IRIEnovelAnthology 悪役令嬢なのに、イケメンたちから溺愛されるなんて聞いてません！？

「悪役令嬢なのに、愛されるなんて聞いてません！？」

あらすじ

「悪役令嬢なのに、愛されるなんて聞いてません！？」

『悪役令嬢×溺愛』をテーマにお届けする、ハッピーエンドお約束のアイリーノベル書き下ろし短編集。現代から転生をする悪役令嬢、入れ替わりの悪役令嬢、はたまた現代へ転生をする悪役令嬢、乙女ゲームの悪役令嬢など、バリエーション豊かなたっぷり11作品でお届けする、極甘ハッピーアンソロジー！

作品情報

作：蒼凪美郷／秋花いずみ／江原里奈／小達出みかん／桜旗とうか／沙布らぶ
　　ちろりん／猫屋ちゃき／春宮ともみ／日野さつき／みずたま
絵：紺子ゆきめ

配信ストア様一覧

本文お試し読み

　悪女にされた翳《かげ》りの乙女は、追放先で金色の熊（※豊穣神）の花嫁となりいつまでも幸せに暮らしましたとさ。　§　蒼凪美郷

　ある国が滅びの危機を迎えていた。
　大地は荒れ、野は枯れ、水は穢れ、数多の人々が飢餓に倒れていく。
　それを憐れに思った神は、人々を救うため金色《こんじき》の熊の姿となって大地へ降り立った。
　荒地を駆け大地を均し、枯野に種を撒いて森を創り、穢れた水を浄化し清廉な流れを行き渡らせてこう言った。
「私は“豊穣ノ森”と名付けた森の奥に住み、あなた方が二度と飢えることのないよう永遠の恵みを約束しましょう」
　そうして神は金色《こんじき》の熊の姿のまま大地に留まり続けた。
　あるとき、一人の女が森の奥に迷い込んだ。
　艶やかな鴉の濡れ羽色の髪に翡翠を嵌め込んだかのような美しい瞳。神はひと目で恋に落ちたが、神の身で人に手を出すことはできない。そこで神は彼女をひっそりと助け出したあと、使いを出して彼女を見守ることにした。
　しかし彼女の美しさに惹かれたのは神だけではなかった。
　凶行に走った男たちによって彼女は穢され、その身を儚んで自らの命を絶ってしまったのだ。
　神はひどく悲しみ、怒り狂った。
「愚かな人間どもに二度と恵みは与えぬ」
　神が森を去った途端、みるみるうちに大地は荒れ、緑は枯れ、清廉なる水は穢れていった。
　人々は再び飢餓に苦しめられ、その国は滅びの一途を辿ることになったという。

　豊穣神ベルディシオンの説話『彼の怒りに触れてはならない、その謂れ』より

　――いつかはこうなるような気がしていた。
「実の妹であるミリエールを手に掛けようとするなど言語道断！　お前のような悪女は王妃に相応しくない！」
　晴れ渡る青空の下で催された王族主催の茶会。その場に相応しくない、強い怒りを携えた糾弾の声が響き渡る。
　声の主はセルバファヴール王国の王太子、ユヒテル・ジュエス・セルバファヴール。若木を思わせる新緑の髪に空をそのまま映したかのような青い瞳、その顔は細くしかし凛々しく引き締まっていて、目鼻立ちは彫刻のように整っている。セルバファヴールの至宝と呼ばれる美しい青年だ。
　そのユヒテルの腕には、可憐という表現が相応しい少女が絡みついている。雪を溶かしたかのような白い肌に空の青を反射する銀糸の髪、髪と揃いの色の睫毛を痛ましげに伏せるその姿は今にも消えてしまいそうな儚さだ。この少女こそが、先ほどユヒテル王太子が名前を挙げていたミリエールである。
「リィズベルカ・エリー・グランフォード！　お前との婚約は破棄させてもらう！」
　ユヒテルから突き付けられた指先を前に、リィズベルカは小さく吐いた息とともに顔を俯かせた。
　俯かせた視線の先。リィズベルカの緑色の瞳が映したのは、ミリエールの足もとだ。
　金箔で縁取られたティーカップが、青々とした芝生の上に転がっている。しかし、その中身――紅茶を被ったであろう部分が不自然に枯れていた。
　紅茶に含まれていた毒のせいだ。奇跡的に毒の混入に気付いたミリエールによって、ティーカップごと地面に落とされたのである。
　茶葉や茶器を用意したのはユヒテル側、そして茶を淹れたのはリィズベルカ。故にリィズベルカが疑われることとなった。
　リィズベルカが紅茶を淹れることになったのは、ミリエールに「お姉様が淹れてくださる紅茶が一番美味しいから」とねだられたからだというのに。
「そしてここに、ミリエールとの婚約を宣言しよう！　リィズベルカ、お前には未来の王妃を暗殺しようとした罪により裁きが与えられるだろう！　――この悪女を牢へと連れて行け！」
　王太子の一声で近衛騎士が一斉に動き出す。
　その陰で、ミリエールの黒曜の瞳がリィズベルカを嘲笑うように歪んだ気がした。

