「泣きたければ、胸を貸してやる。寂しければ、傍で寄り添ってやる」
あらすじ
「泣きたければ、胸を貸してやる。寂しければ、傍で寄り添ってやる」
城でメイドの仕事をしているミアは、幼馴染の騎士ニスティと恋人同士だった。ところがニスティの浮気が発覚し、ミアはあえなく失恋してしまう。
傷心のミアを不器用な言葉で慰めてくれたのは、強面でぶっきらぼうの騎士団長ライアン。だがミアの心の傷が癒えてきた頃、今度はライアンにお見合いの話が上がってきて……。
作品情報
作:柴田花蓮
絵:唯奈
デザイン:RIRI Design Works
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(一)
「あら珍しい。今日はもう上がり?」
「ええ、ちょっと。今日は特別な日なの」
「ふーん。仕事熱心なミアも仕事を早上がりするし、何だか今日は奇妙な日だわ。新人も急に用事があるとか言って帰っちゃったし、あの団長さんが商人から花なんて買うのも見ちゃったし……」
「団長さん、て、騎士団長? え? あの人、花なんて買ってどうするのかしら」
「でしょ!? これ明日、大雨かもしれないわよ。それより、随分と楽しそうね、ミア。急ぐなら、早く行きなさいよ」
「ありがとう、サーシャ」
中央大陸の中心部にある、緑豊かな広大な領地を誇るブーラン王国。その王城である、ブーラン城で第三皇女・エカテリーナの侍女として働いているミア=トリスティにとって、これから控えていることは何を置いても優先するべき予定だった。
帰り際に同じく侍女のサーシャ=エメルンに声をかけられるも、すぐに別れて待ち合わせ場所へと急ぐ。
サーシャは話し好きで有名だった。きっと先程も、本当ならミアに「奇妙な日」の出来事を色々と話したかったのだろうが、さすがにミアが急いでいるのを見て気が引けたのだろう。
ごめんなさい、話は明日、思う存分に聞くから。ミアは心の中でサーシャに手を合わせつつ、足は止めない。
ミアは今日、十八歳の誕生日を迎えるが、このブーラン城では実に十二の頃から働いている。流行の疫病で早くに両親を亡くし叔母夫婦に育てられていたのだが、経済的にそれほど裕福な環境ではない叔母夫婦にいつまでも世話になるわけにはいかないと、自ら城での働き口を探したのが、きっかけだった。
侍女として城で働くことが出来れば、住む場所も食べることにも困らないし、叔母夫婦に経済的にも迷惑をかけずに済む。子供ながらにそうやってずっと気を使って生きてきたミアは、今でもわずかな給金から一部を叔母夫婦にこれまでの礼として送っている。
真面目で責任感の強いミアにとって、同じ年頃のエカテリーナの侍女の仕事は、彼女の人柄も手伝ってとてもやりやすく、そして天職ともいえるものとなった。おかげで働き始めて六年経った今では、エカテリーナの信頼も厚く、侍女達のとりまとめ役や、新人の指導役も任されるようになっていた。
そんなミアには今、付き合っている男性がいる。幼馴染で、ミアと同じくこの城で働いているニスティ=フォルストスだ。
ただ働いているとはいっても、ニスティが所属しているのは騎士団。彼はこのブーラン城や国を守るための王国騎士団に所属している。
ブーラン王国の王国騎士団は、勇猛果敢な騎士団長を筆頭に武芸に秀でた面々が顔を揃えていることで隣国でも有名で、そこに所属できることだけでもかなりの栄誉だった。
ニスティも幼い頃から騎士団に入るのを夢見て鍛錬をしていた。ミアはそれを知っていたので、ニスティが正式に騎士団に入団した時は、心から喜んだのだった。
侍女と騎士とでは働き方は違っても、国の為に働いていることは変わらない。
