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八年越しの初恋~幼馴染の副社長にもう一度求愛されました~

「教えてくれないか? 俺の告白を断った理由」

あらすじ

「教えてくれないか? 俺の告白を断った理由」

 隣の家に住んでいた御曹司、海斗から告白された美波。本当は美波自身も海斗に想いを寄せていたが、身分の違いを言い訳に告白を断ってしまう。
 八年の月日が流れ、その恋を未練がましく引きずりながら大人になった美波。ある日突然、美波の勤める会社はとある大企業に吸収合併される事が決まる。オフィスに現れた相手企業の副社長、それはなんと八年ぶりの再会となる海斗その人で…。

作品情報

作:花音莉亜
絵:よしざわ未菜子

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第一章
「美波《みなみ》、俺と付き合ってくれないか?」
 そう告白をされたのは、忘れもしない八年前。私が高校二年生、十七歳のときだ。まさかの海斗《かいと》くんからの告白を自宅前で受け、ただただ戸惑うだけだった。本当は初恋なのに、彼のことがとても好きなのに。
 嬉しさより、困惑のほうが勝っていた……。
「……困ってる。迷惑だったか? いきなり、俺からの告白は……」
 ダークグレーのスーツに身を包んでいる海斗くんは、すっかり大人の男性になっている。優しい〝お兄ちゃん〟の印象は、ついこの間のことのような感覚なのに。
「あ、あの……。ごめんなさい。海斗くんは、恋愛対象じゃない……」
 どうしてそんな言葉が口から出たのか、あのときも今でも理解できない。ただ、制服姿の私と、上質なスーツをあたり前に着こなす海斗くんとでは、まるで釣り合わないと思ったのだ。
 それに彼は将来、大企業の社長になる人。住む世界が違い過ぎて、私が海斗くんに相応しい相手とは思えなかった。
 だから、あの返事は正しかったのだと、ずっと自分に言い聞かせてきたけれど、時折蘇る記憶に胸がズキンと痛む。
「分かった。聞いてくれて、ありがとう」
 切なそうな笑みを浮かべて、ゆっくりと戻っていく海斗くんの姿がどうしても忘れられない。
 街灯に照らされた彼の背中が、今でも後悔と共に思い出されるのだった。

「美波って、本当にバカだよね。みすみす、浅井《あさい》副社長をフるなんて」
 ランチをするため空き会議室に向かった私たちは、ドアから一番近い席に腰を下ろす。買ってきたコンビニの袋からパスタを取り出すと、友里《ゆり》を恨めしげに見た。彼女は佐久間《さくま》友里、私の同期で同じ二十五歳だ。
 あっさりとした性格と、勝気な印象の見た目で、整った顔立ちながら男性社員の評判は二分している。
 だけど女性からの人気は高く、私も友里のことは誰よりも信頼し好きだった。愛嬌を振りまかない分、すべての事柄に誠実だからだ。
 でも今は、図星過ぎる指摘に心が痛くて、彼女を恨めしげに見させてもらった。
「それ、蒸し返さないでよ……。初恋を引きずってるとか、本当は未練がましいって分かってるんだから」
「蒸し返したくもなるわよ。さっきのみんなの会話、しっかり聞いてたじゃない」
 見透かすように不敵な笑みを向けられ、言い返せないほど気恥ずかしくなる。友里の言うとおり、今朝は海斗くんの噂で部署が持ちきりでうっかり聞き耳を立てていた。
「前に話してくれた幼なじみの初恋の彼、着々と会社の跡を継いでいくみたいね?」
 友里も袋からサンドイッチを取り出し、美味しそうに頬張っている。そんな彼女を横目で見ながら、弱々しい返事をした。
「うん。そう……。なにせ、創業者一族の息子だから。海斗くんと幼なじみだったことが、そもそもの奇跡だったのよ」
「浅井海斗副社長……か。写真で見たけど、かなりのイケメンね。昔からそうだったの?」
「もちろん。背が高くてスポーツができて、気さくな性格で……」
 と説明しているうちに、海斗くんを思い出し切なくなってくる。彼は、実家がお隣同士の幼なじみだった。
 とはいえ、もう三年以上は連絡を取り合っていない。しかも、私の実家が五年前に引っ越していて、お隣同士でもなくなっている。
「そんな凄い人と、いくら家が隣同士だったからって、そこまで親しくなるものなの? 年だって、八歳も離れてるのに」
「父はね、私が子供の頃は自営をしてたから、それなりに裕福だったのよ。両親も勢いがあったし、自然と海斗くんのご両親とも仲良くなってて」
「あー、たしかレストラン経営だったっけ?」
 一度さらっと話したことがあったけれど、友里はしっかり覚えてくれていたらしい。それを嬉しく思いつつ、頷いて続けた。
「うん。でも、不況の煽りを受けて、私が中学校を卒業したときにお店も畳んだの。それからは、普通のサラリーマンよ」
「それでも、浅井副社長とは親しかったんでしょ? いくら親同士に交流があっても、美波たちが簡単には仲良くなれないんじゃない?」
 サンドイッチを食べ終えた友里は、ペットボトルの紅茶を軽く流し込む。最近、ダイエットに凝っているらしく、無糖のストレートティーだ。
「お互い一人っ子だし、海斗くんは面倒見のいい人だから。私のことを、まるで妹のように可愛がってくれてたのよ。小学生の頃は、地元のお祭りに連れていってくれたり」
「へぇ。それで、高校生のときに告られたってわけだ。なんで、断っちゃったのよ。ずっと引きずるくらい、好きだったんでしょ?」
 それを言われると、消し去りたい〝あの夜〟を思い出す。海斗くんが告白をしてくれた日は、私が部活で帰りが遅くなった日だ。
 海斗くんはすでに就職をしていて、その日は仕事が早く終わったと言っていた。彼は一人暮らしをしていたから実家を出ていたけれど、私に会うためにわざわざ来てくれたのだ。
 しかも、翌日は出張というハードスケジュールだったのに。私が帰ってくるまで、数十分の誤差だったとはいえ、海斗くんは待ってくれていた。そんな彼の気持ちが痛いほど嬉しかったのに、私はあんな酷い言葉で海斗くんを拒絶したのだ。
 〝恋愛対象じゃない〟なんて、どうしてそんな言葉を選んでしまったのだろう。私の初恋は海斗くんで、今でもずっと彼しか見えないのに……。
「海斗くんは、浅井商事の跡を継ぐ人だもん。そもそも、私が恋していい相手じゃなかったのよ。だから、告白をされたとき戸惑いが大きくて……。勇気がなかったの」
 そう。彼は大手総合商社、浅井商事の御曹司だ。創業者一族で、彼の父が社長を務めている。
 将来的に彼が社長になることは既定路線で、それをうかがわせるように今春から彼は副社長へ就任した。
 それは、私たちが勤める専門商社でも話題になっていて、三十三歳という若さで副社長に就いた海斗くんの噂で持ち切りなのだ。
 長身でモデル張りのルックス、海外経験も豊富で語学堪能な優秀さ。そして華々しい肩書きは、多くの女性を魅了するらしい。
 彼がその後、他の女性と付き合っていたことも知っているし、すっかり私のことなんて思い出になっているだろう。過去に囚われているのは、私だけだと思っている。
「もしかすると、チャンスはまた来るかもよ? ねえ、知ってる? うちの会社、吸収合併の噂があるらしいの。しかも、吸収先は浅井商事」
「え? そんなこと、聞いたことないよ? まさか、そんな偶然……」
 〝あるわけない〟と答えようとして、友里の含みのある笑みに言葉を呑んだ。たしかに、うちの会社は業界でも下位のほうで、業績不振であることは分かっている。
でもだからといって、吸収合併? しかも、浅井商事と……? 有り得ない。そんな答えを自分の中で出して、海斗くんの話は封印した──。

