作品情報

策略家副社長は生真面目コンサル嬢を秘密裏に溺愛したい

「――貴女には敵わないな」

あらすじ

「――貴女には敵わないな」

優秀な経営コンサルタント素子はある日、大好物のおつまみを生産している製菓会社『カミムラ』の経営危機を知る。大好きなおつまみを守るため、ツテを使って『カミムラ』に入り込み経営改革に挑む素子。閉業寸前の会社に残った数少ない社員の一人、要次は、初めこそ素子を敬遠していたものの、素子の懸命さに惚れこみ力を貸してくれるようになる。だが要次には何か秘密があるようで…。

作品情報

作:さぶれ
絵:よしざわ未菜子

配信ストア様一覧

本文お試し読み

プロローグ

「え――っ! いかっちょこ、無くなっちゃうのぉ!?」

 今、私は行きつけの焼き鳥屋にいる。カウンター六席、テーブル席三席しかない小ぢんまりとした昭和感溢れる店で、美味しいつくねを頬張っていた最中のこと。飲み友達兼実の父親からとんでもないことを聞いて、驚愕の声を上げたところだ。
 私、涼乃宮素子《すずのみやもとこ》は東京都内にあるコンサルティング会社で働く、二十八歳独身女だ。実の父親が飲み友達という、彼氏いない歴がイコール年齢の干物女である。
 その私が、部屋呑みで欠かせないおつまみアイテムである、『いかっちょこ』の存続危機に直面している。
 何を隠そうこの私、彼氏の一人もいたことがない干物女であるのと、お酒が大好きで、特におつまみに目がない。『いかっちょこ』というのは、製菓会社の『カミムラ』が手掛けたお菓子というよりおつまみで、柔らかいするめいかの先に、ほんの少しのビターチョコレートがコーティングされたものだ。
 こんなものが美味しいのか、と半信半疑だったが、するめとチョコレートのコラボレーションは予想を裏切って見事にマッチ。これが辛口のお酒によく合うのだ。ソフトするめにコーティングされたチョコは、塩辛さの中で甘さを引き立て、甘じょっぱい味のハーモニーを奏でる。口の中でとろりと溶けるチョコと、ソフトするめの食感も堪らない、本格的な大人のおつまみ。
 いかっちょこにすっかりハマってしまった私。これは、大好きな日本酒を飲む時に絶対欠かせないおつまみなのだ。しかしマイナーなおつまみで、販売先のマーケットが少ないものだから、見つけたら大量購入してストックしている。私の住んでいる界隈のスーパーには置いていないから、少し遠くの個人商店へ買いに行っている。入荷をすれば買い占めに走っていたので、見かねたおじさんが予約を受け付けてくれるようになり、ストックが切れる前に予約して箱買いしているのだ。
「ああ、聞いた話によると、カミムラの優秀な社員が軒並み辞めちまったらしい」
「なにそれ、引き抜きってこと?」
 私の勘がピピっと働いた。
「そこまではわからん。ただ、素子が大のいかっちょこ好きだからさ、アッさんから聞いたんだ。彼が調べてくれた話だから間違いない」
 今話に上がったアッさんという男性は、小さな出版社に勤めるベテランライターの方だ。情報通で父の飲み友達である。アッさんの情報なら、まず間違いないだろう。父を経由で私も顔見知りになった彼。初老の婚歴バツ四の強者アッさんは、鋭い鷲のような顔をしている割にチョコレートが好き。いかっちょこを教えたらハマってしまったのだ。彼も、いかっちょこファンと私が勝手に認定している。
「お父さん、教えてくれてありがとう! これは一大事ね! 何とかしなきゃ」
 まずは会社に行って、カミムラ製菓にアポ取って、営業行って、それから、それから――
「忙しくなりそう! もう帰るねっ」
 食べかけのつくねを口の中へ放り込み、私は席を立った。今日は父のオゴリなので、ご馳走様、と元気よく伝え、都内で最高に美味しい宮崎地鶏を提供する、今どき珍しい昭和の雰囲気がプンプン漂う赤ちょうちんの焼き鳥屋を後にし、帰路に着いた。
 一人暮らししている自宅マンションへ戻り、早速先ほど話題に上がった私の一番推しおつまみ、いかっちょこを棚から引っ張り出した。パッケージの後部を見る。

 商品名:『いかっちょこ』

 その下から、ずらりと栄養成分表示が並んでいる。名称や原材料名、内容量、賞味期限、保存方法、そして一番確認したかった生産会社の名前に目を通す。

 製造者:カミムラ製菓株式会社
 所在地:東京都練馬区~

 成分表の欄には、この様に記載されていた。
 カミムラは、基本的に駄菓子などの菓子類を生産している。これといったヒット商品がない為、マイナーもマイナーな製菓会社である。ほとんどの人が会社名を知らないと言っても過言ではないだろう。どんなウェブサイトを所有しているのかと思って検索してみたが、カミムラに関連するお菓子を個人的に紹介しているブログのようなものはヒットするが、肝心の会社・工場などは情報がほとんど出てこない。公式サイトなどは、勿論皆無。通販なんか論外。
 今どき公式サイトもないなんて、これはこの時代にミスマッチ!
 存続の危機だわ!
 よし。私の会社の顧客になってもらおう!!
 何を隠そう、この私――涼乃宮素子は、都内でも有名なコンサルティング会社、トラフィックス株式会社に勤めている。東京丸の内にあるオフィスビルに本社が入り、コンサルティング会社と言っても昨今そのような業種は溢れ返っているが、私の勤めるトラフィックスは一味違う。傾いた赤字企業――経営再建を得意とする会社だ。売り上げの少ない会社からはロイヤリティー月額制で、売り上げの五パーセントしかもらわない。
 こちらの口添えで大きな利益収入を得た時、初めて大きな契約を専属で結んでもらうのだ。だからこちらも必死になって企業と一緒に売り上げを立てる努力をする。そして、お互いが利益を生み出す。
 関西にウニバ・サールスタジオジャパンという、大きな行楽施設がある。いわゆる遊園地だ。そこはかつて大赤字だったが、事業計画を練り直し、経営改革を行ったお陰で見事にV字回復した。テレビコマーシャルでは、企業との面白いコラボレーション企画を季節ごとに打ち立てて流し、見向きもされなかった廃れた遊園地だったのに、今や大人気の娯楽施設である。その事業計画の一端を担った責任者が、トラフィクスを興した。だからコンサルティングにかけては、一流会社と胸を張って言えるのだ。
 カミムラは私が社内を徹底分析して、今の流行りのお菓子を作り、大人気の名だたる会社にしてみせるっ!!

第一章・優秀コンサル嬢、いざ出陣!

