「好きだよ。いまでもあの頃と変わらず…それ以上に」
あらすじ
「好きだよ。いまでもあの頃と変わらず…それ以上に」
電器メーカーの事務員未知瑠(みちる)は、銀行役員である父の勧めで大手商社の御曹司とお見合いをすることに。
だが待ち合わせのラウンジに現れたのは、かつて想いを寄せていた同い年の幼馴染洋人(ひろと)だった。
思わぬ再会と政略結婚という関係に戸惑いながら、あの頃の恋を取り戻すように時と身体を重ねる二人。だが未知瑠は、他の女性と親し気に歩く洋人を見てしまい…
作品情報
作:桜旗とうか
絵:乃里やな
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●プロローグ
「未知瑠《みちる》。洋人《ひろと》くんを覚えているか?」
五月の連休が明け、久しぶりに早く帰ってきた父が、夕飯を終えたダイニングでそんなことを言い出した。
「昔お隣にいた、三牧《みまき》洋人くんだよね? 覚えてるよ、もちろん」
子供の頃から一緒だった幼なじみ。最後に会ったのは高校生の頃だ。
洋人くんは、三牧商事という大会社の次期社長として、小さい頃から厳しい教育を受けていて、成績はいつもトップクラス。私ががんばって勉強をしてもとても追いつけないほど優秀だった。
一緒に手を繋いで走り回っていたことを思い出す。活発な彼はいつも人の輪の中にいて、いろいろと鈍くさい私は、彼のあとを追いかけるので精一杯だった。小学校、中学校と地元の学校に通い、傍にはいつも彼がいた日々。気づけば彼に恋をしていて、そしてそれは花を咲かせることなく散った。
「でも、どうして洋人くんの名前なんて急に?」
これまで話題にさえ上らなかった幼なじみの名前が唐突に持ち出されて、私は困惑していた。
「三牧商事が、うちの銀行と取り引きをしていることは知っているだろう」
父は、一ノ瀬《いちのせ》銀行の役員をしている。その銀行が、三牧商事の主要取引先であることは、ウェブサイトを見れば容易にわかることだ。三牧商事はほかの銀行とも取り引きがあるが、ここでこんな話が出てくるのはいい傾向ではない気がする。
「うん、知ってるけど……」
「彼と見合いをしなさい」
目の前から色が消えた。音も、遠い残響のように聞こえる。
「……私が、洋人くんと……?」
「三牧商事とうちの銀行との繋がりを強めるためだ」
「……それって……、政略結婚……ってこと?」
「そうなるかな」
なぜ私?
洋人くんならもっといい縁談があるはずだ。大企業の令嬢や代議士の娘。売れっ子の芸能人とだってその気になればいくらでも縁がある。それなのに、ただの銀行役員の娘と?
繋がりを強固にするべきという考えはわからないでもないが、もっと固く結ぶべき繋がりはあるはず。
「どうして私なの……?」
「三牧さん直々のご指名だ」
ここでいう“三牧さん”というのは、いまの三牧商事の社長――洋人くんのお父さんのことだ。
おじさんが、私と洋人くんの縁談を?
銀行と繋がっておきたいなんて、三牧商事の経営が逼迫しているのだろうかと脳裏をよぎった。いや、あの会社は五年連続黒字決済だと報じられていた。経営の危うさなんてなさそうだし、仮に危ないのだとしたら、それこそ私と縁談をしている場合ではないような気もする。
「未知瑠。せっかくの三牧さんからの申し出だ。ありがたくお受けしなさい」
たしかに、私たちにとって三牧商事との繋がりがあることは誇らしいこと。大企業の経営者で、資産家で、名前もよく知られている。特に父からすれば、この繋がりは大切にしたいはずだ。三牧商事との取り引きが長く続くとなれば、父の営業成績に直結するだろう。
「洋人くんは……了承してるの?」
「ああ。昨日、彼と会って確認をした」
承諾済み……。洋人くんは、私と結婚をしてもいいと思ったんだ……。
でも、きっとそれは好きだからじゃない。私は洋人くんにとって、幼なじみ以上ではない。一度も、彼にとって女の子になれなかった。
忘れたはずの恋心が密やかに芽吹いていく。
私は彼との結婚を、疑問符を抱きながらも歓待している。消えた初恋が、数年の時を経て不本意に成就しようとしているけれど、それでも洋人くんの傍にいられることが嬉しいと思っている。
でも、洋人くんは?
