作品情報

カタブツな私がマンガみたいに恋したいのをエリート上司に知られてしまいました

「漫画の中の男なら、もっとスムーズにベッドへと誘えるんだろうな」

あらすじ

「漫画の中の男なら、もっとスムーズにベッドへと誘えるんだろうな」

 厳しい両親のせいもあって、コミュニケーション下手なカタブツに育ってしまったOLの奏。職場にもうまく馴染めず、昼休みはひとり地下倉庫で好きな少女漫画を読んで過ごす日々を送っていた。恋愛なんて漫画の中だけで十分。

 だがそんな奏の憩いの場所は、将来有望と評判のエリート上司伊崎誠に見つかってしまう。実は彼にもまた、奏も驚くような秘密があって……

作品情報

作:秋花いずみ
絵:ちろりるら
デザイン:RIRI Design Works

配信ストア様一覧

本文お試し読み

 第一章

 カチカチカチ……と時計の秒針の音が、一人暮らしの私の部屋に響く。
 窓のカーテンの隙間からは光が差し込んできていて、夜明けがやってきた。
 真冬の冷たい風が築年数の古いアパートの窓の隙間から入り、布団をかぶり直す。
 どうやら秒針の音も気にならないくらい、今夜も熱中してしまっていたらしい。
「あぁ……今日もやっちゃった……やっぱり東理子《ひがし りこ》先生の漫画は面白いなぁ」
 布団の中ではぁっと感嘆のため息をつきながら、読み終わった新刊の上につい読み直してしまったシリーズの漫画の本を積み重ねた。
 二十歳の時に偶然読んだ東先生の漫画にハマってしまった私は野間奏《のま かなで》、二十五歳。
 仕事を定時で退勤した昨日、ずっと発売を楽しみに待っていた新刊の漫画を購入して読んでいた。
 それを寝る前に読んでしまったのが間違いだった。
 もう東先生の漫画を読み始めてしまったら、それまで発売されている漫画を読み返してしまいたくなり、読み返したら止まらなくて次の日も仕事だというのに完読してしまったのだ。
「でも、心が潤ったぁ……少女漫画最高ー!」
 心はほかほかになり、ベッドの上で大の字になって両腕を上にあげて伸ばす。
 一睡もしてなくて目や頭は辛いはずなのに、気持ちはすっきりしている。
 それも東 理子先生が書いてくれる少女漫画のおかげだ。漫画には全く興味がなかった学生時代を過ごした私には考えられないくらい、東先生の漫画に今はハマってしまっている。
 中学生から受験をして進学校で学んでいた私。絵に描いたような真面目な学生時代を過ごしていた私は、高校生までは同じようなタイプの同級生がいたおかげか、悩むことはなかった。
 しかし、大学に入学するとサークル活動や飲み会など、プライベートを満喫する学生たちの雰囲気についていけなくて一人辟易していた。
 そんな時出会ったのが、たまたま立ち寄った書店にあった東理子先生の少女漫画だった。普段、少女漫画なんて手に取らないし読んだこともなかった。
 幼い頃から恋愛ドラマや映画には興味はあり、観てはいたけれど本を読もうとまでは思わなかった。
 それがなんの気の迷いなのか、それともプライベートを満喫する同級生たちが羨ましかったのか、この日はなぜか強烈に少女漫画に惹かれた。
 表紙がとても魅力的だったこともあるかもしれない。初めて見た東先生の絵は、まるで生きているかのようにきらめいた瞳と、輝いた笑顔の主人公の女の子が本の表紙になっている。
 彼女の後ろには、その子を大切そうに後ろから抱きしめて幸せそうに微笑んでいるサラサラなストレートの黒髪のかっこいい男の子がいる。
 まさに少女漫画の王道の絵だと思った。でも、それがとてもシンプルで最高にいいと私の心に響いた。
 タイトルは『キミの隣には僕がいる』
 ファンからは『キミ僕』と略されていて完結した今でもずっと愛されている作品だ。
 内容はどきどきキュンキュンする展開もありながら、複雑な家庭環境や友人たちとの人間関係に悩むなど、可愛い絵柄だけどリアリティのある話が東先生の人気のあるところで、私もすっかり虜になってしまった。
 それからいろんな少女漫画を読み漁ったけれど、やはり一番最初に読んだ『キミ僕』が忘れられなくて、今も全巻読破してしまった。
「はぁ……心が洗われる……東先生、『キミ僕』を生み出してくださってありがとうございます……!」
 まるで神様を拝むように両手を合わせて天井を仰いでいる私。こんな姿、実家にいる堅物の両親が見れば、顔面蒼白するだろう。
 両親は二人ともあまり恋愛に興味がなく、仕事に生きてきた二人で、それに心配した祖父たちがお見合いをさせて結婚し、私が生まれた。
 そんな両親のもとで育ったから、私が年頃になっても家庭内で娘の私に「好きな子はできた?」なんて恋バナなんてものは一切なかった。
 だからこそ、恋愛漫画を読んでいる私を見たら驚愕するだろう。
 こういう時、自由がある一人暮らしでよかったと心底思う。
「さてと……今から眠っても仕方ないし、朝活でもしようかな」
 もう寝ることは諦めてベッドから出てテーブルに向かい、椅子に座ると寒さ対策のため足にブランケットをかけてパソコンを起動させる。
 今、資格を取ろうとしているのは行政書士だ。
 資格を取るからといって転職する気はないけれど、この先結婚もできるかわからないし、一生独り身のような気もするから、いつなにがあってもいいように資格はできるだけ取ろうと思っている。
 今まで取った資格は宅地建物取引士、医療事務、歯科助手、リフレクソロジストなど興味を持った様々なものだった。
 勉強は好きだ。だって努力をしたぶん裏切らない結果がついてくる。
 でも恋愛は違う。いくら努力をしても実らない想いはたくさんある。無駄な結果に終わったりもする。
 恋愛のことを語ればすぐに脳裏に浮かぶのは大学時代、たった一人だけ付き合った人。
 でも、その人も私のことは「つまらない女」だと言って去っていった。
 私なりに努力したつもりだった。彼の好みに合わせた服を着て、食事もして、遊ぶのも全て合わせた。
 だけどダメだった。彼は「お前はつまらない」と言い、違う女の子のもとにいってしまった。
 あの時、悟ったんだ。もう恋愛は少女漫画の中だけで十分だって。
「よし、頑張ろう」
 頭を振って昔の痛い記憶を無理やり削除し、パソコンのディスプレイと睨めっこする。
 今日もいつもの私の一日の始まりだ。
 そう考えなおし、キーボードをたたき始めた。

