作品情報

お嬢様、私は貴女を生涯愛し続けます~ワケあり辺境伯の独占包囲網~

「――あなたを、私のものにするために」

あらすじ

「――あなたを、私のものにするために」

使用人リシャ―ルとの不貞行為の濡れ衣を着せられ、王太子から婚約破棄を言い渡された侯爵令嬢ルティアナ。彼女は確かに、幼い頃からリシャ―ルにずっと恋をしていた。しかし、厳然とした身分差のあるこの国では、彼女の願いが叶うはずもなく想いは過去に捨ててきた。王家からの圧力を受け、その後も決まるはずだったルティアナの縁談は次から次へと立ち消えていく。そんな時、彼女の元へある男から縁談が申し込まれた。相手は、悪魔に魂を売り人の姿さえしていないという、得体の知れない辺境伯で……。

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作:桜旗とうか
絵:木ノ下きの

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 ◇◆◇
「大義だった、アドリー辺境伯」
 王城の、ひときわ広い謁見の間で玉座に座った銀髪の男が下方へ目を向ける。
 その視線の先には鎧兜に身を包んだ人物が一人。その人は頭を垂れた。
 アドリー辺境伯。サンドローベル王国の東方を守護する成り上がり貴族だ。武勲を立てて平民から貴族へと上がったアドリー辺境伯は、容貌が醜悪であるらしく、王宮に呼ばれても鎧兜で身を包んでいる。そんな鎧兜の下にある素顔を、壇上の豪奢な椅子に腰掛ける王太子は気にした様子もなかった。
「敵勢力へ大打撃を与えたと聞いているよ。これでしばらくは東方の国境も安全だね」
 四方を他国に接したサンドローベル王国では、常に脅威にさらされている。アドリー領は特に顕著で、衝突が絶えない。そのため、アドリー領主は一年と経たずに変わってきたが、現在のアドリー辺境伯は長く、安定して領地を守っていた。
「度重なる武勲、見事だ」
「恐れ入ります」
 ようやく鎧兜の人が口を開く。兜に声がくぐもっていたが、男の声だ。
「その武勲に見合う褒美を取らせよう。なんでも言うといい」
「では、叶えていただきたきことがございます」
 彼が求めた褒美に、王太子は是と答えた。

