作品情報

眠れる森のダメ上司がハードな添い寝をご希望です!

「君が抱き枕になってくれたら、会議も仕事も頑張れるんだけどなぁ」

あらすじ

「君が抱き枕になってくれたら、会議も仕事も頑張れるんだけどなぁ」

 ネイサン王国屈指の魔力を誇る魔術士団長ジーヴァ。だが副官のアイリーンにとっては、ただちょっと顔が良いだけのダメ上司だった。だらしがない、居眠りや会議の遅刻は当たり前、そして息を吸うように口説いてくる……。
 困り果てていたアイリーンはある日、ジーヴァの「添い寝してくれたら朝もちゃんと起きる」という言葉に軽い気持ちでうなずいてしまい……!

作品情報

作:イシクロ
絵:ちろりるら
デザイン:RIRI Design Works

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本文お試し読み

 序章 顔無しの英雄

 アイリーン・タロスが処理の終わった書類を手に団長室まで戻ってきた時、部屋の前には人だかりが出来ていた。
(……もしかして、また)
 それを見たアイリーンは半眼になって足を止めた。
「駄目だ……っ」
 そこで息を切らせて部屋から飛び出してきたのは白いローブを着た魔術士数名。彼らの肩には得体の知れない植物のツタが絡みついていた。
 アイリーンがこそりとUターンしようとしたところで、部屋の前にいた一人と目が合う。書類を手に持ったその人はにっこり笑って近づいて来た。
「アイリーンちゃん、よかった。これ今日中に団長の承諾サインをお願い」
「助かる! スケジュール確認が必要なんだ」
「修繕の許可証を……」
 持っている書類の上にどんどんと皆の羊皮紙が重ねられていく。平均身長よりやや低めの彼女の頭まで積み上がりそうなほどだ。
「あの、皆さん」
「頼んだよ、あのダメ団長を起こしてくれ!」
 そのまま背中を押されて団長室に放りこまれた。
「たまには自分たちで頑張ってくださいよ!」
 閉じられたドアを前に、叫び声は空しく反響する。
 息を吐いてアイリーンは後ろを振り返った。
 螺旋階段で登れる二階もある団長室の中は、まるで森のようだ。幾重にも枝を伸ばした木々が生いしげり、カーペットから生えた草は膝下まで伸びている。吹き抜けの天窓から入る光でさらに幻想的な風景に見える……のがまた腹立たしい。
 これをある男が魔術によって生やしているというのだから恐れ入る。
 預かった羊皮紙を置いたアイリーンは着ていたローブを脱ぎ、腰まで伸ばした黒髪をくくって腕まくりした。
「ジーヴァ様、入りますよ!」
 目的の人物がいるあたりに向かって、腕力と足で木をなぎ倒して進んでいく。アイリーンが怪力というわけではなく、木の幹がスポンジのような素材なのだ。それでも制服であるスカートは動きづらいし、上から枝や幹の破片が降ってきてうっとうしい。
「いい加減にしてください、こんなだからダメ団長って呼ばれるんです!」
 執務机まであと少し。最後に、目の前で絡みつく木を左右に押し開いた。
「――……すぅ」
 その空洞の中、執務机には一人の男が眠っていた。
 手すり付きのふかふかな椅子の背もたれを倒して目をつむる彼は、人目を引く整った顔立ちをしている。髪は金の混じる白色で、同じ色のまつ毛の先まで光り輝き、すっと通った鼻筋の下のわずかに開いた薄い唇からは抑えきれない色香が漂っていた。
 着ている魔術士の白いローブの胸元にはいくつも重そうな勲章がつり下げられている。
 ジーヴァ・アトラウス。彼がこのネイサン王国魔術士団の団長であり、世界有数の力をもつ魔術士、そして顔無しの英雄と呼ばれる男だ。
(く、イケメンめ……っ)
 未だに直視できない綺麗な顔から目を逸らし、肩から枝葉を払い落とし深呼吸をしたアイリーンは空洞に入って執務椅子に近づいた。
「起きてくださいジーヴァ様」
「……」
 声をかけると、目をつむったままジーヴァが口を開いた。
「……タロス君がキスしてくれたら起きる……」
「ふざけたことを言っていると殴りますよ」
 拳を握ると彼はふるふると首を振った。
 ゆっくりと瞼を持ち上げた彼が眠そうに目をしばたたかせた。左は金、右は銀の瞳をもつ彼は、半目のまま軽く微笑んでアイリーンに片手を上げた。
「おはよ、タロス君」
「部屋を出るとき、サボらず仕事してくださいってお願いしましたよね」
「うーん」
 机の上に積まれた書類を見て冷ややかに言うと、もぞりと身じろぎをしてこちらに背を向けてしまう。両手で肩を揺すった。
「植物を何とかして下さい、皆さんが部屋の前でお待ちです」
「じゃあキスして?」
「じゃあの意味がわかりませんし、断固拒否します」
「タロス君が今日も冷たい……」
「やめてください大の男が」
 わざとらしく手で顔を覆って泣き出したジーヴァにアイリーンはため息をついた。
「ちぇ……」
 ここでようやく身体を起こした彼が指をパチンと鳴らした。すると、すぐに部屋から生えていた植物がまるで逆の成長をするように小さくなって消えていく。
 大樹は細い枝になり、生えている草もみるみるうちに元のカーペットに戻った。一分後には、何事も無かったかのように団長室はいつもの様相になった。
 魔術についてよく知らないながら、相変わらず見事な変化に感心する。調子に乗るからそんなことは顔に出さないけれども。
 あくびをしながらジーヴァが伸びをした。
「それで、なんだっけ」
「皆さんがお待ちかねです」
「あ」
 アイリーンが扉を開けると、待ってましたとばかりに外にいた人が雪崩れ込んだ。
「所長、承諾のサインを!」
「連絡を!」
「新しい術式を見ていただきたいのですが!」
「タロス君、ちょ、……助け」
 部下である魔術士たちにもみくちゃになっているのを見たアイリーンが、首から提げている笛を口にくわえた。
 ピピーっ、という高い笛の音で動きを止めた魔術士たちにアイリーンはにこりと笑う。
「一列に並んでお待ち下さい」
 森に入る前に置いておいた羊皮紙を回収して、ひとりひとりの要件を聞いていく。
 サインが必要ならジーヴァに渡し、確認だけなら別の箱に入れて不備があれば返す。ただその繰り返し。
 これが魔術士団団長付き副官、アイリーン・タロスの日常である。
「メイさん、必要事項はちゃんと全部書いてください」
「あれ、また抜けてた~?」
 不備を指摘すると魔術士がのんびり頭をかく。笑顔はそのままにアイリーンは心の中で呟いた。
(……本当、騎士団とはえらい違いね)
 副官の仕事をしているが、アイリーン自身は魔術が使えず『魔術士団』所属ではない。ここと対をなす『騎士団』に勤める事務官である。
 ネイサン王国に限らず、どこの国でも剣を振るう騎士と魔術を扱う魔術士が国を守る任に就いている。
 戦う相手は主に、人間の住む領域外に住む魔獣だ。
 真っ黒な枝葉を生やしているため黒い森と呼ばれそこに棲む獣は人や家畜を襲う。通常の獣にも似た姿をしているがそれよりも獰猛で、人間に数え切れないほどの重大な被害をもたらしていた。
 それゆえ、黒い森との境界付近に騎士や魔術士を配置して討伐の任にあたるのだが……得てして、この二団は仲が悪いことが多い。
 理由は簡単だ。規律と理性を重んじるのが騎士なら、自由と本能を力の主軸にするのが魔術士だからである。
 騎士の訓練は受けているが本職は事務のアイリーンでさえ戸惑っているのだから、戦場での対立は察して余りある。
 だが団長に渡す書類すら記載ミスが多いのはいかがなものだろう。
(これだけ性質が違えばそりゃ揉めるわね)
 そこで先日持ち上がったのが、期間限定の騎士団と魔術士団の人員交換だった。騎士団からはアイリーンが、魔術士団からも一人派遣されている。
 期間は二ヶ月。お互いの相互理解を深めるため……と言われたが、まさか入団二年目のアイリーンが団長付の副官になるとは思っていなかった。
 話を聞いたときは愕然としたが、心配していたような魔術士からの嫌がらせは全くない。
 それよりも問題は。
「こちらは大丈夫ですね、預かりま……」
 次の書類を確認したアイリーンは上司に視線を向けて頬をひきつらせた。
「ぐぅ……」
 ジーヴァが机に突っ伏して寝ていた。
 ――ピッピッピ!
「んあっ」
 笛を鳴らすとびくっと震えて起きた彼は、顔を手で覆いつつ眠そうな声で言う。
「……もうあとはタロス君が全部サインしといてよ。任せた」
「ダメに決まってるでしょう!」
「俺たちは別にいいよ。団長よりアイリーンちゃんのほうがしっかりしてるし」
「ダメですってば!」
 あはははと明るい笑い声が起こる中、肩をいからせるのはアイリーンだけだ。ジーヴァはそのうちまた堂々と船を漕ぎ始める。
 こうして見ているとごく普通の――若干顔が良い――青年だ。若干二十六歳にして魔術士団の長についている人物とは思えない。
 だが史上最年少で魔法省に入り、その主な任務である数々の魔獣を討伐してきた実績があり、その戦闘力は一個旅団にも相当すると言われていた。
 
