「あぁ、堪らない……この日をずっと夢見ていた」
あらすじ
「あぁ、堪らない……この日をずっと夢見ていた」
ある罪で侯爵家を追われ、魔法で姿を変え平民として生きる元令嬢・シルヴィーナ。静かな日々に舞い込んだのは、かつての婚約者・王子レイファリオにかけられた“死の呪い”を解く依頼だった。幼い頃から傍にいて未来を夢見たはずなのに、触れ合うことは許されない。それでも彼の命を救おうと奮闘し、なんとか解呪に成功する。目を覚ましかけた彼に別れを告げ、シルヴィーナはその場を去った。しかし――「やっと……見つけたぞ」それまでの平凡な日常に割り込んで、迫りくる視線。鋭く熱を帯びたその瞳に、彼女の心臓はどくんと跳ねた。レイファリオの目は、確かに“誰か”を探している――まるで獲物を狙うかのように。
作品情報
作:蘇我空木
絵:夜咲こん
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9/5(金)ピッコマ様にて先行配信開始!(一部ストア様にて予約受付中!)





















本文お試し読み
プロローグ
朝陽がカーテンの隙間から差し込み、小さな部屋に目覚めの時を報せてくれる。
シルヴィーナは瞼に柔らかな光を感じながら大きく伸びをした。
「ん……今日もいいお天気ね」
ベッドから降りると床が軋む音が響く。この部屋で寝起きするようになってそろそろ五年。最初はわずかだった床板の撓《たわ》みも、今では随分と目立つようになってきた。
とはいえ、ここは優秀な魔法士を数多く抱えるヴェルミュール王国の中で最も地位の低い者が住まう寮。床に大穴でも空かない限りは頼んだところで修理はしてもらえないだろう。
せめて大きな音が立たないようにしたい。シルヴィーナはあれこれと対応策を思案しながら薄いカーテンを開けた。
窓の外には大勢の魔法士が働く魔法省の石塔が聳《そび》え立っている。すぐ下の道へ視線を向けるとパン屋の荷馬車が納品を終えて帰っていくのが見えた。納品は三日に一度だから、今日は焼きたてのものが食べられそうだと胸を弾ませる。
「さてと……そろそろ準備しないと朝ごはんが食べられなくなっちゃうわね」
昨晩のうちに汲み置きしておいた水差しから木桶に注ぎ、洗顔を済ませる。寝間着から簡素なワンピースに着替え、手作りの化粧水で肌を整えながら小さなドレッサーの前に座った。
鏡に映っているのは眩い金髪と大きな紫の瞳が印象的な女性の顔。幼い時分は「大きくなったら美人になる」と言われていた。その予想は見事に的中しているのだが、残念ながら当の本人には自覚はまったくなかった。
その理由は――――。
鏡の中のシルヴィーナが胸元のペンダントを握りしめて魔力を流しこむ。
指の隙間から淡い光が零れた次の瞬間、髪が栗色へ、瞳は穏やかな茶色に染まる。そして目尻が下がって鼻も低くなり、ほっそりとしていた輪郭が丸みを帯びた。
このペンダントには高度な幻影魔法が埋め込まれている。特徴らしい特徴が見つからない、ごくごく平凡な顔立ちの女性が今のシルヴィーナ――いや、この姿の持ち主は「エリセア・トールネン」と名乗っている。
髪をおさげに結ぶ手付きは慣れていて、かつては大勢の使用人に囲まれていた侯爵令嬢の面影はどこにも見つけられなかった。
下級魔法士の身分を示すローブを羽織り、眼鏡をかければ準備完了。手早く荷物をまとめるとドアノブに手をかけた。
「ええっと、忘れ物は……ないわよね」
念のために部屋をぐるりと見渡す。レンズ越しの視界に映るのは、必要最低限の家具が置かれた質素な部屋。
ドレッサーの前に並んでいる化粧水やおしろいは、休みの日に仕事仲間と一緒に山へ行き、そこに自生している植物を摘んで手作りした。
身に着けているのは肌触りの良さとは無縁のワンピースに、申し訳程度の刺繍が施されたローブ。