「おはようございます、突然のお電話で申しわけございません。私、経営革新のご相談を受けるトラフィックス株式会社の者で、涼乃宮素子と申します――」
 私は出社し、早速アポを取るべくカミムラへ電話をかけた。九時になっても電話に出なかったので、杜撰《ずさん》な経営状態なのだと思う。普通の会社は九時くらいから稼働し、誰かしら出社しているはず。営業時間のアナウンスも流れないなんて、今どきあり得ない。
 出ないものは仕方がないので、気持ちを切り替えて十時半に電話アポの再チャレンジ。長いコールの後、どこかに電話が転送され、何とか電話が繋がったので、会社の説明と自己紹介をした。
『経営革新?』
 不審そうな声が返って来た。
 電話口に出た方は、若い男性のようだ。社員と推測する。電話番のアルバイトではないだろうが、相手は経営革新という言葉にピンと来ていないようで、オウム返しをされた。
「はい。私《わたくし》、御社のお菓子の大ファンなのです。聞くところによれば、カミムラ製菓様が製造されているいかっちょこが無くなってしまうとか。大ファンの私にとっては大変深刻な問題で御座いますため、是非、お力添えをさせていただければと思い、失礼ながらもお電話させていただきました。経営責任者、もしくは社長様にこの電話を繋いでいただくことは可能でしょうか?」
『今はいません』
 つっけんどんに言われた。相手男性は手ごわい。まあ営業相手なら、このような態度になるのも無理はない。
「それでは社長様、もしくは責任者の方が戻られる時間を教えていただけますでしょうか? その時に改めてかけ直し致します」
『社長はいません。逃げました』
「――!」
 思わず息を呑んだ。
 逃げたですって!?
 危うく大声で返してしまうところを寸前で堪えた。
『社員も逃げました。この会社に未来はありませんので、経営革新されてもむだだと思いますよ。諦めて工場をたたむつもりで考えておりますから』
「待ってください! 諦めるのは早いですよ。あの有名な、ウニバ・サールスタジオジャパンをご存じでいらっしゃいますよね? あちらの会社も大変な経営危機でしたが、経営改革の結果、見事黒字収益になったのです。弊社代表がその経営改革に携わっていたうちの一人なのです! トラフィックスにお任せいただければ、絶対に損はさせません! お話だけでも聞いていただけませんか? まずはお会いさせていただければ!」
 相手は少し無言になった。逡巡しているような雰囲気だ。ここは待つべきだろうと思い、じっと相手の言葉を待った。
『そこまで言うなら、こちらへお越しください。その経営改革とやらを、まずは僕に聞かせていただけますか? ここを取り仕切る人間が他にいないので、好きにしていいと社長に一任されていますから』
「はい、かしこまりました! ご担当者様でいらしたのですね。失礼致しました。お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
『上村要次《かみむらようじ》と申します。いつごろ来られますか?』
 彼は上村と名乗った。上村さん、ね。了解! 
 あれ。カミムラと同じ名前よね。もしかして関係者だったりして? それとも偶然?
「弊社住所が丸の内に御座いまして、御社のある練馬区へは電車で伺います。お昼過ぎには到着できると思いますので、午後一時ごろのお約束でも宜しいでしょうか?」
『こちらは構いません。では』
 一方的に電話を切られた。忙しいようで、電話をしながら何やら作業をしているようだった。
 私は営業課の直属上司、東谷誠二《ひがしたにせいじ》課長に午後一時から練馬区のカミムラ製菓という製菓会社にアポが取れたので営業に行く旨を伝え、さまざまな資料を持って練馬へ向かった。
 東京メトロ丸ノ内線を利用して池袋まで行き、そこから西武池袋線に乗り換え、江古田駅下車、ハイヒールで歩くには不向きな立地!!
 タクシー代は支給されないので、張り切って最寄り駅からここまで歩いてめちゃくちゃ足が痛くなってしまったけれど、何とか息を整えていざ出陣。
 さあ、経営改革を起こして、私が愛してやまないいかっちょこの存続危機を救うわ!
 服装や髪型に乱れがないかチェックし、胸の所で拳を握り固め、決意を新たに老舗の製菓工場の門を叩く――もとい、事務所の扉を開けた。
「初めまして! 私《わたくし》、トラフィックスの涼乃宮素子と申します。先ほどお約束させていただいた会社の者です。本日は貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございます! 責任者の上村要次様はいらっしゃいますでしょうか」
 はきはきと大きな声を心がけ、従業員の皆様に声を掛けた。小さな事務所は雑多に机が置いてあり、隣同士の間隔もほとんどないような密集地帯だった。狭いから仕方ないのかもしれない。内装や雰囲気は、ひと昔の工務店のような事務所を思い出す。レトロといえば聞こえがいいが、単に古臭いだけだった。
「上村は僕ですが」
 一番奥のデスクから、私と受け答えをしてくれたであろう彼が立ち上がった。風体は――うーん、なかなかね。前髪は長くほとんど目が隠れていて、恐らく手入れもしていなさそうなもじゃもじゃとした髪。厚い黒縁の眼鏡をかけていて、絵に描いたオタクのような見た目だった。ただ、声は若かったので、年齢は高くないだろう。白い不織布のマスクもしているので、年齢は一見《いっけん》ではわからなかった。
「お忙しい中、お話の機会を設けていただき、ありがとうございます! 涼乃宮素子と申します。どうぞよろしくお願い致します」
 営業スマイルを忘れずに顔に貼り付け、丁寧にお辞儀をした。名刺を渡すのも忘れない。
「見てのとおり、従業員は僕を入れてあと三人しかいませんから、年内いっぱいでカミムラは閉鎖になると思います」
「老舗メーカーなのに、勿体ないですよ。閉めてしまうなんてそんなことをおっしゃらず……」
「勿体ないとおっしゃいますが、これでも施策を重ね、今まで頑張って来たのです。でも、いろいろとありましたから」
「いろいろというのはどのようなご事情があったのでしょうか? 問題解決の糸口になるかもしれません。まずは、御社のお話をお聞かせいただけませんか?」
 彼は立ち話で済ませるつもりだったのだろうけれど、そうはいかないわ! いかっちょこが無くなったら、私は何をおつまみにお酒を呑めばいいの!?
 あのおつまみに巡り合うまでに、どれだけの労力が必要だったか!
 干物女の唯一の楽しみは、いかっちょこを食べながら晩酌すること! それを奪わないで! だからカミムラが無くなるのは、私にとって一大事件!!
「……仕方ありませんね。丸の内からここまでわざわざ来ていただいた手前、事情だけでもお伝えしましょう。どうぞ」
 上村さんはしぶしぶ私を近くの応接ソファーに案内してくれた。手狭で、従業員の簡易的な談話スペースにも使われているのだろう。今はあまり見ない大きなガラスの灰皿が置いてあり、吸い殻がいっぱい入っている。誰も掃除していないということが一目でわかった。こういう何気ないところに、会社の闇が隠されている。
 コンサル術を学んだ際、一番に見る所は会社の玄関、傘立て、灰皿だと教えられた。
 なぜなら、玄関回りが汚れていたり、物を乱雑に置く会社は大抵大雑把な経営をしており、傘立てが無茶苦茶な会社は整理をする人間がいない、つまり杜撰《ずさん》。山盛りの吸い殻の入った灰皿から導き出される答えは、掃除をする人がいないということ。つまり、会社を綺麗に整頓する人間がいないのだ。これら共通点は、業績の悪い会社だと言っても過言ではない。
 勿論それだけがすべてではないが、この三つの共通する事項は大抵当たっている。
 カミムラの現状を見る限り、残念ながら私の推しつまみ・いかっちょこは存命危機を免れそうにないということ。徹底改善しなきゃっ。頑張ろう!
「涼乃宮さん、でしたね」
 渡した名刺をチラと見て、目だけをこちらに向けて彼が話した。
「見てのとおり、この工場は財政難です。現時点では打つ手がありません」
「そうですか。しかし、いかっちょこファンとしては、何としても御社の存続危機を救いたい一心で、財政難の改善をするお手伝いをしたいと申し伝えに参りました! 具体的な改善計画のアイディアは幾つかあるのですが、まずは御社が抱える問題を私《わたくし》に教えていただけないでしょうか。それによってこちらの提案が変わってまいりますので」
「……むだですよ。社長も逃げ出すくらいの財政赤字工場ですから」
 私を門前払いする嘘だと思っていたが、社長が逃げた話はどうやら本当の様子。現に社長と思われるような方はここにいない。単純に事務所にいないだけかもしれないが。
「失礼を承知で伺いますが、それほどに御社の財政は切迫しているのですか?」
「ええ、まあ」
 上村さんは淡々としていて、顔色ひとつ変えない。マスクをしているのでよくわからないが、表情や目元に変化はなかったように思う。
「帳簿か決算書はありますか? 拝見させていただけると有難いのですが」
「大切な社内情報です。外部の方に簡単にお見せするわけにはいきません」
「おっしゃるとおりですね。失礼いたしました」
杜撰《ずさん》な管理で、帳簿や決算書は作成していないと言い出すかと思ったら、意外にしっかりしているのかな。まあ、法人成りした会社なら決算書くらい作っておかないと、税務調査が入った時に困るし、税金も支払えないものね。
「もっと信頼を得たら、改めて申し伝えるように致します」
 あっさり引き下がったが諦めない姿勢を貫いた私に好印象を抱いてくれたのか、彼の険しかった言葉尻が少し緩まった。
「では、御社のことをもっと知りたいので、私《わたくし》にいろいろと教えてくださいませんか。カミムラ製菓様は、実に多くのお菓子を生産されていらっしゃるようですが、そちらはすべて自社工場で賄われているのですか?」
「ええ。小さくてオンボロですが、併設された工場で菓子類全般を得意とし、生産しています。駄菓子需要が減って来た昨今、会社や工場をたたんで廃業するのが主流のように感じられるほどですね。不況の煽りを受けた我が社も、風前の灯でした。他社に比べて規模が小さいので何とか耐え忍んでいたのですが、このままではいつか倒産するだろうと社員の誰もが思っていました。そこで起死回生を図ろうと、銀行から無理な借金をして『ジェットオーブン』たる、菓子製造に使う高額機械を導入したのです。しかし、商品開発までこぎつけた新商品をライバル会社に奪われてしまいました」

 な ん で す と ?