 * * *

 そのまま一睡もしないまま出勤準備を終え、いつもの満員電車に乗って仕事へと出勤する。
 私が働いている「トレードプラス貿易会社」は海外の雑貨や日用品を取引先の各店舗に卸す輸入卸会社だ。国内でもトップに入る大手企業で、地方にも次々と子会社を増やし、シェアを拡大している。
 若い女性から主婦までをターゲットに絞り、最近では海外や国内の食品関係も輸入している。
 所属しているのは企画開発部で普通の事務員だけど、たくさんの商品に触れることができ、企画部の一員として時々意見を求められたこともあるのでやりがいを感じている。
 それに働き方もとてもホワイトだから、この会社に入社して本当によかったと心から思えるくらいだ。
 ただ、口下手でコミュニケーションが苦手な私はあまり社内の人と深い付き合いをしておらず、友人と呼べる人はいない。
 さらに、毎夜遅くまで少女漫画を読んでいるせいか、この寝不足の目つきのせいで冷たい雰囲気が出ており、怖い印象を持たれているらしい。
 誤解されているのが悲しいけれど、一人が好きで落ち着くからまぁいいかと思い始めている。
 満員電車に揺られ、続々とホームに降りる人の流れについていき、改札を抜ける。改札を抜けてもオフィスがある丸の内は人が多い。
 みんな私と同じように、すでに寝不足で疲れた顔をしているじゃないか……と出勤する人の群れを眺めながら歩いていると、後ろから声をかけられた。
「野間、おはよう」
 ぼうっとしたまま歩いていたから突然呼ばれたことに驚き、後ろを振り返る。
 すると、私のいる企画開発部の上司伊崎誠《いざき まこと》さんが、ほかの人にはない眩しい笑顔でそこにいた。
「あっ、伊崎さん。おはようございます」
 私が挨拶を返すと、朝にぴったりの爽やかな笑顔をくれた。手を上げ「じゃあまた会社で」というと、広い歩幅で先に歩いていく。
 びっくりした……朝からイケメンを見ると心臓に悪いな。
 どくどくと鳴る左胸を押さえながら息を整える。
 伊崎さんは私より四歳年上の二十九歳で、身長も百八十センチを超えた高身長だと聞いたことがある。
 企画開発部の中でも群を抜いての成績をたたき出していて、彼が担当するエリアの売り上げはほかのエリアとはけた違いらしい。
 たしか女性社員たちが将来有望だから、狙っとかなきゃーとか言っていた気がする。
 顔立ちは今時の少女漫画のヒーローのような塩顔のイケメンで優しい雰囲気があるけれど、仕事になると途端に厳しい表情になりミスを許さない。
 でも、それは当人の仕事ぶりにも発揮されていて、彼は誰よりも働き、結果を残している。ひそかにいいなぁと憧れている対象ではあるけれど、それはテレビの中のアイドルに憧れていると同じような感情で、恋愛感情は一切ない。
 それに向こうも私のような根暗で地味な女は恋愛対象外だろうし。
 それよりも、今日の仕事の合間の楽しみはお弁当のあとに読むために持ってきた『キミ僕』の最終巻だ。
 読み切った後も冷めない余韻が残り、もう一度読みたいと思って会社に持ってきてしまった。
 これを気持ちよく読むためにも、午前中の仕事を頑張ろう……!
 私はにやける口元をマフラーで隠しながら、会社へと早歩きで向かった。

「おはようございます」
 企画開発部のドアを開け、フロアに入ってすでに出勤していた社員たちに挨拶をする。
 自分のデスクに向かい、一睡もしていないせいであくびが出そうになったところを我慢していると、一人の女性社員が私のもとにやってきた。
「野間さん、ちょっといい?」
「なんですか?」
 彼女は嶋さんという人で、私の一つ上で新人の時の指導係であり、企画開発部の中ではまだ喋る方の人だ。
 そんな嶋さんが両手を合わせて懇願するように声をかけてきた。
「野間さん、あのね今日の夜、もしよかったら飲みに行かない? 営業本部の人たちと約束しているんだけど……」
「すみません、私、そういうところは苦手なので」
 即断るのも可愛げがないと思うけれど、でもいわゆるこれは合コンというものだろう。
 全く知らない人とお酒を飲むなんて絶対に無理……! そんなことをするのならさっさと帰って『キミ僕』を読みながら、一人でお酒を飲んでいたい。
 拒絶の意志がすぐに通じたのか、嶋さんは思いのほか、あっさりと引いてくれた。
「そっか。ごめんね、無理言って」
「いえ」
 短いやり取りを交わすと、すぐにこの場から去ってくれた。そして、仲が良い女性社員の輪の中に戻っていく。
 そして「だから言ったじゃん、野間さんなんか誘っても絶対に来ないって」という声が聞こえてきた。
 その言葉を聞き、ため息が出そうになったのをぐっと堪えた。
 最初から分かっているのなら声なんかかけないでほしい。断るこっちも結構体力を使うのだから。
 さらに話の内容は聞こえてきて「だって、野間さんって黙っていても存在感あるし、レア感があるからその場だけでも盛り上がるじゃん」なんてやり取りも聞こえてきた。
 そういったネタ扱いにされるのも慣れてはいるけれど、さすがにちょっと傷つくので、声が聞こえないところでやってほしい。
 ただ、私にも悪いところがあるのはわかっている。
 私は普段から社内の無用な飲み会には参加せず、歓送迎会や慰労会のような会社の行事には渋々だけど仕事の一環として参加はする。
 だけど、プライベートとなると話は別だ。貴重なプライベートの時間まで会社の人といたくない。
 こんな性格だから彼女たちのいうとおり、ネタ扱いされてしまうのだろう。
 朝から疲れたな……誰にもバレないようにため息をつくと「大丈夫か?」と声が聞こえてきた。
 私に向けられた声だろうか。一応、後ろを振り返るとそこには伊崎さんが立っていた。しかも、苦い顔をして。
「は、はい……大丈夫……です」
「そうか。あんまり気にするなよ」
「どうも……」
 短い言葉を交わすと、彼は自分のデスクに戻った。びっくりした……まさか伊崎さんに声をかけられるとは思ってもみなかったから。
 いつから聞かれていたんだろう。全部、聞かれていたらやっぱりつまらない女だって思われたかな。
 まぁ……別に今更だから気にしないけれど。それよりも今の私はお昼の休憩の時に『キミ僕』を楽しむために、仕事を頑張らなければいけない。
 今のこのもやもやした気持ちは大好きな東先生に癒してもらおう。
 そんなことを考えながら、パソコンを立ち上げた。