 アイリーンが彼の姿を初めて見たのは、騎士見習いの演習のときだった。
 黒い森を同期の仲間と探索するというその訓練中、魔獣と遭遇したのだ。見上げるほど大きな魔獣と戦う同期の中で、アイリーンは剣を持ったままその場で動けなかった。
(……動いて、お願い)
 ガタガタ震えていたそのとき、空から光が落ちてきた。
 白いローブをひるがえし雷の魔法一撃で巨躯の魔獣を倒し、驚く見習い騎士たちの前に立ったのは顔を目深なフードで隠した青年。それがこの国の英雄だと誰もが悟る。
 悠然として立つその姿に、誰もが状況を忘れて見惚れた。
 
 単なる気まぐれだったのか魔獣を倒してさっさと立ち去ってしまったが、彼のように風になりたいという強烈な憧れは、自戒とともにアイリーンの胸に焼き付いた。……初恋だったかもしれない。けれど。
(――英雄ジーヴァがこんな人だったなんて……っ)
 魔術士団の情報はあまり騎士団に入ってこないため、副官になるまでこんな人物だとは知らなかった。
 だらしがない、居眠りは当たり前、やる気がない。そして、息を吸うように口説いてくる。こちらはそれに反応しないようにするので精一杯だというのに。
 世の中には知らないほうがいいことがあるのだと、身に沁みた。

