「まったく、悪い女だな、君は……こんな風に誘ってきて」
あらすじ
「まったく、悪い女だな、君は……こんな風に誘ってきて」
王太子・ユリオスを巡り、次期王妃の座を競い合う乙女ゲーム『レジーナ』の世界、しかもプレイしたことがない裏モードの悪役令嬢に転生した元OLのイレナ。ゲーム上、ユリオスとイレナは仲が悪く不利な状況だが、生家である公爵家の威厳をかけ、オタク知識を活かして最終候補まで勝ち抜いていく。そんな時、彼女はもう一人の候補、女主人公・レイチェルに、とある黒魔術をかけられてしまう。それは……男に発情する色欲の呪い。王妃選びは純潔が必須なのに、イレナは思わずデート中のユリオスを妖艶に誘ってしまい――!?
作品情報
作:江原里奈
絵:春名ソマリ
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本文お試し読み
1.裏モードは波乱の予感
(これが、夢だったらいいのに……)
イレナ・ブリジェントは、心の中で何度もそう思った。
宮中舞踏会に参加するというのに、誰からもパートナーの申し出はなかった。こんなに惨めな王太子妃候補が、他のどの国にいるというのだろう?
朝からどんよりと沈んでいるイレナを、侍女たちは必要以上に飾り立ててくれた。
瞳の色に合うライラック色のドレスは、真っ白なデコルテと深い胸の谷間までの悩ましい稜線を強調し、薔薇を模したレースの花が華やいだ印象を与える。ほっそりとした首元と耳を飾るアクセサリーは揃いのデザインで、紫水晶とダイヤモンドを使ったきらびやかなものだ。
すべてが、二十歳になったばかりの彼女の瑞々しい若さを引き立てていた。どこをとっても、完璧な令嬢であることは、誰もが否定しないだろう。
舞踏会のパートナーの申し出がないからといって、けっして彼女が不細工なわけではない……むしろ、その逆である。
輝く金髪に神秘的な紫の瞳、陶器のように白く艶やかな肌はまるで神話の女神のよう。異性の視線を惹きつける豊かな胸元と、コルセットが必要ないのではないかと思えるほどの細腰は、アデウス王国の貴婦人たちの羨望の的だ。
しかも、見た目の良さだけではない。イレナは王国一の才媛でもあった。
貴族の子弟のために開学した王立アカデミーに、初めて入学し首席で卒業した女性である。そんな彼女を人は『完璧な公女』と呼んだ。
彼女の生家であるブリジェント公爵家は、王族の血筋を引く名門。大公家の子息たちに次ぐ王位継承権を持つイレナは、幼い頃から王宮に出入りしており、国王アレクシス二世から大層可愛がられてきた。
国王には王妃との間に二人、亡くなった側妃との間に三人の王子がいる。その王子たちの誰かとイレナの婚姻を、王室も父であるブリジェント公爵もかねてから望んでいた。
非公式ではあるが、第二王子グスタフとの婚約を打診されたこともある。
その度に、イレナはこう言って断った。
『お父様。私は将来この国の王妃になりたいの。だから、世継ぎの王子と結婚するわ』
特定の相手との縁談をはぐらかし続けるうちに、ついに五人のうち世継ぎが誰になるかが決まった。
それは、第一王子ユリオス――イレナにとって幼馴染ではあるが、五人の中で一番イレナと仲が悪い王子だった!
このアデウス王国では王太子に婚約者がいない場合、王太子妃候補を複数名で競うレジーナという競合試合が行われる。イレナは生来の美貌と知性があり、誇り高い性分ゆえに、レジーナに勝ち抜くことを人生の目標としていた。それゆえ、王太子以外の相手との婚約を拒み続けたという事情がある。
レジーナの候補者を決める手順は、それほどむずかしいものではない。伯爵家以上の家柄の令嬢から候補を募り、三回の試験で二人の最終候補が絞られる、というものだ。
今回の最終候補は、最も優秀な点数を得た首席候補者がブリジェント公爵令嬢イレナ、そして二番目がノドリック侯爵令嬢レイチェルであった。
今夜の宮中舞踏会は、レジーナの最終候補者二人のお披露目をするための舞踏会――しかし、ユリオス王子は首席候補者のイレナにパートナーの申し出をしなかった。おそらく、今夜はレイチェルのエスコート役を買って出たのだろう。
いや、今夜ばかりではなく競合試合が終わるまでずっとかもしれない……。
(仕方がないよね。ユリオス様とは、前々から仲が悪いんだもの)
そう自分を慰めるものの、誰かから嫌われていることを実感するのはつらい。
競合試合の間、ユリオス王子は二人のレジーナ候補に交互にパートナーを申し出ることになる。それゆえ、もう一方の候補生のパートナーは、王太子以外の王子や高位貴族の令息が務めることになる。
しかし、他の王子たちは他国に留学中だったり軍人として遠方に駐留していたりで、王宮にいるのは第二王子グスタフのみ。
ところが、悲しいことにイレナはグスタフとも折り合いが悪かった。婚約の打診を断り続けたから当然のこととはいえ、今回ばかりは自分の過去の所業が骨身に沁みる。
そのため、グスタフからも他の貴族令息たちからのパートナーの申し出もなかったのだろう。
誰からの誘いもない場合、最終手段として自らの護衛騎士がエスコートを務めることになる。
「……申し訳ないわね、ヘリオ」
泣きそうな表情をしたイレナを見て、護衛騎士であるヘリオ・ランデルは痛ましそうな表情をした。
「いえ、むしろ俺はうれしいですよ。美しく着飾った公女様をエスコートさせていただけるのが」