好きな人がいてもおかしくないし、おじさんの命令だから恋人と別れたかもしれない。全部割り切って、彼はこの縁談に承諾をしたのだとしたら?
その可能性を考えはするけれど、洋人くんにそんな質問を投げかける勇気なんて、私にはない。恋人がいたよと……、この結婚が義務だからだと言われたら、とても立ち直れない。
お断りしたほうがいいかな……。
そう考えていたのだけれど。
「再来週の土曜日。ここで洋人くんと会ってきなさい」
渡されたのは一枚のメモ。高級ホテルの名前が書かれていて、ぎゅっと目を瞑った。
こんなホテルに私は足を踏み入れたことすらない。その場所を指定したのが誰かはわからないが、洋人くんに合わせられたことだけは間違いない。私には不相応な場所。彼とは明らかに住む世界が違う。
「お断り……できないのかな?」
「三牧さん側から断られるならまだしも、こちらから断るなんて失礼な真似はするなよ、未知瑠」
私に選択権はないのか。
「……はい。洋人くんに会ってきます」
この縁談は、私の心を奇妙に軋ませた。
●1
五月も後半にさしかかった土曜日。私は指定されたホテルのラウンジにいた。見える限りの客層は、わかりやすいくらいのセレブ感を漂わせ、ホテルの豪奢な装飾と相まって、私は場違いな空気にそわそわとしていた。
ふかふかとしたソファに座って、スカートの裾を気にしていると、先ほど頼んだオレンジジュースが運ばれてくる。ここで紅茶やコーヒーを頼めないあたりが子供っぽさを露呈しているようで恥ずかしい。
でもどっちも苦手なんだよね……。
襟を整え、袖を引っ張り、背筋をピンと伸ばした。
今日は甘めデザインのワンピースを着てきた。白い襟に春らしいピンク色のワンピース。裾にはフリルがついていて、ボタンは花型。腰の共布ベルトは少し幅広で、腰が高いからか、ちょっとだけスタイルがよく見えた。髪は結わずに下ろしたまま。これは、洋人くんがいまでも長い髪が好きかなと思ったからだ。
自分の靴先を見て、白いパンプスはやっぱり汚れそうだなと考えながら、あたりを落ち着きなく見渡す。心臓がバクバクと音を立てている。私の洋人くんの記憶は、高校生のときで止まったままだ。大学に進学をするため、彼は一人暮らしを始めた。それ以来一度も会っていないから、七年ぶりの再会になる。彼はどんな男性になったのだろうか。
リラックスしようと、結露し始めているオレンジジュースのグラスに手を伸ばした。指が震えていて、緊張の度合いを知り恥ずかしくなる。
大丈夫、初対面の人と会うわけじゃない。
そう言い聞かせてグラスに手が触れたとき。
「みーやおーかーさーんっ」
「ひゃああっ!?」
軽快な男性の声に呼ばれ、グラスを倒してしまった。心臓が飛び出しそうだ。
「うわっ、ごめん。驚かせようと思ったんじゃないんだ。びっくりしてくれるかなって思っただけ」
「おおおお同じですよね!?」
ほとんど涙目で声のするほうを見ると、見知った男性がハンカチを取り出してテーブルを拭いてくれた。スタッフも慌てて飛んできてくれ、絨毯を汚すことはなかったけれど、真新しいワンピースはちょっとだけシミになっている。
「本当にごめんね。こんなところで|宮岡《みやおか》さんに会えるなんて思わなかったから、嬉しくなっちゃって」
男性がしゅんとする。その人は、同じ会社に勤める|津崎《つざき》さんという営業部の人だ。
私は|久津田《くつだ》電器という電子メーカーで総務部員として勤めているが、津崎さんはそこの社長の甥にあたる。いまの社長に子供がいないため、津崎さんが跡を継ぐのだとか。
「服、汚れちゃったね。ごめん……」
「いえ、大丈夫です。拭けばなんとかなると思います」
