作品情報

女神の令嬢、最期の愛にのってみた

「君は死ぬまで私の妻だし、死んでからだって私の妻だ」

あらすじ

「君は死ぬまで私の妻だし、死んでからだって私の妻だ」

美貌の令嬢コルネリアは、ある夜会で突然、侯爵テオドールに求婚される。元平民の彼女は貴族自体を好かないが、彼の必死な様子に興味を持ち話を聞くことに。するとテオドールは、占い師から確実に当たる死の宣告を受けており、世継ぎを残すために結婚相手を探していたと告白する。…これは、コルネリアにとっても好都合だ。神の前で一生を誓うなど嫌だが、一時の契約なら喜んで。呪いの侯爵と奔放令嬢の最期の愛が幕を開ける…!

作品情報

作:猫屋ちゃき
絵:さばるどろ

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  第一章

 歓談する人々の話し声と、それを邪魔しない程度の大きさで奏でられる典雅な音楽。
 コルネリアはいつもなら壁際でそれらを耳にしながら夜会での無為な時間を過ごすのだが、今夜は違っていた。
 先ほどから、足元に跪いている男がいるのだ。
 その男は熱っぽい視線でコルネリアを見上げ、仰々しく何事かを語りかけてきた。
「美しいコルネリア嬢。どうか私に君への愛を囁く栄誉を与えてくれないか」
 愛を囁くのに許可がいるのかと、呆れた気持ちでコルネリアは男を一瞥する。囁きたいなら勝手にすればと思ったが、ふと男に興味が湧いた。
 男の言葉や表情は、妙に演技くさい。それが気になったのだ。
 この男が――テオドール・グラッツェルが、女を口説くときにこんな大根役者のようなことをするだろうかと。
 彼とは言葉を交したことはないが、これまで何度も夜会で見かけたことがある。
 若くして侯爵家当主の座を継いだ彼は、いつもそれなりに人に囲まれて楽しげにしている男だ。彼の振る舞いは洗練されていながら軽妙で、老若男女問わず好かれる。
 何より、顔がいいのだ。肩書きを抜きにしても女が放っておかない姿形をしているといえるだろう。
 優雅になびく黒髪も、目尻が下がった優しげな青い目も、筋の通った高い鼻も、薄く形のいい唇も、色気と甘さを感じさせるらしい。
 女たちの多くが本命になれずとも一度でいいから“楽しい時間”を過ごす相手に選ばれたいと、彼に群がるのだ。
 だから、コルネリアは何となく好かないと思っていた。
 元々、貴族自体が好きではないのだが。
「ずいぶん陳腐な口説き文句ね。“美しい”なんて言われ慣れていて、新鮮味がないわ」
 こんなことを言って許されるのは、コルネリアくらいのものだろう。事実、彼女は美しい。
 光を集めたかのような波打つ金の髪も、宝石を思わせる緑の瞳も、職人が丹精込めて作り上げたかのようなしなやかな肢体も、誰の目にも美しく映る。だからコルネリア自身も、自分が美しいことを早いうちから認識していた。
 美しいものに美しいと言って何になるの、とコルネリアが馬鹿にしたのを隠さず言えば、テオドールはしてやったりという顔で笑った。
「よかった。普通に話しかけてもきっと君は無視するだろうと思って、いろいろ考えたんだ。どうやったら、君の視線をこちらに向けられるかなって」
 そう言って笑う顔は、いつもの彼だった。人に囲まれ楽しそうにしている、小憎たらしい貴族の男の顔だ。
「……わざわざ私と口を聞くために、そんな下手な芝居みたいなことをしたとでも言うの?」
 立ち上がるテオドールを見て、コルネリアは再び呆れた。
 あくまで一瞬でも興味を引くのが目的で、それが果たせた以上“芝居”は続けないのかと。
 もしかしたらこの男の暇つぶしのためにからかわれているのかもしれないと思って、にわかに苛立ってくる。
 そのコルネリアの苛立ちを感じ取ったらしく、テオドールは慌てた。
 だが、早々に本題を切り出さねばと焦ったせいか、それはあまりに突拍子もない。
「もちろん、ただ話しかけるためじゃない。君を口説きたいと思って。――どうかな、コルネリア。私と結婚しないか?」
「…………は?」
 この男の突拍子もない提案に、コルネリアはたっぷり間を取ってから呆れの声を発した。その中には、過分に侮蔑も含まれている。
