「ナナオ……俺を欲しがってくれ。お願いだ」
あらすじ
「ナナオ……俺を欲しがってくれ。お願いだ」
将来自分の店を持つことを夢見ていたカフェ店員の笹倉七緒は、ある日異世界の『パーカネン王国』に迷い込んでしまう。
面倒見のいい銀髪の騎士団長トルスティの計らいで、念願のおしゃれなカフェを開くこともできた七緒だったが、訪れる客はお酒目当ての屈強な騎士さんたちばかり。思ってたのとちょっと違う……
そんなある夜、珍しくトルスティがひとり店に残っていて――
作品情報
作:夕日
絵:高辻有
デザイン:RIRI Design Works
配信ストア様一覧
本文お試し読み
プロローグ
私、笹倉七緒《ささくらななお》は職場のカフェに向かうために、三軒茶屋の街角を歩いていた。
その……はずだった。
しかし今私の目の前に広がっているのは、三軒茶屋――どころか日本のどの街並みとも似つかない西洋然とした風景である。信じられないことだけれど、瞬きをした一瞬で見ていた景色がそんなふうに変わっていたのだ。
周囲を歩いている人々は、一様に中世ヨーロッパのような服装だ。
そして……私が知る『人間』ではない者たちもたくさん歩いている。
耳長で信じられないくらいに綺麗な顔の人、頭には獣の耳がついていてお尻からは獣の尻尾が生えた人。そんな人々が、これがふつうだという顔をして私の目の前を歩いていた。
店長に季節のメニューの提案をしようとか。新入社員の宇田川さんの接客態度について苦情が数件入ってるから、注意しなきゃいけなくて億劫だなぁとか。バイトの子たちのシフトをどう組もうかなとか。将来自分の店を出すために、頑張って勉強しなくちゃなとか。
そんなことを考えながらの、ふだん通りの通勤路。
いつもとなに一つ変わることのない、そんな朝のはずだったのだ。
なのになんで……こんな場所にいるの。
「なに、これ。私……おかしくなっちゃったのかな」
鞄からスマホを取り出し位置情報を確認しようとする。だけどスマホの表示は――無情にも圏外だった。
呆然としたまま目の前の景色を眺めていると、老齢に差し掛かるくらいの茶色の髪をした女性から、胡乱げな眼差しを向けられてしまう。その人が自分と同じ『人間』の見た目だったこともあり、私はすがる気持ちで彼女に話しかけた。
「あ、あの。ここは、ここはどこでしょう! 私、さっきまで三軒茶屋を歩いていて……そのはずだったんですけど。いきなり、ここに着いてて!」
つっかえつっかえ要領を得ずに話す私を見て、女性の視線がますます厳しくなっていく。
「一体なんなんだい、あんたは」
そして、険のある声音でそう言われてしまった。
「なに、と言われましても……」
ただのカフェ店員の……はずだ。そうとしか説明しようがない。
頭をぐらぐらとかき混ぜられたみたいな不快な心地になって、私は口を押さえて地面にしゃがみ込んだ。大量の冷や汗が背中を伝い、その感触が気持ち悪くてたまらない。
「ちょっと、アンタ大丈夫なのかい?」
蒼白になって震えだした私を見て、女性がぴたぴたと頬を叩く。乱暴だけれど、どうやら気遣ってくれているようだ。そんな私と女性の様子を遠巻きに見ていた獣の耳が生えた男性が、少し困ったような表情で近づいて来た。
「ネーヤさん。その子、異世界人なんじゃないか?」
ネーヤさんと呼ばれた女性は、男性の言葉を聞いて得心したという表情になる。
「言われてみれば、ここらじゃ見ないような服装だもんねぇ。様子がおかしいわけだよ。なるほど、異世界人ねぇ」
「俺が第三騎士団に通報してくるよ。その子とここで待ってて」
放心状態の私を置いてけぼりにして、二人の間でどんどん会話が進んでいく。獣耳の男性は早足でどこかへと去っていった。
「大丈夫だからね。妙な力さえ持ってなければ、トルスティ団長が上手いことやってくれるからさ!」
ネーヤさんが、明るく言ってポンと私の肩を叩く。
「トルスティ、団長……?」
『団長』というからには、なにかの組織の長なのだろう。頼りにしていい人なのだろうか。
「そ。あんたみたいな王都付近に『落ちた』異世界人の検分をしたり、王都を守ったりする第三騎士団の団長さんだよ」
――異世界人。