（――つづきのお試し読みは各ストア様をご覧ください！）

　王子を不幸にするために転生しましたが、悪役令嬢として愛されてます　§　秋花いずみ

　はあ……。今日も推しのルークスがかっこいい……。
　スマホ画面に映る推しを眺めながら、信号待ちをしている私、白川《しらかわ》未姫《みき》。
　どこにでもいる平凡な家庭に生まれ育ち、地元でＯＬをしている。
　私がずっと夢中になっているのは、『王宮プリンセス＊虹色の誘惑』という恋愛シミュレーションゲームだ。
　このゲームは会話がチャット式になっていて、どんな言葉を入力してもさまざまなパターンで返事をくれ、何十通りものチャートがある。
　悪役令嬢が登場し邪魔をする障害さえ乗り越えれば、最高のハッピーエンドを迎えることができる初心者向けのゲームだ。
　中でも私は王子のルークスが一番の推しで、今日も十回目のエンディングに向けて懸命にゲームを進めていた。
「朝のログボ時間が一番の幸せタイムなんだよね」
　ゲームにログインすると、ルークスが甘い言葉をくれ、最高に幸せな一日の始まりになる。
　今日もルークスに癒されながら、仕事を頑張ろうと考えていたときだった。
　ドンッ！　と今までに感じたことのない強い衝撃が私の身体に伝わってきた。
　いや、伝わるなんて言葉では弱いくらい、ありえない衝撃だった。
　車ではねられたことを理解するうちに宙を舞い、スローモーションで流れる景色を見ながらあっ、私死んだわ……と冷静に考える。
　私をはねた車が遠いところにあるのを見ると、どうやら随分と飛ばされたみたい。
　ああ……こんなところで人生終わりかあ……。まだルークスのエンディングを全部見ていないのに……！　なんてことを思っているうちに、そろそろ身体は硬いアスファルトの地面に叩きつけられる頃だ。
　これが一番痛いだろうな。痛いのは嫌だあ……。
　そこで私の意識は途切れた。

＊＊＊＊＊

　次の瞬間、目が覚めると私はとても柔らかいものに包まれていた。
　鼻で息を吸うと、花のようないい香りがする。
　いや、死んだのに、柔らかいものに包まれていい香りがするっておかしくない？
　私は死んでない！？　そう確信し起き上がると、目の前は薄い布で覆われていた。
　これはシーツ……？
「どうしてこんなところで眠っていたの……？」
　見上げると、どうやら私は天蓋ベッドで眠っていたらしい。だから全方向に薄い布が垂れ下がっているんだ。
　この布をめくると、私が今どこにいるのか少しはわかるかもしれない。
　でも、怖い人がいたらどうしよう……。　私は覚悟を決めて、布を引っ張ってみた。
　すると、目の前には碧眼と長髪のブロンドヘアが印象的な男性の顔が飛び込んできた。
「女神！」
　彼はテノールのような低い声でそう囁くと、強い力で私を抱きしめる。
「いっ、いた……いたっ！」
「よかった！　女神が起きてくれて！　このまま眠り続けていたらどうなるかと思った！」
「な、何……は、離して！」
　目一杯引きはがそうとするけれど、全く力が及ばない。
　この人は誰？　言葉が通じるから、ここは日本？
　でも、いかにも西洋な感じがするし、この人が着ている服はまるで映画の衣装のように煌びやかで、装飾品が顔に当たって痛い。
「ちょっと……離して！」
　私が嫌がる声を出したらようやく離してくれた相手を見つめる。
　そしてさらに驚愕した！
「ルークス……！」
　私を抱きしめていたのは、さっきまでスマホの画面で見ていた推しのルークスだったのだ。

（――つづきのお試し読みは各ストア様をご覧ください！）

悪役公女、魔性の大公様の初恋を奪う　§　江原里奈

　　１

　寒風吹きすさぶ荒野で、ユリア・フォン・クライツェルは途方に暮れていた。
　ここがどこかさえ、わからない。裁判で『国外追放』を言い渡されたから、リテルオン王国の隣国だと推測するのみだ。
　しかも、思い当たる地域はどれも魔族が支配する場所。凍死するか魔族に捕えられて虐殺されるか……彼女を待ち受けるのは、いずれにしても悲惨な末路である。
　もしかしたら、今日のうちに死ぬかもしれない。しかし、ここで野垂れ死にしても、彼女が安らかに天国に行くことはないだろう。そう確信するのは、この世界が作り物だと知っているからだ。
　――かつて、ユリアは橘《たちばな》由里亜《ゆりあ》という名を持つ、どこにでもいそうな二十代後半の会社員だった。今いる世界は、由里亜がはまっていた乙女ゲーム『リテルオンの聖女』の中である。
　ふつうに考えれば、好きなゲームの中に転生したら楽しい思いをするはず。
　それがうまく進まなかったのにはある理由がある――ユリアが憑依したのが、主人公の聖女イゾルデではなく、悪役令嬢のユリアの方だったから。
　寝る直前、推しキャラのヘルマン王子をオトしたばかりなのに、なぜこんなことになったのか――もしかしたら、あのとき、由里亜のせいで負けた悪役令嬢の逆鱗に触れたのかもしれない。
　そう思うよりほかに、自分を納得させる術はない。ここはあまりに過酷で、ゲームが始まって大して時間が経っていないのに、すっかり心が折れていたからだ。
　万が一ゲームオーバーになったら、リセットされて再び同じ場所に戻るだろう。そうしたら、ここに至るまでの屈辱を何十回も味わうことになるのだろうか……。
　主人公の聖女にされた仕打ちを思い出し、ユリアはいきり立った。

