作品情報

冷血公爵様の秘めた欲望に火をつけたようです

(メリッサ……かわいい、愛しい、私の唯一)

あらすじ

(メリッサ……かわいい、愛しい、私の唯一)

貧乏貴族の娘・メリッサは、妹たちの持参金のため宮廷勤めをしている。結婚を急かされて溜息をつく彼女に、“鉄の公爵”こと財務長官ヴィクターが突然言った。「私にしておくか?」「……はい?」冷血で堅物な上司との結婚など考えられない――はずが、酔った勢いでまさかの一夜を共にしてしまい……!?利害一致の末に妻になる決意をしたメリッサ。だがその裏で、彼の素顔はまるで違った。一途で、ただ恋に不器用なだけ。誰よりもメリッサを想っている。屋敷に戻ってはひとり反省会を開くヴィクター。(次の夜会では、彼女が笑ってくれますように)(結婚したら、朝まで離さない)公爵様の切なる想いは、いつかメリッサに届くのか……?

作品情報

作:猫屋ちゃき
絵:稲垣のん

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本文お試し読み

第一章

 メリッサ・ベルガーは、王城の一角にある財務官の執務室で帳簿とにらめっこしながら、すでに今日三度目となる深い溜め息をついた。
 手元の数字に不備はない。王立会計士としての自負がある彼女の仕事に、そうそう間違いなどあるはずがないのだ。
 では何に悩んでいるのかと問われれば、その答えは明白だった。
(もう、本当に朝から何なのよ……)
 朝食での家族との会話を思い出しながら、メリッサはうんざりしていた。

 まだ温かいパンが食卓に並べられた朝食の席。母が紅茶を注ぎながら、何気ない風を装って言ったのだ。
「メリッサ、あなたにお見合いの話が来ているのだけれど」
 その横で、父も「ああ、あの騎士団の副団長殿だったかな。なかなか立派な男らしい」などと頷く。
 その瞬間、メリッサはフォークを落としそうになった。家の状況を知らないわけでもあるまいに。あれほど毎月の家計について相談しているのに、なぜ今さらそんな話が出てくるのか。
 ベルガー家は伯爵家とは名ばかりの貧乏貴族だ。
 爵位の維持にすら金がかかるこの国において、祖父の代に負った借金はいまだ家計を苦しめている。
 メリッサは三人の妹の持参金をどうにか工面するため、自ら宮廷で働く道を選んだ。婚活どころではない。恋だの愛だのはとうの昔に棚上げしてきた。
(……見合いするといっても、そのために着飾るお金がかかるもの。そんなお金があったら、妹たちの持参金に回すわ)
 それなのに「いい人はいないのか」だの、「いつまで仕事ばかりしているつもりだ」だのと、朝から両親に詰め寄られ、メリッサは出勤前から疲労困憊だったのだ。

「ふう……」
 そして今、四度目の溜め息が漏れる。
 すると、目の前の長机の向こうで書類を読んでいた男が、書面から顔を上げた。
「……帳簿に不審な点でも見つけたか?」
 鋭い緑の瞳でそう問いかけてきたのは、財務長官ヴィクター・シュミット。メリッサの直属の上司であり、シュミット公爵家の嫡男である。
 国の経済再建を主導している辣腕で、非の打ちどころのない人物──ただし、致命的に堅物で無愛想。
 笑ったところなどほとんど見たことがない。周囲では〝鉄の公爵〟と呼ばれているほどだ。
「あ、いえ。帳簿は問題ありません。少々……私事で考えごとをしておりまして」
 メリッサは慌てて否定しつつ、咄嗟に誤魔化せるほど器用でもない。長年鍛えた冷静沈着な振る舞いは、家庭のこととなるととたんに崩れる。
「私事?」
 ヴィクターは眉をひそめたが、すぐに関心を失ったかのように書類へと視線を戻す。無関心にも見えるその態度に、逆に話したくなってしまうのだから不思議だ。
「……両親から、結婚についてせっつかれていまして。私にはその余裕も、時間もないのですが。それなのに、朝から見合いの話をされて、頭が痛いことだなと」
「ふむ」
 短く頷いたヴィクターは、次の瞬間、まるで些細な雑談のようにさらりと言った。
「私にしておくか?」
 その一言に、メリッサは一瞬、時間が止まったような感覚を覚えた。
「……はい?」
「結婚相手だ。私にしておけば、両親も文句は言わないだろう」
 何でもないことのように言われて、メリッサは思わず椅子から立ち上がりそうになる。
「……っ、何をおっしゃっているんですか。からかうのはやめてください!」
「からかってなどいない。打算的な話だ。君にとっても悪い条件ではないはずだが」
 真顔で言われたぶん、余計に腹が立った。言い方というものがあるだろう。
「私は仕事に誇りを持っているだけです。結婚相手を探すためにここにいるわけではありません!」
「それは承知している」
 やはり話す相手を間違えたと、メリッサは再び溜め息をつきかけたが、ぐっと堪えた。そのかわり、胸の中に怒りが渦巻く。
(何よ、鉄の公爵なんて、どうせ一生独り身で書類と添い遂げればいいのよ……)
 だがヴィクターはそんなメリッサの苛立ちも意に介さぬ様子で、別の書類を差し出してきた。
「ところで、君が今朝提出したこの決済報告だが、いくつか不備がある。訂正しておいてくれ」
 メリッサは半ばやけになって書類を受け取り、指摘箇所を確認した。すると、年月日の〝年〟の部分がすべて昨年のものになっている。
(そんなの、気づいたなら自分で直せばいいじゃない……!)
 心の中で叫びながらも、「承知しました」と答える自分が、やはり真面目すぎて嫌になる。
 メリッサは、決してヴィクターのような人間は好きにならないと改めて思う。冷たくて、感情が読めず、女心など理解しようともしない上司など。
(私が好きなのは、もっと……おおらかで、よく笑って、なんでも楽しくしてしまえる人。もし結婚できるなら、そんな人と一緒に楽しく暮らしたい)
 たとえば、あの父と母のように。
 何の余裕もない家計を抱えながら、それでも毎朝笑ってじゃれあっている両親。
 結婚相手に経済力を求める世の中にあって、メリッサが理想とする「夫婦の形」は、意外にもお金とは無関係なものだった。
 ただ、それでも現実は厳しい。
 今日もメリッサは帳簿に目を戻し、黙々とペンを走らせる。
 恋も理想も封印して、妹たちの未来のために。
「……君の家計状況は知っている。妹君たちの持参金の話も」
 ふと、ヴィクターが口を開いた。
「っ、なぜ……」
 唐突に言われ、メリッサは戸惑った。家計状況が芳しくないのはメリッサが働いていることで明白だろうが、まさかベルガー家が娘の持参金すら用意できないことまで知られているなんて。
「調べた。財務補佐官の家計状況として。問題があるとは言わない。ただ、いずれ君がすべてを背負いきれなくなる日が来る」
 静かな口調だったが、その声には明確な意思があった。
「君はひとりで頑張りすぎだ、メリッサ。……少しは、人に頼るという選択肢も、考えてみるべきだ」
 それが告白なのか、それともただの忠告なのか。彼女には判別がつかなかった。

(――つづきのお試し読みは各ストア様をご覧ください!)

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