先ほどから会話の端々に登場するそれは、どうやら私のことらしい。つまり、ここは……。
「ここは違う世界なの……?」
ぽつりとつぶやいて日本の面影を探すように周囲を見回す。だけど目から入る情報は、ここが日本であることを否定するものばかりで――私は力なく、肩を落としてしまった。
「君、大丈夫か?」
ネーヤさんに背中を擦られながら呆然としていると、涼やかで落ち着いた男性の声が耳に届いた。視線を前に向ければ、ピカピカに磨かれた仕立てのいい革のブーツが目に入る。
そして……大きな手が目の前に差し出された。
「立てるか?」
もう一度声をかけられて、恐る恐る顔を上げる。声の主を目にして、私は小さく息を呑んだ。
なんて……綺麗な人なんだろう。
そんな場合ではないはずなのに、ついその男性に見入ってしまう。
元の世界では見たことがない、純粋な銀の色をした髪。鼻筋はすっと通り、唇は薄く整った形をしている。長いまつ毛に囲まれた、晴れた日の青空みたいな青の瞳は吸い込まれてしまいそうなくらいに美しい。顔のパーツは完璧に配置されていて、まるで芸術品みたいだ。年齢は二十代後半くらいに見える。きっちりと襟の詰まった制服のようなものに身を包んだその姿は、禁欲的な色香を醸し出していた。腰にある長い得物は剣だろうか。現代日本ではまず見ないものを目にして、本能的な恐怖にぞくりと背筋が震えた。
「立て、ます。大丈夫です」
震える足を鼓舞しながら立ち上がるけれど、ふらついて倒れ込みそうになってしまう。しかしそのまま地面に伏してしまうことはなく、しっかりとした腕に体を受け止められた。その男性が支えてくれたのだ。
「平気ではなさそうだな。……失礼」
男性は一声かけてから、私の体を軽々と抱え上げた。その不安定な感覚に、少しの恐怖と混乱を覚える。なぜ、お姫様抱っこをされているのだろう。初対面の、とんでもないイケメンに!
「あの、一人で歩けますので!」
「気にせずに抱えられているといい。異世界から来た者が、ショックでこうなることはよくあることだ」
オロオロとしていると、落ち着いた声音であやすように言われる。こういうことは、この男性にとって日常茶飯事なのだといった態度だ。
「トルスティ団長。女の子なんだから怖がらせるのはやめてくださいよ!」
ネーヤさんの不安げな声が耳に届いた。通りすがりに毛が生えたような関係の私を気遣ってくれたり、さらには心配してくれたりする彼女はどうやらいい人らしい。
そしてこの男性が……先ほど話題に出た『トルスティ団長』なんだ。
「大丈夫だ、怖がらせるつもりはない。では……行くか」
トルスティさんは私を抱えたままで、悠然と歩みを進めていく。
今、私の体重って何キロだっけ。パンツスタイルでよかったな。スカートだったらあられもないことになっていた。そんなどうでもいい考えが次々と過るのは、現実逃避というやつだろうか。
「あの。ここは……どこなんでしょう」
ぐるぐると考えたあとに、私が漏らしたのはそんな質問だった。
「パーカネン王国という国だ。『落ちてくる』異世界人の保護には手厚い国だから、君は運がよかったな」
トルスティさんはこちらに目を向け、ふっと微笑む。
「運が、いいんですかね……」
突然日常から切り離されて知らない場所にいる時点で、運がものすごく悪いと思うんだけど。言われた言葉に納得できず、私は内心むっとしながら眉間に皺を寄せた。
「異世界人は、見つけたら問答無用で処刑する国もあるからな」
――訂正。私は、どうやらとっても運がいいらしい。
「やっぱりここは、私が住んでいた場所とは違う世界なんですね」
「ああ、そうだ」
きっぱりと言い切られ、心に重石を乗せられたような心地になる。一見してわかることとはいえ、断言されるときついものだ。
「……元の世界に、帰ることはできますか?」
恐る恐るその言葉を口にすると、トルスティさんの表情が硬くこわばる。そして重い沈黙が落ちた。そのあまりにも雄弁な否定に、私は泣きたい気持ちになった。
「こちらに来た異世界人が元の世界に帰ったという話を、俺は聞いたことがない」
トルスティさんは抑揚のない口調で、否定の上に否定を重ねた。
「そう、ですか」