「岡崎《おかざき》美波です。よろしくお願いします」
 まさか私が、この場所で自己紹介をすることになるなんて思ってもみなかった。広くて明るいオフィスと、多くの社員で賑やかなここは、それまでの職場環境とは一転して違っていた。
「よろしくね。ここでは、前の会社と同じように営業事務をしてもらうから。最初は戸惑いもあるだろうけど、経験者だしすぐに慣れるわよ」
「は、はい。お願いします」
 営業部一課の主任、山下さんはニコリとすると自席へ戻った。三十代半ばの女性で、ふんわり花の香りがする美人だ。
「ねえ、美波。やっぱり、浅井商事は雰囲気が一流というか。全然違うよね?」
 隣のデスクの友里が、耳打ちをしてくる。初日の緊張でいっぱいの私は、ぎこちなく頷くだけだった。
 まさか、本当に浅井商事に吸収されるとは思っていなかった。ただ、友里から話を聞いたときには、ほぼ決定されていたようで、それから数日も経たないうちに正式発表されたのだった。
 上層部は変わってしまったけれど、部長や課長クラスはそのまま浅井商事に異動できたため、大きな混乱には至っていない。
 私たち事務職の社員たちも、ほぼ以前と同じ業務内容で勤務している。そして友里が言ったとおり、ここは前の会社と比べるとかなり活気があった。
 営業さんの向上心が高く、いい意味で刺激のある競争がなされている。社員間のコミュニケーションも良好そうで、笑い声も程よく聞こえてきた。
「岡崎さんは、副社長と幼なじみなんだってね? 驚いたよ」
 手が止まっている私に声をかけてきたのは、今日から直属の上司になった課長だ。営業部一課の田村《たむら》康介《こうすけ》さんという。
 三十歳という若さで課長になるのは、浅井商事ではかなり珍しいらしい。爽やかでスマートな彼は、部下から慕われている人なのだと初日から分かった。
「は、はい。そうなんです」
 慌てて立ち上がった私に、田村課長は苦笑している。大企業の課長という肩書きに気圧される部分もあるけれど、課長は親しみやすそうな感じだった。
「そんなに、緊張しなくていいよ。これから一緒に仕事をするわけだし、楽しくやっていこう」
「は、はい。ありがとうございます。あの……。副社長って、営業部によく来られるんですか?」
 聞いてしまったのは、課長から海斗くんの話を振られたからだ。ここへ来てから、まだ二時間ほどしか経っていないのに、海斗くんの話題は他の人からも出ている。
 彼と私が幼なじみだということが周りに早々と知られていて、驚きと戸惑いでいっぱいだった。
「いや、営業部にはほとんど来られないよ。同じ階に会議室があるから、そこには出入りされるけどね」
「そうですか。皆さん、副社長のお話をすぐにされたので……」
 課長の答えにホッとしつつも、少し残念に思う自分に呆れてしまう。海斗くんからの告白を断ったのは私だし、彼のほうはそんな過去は忘れてしまいたいだろう。
 会いたいと未練がましく考えているのは、間違いなく私だけ……。だって、海斗くんとは互いに連絡先を知っているのに、彼からのコンタクトはまったくない。
 もちろん、私からもとても電話もメールもできなかった。
「副社長は華やかな方で、有能だからね。みんな憧れがあるし、幼なじみの岡崎さんに興味津々なんだよ」
 茶目っ気のある課長の口ぶりに、思わず苦笑してしまう。仲がいいと思われているのだろうけど、最後に会って話をしたのは三年前だ。
 海斗くんがニューヨークへ行く前に、奇跡的に家族ぐるみで食事をしたのが最後だった。それ以降、彼とはまったく接点がない。
「幼なじみと言いましても、今は全然会話をすることもないんです。ですから、副社長にとってはご迷惑かもしれません」
 そういえば、どうして私と海斗くんが幼なじみだと知られたのだろう。私たちは、今日から浅井商事に出勤だから、世間話をする余裕なんてないのに……。
「課長。申し訳ありませんが、岡崎さんに声をかけてもいいですか?」
 控えめに間に入ってきたのは山下さんで、手にはシルバーの鍵を持っていた。
「ああ。ごめん、ごめん。それじゃあ岡崎さん、なにか分からないことがあったら、遠慮なく聞いて」
「は、はい。ありがとうございます」
 感じのいい笑顔を向けた課長は、自分のデスクに戻っていく。その姿を見送った山下さんが、小さなため息をついた。
「まったく、課長はお喋りでしょう? 困ったら、私に言ってね」
「はい。それにしても、ここの方たちは、みなさん気さくでチームワークがよさそうですね。オフィスの雰囲気もいいですし……」
「社風だからね。副社長も、そういう方なんじゃないの?」
 クスッとした山下さんからは、「岡崎さんなら、よく知ってるでしょう?」と言われているようで勝手に気まずくなる。
 そして、山下さんの言うとおりだとも思った。海斗くんもご家族も、本当にとても話しやすく親しみやすい人たちだから。
「オフィスを出て左に曲がったら、奥に会議室があるの。午後から会議があるから、このとおりに準備してくれる?」
「分かりました」
 手渡されたのは、会議のデスク配置のマニュアルで、長机を四角にするよう書かれている。
 山下さんの説明によると、会議室の準備は営業部の仕事ではないけれど、フロアが一緒ということで、手が空いているときは引き受けているとのことだった。
(会議って、まさか海斗くんも出席するとか……?)
 さっき、課長が言っていたように、海斗くんが会議で来る可能性もあるのだ。いつまでも、海斗くんを思い出してばかりの自分に呆れるけど、いい加減諦めなくてはいけないとは分かっていた。
 廊下を出て左には、エレベーターホールと非常階段がある。その手前が会議室で、鍵を開けた──つもりが、鍵穴が空回りした。
「あれ? 開いてる?」
 そっとドアを引くと、たしかに鍵は閉まっておらず簡単に開く。誰かいるのだろうかと恐る恐る中を覗いた瞬間、私の心臓は止まるかと思った。
 なぜなら、そこには──。
「あれ? 美波? 久しぶりだな」
「か、海斗くん……」
 窓際のテーブルで、書類らしきものを整理していた彼は、目を丸くしたもののすぐに笑顔を見せた。
 三年前に会ったときより、少し前髪が長くなっていて、より大人っぽくなっている。相変わらずスタイルが良く。長身で手足が長い。糊のきいたスーツは上質なもので、これほどスーツが似合う人もいないと思っている。
 整った甘い顔立ちも、全然変わらない……。
「そっか。今日からだったよな。会社のこと大変だっただろうけど、浅井商事でも頑張って」
「う、うん。ありがとう。あの……。会議の準備をしないといけなくて」
 三年ぶりだというのに、あまりに変わらない海斗くんの態度に戸惑ってしまう。意識をしているのは私だけだと、はっきり思い知らされた感じだ。
「ああ、午後からのか。それ、マニュアル?」
 手を差し出しながら、海斗くんが歩み寄る。彼の身長は一八〇センチだから、私と三十センチほど差があった。
 だから彼が側にくると、見上げてしまうのも昔と変わらない……。
「これなんだけど……。海斗くん忙しそうだけど、作業しても大丈夫?」
 マニュアルを手渡すと、彼はそれをじっと見ている。ブランクがあるとは思えないほど、ごく普通に話せていることが複雑でもあった。
 海斗くんに会うと、やっぱり胸が高鳴りドキドキしてしまう。舞い上がりそうになる想いもあるけれど、彼はそうではない。
 そのことが、このごく自然な会話から感じ取れてしまい切なかった。
 完全に自分が空回りしていて、落ち込んでしまう。これから、こうやって偶然会うこともあるだろう。
 そのたびに、一人で盛り上がっては自己嫌悪に陥るのだろうか。
「美波だけでやるのは大変だろう? 俺も、手伝うよ」
「えっ!? そ、それは……。大丈夫よ。一人でできるから」
 思わぬ海斗くんの言葉に、すっかり動揺してしまう。副社長という立場の彼に手伝ってもらうのは気が引けるし、忙しそうでもあるから躊躇する。
 それに気まずさもあって、思い切り両手を顔の前で振っていた。すると、海斗くんは少し眉を下げて笑った。
「そんなに、なんでも拒むなよ」
「え……?」
 もしかすると、そのセリフに深い意味はないのかもしれない。だけど、彼の表情が〝あの日〟を思い出させて心が痛む。
 そして、彼の言葉「なんでも拒むなよ」が、まるで告白のときとリンクしてしまい言葉にならなかった。
「美波は初日なんだし、仕事はスムーズにしていたほうがいいだろ? 手伝うから。あっちの椅子、持ってきて」
「あ、うん。ありがとう海斗くん。本当に、いいの?」
 彼に指示されるまま、壁際に置いてある予備の椅子を持ってくる。といっても、キャスターがついているから押すだけだけど。
「いいよ。午後の会議のことで、ちょっとやりたいことがあって来てただけだから」
 海斗くんはマニュアルがすっかり頭に入っているらしく、てきぱきとデスクや椅子を配置していく。私も遅れまいと、慌てて動いた。
「次の会議、海斗くんも出るんだ……?」
 ぎこちなさが残るものの、普通に会話ができていることが嬉しくもある。それは、海斗くんが私に自然に接してくれているからだけど……。
「ああ。午後は、役員会議だからね」
「そっか……」
 〝副社長〟の顔の彼は、いつにも増して凛々しくて、気を抜くと胸が苦しいほどに高鳴る。
 私が海斗くんに未練を残している間、彼は着々と前に進んでいるのだと分かった。こんな風に、いつまでも自分のしたことに後悔して、足踏みをしているのは私だけ。
「ほら、二人でやると早かっただろう?」
 不意に海斗くんが振り向いたとき、ふわっと甘い香りがした。それは、彼が社会人になったときからつけている香水だ。
 海外の高級ブランドのもので、私が香りが好みでワガママを言ってつけてもらったもの。それを、今でも海斗くんは使っていたなんて……。三年前に会ったときは、全然気づかなかった。
「本当だね。ありがとう。この配置は、ここでの会議では定番なの?」
「そうだな。だいたい、この形だよ。二人でやったから、綺麗にできた」
 見渡すと、マニュアルどおりの形になっている。一寸の狂いもなく並べられていて、二人でやったからというより、海斗くんとだから……だと思った。
「美波は今、幸せなのか?」
「え……?」
 突然の海斗くんの質問に、答えより先に意味を考えてしまう。含みがあるのか、単に話題のために聞かれただけなのか。
 彼の言葉は、どんな些細なことでも私の心を揺さぶった。
「仕事のことでは、大変なことも多いだろう? ここにも、慣れるまでは時間がかかるだろうし。プライベートで、お前を支えてくれる人はいるのかなって」
「えっと……。彼氏っていう意味なら、そういう人は全然いなくて……」
 ドキンドキンと鼓動が速くなり、そしてどんどん切なくなってくる。海斗くんの質問に、素直に「うん」と答えられたらよかったのかもしれない。
 だけど私の幸せは、海斗くんの側にあったのだと今さらながら気づく。初恋の人からの夢のような告白を、あのときの私は受け入れることができなかった。いろいろなことを考え過ぎて、幸せを掴むことに怖気づいてしまったからだ。
 海斗くんは、心配して聞いてくれたのだろうけど、彼の今の言葉で自分の想いが、報われないものだと分かった。
「そうか。美波のことは、いつでも気にかけてるよ。困ったことがあれば、力になるから」
「うん。本当に、ありがとう」
 身を翻した海斗くんは、机に置いていた書類を手に取る。もうこれで、三年ぶりの会話はおしまい。
 そう思ったら、つい彼の背中に声をかけていた。
「海斗くんは? その……。素敵な人はいないの?」
 彼は、三十歳を超えている。結婚を考えても、おかしくない年齢だ。いつか海斗くんの隣には、一生を共にする女性がいるのだろう。
 想像するだけで心が痛むけれど、後悔を口にする勇気はなかった。
「いないよ。じゃあ、またな」
 優しい笑顔を見せた海斗くんは、そのまま静かに部屋を出た。一人残された会議室は、なんて寂しいのだろう。
 三年ぶりに会えて、会話もできて嬉しいはずなのに。結局は、手放してしまった恋の切なさを感じるだけだった。
 もう、なんとも思われていない──。それだけは、本当によく分かった。