 * * *

 午前中の仕事はプレゼンの手伝いをしたり、モニタリングの集計をまとめたりと、特に大きなトラブルもないまま終え、私は軽い足取りである場所に向かっていた。
 手には朝に作ったお弁当と温かいお茶が入った水筒、そして『キミ僕』の最終巻を持っている。
 向かった先は地下にある今は誰も使っていない倉庫だ。
 以前、昔からいる警備員さんに使用していいか聞いたところ、休憩時間に使う程度ならいいと許可をもらい、それから私はここで一人のランチを満喫している。
 今日もパイプ椅子に座り、除菌シートでデスクを拭いてお弁当を広げる。
 でも先にちょっとだけ……と我慢できなくて『キミ僕』のページを開いてしまった。
「あぁ、ここ……このシーンがいいんだよね」
 少しだけと思ったけれど、ページを開いてしまったら勢いは止まらず読みふけってしまう。
 独り言で呟いたシーンは、二人がお互いの両親に交際を反対され、離されそうになるけれど自分たちの気持ちをぶつけ、認めてもらうシーンだ。
 特にヒーローのヒロインを思う熱い気持ちがかなりキュンキュンしてしまい、私もこんなふうに愛されてみたい! と思ってしまう。
「漫画の世界のヒーローは最高……本当、かっこいい……」
 広げたお弁当もそのままに、漫画を読んでしまう。もう何度読み返しただろうか。
 それでも飽きず、同じところでときめいてしまうのだから『キミ僕』に私は依存している。
 こんな姿、両親だけじゃなく会社の人にも見せられないな。それに、そろそろお弁当も食べないと。
 まだ読みたい気持ちを我慢しながら漫画を閉じ、箸箱からお箸を取り出して「いただきます」と手を合わせる。
 タコウィンナーを頬張ろうとしたところで、私の肩に誰かの手が置かれた。
「野間か?」
「ひゃあ!」
 誰かが入ってきて声をかけられた衝撃にタコウィンナーをデスクの上に落とし、大声を上げてしまう。
 後ろからは「すまん!」と焦った声が聞こえてきた。
 恐る恐る後ろを振り返ると、動揺した表情を浮かべた伊崎さんが立っていた。
「悪い、驚かせてしまったな」
「い、い、伊崎さん……」
 まさか伊崎さんがこの倉庫にやってきていたなんて……私『キミ僕』に熱中しすぎて、倉庫に人が入ってきたことに全然気づかなかったんだ!
 こんなところで一人でなんでいるんだ? と視線で訴えられていることはわかる。だから、聞かれてもいないのに焦った私は立ち上がり、自分のことを説明した。
「じ、じ、実は少し前から警備員さんに許可をもらい、ここでお昼を食べていまして……」
「そうか、趣味に没頭しているところ、悪かったな」
「えっ?」
 キョトンと目を丸くして彼を見上げる。伊崎さんの視線は斜め下を向いていて、お弁当の横にある『キミ僕』を見ていた。
「漫画、読んでいたんじゃなかったのか? 邪魔しただろう」
「あっ! この! これは……!」
 こんな地下倉庫で一人お弁当を食べながら少女漫画を読んでいる女、伊崎さんでもさすがに引くだろう。
 だから必死に言い訳をしようとするけれど、うまく誤魔化す言葉が出てこなくて真冬だというのに額には汗がにじんでいる。
 だけど、焦っているのは私だけで、伊崎さんは涼しい顔をしていて全く気にしていない感じだ。
 そして腕を組み、倉庫を見渡す。
「実は俺も最近、この空き倉庫を見つけてな。ちょっと一休みしたいときに警備員に許可をもらって使わせてもらってたんだ。まさか先客がいるとは思わず、驚いたよ」
「あの……引かないんですか?」
「何に?」
「何って……その……こんな地下倉庫で私が一人……少女漫画を、その……読んでいることに……」
 そこまで勇気を出して言うと、伊崎さんは一瞬動きを停止させ、そのあと清々しいくらいに笑った。
「おかしなことを言うやつだな。野間が少女漫画を読んでいることにどうして引く必要がある? 漫画は日本が誇る立派なカルチャーじゃないか。俺だって読むぞ、漫画は」
「えっ! 伊崎さんも読むんですか?」
「あぁ、もちろん。面白いよな」
 伊崎さんの反応は気を遣っているふうではなく、屈託のない笑顔を見せてくれる。
 普段堅苦しいイメージしかない彼の印象からは想像もできないくらいフランクな雰囲気に、私は心底ホッとし、肩の力が抜けた。
「すごい……嬉しいです。そう言ってくれる人がいて……この歳になってまで少女漫画を読んでいるなんてどう思われるかと怖かったので……」
「読むことに対してそんな卑屈にならなくていいじゃないか。俺の妹なんか漫画を描いて食っているんだぞ」
「そうなんですか!」
 これにはかなり驚いてオーバーリアクションを取ってしまい、デスクにお尻をぶつけてしまう。倉庫内に大きな音が響くけど、そんなことを気にしていられないくらい驚愕した。
 もしかしたら私の知っている漫画家さんかな? いや、でも、世の中にはプロの漫画家さんは数多く存在する。
 それにプロじゃなくても漫画を描いてその収入で生活をしている人もいるだろう。もしかしたらそういう人かもしれない。
 だけど、気になる……聞いてもいいかな? もしダメな場合、伊崎さんなら回りくどいことを言わず、すぐにダメだって言ってくれるだろう。
「すごいよな、自分の力で作品を生み出して、それで食っているんだ。妹ながら尊敬するよ」
「本当にすごいです……あの、なんてお名前なんですか? 私、伊崎さんの妹さんの漫画、読んでみたいです」
 控えめに言ったけれど、嫌な気分にならなかっただろうか。自分の家族のことを根掘り葉掘り聞かれたら、誰だって嫌だよね。
 私は聞いてしまったことを少し後悔しながら返事を待っていると、伊崎さんは想像以上にあっけらかんと話してくれた。
「えっと……たしか東理子って名前だったかな」
「……えっ!」
「んっ? その反応だと知っているか? 東理子だよ」
 伊崎さんの口から発せられた言葉に、開いた口が塞がらず、声にならない叫びを出してしまう。
 人って驚きすぎると震えが止まらなくなるんだ……まさに今、それを実感していて震えが止まらない!
「ひ、東理子! 東理子って『キミ僕』の東理子先生ですか!」
「あぁ、たしか代表作はそんな名前の少女漫画を描いていたな。野間、やっぱり知っているのか?」
「もちろんですー!」
 倉庫内に響き渡る大声をまた出してしまう。まさか伊崎さんの妹さんが私が敬愛してやまない東理子先生だったなんて!
「大好きです! 東理子先生、大好きです! 大学時代に東先生の『キミ僕』を読んでからずっと大ファンで! 昨日も新刊買いました! 新刊ももちろんよかったんですけど、やっぱり読み始めたら『キミ僕』が読みたくなっちゃって、昨日の夜からオールで読み返して今も最終巻をお弁当を食べる前に読んじゃおうと持ってきて……!」
「そうか、そんな饒舌になるくらい好きなのか。妹も喜ぶよ。ありがとうな、野間」
 落ち着いて答えた伊崎さんのクールなテンションに、いかに自分が我をなくしていたのかと気づく。
 そして気づいたその時は顔だけでなく、身体中もやけどするくらい熱い……
 私ったらなんて恥ずかしいことを……いくら伊崎さんが東先生の兄だからって、思いの丈をぶつけすぎだろう。
「す、すす、すみません……今のは……忘れてください……」
「そんな謙遜するな。今の言葉、そのまま妹に言ってあげてほしいくらいだ。今、思い描いている理想の作品が描けないと言っていてスランプらしくてな。行き詰っているらしい」
 そう言うと、伊崎さんは心配そうな表情になり、浅いため息を吐いた。
 東先生がスランプ……デビューしてからコンスタントに作品を出していた東先生がまさかスランプに陥っていたなんて……
 いや、でもコンスタントに作品を出しているからこそ、スランプになっているのかもしれない。その時、ファンの私にできることと言えば、応援しかない。
 それが歯がゆいけれど、精いっぱいの思いを込めて両手を握り、伊崎さんに真っすぐな瞳を向けた。
「そうなんですか……漫画家さんって辛い職業だって聞きますもんね……でも、東先生ならきっと大丈夫だと思います! そう思わせるだけの才能がありますから! それに、私たちファンはいつまでも待ちます! 東先生がスランプから脱出できるまでいつまでも待つので、頑張ってくださいって伝えてください!」
 すごく熱弁しているけれど、言葉にすればいたって当たり前のことばかり並べたと思う。
 だけど、私の熱い思いは伊崎さんに伝わったのか、彼の心配そうな顔は優しい笑みに変わっていた。
「そう言ってもらえると妹も喜ぶよ。あぁ、そうだ。伝えるついでにサインでももらってきてやろうか」
「えぇぇぇぇ! そ、そんなことをしてもらってもいいのですか……!」
 腰を抜かすほど驚いてしまった私は、今日一番の大声を出した。もう、今までイメージにあった冷たい雰囲気の私は伊崎さんの中で存在していないだろう。
 それくらい、別人のリアクションを提供してしまっている。
 だって、東先生のサインなんて読者プレゼントでも滅多にないし、一生手に入ることなんてないと思っていたから……だから計り知れない衝撃に襲われたんだ。
 そんな私を見て、伊崎さんは手の平で口元を覆いながら、クスクスと笑っている。
「野間はいつも文句を言わず、きちんと真面目に働いてくれているからな。企画開発部の中でもすごく頼りにしているんだ。そんな後輩に先輩として礼をさせてほしい」
 なんて胸に響く嬉しい言葉だろう。今までどんな誉め言葉をもらうよりもずっと嬉しい!
「こ、こんな嬉しいお礼はほかにはありません……本当にありがとうございます! ありがとうございます! あっ、でも東先生がしんどいのならいつでもいいので……!」
「本当に謙虚な奴だな。できるだけ早くもらえるように言ってみるよ。楽しみにしていてくれ」
「はい!」
 満面の笑みで明るく返事をすると、伊崎さんがはにかんだ表情をした気がした。
 いや、私の笑顔なんかでこんな表情をするわけないよね。きっと気のせいだろう。
 それよりも東先生のサインをもらえることが心の底から嬉しくて胸中は狂喜乱舞だ。
 伊崎さんは「邪魔したな」と言ってそのまま倉庫から出て行き、倉庫内にまた静けさが訪れた。
 でも、私の心臓はずっとうるさく鳴りっぱなしだ。
 嬉しい……東先生のサインがもらえる……! 今まで仕事、頑張ってきてよかった!
 興奮する感情を抑えきれない私は胸がいっぱいになりすぎて、今日のお弁当をほとんど食べることができなかった。