 上村さんの言葉に衝撃を受けた。
「では……新商品の発売は……?」
 恐る恐る尋ねてみた。結果はわかりきっているが、聞かなくては先に進めない。
「その結果がこれですよ」
 上村さんは事務所内の殺伐とした空間を顎でしゃくった。
「企画を盗まれた為、発売に至りませんでしたから。それをきっかけに、携わっていたメンバーの半数がライバル会社に移り、半数はカミムラを辞めたり、別の会社へ就職していきました。カミムラはもう終わりです。売り上げが立たないので機械代の借金の回収さえできない現状です。恐らく今後は、債務整理に追われることでしょう」
 話を聞く限り、相当な経営維持の困難を極めている模様。
 まずい! 早急に何とかしなきゃ!!
 このままでは、私の愛するいかっちょこが本当に絶滅してしまう……!
「御社の現状はわかりました。しかし、素晴らしい現存の商品があるのです。老舗の製菓会社が今日まで経営を持続させられたのは、御社が作られるお菓子が、たくさんの方に愛されている証拠です。現に私はこの数年間、家のストックを欠かすことがないほどいかっちょこが大好きで、御社のお菓子の大ファンなのです。このおつまみが無くなってしまうのは非常に残念でありますし、もっともっと既存品のテコ入れだけでも売り上げ回復は見込めると思います! まずは当方が提案するアイディアを聞いていただけませんでしょうか」
「生憎ですが債務整理に追われておりますので、お引き取りいただけると幸いです。折角お越しいただきましたのに申しわけございません」
 聞く意思はないというつもりなのだろう。私にピシャリと言い放ち、上村さんは礼儀正しく一礼して目の前から去って行った。

 待って!
 待って、待って、待ってぇーー!

 このままだと、カミムラ製菓が無くなっちゃうじゃない! そうしたら、いかっちょこのストックが尽きたらもう二度と食べられないってことよね!?
 ゆゆしき問題だわ! 私にとっては死活問題!!
 しかし頼みの綱である上村さんは、私の目の前から早々に立ち去ってしまった。途方に暮れていると、哀れに思ったのであろうか、数少ない従業員の一人である女性の方が私に話しかけてくれた。
「折角来てくれたのに、愛想が悪くてごめんなさいねぇ。あの男、いつもああなのよ」
 恰幅のよい五十代前半くらいの年齢と思われる女性は、勢いよく喋り出した。スーパーなどに行くと必ず一人はいそうなお喋り好きの方――。
「もう少し愛想よくしてくれてもいいと思うのよねー。あ、さっきの話聞こえていたけど、丸の内から来てくれたの?」
「あ、はい。涼乃宮素子と申します」
「あ、アタシは築山福子《つきやまふくこ》。ヨロシク」
「はい、どうぞよろしくお願い致します」
 私は目の前の女性――築山福子さんに名刺を渡した。
「へえー。最近の会社の名刺はお洒落ねえー」
 名刺をしげしげと眺め、築山さんは感嘆の声を漏らした。
「リサイクル和紙を使った名刺です。弊社と契約して下さっている企業に作っていただきました」
 私が駆け出しのころ、製紙会社の経営テコ入れをしたことがある。製紙工場の生き残りをかけた経営改革は、リサイクル用紙を使った斬新なアイディアと作品を打ち立てること事によって注目を浴びた。銀行に借り入れを申し込んで当面の事業資金を確保、更なる設備投資は国の補助金などに申し込むための事業計画書を一緒に作った。企画は見事に採択され、赤字事業は黒字事業へと転化。それ以来、トラフィクスの社員の名刺はその製紙工場に依頼している。
「リサイクルとは思えないよ」
 リサイクル用紙というと学校のお知らせプリントなどによく利用されているわら半紙(わらばんし)みたいな灰色の用紙を思い浮かべているのだろう。彼女は不思議そうに顔を歪めていた。
「あ、ねえねえ。アンタさあ」
 二十歳以上は年齢が離れているのだから仕方がないとはいえ、同じ社会人なのに突然のタメ口に正直驚いた。しかもアンタ呼ばわり。
「この工場立て直してくれるの? アタシ、ここのパート長いからさあ、できれば残りたいんだよねえ。この年で新しくいちから仕事を覚えるなんて無理だし。協力するからさあ、アンタ何とかしてよ」
 タメ口や馴れ馴れしい態度は、この際気にしないことにした。どうせ短い付き合いだろうし、何せよ今は利害が一致している。
「はい。それではいろいろと教えていただけますか? まずは社長ですが、本当に逃げられたのですか?」
「ああ、逃げたって言い方はどうかと思うけれど」
「では、社長はいらっしゃるのですね?」
「まあ、あの男の言うとおり、財務関係からは逃げているみたいだけどねぇ。だから残念だけど、ここにはいないよ」
 あながち間違えた情報ではないということか。上村さんのあの態度から推測すると、アポを取ってもらって社長と会えたとしても、全然いい話はできそうにないな。
「では、築山さん。この工場で一番の責任者はどちらの方になりますか?」
「んー……強いて言うなら主任かねえ」
「主任がいらっしゃるのですね! その方は今どちらに?」
「さっきの男だよ」
「さっき? もしかして上村要次さんですか?」
「ああ、そうだよ。肩書だけだけどね。縁故入社のボンクラ主任さ。なんかよくわからない仕事ばかりやっていて、気が付いたらいなくなっているし、まともにやっていると思われる仕事は、在庫整理くらいじゃないかな」
 築山さんの話を聞いて、頭痛がしてきた。この案件――カミムラを再建させ、私のいかっちょこの絶滅を阻止する計画――はどうにもなりそうにない気がしてきた。しかし諦めてはいけない。諦めたらそこで試合終了と、かの有名なバスケットボール漫画の監督の名言が頭をよぎる。『諦める』という言葉は、私の辞書には載っていない。
「社長にお会いすることはできませんか? 直談判させていただきたいのですが」
「それがさぁ、最近は顔を見せていないんだ。昔は割と工場にも来ていたんだけれど、最近はパッタリで。彼の今の所在は、ここにいる誰も知らないんだ。そういえば、現社長の息子が副社長で、カミムラが経営している農園を切り盛りしてるはずさ。そうそう。副社長って結構イケメンなんだ。だから遊び歩いているって噂もある」
 がく。親族経営かぁ……。辛いなあ。どう見ても社歴長そうな築山さんでさえ、社長の所在を知らないなんて、このままじゃ話が進まないよ。次に責任能力のありそうな副社長は、論外じゃない。遊び歩いているなんて最悪。やっぱり上村さんが言っていた、社長が財務処理から逃げ回っているというのは、嘘ではなさそうだ。
「何とかしたいなら、ボンクラのあの男に頼み込むしかないよ。ここに残っているのは、製造担当の斎藤さんと湯川さんだけだから。見てのとおり高齢だし」
 築山さんが指差したほうを見ると、見事に頭皮が薄くなった還暦間近のおじさん二人が揃って何やら作業をしていた。慣れないパソコンに四苦八苦しているように見える。キータッチがおぼつかない。ボンクラと言われたとしても、実質一番若く主任の肩書を担っている彼がしっかりせざるを得ない状態なのだろう。
「では、上村要次さんがこの場を取り仕切る実質の責任者ということで間違いありませんね?」
「うん、まあ」
 築山さんの歯切れは悪かったが、この際気にしないことにした。
「わかりました。貴重な情報をありがとうございます。私、もう一度弊社を利用いただけるように、彼を説得してみます!」
 無理そうだけれど、現状責任者ポジションの上村さんに再アタックするしか道は無さそうだ。いかっちょこを救う道は、困難を極めているが諦めるわけにはいかない。
「ああ、頑張って。工場はこっちだよ」
 そう言って、築山さんが事務所から工場に続く扉を開けてくれた。
「製造エリアには入らないでね。見たらわかるよ」
「はい、気を付けます」
 雑な案内を受け、中に入った。足を踏み入れた場所は立ち入りを禁止された製造エリアではなく倉庫みたいな雰囲気で、お菓子の段ボールがたくさん積んであった。上村さんはその奥で在庫のチェックをしている。クリップボードに挟んだ用紙に在庫数を書き込んでいた。それを見て、随分アナログなやり方だと思った。
「上村さん、先ほどはありがとうございました! もう少しだけお話させていただけませんか? このままで結構ですので聞いてください」
 聞いているのか聞いていないのか、上村さんはボールペンを動かしながら在庫表を埋めている。
「やっぱりこの箱の在庫、ひとつ足りないな」
「何か足りないのですか?」
「いえ、こちらの話ですからお気になさらずに」
「あの……差し出がましいことをお伝えして恐縮ではありますが、先ほど、設備費の返済が経営を圧迫しているとおっしゃっていましたよね? 上村さんは、事業復活支援金制度という国の制度をご存じですか?」
 事業復活支援金制度というのは、採択されると、その新規事業にかかる費用の半額を国が負担してくれるという制度のことだ。中小企業なら四分の三の資金が国から補助される。因みにカミムラは売り上げ・従業員数から見て中小企業に当たるので補助額も大きくなる。
「知っています。しかし、採択されたことがありません」
 という事は、しっかりとした事業計画書を出すことができなかっただけね。よーし、これはチャンス!
「最近、ITに特化した新規事業が結構な確率で採択される事はご承知でいらっしゃいますか?」
「見てのとおり、ITには無縁の工場です」
 ですね。はい、それはもう見ただけでわかります、とは顔に出さず、勢いよく言葉を続けた。
「そこを狙いましょう、上村さん! ITで新しい風を作るのです!」
 私は熱弁した。新規事業の打ち立て方、黒字化させる方法、さらに事業計画には弊社も手伝い、採択率九十五パーセント越えのモンスター数字を叩き出していることを。少し強引に切込みすぎたので鬱陶しがられるかと思ったけれど、上村さんは在庫表に書き込みながらも必死に話す私の話に耳を傾けてくれた(ように思う)。
「黒字化させれば御社も存続可能ですし、新しく導入したジェットオーブンという機械で新作を出せば、返済金も作れますよ!」
 上村さんはピタリと在庫入力していた手を止め、私のほうに向き直った。
「簡単におっしゃいますが、新商品開発にどれだけの時間と労力がかかるか、涼乃宮さんは知らないからそのようなことが言えるのです」
「確かに私はお菓子作りのことは専門外なので、全然わかりません。だからこそお伝えできることや、お手伝いできることがあるのです。その在庫入力ひとつを取ってもそうです。数が合わないとおっしゃっていましたよね? 入出庫時にバーコードで管理するようにITの力を導入すれば、上村さんの作業がぐっと減ります。今、少ない人員で回されているなら、尚更デジタルの力を使えば作業効率も上がります。その分他の業務が優先できますので、利益を出しやすくなりますよ。在庫が合わないということも一切なくなります」
「……中々弁の立つ方ですね。いいでしょう。そこまでおっしゃるのなら、この工場に涼乃宮さんのお力をお貸しください」
「えっ、ではこちらの提案やお話を聞いていただけるのですか!?」
 諦めないで粘り強く説得を頑張った甲斐がある。試合――カミムラの存続――は続行される予感!
「はい。ただし、条件があります」
「条件……ですか」
 一体どんなことを言われるのだろうか。私は身構えた。
「涼乃宮さんの鋭い目線で、新作のお菓子開発をやっていただけませんか? 引き受けてくださるなら、その事業計画書も含めてお話を伺います。また、新商品を開発するにあたって、弊社のモットーもお守りいただきます。これが条件です。いかがでしょうか?」
「はい、どんな条件でものみます! 是非、御社新作のお菓子作りをお手伝いさせてください!」
 私が力いっぱい言ったものだから、黒縁眼鏡の奥の瞳が初めて優しく緩まり、声のとげとげしさが消えた。
「では二か月間、みっちり開発と農園業にお付き合いください。明日、弊社所有の『カミムラ農園』で開発のお手伝いである農作業から始めていただきます」
「えっ、農園……ですか?」
「はい。農園です」
 農園で一体何をするのだろうか。農作業と言ったが、お菓子開発に関りがあるとは到底思えない。しかも二か月間みっちりだなんて……。困惑していると、上村さんが私に尋ねた。「話は変わりますが、涼乃宮さんは『いかっちょこ』が好きなのですよね?」
「あ、はい! 大好きです!」
「僕も好きなんですよ。いかっちょこ」
 上村さんが笑ってくれた。始終険しかった顔が、ほころんだ瞬間だった。マスクで口元はわからないが、目元が優しい雰囲気に変わったので嬉しくなった。
「あっ、えっ、そうなんですか!? 自社の方もお好きだなんて! 光栄です!!」
 思わず満面の笑みで答えた。いかっちょこが好きだなんて、上村さんは見る目がある。話が合うかもしれない。低めだった私のテンションは一気に上がった。
「ここだけの話ですが、実はあの商品、僕が考案したのです。お菓子のような製品は開発者の名前が世に出るわけではないので、消費者の誰も僕が開発したということは知りませんけどね」
 上村さんがいかっちょこを作ったなんて! 考案者を目の前にしているなんて、まさかの展開!
「うわあ、開発者の方にお会いできるなんて、とても感激です!」
 ボンクラ主任って聞いたけれど、いかっちょこを開発できたのならボンクラじゃないわよね! あんなに美味しいおつまみを開発できる人なら、仕事はできるはず!
 ボンクラなんて、きっと何かの間違いよ――この話を知っただけで、未来が明るくなった気がした。
「僕でも商品を開発できたのです。それだけカミムラのことがお好きなら、涼乃宮さんもきっと美味しいお菓子を開発できると思いますよ。頑張ってください。明日、早速農園にお連れしますので」
「わかりました!」
「涼乃宮さんの会社のほうには、よろしくお伝えくださいね。口添えが必要であるならば、現場責任者から申し伝えをさせますので」
「あ、はい。よろしくお願いします。口添えいただけると助かります!」
 こうして勢いと成り行きで、カミムラのお菓子開発を手伝うことになった。