「だが、これから先のことはわからないからな。希望は捨てない方がいい」
この言葉は……私を励ますための気休めなのだろう。
「そうですね……」
うつむいて沈黙し、案外激しいお姫様抱っこの揺れに身を任せる。
私の無断欠勤に……職場のみんなはやきもきしてるだろうな。電話もきっと、何度もかかってきているだろう。もしかすると、仲のいい子が家まで来てくれているかもしれない。手間をかけさせてしまって申し訳ないな。
あと二日でお給料日だったんだけどなぁ。お給料が入ったら、リサーチも兼ねたカフェ巡りをしようと思っていたのに。
すでに両親が亡くなっていたのは、不幸中の幸いだろうか。突然いなくなった娘を想って、嘆き悲しませることはない。
……自分のお店、持ちたかったな。
とりとめのない思考が巡った後に、強く残ったのはそんな思いだった。
§ § §
連れて行かれたのは、海外のアパートメントのような風情の煉瓦造りの建物だった。トルスティさんと同じ制服を着た男性二人が入り口の扉の横で直立していて、彼を見ると姿勢のいい敬礼をする。
「さて。そろそろ歩けるか?」
「は、はい。大丈夫です」
優しく声をかけられ、私はこくりと頷いた。
――呆然として運ばれるままになってしまったけれど、きっと重かっただろうな。そんな申し訳ない気持ちになりながら、私は足を地面につける。まだ少しふらついているけれど、自分で歩くことはちゃんとできそうだ。
「さ、中へ入ってくれ」
「あの、ここは……」
入ったら牢に入れられて、二度と表に出られない……なんてことはないよね? そんな不安が胸に過る。
「第三騎士団の詰め所だ。君のようにこの国に落ちてきた異世界人は、最初に騎士団の検分を受ける。王都の担当がこの第三騎士団なわけだ」
「検分……ですか」
そんな言葉を、ネーヤさんも口にしていた気がする。
「恐ろしいことや君の矜持を傷つけるようなことはしないから、安心するといい。俺は、第三騎士団団長のトルスティ・カウラネンだ。君の名前は?」
「七緒です」
「ナナオ。いい名だな」
トルスティさんはふっと笑うと、私の手を取る。そして上品なエスコートで、奥まった場所にある一室へと連れて行った。柔らかそうなソファーを勧められ、湯気の立つ紅茶を供される。抽出時間が長すぎたのか、紅茶は少しだけ苦い。けれど温かなそれを口にしているうちに、肩からふわりと力が抜けた。
「さて。この世界のことや、君たち異世界人の扱いに関してのことを話そうと思うのだが……大丈夫かな?」
目の前のソファーに座ったトルスティさんは、そう言って膝の上で両手を組んだ。
「はい、聞かせてください」
背筋をピンと伸ばして、トルスティさんの話に備える。あちらに戻れないのなら、きちんと聞いておかないと後悔するだろう。
トルスティさんは綺麗な形の唇を開くと、話をはじめた。
この世界には異世界人が『落ちてくる』ことが時折あって、その原因は解明されていない。神々の意思が働いているのだろうというのが、ひとまずの定説になっている。
異世界人の処遇は各国で大きく差があり、それは『ギフト』と呼ばれる異世界人特有の力が原因だ。
「『ギフト』というのは異世界人がこちらに顕現する時に得る力で、この世界にある『魔法』とは成り立ちが違う。こうやって君と俺が障害なく会話ができているのも『ギフト』の恩恵だな。これはどの異世界人でも、得ているものだ」
トルスティさんは美しい所作で紅茶を口にしてから、小さく一息つく。そして話を続けた。
「この言葉の垣根を取り払う『ギフト』の他に、固有の『ギフト』を君たちは所有している」
異世界人の持つ固有の『ギフト』の性能はピンからキリで、手から少量の水を出せるだけなんて『ギフト』もあれば、世界に多大な影響をもたらすような『ギフト』も存在する。災厄をもたらす大きな力を持つ者だったらと恐れ、異世界人を見つけたら即処刑する国も少なくはない。
このパーカネン王国の場合は異世界人に対してまずは検分と『ギフト』の鑑定を行い、危険分子でないと判断されれば、有事の際に『ギフト』で協力することを条件に王国での居住許可と支援を与えている。恐れるよりも利用しろ、という方針なのだ。