「岡崎さん、飲んでる?」
 爽やかな笑みを向けてくれたのは田村課長で、彼は女性の輪を抜けて端に座る私の側へ来てくれた。
「はい。こんなに楽しい飲み会は、とても久しぶりです」
「それならよかった。今夜は、岡崎さんたちの歓迎会だから、遠慮せず飲むんだよ」
「ありがとうございます」
 課長の好意に笑顔で答えながら、彼の気さくさと気遣いに感心してしまう。浅井商事に転籍してきて一週間、今夜は私たちの歓迎会を開いてくれている。
 会社からほど近い場所にある高級和食の店で、奥の個室を貸し切って行われていた。金曜の夜ということもあり、店内は満席で廊下に出れば他のお客さんの談笑する声が聞こえてくる。
「課長って、本当に人気者なんですね。この一週間で、それがよく分かりました」
 一週間といっても、正確には月曜日から金曜日までの五日間しか働いていない。それでも、田村課長の人気の高さはすぐに分かるほどだった。
 彼は親しみやすいだけでなく、部下の相談にもよく乗っている。ミスをした社員に対しては、慰めて勇気づけていた。そのため、一課のモチベーションは高い。
 さっきだって、課長は女性社員に囲まれていたし。
「ハハハ。そんなことないんだよ。俺の周りに来てくれる女性たちは、副社長の側に行けなかった人たちばかりだから」
「副社長……ですか?」
 海斗くんの話題が出るたびに、いちいちドキッとしてしまう。今夜は、役職者たちも来てくれていて、海斗くんも出席しているのだ。
 でも、私とは正反対の席にいて、二時間近く経った今でもまったく会話はできていない。そして課長の言うとおり、多くの女性社員に囲まれていた。
「岡崎さんは副社長と幼なじみなのに、全然話をしないんだな? やっぱり、周りに遠慮をしてるのか?」
 課長が海斗くんのほうに視線を向け、私もつられるように目を動かす。海斗くんの側には友里もいて、いい感じに酔っている彼女は、かなり海斗くんに近づいていた。
「そういうわけじゃないんですが、副社長は公私をしっかり分ける方なので」
 さすがに昔話をするわけにはいかず、それらしい理由を言ってみる。だけど、海斗くんならきっと、そう考えていると思う。
 あながち嘘ではないと心の中で言い訳をしていると、課長が私の空いたグラスにビールを注いでくれた。
「そっか。それなら、プライベートでは、しっかりコミュニケーションを取れるってことだな。羨ましいよ」
「そうですか……?」
 注いでもらったビールを一口含みながら首を傾げると、課長はいつもと変わらない爽やかな笑みを浮かべた。
「ああ。副社長は、俺たち役職者から見ても雲の上の存在で、憧れの人でもあるからね。岡崎さんが、とても羨ましいんだよ」
 なるほど、そういうことかと妙に納得して課長に苦笑した。
「実は、私にとっても同じなんです。幼なじみといっても、もうほとんどプライベートで会うことはないので」
 きっと、これからずっとそうだろう。せめて妹のようにでも、海斗くんと接することができればいいのに。
 でも、それすら私は自ら手放してしまった……。

