「仕掛けたのはそっちのくせに……逃げるなよ」
あらすじ
「仕掛けたのはそっちのくせに……逃げるなよ」
田舎の喫茶店で大好きなお菓子作りを楽しむ美咲は、突如王子様のようなエリート社長・石丸にスカウトされ、都会の大手製菓会社に入社することに。ところが石丸は美咲の作るお菓子にドSさながらダメ出しし、自信作は『ダサい』とばかりに否定されてしまう。ロマンチックに引き抜かれたはずなのになぜ?と悩む美咲に彼は「とある事情で筋金入りの菓子嫌いであるものの、美咲のスイーツだけは特別食べることができた」と切なく告げる――トラウマと孤独を抱えた社長を放ってはおけない。お菓子でハッピーな魔法をかけちゃいます!
作品情報
作:桐野りの
絵:稲垣のん
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本文お試し読み
◇プロローグ
初めて手にした絵本の中には、お菓子の家が建っていた。
クッキーの壁。渦巻き型キャンディーの窓に、チョコレートでできたベンチセット。
とろけるように甘い世界。
その後、魔女が現れて主人公兄妹はとらえられてしまうのだけれど、仕方ないよねと子ども心に美咲は思った。
美味しいお菓子には魔法がかかっている。
その魅力には抗えない。
◇一話
夏本番を迎えた七月の午後。
ここはスイーツ界の帝王・スイーツホソダ。
一九○○年代に創業した洋菓子メーカーで『お菓子と言えばホソダ』のテーマソングで有名な老舗である。
その本社ビルの社長室で、朝倉美咲《あさくらみさき》は武者震いをしていた。
(お父さん、お母さん。そして神様。どうか私に力を貸して!)
まるで試合前のボクサー気分だ。期待と不安で純白のコックコートに包まれた胸が大きく波打つ。
対戦相手は見た目も麗しい、いかにも強そうな長身の男。
高層ビルから見下ろす都会をバックに佇む、傲然としたオーラの美青年はスイーツホソダの若き社長だ。名前は石丸翔太《いしまるしょうた》。
黒光りする髪に鋭い眼差し、整った顔立ち。
表情が滅多に変わらない端正なその顔に、一撃の変化を与えたい。
美咲の願いはただそれだけ。
机の上にトレイを置くと、勢いよくドーム型のフードカバーをとった。
「自信作です! マジカル光と闇バージョン!」
黄金色の生地を何層にも重ねたミルフィーユの表面に金箔とチョコを半分ずつたっぷりまぶした、手間暇かけたゴージャスな一品。
「SNS映えすること間違いなしです! ブランドイメージに合わせてゴールドカラーで仕上げました! スイーツ王子にはぴったりかも!」
美咲は勢いよく頭を下げた。
社内プレゼンであれど全力だ。『スイーツ王子』というキャッチフレーズを編み出すには丸一日かけた。
社長の心をノックアウトさせる。
(それが無理なら防衛よ。九回目のボツだけは絶対に防がなきゃ)
今回こそ認めてもらわなければ、美咲はそう意気込む。しかし、石丸の口から飛び出したのは冷酷な声だった。
「ダメだ」
「えええええ」
美咲は落胆した。
「何がスイーツ王子だ。ったく。やり直し」
一日がかりのキャッチフレーズも否定され、今のところまったく成果を出せていない。
それにしても今回はジャッジが早すぎる。一瞬で判断を下されてしまった。
片付けようとした美咲が彼の机に目をやると、目の前に飛び込んできたのは、手つかずのミルフィーユだった。
どこをどう見ても形に変化はないし、それどころかフォークにすら触れた気配がない。
(これは一体どういうこと?)
「……あの、食べてませんよね?」
美咲がおずおずと確認すると、無慈悲な返事が返ってきた。
「その必要がないからだ」
「どうしてですか! 私の愛情がたっぷり詰まっているのに!」
恨みのこもった目で石丸を睨んだあと、愛情ではなく熱意の間違いだったと冷や汗をかく。
「何が愛情だ。バカ」
石丸は冗談だと思ったらしく、美咲へ鋭い眼差しを向けたまま腕組みをした。
「すみません、あの、言い間違いです」
「そんなことはどうでもいい」
「はい」
「俺は前回、シンプルにしろと言ったよな」
「はい」
美咲はますます肩をすくめた。
「それなのに出てきたのはこれか」
石丸はミルフィーユに視線を向けると、軽蔑したようにため息をついた。
「黄金色ベースに金粉乗せねえ。君はこのスイーツをどこの成金に食べさせるつもりだ? 何故俺の指摘を無視する? 普通のを作れと言ったよな」
「すみません」
「やる気がないのか?」
「滅相もない!!」
美咲は両手を左右に振った。
「やる気はあります! ありまくります! だから今回も頑張ったんです」
彼女は石丸のアドバイスを無視したわけではない。
ただ、どうしても考えすぎてしまうのだ。
こんな大企業で、普通のシンプルなお菓子が通用するはずがない。
それでつい、やりすぎてしまう。
普通でいいと言われても素直に作れないのだ。
「から回ってる。まずは俺の指摘を咀嚼しろ。話はそれからだ」
「承知しました。申し訳ございません」
美咲はがっくりと肩を落とす。残念だが石丸の言うとおりである。
(次は普通のショートケーキにしよう。うん、絶対)
「もういい。下げろ」
石丸はフードカバーでミルフィーユを覆うと手元の書類に目を落とした。
取りつく島もないとはこのことだろう。
美咲は思わず口走っていた。
「味見だけでもしてもらえませんか? 中身はシンプルなんです。ルックスは確かに派手ですが」
この会社の王様は彼だ。
はむかったところでちっぽけな自分など一瞬で吹き飛ばされてしまう、わかってはいたけれど美咲は止まらなかった。
食べてもらえばきっと思いが伝わるはずだ。
今回は特に美味しくできた、彼女には自信がある。
「君はしつこいな。まあ、そこまで言うなら」
「食べてくださるんですか?」
「ああ。秘書がな」
石丸は言う。
「秘書って。社長が食べてくださいよ」
「いやだ。君は俺のアドバイスをことごとく無視している。食べる気になるか」
石丸はにべもない。今のところ、美咲の創意工夫は全て裏目に出ている。
何故普通のルックスにしなかったのだろう。
そうしたらおそらくいつものように、かけらだけは口にしてくれたのに。
(どうしよう。未来が見えない)
美咲は思わず天を仰いだ。
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