 そんな仕事の話を聞いたアイリーンの母は楽しげに笑った。
「相変わらず楽しそうねぇ」
「楽しくない!」
 いつもは騎士寮に住んでいるが今日は外泊届けを出して家に帰っていた。食卓の机を拭いたアイリーンが出来上がった料理を運びながらうめく。
 そんな姿を見て金色の綺麗な髪を揺らした母は、歌を口ずさみながらスープを手早くよそっていく。
「あれ、姉さん先に帰ってたの?」
 一つ下の弟も居間に顔を出した。
 タロス家は両親と姉弟の四人家族だ。弟は今年一年目の新米騎士。母親と同じ金の髪で騎士然とした様子は街の人からも評判が良いと聞いている。自慢の弟である。
 常はアイリーンと同じく騎士の寮で寝泊まりしていた。
「魔術士団はどう? 傲慢で自由がすぎる魔術士どもにいじめられてない?」
 食器出しを手伝いながら言う弟に首を傾げた。
「全然」
 確かに初めは自分勝手に行動する彼らを、書類提出で並ばせるのにも苦労した。
 ついやけくそで笛を吹いて誘導するという荒技を始めたのだが、むしろわかりやすかったのかよく従ってくれている。
 魔術士団員はみんな白いローブを着ているから、羊みたいだなぁと密かに思っていた。
「変なやつに言い寄られたりさぁ」
 ――じゃあキスして。
 弟の言葉にジーヴァの眠そうな声がふいに蘇る。
(どうせ真に受けたら引くくせに)
 恋愛に慣れていないアイリーンの反応が面白くて言っているだけだ。それも、自分の憧れを見抜かれた上でからかわれている気がする。
 動きを止めたアイリーンを見て、弟が眉をつり上げて肩を掴んだ。
「誰だよ、俺がぶん殴って……!」
「いないいない。変な想像しないで!」
 慌てて首を振ると、弟はまっすぐアイリーンを見ながら言った。
「いい? 何かあったらすぐに言ってよ」
「うん、ありがとう」
 心配性の弟に微笑むと彼は手を離した。
 アイリーンは十歳より前の記憶がない。昔頭を打ったことが原因だと聞いているが、優しい家族に囲まれて過ごしているので特に気にしたことはなかった。
 弟が視線をあさっての方角に向けつつ頭を掻く。
「姉さんはすぐ一人で抱え込むから……もっと頼ってよ、家族なんだから」
「うん」
 アイリーンは背を伸ばして高いところにあるその金髪を撫でた。
「優しい弟を持ってお姉ちゃんは幸せ者だね」 
「帰ったぞ」
 玄関から声がした。料理で手が離せない母に代わって、アイリーンが出迎える。
 のそりとした巨体で廊下を歩くのは厳しい顔にひげを生やした父親だ。
「お父さん、おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
 彼はアイリーンに目を細めて、ポケットからリボンのかかった細長い箱を取り出した。
「お誕生日おめでとう」
「もう二十一にもなったんだから気を遣わなくても……」
 毎年、一番初めにプレゼントを渡してくれるのが父だ。
「こういうのはいくつになってももらっていいものだ」
 お礼を言って有り難く受け取る。
「開けてもいい?」
 うなずかれたので丁寧にリボンを解いて蓋を開ける。
 中には月をモチーフにした金細工のネックレスが入っていた。一目見て高価な品だとわかるそれを前に小さく息を吐く。
「……お父さん」
「ん?」
「こういうのは記念日にお母さんにあげたほうが喜ぶよ」
「いいからいいから」
 ひらりと父親が手を振って食堂に向かう。
(騎士だからアクセサリーをつけられないってわかってるはずなのに)
 毎年、父はこうして贈り物をくれる。ブレスレットだったりイヤリングだったりブローチだったりと品物はまちまちだが、どうしてか必ず金細工と銀細工が交互に。
 その綺麗な金属光沢を見ていると、なぜかダメ上司の瞳を思い出して――アイリーンは慌てて箱を閉じた。

 第一章 英雄と娼館

(……来ない……だと)
 その日、御前会議の部屋の前でアイリーンは肩を震わせていた。
 朝一から国王陛下始め、国の行政各所の所長が集まる大事な会議があると散々言ったのにまだジーヴァが来ないのだ。
「……君も大変だね」
「ダムダさん……っ」
 控室にもなっている前室でそう声をかけてくれるのは、白いローブを着た青年だった。
 軽くウェーブした茶色の髪に眼鏡をかけ、常に丁寧な口調の彼はアイリーンに上品に微笑んだ。
 アイリーンと交換の形で、騎士団に配置されている魔術士のサイラス・ダムダである。騎士団長補佐についている彼とともに会議室をのぞけば、すでにそうそうたる顔ぶれが並んでいる。
 さすがに陛下はまだ来ていないが、中央正面の立派な玉座にも近い場所にある空席と、並んだ強面たちの押し黙った表情がさらに怖い。
「さ、探してきます……」
「手伝おうか」
「大丈夫です、見当はついているので」
「ま、そうか。あのジーヴァがアイリーンの言うことだけは聞くから」
「ちっとも聞いてないですよ! 昨日もあれだけ散々……っ、と、とにかく行ってきます!」
 サイラスに手を振られながら小型馬車を借りて、捜索に乗り出す。こういう時は十中八九家にはいない。
 作ったリストをパラパラとめくって、行き先の見当をつける。
(煌めく月夜亭……よし)
 行きつけの高級娼館に当たりをつけて御者に行き先を告げる。
 ネイサン王国では性行為に関する認識は結構ゆるく、娯楽場所として娼館も多く存在している。今までにも出勤しないジーヴァを何度となく迎えに行ったが……御前会議まで遅刻なんてあり得ない。
 そして仕事とはいえ、何が悲しくてそんな男を迎えに来なければならないのか。
 煌めく月夜亭は大通りに居を構える大店だ。すでに客ははけていて入口はがらんとしているが、朝の空気の中に昨夜の賑やかさと艶やかさは残っていた。
「来てるよ」
 アイリーンの顔を見ておかみさんが上を示す。
「ありがとうございます! 失礼します!」
 お礼を言って階段を上がった。一晩で月給程度は飛んでいくと、もっぱらの噂であるここでジーヴァが指名するのは一番人気の高級娼婦だ。
 時計を見ればすでに会議が始まっている時間である。頂上階の一番奥にある重厚な扉を前にして、アイリーンは呼吸を整えてからノックした。
 だが返事も反応もない。
(ぐ、ぐぐ)
 ドアをそっと開ける。そこはやはりいつものように森になっていた。
寝る度にこれでジーヴァの身体は大丈夫なのだろうか。はぁ、と息を吐いて中に入る。進んで行くと部屋の中央には大きなベッドが置かれていて、そこにブルネットの髪を軽
くウェーブさせた美女がいた。森を抜けてきたアイリーンを見て彼女が少し身を起こす。
「あら、アイリーンちゃん」
 国中の男を魅了する笑みは同性のアイリーンから見てもあどけなく、美しい。彼女に夢中になって身を滅ぼす男が続出するのもうなずける。
「エイダさん、お邪魔します。うちのダメ上司は……」
「ここ」
 彼女が傍らを示す。裸の体を晒した彼女は目の前の男の髪を引っ張った。絶世の美女と美男、まるで絵画のようだ。
「ジーヴァ様、御前会議です」
「えー、サボっちゃいなさいよ」
「エイダさん」
 もう半泣きで言えば、くすくす笑ったエイダがシーツを体に巻きつけて立ち上がった。
「じゃあね、いけずな魔法使いさん」
 そう言って、エイダは優雅にアイリーンが切り開いた道を通って出て行ってしまう。ぱたん、と扉が閉まる音がした。
(いけずなの、いけずってどういう意味で!?)
 上司の性事情など聞きたくないのだが。
 アイリーンは冷ややかにベッドを見下ろして腕を組んだ。
「何時だと思っているんですか」
「……早朝?」
「とっくに就業時間です」
「ああそっか、会議」
 気怠そうに返事をしたジーヴァが起き上がると同時に、森が消えていった。
 その様子を見て彼を振り返り、アイリーンは飛び上がった。何も身につけていない上半身が無防備にさらされている。
「服、着てください!」
 持ってきた洗濯済みのシャツとズボンを投げつける。
 男性騎士で見慣れているはずが、ジーヴァの男性らしい筋肉のついた綺麗な身体は目に毒だ。パンツをはいていてくれて助かったが、そうでなければ足の間のモノが見えていたかもしれない。
 寝足りないのかふらふらしているジーヴァを見ないようにして、その辺に脱ぎ散らかされている服を袋に回収した。
「他に荷物はないですね、じゃあ私は外で待って……」
「タロス君」
「っ」
 そこで後ろから手が伸びてきてドアに手がついた。
 振り返らなくても彼が服を着ていないのはわかる。いつものちゃん付けのからかうようなそれとは違う声で、彼は耳元でささやいた。
「会議なんていいから二人で昼寝しよ」
 気だるげで甘い。もう一方の手もドアについて、彼の腕の中に閉じ込められる。
「……っセクハラ!」
 アイリーンは振り向きざまに彼の腹部にパンチした。
「ぐっ、う……っみぞおちに入った」
「そ、そういう冗談やめてくださいって言ってるじゃないですか! 本気で訴えますよ!」
 床に膝をついたジーヴァに叫ぶ。
 触れた硬い感触がやけに生々しい。アイリーンは肩をいからせて部屋を出た。

