「こんな世界、滅んだって構わない。滅ぼさないのはお前がいるから――」
あらすじ
「こんな世界、滅んだって構わない。滅ぼさないのはお前がいるから――」
持参金が望めない貧乏伯爵家の末娘・リサは幼い頃から王宮で侍女として仕えてきた。主は強大な魔力から周囲に恐れられ、隔離された第一王子・オルラース。最初こそ怖れていたものの、向き合ううちに胸に宿ったのは切ない恋心だった。そんな中、オルラースが戦に赴き行方不明に。誰もが「死んだ」と諦めても、リサだけは帰還を信じ続けた。生きているという確信が揺らぎ、幾夜も赤く揺れるあの瞳に胸を焦がしてきた。そんなある日、痩せこけ、傷つき果てたオルラースが帰ってくる。その身に宿したのは、この世を滅ぼせるという最強の魔力。喜びもつかの間、彼が口にしたのは衝撃の言葉だった。「お前は俺の妃になる意志はあるか?」「……えっ?」「世界平和と引き換えならどうだ」確かに世の安寧は大切だ。でも、どうしてそれが結婚に?運命に翻弄された二人の未来はいかに。
作品情報
作:逢矢沙希
絵:木ノ下きの
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7/4(金)ピッコマ様にて先行配信開始!(一部ストア様にて予約受付中!)
本文お試し読み
序章
『どうぞご無事でお帰りください。私はここで、オルラース様の一日でも早いお帰りをお待ちしております』
そう言って微笑んだ彼女の姿は、たとえ侍女のお仕着せに身を包んだ地味な姿であっても、どんな淑女より美しく見えた。
必ず生きて戻ろう。たとえどんな手段を取ったとしても。
そして彼女の許へと戻り再会が叶ったその時こそ告げるのだ。
どうか自分の妃になってほしい、と。
それなのに……その再会は未だ果たされていない。
ギャアアアア!
まるで女がくびり殺されるかのような悲鳴が薄暗い木々の合間に響く。
断末魔の声を聞きながら見上げた空は、この一年と数ヶ月の間、一度も晴れ間を見せたことのない重たい灰色の曇天が覆い、周囲の至るところに容易に目視できるほどの濃さを持つ不気味な紫色を纏った霧が漂っていた。
瘴気だ。
長く吸い込めばやがて身体の内側から生き物の身体を作り替えてしまうような瘴気の中、青年は先ほど己が命を刈り取った異形の獣の首を、手を振るだけで切り落とす。
そして霧と同じく毒々しい紫色の血液をまき散らすその獣を、青年は無感動な眼差しで見下ろした。
美しい青年だった。
この世のものとは思えないほど鋭く研ぎ澄まされたその美貌は、まるで彼こそが人外の存在かと疑いたくなるほどだ。
随分長い間この森で過ごしているのだろうか、その身なりは薄汚れている。
しかし無気力な雰囲気とは裏腹に、白銀の長い髪も、長い睫に彩られ爛々と輝く真っ赤な血のような瞳も、無駄な贅肉など付く余地もないほど鍛えられたしなやかな体格も、どれをとっても極上品。
身綺麗にして身なりを整えれば、十人中九人は振り返り、その大半が青年の持つ独特の冷ややかさと冷徹な雰囲気に恐れおののきながらも目を奪われてしまうに違いない。
しかし、ただ見惚れるだけではない。
どこか身体の芯から震えが起こるような恐ろしさと、人を容易く側に寄せ付けない雰囲気を感じ取り、踏みとどまらせることだろう。
それは人だけでなく、魔性の生き物であっても例外ではない。
生きているものを見れば牙を剥き、それが人間ともなれば楽に仕留められる獲物としか見ていない、この『ねじれの森』に住まう災害級の魔物たちも同じこと。
この青年が決して自分たちの餌になる存在ではなく、それどころか、自身の方が彼に食われる食糧となり得る。
そう理解しているかのように、同族が青年に狩られていく様を遠巻きに見つめている……息を潜めて。
大陸最大の魔物が多数住まうと言われるこの森において、もうこの青年と遭遇して無事でいられる魔物はいない。
人里に降りれば災害級の被害を与えると恐れられている竜種ですら、この青年にもう何頭狩られたことだろうか。
鍛えられてはいるが屈強な騎士や戦士とはまるで違う細身のこの青年に、とてもそのような真似ができるようには見えない。
しかし彼の最大の武器は剣や拳ではなく、己の持つ膨大な魔力だ。
元々大きな魔力の持ち主だったが、この『ねじれの森』で、食うか食われるかの過酷な環境に強制され、多くの魔物を倒し、その肉を喰らう中で人類という枠を越えた魔力を覚醒させた。
その気になれば世界を滅ぼすことさえ可能なほどの魔力を手にした青年は、行く手を遮る魔物を倒してようやく森の終わりへと辿り着き、人里へと向かう道を見つけることができた。
殆ど感情というものを感じられなかったその青年の顔に、僅かに安堵した表情が浮かんだのはそのときだ。
ほう、と深い息を吐き出して、懐から小さなガラスの破片を取り出す。
今はもう割れてしまい何の価値もないが、元は指先ほどの丸いガラス玉だった。
そこに込められていたのは、微弱な治癒魔法だ。
「……リサ」
小さく呟くその声は、長らく誰かと話すこともなかったせいで、随分とひび割れて聞こえた。
しかし、呟く声に乗せた感情はとてつもなく深い。
気休め程度だけれどお守りになれば、と彼女自らが作ってくれたもの。
割れてしまったあとも、何度も指先で撫でていたせいか、すっかり断面の角が取れて、滑らかな手触りが伝わってくる。
結局、彼女の許を離れてから、もう二年もの月日が流れてしまった。
戦場に出て三か月、罠に嵌められ裏切りに遭い敵国の捕虜となって半年、そして頭のいかれた女に魔力を封じられ、この森に放り込まれてからは一年と数ヶ月。
その間、青年の胸のうちにもっとも強く存在していたのは、とにかく彼女の元へ帰りたい。その顔を見たい、声を聞きたい、そして柔らかな身体を抱きしめて眠りにつきたいという想いだけだ。
必ず帰ると約束してから、随分と時間が過ぎてしまった。
彼女はまだ待っていてくれているだろうか。
それとも、もう自分は死んだものと諦めて、誰かの許へ嫁いでいるだろうか。
待っている、と告げてくれた彼女の言葉を疑うわけではないけれど、人とは移り変わる環境や状況に流されるものだということは、嫌というほど知っている。
たとえもう彼女が自分の帰りを待っていなかったとしても、責めることはできない。
けれど……できることなら、待っていて欲しい。
幼い頃から変わらない笑顔で受け入れて欲しい。
そして……今度こそ、何度伝えようとしてもできなかった想いを伝えたい。
「……リサ……」
もう一度その名を呼びながら、ガラス玉の破片に口付ける。
先ほどよりも少しだけ滑らかに動いた舌は、その名を味わうように紡ぎ、そして噛みしめながら息を呑んだ。
手にしていた破片を再び懐に大切そうにしまい込み、それから青年は歩き出した。
望んだものを手に入れるため、そしてその先へと続く未来を生きるために。
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