　ユリアはリテルオン王国のヘルマン王子の婚約者であり、将来は王妃になることが約束された、誰もが羨む令嬢だった。
　その歯車が狂ったのは、一週間前のこと。聖地巡礼を終えて異能を得たユーリッヒ子爵令嬢イゾルデが聖女と認められ、宮廷に凱旋したパーティーでの出来事がきっかけだった。
　国王の祝辞が終わり、乾杯の段になると異変が起こる……イゾルデの杯《さかずき》に毒が仕込まれていたのである。
　床に倒れ落ちたイゾルデを抱き起こし、ヘルマン王子は悔しそうに呟いた。
「誰がこんなことを……！」
　それに応じるように、貴婦人たちの声が湧き上がる。
「ユリア嬢に違いありませんわ！　王子様が聖女様に惹かれて一番困るのはあの方ですもの」
「そうですわよ。これまでも、たくさんの令嬢に嫌がらせをしてきましたし」
　向けられてくる悪意の数々に、ユリアはショックを受けた。
　たしかに悪役令嬢が、ヘルマン王子と結婚するためにライバルたちをいびり倒したのは事実だ。由里亜だって何度も王子ルートを阻止されてきた。
（うぁ、最悪！　私がしたことじゃないのに！）
　ユリアは自らの運命を呪ったが、彼女の呪詛など何の役にも立たないことも悟っている。
「……み、皆さん、大丈夫……です。ユリア嬢を責めないであげて……」
　イゾルデが苦悶に満ちた声を出したのは、そのときのこと。
　聖女の奸計《かんけい》に気づき、ユリアは咄嗟に叫んだ。
「嘘よ！　私は何もしていないわ！」
　しかしながら、彼女の言葉を信じる者はもはやどこにもいない。周囲の紳士淑女の氷よりも冷たい視線が、幾千もの矢のようにグサグサと彼女を突き刺してくる。
　ヘルマン王子までもが、見下したような表情でユリアを一瞥すると、衛兵に指示を出す。
「この女を、地下牢に連れていけ」
「どういうことですか？　私はあなたの婚約者……！」
「黙れ、汚らわしい！　平民なら斬首するところを、裁判にかけてやるのだ。言い訳を今から考えておくのだな」
　――その後、監禁された地下牢は凍えそうに寒かった。
　しかし、そのときは予想もしていなかった。さらなる極寒の地が、彼女を待ち受けていることを。

（――つづきのお試し読みは各ストア様をご覧ください！）

婚約破棄をチラつかせてくる王子に、悪役令嬢も限界です！　§　小達出みかん

「ココ・ブロンディ、お前に婚約破棄を言い渡す！」
　金髪碧眼の美しい王太子、ルドルフが、黒髪の令嬢を前に、いばりくさって宣言した。
　彼の身勝手な宣言に、公爵令嬢ココは優雅に小首をかしげる。その顔には、涼しい笑みが浮かんでいる。
「あら、王太子殿下。なぜですの」
「お前のような悪女と添い遂げるなんてごめんだ！　俺は真実の愛を見つけた！　心優しい天使のような――そう、この彼女と婚約をしなおすことに決めたんだ！」
　隣の令嬢を見て、彼はそう宣言する。するとココの顔に、憐れむような表情が浮かぶ。
「あらあら……殿下のご決断はわかりましたわ。それなら私より先に、陛下にご報告なさってはいかがでしょう。私への宣言はそのあとでかまいませんのよ」
　その言葉に、ルドルフはグッと詰まる。
　――なぜなら王太子の身分である彼は、陛下の許可なく婚約破棄などできないからだ。
「それと当然、私の父にもおっしゃっていただければと思いますわ。そちらのご令嬢に対しても、誠意のあるご対応をなさいませ。では、ご機嫌よう」
　ココの父とは、現陛下の右腕で、泣く子も黙る辣腕宰相のブロンディ公爵のことである。
「くっ……」
　押し黙っている王太子を残して、ココは優雅に一礼し、部屋を出て、控える執事にご令嬢に持たせる迷惑料兼口止め料の指示をする――。
　ここまでが、いつものながれだった。
　しかし今日、婚約破棄を言い渡されたココは、顔を蒼白にしてルドルフの前で震えていた。
「で……殿下、今なんとおっしゃいましたの」
「だから、お前とは婚約破棄す」
「そのあとですわ！」
　するとルドルフはにんまり笑って、彼の隣に立っている儚い令嬢――ミリアムを引き寄せた。
「俺はお前の妹、ミリアム・ブロンディと婚約を結びなおすのだ！　天使のような彼女なら――」
「おやめください！」
　いつもの優雅さも冷静さもかなぐり捨て、ココはずんずんとルドルフに近寄りミリアムの手を掴む。
「それは許されることではありません！　ミリアム、行くわよ」
　しかしルドルフはミリアムの細腰を抱き寄せ離さなかった。
「離すものか！　これから父上と宰相殿に願い出にいくのだ。同じ家の娘ならば、二人とも納得して婚約破棄を認めてくれるだろうからな」
　するとココは色を失って訴えた。
「お待ちください！　それは……それはやめてください！」
　ココの必死の表情に、ルドルフはさらにニマニマといやらしく笑った。まるで王太子ではなく、意地悪なガキ大将の表情だ。
「へぇぇ？　俺がミリアムと結婚するのは嫌なのか」
「あ……当たり前ですわ！！」
　絶叫する姉を前に、ミリアムがか細い声で仲裁に入ろうとする。
「お、お姉さま、ごめんなさい、私……うぅ……」
　かすかなうめき声とともに、ミリアムはくたりと失神してしまった。
「ミリアムーーーーッッ！！」
　ココの叫び声が、広間に響き渡った。　