 この先、一体どうなることやら――?

第二章・ドS副社長、降臨!

「おはようございます。昨日はよく眠れましたか? 早速出発しましょう」

 上村要次さんに指定された時間は、江古田駅に午前七時半。農園の作業は午前八時から。
 彼に社用車の軽トラックで迎えに来てもらい、とある農園へ連れて行ってもらった。やって来たのは、結構な広さの畑。カミムラ農園と看板に書いてある。どうやらカミムラの所有農園らしい。
「責任者の男性がいますので、彼の指示に従ってください。僕は工場のほうに帰りますので、頑張ってくださいね」
 作業小屋にある休憩スペースで着替えるようにと指示をされ、ではこれで、と言い残して彼は去って行った。持参したジャージに着替え、スーツをたたんで鞄にしまったところで、乱暴なノックがした。
「着替え、終わったか?」
「あ、はい!」
 私の返事を待って、誰かが入って来た。農作業に使われているような濃ベージュの長袖作業着を着た、オールバックの男性が現れた。目鼻立ちのくっきりとした、彫りの深く眉もきりっとしている気の強そうな男性だった。薄い作業着から骨ばった男性らしいラインも見える。彼は首にタオルを巻いて、しっかりと日焼け対策をしているようだ。
「要次から話は聞いている。今日から一人、手伝いが入ると。アンタがそうか?」
 低い声だ。怒っているようにも聞こえた。それにしても上村要次さんと声が似ている。よく見れば背格好や雰囲気も。あっ。もしかして、ご兄弟の方とか?
「はい。涼乃宮素子と申します。今日から宜しくお願い致します」
 じろじろと値踏みするような視線を投げかけていた彼が、興味を失くしたように私から目を反らした。
「とりあえず芋掘りをしてもらう。軍手はこれを使ってくれ」
 ぽい、と白い軍手を投げつけられた。初対面の人間に向かって自己紹介もしないで、何なのこの人。乱暴ね。
 若干怒りを滲ませていると、早くしろ、と言われた。待つ気は一切ない模様。文句を言われるのも悔しいので急いで軍手をはめたら、「ついてこい」と一言投げつけ、顎でしゃくられた。こちらを見向きもせず休憩スペースを後にした彼に、私はついて行った。彼は大股でずんずんと歩いて行く。こちらの歩幅に合わせる気もないらしい。
「ここで作業をしてもらう」
 目の前には、葉っぱが枯れたものが無数に絡み合っている畝《うね》が広がっている。もしや……?
「作業というのは一体何をすればいいのでしょうか」
「いちいち説明しなきゃわからないのか」
 初対面でのこの言い草。一体何なのこの人! まだ名前も名乗ってもらってないし!
「とりあえず農園へ行って欲しいと言われただけで、担当者の方からの説明も聞いていませんし、きちんと教えていただけないと困ります。勝手なことをされたくなければ、手順を説明してください。あと、あなたのお名前も伺っておりません」
「そうか。俺は上村要一《かみむらよういち》だ」
「あなたがカミムラの副社長なのですか?」
 実は昨日、カミムラについて徹底的に調査したのだが、この会社については情報が少なすぎて全然わからなかった。普通なら公式ホームページがあるものだが、カミムラにそのようなものはなかった。インターネットの辞書的存在のヒキペディアというサイトにも、情報はほとんど乗っていなかったくらいだ。
 農園の責任者が副社長だと、築山福子さんが教えてくれた情報だ。これしか頼る情報がない。
「だったらどうした」
 否定しないということは、やっぱりこの男が副社長なのね。ビンゴと見た。
「副社長にいろいろと聞きたいことがございます。今後の御社の方針について、責任者の方とお話がしたいのです」
「今は忙しい。収穫は時間勝負だ。どうしても話がしたいなら、収穫が終わってからにしてくれ」
 彼は、足元に置いてある土がいっぱい付いたスコップをこちらに渡してくれた。農作業用に利用する為のものだ。
「アンタにこのジャガイモを収穫してもらう。手順を教えるから覚えてくれ」
 やっぱり収穫するのね。トホホ。この畝の数、全部やらなきゃいけないのかと思うと気が滅入る。
「どうやって掘るか知っているか?」
「やったことありません。根の付近をスコップで掘ればいいのですか?」
「いいや、違う。そんなことをすれば、茎やジャガイモに傷が付いて傷んでしまうから、絶対にするな」
 へえ。そうなんだ。知らなかった。
「ではどのようにするのですか?」
 私は質問してみた。
「やり方を教える」
 ぶっきらぼうだった彼は、饒舌に話し始めた。まずは茎から二十センチほど離れた部分の土を掘り、株周りのジャガイモを露出させてから株の根元を持って、少しずつ引き抜くのだとか。引きにくい場合、距離を取った場所からスコップで掘り起こす、と。
 正直やったことがないのでよくわからなかった。何となく、でやってもいいものかな。
「手順を見せていただけませんか? 任された以上、失敗して損失を出したくありませんので」
 さっきの説明で、ジャガイモは傷が付くとそこから傷んでしまうと聞いた。掘り方が悪ければ、恐らく失敗するだろう。傷ついたジャガイモが多くなれば、農園の損失に繋がる。経営危機の会社の手伝いをするのであれば、可能な限りひとつでもそういった損失は減らしたい。
「いいだろう。しっかり見ておけ」
 丁寧に説明をしながら、上村副社長が手本を見せてくれた。ある程度露出された枯れた根っこや茎を持ち、そのままゆっくりと引き抜く。無理にするとちぎれたり傷をつけてしまうので、丁寧にするのがコツなんだって。その時、掘り起こすのが難しそうなら、さっきの説明どおり離れた場所をスコップで掘って引っ張る、と。
 また、収穫の際の注意も受けた。未成熟で小さな芋はソラニンなどの、人体に悪影響を及ぼす物質を多く含んでいるため、食べることができないのだとか。こういった芋は危険なので必ず処分をするそうだ。わからない場合はこちらで判断するから、収穫した芋をまずは畝の上に置け、と言われた。
「時間が勿体ない。やっていくぞ」
 彼は隣の畝に移動し、無言で作業を開始した。そのスピードの速いこと。他の従業員の方は誰もいらっしゃらないことを見ると、彼一人でこの農園を切り盛りしているのだろう。だから手伝いが必要だったんだと気が付いた。新商品開発が失敗に終わり、社員がほとんどいなくなった――成程。この畝の数を見て、眩暈がした。一人でやるには無理がある。
「サボるな。手を動かせ」
 早速お叱りが飛んできた。このドS副社長!
 言われたとおり農作業をした。土を掘り慣れていないので、ひとつの塊を引き抜くにも一苦労。ようやく大きな根を掘り出したところで見ると、彼はもうすでに何個もの作業を終えていた。
 初心者とベテランの対決というわけね! 勝手に上村要一を敵視し、私は農作業に没頭した。枯れた根の付近をしっかりと持って優しく引き抜くと、見事なジャガイモ群が顔を出す。そのジャガイモの実が大きなものとそうでないものとを分け、畝の側面に置いて行く。その繰り返しだ。
 言われたとおりの作業を幾つかこなした。どのくらいできているのかと思って隣のほうを見たら、こちらは上村要一の五分の一程度の作業しかできていなかった。当然なのだが、負けて悔しい。ロスを出さなかったことだけは、自分の中で褒めてもいいだろう。もっと効率よく掘れないものだろうかと考えるが、慣れない初めての農作業で、手もかなり痛くなった。軍手もドロドロになっているし、腰も痛い。しかし頑張って作業を続ける。
「次の作業を教えるから来い」
 低い声が降って来たので一旦作業を中断し、そして休む間もなく働かされた。疲れをまったく見せず、すたすたと歩く姿を見て、彼はドSのモンスターだと思った。
「今から鍬《くわ》で中の芋を完全に掘り出す作業をする。抜いても畝の中に残っている芋があるから、この芋を潰したりしないように注意して、畝の端から掘るんだ」
 うええー…また農作業……。
 嫌な顔をしているのに構わずドS副社長・上村要一は鍬を軽々振るい、目的の芋を掘り出した。中には先ほど注意された小さな芋があるので、間違えないように教えられた。
「やってみろ」
 鍬を渡された。都会っ子だからね。初めて持つよ、こんなの。
 上村要一の手から離れた鍬は、私の手の中で重さを存分に発揮した。さっき彼は、この重い鍬を軽々振るっていた。
「えぇい」
 へっぴり腰でヘロヘロしながら鍬を振るうと、厳しい𠮟責が飛んできた。
「違う! 腰が入ってない!」
「なんだその振るい方は!」
「もっとマシかと思っていたら、全然ダメだな」
「そんな動作じゃ、日が暮れるぞ!」
「しっかりやれ」
 出るわ、出るわ、ドSの泉からまるで湧き水の如く、辛辣な台詞が溢れてくる。無理ぃ、とか、もうできなぁい、とか言う台詞を待っているのかしら!? それでこの手伝いが不可能だという烙印を押し、いかっちょこを諦めさせる魂胆ね!

 絶対、誰が泣きごとなんか言うものですか!