「それでは、お疲れ様でした。これから先は、有志でお願いします」
 幹事の男性が店の前で声かけをすると、皆散り散りに分かれていく。どうやら浅井商事では二次会は有志で行うようで、メンバーも固定されているらしい。
 あたり前のように輪ができていく中で、酔いも人一倍冷めてしまった私は、完全に乗り遅れてしまった。
 海斗くんも見失ってしまったし、友里は上司たちの輪にすっかり溶け込んでいる。田村課長も、その中にいて談笑していた。
(仕方ない。帰るか)
 本当は、もう少し皆と一緒にいたかった……というか、海斗くんの近くにいたかったけれど、出遅れてしまった上に彼の姿は見当たらない。
 ため息をつき、その場から離れるように身を反転させた瞬間、横から腕を掴まれ脇道に引っ張られた。
「えっ!?」
 あまりに突然でなにがなんだか分からなかったけれど、思わず声を出しそうになった私の口をしなやかな手が塞いだ。
「美波、声を出しちゃダメだ。皆に気づかれてしまう」
 大きく頷きながら、驚きを隠せず目を丸くする。なぜなら、目の前にいる人は海斗くんだったからだ。
 どうして、こんなことを……? 未練がましく、私の胸は遠慮なく高鳴った。
「せっかくの飲み会なのに、美波とは一言も口を利けなかっただろう? 少しくらいは、話したかったんだ。迷惑だったか?」
「う、ううん。そんなことないよ。私も、少しくらいは話したかったから……」
(あ、素直に言えてる……) 
 もう、自分の気持ちを誤魔化し続けることはやめてしまいたい。今さら、あの夜のことを後悔していると言っても、彼は受け入れてくれないだろう。
 だけど、せめて今だけは、海斗くんと一緒にいられる嬉しさを隠さず伝えたかった。
「よかった。この路地を抜ければ大通りだ。他の店に行くか? それとも……」
「それとも?」
 こんな普通の会話にさえ、私の心は躍っている。海斗くんの甘い低音の声は耳心地がよく、ずっと聞いていたいと思ってしまった。
「話しながら、歩くか? 帰りは、タクシー乗り場まで送るから」
「うん。じゃあ、駅までは? タクシーは、お金が高いから」
 なんて言ったけれど、本当は駅のほうがここから遠いからだ。繁華街だからタクシー乗り場は近くにあるし、すぐお別れになってしまう。
 それでも彼への未練を必死で隠していると、小さく微笑まれた。
「タクシー代は出すよ。タクシーだと、電車の時間を気にしなくていいだろう? できれば、お前とたくさん話がしたい」
「海斗くん……」
 彼の言葉に深い意味はない、そう言い聞かせても、私の思考は都合のいいほうに解釈してしまう。
 少なくとも海斗くんは、私を迷惑には思っていないはず……。ドキドキする胸を抑えながら、彼について歩いていく。
 ビルとビルの間の路地を抜ければ、そこは車や人の往来が多い大通りだ。ここから先は、どこへ向かって歩くのだろう。
 とりあえず海斗くんについて歩きながら、緊張をほぐす意味で声をかけてみた。
「海斗くんって、女性社員にモテモテなのね。さっきなんて、女性がべったりだったもん」
 冗談めかして言うと、海斗くんは苦笑している。それは、照れ笑いというより困っている感じだった。
「副社長っていう肩書きがね、魅力的に映るみたいだ。それが、ネックになることもあるのに、皮肉なものだよな」
「ネックって……?」
 さっきから、彼の言葉が端々に含みがあるように受け取れて気になってしまう。それはやっぱり、私が意識し過ぎているからなのだろうか。
「なあ、美波。未練がましいと思われるかもしれないけど、教えてくれないか? 俺の告白を断った理由」
「えっ!?」
 こんなに騒がしい場所なのに、道行く人に振り向かれるくらい大きな声が出てしまう。だけどそれだけ、海斗くんからの言葉が衝撃的だった。
「ドン引きした? だけど、どうしても割り切れないんだ。俺の中で。恋愛対象にはならないって言葉、あのときは受け入れたように見せたけど」
「か、海斗くん?」
 彼は、なにを言わんとしているのだろう。私の鼓動は痛いほど速くなり、頭の中は混乱していた。
 それでも互いの歩みは止まることなく、ゆっくりと進んでいく。海斗くんは私に視線を向けながら、静かに続けた。
「どうすれば、美波の恋愛対象になったのかなって今でも思うんだ。年の差? それとも、浅井商事の跡取り息子っていうのがネックだった? それか、俺自身の問題なのか……」
 海斗くんと目が合い、胸が苦しく締めつけられる。高鳴りとともに、罪悪感も込み上げていた。
 私があやふやな返事をしたために、海斗くんはずっと苦しんでいた……。いたたまれず顔をそらすと、彼の足が止まった。
 気がつくと、大きな横断歩道の前で、赤信号になっている。海斗くんは端へ寄ると、私と向き直った。
「美波のことは、本当に思い出にしたいと思う。ただ同じ会社だから、お前と顔を合わせる機会が増えると思うんだ。だからこそ、はっきりさせたくて」
「うん……」
 返事をしながら、胸の鼓動がどんどん速くなっていく。それは、自分に都合のいい期待が膨らんでいるからだと自覚した。
(待って……。思い出にしたいって、どういう意味?)
 海斗くんの中では、私とのことはとっくに過去のものになっていると思っていた。それも、思い出したくもないほどに。
 それなのに、どうして彼はこんなことを言うのだろう。どうして、そんなに思い詰めた顔をしているのか……?
「海斗くん、今さらでも、自分の気持ちを伝えていいなら……」
 自分から心無い返事をしておいて、後悔を口にすることは絶対に許されないことだと考えている。
 だけど、海斗くんが聞いてくれるなら話したい……。
「嘘偽りのない美波の気持ちが聞けるなら、教えてほしい」
 海斗くんが見せてくれる笑顔はどこかぎこちなくて、彼も緊張しているのだと分かる。私も身体が小さく震えるほどに、緊張感でいっぱいだった。
「海斗くんから告白をされたとき、本当はとても嬉しかったの。夢みたいというか。でも、まだ私は高校生だったし、海斗くんは将来の大企業の社長で……」
 声も震えてくる。真っすぐ私を見つめる海斗くんの瞳に、心はどんどん吸い込まれていくようだった。
「海斗くんの〝彼女〟になるってことが、あのときの私には大き過ぎて素直になれなかったの。でも、それはすぐに後悔になって……。好きなのに、どうしてあんな酷いことを言ってしまったのか……」
「あのとき、俺はもう二十五歳だったし、高校生の美波にドン引きされたのかと思ったよ」
 苦笑いを浮かべる海斗くんに、反射的に首を横に振る。そんなはずはなく、絶対に誤解をされたくなかった。
「迷惑とか、嫌だなんてまったく思ってなかったよ。ただ、私はまだ子供だったし、実感が湧かなかったの……」
「俺が、焦ったんだろうな。他の男に取られる前に、自分のものにしておきたかったんだ。でも、失敗したけど」
「海斗くんってば」
 半分冗談めかした彼の口調に、思わず頬が緩んだ。ようやく表情を和らげていると、優しく両手を取られた。
「美波……」
「は、はい」
 真剣な眼差しに、背筋が伸びる。握られた手の力が強くなり、胸は高鳴っていくばかりだ。
「本当に、これを最後にする。お前のことを忘れようとしたし、前に進もうとしたときもあった。でも、やっぱりダメだったんだよ。美波、俺と付き合ってほしい」
「海斗くん……」
 デジャヴのように、十七歳のあの夜が蘇る。あのときも彼は、真摯な告白をしてくれた。部活の帰りを待ってくれて……。
 今夜もそう。きっと、私が皆の輪から離れるのを待ってくれていたのだろう。私のことを想って……。
 迷う必要もなく、早く返事をしなければと思うのに、胸がいっぱいになって言葉が出てこない。
「もちろん、将来を真剣に考える交際をしたい。美波とは、いい加減な気持ちで付き合いたくないから」
 胸がぎゅうっと締めつけられて、顔が熱くなる。海斗くんが誠実な人だということは、よく分かっているつもりだ。
 だけど、未来のことまで見据えてくれていたなんて、想像すらできなかった。気を緩めると、涙が込み上げてきそうなほどに嬉しい。
「もう一度、夢を見てるみたい……。海斗くんに許してもらえるなら。私のこと、お願いします……」
 力強く手を握り返すと、彼の穏やかな笑みが向けられた。
「許すとか、そういう問題じゃないだろ? あのときの美波は、なにひとつ悪くないのに」
「でも、海斗くんを傷つけるようなことを言ったから……」
「傷ついてないよ。未練は残ったけど」 
 海斗くんはクスッとしながら、私の腕を軽く引っ張った。
「俺が住んでるマンション、ここから近いんだ。来ないか? ここじゃ、お前を抱きしめることもできない」
 ドキッとさせるような発言をしているのに、海斗くんからは余裕すら感じられる。
「うん……」
 もう、八年前の後悔はしたくなくて、手を繋いだまま私たちは歩き出す。まさか海斗くんから、もう一度告白をされるなんて思ってもみなかった。
 だから嬉しさと夢心地でいっぱいだけれど、本当に付き合うことになったなんて。手放した初恋が私の元へ戻ってきてくれたようで、絶対に大切にしていきたいと、心から思っていた──。