 第二章

 それから三日間が経ち、伊崎さんとはお昼休みに倉庫で毎日一緒に休憩を取っている。
 といっても、私は静かに読書をしながらお弁当を食べ、伊崎さんは隅にある椅子に座って軽く睡眠をとっているという状態だ。
 二人の間に会話はないけれど、不思議とぎこちない雰囲気などは感じなかった。
 でも、今日だけは違った。倉庫にやってきた伊崎さんは仕事中には見せない朗らかな笑顔で私の名前を呼び、近寄ってきた。
「野間、妹にサインのことを話してきたぞ」
「わわっ……す、すみません、ありがとうございます!」
 一気に興奮状態になった私は、急いで立ち上がりデスクで膝を打ってしまう。
「いったぁ……」
「ハハハッ、落ち着け。そんなことじゃ今から話すことを聞くと、もっと大きなけがをしてしまうぞ」
「ど、どういうことですか?」
 伊崎さんが声を上げて笑っていることも珍しい。でも、今はそれどころじゃない。
 今から話すことって何だろう? もしかして限定グッズでももらえる? なんて図々しいことを考えていた時だった。
「野間、今週の日曜日は空いているか?」
「えっ? 日曜日ですか」
「あぁ、妹がぜひ仕事場に遊びに来てほしいって言っていたんだ。そんなに熱烈な読者なら直接会って話をしてみたいって」
「へっ……」
「先約があるなら仕方ないが……急な誘いだからな。無理するな……」
「とんでもないです! ぜ、ぜひ! ぜひお邪魔させてください!」
 こんな……! こんな夢みたいなことがあるだろうか!
 あの東先生の仕事場をのぞける日が来るなんて! しかも、私みたいな一読者に会ってみたいと言ってくれている……
 もう今は嬉しすぎて雲の上に乗っているようなふわふわした浮ついた感覚で頭の中はいっぱいだ。
 会えたらなんて声をかけよう。東先生はどんな方なんだろう。兄妹なのだから伊崎さんと同じようなキャリア的な感じの方かな。それとも絵柄と同じように可愛らしい方だろうか。
 そんなことを考えていると、伊崎さんは申し訳なさそうな表情を浮かべ、口を開いた。
「妹は前も言ったが今、ちょっとスランプなんだ。だから、自分のことをファンと言ってくれる人に会って、自信を取り戻したいんだと思う。悪いな、野間。日曜日は妹に協力してやってくれるか」
 複雑な表情で語る伊崎さんの言葉を聞き、浮ついた気持ちが一瞬でかき消された。
 そうだ……東先生は今、理想の作品が描けない状態だって伊崎さんは言っていた。
 それなのに私は東先生に会える嬉しさから浮かれたことばかり考えていて……
 東先生の気持ちを知っていて寄り添えないなんて、ファン失格だ。
 私は手をギュッと握りしめ、真剣な瞳で伊崎さんを見つめる。
「もちろんです! お任せください! 私、東先生のためならなんだってします!」
「ハハッ。なんでも……は言い過ぎだがありがとう、頼りにしているよ。いくら兄の俺でも、こういうことには疎くてなんて言葉をかけていいのかわからなくてな……助かるよ」
 そう語る彼の顔は仕事場で見る企画開発部の伊崎さんじゃなくて、妹想いのお兄さんという雰囲気だ。そんな彼を見ていると心があったかくなり、どんな形でもいいから協力したいと思った。
 男性にこんな思いを抱いたのは初めてだし、他人に興味をほとんど持とうとしなかった私にとってこの気持ちはとても新鮮だった。
「じゃあ日曜日のことは改めて連絡するから、連絡先を教えてくれるか?」
「えっ?」
「社内メールで堂々と休日の予定を連絡するわけにはいかないだろう」
「あっ、そ、そうですね……! はい、これです」
 私は急いでスマホを制服のポケットから取り出し、伊崎さんとメッセージアプリの連絡先を交換した。
「よし、これでいつでも連絡できるな」
「そ、そうですね……」
 男性とプライベートの連絡先を交換したのなんていつぶりだろう。久しぶりすぎるこの行動に、胸の高鳴りが止まらない。
 伊崎さんは何とも思っていないようだから、こんなことは何気ない日常のやり取りなんだろう。
 でも私にとっては異性との連絡先の交換なんて非日常な出来事で、特別な感情をもっていないはずなのに彼を意識してしまいそうになる。
 落ち着け、これは東先生に会うためのやり取りの一つなのだから。
「また詳しいことは連絡する。せっかくの休憩時間、邪魔して悪かったな」
「い、いえ……」
「今から弁当の前に読むんだろ? それが野間のいつものルーティンだもんな」
 また昨日読み返していて、途中だったから持ってきた私のお弁当の横に並んでいる『キミ僕』の五巻を見て、伊崎さんはにこっと笑う。
 でも、その笑みは馬鹿にしたような感じではなく、妹の本を読んでもらい嬉しいって様子が伝わってくる笑みだ。
 ただ、私は自分の行動を見透かされていて恥ずかしい……!
「わ、私の憩いの時間ですから!」
「そうか。それならなおさら悪かったな。今からはもう自由にしてくれ。俺もちょっとひと眠りするかな」
 そう言うと、伊崎さんはスーツのジャケットを脱ぎ、軽く背伸びをする。
 このお昼の休憩時間の彼はとてもリラックスした雰囲気になり、纏う空気は柔らかい。
「……おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ。野間もちゃんと弁当、食えよ」
 そう言われ、ギクッとする。私は本に没頭すると食べることが疎かになり、忘れてしまうからだ。
「は、はい」
 返事をした私を満足そうに見ると、伊崎さんは倉庫の端に置いてある椅子に座り、ジャケットをブランケット代わりに上半身にかけると、すぐに俯いて目をつむる。
 ここが彼の昼寝の場所だ。
 今日くらいは彼に言われた通り、お弁当はちゃんと食べようと思い漫画は後にして先に食べることにした。
 お弁当のふたを開け、お箸を手に持つけれど彼の様子が気になってしまい、少しだけ……と、斜め後ろに視線を移す。
 そこは伊崎さんがいつも休憩時間に座っている場所だ。
 ここからは三メートルくらい離れているし、彼は下を向いているから顔はよく見えない。
 だけど、端正な顔をしている伊崎さんだから、寝顔もきっと素敵なんだろうな……と簡単に予想はつく。
 そう、例えば『キミ僕』のヒーローのような……
 いや、私ってば伊崎さんで何を考えているのだろう……! 一気に恥ずかしくなり、顔に熱が集まる。
 急いで前を向いて、お弁当を凝視する。心臓がバクバクと大きな音が鳴る中食べたお弁当は、あまり味がしなかった。