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悪女志願の運命の相手は空から降ってくる（らしい）　§　桜旗とうか

罪人に堕ちた令嬢は冷徹公爵の不器用な愛から逃げられない　§　沙布らぶ

「キャメロニア伯爵令嬢。君との婚約を破棄し、僕は真実の愛を貫き通すことを決めた」
　――なんて身勝手なんだろう。
　真実の愛とやらに目覚めた王太子殿下のお言葉で、わたしの立場は砂糖菓子よりも脆く崩れ去った。
　六歳の頃から十九歳の今日まで、王太子殿下の婚約者としてあらゆる妃教育を叩き込まれ、女学院でも強い節制を求められて友人をつくることもできなかった。
「どうして、こんなことに……」
　ぽつりと呟いたのは、冷たい牢屋の中だった。
　王太子殿下との婚約を破棄されたわたしは、彼の新しい婚約者に陰湿な嫌がらせをしたとして投獄された。王家から目を付けられたくない両親からも絶縁を宣言され、貴族としての資格を奪われたわたしは、罪人として薄暗い牢屋の中に押し込まれたのだ。
（嫌がらせですって？　そもそも、王家に貴族以外の血が混ざるなんて前代未聞――それに、人の婚約者に色目を使って取り入ろうとする方が悪いじゃない……！）
　庶民でありながら、王太子殿下の心を射止めた少女。
　いかにも吟遊詩人たちが好きそうな物語だが、王家に近い立場の者からすればこんな話は正気の沙汰じゃない。
　庶民が王族に嫁ぐということの重大さや、これまでの伝統……それに貴族社会の構図すら、一気に塗り替えかねないような珍事だ。
　わたしは王太子殿下の婚約者として、それを防ぐ必要があった。それなのに、待ち構えていたのはこの仕打ちだ。
　謂れのない罪で投獄され、このままここで朽ちていくのを待つのだろうか。
　そう思うと、恐ろしくて泣きそうになる。
　うすら寒い独房で気が触れるか、命が尽きる瞬間を待つ恐怖におびえていると、どこからか複数の靴音が聞こえてきた。
（まさか、お父様？　お父様が迎えに来てくれたの？）
　一縷の望みを持って顔をあげると、頑丈な鉄扉がギィと音を立てて開いた。
　……だが、そこに立っていたのはお父様ではない。それよりもまだ若い――背の高い、一人の男性だ。
「あなた、は……リュエンシス公爵？」
　王家の遠縁である、リュエンシス公爵――ブラッドリー・ディ・リュエンシス。
　軍部の要職に就く体格のいい男性は、わたしがこの貴族社会で最も苦手としている人物だった。
　彼は一応父方の親戚であり、幼い頃は交流があったのだが……わたしが王太子の婚約者になってからは、その交流もすっかり途絶えていた。
　いつもしかめ面をしていて、なにかあれば親戚という立場から「次期王妃の自覚を持て」とお説教をしてくる。社交界でも、いつも粗相をしないかと監視されているような視線を向けられていた。
「キャメロニア伯爵令嬢……いや、今はただのルーシー・ド・キャメロニアか」
　床に座り込んだわたしを見て、リュエンシス公爵はすっと目を細めた。いつも鋭い光を宿している鳶色《とびいろ》の瞳に、思わず背筋が伸びる。
「なによっ……どうしてリュエンシス公爵様がこんなところに？　まさか、この期に及んでわたしのことを嘲笑いに来たの？」
「俺はそこまで暇人じゃない。……お前をここから連れ出しに来た」
「……は？」
　淡々とした口調で告げる公爵だったが、わたしは頭に疑問符を浮かべたまま首を傾げた。どうして彼が、わざわざわたしのことを連れ出しに来たのだろう。
「すでに国王陛下の許可は得ている――今日このときをもって、お前の身元引受人は俺だ」
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このあと断罪されてしまうので、婚約者に惚れ薬を飲ませて回避します！　§　ちろりん

　恋は命がけ。
　特に私の場合は比喩でもなんでもなく、本当に命がかかっているのだからなおのこと。
　――このあとすぐに、私は死を宣告される。
　婚約者だったはずの男性に。
　だから、これは決死の覚悟で挑むのだ。
「……お願いいたします、ハドリー様。この薬を飲んでください。飲んでくださるまでこの部屋からは出しません」
「断る。アンジェリカ、何が目的か知らないが、今すぐに俺を解放しろ」
　ベッドの柱に縄で繋がれたハドリー様。
　お可哀想で見ているだけでも辛くて……背徳的で耽美で、なんてお美しい。
　大好きで大好きで、逃げようと思っても彼のもとから去れなかった。
　それほどまでに私を魅了する私の婚約者。
「……お願い、ハドリー様……私のために飲んでください」
　嫌われていても、それでも。
　――私はこの人に愛されたい。

