「……怖がらないで。もっと気持ちよくしてあげるから」
あらすじ
「……怖がらないで。もっと気持ちよくしてあげるから」
旧家に生まれながらも、とある事情で「引っ込み思案の行き遅れ令嬢」と呼ばれる初花は、家業を救うため新進気鋭のイケメン社長・智矢と政略結婚をすることに。しかし、新婚となるなり彼の態度は冷たく変わり、初夜においても「先に眠っていいから」と言い放たれる。お見合い時の優しい笑顔はどこへ?と疑問に思う初花だったが、幸せな恋愛経験もない彼女は、妻として役目を果たそうと奮闘する……が、そこには彼の思惑が隠されていて!?「それじゃあ子作りをはじめようか、お嫁さま」不本意なお嫁入り、形だけの結婚のはずが、年下の冷酷旦那様は愛する妻に噛みつくようなキスをして、彼女を寝室へとさらっていく――。
作品情報
作:ささゆき細雪
絵:青日晴
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本文お試し読み
prologue
総勢二百人はいただろうか。地方都市の結婚式場で催される披露宴の規模としては大きな方だったと初花《ういか》は思う。
参列者のほとんどは、新婦の父の会社関係者と実業家である新郎の取引先の人間。本日の主役であるはずの初花は、もうひとりの主役である智矢《ともや》の隣で彫像のように固くなっていた。
周りからは不審に思われただろうが、智矢が「我がお嫁さまは緊張しているのですよ」と満面の笑みで伝えてくれていたから、それほど不自然には思われなかったはずだ。
だが、隣を歩く彼はいま、無言で初花の手を強く握っている。まるで花嫁が逃げ出さないよう警戒しているかのように。
「あの、八賀《はが》さ」
「智矢」
もう結婚式は挙げたのだから貴女も八賀になったのだ、と苦々しい表情で智矢は告げる。
「ご、ごめんなさい」
「謝る必要もない。智矢でいい」
「智矢、さん」
先ほどまで榛色の瞳を煌めかせて「初花は俺のお嫁さまになったんですよ」と上機嫌に周囲に見せつけていたのに、いまは別人のようにむっつりとしている。どこか怒りを押し殺しているような彼の姿に思わずオドオドしてしまう初花だったが、大勢の前で結婚式をやり遂げた智矢も神経質になって疲れているのだろうと理解し、素直に彼の名前を口にした。
「さん、もいらない」
「そうはいかないですよ。わたしたち、まだお見合いから少ししか経ってないんです。さんを付けてはいけないのなら、あなたもお嫁さま、なんて言わないでください」
「……それなら仕方ない。智矢さんで構わない」
いまはまだな、とため息をついて、智矢は初花の手を引いていく。
午後十時。盛り上がっていた二次会を切り上げた彼に「来い」と言われ、ついていったそこはホテルのスイートルームだった。
結婚を祝した飾りつけが施されているドアリースを揺らしながら扉を開けば、リビングには晩秋の代表的な花である色とりどりの西洋菊をふんだんに使ったアレンジメントが配置され、ベッドの横にあるテーブルには情熱的で真っ赤な秋咲きの薔薇が、花瓶から溢れそうなほど活けられている。
純白のシーツの上には薔薇の花びらが散らばっており、どことなく淫靡な雰囲気を漂わせていた。
地元で三十年近く暮らしていた初花には、絶対に縁のない場所だと思っていた。
特別な日のための豪奢な部屋に、異性とふたり。
「……すごい、部屋」
「スタッフも張り切ってたみたいだからな」
どこか他人事のようにボソッと呟く新郎の声が耳元に届く。父でも弟たちでもない異性の声の主の正体は、見合いをしてから三ヶ月もしないうちに結婚を決めた初花の旦那さま。
何か裏があるはずだ、そう思わずにはいられないスピード婚だった。それなのに、どこか懐かしさが垣間見えるのはなぜだろう。
届けられた荷物を片付けて、ひとあし先にシャワーを浴びた初花は備え付けのバスローブ姿に着替え、窓に映る自分の姿を確認しようとして地上三十二階からのぞむ夜景を前にハッと息をのむ。
チラチラと瞬く駅前のネオンはまるで夜闇に飛翔する蝶々のようだ。自分がこんな場所にいるなんて、やっぱりおかしい、場違いだと初花の心のなかで警鐘が響く。
けれどその不安をかき消すように、智矢が背後から抱きついてくる。
「智矢さん?」
「――まだ、緊張しているのか」
結婚式は無事に終了したのだからもう緊張を解いてもいいのに、とぼそりと呟く智矢の前で、初花はぷいっと顔を背ける。
「緊張していないわけないじゃないですか」
「――よかった」
「え?」
俺だけじゃなかったのか、とでも言いたそうに彼の唇が初花のそれにふわりと重なる。
結婚式で誓いのキスをして以来の、二度目のキスだ。
「――っ」
「目、閉じて」
「あっ」
突然のことで驚いた初花は、目を見開き顔を紅潮させたまま硬直してしまう。
そんな彼女をその気にさせるかのように、上唇の裏側に智矢の舌先がしゅるりと入り込む。
二次会の席ですこしだけ口にしたスパークリングワインの酸味が鼻腔をくすぐって、これが大人のキスなのだろうかと初花の心を騒がせる。
「と、智矢さん……何、これ……?」
「舌だが」
それはわかります、と反論したい初花だったが彼の舌が口腔内に入り込んできて、声にならない。
あまりの恥ずかしさに目を閉じてみたものの、そうすることで余計に感覚が敏感になってくる。ぬるりとした彼の舌の感触や、ちゅくちゅくという唾液を絡ませるいやらしい音が、初花を戸惑わせる。背後から抱き締められて、顎をつかまれて、濃厚なキスをされて、これだけで男性経験皆無の初花の脳内はキャパオーバーに至ってしまう。
「ふ――鼻で息をすることができるようになったみたいだな」
誓いのキスのときは息を止めていたから、牧師さんの前で「ぷほっ」とへんな声が出てしまったのだ。あのあと彼に「キスするときは鼻で息するんだ」と呆れ顔で教えられたので、今回は彼の言う通りに実践できただけ。それにしたって二度目のキスで舌を入れてくるなんて、いきなり上級すぎる。
「はふっ……もう、智矢さんってば」
ようやく長いキスから解放されたけれど、どこか惜しいような気持ちも残っている。
それになんだか身体がふわふわしている。酒を飲み過ぎたわけでもないのに、立っているのが不安定な感じだ。初花が視線を智矢へ向けると、彼はわかっているとでも言うように頷いて彼女の腰に手を添える。
このまま力が抜けてしまいそうな初花をゆっくりとベッドへ誘導して、智矢は彼女をシーツの上へ押し倒す。そして身体を強張らせる初花を労るように、額へ口づけを送る。
「……?」
「シャワー浴びてくる。先に眠っていいから」
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