「アリエル、僕は――君が好きだよ。心底ね」
あらすじ
「アリエル、僕は――君が好きだよ。心底ね」
好きな人を想って流した涙が宝石に変わる特別な魔法『宝石生み』を持つ伯爵令嬢アリエル。彼女は家族に冷遇されながらも、唯一の支えである婚約者フィリップを心の拠り所にしていた。だがある日、彼が姉に愛を囁く瞬間を目撃してしまう。すべてを失った絶望の中、宝石となった涙が静かに命を削り、疲れ果てたアリエルは人生の幕を閉じた――はずだった。だが目を覚ますと、時は裏切りの前に戻っていて……。もう二度と惨めな死は繰り返さない、すべてと決別を決めた彼女。しかし、“死に戻り”の奇跡の裏には、彼女を心から愛する者の想いが隠されていて――。
作品情報
作:百門一新
絵:ちょめ仔
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8/1(金)ピッコマ様にて先行配信開始!(一部ストア様にて予約受付中!)





















本文お試し読み
プロローグ 彼女の死について
エルノドア王国には魔法持ちの人間がいる。
「魔法使い」と異なるのは、その魔法を修行することも、誰かに教えられることもなく、使えるという点だ。
古くから魔法で戦争に勝ち抜いてきたこの国では、その力が重視されており、貴族、庶民に関わらず、すべての国民が五歳の時に魔力と魔法鑑定を受けることになっている。
アリエルは【宝石生み】という魔法を持って生まれた。
一つ以上の魔法が使えないと魔法使いには認定されない。だが、「個性魔法」と呼ばれる魔法は実用性や価値が高いものも多く、国民にとっては家を継ぐ以外の第三の職選択にもなる。
【宝石生み】は、好きな人のために流す涙から宝石を生み出す、究極の魔法の一つだ。
究極の魔法とは、命を削って魔力にする代償がともなうハイランク魔法に分類される。
その魔法を持つ者は、他の魔法を使える可能性が高いとされ、魔法使いの学校や訓練所からの誘いがあった。
けれどアリエルは、普通の伯爵令嬢として貴族学校に通った。
十七歳で卒業したら、本格的に花嫁教育が始まりそんな暇はないと考えていたからだ。
魔法によって豊かになったこの国では、魔法使いを必死になって育てる必要がないほど人材にも財にも富んでいた。そのため、数少ない魔法持ちの令嬢令息も、貴族として結婚するための道を進む者がほとんどだ。
アリエルには、十二歳の頃から婚約者がいた。
相手は、魔法騎士として最高位の勲章を与えられたヴァーノルド侯爵、その一人息子である、三歳年上のフィリップ。
(もうフィリップは来ているかしら?)
アリエルは婚約者に恋をしていた。
令嬢友達の成婚祝いの帰り、馬車から降りるとすぐ屋敷へと走る。
姉に頼まれていた新刊を買う必要があったので、先日もらった手紙に書かれていた待ち合わせ時間から、二十分も遅れてしまっていた。
(早く、会いたいわ)
姉ばかりに特別な愛を注ぐ家族に寂しい想いをさせられる中、たまに顔を出してくれる伯爵家を継ぐ予定の従兄弟に続いて、フィリップの存在は救いだった。
けれど――見てしまったのだ。
「フィリップは、私だけが好きなのよね?」
「ああ。君だけが僕の女神だ」
彼の姿を捜したアリエルは、あやしげに少しだけ開いていた扉の光に誘われた。
そこは貴族が入ることはない厨房だった。
姉のエリザベラと男性の声がかすかに漏れてきて、心臓がどくんっと不安な音を奏でる。
(――これは、何?)
おそるおそる扉の隙間を覗き込み、息が止まった。
そこには、見つめ合うエリザベラとフィリップの姿があった。
姉は作業台を背にしているフィリップに迫るようにして、彼の左右に両手をついている。距離がとても近いのに、フィリップはそんな姉を見つめ返しているだけだ。
(何を、しているの?)
アリエルは自然と息を殺していた。
「もうアリエルが帰ってきてしまうかもしれないわね」
派手な化粧が好きなエリザベラの、真っ赤な唇から出たその言葉に心臓が縮こまる。
まさか、とか、いや何かの間違いよ、とかアリエルの心は否定したがった。フィリップのことを信じたかった。でも――。
「こんなところ見られたら、私たちのこと、知られるかも」
エリザベラは釣りあがった目を、困ったふうに変化させる。
(嘘だと言って)
アリエルはフィリップの横顔に祈った。
通った鼻筋にかかる彼の銀髪から見える琥珀色の目は、否定することなくまっすぐエリザベラを見つめている。
それを見て、アリエルは察し、心が冷えた。
「フィリップは私のこと、好きだものね」
「ああ。知られて困ることは何もない。僕が好きなのは、エリザベラだけだ」
繰り返すようにフィリップが答えた。
(嘘よっ)
そんなアリエルの心の叫びも虚しく、彼は続ける。
「僕が結婚するのは、エリザベラだ」
「っ」
思わず口を手で塞いだアリエルは、エリザベラがこちらを見てぎくりとした。姉は慌てるどころか、口角をくいっと引き上げて――。
「フィリップ」
フィリップに向き合うと、彼の首の後ろにするりと両腕を絡めた。
(触らないで)
アリエルの胸がどくんっと苦しく鼓動する。
だがフィリップは、姉を見ているばかりで拒絶する気配がない。
エリザベラは、そんな彼に顔を近付けた。姉が何をしようとしているのかが分かって、アリエルは心臓がぎゅっと痛くなる。
(お姉様は私がいるのが分かっていて、キスをしようとしてる)
アリエルはもう見ていられず、その場から逃げ出した。
こんなところで密会なんて非常識だ。
けれどそう思うと同時に、二人は場所を気にしないくらいに想いを通わせている恋人同士なのだと実感されて、アリエルはもっと苦しくなった。
絶望した。ひどくショックだった。
だってアリエルは、これまでフィリップの『好きだよ』を、疑ったことはなかったから。
そのまま部屋に駆け込んだ。
「……ふっ、うぅっ」
扉を締めた瞬間、嗚咽が漏れた。
好きだった婚約者が、いつの間にか姉と恋仲になっていた。
こらえていた涙がどっと溢れた。心から好きだったフィリップは自分を裏切っていた。
そう、分かったのに――。
「うっ、うぅっ、どう、してっ」
アリエルの目からこぼれ落ちていく涙は、途中でさまざまな色の宝石に変わっていた。
床に落ちていく宝石が硬質な音を立てていく。
『あなたには魅力がないもの』
アリエルが気に入ったリボン、装身具、それを奪う時の姉の言葉が頭に浮かんだ。
フィリップは姉のほうを好きになってしまったのだ。
結婚が楽しみだと言ってアリエルの花嫁教育を応援していながら、彼はアリエルを裏切っていた。
悲しいのに、出た涙は宝石に変わる。
ああ、そうか、ふとアリエルは自分の心を正しく理解した。
「……事実を知ってもなお、こんなにもっ……彼のことが、好きで……っ」
出会って間もなく、彼から向けられ始めた好意に、アリエルも恋に落ちた。
裏切られたと分かっていても、彼への想いが涙を誘い、次から次へと宝石が生まれていくのだ。
【宝石生み】の魔法は、好きな人のために流した涙が宝石になるものだから。
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