 * * *

「い、たた」
 ズボンをはいただけのジーヴァはお腹を押さえつつ床に座り込んだ。
 今しがた、アイリーンが真っ赤になって出て行った扉を見る。
「……僕の妹は、一生懸命で真面目で本当にかわいいなぁ」
 頬に手を置いて呟く声は部屋の中に静かに落ちた。

 * * *

(まったく、からかって)
 腹立たしいまま階下におりる。
 途中にある食堂では、仕事を終えた皆が飲み物や軽食を摘んでいた。エイダの姿はない。
「いつも大変そうねぇアイリーンちゃん」
 顔見知りの高級娼婦たちが声をかけてくれて、抱きつかれた。ふわふわでやわらかい胸にはさまれる。
「はぁあ癒されるわぁ」
「ちっちゃくてかわいい~髪きれーい」
「アイリーンちゃん、うちで働かない?」
「……そうですね」
 仕事に遅刻する上司は腹立たしいが、ここはただ男女の身体の関係があるだけでないことも知っている。しかも聞いていると給与もいい上に、チップの額も相当だ。
「転職は……考えています。自分の適正についてとか」
「仕事に困ったらいつでもおいでよ。女騎士設定なら入れ食いだよ」
「設定ってなんですか、一応本物なんですけれど!」
「タロス君、帰るよ」
 そこでスタスタとジーヴァが近づいてきた。着替え終わってフードで顔を隠した彼が指をくいっと曲げると、糸で操られるようにアイリーンの足が勝手に彼についていく。
「寝坊したのはジーヴァ様なんですけど……っ、では」
 そんな二人の姿を、食堂の皆は微笑ましげに見送った。