完全にしょぼくれている津崎さんに、ひどいですなんてどうして言えるだろう。大きなシミになっているわけではないし、色もさほど目立たない。大丈夫と繰り返すと、ようやく津崎さんはいつものようににこりと笑う。その笑顔に私は毎回ちょっとぎくりとしてしまうのだが、その理由を考えたことはない。たぶん、表情がコロコロと変わるので、落差が激しくて驚くだけだろう、程度に思っている。
「それより、今日はどうしたの? いつもより可愛いね」
「えっ!?」
「どこのご令嬢がいるのかなって思ったよ」
「……そんなに気合いが入って見えますか?」
母と一緒に選んだ服だが、気合い充分な装いでは恥ずかしすぎる。高級ホテルなので浮かない格好にだけはしたけれど、力みすぎて見えてしまうだろうか。
「ううん。宮岡さんに似合ってるよ。いつも制服姿しか見ないからね。私服で僕と出かけてみない?」
「? はい?」
首を捻ると、津崎さんが困ったように笑った。
「相変わらず鈍感というか、伝わらないなぁ」
「なにがですか?」
「なんでもないよ。宮岡さんはそのままでいて。俄然燃えちゃう」
「燃え……?」
首を傾ける私に、津崎さんは距離を縮めてくる。ソファの背もたれに手を置き、身体には触れてこないが完全に迫られるような格好になってぎょっとした。
「服、僕のせいだしどこかへ買いに行こうか。それとも、僕が選んでこようか? そのワンピースに負けないくらい可愛いのをプレゼントするよ」
「いえ、これから人と待ち合わせが……」
そう言い終えるより先に、私の向かい側のソファに誰かが腰を下ろした。今度はなにごとかと思って目を向けると、認識をするよりも先に心臓がトクンと穏やかに鼓動する。
「未知瑠、待たせた」
低い声は記憶よりも深みを増している。しっかりと鍛えられた体躯がスーツ越しにでもわかった。精悍な顔立ちは昔から変わらない。少し大人になったくらいだ。
洋人くん……だ。
彼の顔をチラリと見た。こちらを睥睨する姿に驚いたけれど、昔から洋人くんはそういうところがあった。眼光が鋭いというか、目つきが悪いというか。話せば穏やかだし、笑うと目尻が下がるのだが、初見で気さくそうとは思えない。でも、それも彼の魅力なんだろうなと思う。
「……あの、津崎さん……」
おずおずと声を掛けると、津崎さんはにこりと私に笑顔を向ける。相変わらずぎくりとしてしまって目を逸らす。
「ごめんね、待ち合わせしてたんだね」
こくこくと頷くと、津崎さんは洋人くんをじっと見たあと、「じゃあ、また週明けにね」と手を振ってホテルを出て行った。その姿を洋人くんが目で追いかける。完全に姿が見えなくなると、彼は私に身体を向け直した。
「……久しぶりだな、未知瑠」
「うん……」
緊張する。ネクタイを締めた彼の姿は、見慣れていると思っていた。高校生の頃の制服がブレザーだったからそう思っていたけれど、やはりスーツ姿とでは比較にならない。七年ぶりということもあって、目もうまく合わせられなくて泳いでしまう。
「高校生のとき……以来だよね」
「ああ。未知瑠は元気そうだ」
「ひ、洋人くんも……元気そう……っ」
ぱっと顔を上げると、彼は破顔した。
ああ……、この笑顔は昔となにも変わってないな……。
目尻が下がって優しそうに見える。緩やかに弧を描く口元にいつも目が引き寄せられていた。端整な顔立ちを崩して、その美しさを損ねないように綺麗に笑う。
「七年ぶりか。けっこう経ってるな」
「二十五歳になっちゃったもんね」
「しみじみ言うな。すげー歳食ったみたいに聞こえる」
すごく嫌そうな顔をする洋人くんに、私は思わず笑った。
「……未知瑠は変わらないな。昔のままだ」
「それって、子供っぽいって言ってる?」
「わりと」
「ひどいよ!」
むっと怒ってみせると、彼は口元を隠して笑った。
