作品情報

年上御曹司とおためしスイートウエディング~契約のはずが、十年越しの包囲愛計画でした!?~

「――君に、お願いしたいことがあって。俺と結婚してくれない?」

あらすじ

「――君に、お願いしたいことがあって。俺と結婚してくれない?」

ウェディングプランナーとして働く睦美は、大ホテルの次期後継者であり睦美の上司、藤嶺から突然おためし結婚を提案される。入社したての十年前、遊び人気質と噂の彼にはじめてをささげて以来、恋愛から遠ざかり仕事ひとすじに生きてきたのに何故!?と頭を抱える睦美であったが、勢いに任せて誘いを受けることになって……?
先走りすぎて斜め上を行くポンコツ恋愛初心者の、蕩ける契約結婚生活が始まった――!

作品情報

作:桜旗とうか
絵:さばるどろ

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本文お試し読み


「賀谷《かや》チーフ、今日もお疲れ様でした!」
 藤嶺《ふじみね》ホテルの事務所で、机に突っ伏しかけていた私を、後輩の明るい声がなんとか踏ん張らせた。
「お疲れ様」
 笑顔で返して、帰っていく後輩たちを見送る。そして、ノートパソコンを開いて今朝メールで送られてきた内容を読んだ。これで五度目だ。内容は、辞令。マネージャーとしての昇進が決まったというものだった。
 私が働いているのは、藤嶺ウェディングというブライダル企業だ。この、藤嶺ホテルが親会社なのだから、ホテルウェディングにはかなり強い。
 藤嶺ホテルは国内でもハイクラスに位置するホテルだ。ウェディングを希望してくださるお客様は多い。
 私も、人と接するのが好きとか、喜ぶ笑顔が見たいといった理由でウェディングプランナーを目指しはしたが、その理由のひとつに「自分も素敵な結婚をしたい」があったのだ。十年くらい前には。
 ウェディングプランナーの仕事はとても大変だ。華やかな仕事の裏側なんてそんなもの。休みがないことも、残業が多いことも覚悟していたことだ。
 そして、仕事は楽しかった。なんだかんだ言いながらも上司に恵まれていたと思うし、やりがいもあった。ちゃんと評価もしてもらえている。でも、そのぶん恋愛からはひたすら遠ざかる。
 学生時代にお付き合いをした経験がない。いい雰囲気になっていた気はするのだけれど、どうにも恋人ができなかった。そのまま社会人になった。仕事が楽しくて、気づいたら三十二歳になっていた。
 そして、マネージャーへの昇進。もう、私に恋愛なんてできないんじゃないだろうか。
「今日もみんなきれいだったなぁ……」
 新郎も新婦も、未来への希望に満ち溢れていた。幸せそうで、キラキラしていて、これからどんな困難があっても二人で乗り越えていくのだろう。
 私も、そんな相手を見つけられると思っていたが、恋愛経験はない。気になる人がいたにはいたのだけど、その人に恋愛をするのは無謀だ。見た目良し、家柄良し、女性の扱いも慣れているという、いろんな方向で強者。気にするなというほうが無理なくらい目立つし、目を引く。藤嶺ウェディングで働いている女性はみんな、あのイケメン支配人に夢中だ。癒やし……だとかなんとか。
 でもあの人アラフォーよ? なんて思ったところで帰り支度を始めた。
 明日も仕事だ。披露宴の予定はないがお客様がいらっしゃる。寝不足の顔で人前に出られるものか。
「今日の入浴剤は檜にしようっと」
 鞄にノートパソコンを押し込んで、まだ残っているスタッフに声をかけて帰った。
 今日もたくさん歩いた。それは、新郎新婦の笑顔のため。だから全然苦じゃない。……苦じゃないんだけど、華々しく終わったあと、ちょっぴり切なくなる。私の人生に、あんな輝かしいイベントは発生しないらしいと思い知ってしまうから。
 六月が終わる。ジューンブライドって実は雨ばかりで日本の気候では向いてないよな……なんて思いながら湿っぽい空気を漂わせる街の空を見上げた。
 雨の匂いがする。早く帰らないと。夜は雨の予報だったはずだ。