 * * *

 伊崎さんから連絡があったのは翌日の夜だった。
 夕食を食べ終え、お風呂も入った後に行政書士の資格の勉強をしていたら、テーブルの上のスマホからメッセージを告げる着信音がする。
 真っ白だったメッセージアプリの画面に彼のトークが表示され、それを見た途端私の中で緊張が走る。
「うわっ……伊崎さんからメールだ……」
 内容はいたってシンプルだ。【お疲れ。日曜日、十三時に渋谷駅のハチ公改札で待っていてくれ。迎えに行く】というものだった。
「東先生のお仕事場までは二人で行動なのね……当然と言えば当然だけど……どうしよう、これもこれですごく緊張する……!」
 休日に男性と二人きりで行動を共にするなんて、大学生に付き合っていた彼氏以来今までなかった。
 目的地に到着するまでは何を話したらいい? 服装はどうする? 集合時間の何分くらい前に行ったらいい?
 一人頭を抱え、おろおろしていると『キミ僕』の本が目に留まった。
 たしかに伊崎さんと二人は緊張するけれど、彼は私と東先生を会わせるために迎えに来てくれるだけだし、意識なんかしちゃだめだ。
 それに、今は東先生に会えることを喜ばないと!
「……東先生に会えると思ったら楽しみの方が勝ってきた……」
 一人暮らしの部屋の棚にある東先生の本が並んでいる背表紙を見つめると、自然と意識が変わり大ファンである人に会える喜びがまた込みあがってくる。
「うん……やっぱり東先生は私の癒しの源だ」
 しみじみとそう感じながら、ようやく落ち着いた気持ちで私は伊崎さんに【はい、わかりました。当日楽しみにしています】というシンプルな返事をすることができた。

 * * *

 約束の日はあっという間にやってきた。
 土曜日は東先生にサインをしてもらうため、保存用に新刊を新たに購入してきた。
 服装も失礼がないように派手過ぎず、だけど東先生にがっかりされないように流行のチェックのティアードワンピースも買ってきた。
 あと、デパートで口コミで美味しいと有名な洋菓子の詰め合わせの手土産も購入した。
 これで準備はばっちりだ。あとは明日、遅れないように準備をして待ち合わせ場所に向かうだけ。
「私服姿の伊崎さんってどんな感じなんだろう」
 スーツ姿の彼しか見たことがないから、きっとすごく新鮮に映るんだろうな。
 伊崎さんはもうすでに私の中で堅苦しいイメージはなくなり、妹想いの優しいお兄さんと思っているから、彼が東先生と兄としてどんなふうに接しているのか、それを見るのも楽しみの一つだったりする。
「明日……緊張もするけど、本当に楽しみだな」
 いつも週末は漫画を読んで徹夜をしてしまうなんてこともあるけれど、この夜だけはそんなことをせず、早く日曜日になってほしいという強い思いから素直に睡眠をとることにした。

 緊張してなかなか寝付けなくて結局睡眠不足だけど、鏡に映る私の顔はそれでも目は活き活きとしていて、肌の血色もよかった。
 普段、仕事に行っているとき、こんな顔の私を見たことがない。それくらい私にとって今日は特別な日だ。
「よし、用意ができた」
 姿見に映る私は、昨日買ったワンピースを着てベージュのロングコートを羽織っている。
 メイクには自信がなかったから、普段のファンデーションとアイブロウ、チークだけのメイクにベージュ系のアイシャドウと色付きリップを追加した。
 肩にトートバッグをかけ、その中に忘れないようにサイン用の新刊と手には手土産を持ち、家を出る。
 施錠しながら緊張からかため息が出た。それは移動中も止まらず、待ち合わせ場所の渋谷駅のハチ公改札前に着くまでずっと心臓は落ち着かない。
 それでも時間は容赦なくやってきて、とうとう待ち合わせの時間になった。
 伊崎さんはハチ公前で待っているという。
 王道の待ち合わせ場所は、あまり渋谷に行くことがない私にとってとてもありがたかった。
 早足になり、ハチ公前まで急いで向かうとすでに伊崎さんは待っていた。
 日曜日だからかなりの人混みだけれど、遠目から見てもわかる。あの背筋のよい佇まいは絶対に伊崎さんだ。
「す、すみません! お待たせしました!」
 早足から駆け足になり、伊崎さんの前まで行くと、彼は「ハハッ」と爽やかに笑いながら私を迎えてくれた。
「いや、俺が早く来すぎたんだ。野間は時間通りだよ。走らせて悪かった」
「い、いえ……」
「じゃあ、早速行こうか。お前も早く大ファンの先生に会いたいだろう?」
「……はい!」
 そう言い歩き出す彼の横で私も一緒に歩き出す。ちらっと横目で見た彼の服装は、想像していた通り大人の男性という言葉がぴったりだ。
 上質な黒のコートにグレーのマフラーを巻き、ブラックデニムを履いた姿はプライベート感があってとても素敵だ。
 光沢のある革靴は清潔感があり、コートの袖から見える腕時計もすごく高級そうでおしゃれ。私服も大人な雰囲気でかっこいいなぁと感心してしまう。
 こんな彼の隣にいる私はすごくダサくて地味じゃないだろうか。もっと、大人っぽい綺麗な服装にすればよかったかな。
 いや、でも今日は東先生に会うことが目的で、伊崎さんとデートをするわけじゃない。
 それにそもそも伊崎さんと私がデートだなんて図々しいよね。
「どうした、野間。さっきから無言だけど緊張しているのか?」
 私が一人でぐるぐるといろんなことを考えていると、伊崎さんが声をかけてくれた。
 その声にハッとなり、顔を上げる。
「緊張は……しています。あの、昨日から結構自分自身の中がいっぱいいっぱいで頭がうまく回らなくて……」
「そんなにファンだったなんて、妹の仕事を認められているようで兄として嬉しいな」
「あ、当たり前です! 私ごときが認めるなんておこがましいです……! だって何度も言っていると思いますが、東先生の作品に私はどれだけ救われたか……」
 私の熱弁する姿に伊崎さんは声を出して笑っている。でも、目はあまり笑っていなくて心配そうな瞳のままだ。
「その話は俺じゃなく、今から会いに行く妹に言ってやってくれ。きっと喜ぶ。ファンの女性に会いたいなんて言い出したのは初めてなんだ。よほど、弱っているんだと思う」
「そうなんですか……」
 そんなに悩まれていたなんて……今まで東先生の作品には随分と励まされてきた。
 だからこそ、こんな地味な私の人生に潤いを与えてくれた方に、精いっぱい恩返しがしたい。
 私は緊張している気持ちを大きく深呼吸して落ち着け、バッグを持っている手にギュッと力を込める。
「じゃあ、思う存分語らせてもらいますね! あっ、もちろんお仕事の邪魔にならない程度で」
「あぁ、ありがとう」
 彼の眉と目じりを下げてほころぶ顔を見てしまったら、また胸が大きく高鳴ってしまう。焦った私はすぐに俯いてしまい、また無言になってしまった。

