「他の男に抱かれている暇もないくらい、俺で満たしてやる」
あらすじ
「他の男に抱かれている暇もないくらい、俺で満たしてやる」
伯爵令嬢マグダレーテは、たった一枚の契約書で、見知らぬ伯爵令息ランドルフと結婚させられた。『白い結婚』同然の暮らしで、淫蕩三昧の悪女という噂が付きまとう毎日。捨てられる覚悟を決めた彼女は、商才を活かし、領主不在のなか領民と共に密かに生活基盤を整えてきた――5年後、突然夫を名乗る男が現れる。悪事を暴くため視察にきたという彼と、不本意ながらはじめての結婚生活を送ることとなった彼女であったが、彼の抱える悩みと繊細な一面を知るうちに、次第に愛情が芽生えていく。「可愛くてきれいで、おかしくなりそうだ……」ランドルフからの予想外の溺愛に、彼女の心も体も陥落寸前で――!?
作品情報
作:猫屋ちゃき
絵:千影透子
配信ストア様一覧
11/8(金)ピッコマ様にて先行配信開始!(一部ストア様にて予約受付中!)
本文お試し読み
第一章
朝夕の空気に冷たさがなくなり、すっかり春らしくなってきたある日のこと。
マグダレーテが日課である領地の見回りを終えて戻ってくると、屋敷が何だか騒がしかった。
領地を回るときはロバのカロを連れているのだが、カロを休ませる小屋にまで騒々しさが届いてきている。
「何かしら?」
マグダレーテはカロに問いかけるが、つぶらな瞳で見つめ返してくるばかりだ。
屋敷の裏手にある厩舎まで声が聞こえてくるのは只事ではないと感じ、急いで屋敷まで戻った。
領地管理人と料理長のいつもの喧嘩だったらいいなと思いながらも、おそらく違うのは感じていた。聞こえてくるのが、若い男の声だからだ。
屋敷の使用人たちに若者はいないし、喧嘩をするのは領地管理人と料理長ばかりだ。
二人の喧嘩ならマグダレーテが歌って踊ってなだめれば、そのうち丸く収まる。
しかし、外から誰かが入ってきて暴れているのであれば、そうもいかないだろう。
マグダレーテはこの屋敷を預かる者として、気合いを入れて現場に赴いた。
玄関先で暴れているのかと思いきや、声の主はそこにはいなかった。
声を頼りに応接室にたどり着いたマグダレーテがドアを開けると、そこにはひとりの青年が通されていた。
癖のない黒髪に緑色の目をした、なかなかの美青年だ。
だが、捻くれたような表情とこちらに挑みかかるような視線が気にかかる。
何より、状況的にこの人物こそが声を荒らげていた者なのだと思うと、自然と緊張してしまった。
「どうしたの? 何か揉め事かしら?」
「奥様、申し訳ございません。この方は自身を、キルステン伯爵家のランドルフ様だと言い張っておりまして……」
マグダレーテの問いに答えてくれたのは疲れた様子の執事だ。ひとりきりでこの男の相手をしていたのだから、大変だっただろう。
屋敷にいるのは、長年勤めている執事と料理長、マグダレーテが領地に来てからの使用人である侍女のマーサだけだ。
ここには領地管理人や時々手伝いの下男がやってくるが、基本的には三人の使用人がいるだけの忘れられた場所。
そんな場所に、この屋敷の本来の主人─―つまり、マグダレーテの夫を名乗る人物が現れて騒いでいるのだ。
これはどういうことだろうかと、困り果てて首を傾げるしかない。
「あなたが、ランドルフ様……?」
マグダレーテは男を見つめ、改めて問いかけた。
十五歳のときに親に言われるがまま結婚してからというもの、五年間一度も顔を合わせたことがない夫。
縁談のときに見た釣書に描かれていたのも黒髪緑目だったとは思うが、こんな捻くれた表情はしていなかったように思う。
「人に名を尋ねる前に自分から名乗ることも知らないのか。無礼者が」
「これは、失礼いたしました。私はマグダレーテ・キルステンと申します」
無礼者ものはどっちなのよと思いながらも、マグダレーテは淑女の笑みを崩さず応じた。
結婚したものの夫婦として過ごしたことは一瞬たりともないため、未だに婚家の姓を名乗ることに抵抗はあるのだが、この際仕方がない。
他に名乗るような名もないわけだから。
「マグダレーテ? お前があの? ずいぶんとうまく擬態したものだな。その姿は、田舎の素朴な淑女といった感じじゃないか」
マグダレーテの名乗りを信じていないのか、ランドルフを名乗る男はしげしげと見つめてきた。
褒められていないなと思いつつも、今の服装では仕方がないことも理解している。
マグダレーテは日課である領地の見回りをするとき、動きやすく地味な色のドレスを身に着けている。
村娘と対して変わらない格好をしているのだから、彼が〝田舎の素朴な淑女〟などという感想を抱くのも無理はない。
だが、それだけでなく彼がちっともこちらを好意的に見ていないのは言葉の端々から伝わってくる。
「お前の噂は聞いているぞ! 淫蕩三昧の挙句、生意気にも俺と離婚したがっているそうではないか!」
「淫蕩三昧、ですか……」
男は指を突きつけて、吐き捨てるように言う。
自分がそのように噂をされているのは知っていたが、ようやくそれが夫の耳にも届いたのかと思うと、今更感があって内心で笑ってしまう。
五年間も放っておいたくせに、そんな噂がこうして乗り込んできて暴れる理由になるのだと思うと、逆に信じられない気分だ。
それに何より、腹が立ってきてしまった。
夫かどうかもわからない人物に一方的に罵られるなんて癪で、マグダレーテも相手に意地悪をしたくなってきた。
「ランドルフ様を名乗ったというけれど……あなたは本当にランドルフ・キルステンなのですか?」
目の前の男が本物でも偽物でもどうでもいいのだが、言われたままは腹が立つ。
だから、相手を困らせることを言ってみたくなったのだ。
「旦那様であることを証明できますか? 証明できなければ、ランドルフ様を騙る詐欺師だと村の役場に突き出しますよ」
自分が自分である証明をしろというのは、意外に難しいものである。というより、自分自身ではできないことがほとんどだ。
かくいうマグダレーテも、ここへやってきた当初、領地を歩き回ってもキルステン伯爵家に嫁いできた次期伯爵夫人だとは誰も信じてくれなかった。
最初から丁寧に扱ってくれたのは、屋敷の使用人たちだけだ。
彼らのおかげで少しずつ周囲の人間たちに認められ、マグダレーテは領民たちからの信頼を勝ち得た。
今なら彼らがマグダレーテをキルステン伯爵家の夫人だと証言してくれるだろうが、目の前の彼はどうだろうか。
「……さすがは噂に名高い悪女だな! 領民たちを手玉に取れても、俺をやり込められるなどと思うなよ!」
どうやって自分をランドルフ・キルステンだと証明しようか、一応は悩んだのだろう。
だが、何も思いつかなかったらしい男は、勢いだけで乗り切ろうと声を荒らげた。
(この人、一体何をしに来たのかしら……やっぱり、離婚話よね)
苛立つ様子の美青年を見て、ついにそのときが来てしまったのだろうとマグダレーテは覚悟した。
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