 彼が住んでいるマンションは、オフィス街から一駅分の距離という好立地にある。もちろん、以前から知ってはいたけれど訪れたことはなかった。
 ここは高級タワーマンションが群をなす住宅エリアで、綺麗に整備された公園もある。日中は、近所の子供たちで賑わうらしい。
 海斗くんの部屋は、最上階である五十三階にある。そこは彼の部屋しかなく、ほぼプライベート空間だ。
 コンシェルジュのいるロビーからエレベーターに乗り、彼の部屋に着いたときには二十二時を過ぎていた。
「なんだかドキドキしてるの、私だけって感じだね」
 鍵を開けてもらい中に入ると、整頓された玄関が目に入る。電気は自動で感知されるようで、足を踏み入れた途端、廊下の明かりが点いた。
「そんなわけないだろう」
 ドアの鍵が閉められた瞬間、背後から彼に抱きしめられる。靴を脱いだばかりの私は、その場から動けなかった。
 温かな温もりと共に、ふわりと香るコロンの匂い。そして、耳元にかかる海斗くんの吐息に、最高潮に鼓動が高鳴った。
「だ、だって。ここに来るまでも、普通に仕事の話ばかりだったし」
 痛いくらいに抱きしめられ、気分はどんどん昂っていく。それにつられるように、身体が熱くなってきた。
「人前だったから。本当は、早く美波を抱きしめたくて仕方なかったよ。たぶん、舞い上がってるのは俺のほう」
 ゆっくりと振り向かされ、熱っぽい眼差しで見つめられる。今まで見せられたことのないその表情から、海斗くんの〝男性〟としての一面を感じ取られて心が跳ねた。
「舞い上がるなら、私だって……。だって、叶わないと思っていた初恋が実ったんだから。だから、意識してるのは私だけかと……」
 感情が昂るままに喋っていると、海斗くんの顔が近づいてくる。至近距離まで唇が近づき、それ以上の言葉を呑み込んだ。
「俺は美波より八歳も年上だから、落ち着いた大人でいなければいけないと思ってた。だけど、やっぱりお前を前にすると難しいみたいだ。なにもかも、自分のものにしたくてたまらない」
「海斗くん……」
 心の中を整理する暇を与えられないほど、彼の気持ちの強さに引っ張られていく。さらに顔が近づき、自然と目を閉じていた。
 重なった海斗くんの唇は、なんて温かいのだろう。まさか私が、彼とキスをする日がくるなんて、想像もできなかった。
「……ンッ!」
 思わず声が出てしまい、恥ずかしさを覚える。唇の重なりだけで満足していたところに、彼の舌が押し入れられてきたからだ。
 口蓋を舐められて、舌が絡まる。キス自体が初めての私は、濃厚な口づけにぎこちなく応えるだけだった。
「ん……。はぁ……」
 抱きしめられながら、口づけを交わしていく。ずっとこのままでいたいと思ったとき、海斗くんに身体を離された。
「美波の心が欲しいと思っていたのに、どうしても欲が出てしまうな。もっと、触れてもいいか? お前を抱きたい」
 甘い声でお願いされると、私の心も素直になる。海斗くんへの想いが実って、欲が出ているのは私も同じだ。
「うん……。海斗くん」
 同じ間違いは、もう繰り返さない。自分の気持ちに素直になりたくて、恥ずかしさを覚えながらも海斗くんの背中に手を回した。
 初めて触れる彼の身体は、見た目以上に引き締まっている。幼なじみとはいえ、小さい頃に手を繋いだことはあっても、それ以上海斗くんに触れることはなかった。
「美波……」
 抱きしめ返されたかと思うと身体が宙に浮き、自分が抱き上げられていることに気づく。こんな風にされるのも初めてで、あからさまに混乱してしまった。
「か、海斗くん。重いよ」
 慌てる私を見て、彼はクスクス笑いながら廊下を進んでいく。
「軽いって。昔から華奢だとは思ってたけど、美波は、本当に軽いんだな」
「そうかな……?」
 大股で歩く海斗くんは、廊下を曲がった奥の部屋のドアを開ける。すると、そこには大きな窓とキングサイズのベッドがあった。
「そうだよ。あんまり強く抱きしめると、折れてしまいそうだ」
 ゆっくりベッドへ下ろされると、唇を塞がれ服の上から乳房を掴まれる。それだけでじゅうぶん反応してしまい、腰がピクンと浮いた。
「ん……ぅ」
 あっという間に呼吸が乱されるほどに、舌が遠慮なく絡まる。海斗くんが唇を離すと、唾液が糸を引いた。
「美波、可愛い声が出るんだな。誰にも見せたくないよ、お前のそんな顔……」
 そう言いながら彼は、ジャケットとネクタイを脱ぎ捨てる。そして、私のシャツのボタンをひとつずつ外し始めた。
「それを言うなら、海斗くんだって……。今の海斗くん、普段と全然違う顔してる……」
 甘くて色っぽくて、私はそんな海斗くんの顔は全然知らない。恋人になれたからこその一面に、私はどこまでも酔いしれていた。
「夢みたいなんだよ。本当に、こんな夜が過ごせることが……」
 ボタンが全部外され、シャツが脱がされる。背中を少し持ち上げられると、海斗くんの手がブラジャーのホックを外した。
 その瞬間に乳房が露わになり、慌てて両手で隠してしまう。だけど海斗くんに、クスッとされながら手を放された。
「隠しちゃダメだろう? 見せて」
「か、海斗くん」
 彼の顔が下りてきて、乳房を口に含む。生まれて初めて感じる疼きに、戸惑いでいっぱいだった。
「……ん」
 声が漏れてしまう……。それも、こんなはしたない……。
「美波、なんで声を押し殺すんだ?」
 尖りが吸い寄せられるように引っ張られたかと思うと、空気を放つ音と共に口から放された。
「だって……。恥ずかしいもん」
 両手で口を押えようとして、それを制される。彼に見下ろされながら、胸はドキドキと高鳴っていた。
「は、初めてだから」
「え?」
 このタイミングでカミングアウトをするべきか迷ったけれど、このぎこちなさを説明しなければいけない。
 おずおず彼を見つめながら、気まずさも感じていた。
「引いちゃった? 私、海斗くんのことを後悔して、誰とも付き合えなかったから」
 海斗くんは、どんな反応をするだろうか。不安な気持ちで見ていると、彼は小さく微笑んだ。
「引くわけないよ。むしろ、嬉しくてたまらない」
 そう言った海斗くんは、再び私の乳房に顔を落とす。両手で乳房を寄せると、谷間にキスをした。
「アッ……」
 指の腹で尖りを擦られ、ぴくんと身体が跳ねる。尖端が硬くなっているのが、自分でも分かった。
「気持ちよければ、美波の可愛い声を聞かせて」
 交互に乳房の尖端を口に含まれ、鈍い痛みを感じるほどに吸い上げられる。〝気持ちいい〟って、こんなに刺激を感じることだったなんて知らなかった……。
「ん……。あ……」
 止めたくても、自然と艶めかしい声が出てしまう。恥ずかしいけれど、海斗くんはこの声を聞きたいと思ってくれるんだ……。
(でも、やっぱり照れくさいかも……)
 身体は素直に彼の愛撫に反応するけれど、頭の中がまだどこか冷静でいる。初めてだから、まだ乗り切れないのだろうか。
「胸だけじゃ、足りないか? それとも、俺の力不足かな?」
 身体を離した海斗くんは、考え込むように腕を組んでいる。彼の姿を見て、慌てて起き上がった。
「ち、違うの。私が不慣れだから、どうやって受け止めればいいのか分からなくて」
 誤解をされたくなくて弁解をしていると、海斗くんはちらっと私を見て再び押し倒し唇を塞いだ。
「ん……。んぅ……」
 舌が絡み、唾液が零れる。呼吸が乱れていき、身体が熱を帯びた。
「緊張しなくていい……と言っても、そんなのは無理だよな。だから、俺に任せてればいいよ。美波を、気持ちよくさせるから」
「海斗くん……」
 彼を愛おしく想う気持ちが強くなり、緊張していた心がほぐれていく。今のこの状況は、夢ではなく現実……。
 幸せを噛みしめていたとき、海斗くんがおもむろにシャツを脱ぎ始めた。今まで一度も、彼の素肌を見たことはない。
 目の前に現れた海斗くんの胸板は、引き締まっていて厚い。なんて色っぽいのだろうと息を呑んでいると、彼にスカートとショーツを脱がされた。
「えっ? ま、待って」
 私だけ一糸纏わぬ姿に、戸惑ってしまう。すると、海斗くんが意地悪く言った。
「どうした? ここまできたら、途中でやめないよ?」
「そうじゃないよ。ただ、私だけって恥ずかしいなって……」
 控えめに伝えると、彼は呆れたようにため息をついた。
「まだ、そんなこと言ってる。どうも集中できないみたいだな」
 そう言われながら、海斗くんの手が秘部へ伸びていく。そして、蜜口を優しく擦られた。
「アッ……。ンン……」
 指が挿入されているわけではないのに、とても気持ちがいい。身を小さくよじりながら、再び私の呼吸は乱れていった。
「よかった。美波のココ、ちゃんと濡れてるな。あんまりお喋りばっかしてるから、感じてくれてないのかと思ったよ」
 表面をなぞっていた海斗くんの指は、少し割れ目に分け入る。花びらを擦られて、蜜口がどんどん疼いていった。
「あん……ぅ」
 海斗くんに触れられると、それだけで感じていく。彼の指に強く撫でられて、秘部が痙攣していった。
「んぅ……。はぁ……」
 だんだんと、羞恥心も落ち着かなかった気持ちも消えていく。そして、彼の愛撫を素直に受け止めていた。
「ぐっしょり、濡れてる。もう、余計なことは考えられなくなっているだろう?」
 両足を押し広げられ、海斗くんの顔が茂みに埋められる。彼の舌が蜜口に侵入し、堪らず腰が跳ねた。
「んはぁ……。んんぅ」
 シャワーすら、浴びてないのに……。一瞬過ったその思いも、彼の舌使いに吹き飛ばされた。蜜口を掻き回され、蜜が溢れて止まらない。
 くちゅくちゅという厭らしい音が、部屋に響いてさらに五感を刺激される。
「これだけ濡れてたら、大丈夫か。挿れていい? 美波の膣内《なか》で感じたい」
 蜜口から舌を抜いた海斗くんは、私の身体をぎゅっと抱きしめる。彼はまだズボンを履いているけれど、私の太ももに当たる海斗くんのモノが硬くなっているのが分かった。
「うん……。わ、私も挿れてほしい……」
 口にしながら、恥ずかしさで顔が火照ってくる。未経験の私が、こんな大胆なことを言うなんて……。
 海斗くんと一緒にいると、自分が変わっていくみたい……。
 私の返事に笑みを見せた彼は、ベルトを外しズボンと下着を脱ぐ。すると、息を呑むほどのそそり立つ肉棒が現れた。
(あ、あれが海斗くんの……)
 なんとなく知識はあったけれど、本物を見たのは初めてだ。こんなに太く大きいものだったなんて……。
「そんなに見られると、ちょっと恥ずかしいな」
 苦笑する彼に、ハッと我に返る。自分の膣内《なか》に入っていく光景が、まだ想像できなくて凝視してしまっていた。
「ご、ごめんなさい」
 顔をそらし、気にしない振りをするも鼓動は速くなっていく。初めてなのだから誰かと比べようもないけれど、きっと海斗くんの屹立は大きい……と思った。
「ゆっくり、挿れるから。痛かったら、遠慮なく言うんだぞ?」
「うん……」
 あれこれ考えている間に、海斗くんは避妊具を装着していた。そういう配慮も、私の心を温かくして昂らせる。
 胸を高鳴らせていると、彼の硬い肉棒が挿入されていった。
「……ッ!」
 鈍い痛みに表情を歪めてしまうと、海斗くんの動きが止まる。
「もう少し、ゆっくりしようか?」
「ううん。大丈夫……」
 言葉とは裏腹に、身体に力が入る私を海斗くんは優しく抱きしめる。彼の尖端が半分ほど挿入されたまま、重なる胸から温もりが伝わってきた。
「ちょっとだけ、力を抜こう ……そう。ほら、奥まで入っていく」
「ん……。あぁ……」
 海斗くんの言うとおり、彼の肉棒が膣の奥へと挿入されていく。だんだん痛みは刺激に変わり、蜜が溢れていくのが分かった。
「ゆっくり、腰を動かすよ。十分濡れてるから、きっと滑りはいい」
「は、恥ずかしいよ。そんなこと……」
 初めてなのに、自分でも驚くくらいに感じている。彼の言葉が正しくて、屹立が膣に擦れるたびにくちゅっと厭らしい音を立てた。
「だって、本当のことだろう。感じてくれてるってことだから、嬉しいよ。正直、少し強引だったかなって心配だったから」
 そう言う海斗くんは、ちょっとずつ腰の動きを速めていく。ベッドが軋んでいき、私の乳房が大きく揺れた。
「んはぁ……。私も……思ってなかった……よ。こんなに、自分が感じるなんて……」
 下腹部に重みを感じるのは、彼の硬い尖端が子宮の入り口を突いているからだと気づく。
 そんなところまで刺激されているのかと思ったら、どんどん身体が熱くなっていった。視線を横に向けると、大きな窓とネオンの街が見える。
 だけどそれだけでなく、窓には両足を広げて蕩けるような表情をしている自分と、その私に覆い被さって腰を振る海斗くんが写っていた。
(こんな恥ずかしい恰好を、海斗くんと……)
 子供の頃からでは考えられない二人の姿が写っていて、それもまた心を焚きつける。
 彼はだんだんと膣を突く力を強めながら、ピンと立った乳房の尖端を指で摘まんだ。コロコロと指の腹で擦られ、身体じゅうに電流が走る。
 と同時に、彼のモノを咥えている蜜口の花びらが、ヒクヒクと痙攣した。
「はぁ。んぅ……。あぁ……ん」
 私も開放的になってきたのか、すっかり恥じらいのない声を上げている。好きな人に抱かれるということが、こんなにも至福のときだとは想像以上だった。
 海斗くんの太くて硬い肉棒が膣の中を掻き回し、粘着質の厭らしい音が大きくなる。彼も肩で息をし始め、私の膣内《なか》で感じてくれているのだと分かった。
「海斗くんも……、気持ちいい?」
 恍惚としながら、声を絞り出す。それくらい今の私には、艶めかしい声しか出てこなかった。
「気持ちいいよ。とっても……。お前の膣内《なか》が熱くて、俺のモノを締めつけてくる」
 呼吸を乱している海斗くんは、色っぽくゆっくりと答える。そんな彼にぞくっとしながら、汗ばむ胸板にそっと触れた。
 私も彼を満足させられているのかと思ったら、なんとも言えない嬉しさがある。
「恥ずかしいけど……、嬉しい」
 触れている彼の胸からは、鼓動の速さが伝わってくる。お互いがお互いに夢中になっている、それは最高に幸せだった。
「もうちょっとだけ、強く速くしていいか? 気持ちよすぎて、美波の声をもっと聞きたい」
「うん……。アッ……! んぁ……」
 揺れる乳房を鷲掴みにされ、大きく揉みしだかれる。海斗くんの呼吸が益々荒くなったかと思うと、今度は両足を持ち上げられた。
「薄いとはいえ、隔たりがあるのはもどかしいな。遠くない未来、これを外してお前を抱きたい」
「海斗くん……」
 気持ちが昂っているとはいえ、彼からのその言葉は私の心を大きく揺さぶる。海斗くんの言う〝隔たり〟が、避妊具だと分かるからだ。
 私も、そうなれたら……。胸がいっぱいになる私に、海斗くんはさらに力を込めて屹立を押し込んだ。
「はぁ……んぅ。んぁ……」
 太もものぶつかる乾いた音が部屋に響き、ベッドの軋みが大きくなる。絶頂寸前となり、膣の中は海斗くんの硬い肉棒で強く突かれていった。
「はぁ……。はぁ……。あぁ……」
 彼の小さな呻き声と共に、私の力もその場で抜けていく。屹立がゆっくり抜かれ、私は息を整えるだけで精いっぱいだった──。