――トルスティさんがしてくれたのは、そんな話だった。
聞けば聞くほど、私がこの国に『落ちた』のが幸運だとわかる。危険分子と見なされなければ、条件つきとはいえ居住許可と支援が得られるのだ。他の国に『落ちて』いたらと思うとぞっとする。今頃……生きていなかったかもしれない。
「固有の『ギフト』を……私も持っているんですね」
自分に新しい能力が芽生えている……なんて。にわかには信じがたい話だ。
手を握ったり開いたりしてみるけれど、いつもの自分と変わらないように感じる。
……戦争に有用な『ギフト』じゃないといいな。なにかあった時に戦えなんて言われても、きっと私には難しい。震えて、うずくまるしかできなくて、きっと役立たずの烙印を押されてしまう。
「ああ。鑑定が行われるまで、どんな力かはわからないがな」
『ギフト』の鑑定は、この国独自の技術らしい。百年ほど前に現れた異世界人が開発したもので、その仕組みは秘匿されているのだとか。
「ギフトの鑑定は後ほどになる。まずは、君がどんな人生を歩んできたか教えてくれないか?」
トルスティさんはそう言うと、すらりとした長い足を組んだ。
「それは……私の危険度を判断するため、ですか」
「そうだ」
刃物の切っ先のような、鋭い光を宿す青の瞳に射抜かれる。この人の前では、嘘はすべて見抜かれてしまうのだろう。とはいえ私には、嘘をつく理由なんてものはない。
紅茶を口にし、喉を潤してから私は口を開いた。
「わかりました、お話しします」
「よろしく頼む」
「はい、では改めまして。私の名前は笹倉七緒です。『笹倉』が姓で『七緒』が名前。年齢は今年で二十三。生まれは日本という黒髪黒目の民族が住む国で……」
時々質問を挟まれながら、自分の人生のことを話していく。その内容を、トルスティさんは丁寧に紙に記していった。彼が使っているのは見たこともない異国の文字だ。それが自然に読めるのも、言葉の垣根を取り払う『ギフト』のおかげなのだろう。
「なるほど、ナナオには将来店を開くという夢があるのか」
流れで、そんなことも話してしまった。
「……はい。叶えられなく、なってしまいましたけど」
そう口にして……ふと思う。
こちらの世界でも――カフェを開くことを目指せばいいんじゃないかって。あちらに戻ることができないのなら、前向きに物事を考えないと損だ。
「トルスティさん。異世界人でも、こちらでお店を持つことってできますか?」
「ああ、可能だ。実際に店を経営している異世界人もいる」
「じゃあ私も、それを目指します!」
『希望』を見つけると、身の内に力が湧いてくる。
突然元気になった私を見て少し目を丸くしてから、トルスティさんは口元をふっと緩めた。
――ちなみに。
鑑定でわかった私の『ギフト』は、『人生が幸運に傾きやすい』というなんともふわっとしたものだった。魔法のようなものを使えるものだと思っていたので、かなり拍子抜けである。
トルスティさんの『検分と鑑定の結果を総合して、危険はないだろう』という判断もあり、私はこの世界での『居住権』を無事に得ることになったのだった。
第一章 騎士様との『関係』がはじまってしまいました
私がパーカネン王国に住むようになって、あっという間に一年と少しが過ぎた。
『ギフト』のおかげか、こちらでの生活はびっくりするくらいに順風満帆である。
――そう。自分のカフェをあっさりと持ててしまったくらいに順風満帆なのだ。
それもこれも、異世界に来てから最初に話しかけた女性――ネーヤさんと、トルスティさんのおかげである。
この世界に来た私は、国からの補助で与えられたアパートに住むことになった。そして節約すれば数年は暮らせるくらいのお金ももらったのだけれど、これは虎の子として残しておくことにした。将来の開業資金の足しにしたかったのだ。しかしもらったお金を使わないとなると、すぐにでも働きに出なければならない。
『まずは飲食関係の仕事を探したいな。トルスティさん、相談に乗ってくれないかな。……こっちでちゃんと知ってる人、あの人しかいないし』なんてことを考えながら、未来への期待と不安で胸をざわめかせていた時。ネーヤさんが、突然アパートを訪れたのだ。私のことを心配し、トルスティさんに居場所を訊いて様子を見に来てくれたらしい。
