「可愛い声だよ――もっと聞かせて。僕だけに」
あらすじ
「可愛い声だよ――もっと聞かせて。僕だけに」
十年越しに再会した恩師の三澤に熱を帯びた瞳で見つめられ、途端に麻衣子の心臓は派手に音を立てる。幼くて拙い、叶わなかった初恋。いま彼女は彼の恋人としてキスをしていた――。丹念に唇を食み、歯列をなぞり舌を絡める目の前の男に酔いしれながら、快楽に身を任せる麻衣子。「こんなに、本気になると思わなかった」余裕をなくした彼から欲望と独占欲を剥き出しにぶつけられ、呼吸もままならない。なのにどうしてか、甘い声が抑えられなくて……。大人の男に蕩かされる年の差再会ラブストーリー!
作品情報
作:砂月美乃
絵:haruka
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本文お試し読み
1・再会
「すみません、この本を探しているんですが」
振り返ると、スーツを着た男が微笑んでいた。三十代半ばくらいか。腕にかけたコートから、ちらりとイギリスの老舗ブランドのタグが覗いている。
「拝見します」
麻衣子《まいこ》は男の持っていたメモを受け取った。
経済系の出版社だが、聞いたことのないタイトルだ。近刊ではないのかもしれない。
「お調べしますね」
カウンターの中で振り返ると、後ろで纏めた髪が揺れた。ゆるい癖のある髪は気に入っているが広がりやすいので、仕事中はたいてい高い位置で束ねている。
端末を操作しながら、麻衣子は内心で首をかしげていた。どうも今の男性に見覚えがある気がするのだが……。とはいえビジネススーツを着るような男性に、心当たりはない。何しろ麻衣子の周りにいる男たちときたら、麻衣子同様アルバイトで生活している者ばかりなのだ。
「……こちら、当店には在庫がないようですね。お取り寄せいたしますか?」
「お願いします」
差し出した伝票に、男が丁寧に書き込んでいく。
「あ」
麻衣子は小さく声を上げた。
三澤秀一《みさわしゅういち》。その名には覚えがあった。それから、整った書き方の字にも。
たちまち懐かしい光景が思い浮かぶ。
――西日の差し込む部室、棚の上で薄く埃をかぶったトロフィーや小道具。運動部のかけ声に負けじと発声練習をする麻衣子たちを見ている、優しい笑顔の男。
「――三澤先生?」
顔を上げた男は麻衣子を見て、それから胸の名札に視線を落とし――同じように目を丸くした。
「……原島《はらしま》さん? ああ、演劇部の!」
「はい、原島です! お久しぶりです、先生」
「うん、久しぶりだね。すっかり大人になっていて、分からなかったよ」
そう言って笑った顔に、麻衣子の胸は懐かしさでいっぱいになる。くしゃっと音がしそうな笑い方は、十年以上たった今でも変わっていない。
「先生こそ。なんだか、ずいぶんイメージが変わられて」
変わらぬ笑顔に比べ、記憶に残る彼の姿とはだいぶ雰囲気が違うようだ。日焼けしているし、なんだか体つきも逞しい。記憶のなかの三澤は、すっきりした細身で色白の、ふんわりと優しげな男だったように思う。
「……ああ」
ちらりとスーツに目を落として、三澤は照れたように笑う。
「当たらずといえども遠からず、かな。僕ね、もう教師はしていないんだよ」
「え、そうなんですか?」
伝票を受け取りながら、麻衣子はつい声が高くなるのを慌てて抑えた。幸い空いている時間帯で、レジに並ぶ客もない。
手早く書名などを書き込みつつ、上目遣いにそっと三澤のスーツを眺めた。男性ものにはあまり詳しくないけれど、コートだけでなく身につけているものもなんとなく高級そうだ。
「原島さんは、ここで働いてるの?」
「バイトなんです」
三澤は覚えてくれているだろうか。それを願いつつ、麻衣子は十年……いや十一年ぶりに会う男を見上げる。
「私、まだ演劇もやっていて……」
「そうなのか!」
三澤が嬉しそうに言った。
「そうだよね、原島さんは一生懸命だったもんなあ……」
彼は中学時代の、麻衣子たち演劇部の顧問で――そして、麻衣子の初恋の男《ひと》だった。
* * *
一番先に思い出すのは、あの日。
中三の夏の、いつだったか正確には覚えていない。ただ西日が眩しかった記憶があるから、たぶんもう夕方で……。そうだ、教室へ忘れ物をとりに戻って、三澤と会ったのだ。
廊下を並んで歩きながら、進路の話になった。
「原島は、高校でも演劇部に入るの?」
そう聞かれて、麻衣子は演劇部が有名な高校名をあげた。
「成績は、ちょっとギリギリなんだけど……」
舌を出した麻衣子に、三澤は何でもないように言った。
「大丈夫だよ、まだ時間もあるし。――原島は頑張り屋さんだから」
「……そうかな?」
「そうだよ。部活でも、いつも一番練習してるし」
ちゃんと見ていてくれたことが嬉しくて、麻衣子の頬が緩んだ。
(そうだ、先生に聞いてもらおう)
麻衣子は思い切って口を開いた。
「あのね、先生。私……将来女優になりたいの」
「そうなのか」
笑われるかと思ったが、三澤の態度は変わらない。それに力を得て、さらに続けた。
「お芝居って、いろんな人になれて楽しいから」
三澤は頷いて微笑んだ。
「頑張れよ。先生も応援する」
「ほんと?」
麻衣子はぱっと目を輝かせた。そんな夢みたいなことと否定されるのでは……と恐れていたのだ。担任にも、志望理由は演劇部に入りたいからとしか伝えていない。
「じゃあ、先生。いつか私がお芝居出られるようになったら、観に来てくれる?」
すると三澤はにっこり笑った。
「ああ、もちろん行くよ。その時は忘れずに知らせてくれよな」
「うん、先生。約束ね! じゃ、さよーなら!」
ぺこりと頭を下げて、麻衣子は昇降口へかけだした。外で麻衣子を待っていた部員たちも、三澤に気づいて手を振る。
「先生、ばいばーい!」
「はい、気をつけて帰れよ。それと、挨拶はちゃんとしなさーい」
「はあい、さよーならぁ!」
笑い声がはじけた。麻衣子も一緒になって笑いながら校門を出て、ゆるい坂道を下っていった。
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