二人はお互い励ましあい寄り添いながら仕事をし、いつの間にか付き合うようになり――現在に至るのである。
ミアは、美しいトルコブルーの瞳と豊かで美しい甘栗色の長い髪がトレードマークで、一見スレンダーな外見をしているもの、実は着やせするタイプであり、実際はとても女性的な柔らかく且つメリハリのある女性的な体型をしている。瞳も髪もそして顔立ちも、しっかりみればミアは間違いなく美人ではあるのだが、それなりに男性の目を引くものの、責任感が強く真っ直ぐで、真面目過ぎるほど真面目な性格のせいか、同じ年頃の男性には「近寄りがたい」と思われることも多かった。当然そんな性格では男性に甘えることが苦手で、恋人のニスティにもそれは同じだった。それでもニスティはそんなミアのことを理解してくれていて、いつでも「ミアはミアらしくしていればいいよ」と言ってくれていた。
ニスティはミアとは違い、明るく、フランクに誰とでも接することが出来る人だった。実際、ミアが面倒を見ている新人の侍女達にも人気がある。
騎士団の面々にも毅然とした態度で接するミアにとって、ニスティのその人心掌握術は尊敬に値していた。それゆえ、自分にはない一面をもつそんなニスティを尊敬もしていたし、心から信頼もしていた。
そんなニスティとは、最近ミアの勤務シフトが合わないのもあり、中々話も出来なかったのだが、今日はミアの誕生日――ニスティはそんな日に、「仕事が終わったら会えないか」とわざわざ人づてに手紙までくれたのだ。
付き合い始めて一年近く、そして出会ってからは十年以上。
お互い仕事も慣れてきて、それなりに評価もされてきていた。
と、言うことは――。ミアの中で、いやでもそんな期待が膨らんでいく。
昔から、「結婚したら子どもは何人欲しい」「家族皆でこんな家に住みたい」そんな妄想話をしては、笑い合っていたミアとニスティだ。
それにニスティは、ミアが早くに両親を亡くし、自分の「家族」を持つことに強い希望があることも知っている。
そんなニスティが、わざわざミアの誕生日の日に改まって呼び出しをしてきたのだ。期待しない方が難しい。
このブーラン王国では、独身の侍女や騎士等城で勤務する者は、敷地内の決められた区域で居住することが許されている。そして結婚をすると、その敷地内で屋敷を構えることが許されているのだ。ただしそれは騎士だけであり、侍女は異なる。男は外で働き、女は家を守るもの――ブーラン王国でも結婚や家庭についてはそのような考え方が一般的とされているので、昼・夜のシフトでエカテリーナを支える仕事をする侍女では、家庭を持った女性だと中々難しいと考えられている為だ。それ故、結婚をした侍女は職を辞するか、もしくは事情が分かっている騎士と結婚して、敷地内に構えた屋敷から、城へ通い今まで通りに働くかを選ぶのが殆どだった。
――ニスティと結婚したら、私も新しい屋敷からここに通うことになるのね。
ミアはニスティとの待ち合わせに向かう足を止め、ふっと空を仰ぐ。
ミアのいる城の中庭は、頑丈な城壁にぐるりと囲まれている。場所的に、この城壁の向こう側が、家庭を持つ騎士たちが居住を許されている区域だ。
一度だけ、用事でその区域に住む騎士に届け物を頼まれたことがあるのだが、いくつもの屋敷が通りに面して並び、子供たちが楽しそうに遊んでいたのを見た。
夫が同じ騎士団に所属しているだけあり、妻同士も仲が良いのだろう。妻達は遊ぶ子供たちの傍らで話し込むのに夢中の様だった。
それは、ミアが幼い頃から憬れていた風景そのものだった。
そんな憧れの風景に、もうすぐ自分も加わることが出来る。そう思うだけで、ミアの心は弾んだ。
「……あのね、私、きっと今日、ニスティにプロポーズされるのよ」