 王宮の会議室の前に戻ったのはすでに開始から一時間半が経過したところだった。
「失礼いたします、遅れました……っ魔術士団長ジーヴァ・アトラウスと副官のアイリーン・タロスです」
 扉の前に控える護衛騎士に言う。
 美麗な見た目の彼らはアイリーンとフードの下でもわかるほど眠そうにしているジーヴァを見て少し眉をひそめたが、中に声をかければ扉が開かれた。
「まぁジーヴァ!」
 そこで嬉しそうに立ち上がったのは女王陛下だ。
 一番奥の玉座に座っていた彼女が煌びやかで贅の尽くされたドレスをひるがえして近づく。アイリーンなど目に入らない様子で、ジーヴァの腕を取って己の隣の席に招いた。
 重厚なカーテンやタペストリーが飾られた広い部屋の中央には大きなテーブルがあり、二十人ほどの椅子が用意されている。その後ろにも簡易な椅子が置いてあって、そこにそれぞれの副官が座っていた。
 その出席者全員から冷ややかな視線が注がれるが、女王に応対するジーヴァは何も気にしない様子だ。遅刻した上にこの態度なんてさすが英雄。
 絶対零度の空気が流れる会議室をアイリーンはこそこそ移動し、書記から議事録を借りて今までの議題を確認した。
(演習、団員募集、来年度予算編成について……)
 書記にお礼を言って議事録を返し、音を立てないように細心の注意を払って席につく。
「んん……」
 前の席のジーヴァは座るやいなや大きく伸びをした。その彼を見て、真正面に座る騎士団長が目を細めた。
 渋い強面にあごひげの――タロス家の父を見てアイリーンは縮こまった。
(お父さん、ごめんなさい……!)
 次は、絶対に遅刻させないようにしようと決意を新たにする。
 アイリーンが騎士団長の娘というのは周知の事実だ。自分の行いで万が一にでも父の評判に響くようなことがあってはならない。
「では、先ほどの話の続きだけれど」
 女王が口を開いた。
「騎士団の演習だなんて必要あるの? 我が国土に侵入せんとする魔獣はすべて顔無しの英雄ジーヴァの結界で防がれるというのに」
 女王は頬に手を置いて悩ましげに言う。
 父王が急死した後、二十半ばにして女王になった彼女は有能だが苛烈な性格をしている。不必要なものは即切り捨て、新しいものを取り入れる合理性と先見の明で父王の代から手腕を発揮し、ネイサン王国の繁栄を導いている。
 その彼女のお気に入りがジーヴァだ。
 圧倒的な力に対する国民の感情は元々崇拝に近かったが、さらに決定的になったのは数年前にジーヴァが国全体に魔獣の侵入を防ぐ結界を張ったことだ。
 黒い森との境界付近には古来から団員を配置し、魔獣討伐が行われていた。だが領土すべてをカバーすることはできず、どうしても警備の薄い場所の被害が出るのは防げなかった。
 ジーヴァが考案した魔術結界により、この国では一切の魔獣の被害がなくなっている。これは世界的、歴史的に見ても類を見ない事である。
 結界の詳細な内容は国家機密とされていて、あらゆる国が喉から手が出るほど情報を欲しているらしい。それまでにも圧倒的な討伐数を誇っていたジーヴァはこの功績により若くして英雄と呼ばれるようになった。
(普段はそんな感じはしないけど)
 ちらりとアイリーンは気だるそうに頬杖をついているジーヴァを見た。
 顔無し、と呼ばれているのはジーヴァが人目に出る時はいつもその顔を白いフードで隠しているためだ。素顔を知るのは女王や魔術士団員、そしてエイダのような馴染みの女性くらいだろうか。
 魔術士団入団当初から素性も明かさない彼の事に関しては憶測が色々飛び回っていた。それがまた人々の好奇心を掻き立てたのだろう。
 英雄があんな綺麗な顔立ちと知られればさらに大騒ぎになるのは間違いない。
「陛下、お言葉ですがそれはわれわれ騎士団への侮辱です」
 それまで静かに話を聞いていたタロス団長が背筋を伸ばした。
 その瞬間、空気がぴりっと張り詰める。
「確かに英雄の結界はとても尊く有難いものですが、まさかこれから先もそれに頼りきるおつもりではないでしょうね」
「でもねぇ、国家予算には限りがあるの。ただでさえ役に立っていない騎士団は魔術士団の十倍の規模でしょう?」
「確かに魔術を扱える者はわずかです。だからこそ、国境を守るには騎士団を欠かすわけにはいきません」
「――だからその国境警備がもう必要ないと言っているの!」
 女王はジーヴァに目をかけ、その代わりに騎士団への冷遇を露わにしていた。
 温和だった父王の政策を一掃し、競争主義によって国をまとめている。対立を煽ることによって成果を上げる方針なのだろうが、これが騎士団と魔術士団の溝を深める要因でもあった。
(お父さん……)
 ハラハラしながら副官の席で父と女王の会話を見つめる。
 女王は今までにも己に異を唱えた公爵家含め政敵も排除した。密かに不満を持っている者も貴族にいるというが、女王が個人的に雇った護衛騎士により取り締まりと見張りが強化されている。
 騎士団長を長年勤める父を頼りにする者も多い。女王の怒りを買ったらどうなるだろう、そう思っていると前に座るジーヴァが面倒臭そうにしっしと手を振った。
「そうそう、役立たずの騎士団はさっさと解散するといい」
(じ、じじじジーヴァ様!?)
「ああ?」
 タロス団長がジーヴァを睨む。当然その後ろにいるアイリーンも針の筵にさらされた。
「ええ、その通りだわ」
「――ついでに魔術士団も必要ありませんよ陛下、僕だけで十分です」
 ジーヴァの言葉に女王が押し黙る。
 怖い。騎士になって二年のしがない事務官は、ただ石のように硬直していた。
 タロス団長とジーヴァが睨み合う。他の出席者も口を挟めない中、女王が息を吐いた。
「まぁ、国境警備の話は改めてでいいわ。違う編成も考えているところだから……けれど結界の強化研究にあてたいから、来年度の予算は魔術士団に七割、騎士団に三割とします。いいですね」
「……畏まりました」
 タロス団長が引き下がった。
「あと」
 冷ややかな表情を隠さずに、女王がタロス団長とアイリーンを見た。
「交流は大事かと思って団員の交換は認めてあげましたが、大事なジーヴァの副官に経験不足の事務官を――しかも娘を送り込むなんて、お前は何を考えているの? 聞けば騎士のくせに魔獣と戦えないとか」
「ふわぁ」
 そこで大きな声がさえぎる。
 不敬極まりない態度であくびをしたジーヴァがついに机に突っ伏して寝始めた。
 呆気にとられた空気の隙にと、司会役の声が響いた。
「……で、では次の議題を」