 カツカツとハイヒールを鳴らしながら家路を急ぐ。でも、足が止まった。
「ジュライトジュノー……」
 煌々と輝く店の明かりに引き止められた気がした。
 大好きなジュエリーブランドだ。はじめてのボーナスで買ったのは、ジュライトジュノーのダイヤモンドピアスだった。社会人一年目にはとても高い買い物だったけれど、仕事へのモチベーションに繋がった。
 あのピアス、なくしちゃったんだけどね……。
 場所はわかっている。でも探しには行けない。
 惜しかったなぁ、といまでも思うけど、軽率な自分が悪かった。だから三日くらい泣きまくって諦めることにしたのだ。
 ジュライトジュノーのディスプレイを眺めてみる。ダイヤモンドの指輪が飾られていた。
 ここ何年かは忙しくてジュエリーを見に来る時間も取れなかったし、ピアスをなくしてから高いものはなるべく買わないようにしてきた。
「昇進祝い……か」
 それもいいな、と思って店に入った。
 いらっしゃいませ、とスタッフに声をかけられ、品物をいくつか見せてもらった。
 ジュライトジュノーはダイヤモンドジュエリーのレベルが高い。ブライダルでも人気があり、婚約指輪も結婚指輪もここのものにしたというカップルが多い。
「婚約指輪……かぁ……」
 一度くらい贈られてみたかったなぁ。二十代のころにこんなにきれいなものをもらっていたら、私の人生は変わったのかな。
 いや、変わったでしょ。彼氏がいる時点で百八十度変わるでしょ。
「婚約指輪ですか?」
 問われてはっとした。慌てて首を横に振る。
「違います。これは、自分へのご褒美的なもので……」
 販売員はなるほどと口にして、別のジュエリーを見せてくれた。ペンダント、指輪、ブローチ……。どれもきれいだけど、やっぱり指輪を買おうか。
 私の人生に結婚だの婚約だのといったイベントは存在しないのだ。恋人もいたことがないし、アラサー女がいまさらはじめての恋を探すというのもどうなのだろうか。婚活という手もあるが、私は結婚願望があまり強くないのかもしれない。できたらいいとは思う。でも、できなくてもいい。一人が気楽だ。だれかと一緒にいるのはきっと窮屈に思うだろう。それ以上の幸せもあるのだろうけど、私には向いていない。
「……あの。エンゲージリングって見せてもらえますか?」
 販売員はなにかを聞くでもなく、すぐにいくつかの品物を見繕ってきてくれた。
 自分に向けて買ったっていいじゃない。大奮発して、最後のジュエリーにしたっていいじゃない。私の左薬指に指輪なんてはまらないんだし!
 そう思って開き直り、私にしてはかなり高価な指輪を選んだ。
 ……ゼロがだいぶ多いけど大丈夫かな!?
 奮発しすぎた? でも、あの有名なジュエリーデザイナーの商品だから、仕方ない……よね。仕方ない! たしか、そのデザイナーには異名があったはずだ。なんと言っただろうか……。
「金剛石の名手……」
 ぽつりと呟くと、後ろでぶほっと吹き出す声が聞こえて恥ずかしくなった。たぶんなにか間違えた!
「ダイヤモンドの名手、ね。言ってることは間違ってないけど、すごく厳つくなっちゃったね」
「へ……」
 顔がびっくりするくらい熱いけど、聞き覚えのある声に振り返った。
 いつ見ても腰の位置がおかしい、すらっとした長身。光の加減で茶色く見える髪は地毛だと聞いた記憶がある。切れ長の目は、女性にものすごく受けがいい。きれいに配置されたパーツが、この人の顔立ちを完璧に仕上げている。
「藤嶺……さん」
 藤嶺聖史《さとし》。藤嶺ウェディングの支配人で、藤嶺ホテルの次期後継者。
 この、抜群に整った容姿と、その肩書きで女性を口説きまくっていると噂の、私の上司!
「なんでこんなところに……ま、まさか結婚……?」
「違うけど」
「なんだ。ついに藤嶺さんも落ち着く気になったのかと思いました」
「いつでも落ち着いてるけど」
 どこが! どのあたりが!?