 気合を入れたのはいいけれど、最後の最後まで辛辣なドS発言に見舞われたのだった。合掌。それからも作業は続く。
 悔しいので限界まで頑張り、腕を振るう力が皆無になってしまった。例えるなら今の状況は、ボロボロの雑巾のようだ。使われ過ぎて後は捨てるだけ、みたいな。
「次の作業があるんだ。早くしろ。休み過ぎだ」
 休んでいませんが!
 キッ、と睨むが上村要一は私の視線などおかまいなしに、自分の鍬でさっささっさと慣れた様子で畝の中に残ったジャガイモを掘り当てて行く。簡単そうに見えるが、まったく簡単ではなかった。
「もう、手が上りません……」
 限界が訪れたことを再度伝えたら、軟弱だな、と一言。労いの言葉も無し。悔しいーー!
「はあ」
 鬱陶しそうにため息を吐かれた。
「もういい、後は俺がやる」
 彼はそう言うと鍬を振り、驚くほどのスピードでジャガイモを掘り当てて行く。そして掘り当てながら、食べられる大きなものと小さいものと、分けながら進んでいく。作業がとにかく早い。慣れているからというのもあるが、それ以上に彼の優秀さが窺えた。
「ある程度掘れたら、次の作業に移る」
 引き抜いた所までの掘り起こしまで終え、次の工程を教えられた。手がぶらぶらしていて役に立たない私に、彼はもう何も頼んでこなかった。
「収穫した芋は、土を落として風通しがいい暗所で乾燥させるんだ。土は多少付着していても構わないから、水洗いだけは絶対にするな。腐るから。日光も厳禁」
 彼は私に、ジャガイモについての保存方法・注意をすると、穀物をふるって、殻《から》やごみをふり分けるための農具――箕《み》に手際よく土を払いながらジャガイモを入れ、あっという間にそれをいっぱいにしていく。それを今度は手押しの一輪車に入れ、休憩所のあるスペースのほうへ運んでいった。何度か繰り返し、収穫したジャガイモを小屋内に手分けして並べた。
「はあぁ……」
 すべてのジャガイモを並べ終え、仕事終了と認識した私は簡易のパイプ椅子にだらりと凭れかかり、痛む腕を押さえながら持参したお茶を飲んだ。苦しいわぁ。肉体労働はインドア派の私にとっては本当に辛い。きっと明日に訪れるであろう筋肉痛は避けられない。
「これを毎日繰り返して、この農園で獲れたジャガイモを使って商品開発をする。アンタが何か考えてくれるんだろ? むだだと思うけどな」
 まるで馬鹿にした言い方。私が何もできないみたいに思っている証拠ね!
「ええ、そのつもりです。考えますよ。時間をください」
 負けるものか!
「思ったより根性ありそうだな。いいだろう。このジャガイモのよさは、食べればわかる。特別にアンタに食べさせてやるから、ついて来い」
 休憩スペースでだらけていた私にそう言い、彼は奥のキッチンのほうへ消えた。急いでついて行くと、茹でたてのほくほくとしたジャガイモを出してくれた。色は濃厚な黄色で、私がスーパーで買う普通のジャガイモとはまったく違った色をしていた。
「食べてみろよ」
 プラスチックの皿とフォークを渡してくれたので、早速食べてみた。口に入れた途端、濃厚で甘みのあるジャガイモの味が広がり、芳醇な野菜の香りがした。
「美味しいっ!」
 こんな美味しいジャガイモは初めて食べた。感動的な味だ。
「だろ?」
 今までムスっという形容詞がお似合い、複雑怪奇な顔をしていたドS農夫――こと、上村要一副社長は、屈託のないすてきな笑顔を見せた。しかし残念ながら、ドキっとトキめくことはなかった。流石干物女子だと自分で思う。
「採れたてが美味いんだ。何もつけなくてもしっかりとした味がある」
 上村要一は、私のお皿から小さく切ったジャガイモをひとつまみし、口の中へ放り込んだ。「うん、サイコーに美味い」
「こんなに美味しいジャガイモだったら、乾燥させたり揚げるだけで美味しいお菓子ができそうじゃないですか!」
「ああ。そうだ。だからそれを新商品にするつもりだったんだ」
「どうして新商品にしないのですか? このクオリティなら間違いないですよ。私、買います」
「……ま、俺が言わなくても、工場のお喋りババアがアンタに詳しく言うか」
 ため息交じりに上村要一が言った。工場のお喋りババア――恐らく築山福子さんのことだろうと推測した。女性は彼女しかいないし、お喋りであることも認知した。
「もしかして、例のお菓子が盗作された件ですか? 上村要次さんから少し伺いました」
「要次から聞いたのか」
「はい。彼とはどういうご関係ですか?」
「要次は俺の双子の弟だ」
「そうでしたか」
 それにしては対照的な見た目だと思った。片やイケメン副社長に、ボンクラと酷い言われようの弟君。
「盗作の件、もう少し詳しく聞かせていただけますか?」
「ああ。開発した新商品を、ライバル会社に盗まれたんだ。それで会社が一家離散状態さ」
「やはりそうなのですね!」
 人が一生懸命作ったものを盗むなんて、不届き千万! 赦せない!! 思わず怒りが滲み出た。
「盗まれたとわかっているなら、何とかならないのですか?」
「無理だ。経緯を簡単に話すと、依頼先で新商品のコンペがあって、こっちが開発した商品と同じものを別の会社が出して来た。その会社のほうが生産コスト低いからって、あっさりその会社に決まったんだ。材料もカミムラの廉価版を使っているのだから、生産コストが低く、味が劣るのは当たり前なのに、依頼先はそういった事情は配慮してくれなかった。質より量、低生産コストを重視しているからな。それに、依頼先には盗作とかそんなことは関係ない。あくまでも別会社とカミムラの問題だ。こちらには盗まれたと証明する手立てがない。どうにもできん」
 彼は悔しそうに顔を歪めた。それを聞くと私も悔しくなる!
「酷い話ですね! 赦せません。人のものを盗るなんて! 今に罰が当たりますよ!!」
 憤慨すると、プッ、と噴き出された。
「お前、面白いな。罰が当たるか……そうだな。そうなって欲しい」
「この美味しいジャガイモを使って、もっともっとスゴイ新商品を作って、罰当たりな盗人《ぬすっと》を懲らしめてやりましょう!! 何かいい商品が閃きそうです。私にお任せください! いかっちょこ存続の為にも尽力致します!!」
「いかっちょこ? うちの製品のいかっちょこのことか?」
「はい! 要次さんにはお話したのですが、私、御社の製品であるいかっちょこが大好きでして。カミムラがなくなってしまうと、もう二度といかっちょこが食べられなくなるじゃないですか! それは困るのです! ですので、御社を鉄壁のコンサルティングで経営革新させ、売り上げ倍増でジェットオーブンの返済も大丈夫なように、私が頑張りますから!」
 勢いよく言う私に、副社長は笑ってくれた。
「頼もしい女だな」
「ありがとうございます。絶対に、スパイや盗人には負けません! 明日までに新商品を幾つか考案してくるので、お付き合いくださいね!」
「そんなに簡単に上手くいくかな?」
「行かせますから! このジャガイモ、幾つかもらって行ってもいいですか?」
「商品開発に使うと言うなら、好きなだけ持って帰っていいぞ」