「シャワーも、浴びないままだったね」
「明日、流せばいいよ。お互い休みなんだし、ゆっくり過ごそう」
 熱いセックスのあと、私たちはベッドでまどろんでいた。まだ身体は火照っていて、二人とも服は着ていない。
 優しく頭を撫でられながら、そっと唇にキスを落とされた。
「身体、大丈夫?」
「うん。ちょっとまだ違和感あるけど、それより満たされた気持ちのほうが大きいかも」
 ふふっと笑うと、海斗くんも穏やかに口角を上げた。彼の微笑む姿は、昔から私の心をくすぐる。
 優しくて余裕があって、そして甘い表情。これまでは、幼なじみのお兄ちゃんとして向けられていた笑顔も、恋人として与えられるのかと考えたら胸が躍った。
「我慢のない男だと思っただろう? だけど、強引だと思っても止められなかった」
「そういうの、〝男〟としての愛情表現って言うんでしょう?」
「それもあるけど、焦りがあったんだよ」
「焦り? どういうこと?」
 焦るという言葉が、あまりにしっくりこなくて首を傾げた。
「美波はまだ、気づいてないんだろうな」
「海斗くんの言ってる意味、よく分からないよ」
 彼にしては、歯切れが悪いというか遠回しな言い方だ。海斗くんは、ちょっと迷ったような顔をして言った。
「美波を狙ってる男、結構いるんだよ」
「えっ!? そんなはずは……」
 思わず顔を上げると、海斗くんも同じように顔を上げて片肘をついた。自分で言うのも悲しくなるけれど、私はこれまでの人生で〝モテる〟という経験をしたことはない。
 親しい男友達はいたし、小学五年生のときに一度だけ「お前が好きだ」とクラスメイトに言われたことはあった。
 ただそれも告白というより、話の流れで彼がカミングアウトしたものだった。
 当然小学生だったため、それ以上の進展があるはずもなく、私自身も単純にときめいて終わっただけ。それ以来、これといって人に話せるエピソードはなかった。
「そんなに驚くことか?」
 眉根を寄せる海斗くんに、私は困ってしまう。彼には、違うように映っているのだろうか。
「だって、モテるタイプじゃないもの。海斗くんの誤解じゃないの?」
「誤解じゃないよ。今日の飲み会でも、そういう話を耳にしたし。それに、田村課長も怪しくないか?」
「課長が? そんなはずはないよ。親切な方だけど、下心というか恋愛めいた雰囲気はないし」
 海斗くんが、こんなに心配性だとは思わなかった。狙われているというのは勘違いだろうけど、こうやって気にしてくれるのは嬉しい。
「そうかな?」
 納得できない様子の彼は、口を堅く結んだまま私をじっと見ている。仮に海斗くんの言っていることが本当なら、私のなにがその人たちの興味を引いたのか。
 決して特別美人ではないし、秀でた才能があるわけでもない。良くも悪くも〝普通〟なのだ。
「誰が、私の話をしてたの?」
 おずおず聞いてみると、彼は面白くなさそうな雰囲気で答えてくれた。
「営業部の男性社員が数人、美波を可愛いとかタイプだって言っていたよ」
「そうなんだ……。なんか、びっくりだけど……」
 そういう風に言ってもらうことも、今まではなかったと思う。少なくとも、私が直接聞いたり、誰かから聞かされたこともない。
「浅井商事に来て、女性社員が華やかだとは思わなかったか?」
「思ったよ。山下主任も綺麗だし、他の先輩方もハイブランド品を持ってて。だから、一流企業は違うなって感じてたの」
 ファッションもモード系が多く、品があり目立つ人が多い。そういう人たちに比べると、私はごくシンプルなオフィスカジュアルだ。
 身に着けているアクセサリーや腕時計は、手が届きやすい大衆ブランドだったりする。だからこそ、私が興味を持たれる理由が分からなかった。
「そういうところなんだよ。うちの男性社員たちは、飾る女性に食傷気味というか。業務が多忙だから、癒される女性を求めてる人が多い」
「それじゃあ、私が癒せる人みたいに聞こえちゃうけど」
 苦笑していると、海斗くんに覆い被さられ仰向けにされる。そして、不意打ちのように唇を塞がれた。
「んっ……。んふぅ……」
 口端から唾液が零れ落ちるほど、激しく舌を絡まされる。鎮まりかけていた火照りが、再熱するようだった。
「はぁ……」
 糸を引きながら、ようやく海斗くんの唇が離れる。男性の顔をする彼は、こんなにも強引で甘い……。
「癒しに見えるんだよ、美波は。ただ、それだけなら俺が嫉妬していればいいだけなんだけど」
「他に、心配なことがあるの?」
 今のキスで頭はボーっとして、はっきりと考えられない。海斗くんの考え過ぎだろうけど、過保護な一面も愛おしかった。
 熱っぽい眼差しを向けられ、視線をそらすことができない。海斗くんの真っすぐな瞳に、心が吸い込まれていきそうだ。
「いや、深い意味はない。小さな頃から美波に対しては守りの意識が強いからか、いろんなことが心配になるんだろうな」
「そう言われてみれば、あそこへ行くなとか、俺が帰るまで出ちゃダメだとか。いろいろ、指示されてた気がする」
 昔を懐かしく思い、ふふっと笑ってしまう。そうか。過保護な面は、あの頃から変わっていないんだ。
「昔は、単にお前が小さかったから心配だったけど。今は、それとは違うよ。恋人としての独占欲で、頭の中がいっぱいになってる」
 ぎゅっと抱きしめられ、彼の温もりと香りに私のほうが癒される。誰かが私を狙っているとか、それが真実だとしても申し訳ないくらい興味はない。
 ようやく掴んだ初恋を、手放すことなく大切にしたい。今の私には、それしか考えられなかった──。