 十年、この人の下で働いてるけど女性の影が絶えない人だ。大ホテルの御曹司ということもあるから、仕事の付き合いとか接待とかいろいろあるだろう。それを差し引いても、一年に三百人ぐらいの女性とお付き合いしているイメージしかない。噂もたびたび耳にするし……。否定、しないし。
「そういう賀谷さんはなにしてるの?」
「買い物です」
「ふぅん……」
「なんですか、その含みのある感じは」
 じっとりと藤嶺さんを見ると、彼はカウンターの椅子に座る私の隣に腰を下ろした。
 脚、長いな……。
 膝の位置を合わせてみようと思って態勢を変えたら、椅子から落ちそうになった。藤嶺さんにちょっと笑われてばつが悪くなりながら座り直すと、彼がまた「ふぅん」と言う。さっきからなに?
「ここのジュエリーが好き?」
「好きですよ。ここのブランドなら基本的にハズレはないです」
「お客様にも多いよね、ジュライトジュノーが好きな方」
「お気持ちがよくわかります。きれいですもん。繊細で、キラキラしてて……」
 うっとりしていると、藤嶺さんが私の前に置かれた指輪を覗き込む。
「それ、買うの?」
「あー……はい、まあ昇進祝い……です」
「プレゼントしてあげようか?」
「はい!?」
 値段見えてる? 人生を賭けた買い物だよ? ……あ。この人超セレブだった……。
 ゼロが六つだろうが七つだろうが、たぶん意に介さないレベルの。
「いいです、自分で買うので!」
「そう言わずに。君が頑張った努力を労ってあげたいんだよ」
 手を膝の上でぎゅっと握り締めた。
 どこにでもある言葉だろう。だがこの人が口にする言葉は、私の中にある穴を埋めるように刺さる。仕事の努力なんてみんなやっていることで、特別評価されるわけじゃない。でも、頑張ったねとか、お疲れ様とか言われれば嬉しい。それをこの人はよくわかっている。だから、私にも労いの言葉をかけてくれる。もう、とっくに後輩へかける側に回ったというのに。
「この指輪は自分で買うんです。そう決めてるので」
「どうして?」
 テーブルの役割も兼ねたショーケースに肘をついて、藤嶺さんが私を覗き込む。その目を見ると、なんとなく彼がモテる理由がわかる気がした。
 心から、好きだと言われているような気持ちになる、どこか熱っぽい視線。でもちょっとからかうような部分もある。嘘とも本当ともつかない目で見つめられて、胸の奥がきゅっと締まるような感覚がする。それが不思議と不快じゃない。この人に見つめられていたいと思わせてしまう。
 つまり、天性の遊び人ということなのだと結論づけたのは、二十三歳の春だった。
「私、仕事に生きようかなぁって思ったので」
「いまでも仕事に生きてると思うけど」
「なんというか……いままではもしかしたら結婚とか……できるかなって思ったんですけど、昇進しちゃったらますます縁遠くなるじゃないですか。もっと忙しくなるし」
 ちらりと藤嶺さんを見た。じっと見つめられたまま特に相槌も打たれないので意味もなく焦ってしまうのは、結婚について語ることなんて一度もなかったからだ。まして上司に。しかも男性に。
「せ、せっかくなら藤嶺さんのポストを狙いたいなぁ……とか……思って」
「仕事と恋は両立しないの?」
「できないと思います。恋人がいたことないのでわからないですけど、頭いっぱいになりそう……」
 いい歳をして恋を知らずにきてしまった。そんな私が、お客様の門出に立ち会うことを恥じることもある。それでも辞められないのは、この仕事が大好きだからだ。いつかは、これから先の道も考えていかなければならないだろうが、いまはまだこのままがいい。
「それで仕事を取るってことか」
「だって、恋は一人じゃできないですけど、仕事は一人でも頑張っていけるから」
 俯く私をよそに、藤嶺さんが販売員と話し始めた。もうちょっとこう……かまってほしいんだけど。
 話が重たくて鬱陶しかったかなと思っていると、目の前にペンダントが差し出された。
「わぁっ、きれいですね」
「これは俺からのプレゼント。昇進内定おめでとう」
「あ、ありがとうございます……?」