「ありがとうございます!」
 私はジャガイモを十個ほどもらい、リュックに入れた。農園の仕事はとりあえずこれで終わりのようだ。もう帰っていいぞ、と言われたのでとりあえず着替えた。う、腕が……。もう上がらないよ。
 普段の三倍以上の時間を掛け、気合と根性で着替えを済ませた。毎日こんな目に遭うのかと思うと、気が重くなる。できれば辞めたいが、私が諦めてしまうといかっちょこが無くなってしまう。もしこれで『いかっちょこ』が二度と食べられなくなったら、私は自分を一生赦せないだろう。だから頑張るしかない。
 着替え場所に充ててくれた控室を出て進むと、上村要次さんが待ってくれていた。もじゃっとした毛に厚い黒縁の眼鏡。うん、安定のもじゃもじゃ頭だ。彼のトレードマークなのだろう。
「お疲れ様でした。そろそろ終わるころだと思ったので、迎えに上がりました」
「わざわざ送迎してくださるのですか?」
「はい。慣れない農作業で疲れたでしょう。工場のほうにお送りします」
 何この人、めちゃくちゃいい人……!
 人は見掛けによらないとはよく言ったものね。それに、ドS副社長の要一さんと触れ合ったから余計に要次さんの優しさが染みる。
「副社長に一言お伝えしてから戻りますね。あの人煩そうだから」
「彼は僕が来たとわかった途端、帰りました」
 あの副社長、もう帰っちゃったんだ……。
「副社長に農園や工場の事情を伺って、経営革新のお話をする約束だったのです。話は後で聞くって言ったのに」
 思わず愚痴が出た。要次さんは「僕から彼に伝えておきますよ」と言ってくれた。
 やっぱりこの人が頼みの綱!
 築山さんは要次さんのことを嫌っている感じだったけれど、普通にいい人! ていうか、副社長がドS過ぎるから、誰を持ってきてもいい人に思えるだけかも知れないけれど。
「戻りましょうか」
「はい、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
 行きに乗せてもらった軽トラックに乗り込み、シートベルトを締めた。要次さんは農園の扉に簡単な南京錠を掛けて、運転席に戻って来た。朝はまだマシだったボサボサ頭が、輪をかけて酷くなっている。何か作業でもしていたのだろうか。それにしても身だしなみには気を遣わない人なのね。まあ、別にいいけれど。
「上村要次さん」
「呼び名、要次で結構ですよ。要一と区別付けるのにややこしいでしょう」
 フルネームで呼んだことを咎められた。確かに言うとおり、ややこしいのだ。
「わかりました。では、要次さんと呼ばせていただきますね。折り入ってご相談があるのですが」
「何でしょうか」
「実は要一副社長に、新商品開発に使ってもいいと、先ほど収穫したばかりのジャガイモをいただいたのです。このジャガイモの調理方法を幾つか試してみたいのですが、工場の機械で私がお願いしたとおりに、商品を作っていただくことは可能でしょうか?」
「構いませんよ。協力しましょう」
 言うが早いか、カミムラへ車を走らせてくれた。こういうものだったらできるかな、というような商品を伝え、要次さんに調理してもらった。新商品のジェットオーブンも使ってみた。
 とりあえずジャガイモを素揚げしたチップス、さらにそれをジェットオーブンに通したもの、他にもいろいろお願いしたものができあがった。まず食べてみると、普通に美味しかった。
「もうこれだけで美味しいのですが!」
 素材の味を生かしたこのジャガイモは、ひと口食べるだけで幸せになれる気がした。
「水を差すようで申しわけないのですが、ジャガイモを単純に素揚げしただけでは売り物になりません。商品開発のデータをお見せすることはできませんが、今までの試作品なら召し上がっていただくことはできます。食べてみますか?」
「はい、ぜひ」
 ということで、試食会を開いてもらうことに。
 承知しました、と言ってくれる要次さんを見つめると、彼の容姿が気になった。というのも現在、工場内に入っているので衛生キャップ(※毛髪に付着した汚れ・細菌・毛髪本体の落下を防ぐための工場でよく利用されるビニール製の使い捨て帽子)というものを着用している。ボサボサの髪をまとめ、キャップで覆った状態の要次さんは、要一さんとよく似ていた。いや、似ているというレベルではない。やっぱり双子の兄弟というのは本当だったのだ!
 でも驚いた。要次さんって普段はボサボサの髪をしているし、正直近寄りがたい雰囲気なのに、要一副社長と同じでめちゃくちゃイケメンじゃない! 髪の毛を上げているほうが断然すてき!
 いかっちょこの開発者がこんなにすてきなイケメンだったなんて、さらに美味しさ倍増のお得な気分になった。今日は疲れたし、夜は自宅で日本酒といかっちょこを堪能しよう。
 それにしても、カミムラの試作品を食べられるなんて役得だ。試食用に用意してもらった野菜スティック、チップスなどを早速試食した。どれも美味しい!
「これ、とても美味しいです! 商品化できますよ!」
 こんな美味しい野菜スティックだったら、幾らでも食べられちゃう!
「野菜スティックは手間がかかるので、生産コストがアップします。原価が割に合いません。チップスのほうは平凡な味ですから、商品化した所で大した売り上げは見込めないでしょう」
 そうなんだ。厳しいな。いろいろ考えなきゃいけないことがあるんだなぁ。
「商品化するには、それなりの価値や理由が必要です。もう一度食べたくなる味、見ていて飽きない形、匂い、継続的に購入できる金額に対してのコストパフォーマンス、販売価格に見合う原価、挙げるとキリがないですが、それらすべてをクリアし、ひとつにまとめたものが新商品と成り得るのです。一筋縄では行きません」
「そうですね。おっしゃるとおりだと思います」
 単純にカミムラ農園で育てた美味しいジャガイモを、世間が好みそうな味付けにして売ればいいと思っていたが、私の考えは間違っていた。
 それにしても、と思う。もしかすると要次さんは、商品開発について諦めたりしていないのでは?
 工場の危機的状況だから、何としても起死回生を図りたいのではないか。もし違っていたとしても、私が力添えできることは何かないか――正直最初の印象は杜撰な会社だと思っていたけれど、やり方が悪いだけ。在庫管理ひとつ、手動でやっているくらいだもの。パソコンを上手く使える人がいないから、時代の波に追いつくことができないんだわ。
「要次さんのお伝えしたいことはよくわかりました。及ばずながら、新商品の開発に協力させていただきたいと思います。素人だから開発の難しさはわかりませんが、とにかく美味しいと思える何かを探してみます!」
「頼りにしていますよ、涼乃宮さん」
 それはあまりに突然で、不意打ちだった。
 彼がとても優しく、本当に私の事を信頼した最高の笑顔を見せてくれたのだ。
 その笑顔を見た途端、私の心臓はぎゅうっと鷲掴みにされたように縮み、胸の高鳴りを訴えた。
 やだ。何これ……。
「が、頑張ります!」
 声が震えた。努力をすると要次さんに伝えるのが、今の私にできる精いっぱいだった。

