「……めいっぱい、甘やかして、優しくしてあげる」
あらすじ
「……めいっぱい、甘やかして、優しくしてあげる」
父が背負った多額の借金返済のため、昼夜仕事に明け暮れる暁。事務職とキャバクラの二重生活によって青春を犠牲にしてきたうえ、唯一の救いであった交際中の彼氏の浮気が発覚。暁の不幸は連鎖し、とうとうストーカー化した元常連客から夜道でしつこく絡まれてしまう。諦めかけたそのとき、割り込んできた大きな手……ふわりと嗅いだことのある匂い。暁が振り仰ぐと、そこにいたのは幼少期から疎遠となってしまった美貌の幼馴染、ユーリで!?「俺と結婚しよう」崖っぷちの彼女に、エリート社長となった彼は突然告げる。不幸のどん底へと落とされた暁が掴む未来は果たして――。
作品情報
作:蒼凪美郷
絵:時瀬こん
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プロローグ
──問題です。
一夜をともにした相手から「俺、人を好きになったことがないんだよね」と告白をされた場合、どんな反応を返すのが正解でしょうか。
相手というのは、新婚ホヤホヤの旦那様のことを指します。
「えっ……?」
これは間違いなく不正解だ。対人スキルを求められるキャバクラに、キャストとして一年も勤めていたとは思えないリアクションの乏しさである。
でも仕方ない。このシチュエーションにおいて求められる能力は恋愛スキルなのだから。
付き合った人数は生まれてからの二十二年でたった一人、バイト三昧で青春とは程遠い場所にいた私には培うことができなかったものである。
「えっと、あの、ユリちゃん……?」
「なぁに、アキちゃん?」
戸惑いながら、私は正面に座る彼を見る。
ユリちゃんというのは彼の愛称だ。本名を鞠坂《まりさか》ユーリといい、先ほど爆弾発言をしたとは思えないくらい呑気に微笑み、コーヒーカップを口元へと運んでいる。コーヒーが美味しいのか、喉が上下したのと同時に目尻が垂れ下がった。
そして、彼が言ったアキちゃんというのは私のことだ。旧姓を森實《もりざね》、暁《あかつき》という名前を縮めてアキ。この私こそが彼の新妻である。
「私たち昨日の夜さぁ……その……エッチ……したよね?」
「うん」
──そんなけろっと。
平然と頷くユリちゃんに、頭が痛くなってきたような気がする。私は頭を抱えたい気持ちになった。
私たちに交際期間はない。彼とは幼馴染という関係で、しかも一か月前に十年以上ぶりの再会をしたばかりだ。
今日に至るまでどんな間柄であったとしても、私たちは昨日夫婦となったばかりの二人である。つまり、昨晩は初夜だったのだ。最初、そんな意識はまったくしてなかったのだけど。
特別でドキドキな一夜であり、それに──私にとっては文字通りの初めてを迎えた瞬間でもあった。
「……好きじゃなくても、エッチってできるものなの?」
「できるよ」
いよいよ頭が痛くなってきた。私は額を押さえながらテーブルに肘をつき、昨夜の記憶を脳の奥から掘り返す。
ユリちゃんはすごく優しかった。
私はてっきり、結婚に至るまでの経緯が経緯だったから当然そういうことはナシだと思っていたから戸惑ったのだけど。初めてで裸になることを恥じらう私の緊張を解きほぐし、ときに甘く、ときに意地悪く、囁いて、そして導いて──最後まで私のことを気遣ってくれた。昨晩の一幕をすべて思い出そうとすると顔から火が出そうになる。
おかげで私の初体験は悪くないものになった、と思う。
だって、ユリちゃんはそこいらの男性より断然かっこいい。道行く女性は必ず彼を振り返る。
色素の薄い天然のゴールドブラウンの髪。見る者の視線を奪う瞳は、切れ長の二重で髪とお揃いの色をしている。
筋の通った真っすぐの鼻は、横から見るとまるで美しい山。とにかく、顔の骨格が素晴らしいのだと思う。女の私の目から見ても羨ましいほどの小顔だ。顔から下については、思い出そうとすると必然的に昨晩のあれやこれやまで蘇りそうなので省略させていただく。
私たちが昨晩から過ごしている部屋は、沖縄にある有名リゾートホテルだ。今まで貧乏な暮らしをしていた私には、まさに夢のような場所だった。こんなところで結婚式も初体験もすることができるなんて、人生というのは本当に何が起きるか分からない。
(……でも、なんだかなぁ)
私の複雑な胸中を察したのか、ユリちゃんが「あー……」とばつが悪そうに声を漏らした。
「そうだよね、アキちゃんからしたらさっきの発言って複雑だよね……まるでアキちゃんのハジメテ欲しさにエッチしたみたいだし。ごめん」
「う、ううん……いつかは卒業しておきたいものだったし……その……相手がユリちゃんでよかったとは、思ってるから」
「そう思ってもらえたならよかった」
ほっとしたようにユリちゃんが微笑む。しかし、そのあとで「だけど」と言葉が続いた。
「アキちゃんも、俺のこと好きかどうかと聞かれたら違うでしょ?」
彼から問い返され、私は「確かに……」と答えに詰まった。
いやでもどうだろうか、と悩ましいところではある。何せ私は恋愛経験に乏しい。キスやエッチをしたことで彼に情が移っていてもおかしくない。
そもそも今の流れは、まるで恋人のように接してくるユリちゃんにドキドキして、「ねぇ、もしかして私のこと好きなの?」と聞いたからだ。駆け引きも「か」の字もなく、ド直球に。
交際ゼロ日で──ううん、我が家の借金を彼が肩代わりしてくれたのを引き換えに結婚しただけの私たちに愛はないと分かっている。
でも、接し方がとにかくとろけるように甘かった。目覚めた私の髪を撫でながら身体を気遣い、コーヒーは飲むかと、朝食はどうするかシャワーを浴びたいかと世話を焼こうとしてくれたのだ。
生まれて二十二年。幼い頃は別として、世話をすることはあってもされることはなかった。母がいなくなってからは私が家族の面倒を見なければならず、ユリちゃんと結婚する前まで付き合っていた彼とは甘え甘やかされるといった関係になれなかったのだ。
だから、私にはユリちゃんのような態度に免疫がない。勘違いしているようなことを聞いてしまったのは、そのせいである。
「俺はアキちゃんを可愛いと思ったし、甘やかしたいってすごく思ったから君を抱いた。でもその気持ちが恋愛なのかどうかと聞かれると正直分からない。こう言っちゃなんだけど……アキちゃんも、俺が好きだからってワケじゃなく雰囲気と俺に流されてエッチしちゃったっていうのがほとんどでしょ?」
「まあ……そうね……」
素直に肯定した私を見て、ユリちゃんは苦笑を浮かべた。
「こういうの、結婚する前にするべき話だったね。君を助けたいっていう一心で、順番おかしくなっちゃった」
そうして彼は誰かを好きになったことがない、その理由を語り始める。
最後に、でも──と言葉を区切った。
「君の初めてを貰った以上、俺はアキちゃんに操を立ててもいいかなって思ってるよ」
柔らかな微笑みが、私を熱く見つめ始める。
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