『これから、どうやって生活するつもりなんだい?』と訊ねられ、『飲食関係の仕事を探そうと思っている』と答えると。『じゃあ、うちの食堂で働けばいいじゃないか!』と笑顔で言われて、私は目を丸くした。
ネーヤさんは王都で食堂を開いていて、ちょうど従業員を探しているところだったのだ。
――これが『人生が幸運に傾きやすい』という、私の『ギフト』の効果なのだろうか。
効果を体感すると、なかなかありがたいものだとわかる。
断る理由がまったくない私は、一も二もなくネーヤさんの提案に飛びついた。
ネーヤさんの店はいわゆる大衆食堂で、居心地がよく働きがいもある店だった。この世界の貨幣と物品のつり合い、仕入れの方法、王都の人々の味の好み。いろいろなことをネーヤさんの店で勉強させてもらったのだ。
トルスティさんもたびたび私の様子を伺いに来て、『困ったことがないか』とか、『根を詰めすぎていないか』とか、いろいろなことを気にしてくれた。……それはとても、心強いことだった。
そんなふうに異世界での日々を過ごして、十一ヶ月ほど経った頃だっただろうか。
幸運が……また降って湧いた。
『知り合いが経営していた店を高齢で畳むから、場所を誰かに貸したいと言っているんだ』。そんな話を、店の常連さんが持ってきてくれたのである。何気ない世間話の中でした『いつか自分の店を持ちたいと思っている』という私の言葉を、その人は覚えていたらしい。
店を開いても軌道に乗るかなんてわからない。異世界での失敗は、日本での失敗よりも大きく未来に響くことになるかもしれない。
だけどこれは、願ってもいないチャンスだ。
しかも店舗の場所は王都の繁華街にあったのだ。好立地にもほどがある。二階に住居スペースもあるそうで、荷物が増えてそろそろアパートが手狭に感じていたのでこれも助かった。
ネーヤさんに相談すると『やるしかないでしょう』と背中を押してくれたこともあり、私はこの話を受けることにした。
そして取っておいた『虎の子』と、ネーヤさんのお店で働き貯めたお金で開店準備を整え、前の世界からの念願であるカフェを開いたのだった。
――『カフェ』を開いた、はずだったんだけどなぁ。
「ナナオちゃん、オムライスちょうだい。あと、ワイン!」
「こっちもオムライス! それとエールを」
「はいはい、ちょっと待ってください!」
カフェはありがたいことに繁盛している。お昼の時間帯は、客層として想定していた可愛らしいお嬢さん方やカップルに。そして夜の時間帯は……むくつけき男たちに大人気だ。彼らは今目の前で繰り広げられているように、威勢よく注文をし、酒を煽っては楽しそうに大声で笑う。
――どうして、こうなった。
私の『カフェ』はいつの間にやら、トルスティさんの部下である第三騎士団の騎士たちの仕事終わりの溜まり場と化していたのだ。
常連さんがいるのは、とてもありがたいことだ。
彼らは元気だけれどトルスティさんの教育が行き届いた品行方正な騎士たちで、悪さなんて一切しないし金払いもいい。それどころか騎士たちが常連なおかげで、飲食店にはつきものの暴力沙汰や窃盗などのトラブルとは一切無縁だ。
いろいろな点で、彼らには感謝が尽きない。
……だけどなぁ。
「ナナオちゃん、とりあえずエール!」
「俺はワインで!」
「ナナオちゃん、エールちょうだい。あと適当に、つまみになるやつ」
別のテーブルの騎士たちからも威勢のいい声が上がる。そして騎士ではない、他の常連さんたちからも。
この光景は……日本でも見たことがある。
これは――見まごうことなき『居酒屋』の光景だ。
「まったく、ここは酒場じゃないんですよ! たまにはケーキとか、アイスコーヒーとか、カフェオレとかも頼んでくださいよ!」
うちは『カフェ』で、『居酒屋』じゃないんだよなぁ! そんな気持ちを込めて叫ぶと、客たちからは楽しそうな笑い声が上がった。
「酒が出るなら、酒場だろう?」
騎士の一人がそう言うと、同意する声があちこちから上がる。そう言われてしまうと、一瞬納得してしまいそうになってとても悔しい。利益率の高い酒類を、メニューから省くわけにもいかないし……!