 首をひねった。プレゼントはいらないという話をしていたはずなのだが。
「まだ市場には出回ってないものだけど、一足先に買わせてもらったんだ」
「だれかにプレゼントする予定だったのでは?」
「だから、君にプレゼントだよ」
「そうじゃなくて。恋人とか、愛人とか?」
「俺に愛人がいることが普通みたいな顔で言わないでくれる?」
 私の想像では、『君にプレゼントだよ』と言って簡単にジュエリーは渡さないと思うのだ。職場の部下になんてなおさら。だとすると、贈り慣れていて、そうすることが普通なのだろうなと思った。だから愛人がいても普通……! と思ったのだけれど。
「そんなにタイミングよく買ってることってまずないと思うんですけど」
「見計らった可能性はあるよ。君の気を引きたくて……とかね」
「うわぁ……」
 両腕をさする。藤嶺さんっていい顔といい声で軽薄なことを言うので、アレルギーみたいな反応を起こしてしまう。
「ちょっと。傷つくんだけど」
「藤嶺さんってどうしてそう軽いんですか」
「軽くない軽くない」
「そういうところが軽いんですって」
「じゃあこれはいらない?」
 ペンダントを片付けられそうになって、首を横に振る。
 だって、まだ市場に出回ってない新作。すごくシンプルなデザインだけど、じっくり見れば繊細な細工が施されている。すらりと優美な曲線で描かれた羽根のモチーフ。メレダイヤがキラキラしてきれいだ。おそらく、ダイヤモンドの名手といわれるデザイナーのジュエリー。
「……いります」
「そうやって素直に受け取ればいいんだよ」
「でも、もらうばかりじゃ悔しいので、私もなにかプレゼントしますね!」
 ディスプレイを覗いて吟味を始める私の肩を、藤嶺さんがぽんと叩く。
「ものはいらない」
「あ……、そうですね」
 いくらジュライトジュノーという有名なジュエリーブランドの品物だとしても、私が気軽に買って渡せるようなものを彼が身につけるはずがない。
 軽率だった。
「よし。お店を出ようか」
 藤嶺さんが正面から身を寄せてくる。突然距離が縮まって驚きすぎたからだろうか、なにも言えず一人であわあわしてしまう。だけど、首元に冷たい感触が触れて気づいた。ペンダントをつけてくれただけだと。
「よく似合ってるよ」
「あ、ああああありがとうございます、です」
 しくじったなと目を逸らして俯く。案の定藤嶺さんは顔を背けて笑っていた。
 こういう場合、つけてみてと促すのが自然じゃない? 身を寄せてつけにくるもの? せめて後ろからとかじゃない?
 頭の中でいろんな疑問符が巡ったが、途中で考えるのをやめた。相手は藤嶺さんだ。なにが起こっても全然不思議じゃない。
「行くよ、賀谷さん」
「はい。すぐに」
 結局指輪は買えなかったが、また日を改めればいいかと藤嶺さんのあとをついて店を出た。あたりはだいぶ暗くなっている。
「あの、藤嶺さん。ありがとうございました」
「それは聞いたよ」
「仕事、頑張ります」
 このペンダントをつけて仕事をすることはきっとないだろうけれど、だれかにお祝いをしてもらったというのは大切な体験だ。
 そういえば、男性からプレゼントをもらうのもはじめて……。
 気づいて、顔が熱くなる。はじめて……か。そしてこれが最後になる。
 私のはじめては、全部藤嶺さんだ。
「賀谷さん」
 前を歩く彼が振り返った。車のヘッドライトに照らされて顔がよく見えないが、シルエットが浮かぶ。それだけで、この人がどんな姿をして、どんな表情を浮かべているのか気になってしまう。
 一歩、近づいた。
「はい」
「さっきのお礼」
 彼も一歩私に近づいた。そのあとは、ただ距離を詰められただけ。目の前に藤嶺さんが立つと、そばの店の明かりに彼の顔がかすかに浮かび上がった。
「君の、今夜一晩でどう?」
 蠱惑的に誘う、男性の顔をしていた。

(――つづきのお試し読みは各ストア様をご覧ください!)

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