 ここが下町の飲み屋なら、この軽い調子も理解できる。だが、ここは夜会だ。貴族の紳士淑女が集まる社交場だ。
 そんな場所であんな軟派な口調で結婚を申し込むやつがあるかと、湧き上がる怒りを抑えることができなかった。
「よりにもよって結婚の申し込み? ずいぶん馬鹿にされたものね。それとも、私をからかっているのかしら」
「馬鹿にしてなんて……これは君にとっても悪くない提案だと思って、それで声をかけただけだ。君が本当はこんな集まりに嫌気が差していることも、結婚なんてしたくないこともわかっているんだ」
 テオドールは声を落とし、コルネリアにだけ聞こえるように言った。
 これは内緒話なのだとわかった瞬間、彼の言葉に真実味が増して感じられた。からかうのが目的ならば、周囲にも聞こえるように話さなければ意味がないだろう。
 それに彼がコルネリアの事情を理解しているように思えたのも、興味を引かれた理由だ。
 コルネリアは家の利益のための結婚になんて興味はないし、その相手を見つける目的の夜会なんてくだらないと思っている。
 それでも、うるさい家の者たちを黙らせるためだけに何回かに一度は参加しているのだ。
「私ならすぐに君を解放してあげられる。だから、君にとって悪くない話だと思うんだが」
「すぐに解放してくれるって? 契約結婚か何かなの?」
「……詳しく話すよ。風にでも当たりながら話そうか」
 コルネリアが興味を示したのがわかると、テオドールはそっと彼女の肩を抱いてバルコニーへ向かった。
 ここからは、より内密な話になるということだろう。
 本来なら人目につかない場所で男性と二人きりになるなどあり得ないが、今はそういったことを言っている場合ではない。
 期間限定あるいは条件付きの結婚。テオドールが提案しようとしているのは、おそらくそんなところに違いない。
 どちらにしても、結婚したくないコルネリアにとっては魅力的な話だ。彼と結婚してしまいさえすれば、結婚相手を探すために夜会に出席する必要がなくなるのだから。家の者にせっつかれるのも、もううんざりだ。
 だが、その前に確認しておかなければならないことがある。
「まさか知らないわけがないでしょうけれど、私は生粋《きっすい》の令嬢ってわけではないのよ。貴族である父親が使用人だった私の母を孕ませてできた子。侯爵家のような家柄の人がそんな女を娶って大丈夫?」
 月灯りに照らされたバルコニーに出ると、コルネリアはそう尋ねた。わざと直接的な言い方をして、テオドールの出方をうかがったのだ。
 だが、彼に動じた様子はない。むしろ彼の青い瞳には、面白がるような色が浮かんでいる。
「私は、君のそういうところに惹かれたんだ。令嬢らしからぬ、生きる力に溢れた姿……やはり、いいな」
 コルネリアを見つめるテオドールはうっとりしている。これは演技ではなく本心だとわかるのに、コルネリアは複雑な気分になった。
 令嬢らしからぬというのは事実だから仕方がないものの、どうにも褒められている気がしない。悪い意味で言っているのではないのだろうが、だからといって喜べない。
 令嬢らしくないのは、母親が亡くなるまで平民として暮らしてきたからだ。母が亡くなってから、どこからかそれを聞きつけた父親が――アッヘンヴァル伯爵が迎えに来て、その後付け焼き刃の教育を施された。
 引き取られたのは十三歳のとき。そこからどうにか形だけは令嬢として振る舞えるようにはなったが、染みついた考え方や心根のようなものは変えられない。
 十六歳で社交界デビューしてから二年、美しさに惹かれて寄ってきた男たちは数多いたが、どれもコルネリアの鋭さに蹴散らされていった。
 もともと家のために結婚するつもりはないが、それ以前に論外の男ばかりだったのだ。
 惹かれる相手がいれば、結婚に至らずとも恋くらいできただろうに、好きになれるような男はひとりも現れなかった。
 貴族の男の身勝手さによって不幸になった母を見て育っているのだから、簡単に好きになれないのは仕方がないのだが。
「令嬢らしからぬ姿が好きってことは、こちらの出自は把握済みってことなのね。それならなおさら、あなたに一体どんな事情があるのか気になるけれど」