　◇◇◇

「……まさか私があの『アンジェリカ・クレストン』になるなんて」
　一年前の私は、見慣れた天井を見上げて、驚きとともに呟いた。
　俄かには信じがたく、これは本当に現実なのかと疑ったが、覚めない夢なのではなく、紛れもない現実だと知る。
　ここは乙女ゲーム『女神の恋煩い』の世界だ。
　恋をしてみたいと願う女神の化身となって、ゲームのヒロイン・セシリアが攻略対象者たちと恋に落ちるというもの。
　そして私はセシリアのライバルであるアンジェリカ。
　いわゆる悪役令嬢に転生したようだ。
　アンジェリカは攻略対象のひとりである王太子・ハドリー様の婚約者。
　侯爵家の令嬢で、高飛車で高慢な、いかにも悪女然とした女性だ。
　セシリアが現れるまでは自分が未来の王妃になると信じて疑わず、自分の将来は盤石なものだと思っていた。
　ところが、ハドリー様とセシリアが急接近しているのを見て焦りを覚えた彼女はあらゆる手を使って妨害する。
　そして最後、両思いになったハドリー様とセシリアによって皆の前で悪事をばらされ、断罪されることになってしまう。
　国外追放を命じられたアンジェリカは、国境を越えた瞬間、ハドリー様に命じられた兵士に惨殺されるという末路を辿ることになるのだ。
　私が高熱を出し前世の記憶を取り戻したのは、断罪される日の一年前。
　そこから私は必死にいい子を演じ続けた。
　聞き分けのいい淑女の顔をして、セシリアに意地悪することなく、近づくことすらせずに、ハドリー様の隣で婚約者の鑑を演じていた。
　それはもう必死に、それこそ命がけで。
　頑張れば彼に愛されるかもしれない。
　そんな淡い期待を捨てきれずにここまできた。
　ところが、不思議なことにどれほどいい子にしていても、私に関する悪い噂が流れた。
　セシリアの悪口を流布しているとか、他の令嬢たちに命じて仲間外れにしているだとか、階段から突き落としたとか、果ては男どもをけしかけて襲わせたとか。
　根も葉もないことが社交界に出回り、私は徐々に周りから白い目で見られるようになった。
　しかも、ハドリー様とセシリアの距離も順調に縮まっている様子。
　役割を捻じ曲げようとしても補正がかかるのか、どうしても私が悪者になってしまうのだ。
　あるとき、私は偶然聞いてしまう。
「――次の夜会の日、罪を皆の前でつまびらかにして、この国から追い出そう」
　ハドリー様と彼の親友であり攻略対象のひとりである宰相の息子が、そんなことをこそこそと話しているのを。
　結局私は悪役令嬢として国外追放された挙句に、失恋相手に殺されてしまうという運命をどうすることもできないのだと思い知った。

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追放令嬢は旅先で拾われて幸せになりました　§　猫屋ちゃき

　乗合馬車が、のどかな田舎道を走っている。
　そんな場所を走っているというのに、馬車にはそこそこの乗客がいる。みんな、この先の村を目指しているのだ。
　私はといえば、その村は通過点に過ぎず、一晩休んだらまたどこかへ向かう馬車に乗せてもらうつもりだ。そんな日々を、もうかれこれひと月以上続けている。　
　とにかく北を目指そうと旅立って、もう結構遠くへ来た気がする。
　この国の北の地には、森と湖が美しい土地があるという。だから、人生の終わりにそれを目にするのはいいかもと思ったのだ。
「エルちゃん、良い天気だね」
　隣に座る男が、馴れ馴れしく声をかけてきた。彼の名はラース。二つ前の村で出会ってから、なぜだかずっとつきまとってくるのだ。
　本人は護衛をしてあげるなどと言っているが、この平和そのものの道中に護衛が必要な危険があるとは思えない。
「そうね、良い天気だわ」
　無視をするのもどうかと思い、私は一応返事をした。
「そうだよね、良い天気だよね。デート日和だと思わない？　もうすぐ村につくし、良い天気だし、隣にはこんなにいい男！　デートにはうってつけじゃないか」
　一体どういう主張なのか、ラースはそんなことを言って片目をパチパチ瞑って訴えかけてくる。
　確かに、ラースはいい男だと思う。顔が。
　少し癖のある黒髪に鳶色《とびいろ》の目は切れ長で、目尻が少し垂れている。鼻筋はスッと通っていて、薄い唇は口角があがっていて形がいい。背もあり、服の上からでも筋肉が乗っているのがわかる。
　簡単に言うと、非常に女性に好かれる要素を備えた男だ。
　そんな男が懲りもせず、出会ってからずっとこんなふうに口説いてくるのだ。
「デートなら、もっとおしゃれをしているときに誘ってちょうだい」
　相手にしていられないと、私は適当にあしらうことにした。それでも、ラースはめげない。
「エルちゃん、十分おしゃれだよ。……まるでどこかのお嬢様みたいだ」
　ニッコリ目を細め、ラースは私を見つめてくる。その目が時々何かを見透かしているようで、ドキリとさせられる。
　何を隠そう、私――エルネスティーネは、カウニッツ侯爵家の息女だからだ。だった、という表現が正しいのだけれど。
　私は、罪を犯して社交界を追放され、家からも勘当された。
　確かに悪いことをしたから、それを開き直るつもりはない。でも、この仕打ちに納得もできていない。