「カフェです! カフェですからね!」
語気を強めて言い切ってから、ひとまず酒類を提供する。そして腕を捲って、調理のために私は厨房へと向かった。
最初は慣れなかった火の魔法石を燃料として使う密閉型オーブンも、今ではしっかり使いこなせるようになった。シンクには触れると水が湧き出す水の魔法石が設置されており、壁際には氷の魔法石でひんやりと中が冷やされた食料貯蔵用の箱が置いてある。
この世界の日常に溶け込んでいる『魔法』はなかなかに便利だ。……仕組みは、まったくわからないけれど。元の世界でも電化製品の仕組みを理解してたわけじゃないし、どこの世界でも消費者とはそんなものなのだろう。
長い髪をしっかりとまとめなおし、調理を開始する。鶏肉と野菜を刻んで熱したフライパンに投入すると、じゅわっという小気味いい音と香ばしい香りが厨房に充満した。よい感じになるまで炒めたら、お米を投入。そう、この世界には日本米に酷似したお米があるのだ! 手作りのケチャップを使ったチキンライスをたっぷりの卵で包めば、オムライスの出来上がりだ。
ちなみに。オムライスは、この世界ではオーソドックスなメニューだ。数十年前に来た異世界人がこの世界に広めたのだとか。
オムライス二人分を完成させて、美味しそうに湯気を立てるそれを席に持って行こうとすると……。
「俺が、持っていこう」
厨房の入り口で、ひょいと二皿とも取り上げられてしまった。
私の手からオムライスを取り上げた人物は――トルスティさんだった。
「トルスティさん、こんばんは」
「こんばんは。今日も忙しそうだな、ナナオ」
「はは、おかげさまで。トルスティさんも食事にいらしたんですか?」
「食事と……ナナオの顔を見に来たんだ」
トルスティさんはそう言って、落ち着いた笑みをこちらに向けた。美男子に微笑みながらそんなことを言われると、なんとも面映い気持ちになる。だけどこれはトルスティさんにとっては、ただの『職務』の一種なのだ。勘違いをしてはいけない。王都に住み着いた異世界人がどういう生活をしているのか。それを定期的に確認するのも、トルスティさんたち第三騎士団のお仕事なのだ。
ネーヤさんのお店に勤めていた頃から足繁く来てくれる彼を見ていると、『この世界の公務員はこんなにも親切なんだ!』といたく感動してしまう。
「今日もお勤めご苦労さまです。今夜のご注文は?」
私はにこりと笑みを返すと、労う言葉と定型文を口にした。
「…………。俺は、牛の甘だれ焼きとパンのセットにしようかな。それとワインをもらおう」
どうして少し間があったのだろう。首を傾げながら見つめると、なぜか小さく苦笑される。
「すぐに用意するので、テーブルでお待ちくださいね。オムライスはお言葉に甘えてお任せします。ジーンさんとヨハルさんのテーブルです」
「わかった。しっかり届けよう」
美しい銀髪を翻し、優雅な仕草で部下の元へとオムライスを運ぶ。そんなトルスティさんの姿を眺めていると、自然と感嘆の息が零れてしまう。彼は本当に綺麗な人だ。外見だけではなく所作も綺麗で、貴族だと聞いた時には納得したものだ。たしか伯爵家の次男だって言ってたっけ。いつでも落ち着いていて優しいし、紳士的だし、きっとモテるんだろうなぁ。完全に雲の上の人だ。ちなみに年齢は、私の四つ上なのだそう。
トルスティさんが軽口を叩きながら部下のテーブルにオムライスを置くのを見届けてから、厨房へと戻る。そして『牛の甘だれ焼き』を調理していると……。
「ナナオ。次のオーダーだ」
オーダーをメモした紙を手にして、トルスティさんが再びやってきた。
「トルスティさん。お客さんはゆっくりしていてくださいよ」