「そう言ってくれるのは、あなただけだわ」
藁にも縋る思いとは、まさにこのことだ。
今や公爵家の私設騎士団であるブリジェント騎士団の副隊長の職位に就くヘリオだが、もとは戦争奴隷の出身である。少年時代、街で親方に鞭打たれているのを見かねたイレナが彼を助け、そのまま公爵家に引き取ることになった。
それゆえイレナへの忠誠は、騎士団の中で最も篤い。剣の腕も確かであり、一昨年の王都の試合で優勝し、褒章として準男爵位を得ている。
華々しい経歴に加えて、漆黒の髪にブルーの瞳、浅黒い肌を持つ近衛兵に勝るとも劣らない美丈夫であり、イレナが入宮する際の護衛騎士の一人として随伴することになった。
「さあ、参りましょう」
差し出された腕に手を絡ませ、イレナは緊張した面持ちで舞踏会会場の入口に立った。
「ブリジェント公爵令嬢イレナ様、ヘリオ・ランデル卿のご入場です」
きらびやかなシャンデリアに照らされた会場内に入り、曲線を描く白亜の階段を降りていくと、劣勢の王太子妃候補に好奇と憐みのこもった視線が集まってくる。
底意地の悪い視線の筆頭は、ライバルであるレイチェル・ノドリック――彼女はプラチナブロンドに薄緑の瞳、抜けるように白い肌を持つ可憐な令嬢だ。
いかにも名門貴族の令嬢らしく、ほのかな気品とおっとりとした柔らかな雰囲気があるため、王都の貴公子たちは彼女を『春の妖精』だと褒めそやす。実際の顔の造作は平均的なのに、男性からの評価が異常に高いのだ。
そうした自分のチャームポイントを引き立てる淡いピンク色のドレスを着る彼女は、王太子妃候補のライバルを余裕のある風情で見つめている。
『どう? ユリオス様は私のものよ!』
勝ち誇った彼女の心の声が、ここまで聞こえてきそうだ。
腹立たしさに唇を噛みしめていると、レイチェルの横にいるユリオス王子と目が合った。
(……腹立たしいと言えば、彼のほう。私と話をしようともしないもの)
イレナのきらめく紫色の瞳が吊り上がり、長身のユリオス王子の美貌を冷ややかに見つめる。
しかし、悔しいことに、この場で誰よりも輝きを放っている男性は彼だった。
レッドブラウンの髪は、アデウス王国の国王アレクシス二世と同色で正統なる血統の証。王妃ヘンリエッタから受け継いだ琥珀色の瞳は表情豊かだが、時に猛禽類を思わせる冷酷さを見せる。
武勇と智略にかけては五人の王子の中で一番だと言われている。その証拠に、長らく続いたモニーク帝国との戦争で勝利したのは、ユリオス王子の戦略があってのことだと言われている。アデウス王国の領土拡大と戦乱地域の平和をもたらした英雄として、半年前の凱旋の式典で王太子の地位を得ることになった。
少年らしさが残っていたアカデミー時代に比べて凱旋してからは各段に成長し、男らしさにも磨きがかかった彼を狙う令嬢は、レイチェルだけではない。身分と外見の美しさを兼ね備えた王子を魅力的に感じるのは、結婚相手を求める未婚の令嬢としてはごく自然のことだろう。
そう――イレナも、美しく勇敢なユリオスのことが好きだ。しかし、それは自分がもしレイチェルの立場だったら、という条件つきの感情である。
(どうせ、この世界はまがい物……ゲームの世界だから、必要以上に傷つかなくていいのよ)
少々不貞腐れた気分で、イレナはそう自分の心を慰めてみる。
――イレナは、この気持ちが悪い世界のヒロインではない。レジーナの競合試合が始まる二ケ月前に突如として転生してきた、いわば部外者なのである。
記憶が正しければ、『かつての自分』は日本という国に生まれ育った『田村梅子』という名の、どこにでもいるようなアラサー女子だった。
(ま……まさか、これって転生……?)
梅子がこの世界で目を覚ましたとき、愕然としたものだ。
転生なんてファンタジー小説の中だけの出来事だと思っていたのに、そんな荒唐無稽なことが自分の身にも起こるなんて驚くに決まっている。
しかも、転生した先は、一日の終わりのご褒美タイムにプレイしていた乙女ゲーム『レジーナ』の中!
(こんな偶然、ある? おかしいでしょう!?)
自分が転生した世界を見て、何度も梅子はそう思ったものだ。
そもそも、彼女が『レジーナ』にハマったのは、架空の世界の恋愛ファンタジーだからだ。プレイしている間だけは、つらい現実から逃げられるから。
このゲームの萌えポイント……それは、ヨーロッパ中世世界の王太子妃争奪戦という現実離れした世界観と、タイプが異なるイケメン王子の中から男主人公を選べること、そして、協力者である騎士や魔術師などもイケメン揃いで、彼らのことも攻略することができて、多彩なエンディングを見られるというところである。
何より、このゲームには同じキャラを百回攻略すると、そのキャラの裏モードを選択できるという特典がある。無論、乙女ゲームの裏モードだからそれなりに濃厚な描写も見られるはず!
社畜だった梅子は、趣味においても生真面目すぎて自分を追い込み過ぎた。繁忙期の連日の徹夜と乙女ゲームの攻略に精を出し過ぎた結果……。
(あー、裏モードやらせてぇー……!!)
そう心の中で叫びつつ、彼女はゲームのコントローラーを手にしながら意識を失った。
そして、気がついたら彼女はもはや田村梅子ではなくなっていた。なぜか、『レジーナ』の悪役令嬢イレナに転生していたのである!
(――つづきのお試し読みは各ストア様をご覧ください!)