どれだけ離れていても、私たちはすぐに打ち解けられる。十年以上一緒にいたから、同じ思い出がたくさんある。
楽しいことがあった。
悲しいことも、もちろんあったけれど。
「さて、それじゃあ済ませることは早めに済ませようか」
真剣な顔をして、洋人くんがそう切り出す。
「見合いの話は聞いてるんだよな?」
「うん。洋人くんとお見合いをしなさいって言われたよ」
「未知瑠はどうしたい? 嫌なら断ってもいい」
断って、いいんだ……。
本当ならお断りをするのがいいと思う。幼なじみだからとはいえ、気持ちのない結婚なんてお互いのためにならない。
「洋人くんには、もっといい縁談があるんじゃないかなって思ってる」
「いい縁談の基準がわからないな。三牧商事と張り合うような大企業との繋がり? 政界にも幅をきかせられるような縁? 俺はどれも違うと思う」
「でも、うちはお父さんが銀行役員ってことしか強みなんてないよ」
それ以外は、庭付き一戸建てに住む程度の平凡な家庭だ。三牧商事にメリットがあるとはあまり思えない。
「経営者側から言えば、それは強烈な利点だけどな」
洋人くんが苦笑いを漏らす。会社を経営する人にとって、銀行役員というのは多大な恩恵があるのかもしれない。私にはどれくらいすごいことなのかよくわからないけれど。
「……すごいことなの?」
「まあな。宮岡さんには長い間うちのアドバイザーとして力を貸してもらってるし、銀行との絆を深めて損はない」
だから洋人くんはこの縁談に応じたのか。大きな利益があるから。
「洋人くんは……いいの? 私と結婚して……」
「いいよ」
この話は、彼にとって損はないということ。私にとっても、損になる話なんてなにもない。好きだった人とこういう形ででも結ばれるのだから。
ずっと彼を諦めたつもりでいた。だけど、この話を持ち込まれたとき、まだ彼を好きなのだと思い知ってしまった。目を逸らしていたに過ぎない感情だったのだ。
「未知瑠の返事は?」
聞かれ、迷ったのは一瞬だった。
「……よろしく、お願いします」
座ったまま上体をゆっくりと倒してお辞儀をする。
彼は了承をしている。父にもこちらからは断るなと念押しをされた。私はまだ洋人くんが好きだ。それなら断る理由はない。
「こちらこそよろしく、未知瑠」
穏やかな声に顔を上げる。声音のとおり、優しい顔をした洋人くんに、胸がときめいてばかりだ。どうして彼のことを忘れられたなんて思っていたのだろう。こんなにもたしかに私の心に棲み着いているのに。
「今後のことは、これから話し合っていこう」
これから、私たちは一から関係を築いていく。幼なじみとしてではなく、人生を共に生きていく相手として。
こんな話でもなければ、私は彼と生きていくことはなかったはずだ。これは、本当に洋人くんにとっていい話なのだろうか。私は好きな人と一緒に生きていけるけれど、彼はどれだけの気持ちを置いてきたのだろう。
「未知瑠」
名前を呼ばれ、洋人くんの顔を真正面から見る。
「部屋を取ってある。行かないか」
唐突な申し出に、私は目をしばたたかせた。
「え、部屋?」
ただの顔合わせで部屋を取っている意味がわからなくて困惑する。けれど洋人くんは、妖艶な笑みを浮かべて言った。
「まさか本当に顔合わせだけだと思ったか?」
思っていた。話をして、今後の確認くらいはあるだろうと思っていたが、それで終わるものだと考えていたのだけれど。
「今日知りたかったのはお前の気持ち。それから、身体の相性だ」
「からだのあいしょう……」
なにを言われたのかわからなくて、オウム返しをして再び目をしばたたかせた。
「……身体の相性!?」
数秒遅れて意味を理解した途端、大きな声が出てしまい、洋人くんが人差し指を立てる。
「未知瑠、声が大きい」