トルスティさんはお客さんな上に、騎士団長様で、お貴族様なのだ。本来ならばこんなふうに、店のことを手伝わせていい人ではない。
「俺が手伝いたいだけだから、気にしなくていい。エールの注文が四つ入っている。持っていくから、先に注いでもらっていいか?」
「……わかりました。ありがとうございます」
……正直、手伝ってもらえるのは助かる。エールを四杯注いで渡すと、トルスティさんはそれを器用に手にしてホールへと戻って行った。
うちはあくまで『カフェ』なので閉店時間は早い。お昼頃から店を開けて、宵の口には閉めてしまう。
もういい時間なので、本日の閉店の準備をはじめようとしたのだけれど。一人帰らない人がいるので、どうしたものかと私は思案した。
「トルスティさん、そろそろ閉店なんですけど」
その『帰らない人』……トルスティさんに声をかける。頬杖をついてなにかを考えている様子だった彼は、こちらに視線を向けた。
「ああ、それなんだが。もう少しだけ飲んでいってもいいか? できれば、君と二人で」
トルスティさんの言葉に、目を丸くする。彼がこんなことを言い出すのはめずらしい。
「私と、二人でですか?」
「ああ。たまにはいいだろう? 少し……話がしたくてな」
甘えを含んだ声音で言われ、長いまつ毛に囲まれた青の瞳で見つめられる。これはどういう意図のお誘いなんだろう。
――なにか嫌なことでもあったのかな。きっと、そうに違いない。
私と飲むことで少しでもストレスが解消されるのなら、お力にならなければ。ふだん、たくさんお世話になってるし!
「いいですよ、飲みましょう! 明日は定休日なので、とことん付き合いますよ!」
明るくそう言ってみせると、トルスティさんの表情が安心したようにふっと緩む。
「では、ワインを一瓶もらおうか。それと適当につまめるものをお願いしても?」
「はい、わかりました!」
ささやかな飲み会の支度をしてからエプロンを外し、調理の邪魔にならないようポニーテールにしていた髪を解く。そして私は、トルスティさんと同じテーブルに着いた。ちなみにワインは近所の酒屋の主人のオススメを、おつまみはチーズと干したいちじく、ナッツを準備した。お口に合うといいんだけど。
……しかし、ドキドキするなぁ。
知り合って一年以上になるけれど、トルスティさんとここまでプライベート感の強い場を設けたことはなかった。こんなに素敵な人と二人きりなんて前の世界を合わせてもはじめてで、緊張で心臓が変な音を立てている。
「では、乾杯。今日もお疲れ様」
トルスティさんは微笑むと、上品な仕草でグラスを掲げた。
「は、はい。乾杯! トルスティさんも、今日もお疲れ様です!」
私も慌ててグラスを掲げ、緊張を払うためにワインをぐっと飲み干す。すると強いアルコールが喉を焼き、ふわりと緊張感が和らいだ気がした。
「……そんなに急に飲んで、大丈夫なのか?」
「平気です! お酒に弱くはないので!」
大人の嗜み程度にはアルコールは飲めるし、粗相は一度もしたことがない。だから平気……なはずだ。なんだかちょっと、ふわふわしている気がするけど。
「そうか。しかしほどほどにな」
「はい!」
笑顔で答えて、チーズを口にする。うん、美味しい。このチーズはちょっと高かったんだけど、買って正解だったなぁ。これはお酒が進んでしまう。
「最近、困ったことはないか?」
「はい、ありません! 夜が酒場みたいになるのは、すこーしだけ悩みどころですけど。だけどこれはこれで楽しいので」
「そうか。うちの連中には、あまり騒がしくしないように言っておこう」