　私には、ディルクという婚約者がいた。幼いときに親同士が決めた、いわゆる政略結婚だ。
　次期公爵となるディルクに相応しくあるように、彼から好かれるようにと、ずっと良い淑女であろうとしてきた。
　しかし、彼はぽっと出の平民女に奪われてしまったのである。
　実によくある話だ。
　彼は、平民出身のフローラという令嬢を「なんて純粋な子なんだ」と言った。そして彼女の恥知らずな振る舞いを「無邪気で可愛い」と評価した。
　フローラは使用人だった彼女の母と男爵家の貴公子との間に生まれたらしく、母親が亡くなるまで市井で育ったのだという。そのため、引き取られていきなり貴族社会に放り込まれて苦労しているだろうと考え、最初はみんな親切にしたのだ。
　彼女の淑女らしからぬ振る舞いを、様々なご令嬢たちが親身に諭した。
　それなのに、その親切をフローラは「みんながよってたかってあたしを虐めるの」と周りの男性に泣きついたのである。
　それからは、賢い女性たちは彼女から距離を取った。私もそのひとりだ。しかし、避けられない事態が起きた。
　フローラが、公衆の面前で涙ながらに訴えたのだ。「あたし、ディルク様のこと好きになってしまったの！　いけないことだって、わかってるけど好きになったから仕方がないんだもん」と。
　そのとき、彼女がお腹をさすったのを私は見逃さなかった。彼女は言外に、“好きになったから仕方がないからいけないこと”をしたと私に見せつけたのだ。
　私は婚約者のいる身でありながら彼女とそういう行為に及んだディルクが、婚約者がいる男性とわかりながら彼を誘惑したフローラが、心の底から許せなかった。
　そして、言ってしまったのだ。「なんて卑しくて恥知らずなの」と。
　その発言により、私は社交界で“差別主義者”という誹《そし》りを受けた。“卑しい”という言葉を、彼女が平民であることを指したと解釈されてしまったのである。
　（――つづきのお試し読みは各ストア様をご覧ください！）

破滅ルート回避のため、オネェな辺境伯に嫁いだ……はずですが！？　§　春宮ともみ

　エヴェレット辺境伯へ輿入れの日は、眩いほどの晴天だった。
　領地内に建造されているシエナ大聖堂の前には葡萄酒の樽が多数積み上げられており、朝早くから大勢の民たちで賑わっていた。領主の婚礼を祝う品々を持参している領民代表に振舞われる葡萄酒は、領主の妻となるステファニーの生家・クロフォード公爵家の領地で醸造されたものだった。
　ステファニーは今日から夫となるフィリップが用意した馬車の窓から、こちらへ手を振る領民たちへにこやかに微笑んで手を振り返す。
「いいお天気でよかったですね、お嬢さま」
　正面に腰かけ、ひっそりと声をかけてくる侍女のシャロンに小さく相槌をうち、ステファニーは馬車の窓越しに空を見上げた。抜けるような青空はどこまでも高く澄み渡り、まるでこの婚姻を祝福してくれているようだった。
　――ああ、これでようやく……。
　処刑される運命から逃れられる――そう心の中で呟いたステファニーは、感慨深く純白のウェディングドレスの胸元を押さえた。
　今年十七歳になるステファニーは十歳のときに前世の記憶を蘇らせてからというもの、この身《ステファニー》の結末を知る者として常に悩み苦しんできた。けれど、それも今日で終わりだ。小さくため息を落とし、ゆっくりと瞬きをする。
　――まさか本当に『異世界転生』があるなんて、思ってもみなかったものね……。
　ステファニーの前世は日本で暮らす、ごく普通の、平凡なＯＬだった。二十代半ばにして突然死し、気が付けば十歳の少女として生まれ変わっていたのだ。そしてこの世界が、多忙なアパレルの仕事で荒んだ心を日々癒してくれていた、魔法が息づくファンタジーコミックの世界にそっくりな世界だと知ったとき、愕然としてしまった。なぜなら、そのコミックの登場人物であるはずの悪役令嬢・ステファニーこそが自分であったからだ。
　原作のヒロインは、とある男爵家の庶子として生まれた平民の少女だ。しかし、ある日お忍びで王都の市場を視察にきていた王太子に見初められ、そのまま王太子妃へと成り上がるシンデレラストーリーを歩むことになる。そんなヒロインのライバル役として登場するのが、三公のうちのひとつであるクロフォード公爵家に生まれたステファニーだった。
　コミックの中では、ヒロインと王太子の恋路を妨害するためにさまざまな嫌がらせを仕掛けてくる悪女で、最後には王太子に断罪され処刑されるという役どころだ。
　――七年間……長かったような、短かったような……。
　前世の記憶を取り戻したばかりの頃はパニックになりかけたものの、ステファニーはすぐに自分がこれからどうすれば良いのか考え始めた。
　まず考えたことは、とにかく自分の生命を守ることだった。そのためには、原作とはまるでかけ離れたキャラクターを演じる必要があった。煌びやかなドレスよりもあまり装飾のないシンプルなドレスを好み、流行りの髪型や化粧にも興味を持たず、同年代の令嬢たちが集まるお茶会でも『地味な令嬢』像を貫き通した。
　その結果、陰気な性格というレッテルを貼られるようになり、公爵家という家柄にもかかわらず友人と呼べる人間はいないまま十五歳のデビュタントを迎えた。しかし、以降の舞踏会でもステファニーは徹底的に壁の花となっていたため両親にひどく心配され、このままでは結婚もままならないとさめざめと泣かれてしまう始末だった。
　祖先を辿れば王家に連なる公爵家の令嬢としてなんと嘆かわしいと使用人たちに頭を抱えられても、ステファニーにとってそれは仕方がないことだった。処刑エンドだけは絶対に避けなければいけないので、必死に悪役令嬢にならないように努力してきたのだから。
　とはいえ、未婚のままでいれば行き遅れになってしまい両親の泣き顔を見る回数が増えるうえに、十七歳と半月で訪れるはずの断罪イベントがなにかの拍子で発生してしまうかもしれないので、一刻も早くどこかへ嫁ぐ必要があった。そこでステファニーが目をつけたのが、原作でも変人として有名なフィリップ・エヴェレット侯爵だった。
　彼は、いわゆる『オネェ系』のキャラクターだった。コミックの登場人物たちは皆美形揃いだったが、中でもフィリップはその美貌ゆえ、読んでいた端末越しにもその存在感を放っていたものだ。けれど、夜会で実際に会ってみると思っていた以上にオネェ全開だったので、ステファニーは少しどころかとんでもなく驚いたものだったが。
　――『お会いできて嬉しいわぁ！』っていきなりハグをかまされたときは正直ドン引きしたけど、超イケメンだったのよねぇ……。
　そう、フィリップの顔はとても整っていた。切れ長の目に長いまつげ、すっと通った鼻筋、薄い唇、シャープな頬、どれもが絶妙な配置で並んでいて、どこからどう見ても文句なしの美しい男性だった。身長百八十センチを超える長身で、銀の髪は艶々と輝き、肌は白くきめの細かいシルクのようで、瞳はサファイアのように青く透き通っていた。どこからどう見ても美しい男なのに、口調は女性そのもので一人称はアタシ《・・・》ときたものだから、初めて会話を交わした日の衝撃は計り知れないものだった。
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令嬢は炎の森で運命を拾う　§　日野さつき