「ご、ごめんなさい……。でも、洋人くんがあんなこと言うから……」
「必要なことだろ。これから先、俺たちはそういう関係になるんだし」
膝の上で頬杖をつき、彼は眩しいものを見るように目を細めた。
そうか。結婚をするということは、当然その先の関係も生まれる。それは、愛のある行為ではないかもしれない。
ズキンと胸が痛んだ。
洋人くんは、義務で行為に至るだけなのか。そう思うとじくじくと心臓が針で刺されるように痛かった。
「嫌か?」
「……ううん。嫌じゃない」
彼に抱かれることは嫌じゃない。だからそう答えた。だけど、胸が痛くて仕方ない。
「それなら、行こうか」
椅子を立った洋人くんが私に近づき、腕を掴んだ。強くない力で私を促すように立ち上がらせ、そのままエレベーターへと向かう。
洋人くんの手は、大きくて温かい。エレベーターの中でも離されることのない手は、じんわりと熱を帯びているように感じられた。
昔から、近いようで遠かった人。
私は、彼以外の誰にも恋をしなかった。忘れたつもりでいても、彼の面影をどこかで探していた気がする。おかげで、二十五にもなるのに、キスもセックスも知らないままだ。
エレベーターが最上階で止まった。手を引かれるまま部屋へ向かい、扉が開かれると彼は迷いなく寝室を目指した。そしてベッドに私を座らせると、肩を押されて組み敷かれる。
「未知瑠、いいか?」
その確認に、どれだけの意味があっただろう。彼の手が頬を撫で、そのままうなじへと滑る。指先で髪を梳かされると、ゾクゾクとした感覚が背筋を這い上がってきた。
吐息が触れ合うほどの距離まで顔を近づけられ、目をぎゅっと瞑る。けれど、期待をしていた感覚が唇に落ちることはなかった。目元にキスをされ、そのまま頬へ流れ、首筋にねっとりとした感触が触れる。
あまりに早い出来事に戸惑っていると、ワンピースのファスナーが引き下げられていた。
彼は、きっとこういったことにも慣れている。そう思うと胸の内でモヤモヤとした感情がわき上がってきた。もしかしたら、私は誰かと比べられるのかもしれない。あるいは誰かの面影を重ねられるのかもしれない。それは、彼が大切にしていた人かもしれない……。
思うほど切なくなった。洋人くんと過ごしてきた時間は決して短くない。その時間の中で、彼は私にとって恋をする相手だったけれど、洋人くんにとっては女ではなく、幼なじみのままだった。それが、こんなふうに親に決められる格好で結婚が決まり、その義務から求めざるを得ないのだ。彼は身体の相性を気にした。当然のことだ。これから先、子供を望まれることになる。三牧商事の後継者が必要だ。そのために、快楽のひとつも得られない行為を強いられることは、苦痛でしかない。洋人くんはきっとそう考えた。それなら、せめて洋人くんが悪くないと思ってもらえるようにしないと。
意気込んだ。だけど、胸の痛みが消えない。義務。作業。つまらない行為。そんな後ろ向きな言葉ばかりが脳裏にちらついて、気づいたときには視界がひどくぼやけていた。
「未知瑠、平気か?」
私の目元に唇を寄せて、洋人くんが尋ねた。なんのことを言われているのかわからず頷くと、今度は彼の指先が目元を拭う。
「泣くほど嫌ならやめるけど」
「泣いてなんて……」
いない。そう言おうとしたのに、眦を伝っていく熱い雫に気づいてしまった。
「やだ……、私……」
「無理はしなくていい。抱きたいけど、強要するものでもないからな」
ここで悪い考えに縛られて断ったら、次はない気がする。私を相手にしなくたって、彼にはいくらでも女性が言い寄ってくるだろう。綺麗な顔立ち。申し分のない家柄。口は少し悪いけれど、ちゃんと優しい。
「私は大丈夫だよ」
「そうか?」