ミアは中庭の隅にひっそりと咲いているジニアの花の側にしゃがみ込む。
このスペースは、ミアがきちんと許可を取って花を育てている、小さな花壇だ。仕事が上手くいかなかった時、逆に嬉しいことがあった時、ミアは幾度となくこの場所に報告に来ては、力をもらっていた。
片腕一本ほどの広さではあるけれど、ミアにとっては大切な場所だった。
性格的に他人に上手く甘えることが出来ず、弱音を吐くことも出来ないミアにとっては、ニスティ以外に自分をさらけ出せる唯一の場所でもあった。そんな花壇では、今日はジニアの花がいくつも綺麗に花を咲かせていた。
「ジニアが綺麗。ジニアの花言葉って、なんだっけ……まあ、いいか。今日はそれどころじゃないものね」
ミアはいつものように花に水をたっぷりとやると、「じゃあ、行ってくるね!」と、そこから離れたのだった。そして、胸を弾ませたままニスティとの待ち合わせ場所に着くと、そこにはすでにニスティが。ただニスティは一人ではなく――
「あれは……ユニ?」
何故かニスティは、先々月に侍女として城に勤め始めたミアの後輩・ユニと一緒だった。
たまたま待ち合わせしているニスティを見かけたから、寄ってきて話をしているのだろうか? こちらはこれから、大切な話をするというのに。雰囲気を察して早くどこかに行ってくれないかしら――ミアはそんな事を思いながらも、「ニスティ」と彼に声をかける。
「やあ、ミア」
ニスティはミアに気づき笑顔で手を上げるも、なぜかその横で、ユニも軽く会釈をする。
ユニは元々城下の商人の娘で、侍女として城にやってきたのも「花嫁修業の一環」らしいと囁かれているような娘だった。
侍女として働いているものの、侍女仲間からその仕事ぶりは不評で、サーシャに言わせれば「手を抜くことに関しては城一」だそうだ。ミアもユニには新人教育を行っているが、ミアの前では必死に仕事をしている体を装うため、本性が分かっていても、指導には色々と苦労していた。おまけに、ユニは損得を計算するのが上手いというか、自分にとって利益のある相手に対しての対応は完璧だった。当然、主人のエカテリーナの前では仕事熱心な体を装うので、その点では非常に質が悪かった。
しかしそう言った上辺だけの忠義心をエカテリーナが見過ごすはずもない。時折エカテリーナが笑顔でも目が笑っていない時があることを、ユニは気付いているのかいないのか、周りの侍女たちは肝が冷える時もあった。そう言うこともあり、もしかしたらこんな調子では、いずれエカテリーナに無礼を働いてしまうこともあるかもしれない。それでは困ると考えたミア達は、ユニにはエカテリーナの傍ではなく、侍女達のもう一つの仕事でもある、騎士団員の洗濯や食事の準備等の仕事に回ってもらってもらうことにしたのだった。
騎士団には独身も多い。それゆえ、ユニは配置転換を言い渡された直後からご機嫌で、今では張り切って仕事をしているようだ。騎士団側にも、ユニのように若く、華やかでどこか調子の良い性格の娘が評判なのか、若い騎士たちの士気が上がったという話も耳に入ってきた。とはいえ、それでも一部からは、そんなユニの仕事ぶりに不満の声も上がっているらしいのだが。
――そんなユニが、ニスティとの待ち合わせ場所にいる。
騎士団に近い仕事をしているからきっとニスティとも顔見知りだろうし、二人の性格上話もあうのだろう。だから彼を見かけたから、たまたま一緒に――ミアはそう安易に考えていた。が、
「ニスティ、話って? ごめん、ユニ。私たちこれから大事な話があるの」
ミアがユニにそう声をかけると、
「いいんだ、ミア。ユニにも関わることだから」
何故かそんなミアをニスティが宥めた。
――ユニにも関わること?