 そんな状態のまま五分ほど歩くと、新築のようなデザイナーズマンションの前で伊崎さんの足が止まる。
「ここだ」
「えっ、ここって……すごくおしゃれなマンションですよね」
「ワンルームマンションを仕事場として借りて作業をしているらしい」
「そうなんですか」
「妹に着いたと連絡するから、待っててくれ」
 私の想像では自宅で作業をされているのかなと勝手に考えていた。
 そういえば『キミ僕』のあとがきでアシスタントにはメッセージアプリを使用して指示を出し、一人仕事場で作業していると読んだことがあった。
 その仕事場がここなんだ……さっきまで気合い充分だったのに、憧れの人に会えるとなるとまた緊張が襲ってきた。
「よし、連絡がついた。入ろう」
「は、はい」
 どきどきしながら、伊崎さんの後ろをついていく。私が住んでいる古いアパートとは違い、大理石のエントランスは高級感があり、コンシェルジュがいる受付のカウンターまである。
 何もかもが違うなぁと感心しながらエレベーターに乗り込み、五階まで上がる。
 伊崎さんは慣れているのか迷うことなく角部屋まで歩くと、インターホンを鳴らした。
『はーい!』
 思いのほか、明るく元気な女性の声がインターホン越しに聞こえてきて、肩が上がる。
 今のが東理子先生の声……! 声からして綺麗そうだ!
「いらっしゃい!」
「なんだ、意外と元気だな」
 豪快に玄関のドアが開くと女性が現れた……!
 伊崎さんの言う通り元気な姿に驚きつつ、パッと見ただけで伊崎さんとよく似ていると感じる。
 整った顔立ちに黒髪のロングヘアーを後ろで一つに結び、ラベンダー色のセーターと黒と白のチェックのロングスカートという大人な女性のカジュアルな服装がよく似合っている。
 見惚れてしまうような容姿は、やはり兄妹なのだと思った。そんな東先生に笑顔を向けられ、固まってしまう私に彼女は声をかけてくれた。
「こんにちは! あなたが野間奏さん?」
「は、は、はい! あの! いつも東先生の作品を読ませてもらってます! あの、本当に大好きで……!」
「おいおい、ここで語りだす気か? とりあえず中に入ろう」
 フライング気味の私の熱弁に、伊崎さんが苦笑いを零す。私はハッと正気に戻り、身体中が熱くなるのを感じていた。
 そして東先生に部屋の中に案内をしてもらい、仕事場へと通してもらう。
 先生の仕事場は六畳ほどのワンルームに立派なパソコンデスクとモニターがあり、パソコンとペンタブレットと通話用なのかヘッドホンがある。
 その隣にある棚は資料用なのか、たくさんの本や漫画が並んでいた。
 テレビなどの娯楽的なものはいっさいなく、あるのはソファとミニテーブルだけだ。
 す、すごい……これが本物の漫画家さんの仕事部屋……! 感激のあまり手の力が抜け、手土産を落としそうになって、その存在を思い出した。
「あ、あのこれつまらないものですが……」
「わあ、ありがとう! しかもこれ、流行っているお店のお菓子じゃない! お兄ちゃんと違ってめちゃくちゃ気遣いがあるー!」
「悪かったな、いつも手ぶらで」
「そう思うのなら、今度、牛丼大盛りで持ってきてね。あっ、野間さん、そこら辺に適当に座ってねー。今、お茶を淹れてくるから」
「ありがとう……ございます」
 ハキハキと喋り、テキパキと行動する先生の姿に圧倒され促されるままソファに座る。
 隣に座った伊崎さんがリラックスした雰囲気のまま、私の方を向いた。
「意外だったか?」
「は、はい。あっ、でもいい意味でですけど」
「そうか、それならよかった。俺も元気そうな姿を見ることができてホッとしているよ」
 そういう彼の表情もとても和やかで一安心した感じだ。
「でも、もしかして……私が来ることで無理に明るく振舞っているとかじゃありませんか?」
 私の言葉に伊崎さんが少し考え込む顔をする。ちらっとキッチンにいる東先生を見て、軽く息を吐いた。
「そうだな、その可能性もあるか……それなら、このあと思いっきり励ましてやってくれ。そのかわり、お前も絶対にサインをもらえよ。遠慮するな」
「は、はい!」
 微笑みながら言われ、図々しくも即答してしまう。
 でもその答えに伊崎さんは満足してくれて、そんなやり取りをしていると東先生がトレーにマグカップ三つを並べ、持ってきてくれた。
「うち、コーヒーしかないけれど、大丈夫かな?」
「は、はい! コーヒー大好きです!」
「相変わらずコーヒーばっかり飲んでいるのか。たまには野菜ジュースとかも飲めよ」
 マグカップになみなみと注がれたコーヒーからいい香りが漂ってきて、豆にこだわりがあるのが感じられる。
 私は嬉しくて目を輝かせていたけれど、兄である伊崎さんは向かい合わせになっている一人用のソファに座る東先生に向けて、不満げな顔を見せている。
「でた、お兄ちゃんのお節介焼き。野間さん、お兄ちゃんってば会社でもこんな感じ? 後輩の人から疎ましく思われていない?」
「そ、そんなことないです! むしろ憧れの存在というか……」
「えー、お兄ちゃんが憧れの存在? ありえない」
「お前な、その言い方はないだろ」
 笑い声が部屋に響き、和やかな雰囲気で話題は弾む。
 よかった……もっと暗い雰囲気になったらどうしようかと思ったけれど、そんな感じにはならなさそうだ。
 何よりも東先生の笑顔がずっと絶えない。それが純粋に嬉しかった。
 そんな東先生の笑顔が、一瞬で意地悪な笑みに変わる。そしてニヤッとしながら口を開いた。
「で、お二人はどういうご関係? 奏さんはお兄ちゃんの恋人と思っていいの?」
 両手に持ったマグカップを落としそうになり、慌てて首を左右に思い切り振った。
「えぇぇ! 私が伊崎さんの恋人だなんてとんでもない! 私はただの部下です!」
「おい、野間に変な気を遣わすな。そうでなくても、今日は緊張しているのに」
「アハハ! ごめんね、でも、お似合いだなーと思って」
 両膝に両肘を乗せ、並んで座っている私たちを興味津々という感じで覗き込むように東先生は見つめてくる。
 私は全身が熱くなり、自分でもわかるくらい顔も真っ赤になっている。
 伊崎さんは軽いため息をつきながらソファの肘置きに腕を乗せ、頬杖をついた。
「そう言ってもらえるのは嬉しいが、今日の目的は違う。それにお前がファンって言ってくれる子に会いたいって言いだしたんだろう」