 ※

 それから商品開発に奔走する日々が始まった。朝は農園で畑仕事、鬼の要一副社長にコキ使われ、午前中はクタクタに。午後からは商品開発のお手伝いと本業のコンサルの仕事と、同時進行。そういう生活を二週間ほど続けたある日のこと。
 鬼副社長に農作業でしごかれ、毎度の如くヘトヘトになった私を、要次さんが社用車の軽トラックで迎えに来てくれた。
「今から少しお時間ありますか?」
「はい。大丈夫です」
 今日は別会社に午後三時からのアポイント。まだお昼前なので、全然余裕だ。ただ、体力が……。
「よかった。農園作業を頑張る涼乃宮さんに、僕がご馳走しようと思いまして」
 軽トラックを走らせ、やって来たのは近くの農園カフェ。ママファームと名付けられた農園は、ツタで覆ったアーチ状の入口にすてきな手作りの木の看板が掛けてあり、園内は幾つかの区分に仕切られていて、さまざまな野菜などを育てているようだ。見渡すと、数人の女性が働いている。
「要次、今日も来てくれたの? ありがとう」
「雛子《ひなこ》……さん、どうも」
 要次さんが雛子さんと呼んだ女性は、細くすらっとしているのに、女性特有の部位の肉付きは非常によく、グラマーな女性だった。年齢は私よりも四、五歳年上のようで、大人の落ち着きがある。くっきりとした二重の目は大きく、黒い長い髪は艶とウェーブが掛かっていて、着物やドレスを着ればたちまち銀座の女に変身できそうな、妖艶という形容詞の似合う人だった。農園のイメージには結びつかないのが正直な所。でも、偏見よね。
 それより、下の名前で呼び合うなんて、何かただならぬ雰囲気を感じちゃう!
「紹介します。この方が例の商品開発を手伝ってくださる、涼乃宮さんです」
「初めまして、涼乃宮素子と申します!」
 ご紹介に与ったので、慌てて雛子さんに向かって頭を下げた。
「要次から話は聞いているわ。元気な子が農園の手伝いに来てくれたって」
 元気な子って……女性として扱われているように思えない紹介の仕方だと思った。
「私がこの農園オーナー、佐久間雛子《さくまひなこ》よ。宜しくね」
 さあどうぞ、と案内してもらったのは、農園内に併設された屋外のカフェスペース。焼き窯なども置いてあり、昨今流行りのグランピング施設などでお目にかかるような、そういう設備品がなど間隔に並べられていた。すでにお客は何組か入っていて、案内された席は『予約席』の札が掲げられていた。
「ごゆっくりどうぞ」
 彼女は一礼し、奥の建物のほうへ消えて行った。小さなログハウス風の造りの建物は窓が開放されていて、テラス席から中の様子が見えた。幾つかの客席があり、昼時ということもあり満席で大変賑わっている。
「ここのピザを、どうしても涼乃宮さんに食べて欲しくて」
「ピザですか」
 ピザ!実は大好きなんだ。嬉しいな。
 だけど、こんなイケメンの前で大口開けて食べるのは気が引けちゃうよ……。一応干物とはいえ、生物上は女子だし。
「ママファームのピザ、食べたら驚きますよ」
「そうなのですか。楽しみです」
 要次さんがそういうのなら、きっと美味しいのだろう。
「ここに着任されてから暫く経ちましたが、農園のお仕事はいかがですか?」
「要次さん、よくぞ聞いてくれました!」
 私は語った。要次さんの兄である要一さんの鬼っぷりを。ここぞとばかりに糾弾し、愚痴を聞いてもらった。
「要一も酷いですね。もう少し涼乃宮さんを労わるように伝えておきます」
「是非とも宜しくお願いします」
 要一副社長の悪口に花を咲かせていると、お待たせしました、と先ほどの女性――佐久間雛子さんがやって来た。木製の皿に美味しそうな窯焼きピザを乗せている。
「うわあ、美味しそう!」
 目の前にその皿が置かれ、湯気の出るピザを見つめた。農園で必死の体力仕事をした肉体は、食を求めてやまない。一気に食欲の花が咲く。
「ジャガイモとベーコンのクリームソースピザです」
 あれ。さっきはもっと柔らかな話口調だったのに、何か雛子さんの口調が刺々しい?
 慌てて彼女を見ると、一瞬私をジロリと睨んでいた。えっ? あれ? 私何かした?
「涼乃宮さん、あのね――」
「――ありがとう、雛子……さん。後は僕が説明しますから。お店忙しいでしょう? 行ってください」
 何か言いかけた雛子さんを制するように、要次さんが言った。
「……」
 やはり気のせいではなかった。唇をきゅっと結んだ小難しい顔を見せた雛子さんは、ごゆっくり、と乱暴に伝えて去って行った。ジロリと睨まれたのは気のせいではないだろう。
「あの……私、何かしてしまいましたでしょうか?」
「いえ。きっとお店が忙しくてイライラしているのでしょう。彼女によくあることです。それより熱いうちに召し上がってください」
「はい、ありがとうございます! いただきます」
 早速取り皿に焼き立てピザを置いた。クリームソースにベーコンやチーズ、やや黄色のジャガイモが絡まり合って、超美味しそうなんだけど!
「んっ、わ、美味しいっ!」
 一口食べた瞬間、パリッとした生地に柔らかな甘みのあるホワイトソース、チーズの濃厚な味とベーコン、さらに驚愕なのは、ジャガイモの美味しさ。
「わああ……こんな美味しいピザ、初めて食べました! あ、もしかしてこのジャガイモ、カミムラ農園のジャガイモですか!?」
「ご名答。このカフェは僕たち農園の契約先でして。こういう調理によって、カミムラ農園のジャガイモが何倍にも美味しくなるのです。是非、体験して欲しかったから今日は誘いました」
「んー、堪らないー、美味しいー!」
 空腹だったこともあり、あっという間に食べてしまった。イケメンの前でピザを食べるのが恥ずかしいとか言っていたのは、一体誰だ?
「商品開発のヒントにしてください」
「ありがとうございます! 頑張ります!」
 要次さんの心遣いが染みる。尊いわぁ。いかっちょこ製作者ということもあり、私の中で要次さんはかなりポイント高。
「ご満足いただけてよかったです」
 よし早速、とその日から美味しいピザ味の商品開発に勤しんだ。仕事を片付けて家に帰り、他社製品の食べ比べ、味、固さ、パッケージ、使用調味料など、普段見ない所まで目を光らせて見た。しかし、思うような味にはならない。イメージはあるのに。
 ピザ生地に見立てたものにジャガイモを乗せ、チーズ、ベーコン、ピーマンをトッピング。フライパンで焼いてみたり、オーブンで焼いてみたり、分量を変えたり、いろいろ試してみたけれど、どれもしっくりこない。一週間くらいこのピザ菓子に情熱を注いだが、結果惨敗続きだった。
 駅に要次さんが迎えに来てくれて、農園に出向いて要一副社長にこき使われ、昼過ぎに工場に戻って打ち合わせ、そこから会社に戻って通常業務をこなすハードな日々が続く中、私は「美味い菓子作りは、素材から!」が口癖の要一副社長に、例の店『ママファーム』へ一緒に行ってみないかと声を掛けてみた。
「俺はそういう付き合いはしない主義だから」
 あっさりと断られた。工場の存続危機を何とかしようと奮起している私に、彼は付き合う気はないらしい。
「そういうのは、要次を誘え」
「そうですね。そうさせていただきます」
 早速その場で、持っていたスマートフォンで要次さんに電話を掛けると、目の前にいる要一副社長の胸ポケットからピリピリピリピリ、と音が鳴り出した。