ニスティのその言葉が、ミアの胸に酷くつっかかった。
わざわざミアの誕生日に「大切な話がある」と呼び出して、それがなぜ、ユニが関わるの? ミアはニスティを見つめる。するとニスティはなぜかユニと目配せをし、頷きあった後に話を切り出した。
「ミア。実は俺……いや、俺とユニは、付き合い始めたんだ」
「え? 付き合……い? ご、ごめんニスティ。私、何を言っているのかよく……」
全く予想していない言葉だった。それ以上に、きっと聞き間違えたのだろうと、無理に頭が働く。
おかしな話だった。だって、ミアとニスティはもう一年以上も付き合っている。今まで何の問題もない。
侍女仲間や騎士団の中にも、ミアとニスティが付き合っていることを知っている人たちはいるし、いわば公認の仲だった。
それなのに、なぜそこにユニが関わってくる?
正式に付き合っている相手がいるのに、なぜ別の相手と「付き合い始めた」なんて言い出すのだろう。だいたいこっちはまだ、終わっていない。それなのに、何? ニスティ達は何を言ってるんだろう――当然ミアは混乱してニスティに聞き返すも、
「ニスティは私と付き合うことにしたって事です。ミアさんは、ニスティに振られたんですよ」
何故かニスティではなく、ユニがミアの問いに答えた。更に、
「ミアさんには申し訳ないですけど、私たち実はもう一月くらいこういう関係なんです」
ユニはそういって、「ね?」とニスティの腕に絡み付く。
上目づかいの潤んだ瞳でユニに見つめられたニスティの表情が、明らかに緩んだのをミアは見逃さなかった。
「……ニスティ、どういうこと」
ミアはそんなニスティに真相を問う。自分でも分かるくらい、声が震えていた。
一月、というと、ユニが騎士団に関する仕事を任されるようになった頃だ。そして、ミアとニスティの勤務時間が合わなくなった頃だ。
そんな、たった一月前から距離が近くなった相手を自分よりも選ぶのか。ユニだって、ミアとニスティが付き合っていることを知っていたのに。
今日だって昼間、
「ミアさんて、すらっとしていて髪も長くて綺麗ですよね」
「そう?」
「彼氏さんだって、そんな綺麗な女性が横に居たら自慢ですよお。私なんて背も小さいし、子供っぽいし……」
「いいんじゃない? 男の人からすれば、そういう女の子が好きだという人も多いでしょう?」
「そうかもしれないですけど……ああ、でも彼氏にそう言われるなら嬉しいかも、自信ついちゃいますねえ。お前の方が良いって言われたら」
――そんな会話をしたばかりだった。
あの時は全く深く心に留めなかったけれど――今思うと、ユニの腹黒さに身震いがするミアだ。いやそれよりも――
「……ニスティ」
――こんな話を、どうしてミアの誕生日にわざわざ。
ああ、もしかしたらニスティの頭の中にはもうミアのことはなくて、今日がミアの誕生日だなんて忘れてしまっているということなのか。
そう思ったら、耳鳴りがするくらい、胸が鼓動していた。
それでもミアはニスティの、それらを全て否定してくれる言葉を期待した。が、
「ユニと出会って、俺、今まで感じたことがない気持ちを感じたんだ。それにユニは、俺をすごく頼ってくれて、甘えてくれて……ユニには俺がいないとダメなんだよ」
「そっ……わ、私だってニスティが……!」
「ミアは、俺が居なくても平気だろ? しっかりしてるし。でもユニはだめなんだ。ごめんな、ミア。でも俺達、別に結婚の約束をしていた訳でもないし、縁がなかったんだよ」
ニスティは、ミアに対し微塵も申し訳なさを感じていないような口調でそういうと、横で自分に寄り添うユニの肩を抱く。そして、
「まあそういうことだから。あ、でもこういうことになったからって、ユニに対してきつく当たったりしないでくれよ? もちろん、ミアがそういうことをしないっていうの分かっているけど」