 会議のあと、所用を終えて団長室に戻ったアイリーンはその場にしゃがみ込んだ。
(死ぬかと思った……!)
 あの後もジーヴァは寝るし女王は機嫌が悪いし、思い出すだけで胃が痛くなる会議だった。しかも結局議題がまとまらず、明日に持ち越されることになっている。
 部屋の中はしんとしている。ジーヴァは所用で出ているようだ。
「団長いますかー?」
 そこで顔見知りの団員の一人が顔を出した。部屋の中にアイリーン一人なのを見て頭を掻く。
「すみません、出掛けてるみたいで」
「いいよいいよ、前までしょっちゅうだったし」
 書類を預かる。
「……あの、前の副官ってどんな方だったんですか?」
「ああ、王宮から派遣された執務官だよ。俺たち事務仕事向いてないし」
 あははと彼は笑う。
「でもところ構わず団長は寝て木を生やすし、ぐだぐだで言うこと聞かないしで辞表叩きつけるのが相次いでさあ」
「それは、わかります……!」
 うめくと彼はぽんぽんとアイリーンの頭を撫でた。
「アイリーンちゃんが来てくれてから団長すごく嬉しそうだよ。見たことないくらい真面目に仕事しててみんなびっくりしてるんだ」
「それは、女性だからとか」
「違う違う。確かに魔術士は性交渉とかで魔力増やすからその辺ゆるいけどさ、なんというか……雰囲気がやわらかくなったというか。前までそれこそなんでも一人でやってしまって俺たちの出番なかったし」
「……」
「騎士も案外面白い子もいるんだなぁって話してるんだ」
 そう言って団員が戻っていく。
 預かった書類は新開発の術式のようだ。魔法陣も説明にも古代文字が使われていてアイリーンにはさっぱりわからない。ジーヴァに確認してもらうために団長の机に置いておく。
 ふらふらと席につく。あの朝の騒動から始まり会議が長引いた上、各部署に連絡をしていたので昼食を食べる時間もなかった。
 だが今は空腹よりも疲労感のほうが大きくて、書類の隅に隠れるように突っ伏す。
 ――アイリーンちゃんが来てくれてから団長すごく嬉しそうだよ。
 団員の言葉が回る。今日も失敗してしまったし、経験不足という陛下の言葉はその通りだ。でもとにかくできることは一生懸命やってきて、そう言ってもらえるならちょっと嬉しい、と思ってしまう自分がいる。
(明日は、陛下は用事があって出席しないって言ってたけど……二日連続の遅刻だけは避けないと)
 ひんやりとした机に頬をくっつけているうちにとろとろと瞼が下がってくる。抵抗できず気づけばそのまま眠ってしまった。
 はっと気づいて身体を起こす。時計を見ると半刻ほど経っていた。窓の外が夕方になっているのをぼんやり見ていると、肩に白いローブがかけられていることに気づいた。
 その胸元には勲章が縫い付けられている。
(ジーヴァ様の……?)
 畳むとふわりと白檀の香りがした。そのどこか懐かしく甘い匂いとやわらかい布の感触に誘われて、寝ぼけたまま顔をつっこんだ。
「あ、起きた?」
「!」
 上から声がして顔を勢いよくあげる。
 見れば二階部分の手すりから乗り出したジーヴァの姿があった。螺旋階段を上がった先は書庫や書類置き場だ。
 仕事中に居眠りだなんてジーヴァのことを言えない。しかし本を抱えた彼は何も言わず手すりから身を離す。どうやら使った本をしまっているらしい。
「片付けなら私が」
「いいのいいの、働き者のタロス君はサンドイッチでも食べてて」
 改めて机を見るとサンドイッチと紅茶が置かれていた。ハムとキュウリとチーズのシンプルなものだが、アイリーンがよく買っている売店のものだ。
 お礼を言って、まだ温かい紅茶とともにありがたくいただく。しゃきしゃきのキュウリとハムのうまみ、チーズの濃さが空腹に染みた。
「……明日の会議は、寝坊しないでくださいよ」
「僕は出なくても平気だよ」
 のんびりと言いながらジーヴァが階段を下りてきた。アイリーンからローブを受け取って羽織るのを見る。
(そりゃ、あれだけ強ければ他の人のことなんて気にしなくていいんだろうけれど)
 父のことや、副官としての仕事や女王のことや……今日もジーヴァはエイダのような綺麗な女性と一緒に夜を過ごすのかとかがぐるぐる頭を回る。なぜか泣きたくなってきた。
「遅刻するなら娼館も……あまり感心しません」
「人肌がないと夜、寝られなくてね」
 アイリーンの精一杯の苦情も響いている様子はない。
 ああそうだ、と振り返った彼は明るく言葉を続けた。
「タロス君が添い寝してくれたら、僕もちゃんと起きられるんだけどな」
 またその手の冗談だ。アイリーンは息を吐いた。
「それでちゃんと起きてくれるならいいですよ」
「……え」
「え?」
 小さな声に顔を上げるとジーヴァが早歩きで目の前に来た。
 その勢いに驚いていると彼はアイリーンの手を取った。
「……一時間待ってて」
「はい?」
「一時間で戻るから!」
 初めて見る真剣な表情でそう言った彼は、踵を返して部屋を出て行った。
「まだ就業時間……」
 声をかけたがすでにドアは閉まっている。
 彼の唐突な行動はいつものことだが、アイリーンは首を傾げた。
(冗談、だよね……?)
 今さらとんでもないことを言ってしまったことに気づく。添い寝する約束をしてしまった、ような。
「まさかそんな」
 大丈夫だ、と思う。ジーヴァは女性とそういうことをするには不自由していない。むしろここで帰ったら、本気にしたのかなんてからかわれそうだ。
 いや、仕事をさぼって普通に帰った可能性もある。そこまで考えて拍子抜けした。
(仕事しよ)
 自分の席に戻って、アイリーンは羽ペンを手に持った。