 鹿威しの音が響く昼下がり、穏やかな天気とは対照的に、ここはなんて緊張感に包まれているのだろう。
 広い和室で長テーブルを挟んで座る社長の顔は、いつもの柔和な雰囲気とは違う。海斗くんと結ばれてから二日後、日曜日の午後に彼の実家を訪ねている。
 もちろん、交際の報告と許しを貰うためだ。
「それで、美波さんのご両親はお許しになったのか?」
 低く太い声と鋭い眼差しで、社長は海斗くんを見据えている。これまでも何度か、社長夫妻とは会ったことがある。
 当然、子供の頃は自宅へ遊びにも行かせてもらっていた。そのときは、二人ともとても優しくて親切だったけれど、今の社長夫妻の表情はとても硬い。
(もしかして、交際は反対なのかな……)
 雰囲気に圧倒されて、背筋に冷や汗が流れていくのを感じる。ちらっと隣に座る海斗くんを見たら、彼は小さく頷いてゆっくり口を開いた。
「お許しをいただきました。美波を、俺のマンションに連れていくことも。彼女とは、将来を真剣に考えた交際をするつもりです」
 きっぱりと言ってくれた彼に、感動すら覚えてくる。隣で座っているだけの自分が情けなくなり、座布団を降りると社長を真っすぐ見つめた。
「おじさま。私はまだ未熟者で、頼りなさを感じられるかもしれません。会社も変わったばかりですが、公私ともに海斗さんの支えになりたいと思っています」
 この気持ちが、どれほど伝わるだろうか。頭を下げると、優しい社長の声が聞こえてきた。
「美波さん、頭を上げなさい。そんなことをされたら、まるで私が意地悪をしているみたいじゃないか」
 冗談交じりの社長に、私はゆっくりと顔を上げる。すると、彼はいつもどおりの笑顔を向けてくれた。
「二人の交際を反対する気は、最初からない」
「お父さん、本当ですか?」
 身を乗り出すように聞いた海斗くんに、社長夫人はクスクス笑っている。私も、彼にこんな一面があったなんて知らなくて、少し驚いてしまった。
「ああ。そもそも、付き合っていたものだと思っていたよ。海外赴任もあったし、遠距離は大変だろうなと。とにかく、二人共もういい大人だ。海斗、男としてけじめをつけた付き合いをしなさい」
「はい。もちろんです」
 ホッと胸を撫で下ろしたのは海斗くんも同じなのか、さっきまでの張り詰めた空気はなくなっている。
「ところで海斗、会社では交際のことはどうするつもりなんだ?」
「それは、美波とも話し合って自然に任せようと決めました。悪いことではないので、交際を特に秘密にするつもりはありません」
 そう、それは二人で話し合ったことで、もし周りから交際について聞かれたら、正直に答えようと決めたのだった。
 やっかみや心無い言葉をかけられることもあるかもしれないけれど、それで手放そうと思うような恋ではない。
 諦めていた初恋が実ったのだから、私は堂々としていたかった。そして、周りに認めてもらえるよう、仕事はこれまで以上に頑張るつもりだ。
「分かった。私は余計な口を出さないでおこう。海斗、しっかりと美波さんを守りなさい」
「はい。ありがとうございます」
 二人で頭を下げて、これでやっと本当に恋人同士になれた気がしていた……。