　　　　　　　　１

　琥珀色の瞳を持った彼は、アーロンと名乗った。
「……助けていただいて、感謝しています」
　ベッドで上体を起こした彼は、ひどく疲れた顔つきをしていた。
「火事に巻きこまれるなんて、一生に一度あるかないかですね」
　ヒルダがそういうと彼は短く笑い、それから咳きこんだ。
　彼の怪我は軽症だったが、火災で発生した煙を吸いこんでいる。のどを痛め、眠っている間も頻繁に咳をする状態だった。
　ロレンツィオ国の最南端、アイズム村に隣接する森で火災が起こったのは、昨日未明のことだ。
　延焼を食い止められたのは幸運で、怪我人は出たが死者はいない。
　火事の最中に森を通っていたアーロンが、命を落とさずに済んだのも幸運だ。
　鎮火後、森の外れで意識不明の彼が見つかり、村に運びこまれた。医師とのやり取りで、自分の置かれた状況を彼がよく理解していることが知れた。
「どんなお礼をしたらいいものか」
「アーロンさんを見つけて、ここまで運んでくれたのは村の方々です。私はお手伝いですから」
「お医者さまが、お礼はヒルダさんに、と……あなたでしょう？」
「功労者は村のみなさんです、私ではありません」
「ヒルダさんはどうやら人徳がおありだ」
　彼は笑い、咳きこみはじめた。
　彼の髪はひどく焦げたものになっている。ベッドのシーツには、髪の残骸が無数の羽虫の死骸のように散らばっていた。
　彼が身体を起こしていられるようになったら、まずは散髪だろう。
　あれこれ尋ねるのは、それからでもいい。

　焦げた頭髪はととのえられ、彼の金の髪は短く刈りこまれた。さっぱりした彼の笑顔に、ヒルダは胸の奥が温かくなっていた。
「なにからなにまで、ご迷惑をおかけしました」
　順調に回復しているのはアーロンの顔色からもわかる。
　火災から一週間が経ち、深刻な怪我人が出なかったことで、村の空気は緩みはじめていた。
　森を偶然通りかかっていた旅人――そう自称するアーロンが話題になると、村人たちはかたい顔つきになる。発見時の彼の身なりは、旅人にしてはあまりにもよすぎた。そして荷が少ない。
「もう咳は？」
「たまに出るくらいです。そろそろ動きまわれるかと」
　――火事の起こった森で見つかった、よそ者。
「お医者さまが無理をさせてはいけないと……用心してください」
　アーロンは困ったような顔をしている。きっとヒルダも似たり寄ったりだろう。
　これまでは怪我人としての待遇だったが、先ほど医師の診断で一応は問題なしとされた。
　問題なし――怪我人でないのなら、場合によっては彼を尋問しなければならない。
「ヒルダさん、屋敷の主にお目通りを願えるでしょうか。お礼だけでなく、話さなければならないことがあるんです」
　自分の立場を理解しているのだろう、彼の眼差しに影が差した。
　火災に彼が関与している――その疑いは、できるだけはやく晴らしたほうがいい。
「主は……私です」
　アーロンの瞳に、不思議そうな色が浮かび上がる。
「療養所として部屋を提供しているだけです、遠慮しないでください」
　アーロンを見舞うのは密かな楽しみになっていた。怪我人に対して抱いてよい感情ではないが、アーロンとのやり取りは楽しかった。