彼の首筋に腕を回した。こういうことをするはず、という知識くらいしかないが、精一杯の勇気を振り絞った。やはり、洋人くんは驚いたように目を見開いていたけれど、ややして優しく細められる。
「大切に抱くよ」
額にキスをされ、そろりとワンピースが身体から剥がされた。とびきりオシャレではないが、いつもより可愛く見えるようにと思って選んだ服は、ベッドの上では意味を成さない。選んだランジェリーも、こんなことを意図してではなかったけれど、ちょっとだけ大胆でセクシーなものを身につけてきた。
彼は、私を下着姿にしたあと、口元に笑みを浮かべた。
「綺麗だな」
「……可愛い下着でしょ……」
頬を染めながら、目を逸らしながらの受け答えはとても情けない。ありがとうとでも言えばよかったのに。
「……うん、可愛い。でも、せっかくだけどすぐに脱がせるよ」
「っ……、うん。お願い、します」
洋人くんは、嬉しそうに笑った。なんとも間抜けな返事をしてしまったので、笑い飛ばされてしまうのではと思ったけれど。
「ひ、洋人くんに……、触ってもいい?」
「いいよ。存分にどうぞ」
言いながらネクタイが解かれた。シャツのボタンも外れていき、露わになる彼の身体に目が釘付けになる。見た目どおり、しっかりと引き締まった肉体は目が眩むほど綺麗だった。逞しい腕も、隆起する肩や胸も男性らしく鍛え上げられ、妖艶に視線を奪っていく。
おそるおそるその身体に触れた。温かい。私の身体より遙かに硬くて、自分のぷにぷにとした二の腕やお腹周りを曝け出していることが恥ずかしくなる。
顔が、火を噴きそうに熱い。
「未知瑠も見せて」
彼の手が背に回され、ブラのホックを外した。するりと剥ぎ取られて、ショーツにも手が掛けられる。彼の手を押さえたのは無意識だった。一度動きを止め、洋人くんが私の目を覗き込む。恥ずかしい。だけど、この動作をやめてもらったとしたら、ショーツは自分で脱ぐことになる。それは、この羞恥より耐えがたい気がして、頭の中が真っ白になりながら手をどけた。洋人くんは、小さく笑って私の胸元に顔を伏せる。唇が、胸の先端を掠め、口内へ含まれた。
「ぁっ……」
ぴくっと身体が反応する。ねっとりとした、温かい感触に肌が粟立った。舌が先端の飾りを膨らませ、コリコリと舐め潰す。
「んんっ……、あ、っ……」
初めて知る感覚に、頭の芯が甘く痺れた。もう片方の胸は、空いた手で優しく揉みしだかれる。
「あっ……、あ、んっ……」
口を押さえても、すぐに声が漏れてしまう。こんなにもはしたない声が出せることに驚いた。
「やっ……、洋人、くん……、あっ……声、出ちゃ……んっ」
「手は外してくれると嬉しいかな。未知瑠の声、聞きたい」
こんな声を聞きたいものなのかと、おそるおそる彼を見る。とても手は外せそうにない。ふるふると首を横に振ると、洋人くんの手が私の両手を束ねて掴んだ。
「未知瑠は指まで噛みかねないからな。唇も噛むなよ。声は、出ていいものだ」
頭の上で両手を押さえつけられ、再び彼が胸元に唇を寄せる。
「あっ、あ……ああっ、んっぅ」
肉粒を吸い上げられると、甘い疼きが体中に広がっていく。特に下腹部はジンジンと熱を帯びた。
「ふっ……あ、あっ、洋人く……、んっ……」
この感覚は怖い。自我を吹き飛ばされそうで、理性を保っていられない。
束ねられた手に、彼の指が絡んでしっかりと押しつけられる。そして、ショーツに手が掛けられ、今度は容赦なく引き下ろされた。
「未知瑠、気持ちいい?」
じっと下肢に目を向けながら、彼がそんなことを聞く。気持ちいいかどうかわからなくて返事に困っていると、彼は手を脚の間に滑り込ませて、無遠慮に秘裂を擦った。
「っ……、やっ……」
ぬるりと彼の指が滑る。
なに……、いまの……?
「……この奥、もっと触っていいか?」
この奥? なんのこと?
