祭の手が俺の肩を強く掴んだ。年老いて痩せ細ったこの人に、これほどの力があったのかと思うほど強く、痛い。
「王は、俺の初めての斬首刑に、母を選んだのです」
絞り出すように呟く。
自分とは無縁の罪人であっても、処刑は心を乱す。斬首刑ともなれば相当な鍛錬と覚悟が必要だ。
俺はその日、初めて斬首刑を執行した。処刑人になって二年。未熟な俺に、人の首を刎ねるほどの大剣を正しく振り下ろせるはずもなく、いたずらに苦しめた。
苦しみもがき、叫ぶ母の声に耳を塞ぐこともできず、ただ剣を振り下ろし続けた。
他の処刑人一族とは違い、師たり得る存在がいなかった俺は、どんな凄惨な状況になってもやり遂げるしかなかったのだ。代わってくれる者がいなかった。
「アリスター……」
掠れて呟かれた声に、かぶりを振る。慰められたいわけではない。労ってほしいわけでもない。吐けるものはすべて吐いてきた。流すものはすべて流してきた。あとは、捨てるだけだ。
「神は俺を救わない。人を救わない。ならば俺は、そんな神を捨てる」
首から提げた教会のシンボルを象った飾りを外す。生まれた日、俺は神から祝福を授かったはずだった。健やかに生きろと言われたはずだった。
十六になってすべてを奪われ、十八になって信じるに値しないと知った。縋らなくていい。俺は、俺の足だけで立つしかない。
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