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亡国の王女は護衛騎士に偽りを捧げる　§　みずたま

　水面に映る花火がきらきらと眩く揺れている。
「姉様みて！　すごくきれいだよ！　お空の星が雨みたいに降ってる！」
　弟のはしゃいだ声にリシェルは刺繍の手を止め、椅子の上でつま先立ちをしている小さな背中に声をかけた。
「危ないから気をつけて。ラルト」
「平気だよ。ほら、リシェルお姉様もこっちきて。僕のとなり」
　サラサラの金髪に青い目を輝かせてラルトは姉を手招きした。六歳の弟にこんな風に頼まれたら断れるわけがない。リシェルは笑顔でため息をつき、立ち上がった。真四角の小さな窓に二人で顔を並べる。ここは高い塔の最上部だ。暗い空に再び上がった花火は姉弟を金色に照らし出す。
「ほんとうね……綺麗だわ」
　美しく瞬き海へ飛び散る火の花。だが、窓には頑丈な鉄格子が嵌めてあった。
「この棒って、本当にじゃまだよ」
　ラルトは唇を尖らせた。
「大きくなったら、ぜんぶ僕が切ってあげるからね！　そうしたら花火ももっと綺麗に見えるよ」
　無邪気な言葉にリシェルは「素敵ね」と曖昧に頷くと、再び空に目を向けた。
　今日は国王の誕生日だ。長い祭りは今宵《こよい》の花火で最高潮を迎える。リシェルたちの食事も普段より豪華なものが並んだ。
「姉様……、花火が落ちるところが海なの？」
「そう、海よ。ずっとずっと向こうまで続いているの」
　弟は海を知らない。その海の向こうに、自分の国があったことも。
「綺麗なんだろうね。行きたいな……」
「そうね……」
　記憶を振り払うようにリシェル――かつて存在した国、フィロア王国の第一王女――は弟の頭を撫でた。
「もう寝る時間よ。あまり騒ぐと、グィンデルト卿に怒られてしまうわ」
「あの方は皆のように怒ったりしないよ。僕はあの方が一番好きだな。前に剣を触らせてと頼んだときはダメだと言われちゃったけど」
「……そうね。剣は、子どもには危ないものよ」
「僕はもう子どもじゃないよ。六歳になったら剣の訓練ができると聞いたもの」
「そうなの？　好き嫌いをしているうちは子どもだと思うわ」
　彼女は笑顔で弟の額を小突いた。確かに貴族の男子は幼少から剣技の訓練を始める。だが。
　剣など、決してこの子が触ることはないだろう。彼が己の出自を知ればこの城館の皆を殺めるかもしれないのだから。堅牢な城砦の西にある塔の最上階。この三年間、生き残りの王族である二人はここに幽閉されているのだった。
　フィロア王国は小国であった。リシェルが生まれたその十三年後、母はようやく男子を産んだ。それがラルトである。だが王妃は力尽き逝ってしまった。そのころから、父王は狂ったように近隣国に無謀な戦を何度も仕掛け、結果、同盟国の反撃を受け王国は滅亡した。
　父王は二人の子の命と引き換えに自死した。姉弟は海を隔てたガルダ王国で幽閉されることとなる。ものものしい警護のなか海を渡り、この城館に連れてこられた。幽閉生活は三年になり、ラルトは六歳になった。だが自分が亡国の王子であることを彼は知らない。十九になったリシェルも鉄格子の嵌った窓が一つだけのこの場所で、このまま命を終えるのだとわかっていた。それでもリシェルはただ、弟の幸せだけを願った。叶うはずはなくとも、夢見ることは許されたから。

　ラルトが咳をした。リシェルは慌てて弟の額に手を当てる。
「もう寝室に行きましょう、ラルト」
「ん……、でも、僕まだ花火を見ていたいよ」
「でも、熱が高いとまた何日も寝て過ごすのよ。それは嫌でしょう？　ね、おいで」
　彼女は弟を寝室に急《せ》きたてた。薄暗い壁に灯りがかすかに灯っているだけの寝室で、彼はひどく苦しそうな咳をすると布団へ素直に入り込んだ。彼女はそっと寝室を出て重そうな鉄扉の前に立った。
「あの、どなたか。弟に薬をいただけませんか。少し具合が悪いのです」
　返事を待つ間もなく、錠が上がり扉が開いた。立っていたのは、背の高い青年だ。深い色のマントの中に豪華な彫りの胸当てが光る。短く清潔に切り揃えた黒髪に、精悍で凛々しい顔つき。
「グィンデルト卿……？」
「こんばんは、リシェル殿」
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