 何回コールしても要次さんは電話に出ない。仕方なく切ったら、目の前にいる副社長の電話も鳴り止んだ。あれ?
「副社長、今電話鳴っていましたよね? どうして取らなかったのですか?」
「あ、いや、これは…その、あれだ! そ、そう。要次が携帯をここに忘れて行ってだな、俺が預かっていたんだ!」
 なぜかムキになって言われた。別に普通に言えばいいのに。何か焦ってる?
「そんなつまらないことをいちいち電話しなくても、迎えに来た時に飯行こうって誘えばいいだろ! さっさと着替えを済ませてしまえ!」
 ずんずんと大股で歩き、控室を出て行った。なにあれ。感じ悪い!
 作業着からスーツに着替え、迎えの車を待とうと思っていたら、慌てた様子で要次さんが別の部屋から出てきた。
「あれ、要次さん?」
 普段は外で待ってくれているのに、何か用事でもあったのかな。
「あ、ああ! す、涼乃宮さんですか。あ、どうも。今日はお着替え早いですね! いつもはもっと時間が掛かるのに」
「副社長に文句言われましたから。早く着替えろって。だから急ぎました」
「あ、あああ、そんなことはまったく気にせずに、もっとゆっくり着替えていただいて大丈夫ですよ」
「そうですか?」
「それにしても要一のヤツ、酷いですね。うん、酷い男だ」
「そうなんですよ! 聞いてください、今日も副社長ったら――」
 やや焦ったような感じの要次さんに、私は副社長の文句を伝えた。彼のドSぶりを伝えておけば、要次さん経由で耳に入り、反省してくれることを願うばかりだ。もう少し優しさというものを持っていただきたい。
「さあ、それでは食事に行きましょうか」
「え? 私、要次さんに食事に行きたいって伝えましたっけ?」
 あれ。要一副社長には要次さんを誘うことを言ったけれど、まだ本人には言ってなかったよね?
「あ、あああ、さっき! そう、さっき、要一から聞きました! ほら、僕、農園にスマートフォンを忘れてしまったので! 探しに来たのです。そうしたら、涼乃宮さんが僕を食事に誘いたいと。ありがとうございます。光栄です」
「そうでしたか。話が早くて助かります。実はもう一度ママファームへ行って、あのピザを食べたいのです。作り方を聞いたりすることは可能でしょうか?」
「それは難しいと思います。あのピザはママファームの看板メニューですから、作り方や味については、極秘情報に値します。教えてくれるとは思えません」
 そっかぁ……。確かにそうだよね。レシピ教えて欲しいとか、図々しいよね。お店に取っちゃ、極秘情報だもんね。
 そう思っていたのに、要次さんと食事に行って、ママファームのピザを食べた瞬間、雛子さんを呼んで私は聞いていた。
「このレシピ、教えてください! お願いします!! カミムラのために!」
「涼乃宮さん、看板メニューのレシピ教えて欲しいなんて、正気で言っているの?」
「正気です!!」
「……」
 冷ややかな目線を投げかけられ、彼女は無言で去って行った。
「ダメでした」
「僕、言いましたよね? 雛子さんが教えてくれるわけがありません」
 やや呆れ気味に要次さんが言った。当然だろう。止められていたのだから。
「はい。ダメだということは勿論わかっていました。でも、聞く前から諦めるのは何か違うと思ったのです。ダメだと思ってもやってみるのが私のモットーです。正直、一縷の望みを掛けてお願いしてみました。結果は予想どおり惨敗ですけれど」
 熱々のピザを口に運び、この美味しい味に何とか近づけてお菓子にしたいと思った。
「イメージはあるのですが、新商品に上手く活かせなくて。ここのピザを食べて『これだ!』と思ったのですが、なかなか思いどおりに仕上がらずに困っています」
「開発というのは、途方もない時間と労力が必要なものです。生半可な取り組み方では仕上がりません」
 借金返済のためにもう一度新商品開発すればいい、と安易に言ってしまった私の発言を、まるで咎めるように彼は言った。
『簡単におっしゃいますが、新商品開発にどれだけの時間と労力がかかるか、涼乃宮さんは知らないからそのようなことが言えるのです』
 ――初めて彼に会ったあの時、要次さんが言っていた台詞を一字一句思い出した。
「はい、おっしゃるとおりです」
 あの時の私の言葉は、聞き捨てならなかっただろうな。当時の彼の気持ちが、今なら痛いほどにわかる。新商品開発は、本当に大変だ。イメージはあるのに、思いどおり具現化できない歯痒さ。いい具材を使えばいいという問題ではない。金額に見合った材料を使わなければならないし、制約のある中でイメージの再現をしなければならない。その難しさたるや、想像以上だ。
「開発はお辛いでしょう? どうですか。もう降参されては?」
 要次さんの言葉を聞いて、成程納得だ。実際に農園に放り込んで不慣れな農作業をさせ、新商品開発なんて無理難題を押し付け、私を追い払おうという腹だったのね。要次さんは、私が根を上げるのを待っているのだ。
「いいえ。降参なんかしませんよ。頑張ります!」
 誰が負けるものか! 根性だけはあるのよ、私!
 一度決めたことは、絶対にやり遂げるのがこの私、涼乃宮素子ですから!!
「そうですか」
 残念そうな顔をすると思っていたけれど、違った。予想外だった。
「涼乃宮さんには、本当に期待しています」
 普段は気難しそうに眉間に皺を寄せ、何者をも寄せ付けないようなぶっきらぼうな表情の彼が、目を細めてとても、とても嬉しそうな顔を見せてくれた途端、ドクン、と私の心臓が跳ねた。ぎゅうっと鷲掴みにされたように縮み、胸の高鳴りを訴えてくる。

 ――二度目、だ。

 一度目の時とは違う。意識したらもう静まらない。ドキン、ドキン、と鼓動が早まり、動悸は増すばかり。
 要次さんとの付き合いはまだ短いけれど、見る限り雑な仕事はしていない。ボンクラ主任なんて築山さんは要次さんのことを悪く言っていたけれど、飄々《ひょうひょう》としているその裏で、在庫整理だけではなく、雑務を丁寧にこなしていることを私は知っている。
 要次さんのことを知れば知るほど、気になっていく。好きになっていく。

 ――えっ、好き?

 まさか、と思って目の前の彼を見つめた。もじゃもじゃ頭のぼさっとした容姿、ダサい眼鏡で一見本当にデキないダメ主任みたいだけれど。

 ――もしかして私、要次さんに恋、しちゃった!?

 意識した途端、ぶわっと鳥肌が立った。鼓動がさらに早くなり、要次さんの破壊力を持った笑顔が脳内リピートしてしまう。干物女の私が、まさか信じられない。今まで恋愛に無縁で生きてきて、推しも無く(あるとすればおつまみのいかっちょこくらいか!)、仕事一筋・酒呑み人間が、まさか!?
 というか、アレだ。いかっちょこ生みの親というのが私の中で相当なツボポイントだったことは認めよう。しかし、破壊力抜群のあの笑顔は反則でしょう! 誰でも惚れちゃうよ!!
「は、はい。お任せください!」
 何をどう任せるのだ、と自分でもツッコミたくなるような言葉で、私は彼に言ってしまった。必ずや売れる新商品を作り、要次さんを安心させてみせますから、と――。

(――つづきは本編で!)

  • LINEで送る
おすすめの作品