「ミアさん、すみません。そういうことなので……」
二人はミアにそう言って頭を軽く下げると、仲良く寄り添いながら去って行った。
「……」
一人その場に残されたミアは呆然として立ち尽くすも、しばらくして地面にへたり込んでしまう。
すぐには、頭の中が整理出来なかった。しかし時間が経つにつれて冷静に自分の身に起こったことを理解することが出来るようになり――ポツリ、ポツリと涙が頬を伝い始める。
――誕生日に呼び出されたから、きっとプロポーズされるのだろう。そんな事を浅はかにも考えた自分が腹立たしく、そして恥ずかしくてたまらなかった。だって、プロポーズどころか、後輩と浮気されて振られてしまったのだから。
十数年来の付き合いで一年以上付き合っているミアよりも、たった一月の付き合いのユニを選んだニスティ。
『ミアは、俺が居なくても平気だろ? しっかりしてるし。でもユニはだめなんだ』
しかも、ミアにとって一番堪える言葉を残して。
そりゃあ確かに、ミアはしっかりしている。真面目で責任感も強い。甘えるのだって下手だし、ユニのように騎士団の面々に愛されているわけではない。むしろ恐れられている。
だからといって――ニスティが居なくて平気だなんて、それは違う。
確かにユニのように愛らしい表現は出来ないかもしれないけれど、ミアはミアなりの表現でニスティを求めていたし、彼を必要としていた。
ミアのそういうところをニスティは分かってくれている。そう信じていたからこそ、今日の呼び出しも前向きなものだと信じて疑わなかったのに――
「……」
それなのにニスティは、きっと今日がミアの誕生日だということすら忘れていた。
それだけニスティはもう、ユニに夢中になっているのだと――ミアは思い知らされた気がした。
ミアはふらふらと立ち上がり、気づけば中庭の、例のジニアの花が咲く花壇へとやって来ていた。
「……思い出した、ジニアの花言葉」
涙で頬を濡らしながら花に触れていたミアはふと、先程思い出すことが出来なかったジニアの花言葉を思い出す。
ジニアには幾つか花言葉があって、「不在の友を思う」「幸福」などもあるのだけれど、
『注意を怠るな』
そういう意味もあった。今のミアにはピッタリの言葉なのかもしれない。
騎士団の面々に厳しいのも、しっかりと仕事をこなすのも、真面目な性格ゆえ。
そしてそれに加えて幼い頃からの複雑な家庭環境ゆえ、人に甘える、ということが苦手。
そういった「変えられない」部分を全てユニと比較されても――辛い。
きっとニスティなら分かってくれている。そう信じていた。しかしそう思っていたのはミアだけだった。
「……もう、やだ」
ジニアの花に、涙の粒がボツ、ボツと落ちていく。
心の奥底でミアを支えていた「何か」が、一気に崩れてしまった気がした。
だいたい、これからどんな顔をしてニスティやユニと接すればよいのだろう。騎士団のニスティはともかく、ユニはミアが指導している侍女の後輩だ。
明日も普通に顔を合わせるし、どんな顔をして会えというのか。
ミアだって、どんなに責任感が強くて真面目でしっかりしているとはいえ、中身はただの十八歳の少女。全てを気にせず、これまで通りに出来る自信などない。
病気でもないから急に休むわけにもいかないし、かといって普通に働けるかと言われればそんなのは分からない。ミアには、どこにも行く場所がない。逃げる場所などないのだ。
「……」
ミアはジニアの花をじっと見つめながら、ただただガックリと肩を落としてその場に座り込んでいた。
――と、その時だった。
座り込んでいるミアの背後に、ふっと気配を感じた。
ミアの影を覆うような大きな影。男性だろうか。
もしかして、ニスティが!
