「おれからは触れない。でもおまえは、いつだっておれに触れてかまわない。体中どこでも」
あらすじ
「おれからは触れない。でもおまえは、いつだっておれに触れてかまわない。体中どこでも」
婚約者に裏切られ、傷心のままクラブで酒に溺れる咲南。酔いが回り、危うい空気に呑まれかけたその瞬間「帰るよ」と強く担ぎあげられる。そこにいたのは、いつも優しく穏やかな義兄・暁哉。しかし、その瞳には怒りが滲んでいた。苛立ちをぶつけるように八つ当たりする咲南に、暁哉は挑むような鋭い視線を向け、重い沈黙のあと、突然唇を奪う。「次あんなことをしたら今度は、鎖に繋いで、おまえを食ってやるからな」低く熱い吐息が耳をかすめた瞬間、全身に痺れるような熱が駆け巡り、抑えきれない衝動が咲南を支配する。惹かれ合う義兄妹の行く先は――。
作品情報
作:長曽根モヒート
絵:小島きいち
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3/21(金)各ストア様にて順次配信開始!(一部ストア様にて予約受付中!)
本文お試し読み
1
「婚約したの」
兼城《かねしろ》咲南《さな》の言葉に、暁哉《あきや》は顔を固まらせて二度まばたきをした。
「なんだって?」
週末の大衆居酒屋の店内はどの席も埋まり、仕事帰りのサラリーマンやOLであふれかえっていた。騒がしくなる一方の店で、少しは話しやすい半個室が取れたのは運がよかった。L字型をした個室の奥側の席に座った咲南は、周囲の雑音に負けないくらいの声でふたたび口を開いた。このビッグニュースを早く兄に知らせたかった。
「だから、婚約したの。この前友達と沖縄旅行に行ったでしょ? そのときダイビングスクールの講師をしてた彼と知り合って、ビビッと来たの」
「つまり……会って間もない男と婚約してきたのか。沖縄で?」
「そう!」
咲南は兄の顔にやがて祝福が訪れるのを待った。しかし何秒待っても彼の表情は凍りついたままだ。信じられないといった目で咲南を見つめている。
そんなに驚くようなこと?
まあ、たしかに突然だとは思うけど。
咲南はため息をついてテーブルに並んだ料理をつついた。
「わたしだって結婚くらいするよ。もう二十六なんだから」
「そうかもしれないけど、前は一生結婚する気なんかないって言ってたじゃないか」
「子どものときの話でしょ?」
「十七歳のときから半年前まで口癖みたいに言ってたけどね。まさか本気で?」
「もちろん。もう二人には伝えてるし」
「もう顔合わせまでしたのか」
「ううん、そういうのじゃなくて、ただ電話で伝えただけ」
「母さんたちはなんだって?」
「わたしの判断を信じるって」
「それは――」
暁哉はなにかを言いかけたが、咳払いをしてジョッキを手にした。しかし結局ひと口も飲まずにテーブルに戻す。
「理解があるな」
「まあね。わたしもこんなことになるとは思わなかったけど、出会いや恋に落ちるタイミングなんて自分では決められないでしょ? きっと運命の相手なんだと思う」
「運命の相手? ずいぶん遠くにいたんだな」
「嫌味はやめて。お兄ちゃんらしくないよ」
彼は視線をそらして肩をすくめた。いつもは穏やかで理解のあるいい兄なのに、今回はさすがに急展開すぎて驚いているようだ。自分でもそう思う。
いままでずっと結婚には縁がないと思っていたのに、こんなことになるなんて。まさに青天の霹靂だ。
にやけ顔を抑えることができなくてついへらへら笑うと、暁哉は意味深な笑みを返した。
「悪かったよ」
リアリストな彼にとって〝運命の相手〟なんて妖精やサンタ・クロースと同じくらい子どもだましの存在なのだろう。それでも咲南は信じていた。彼がなんと思おうが、昌隆《まさたか》はソウルメイトだ。間違いない。だから出会ってたった二日しか経っていなくても、帰りの空港でプロポーズされたときは迷わなかった。
「それで、つまり……相手は沖縄にいるってこと? 仕事はどうするの」
咲南はいま赤坂にあるタワービルにオフィスをかまえるアパレルメーカーに勤務している。住んでいるアパートも電車で十五分の距離だ。
「辞める。遠距離で別居婚なんてするつもりないし」
「辞めてどうするんだ? ダイビングスクールってそんなに儲かる仕事?」
「さあ、まだ具体的なことは考えてない。別に妊娠したわけでもないし、むこうで働くよ。いまどきウェブデザインの仕事はどこにいたって受けられるし、なにかしらあるって」
咲南の曖昧な答えに、暁哉は眉間にしわを寄せた。妹が無責任に突っ走っていることを無言で咎めているのだ。むかしからそうだった。
両親が再婚し、二つ上の暁哉は咲南が十六歳のときに出会った。以降血は繋がらなくても理性的な兄として、暁哉は衝動的な妹の面倒を見てきた。でも咲南ももういい大人だし、いつまでも世話をされる必要はない。
疑り深い兄の視線を受け流し、咲南は機嫌よくビールを流しこんだ。
「わたしのことは置いといて、お兄ちゃんは?」
「おれがなに?」
「つきあってる人いないの? そろそろ結婚考えてもいいんじゃない? ニューヨークから戻ってきたんだし、妹よりも先に会いたい人はいないの? それとももう会ったとか?」
からかうような視線を向ける。
暁哉は先日、二カ月間の長期出張から戻ってきたばかりだった。大学時代に自分で立ちあげた事業を近々海外にも広げようとしているらしく、ここ一年は頻繁に国外に出ている。
暁哉は眉をあげて首を振った。
「仕事が忙しいからそんな時間ないよ」
彼がよく口にする言い訳だ。咲南にはわかっていた。
お互い両親が再婚同士だ。子どものころから親のごたごたを間近で見ていれば、恋愛や結婚に関心が持てなくても無理はない。正確には、大げんかの末に離婚した咲南の両親とは違い、暁哉の両親は死別らしいけれど。詳しいことを聞いたことはない。
結婚に希望が持てない暁哉の気持ちは痛いほどよくわかる。少し前まで、咲南も同じように一生結婚なんかしないと言い続けていたのだから。
彼はからかうように笑った。
「誰かさんがうちの会社に来てくれるなら、おれの仕事も少しは楽になるかもしれないけどね」
「また、そんなこと言って」
暁哉は以前からこうして度々咲南を自社に引き抜きたいと口にしていた。
しかしそれは決してウェブデザイナーとしての腕を買っているわけではない。きっと義理の妹の面倒を見なければいけないという責任感からの誘いだろう。暁哉の会社はいまや大企業だ。咲南より優秀なデザイナーをいくらでも雇える。そして咲南はいまのアパレル会社を気に入っていた。
もちろん、大好きな兄の仕事を手伝えるならそれはそれで楽しいだろうし、やりがいもあるとは思うけれど〝おれのために〟というリップサービスを真に受けるほど子どもではない。
(――つづきのお試し読みは各ストア様をご覧ください!)