「うんうん、たしかにそうなんだけど。お兄ちゃんが女の子を連れて歩くなんて本当に珍しいから」
「だからそれはだな」
 まだ私たちの関係に興味があるのか、東先生はニコニコしながら私とあきれ顔の伊崎さんを交互に見つめる。
 このままじゃ当初の目的を言う機会を逃してしまう! と焦った私は慌てて口を開いた。
「わ、私、あの、初めて東先生の作品に触れたのは大学生の時なんですけど……」
 勢いよく私が語りだすと、東先生は一言も聞き漏らすことがないように、真っ直ぐこちらを見ている。
 期待されているようで一気に緊張したけれど、ずっと心にためていた思いを何とか私なりの言葉で伝えようと続きの言葉を発した。
「その……入学できたのはよかったんです。ただ、大学の活発なサークル活動とか飲み会に全く馴染めなくて、いつも孤独で……そんな時に出会ったのが、東理子先生の少女漫画だったんです。私、両親が厳しくて少女漫画はそれまで手に取らないし読んだこともなかったんですけど、もう読みだしたら止まらなくてすっかり虜になって……ずっと後ろ向きな性格だったのに、東先生の漫画を読んだらそんなネガティブな感情なんかすぐに忘れちゃって、とても幸せな気持ちになれるんです。おかげで一人でいても寂しくない、孤独じゃないって思えるようになれました」
 少しも休憩せず緊張から早口で喋ってしまったのに、東先生は笑顔を絶やさず最後まで聞いてくれた。
 そして顔が熱くなり、きっと赤くなっているであろう私の顔を見ながら、緊張で震えていた私の手をそっと握ってくれる。
「そっか……私の漫画でも役に立てたのかな」
「もちろんです! 私、『キミ僕』がなかったら、私の人生には潤いも楽しみもないつまらない人生のままでしたから」
「……ありがとう。そう言ってもらえて、本当に嬉しい」
 ホッとした穏やかな表情になり、東先生の雰囲気は緩やかになったと思う。さっきのような弾けた明るさはなくなり、ふわっとした居心地のいい感じになった。
 やっぱりさっきまで無理やり明るく振舞っていたのかなと思った。だって、さっきの東先生の明るさは、無理をして周りに合わせていた学生の頃の私を見ているようだったから、なんとなくそう感じたんだ。
「野間のお前への思いはすごいぞ。社内ではクールだしあまり喋らないのに、お前の漫画の話になると人が変わったように笑顔が増えてよく喋ってくれるんだ」
「い、伊崎さん、そんなこと……」
「それも嬉しい。じゃあ私の漫画がお兄ちゃんと野間さんと引き合わせたのね」
「まぁ、そういうことだな」
 東先生と伊崎さんのやり取りを聞いていて、心臓がどくんと大きな音を立てた。
 引き合わせただなんてそんな……いや、今の言葉に深い意味はないのだろうし、私が意識しているだけだ。
 たったこれだけの言葉を意識してしまうなんて、私ってばどれだけ恋愛偏差値が低いのだろう……自意識過剰な自分が恥ずかしい。
「そうだ、野間。今日のために本を持ってきたんだろ? サイン、書いてもらったらどうだ」
「あっ! そ、そうでした! すみません、図々しいお願いだとは承知しているのですが、もしご迷惑でなければサ、サインをここに……」
「アハハ! サインくらい書くよー! 私の方から家に呼んでいるのに、サインを拒否するとかしないから」
 東先生は大きな口を開けながら楽し気に笑っている。トートバッグの中から新刊を取り出し、震える両手で差し出した私の様子がおかしくて仕方ないのだろうか。
 また醜態をさらしてしまった……! と後悔したけれど、隣では伊崎さんも微笑んでいるし東先生も笑っている。
 それだけで心がほっとする自分もいた。
 陽気な笑い声が部屋に響く中、東先生は私が持ってきた新刊の中表紙に慣れた手つきでサインをしてくれる。
 実物は書店にある宣伝用のサイン色紙でしか見たことがなかったから、これが自分だけのためのサインなのだと思うと、感動で涙が溢れそうだ。
「あ、あ、ありがとうございます……」
「よかったな、野間」
「これくらいで喜んでくれるならいつでも書くよ」
 東先生はくすくすと笑いながら私にサインが入った新刊を返してくれた。
 至近距離で私の名前入りのサインがあり、感極まっている私を見て、まだ笑っている。
 その時、この部屋の玄関の鍵が解錠される音が聞こえ、誰かが入ってきた。
「今日はにぎやかだな。笑い声が外まで聞こえていたぞ」
「あれ、直哉来たの?」
 突然現れた男性に、私の目が丸くなり動きも停止してしまう。やってきた男性は身長は伊崎さんと同じくらいだろうか。
 スクエア型の眼鏡をかけており、緩くかかったパーマがシャープな輪郭にとても似合っていて、すごくかっこいい。
 伊崎さんとはまた違うタイプの男性の出現に凝視してしまう。
 隣に座っている伊崎さんは「来たのか」と親し気にその男性に話しかけていた。
 そして突然現れた男性はソファに座っている私を見て、何かに気づいたような顔をした。
 それは私も一緒だ。この人……どこかで見たことがあるような……
「んっ? 客人が来る日は今日だったか」
「もう、昨日言ったじゃない。本当、せっかちなんだから」
「それはお前もだろ」
 東先生と親し気にやり取りをする声を聴いて、必死に知っている顔を思い出してみる。
 そして自分の中である人と顔と名前が一致した。
「あっ! たしかこの人……」
「あぁ、人事部課長の東直哉《ひがしなおや》だ」
 やっぱり! どこかで見たことがある顔だと思ったら、同じ会社で働いている人だ。
 配属も違うからフロアも違うせいで、滅多に会うことがない社員の人だからすぐに顔と名前が一致しなかったんだ。
「東、野間とは面識があったか?」
 伊崎さんが私の方に目配せをしながら東さんに声をかける。あれ、東さんって東先生と同じ苗字……えっ、それってもしかして……と一人で混乱していると東さんの方から声をかけてくれた。
「いや、直接喋ったことはないな。出勤や退勤の時にたまに顔を合わす程度か?」
「そう……ですね。あの、でも、どうしてここに……」
「東は理子の夫なんだ」
「へっ?」
 なんて間抜けな声を出してしまったんだろう。
 でも、とんでもなく驚愕な事実を耳にしてしまい、変な声を放ったまま私は固まってしまっている。
 そんな私を見て東先生は爆笑しているし、伊崎さんも困ったように笑い、東さんは額を抑え、ため息をついていた。
「だから、東と理子は夫婦なんだ。東は俺の義理の弟だよ」