侯爵令嬢だった時分は絹か上質な綿素材でオーダーメイドされた服しか着ていなかった。最初の頃は戸惑っていたものの、今となってはその落差が可笑しく思えるようになっていた。
昔のような贅沢は夢のまた夢。だけど今の生活も悪くはない。
(いいの。命があるだけで十分だわ)
名と身分を棄て、外見を偽っている理由――それは生きるため。
シルヴィーナの犯した過ちの代償としては安いものだ。
「さて、今日も頑張ろうっと」
コツンと靴音を響かせ、「エリセア」は新たな一日を迎えるために廊下へと一歩踏み出した。
******
長い石造りの廊下の奥、魔道具資料室の片隅にある小さな休憩スペースでは、いつもの四人がテーブルを囲んでいる。ここまでは昼休みの騒がしさが届かないので、束の間のお喋りを楽しむには絶好の場所なのだ。
「ねぇ、エリセア。そろそろ眼鏡をどうにかする気はないの?」
斜め向かいに座るネイアがおっとりした口調で問いかけてくる。やけに語気が強く感じられるのは、何回も言っているんだけど! という苛立ちが含まれているせいだろう。
質問の形をした抗議にエリセア――シルヴィーナは苦笑いを浮かべた。
「うーん……あんまり」
「まさか、視力矯正の魔法が使えないなんて言わないわよね?」
簡単よ、と言って、対面に座った同僚のソリーネが指先を宙に向ける。小さな魔法陣が浮かび上がり、シルヴィーナの方へ近付くにつれて徐々に光りはじめた。
空気が軽く震えたかと思えば目の前でふわりと魔法陣が解けていく。
「ほら、そんなに難しくないでしょう?」
「う、うん……」
たしかに視力矯正の魔法はさほど難易度は高くない。魔法士として働けるレベルなら朝飯前だろう。
だが、シルヴィーナが眼鏡を手放さないのは視力が悪いからではない。現にソリーネに魔法をかけられたというのに、視界にはまったく変化が感じられなかった。
(これは万が一、幻影魔法が解けてしまった時の保険なのよね)
当然ながらそんなことを正直に打ち明けるわけにはいかない。シルヴィーナは曖昧な笑みを浮かべたまま小首を傾げた。
「でも、効果は一時間くらいでしょう? 掛け続けると魔力が足りなくなっちゃうから、やっぱり厳しいかな」
「えーっ? エリセアってそんなに魔力量が少なかったんだ。よく魔法士になれたわね!?」
隣に座るフィーラが素っ頓狂な声を上げる。思ったことを遠慮なく口にするので、知り合ったばかりの頃は戸惑ったものの、今はその素直さが羨ましい。
同時期に採用された三人は地方にある低級貴族の出身だ。平民とそう変わらない生活をしていたようで、修道院出身の孤児という設定の「エリセア・トールネン」にも気軽に声を掛けてくれたのだ。
「うん。だいぶギリギリだったと思うよ」
「そっか。でもまぁ、入っちゃえばこっちのものだもんね」
「っていうかさぁ……」
ソリーネがくるくると指先でスプーンを弄びながら悪戯っぽく笑う。なにか良からぬことを思いついた顔にシルヴィーナは反射的に身構えた。
「もしかして眼鏡を外したら……超美人だったりして?」
「えっ」
「ありうる! ちょっと外してみせてよ!!」
ちょっと待って、と言う間もなく正面から伸びてきた手に眼鏡が奪われる。シルヴィーナは咄嗟に目を閉じてしまったものの、幻影魔法がしっかり効いているのでそんな必要はないと思い直した。
そっと開けた視界には同期である三人の顔が映っていた。
「あー……うん、普通だね」
「ごめんごめん。そんなわけないよねー!」
場がどっと笑いに包まれ、シルヴィーナもつられて笑みを漏らした。「みんなひどい!」と抗議しながら眼鏡を取り返し、密かに安堵する。
(これでいいの。今の私は「エリセア」なんだから)
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