何気ないことを話しながら、調子よく杯を空けていく。トルスティさんと話しながら飲むお酒は、思いの外楽しい。
だからうっかり――私は調子に乗ってしまったのだ。
§ § §
「トルスティさん、酔ってませんってぇ」
「それは、酔っている人間が言う台詞だ。ほら、しっかり歩くんだ」
「酔ってないですよ~! もう!」
いつかのようにトルスティさんに抱えられ、私は店の二階にある住居部分へと運ばれていた。
意識がふわふわしていて気持ちいい。そして、側にある体温が心地いい。ずっと寄り添っていたくなる。
部屋に着くと、トルスティさんは目を瞑ってなぜか数度深呼吸をしてから、私を優しくベッドに下ろした。
「戸締まりはしておく。明日の朝に、鍵は持って来るからな」
そしてそう告げると……私の側から離れて行こうとする。
――心地いい温もりが、どこかに行ってしまう。
嫌だ、寂しい。もっとこの温かさとくっついていたい。そんな衝動に駆られた私は、トルスティさんに反射的に抱きついていた。ふわりと香るのは、香水の香りだろうか。彼に似合う……優しい香りだ。
「ナナオ、どうした?」
「……トルスティさん、ぎゅってしてください。もっと一緒にいたいです」
甘えるような声音が口から零れる。息を呑む音がトルスティさんから聞こえて……。次の瞬間には、温かな体に抱き込まれていた。
意識が一瞬沈み込み――また浮き上がる。
「ふ、あっ。あんっ。……あっ!」
眠りに落ちてしまいそうだった意識を繋ぎ止めたのは、不思議な感触だった。体になにかが触れているみたい。そう思って感触の方に目を向けると、綺麗な手が衣服越しに胸に触れていた。綺麗だけれど……これは男の人の手だ。
「あ……気持ちいっ……」
どうして触れられているんだっけ? そんな疑問より先についそんな感想を漏らすと、柔らかなものに唇を塞がれる。私は甘えるように、そのすべすべした感触に唇を寄せた。数度触れるだけの行為を交わしたあとに、柔らかなものは離れていく。
「ナナオ。……俺に触れられるのは、嫌ではないか?」
濃い不安を孕んだ声が、ふと耳に届いた。声の主に目を向けると、トルスティさんの美貌が間近にある。こちらを見つめる碧空の瞳がとても綺麗で、私はそれに見惚れてしまった。
――そうだ。なにを訊かれたんだっけ。触られることが、嫌じゃないかって?
トルスティさんの手の感触は……嫌じゃない。だって温かくて気持ちいいから。
それに、私を傷つけることがないんだって思えるくらいに優しい。
「……嫌じゃ、ないですよ?」
私の言葉を聞いて、トルスティさんは嬉しそうに笑う。端整な美貌が近づいてきて、銀色の髪がさらりと頬にかかった。唇が合わされ、生暖かい舌が口内に侵入する。舌先同士が触れ合ったと思ったら、絡められ、くちゅりと甘く濡れた音を立てて吸い上げられた。
「ん、んっ」
キス、久しぶりだな。彼氏がいたのって、大学生ぶりだっけ。そしてキスだけで終わってしまったから、恥ずかしながら私はまだ清い身である。そして元彼とのキスは……こんなに気持ちよくなかった。
そんなことを考えていると「上の空はよくないな」と、苦い感情を滲ませた声で責められる。そして激しい口づけで攻め立てられた。
「ん、んふっ」
快感から生まれる涙で滲む視界の隅で、大きな手にスカートが捲り上げられるのが見えた。手は迷いなく足をなぞりながら進んで、下着越しに指が性器に触れる。花弁をかき分けるようにして擦り上げられると、じんと甘い疼きが走った。
「あ、ふ」
舌を絡めあいながら蜜壺に触れられると、体の奥から熱が湧き立つ。もっととねだるようにトルスティさんの舌に舌を絡めると、嬉しそうに擦り合わせられた。
(――つづきは本編で!)