先程のことをやはり撤回したいとニスティが追いかけてきた――ミアはそんな淡い期待を抱いてパッと振り返ったが、
「っ……」
そこに立っていた人物に驚き、思わず口を噤む。そんなミアの反応に相手も恐縮したのか、
「お、驚かせてすまない……」
と謝罪を口にする。
「あ、いえ……まさか団長がそこにいらっしゃるとは思わなかったので……」
ミアは慌てて涙を手の甲で拭い、さっと立ち上がる。
そこにいたのは、ブーラン王国一の勇猛果敢な騎士と評判の、現在王国騎士団長を務めているライアン=リーヴァだった。
ライアンは、若干二十四歳にして王国騎士団の団長を任された男だ。その実力はもちろんのこと、彼には、数々の逸話があることでも有名だった。
まだ彼が副団長だった時代、隣国との領地争いで出陣した際、たった一人で敵軍の一兵隊数十名を倒したとか。団長になった後も、同盟国の応援で出陣した際に、何百もの敵兵を一人でなぎ倒し、敵大将を信じられない速さで捕まえ、降伏させたとか。そのあまりの働きぶりに、同盟国の騎士団から誘いが来ているとか。その他、巨大な熊と戦って勝ったとか、大イノシシと対峙したら向こうが怯えて逃げたとか。とにかくそういった逸話には事欠かない人だった。
まだ二十四という若さで団長を務めるだけあり、ニスティ達一般の騎士に比べて、荘厳かつ威圧的な重々しい雰囲気を常に醸し出していることも勿論だが、それに加えてライアンは表情も硬く、いつも険しい表情をしている。短く切りそろえた光り輝く銀髪、吸い込まれるような美しいチャコールグレーの瞳、実は端正な顔立ちも、芸術的に鍛え上げられた逞しい体躯という、恵まれた容姿。人が羨むものを数多く持っているのにも関わらず、それを全く活かせていないと、侍女達の間ではそういう意味でも名な人だった。
ミアも、そんなライアンとは仕事以外では殆ど会話をした記憶はない。ライアンの姿は、だいたい厳しい鍛練中の姿を見ることが殆どなので、彼にはそういうイメージしかない。以前にニスティが「団長は、面倒見はいいんだけど厳しくて口煩い」とぼやいていたことがあったものの、中々それが想像できなくて――結局その時も、ライアンの事はよくわからずじまいだったのだ。
「……」
今だって、ミアと向き合っているライアンは、相変わらず硬く険しい表情をしている。寧ろ、睨みつけられているような印象さえある。ただ、ライアンは手を後ろに組んでいるものの、その手には――花のようなものが見えていた。
「……あの?」
そういえば先程サーシャが、ライアンが花を買っているところを見たと話していたのを思い出した。
屈強で勇猛なライアンが花を買う姿がどうしても想像出来ない、とサーシャから聞いていたミアだったが、今ライアンが後ろ手に持っているのは、その購入した花なのだろうか?
花を買ったから、まさかわざわざここに植えて欲しいとか――ミアはライアンの様子を緊張しながら伺う。が、そんなミアに対し、ライアンが次に口にした言葉は意外なものだった。
「……何か、あったのか」
「え?」
「……泣いていたようだが」
「っ……別にこれは……」
あのライアンに妙な気を遣わせてしまうなんて、いけない。
ミアは慌てて、未だ鈍く涙で光る頬を服の袖で擦る。そして話題を変えようとするも、
「それより団長はここで何を? 今日はもう終わりですか?」
「あ、ああ、まあ」
「……」
「……」
元々無口な上、大して話したこともないライアンと滑らかに会話が出来るはずもなかった。二人はすぐに沈黙してしまい、重苦しい時間が流れる。
「……あの、私これで失礼します」
それに、今のミアにはライアンとの共通の話題を見つけて会話をするほど、心の余裕はなかった。なので早々に頭を下げ、その場から立ち去ろうとするも、
「待て!」
急にライアンが大声でミアを呼び止めた。その声の大きさに、ミアは「きゃ!」と小さな悲鳴をあげながら、ビクンと身を竦める。
――私、何か、失礼なことでもしてしまったの? ああ、もうよく分からない人。
ミアは不安げに胸の前で手を握り、叫んだライアンの顔を見つめる。
ライアンの表情は相変わらず険しいものだったものの、そんな彼は不意に――ミアに先程から後ろ手に持っていた花を差し出した。
それは珍しい、白いジャノメエリカの花だった。それも、一本。
「……あ、あの?」
白いジャノメエリカは珍しく、人気がある。もしかしたらライアンも、そういうことを知っていて、商人からこれを購入したのかもしれない。しかし、なぜそれをミアに?