「……タロス君」
「はい?」
 一時間も経たないうちに二階からそんな声がした。上を見れば、そこには部屋から出て行ったはずのジーヴァがいた。
「あれ?」
 ドアを見る。入って来た気配はなかったのだが。
「お待たせ。僕の部屋でいい? 直通の転移陣つくった」
「――ほ、本気だったんですか!?」
「もちろん。ごめんね夕食とか用意してたら遅くなっちゃって」
 ジーヴァがアイリーンを荷物のように肩に担ぎ上げた。そのまま二階に進んで行く彼に蟻地獄に落ちた蟻の気持ちで、じたばた抵抗する。
「待っ、私は、冗談のつもりで」
「ダメだよタロス君、自分の言葉には責任を持たないと」
 二階の一角に見慣れない魔法陣があった。対となる場所にすぐに移動できるものだ。その魔法陣の青い光を見て青ざめる。
「いえその、今日はちょっと用事が!」
「……」
 ジーヴァが腕の力を抜く。
 拘束がゆるんで床に足をついてほっとしたところで、彼はアイリーンにずいっと顔を近づけた。金と銀の目を細め、眉を下げて捨てられた子犬のような表情になった。
 どきっとして動きを止めたアイリーンに彼が小首を傾げた。
「タロス君が抱き枕になってくれたら、会議も仕事も、頑張れるんだけどなぁ」
「う……」
「ダメ?」
 逡巡しているあいだジーヴァは何も言わずに待っていた。
(一緒のベッドで寝るなんて……でも、一緒に寝たら少なくとも探しに行く手間が省ける、かも)
 それはジーヴァがきちんと起きれば済むことではあるけれど。
 見つめ合うことしばらく。ようやくアイリーンは口を開いた。
「……そ、添い寝だけですね……? それ以上は何もしないです、よね」
 声を絞り出すとジーヴァがうなずいた。
「わかりました。じゃあ、寮に戻って着替えを」
「それも用意したから」
「わ、っ」
 存外強い力で引っ張られて陣の中に足を踏み入れると、ふわっと下から風が吹き上がるような感覚があって一瞬で景色が変わった。
 見るのはもちろん初めてだが――部屋のリビングだろう。最低限の家具があるだけで、広い分がらんとして寂しく感じる。
 独身騎士用の、寝られればいいだろうという一部屋と違いさすが団長用で、簡易なキッチンやシャワールーム、執務室も備えられていた。もちろん寝室も。
 アイリーンは足元の魔法陣を見た。
「……これ、一時間で作ったんですか?」
「いや、十分くらい」
 普通、設置には半日かかると聞いた気がする。なんて魔術の無駄遣いだ。
「何か食べたいものあるかい?」
 緊張しながら部屋を見回していたアイリーンに、ジーヴァが腕をまくりながら言う。
「タロス君は先にシャワー使って。洗面台にタオルとか置いてあるから」
「あ、はい」
 ぎくしゃくとシャワー室に入った。
(これは、仕事だ……っ)
 自分に言い聞かせ、ほとんど使った様子のないシャワーを浴びる。
 髪も洗ってシャツを着た。彼の言う通り洗面台には着替えが置いてあって女性ものの新品下着と、……やけに肩が出ているシルクの白いナイトドレス。
 素材はしっかりしているので透けてはいないが、身体の線がもろに出るそれにひるむ。
(う、うう、仕事……っ仕事)
 それでも少し心許なくて、戸棚を開けさせてもらいシャツを見つけたのでそれを羽織る。裾は太腿ぐらいだろうか。袖も長いのでめくり、タオルで髪を拭きながら出ると、部屋にはもういい匂いが漂いだしていた。
 くつくつ煮えている鍋にジーヴァがチーズを擦って入れる。その慣れた手つきを見ていると、彼がこちらに気づいた。
「――……、っごほ、っ」
 急に咳き込んだ。
「だ、大丈夫ですか」
「いや、うん大丈夫大丈夫」
 落ち着かない様子で、彼がテーブルに二人分のスープとパンを並べていく。それを手伝いながら「本当に小さいんだな……」と呟くのを聞いた。
 向かい合って座り、ありがたく手料理をいただいた。
「! 美味しい」
 ブイヨンが利いたシチューはコクがあって、母の作る料理にも似ていてアイリーンの舌によく馴染む。さっきサンドイッチを食べたばかりだが、ちゃんと煮込まれた根菜を心ゆくまで味わった。パンも焼きたてなのかまだあたたかくて中はふわふわだ。
 食べるのに夢中になっていてふと視線を感じると、すでに皿を空にしたジーヴァがこちらを見ていた。
 その優しげな視線と目が合って、彼が立ち上がる。
「僕もシャワー浴びてくる。おかわりは好きによそって」
「もういいんですか?」
「味見で口に入れたから」
 そう言ってダイニングを出てシャワー室に入ってしまうのを見送る。
「あ、勝手に帰っちゃダメだよ」
「……さすがにしませんよ」
 ゆっくりと食べ終わり、食器を洗っているところでようやくジーヴァがシャワー室から出てきた。タオルを首にかけた上半身は、裸だ。
「上もちゃんと着てください!」
「……いや、タロス君が着てるそれだし」
 思わず叫ぶと、ジーヴァがアイリーンを指す。ナイトドレスの上にはおっているのがどうやら着替えだったらしい。
「よしじゃあ寝ようか」
「ひゃ」
 ジーヴァがアイリーンを抱き上げた。横抱きにされて慌ててその肩に手を置く。
「あの、寮長に外泊届けを」
「もう出したよ」
 鼻歌でも歌う気安さでジーヴァが寝室に赴いた。掃除の手は入るのだろうがこちらもほとんど使われた形跡がないそこに、彼はそっとアイリーンを下ろす。
 緊張で背筋を伸ばしていると、先に横になったジーヴァが布団を持ち上げて隣をぽんぽんと叩いた。
「……失礼します」
 そろりとその横に寝転がった。きゅっと身体を縮こまらせてジーヴァに背を向けていると、腕が胴に回った。
 そのまま抱きしめられる。シャツ越しの背中がジーヴァの胸元に密着して、彼の匂いに包まれた。
 アイリーンを抱いて髪に顔を埋める、そのいちいち甘い動作に心臓が大きく鳴り響いた。
「あ、あのジーヴァ様、本当に添い寝だけ……」
「――……すう」
「!」
 すぐに寝息が聞こえて来て振り向くと、すでにジーヴァは目を閉じて寝ていた。
(――そうだよね!)
 どきどきした自分がバカみたいだ。アイリーンは顔を手で覆った。
 ジーヴァの腕からは力が抜けていて少し緊張をとく。相手が寝たと思えば少し余裕ができて、アイリーンはその寝顔を眺めた。
 人肌がないと眠れないなんて英雄も子どもみたいなところがある。
「……おやすみなさい」
 その白い髪を少しだけ撫でて、アイリーンも目を閉じた。

