「……知らなかったな、こんなに悪い子だったなんて」
あらすじ
「……知らなかったな、こんなに悪い子だったなんて」
皇国唯一の聖者・デシュエルの専属護衛を務めるアージュ。『人に仕事を押し付け堂々と娼館に通い、息を吸うように女性を口説くわがまま色男』と問題ばかりの彼だが、彼女は幼いころから密かに恋心を抱いていた。この想いだけは絶対に悟られてはならない。己を律する彼女だったが、ある時任務中のアクシデントで彼の魔力を注がれることとなる。敏感な襞を抉られ揺さぶられるたび、腹の奥に快楽が渦巻き不思議な幸福感に満たされて──「もう一度僕とセックスしたほうがいいと思うんだけど、どうする?」聖者さま、これは医療行為のはず……ですよね?
作品情報
作:杜来リノ
絵:シュシュ
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8/9(金)ピッコマ様にて先行配信開始!(一部ストア様にて予約受付中!)
本文お試し読み
第一章・聖者と聖女
星光煌めく夜空に浮かぶ、白銀の満月。
チェアウェ皇国護衛官アージュ・セシェンは月明かりの下、夜の森を足早に歩いていた。
「ねぇ、もっとゆっくり行こうよ。そんなに焦ることないって」
背後から聞こえる、軽々しい声。
アージュは溜め息を堪えながら、足を止めることなく後ろを振り返った。
「聖者さま、お言葉ですがむしろ急いでいただけませんか? 夜空が濁って見えるほどの瘴気《しょうき》です。こんな風にのんびり歩いていたら、瘴気渦はどんどん広がっていきますよ」
視線の先には、鮮やかな火焔草《ビーツ》色の髪に葡萄色の瞳をした長身の青年がいる。
──聖光魔力を持ち、浄化と治癒の魔法を使いこなす聖者デシュエル・レア。
アージュが専属護衛として仕える彼は、黄金の羽毛をまとう霊蝶《れいちょう》シシェルウの幼虫が吐き出す糸で仕上げた最高級の背広《スーツ》をさらりと着こなし、両手には神鋼で作られた繊細かつ優美な手甲がはまっている。
手には、先端に水晶があしらわれた漆黒の杖が握られていた。
「まぁ、そうなんだけどね。でもほら、僕の足では急ぐにしたって限度ってものがあるんだよ」
軽薄な声に潜む一抹の申し訳なさ。それを耳にした瞬間、アージュは己の血の気が引いていく音が聞こえたような気がした。慌てて足を止め、主に向かって勢いよく頭を下げる。
「も、申し訳ございません、私としたことが……!」
デシュエルの身のこなしはいつも洗練されている。そのため、足が悪い、ということを普段からあまり気にしてはいない。だからその事実をうっかり失念してしまっていた。
だがそれはあくまでも言い訳にすぎない。
「いいよ、気にしないで。今回の瘴気で森で働いている貴女のご友人が被害に遭ったんだろう? だったら焦るのも無理はないよ。貴女は非常に責任感が強い女性《ひと》だ。それは僕もよくわかっているから」
優しい、穏やかな声。アージュは恐縮しながらも、今すぐ己を殴りつけたい衝動に駆られていた。
デシュエルの言うとおり、アージュの幼馴染はこの森の管理人をしている。その彼が今朝方、純度の高い闇と毒が入り混じる澱んだ魔力、通称〝瘴気〟に触れてしまい半身が黒ずみ動かなくなる重傷を負った。
といっても、瘴気に侵された肉体や物体は穢れを衣服のように〝まとっている〟状態になる。
ゆえに、浄化魔法を使い瘴気が湧きだす根本である〝瘴気渦〟を祓えば速やかに元の状態へ戻るのだ。
けれど、黒ずみが全身を覆ってしまったら話は別だ。そのあとでいくら浄化魔法を使っても、二度と元には戻らない。
そして進行の速さは瘴気渦の大きさによって異なる。幼馴染は一日も経たないうちに半身をやられていた。これはかなり進行が速い。
その上、幼馴染は結婚を控えている。個人的な話ゆえにデシュエルにそのことを特に伝えはしなかったが、それでアージュは焦っていたのだ。
おまけにいつもは現場の近くまでアージュが運転するデシュエル専用の蒸気車で向かうのだが、今日は車の入れない森の深部に瘴気が発生したせいで車を途中で降りている。
そのため、かなりの距離を歩かなければならない。
「常に冷静でいなければならない護衛の私が、主を貶めるなどあってはならないことでした」
「いや、僕は貶められたなんて思っていないよ。まったく、貴女の欠点は真面目すぎるところだね」
デシュエルは苦笑を浮かべながら、杖をくるくると回している。伸縮自在の杖《それ》はデシュエルの支えでもあり魔法を発動する武器でもある。
「……ありがとうございます」
礼の言葉を述べ、下げていた頭を起こすと同時にアージュは腰の銃を引き抜き、デシュエルの背後に向かい五発連続で発砲した。
聖者《デシュエル》に清めてもらっている金の弾丸は、デシュエルの左右と頭上を流星のような軌跡を描きながら背後に迫っていた五つの黒い影を正確に撃ち抜いていく。
──黒い影の正体は魔獣。
世界各国に生息している異形の生物。太古の悪魔が使役していた、と言い伝えられているとおり、外骨格が鉱物の蝙蝠《コウモリ》だったり翼がいくつもついている鰐《ワニ》だったりと、どこか不安な気分にさせられるものが多い。
「うわ、ここまで近づかれていたなんて気づかなかったな。それにしても相変わらず貴女はすごいね。小型の魔獣は弱点の魔核がものすごく小さいのに、一撃で仕留めるなんて」
デシュエルは両手を広げ、感嘆の声をあげた。
「おそれいります」
銃を腰にしまいながら、アージュは澄ました顔で礼を言う。だが、胸の内はいまだ罪悪感に占められていた。
デシュエルは歩く時、左足を軽く引きずっている。少年の頃に負った怪我が原因らしい。怪我について訊いてみようか、と思ったことは一度や二度ではないが、いまだに訊くことができていない。
それは、大抵のことは訊いてもいないのにベラベラと喋るような性格のデシュエルが、唯一触れてこない部分だからだ。
そもそも怪我を治して貰おうとしないあたりからして、触れられたくないなにかがあると思うべきだろう。
「うーん、なんだか頬がぴりぴりとするな。瘴気渦、案外すぐ近くにあるかもしれない。セシェンくんの言う通りだね、少し急ごうか」
そう言うと、デシュエルは杖で地面をとんと突いた。一陣の風が頬を掠めたかと思うと、足元に風の渦が巻き起こった。
「ほら、乗って」
「はい、聖者さま」
アージュはためらうことなく、渦の中心に歩を進めた。
デシュエルの風魔法で作られたこの渦に乗ると、普段の倍の速さで移動することができる。だが魔力消費が著しいため、普段は滅多に使うことがない魔法だ。
アージュがデシュエルの隣に立つと同時に、二人を乗せた風の渦が地面を滑るように移動を始めた。
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