 一
 その日は、婚約者フォーガス・サンドローベル王太子殿下との月に一度ある定期面会の日だった。
 先月の面会が終わってすぐに今日のためのドレスや手土産を手配した。どれも、殿下との会話をよりよくするためのものだ。
 殿下は赤いドレスを好む。目が覚めるような鮮やかな赤も、しっとりと落ち着いたワインレッドも好感触だ。今日はボルドーの甘いデザインのドレスにした。パフスリーブにフリル。ビジューをあしらって華やかさを添え、ふんわりとドレスが広がるデザインだ。
 亜麻色の髪は毎日欠かさず手入れをして艶を保つようにした。緩めの巻き髪が殿下の好み。
 甘いものが好きな殿下に喜んでもらえるかと思って、いま話題の店の焼き菓子を持ってきた。侍女と一緒に街へ出て店に並び、ドキドキしながら買った。侍女には「お嬢様が買いに行くなんて」と難色を示されたのだが、このほうが話題を広げやすいかと思ったのだ。定期面会の時間を、沈黙させないための工夫。でも、今日は話題作りの必要はなかったかもしれない。
「ルティアナ。噂を耳にしたのだけどね」
 応接室に燦々と降り注ぐ日の光を浴びて、殿下の白銀の髪がきらきらと光る。
 五歳年上のフォーガス殿下とは、私が十三歳のときに婚約した。私の生家、マークレイハン侯爵家は貴族の中でも筆頭地位にある。王家と侯爵家、双方の利害が一致して縁を結ぶことになったのだ。
 お互いに恋情はない。しかし良好な関係を築いていたはずだった。
「噂……ですか?」
 眉根を寄せ、切り出された話題に無意識の警戒をした。いきなり噂話なんて、殿下は普段しない。
 殿下が一度窓の外へ目を向けたあと、視線を私へ戻す。そしてゆっくりと口を開いた。
「君が、使用人と親密にしているとね」
 えっ、と思った言葉は声にはならなかったが、思考は完全に止まっている。身動きもできずにいると、殿下に紅茶を勧められた。
 なにも考えられなくて、無言で従う形でテーブルに置かれたティーカップを持ち上げ、静かに口をつける。
 使用人? 親密にしている……?
 話の流れから考えて、この場合の標的となっている使用人は女性ではないだろう。男性。そして親しい男性使用人と言ってぱっと思い浮かんだのは、ある人物の顔だった。
「私には兄妹のように育ってきた使用人が屋敷におります。その者のことでしたら……」
「うん、聞いているよ」
 侯爵家の屋敷には、リシャールという使用人がいる。私とは三歳年の違う、兄のような人だ。彼の両親がずっと侯爵家で働いてくれており、彼らの息子であるリシャールも幼いころから使用人として働いてくれている。歳が近く、両親やほかの使用人たちからも信頼されているという理由もあって、遊び相手はずっと彼だった。
 そんな人と親しくするなというのは難しい話だ。大人になったいま、お互いの立場を弁えて接しているが、やはりほかの使用人たちとは違ってしまう。そのことについて、殿下にはきちんと説明をした。殿下も、理解し納得をしてくれたはずだ。
「でしたら……」
「兄と慕うだけだと聞いた。でも、今回の噂はそういうことじゃない。夜に寝所からその使用人が出ていく姿を見たと言う」
 鋭い眼光を向けられ、びくっと身をすくませる。こんな殿下の顔ははじめて見る。
「そんなこと……」
 声が震えた。焦点もうまく定まらない。
 嘘だと、私にはすぐにわかる。殿下が告げた出来事は一度だってない。
 子どものころは二人で遊ぶことも多かったが、昼間、人目の多い場所でだけだ。リシャールは夕刻を過ぎれば部屋に戻っていく。夜、怖い夢を見て人を探しながら屋敷を歩いていたとき、彼と廊下で会ってもメイドを呼んでくるだけだった。
 現在ではリシャールが屋敷にいること自体少なくなった。会えば会話はするが、接点はほぼなくなったと言ってもいい状態だ。それなのに、どこからそんな噂が……。
「君がその使用人に恋心を抱いているとも聞いている。……あまりみっともない真似をしないでくれ」
 吐き捨てるような殿下の物言いに、心臓がぎゅっと締めつけられた。悲しかったのではない。ふつと怒りに似た感情がわき上がってきたのだ。
「みっともない……?」
「君がだれをどう思っていてもとやかく言うつもりはないけど、使用人と関係を持つような人を王家の一員にするわけにはいかないんだよ」
「関係なんて一度も……!」
 カップを慌てて置いたからか、カタカタと食器がうるさく鳴った。殿下が嫌そうに顔をしかめる。
「動揺するのは図星なのかな。君のしたことを言及されて取り乱すなんて、僕の妻になる自覚はあるのかい?」
 謂れのない濡れ衣を――しかも貞操を疑われているのに、動揺しないわけがない。
 このサンドローベル王国には厳然とした身分差がある。庶民は庶民として生き、使用人はどこまでいっても使用人だ。例外があるとすれば、辺境領を統治する手腕を持ち合わせている場合だけ。武勲を示し、王家から認められ、貴族からの推薦を獲得してはじめて辺境伯として王家が叙勲する。その辺境伯にのし上がる最低基準の力量として、王宮に詰める兵士数百人を一人で蹴散らせなければならないと言う。
 辺境領の領主に求められるのは強さだ。武力。知力。統率力。社交性も必要だが、そこは後回しでもどうにかなる。それらを備えた人材がゴロゴロと転がっているわけもない。現に、平民から辺境伯へと身分を変えたのは、長いサンドローベル王国の歴史でも片手で足りる程度。東の国境を守る現アドリー辺境伯がその数名のうちの一人だが、その人は悪魔に魂を売って人外の力を得た人だと言われている。裏を返せば、そうでもしなければ平民が貴族になることはできない。生まれ持った身分はたやすくは変えられないのだ。
 家族の血筋を示す姓を持たず、ささやかな暮らしを送るのも精一杯。安定して生きるなら貴族に傅くしかない。それが、この国の大多数を占める平民の生き方だ。
「私は……後ろ暗いことなどなにも……」
 震えた声のまま、懸命に否定した。けれど、殿下は頬杖をついて呆れたようにため息をつく。
「火のないところに煙は立たないと言うよ」
 唇を噛み締めた。殿下は私を信用する気がないのだ。そうでなければ、もっと私の話に耳を傾けようとしてくれるはず。弁明を聞いてくれる姿勢を見せてくれるはずだ。
「……どうすれば信じてくださるのですか?」
 無駄なこととわかっていても聞かないわけにはいかない。いま、この国でもっとも上位にいる王族の、王太子から嫌疑をかけられているのだから。
「その使用人を追い出すのが妥当だろうね」
 なんでもないふうな口ぶりで殿下が言う。さも当たり前のことと言いたげだ。
 わかっている。それが殿下の望む最低限の妥協案であることくらい。多くの貴族も同じことを言うはずだ。だけど。
「そんなこと……」
 できるはずがなかった。
 リシャールは大切な使用人なのだ。兄妹同然に育った幼なじみで、兄のような人で、はじめての感情を教えてくれた人だ。

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