――な、何だろう。花壇に植えろってこと?
花を差し出したきり、それに対してライアンからの説明は何もない。当然、ミアが戸惑っていると、ようやくライアンがボソボソと、ミアが聞き取れない程の小さな声で呟いて、更にその花を差し出す。
鍛錬では耳鳴りするくらい大きな声で団員に檄を飛ばすライアンからは、全く想像が出来ない姿だった。
「あ、あの、聞こえなくて……今、何ておっしゃったんですか?」
とりあえず差し出された花を受け取り、ミアは聞き返す。
するとライアンはそんなミアから顔を背け、何度か咳払いをしながら、
「……お前、今日、誕生日だろう。だからその、それを……」
「えっ……!」
ライアンの言葉に、ミアは驚く。
あのニスティでさえも忘れていたミアの誕生日を、仕事以外の会話をほぼしたことがないライアンが知っていたとは。しかも花まで――。この花は、もしかしてミアへのプレゼントなのだろうか。
「……あの、どうして私の誕生日を?」
「ぐ、偶然耳にした。だからその……たまたま城に来た商人が花を持っていたし、良い機会で、いや、そういう訳では」
ライアンは何故かしどろもどろに説明をし、再び咳払いをする。
「……ありがとうございます……嬉しい」
まさか、あのライアンに花を贈られるとは思っていなかったミアは、初めは戸惑うも、ライアンに素直に礼を述べた。
――他人に誕生日を覚えてもらえていることがこんなに嬉しいなんて。
自分からはそういうことを言って回るタイプではないし、恋人だったニスティにさえすっかり忘れられていたというのに。ユニにはそれを利用されてさらに傷つけられたりもして。だからこそ、今のミアにとって、ライアンのこの行為は何よりも嬉しくて、そして何よりも有難かった。
「……お、おい! 何故泣く! そ、その、不快な思いをさせてしまったのなら……」
「違います……その逆。今日は色々あって、辛くて……だから、私……」
ミアはライアンから貰った花を、ギュッと抱きしめながら目を閉じる。
目からは涙が溢れ、頬へと絶え間なく伝っていた。
「……」
ライアンはそんなミアをしばらく見つめていたが、
「……誰かに話すことで楽になるのなら、話してみろ」
「だ、団長……?」
「俺は気の利いた助言は出来ないが、聞くことだけなら出来る」
ライアンはそういって、ミアを中庭の隅にあるベンチへと誘導し、座らせた。
そして、険しい表情のまま自分もその横にドスンと腰を下ろし、腕を組み足を開く。
到底悩み事を聞くような風体に見えないものの、何だか妙な安心感をライアンからは感じる。
「……」
――意外。でも、これがニスティの言っていた「面倒見の良い」って部分なのかな。
初めて知る、ライアンの一面。強面の表情のせいで、きっと色々と他人に誤解を与えることも多い人なのだろうと勝手に推測する。
そんな無器用で損な一面は、どこか自分と似ている気がした。ミアは少しだけ嬉しくなった。
「……」
ミアは少しだけ躊躇したものの、今日、自分に起こったことをライアンに全て話した。
(――つづきは本編で!)