 なんだか身体が熱くて目が覚めた。
「ふ……?」
 身体を動かすのも億劫だ。無性に喉が渇いて堪らない。
 窓の外はまだ暗い。震えながらアイリーンは身体を起こして時間を確認すると真夜中だった。
(風邪……?)
 全身に汗を掻いていて背中がぞくぞくした。水を飲もうとベッドから立ち上がったところでお腹に手が回った。
「タロス君」
 そのまま後ろに引かれて、身体を支えられずにベッドに戻る。誰かの固い体が背中に当たって、ようやく自分がジーヴァの部屋にいることを思い出した。
「……あ」
 身体の力が入らないアイリーンを己の膝に座らせて、身体をもたれかけさせる。彼はその手をとった。
「んっ」
 触れた途端に一気に熱が上がる。潤む視界の中、アイリーンの顔をのぞきこんだジーヴァが眉根を寄せた。
「魔力酔いだ」
「え……」
「ごめんね、寝てる間に肌を通って僕の魔力がタロス君の中に流れ込んじゃったみたい」
「魔力、っ……て」
 思わず周りを見る。部屋の中にはいつもの木が生えていない。――ということは、あの森を生やすような力が自分の中にあるということだろうか。
「ど、どどどうすれば……っ、身体から木が突き破って生えてくるんですか!」
「落ち着いて」
「どうにかしてくださいっ」
「……体内に入ってしまった魔力を取り出すにはちょっとコツがいるんだけど」
「はい!」
「……」
 するりとアイリーンの手を握った彼が、半泣きのアイリーンに顔を近づけた。
「っ、ん」
 唇が塞がれる。そのやわらかな感触にびくっと身体が震えた。
 アイリーンと指を絡めたまま、固く閉ざした唇を舌がなぞる。熱を感じる身体に痺れるような感覚が走った。
「ん、ん……」
「……口、開けて」
 わずかに離したジーヴァに、気だるげで甘い声でささやかれる。
 その声に導かれるように開いた口の中に舌が潜り込んだ。顔を支えた手に背けることもできないまま、アイリーンの舌に肉厚のそれが絡む。
 身じろぎするとお腹の前に回る腕に力が込められた。
「は、っ……ふ、あ」
 とろんと思考も溶けて、夢中でキスを繰り返す。なぐさめるように頭を撫でながら舌の裏側をなぞられた。初めての感覚に動けないアイリーンの舌を絡めて熱いそれが歯列をたどると、また背中に変な感覚が走った。
「ん、ん……っう」
 キスを繰り返しながら、彼の手が身体の線をなぞる。そして胸のふくらみを大きな手が包み込んだところでびくっとアイリーンは硬直した。
「っ、あの」
「大丈夫、痛いことはしないから」
 胸をもったいぶるような手が撫でては優しくこねる。ジーヴァの手の中で形を変える度にぞくぞくした感覚が背中を過ぎた。
「っあ、……」
 混乱するアイリーンをなだめるようにこめかみに口づけながら、ジーヴァの手が着衣の下に入り込む。直にジーヴァの手が胸を持ち上げた。
「ん、っぁ、ふああ」
 先端のところを人差し指と中指ではさみながら手のひらがこねる。すぐに布の上からも目に見えてわかるほど先端が尖った。
「……可愛い」
 もう力の入らないアイリーンの耳を彼が食んだ。皮膚から伝わる温かさとぬめる舌の感覚に腰が跳ねた。
「あ、あう」
 外縁をなぞるもったいぶるような舌使いは経験のないアイリーンの羞恥をあおる。その間にも胸を優しくこねられていると頭がぼうっとした。
 やがて耳を舐めながらジーヴァは下着に手を這わせた。
「……っ」
 しばらく中を探るように布地に触れていた手が中に入り込む。
「や、……っ」
 ようやく抵抗を思い出して身を捩れば、宥めるように彼が腕で押さえつけた。
「少し我慢して」
「でも、っふあ、あ」
 直に身体の中心に触れられるとこらえられずに声がこぼれた。
 彼が指を動かす度に水音が響いて、混乱する。その間にも閉じられたヒダを確認するようにして指が奥へと入って来た。
「――っ」
 怯えを感じ取ったのか、無理に入ろうとはせずに肌に舌を這わせながらジーヴァが指を滑らせた。
「っ、ん、ん」
 上にある愛蕾をかすったときにびくっと身体が震える。むずがゆいような感覚とは違い確かに快いそこを、指が何度もこねた。
「あ、そこ、ばっか、り」
 過ぎた刺激にちかちかと目の前に星が散った。顔を上げたジーヴァに口づけされて舌が絡むとさらにぞくぞくした感覚が強くなる。
「っ、は、あ、……っなに、あ、あ」
「……そのまま」
「あ、あ――――……」
 ささやく声に導かれるように果てが訪れる。びくんと身体が縮こまって身体の奥が妙にうずいた。顔を真っ赤にしてベッドで荒い息を吐くアイリーンの髪に彼が口づける。
「ゆっくり呼吸して」
「……――」
 ジーヴァの声に合わせてアイリーンが浅く呼吸を繰り返す。少しずつ熱が引いていくのがわかって、うるむ目からまばたきのたびに涙がこぼれた。、
「タロス君の身体を通った魔力、……すごく甘い」
 はぁ、と熱い息が皮膚にかかる。その感覚だけでも達したばかりの身体には辛くて、びくっとアイリーンは震えた。ジーヴァの胸にもたれたまま息を吐く。
「……楽になった?」
 顔が見られないままうなずく。確かに耐えきれないほどの熱はなくなった。
「じゃ、寝ようか」
「っ」
 耳元でささやかれてそれだけで身体が跳ねた。
 もう一度ベッドに横になる。けれど、中途半端に触れられてうずく身体をなぐさめるように大きな手にさすられて、まだ呼吸は整わない。
(わ、たし……)
「……タロス君にお願いがあるんだけど」
「は、い?」
「やっぱり抱かせて」
 ころりとベッドに転がされた。
「え」
 上からジーヴァが覆いかぶさる。その表情は暗がりでわからない。喉元に唇が落ちる。ぬめる舌が首筋を這ってそれだけで快さで目の前に星が散る。
「待っ、何もしないって……!」
「ごめん、本当にごめん」
 ジーヴァの手が身体を這う。魔力の熱がまだ引かずに身体がしびれたように動かせないアイリーンの胸に顔を埋めて、指が下着に入り込んだ。
「わたし、……、っあ」
 指が再び中に入り込んだ。知らず待ち望んでいた刺激に耐えきれずに声が出る。
 狭い入口付近をゆっくりとこすられて、思わず手で口をふさぐ。アイリーンの耳をふくみながら指が中を擦る。片方の手が胸をこねるたびに腰が跳ねて、中から少しずつ蜜があふれてきた。
「ジ、ヴァ、様」
 指は少しずつ中に入ってくる。先ほどよりも深い侵入に舌足らずに名前を呼べば彼が目元を歪ませた。
「……かわいい」
「は、っ……や、深……あ、あう」
 アイリーンの髪にキスをしながら指がさらに潜り込んだ。処女地は慣れぬ指に痛みを訴えるが、すぐにそれも熱に巻き取られて思考を阻む。濡れた水音だけが響く中、気持ちが良くて仕方がない。
(私、こんな)
「これも仕事だよ」
「し、ごと……って」
「結界を維持するのに体内魔力が結構取られていてね、こうやって人から補給しないと追いつけなくて」
 ベッドに縫い付けられて震えるアイリーンの耳元に彼がささやいた。

(――つづきは本編で!)

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