「おじさまとおばさまに許していただけて、本当にホッとしたね」
 彼の実家をあとにし、車でマンションに戻っていく。すっかり夕方になっていて、陽は西の空に傾きかけていた。
「そうだな。でも俺は、昨日のほうが緊張したよ。美波のご両親にお許しを貰えて、だいぶホッとしてたから」
 ハンドルを握る海斗くんは、真っすぐ前を向いたまま目を細めている。そんな彼を見て、私は思わずふふっと笑った。
「海斗くんでも緊張するんだ?」
「するさ。お会いするのは三年ぶりだったし、お前と関係を持ったことも正直に話したし。おじさんに殴られても、仕方ないと思ってたよ」
 そう言う海斗くんは、とても清々しい表情をしている。彼の心の中がスッキリしたのなら、本当によかった。
「さすがに、私もびっくりしたなぁ。まさか、そんなことまで話すなんて思ってなかったし」
 でも、そのお陰で両親は納得してくれたのだと思う。関係を持ったことも誠実に話す海斗くんを、心から信用してくれたようだった。
「どうしても、美波と一緒に暮らしたかったから。同棲は、ご両親世代では抵抗ある方も多いからね。自分の決意みたいなものを、お伝えしたかったんだよ」
「私は嬉しいけど、本当にいいの? ずっと、私が側にいるんだよ?」
「ずっと、離れてたんだ。その時間を埋めたい。美波が嫌なら、もちろん考え直すけど」
 信号が赤になり、車が停まる。そのタイミングで、海斗くんが視線を向けた。彼の優しい笑みに、私はもう自分を偽ったりしないと改めて思った。
 十七歳のときのように、海斗くんを傷つけたりしたくないから。
「嫌なわけないよ。私はずっと、自分のしたことに後悔してたんだから。もう、海斗くんを失うことはしたくない」
 溢れる想いを素直に口にして、私も彼を見つめる。すると、海斗くんが目を細めてクスッとした。
「さすがに、人に見られるから我慢だな」
「え?」
 どういう意味だろうか? 首を傾げると、信号が青になり海斗くんはアクセルを踏む。車を走らせながら、彼が答えた。
「キス……したいなって」
「か、海斗くんってば……」
 照れくさくて、両手で頬を包み込む。海斗くんの言葉もだけど、実は私も同じことを考えていたからだ。
 キスしてほしい──。そう思ったから。

(――つづきは本編で!)

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