「……えぇぇぇ!」
「このことは人事の人間と伊崎以外は誰も知らない。言いふらすなよ」
 私の大声にかぶせるように東さんが両腕を組んだまま圧を感じさせる言い方をした。
 それだけ少女漫画家である東先生のプライベートを守っているということなのだろう。
 私は慌てて背筋を伸ばし、何度も頷く。
「それは大丈夫です! 私、社内に友達はいませんから」
「なんだ、寂しい奴だな」
「もう、直哉ったらそんなひどい言い方しちゃだめよ! それなら奏ちゃん、私達お友達になりましょう!」
 東先生は立ち上がり、夫の東さんの腕をぺちっと叩いている。
 親しさを感じる手つきに本当に夫婦なんだと思う以前に、私は東先生からのとんでもない申し出に思い切り立ち上がってしまった。
「私と東先生がお友達! そんな! 滅相もないです!」
「もうその先生っていうのもやめて。私も職業柄、なかなか友達ができなくて結構孤独なのよー。仲良くしてくれたら嬉しいな」
 両手を合わせ、眉を下げて可愛くお願いされる姿は、大人の女性なのにとても愛おしいし可愛い。こんな姿、自分がするのは絶対に無理だ……
 その愛らしさについOKをしてしまいそうになるけれど、大ファンの漫画家さんとお友達なんて、普通の友達を作ることさえもできない私に、そんな高度な関係が築けるのだろうか……!
 どうしよう、なんて返事をしたらいい? こめかみから汗が流れるくらい悩んでいると、座っていた伊崎さんが立ちあがる音がした。
「野間さえよければ、友達になってやってくれないか? 俺も、お前が理子の友人になってくれるといろいろと心強い」
 斜め後ろからかかってくる低い声に視線を上げると、思いのほか近い距離に伊崎さんがいて、その顔は申し訳ない笑みを浮かべているけれどどこか期待も含んでいるように見える。
 いいのかな……私なんかが東先生のお友達なんて……
 ただでさえ、大好きな東先生のお家にお邪魔して話をしているこの状況だけでも恵まれているのに、こんな夢みたいなことが現実で起こるなんて。
 まだ信じられないけど、信頼している伊崎さんと大好きな東先生のお願いは素直に嬉しい。だから、両手をギュッと握りしめて口を開いた。
「わ、私でよければ……よ、喜んで……」
「やったぁ! じゃあ、来週の日曜日もここに来てね! もちろんお兄ちゃんも一緒に!」
 恐る恐るそう言うと、会ってから一番と思えるくらいの弾けた笑顔で東先生は喜んでくれた。
 その反応にこそばゆい感情と、私にも友達ができたという喜びが込みあがってくる。
「これからは私のことは理子って呼んでね!」
「それはできません! せ、せめて理子さんで!」
「えー、ちょっとまだ壁を感じるけど……でもまぁ、先生呼びよりいっか! これからよろしくね、奏ちゃん」
「は、はい」
 理子さんと奏ちゃん呼びになった私たち。まだ不思議な感覚が抜けなくてふわふわしている。
 だれど、ずっと一人だった私に友達という存在ができたことがじわじわと実感してきて、頬が自然と緩んでしまう。
 そんな私たちを見て伊崎さんと東さんが小さな声で喋っていた。
「野間、意外だな。もっと冷たくてクールな奴かと思っていたが、なかなか人間味があって面白い」
「ハハッ。そうだろう」
 私のことを話して伊崎さんが笑っている……また違うこそばゆさに胸の奥がむずむずして、両手で腕を擦ってしまう。
 伊崎さんも会社とプライベートでは全然違うのに。
 でもそれを私みたいに面白いと感じるんじゃなくて、素敵だと思えるのが彼の魅力なのだろう。
 私にはそんなものはきっとないよね。その方が私らしくていいけれど。
 それから四人でたくさんのことを話した。
 東先生が言うには「東理子《ひがし りこ》」というのは投稿時代からのペンネームで、本名は伊崎理子《いざき りこ》。東さんと出会い、結婚してペンネームと同じ東理子になったという。
 東さんとの出会いは、お兄さんである伊崎さんと東さんが一緒にいるときに出会い、理子さんの方が一目ぼれをして強引にアプローチをして結婚をしたと言っていた。
「ペンネームのはずが本名になっちゃった」と照れながら言っていた先生の顔は、少女のように可愛らしく素敵だなと心から思った。
 こんなふうに愛している人のことを語れるから、あんな素晴らしい少女漫画を描けるのだろうなとしみじみと思う。
 そんな話を聞いたり、会社での伊崎さんや私、東さんの話や四人のプライベートの話を少しだけして部屋を出ることになった。
「今日はお忙しいところ、お邪魔して本当にすみませんでした。とても楽しかったです!」
「楽しかったのは私の方だよ。また来週も楽しみにしてるね、奏ちゃん」
「は、はい! 私も……楽しみにしてます。サイン本も一生大切にします!」
 貴重なサイン本を握りしめ、そう語れる私の瞳はきっと輝いていたと思う。
 理子さんもとても満足気な顔をしてくれ、そのまま手を振って彼女の仕事場を後にした。
「今日は長時間、すまなかったな。慣れない人間ばかりで疲れただろう」
 渋谷駅までの帰り道、伊崎さんがかがんで私の顔を覗き込んでくる。
 今日一日で随分と彼との距離感も近くなり、至近距離で話しても照れることもなくなった。
「いえ、全然疲れてないです。むしろ、すっごく楽しくてまだまだ喋りたいって思っちゃいました」
「ハハッ。女性はお喋りが好きだからな。でも、俺もこんなに長時間喋っていて楽しい時間は久しぶりだった。俺もいい気分転換をさせてもらったよ」
 彼がいい笑顔を私に向けてくれ、そう言ってくれる。
 伊崎さんの癒しになれたのならよかった……理子さんや伊崎さんの心を軽くするお手伝いができたのかと思うと、なぜか誇らしく感じられて達成感を感じる自分がおかしかった。
「じゃあ、また来週だな。ここで待ち合わせをしよう」
 彼と話しているとあっという間に時間は過ぎ、気づいたら待ち合わせ場所だったハチ公前まで戻ってきていた。
 私は物足りなさを感じながらも、理解したふりをする。
「はい、ではまた来週楽しみにしてますね」
「あぁ、俺も。帰り、気を付けろよ」
「はい!」
 彼と別れ、そのまま渋谷駅のハチ公改札前まで真っすぐに歩いていく。
 この時、胸が高鳴る甘い音と寂しい気持ちが混ざりあっていて、複雑な感情を持て余していた。

(――つづきは本編で!)

  • LINEで送る
おすすめの作品