言葉が、ただの文字として頭の中に浮かぶ。それらの意味はまるで理解できない。知っている言葉なのにわからないというあり得ない事態に戸惑った。けれど、彼はそんな私の様子を知ってか知らずか、膝を割って脚の間に身体を滑り込ませる。大胆に脚を開かされる格好に、目を見開いた。
「洋人くん……っ!」
「痛くないようにする」
そういうことを言いたいのではない。でも、それが声になるよりも先に、洋人くんの手が私の膝裏に入れられ、ぐいと持ち上げた。
「ひあっ……、洋人、くん……、待って、そんなこと……」
ずっと秘されてきた場所が彼の眼前に晒されて、恥ずかしいとか見られたくないという感情よりも、もう死んでしまいたくなる。そのうえ、彼は躊躇なくそこへ顔を寄せて口を付けたのだ。
「あ、ああっ……、だめ、そんなの……っ」
ジュッと蜜を吸われ、彼の頭を押し返す。
そこは隠すべき場所で、脚を開いて見せる場所ではない。まして舐めるようなものでもないのだ。それなのに、洋人くんは一切の迷いがない。粘った水音を立てて、私の秘部を丁寧に舐め上げていく。
「あぁっ……、あっ、だめ……、ぁっ……」
ねっとりと柔らかい感触が気持ちいい。洋人くんが、こんなことをしてくれることが嬉しい。私はきっとどうかしている。もっとしてほしいなんて、口が裂けても言えない。
「洋人……、く……ふ、あ、んっ」
「未知瑠……、もっと感じて」
敏感な花芽を唇で扱かれ、腰が跳ねた。
「ああっ、ひ、あ……、んっぁ……あっ」
感覚に感情が翻弄される。恥ずかしいし、こんなことはしないでほしいけれど、気持ちいいことには抗えない。私はこんなにも淫らだったのかと絶望すらしたくなった。
「や、だぁ……、洋人く……、待って……あ、あっ」
「その『嫌』は本当に嫌なのか?」
指先が肉芽をそっと撫でる。
「あぁっ……!」
舌よりも強い力でくにくにと捏ねられて、蜜が溢れた。
「変に、なりそ……、で……」
「なにも変じゃない。お前を気持ちよくして、めちゃくちゃにしてやろうって考えてるんだから」
「そんなの……ひどい……」
「かもな。でも、俺はお前が乱れる姿が見たい。痛いならやめる。もう触られたくないならこれ以上はしない。……未知瑠、本当に嫌か?」
私の上に覆い被さって、確かめるように目を覗き込んで彼が尋ねる。首を横に振った。
「……嫌じゃないよ。でも、おかしくなりそうで怖いの」
「怖いなら俺にしがみついてればいいし、どんな姿を見せられても引くことはないよ。全部、俺がお前にそうさせてることだ。未知瑠はなにも怖がらなくていい」
頭をそっと撫でながら、一つひとつを丁寧に伝えてくれる。それだけで安心できるのだから、好きな人がくれる言葉は魔法のようだ。
こくりと頷くと、彼は秘部へ指を滑らせた。
「ちょっと痛いかもしれない」
そう前置きをして、蜜口に指が押し込まれていく。
「っ……つ、あ……あっ」
強い痛みと異物感に息が詰まった。きつく閉ざされていた花口がこじ開けられていく。
「んっ……ふ、あ……っく……」
瞼や頬にキスを落としながら、彼の腕が私の身体を抱きしめてくれる。でも、もう片方の手は隘路を開き続けていて、頭が混乱してくる。
「きついな。もう一本入れて大丈夫か?」
さらに開かれるという事実に、さすがに背筋が冷えた。
「もっと痛い……?」
「……そうだな」
痛いのは嫌だ。でも、必要なことなのだろうとも思う。そうでなければ、こんなことをしないはずだ。
「洋人くんがやることなら、がんばる……」
「ん……、ありがとう」
こめかみにキスをされたあと、さらに指が増やされた。
「っ、は……、あ……っ」
狭い蜜口がギリギリと悲鳴を上げているようで、ひどく痛い。彼の胸元に縋ると、あやすように優しく頭を撫でてくれた。
二本の指を収めると、ゆっくりと内側をかき回される。ときどき敏感な場所を掠められるのか、身体がビクッと大きく反応をして、やがてヌチュヌチュと淫猥な水音を立て始めた。
(――つづきは本編で!)