 契約結婚を持ちかけるにしても、他にもっと適当な相手はいるだろう。形だけは貴族の令嬢とはいえ、婚外子であるコルネリアを妻にする利点は、あまりない。
 そう思いつつも事情を知りたいと思ったのは、この話に関心を持ち始めてしまっているからだ。
「事情……そう、事情があるんだが……」
「何? どうせ子どもさえ産んでくれたらそれでいいとか、そういう話でしょう?」
 事情を尋ねた途端歯切れが悪くなったのが、ひどく気になった。“私ならすぐに解放してあげられる”と言うからにはきっと、期間なり条件なりがあるだろうことは察することができるというのに。
 これはよほど言いづらい秘密なのだろうと、コルネリアは身構えた。
 内容如何《いか》によっては、ひとたび聞いてしまえば逃げられないのかもしれない。
 この誘いを受けるかどうかまだ決めてもいないのに、秘密を背負わされるのは御免だ。
 そう思ってこのままここに留まるか去るかコルネリアは悩んだが、逡巡して何度も唇を開きかけてはやめるテオドールの必死な様子を、気の毒に感じたのである。
「実は私は……二十五歳で死ぬんだ」
 散々躊躇ったのち、彼は絞り出すように言った。
 その様子を見れば、質の悪い冗談を言っているのではないとわかる。
 真実なのだと理解できると、彼の必死さにも合点がいった。
「二十五歳って……あなた、今いくつなの?」
「二十三。次の誕生日で二十四歳になる」
「つまり、猶予は一年ちょっとってこと?」
「……そうだ」
 ふと見れば、月明かりに照らされたテオドールの顔は青白かった。もしかしたら最初からそうだったのかもしれないが、気がついたのは今だった。
 今初めて、コルネリアが彼のことをきちんと見たから気づいたのかもしれない。
「でも……病気なら治るかもしれないじゃない。何も二十五歳で死ぬって決めつけなくても……」
 二人とも屋内で過ごすための服装だ。少し風に当たるだけならばいいが、長々と外にいるべき格好ではない。
 青白い顔をしたテオドールをこのまま冷たい夜風に当てていいものだろうかと、コルネリアはどうにか話を切り上げようとした。
 病気ならば、治るかもしれない。それに、病気ならばなおさら、こんなところにいるべきではない。
「病気じゃない。だから、逃れようがない。……占い師の予言は絶対なんだ」
「占い師? 占い師に死ぬって言われて、それでそんなに思いつめてるの?」
 呆れというより驚きで、コルネリアの語気は思わず強くなってしまった。
 冗談ではなく本気で彼がそう言っているのは、彼がそれを心の底から信じているのは、対峙しているからコルネリアにもわかる。 
 だから、否定してしまったことをすぐに悔いたが、テオドールにそれを気にした様子はない。
「そうだな、たかが占い師の言うことだと感じるのは普通だ。私だって、その占いの結果を聞いてからの十年間、心のどこかで否定していたのだから。だが、ただの占い師ではないんだ。代々我が家の人間の行く末を占ってきたお抱え占い師であり、それが外れたことはただの一度もないんだ」
「ただの、一度も……?」
「ああ、一度もだ。その占い師に『当代グラッツェル侯爵デニスの長子は二十五歳で亡くなる』と言われた。デニスとは私の父の名だ。つまり、デニスの長子とは……私のこと。それを聞いた十代のときは、まったく信じていなかったのだが」
 信じていれば何かが変わったとでもいうのだろうか。テオドールの声には後悔が滲んでいた。 
「私の祖父も、流行り病を乗り越えるがその数年後に風邪を拗らせて死ぬという占いの結果どおり死んだ。父も内臓系の病で五十を前に死ぬと言われ、占いの結果どおりの時期と死因で亡くなった。数年前に父を亡くし、いよいよ逃れられない運命だと悟った。そのわりに、好きに生きていた癖にと思うだろう? ……怖かったんだよ」
 目の前にいるのは、死の運命に怯える青年だ。
 いつも人に囲まれて笑っている、軽薄で不埒な貴族の男ではない。
 彼があんなふうにいつも人に囲まれていたのは、そうしなければ怖かったからなのだろう。
 占いの結果ひとつでこんなに追い詰められるなんて馬鹿らしいと心のどこかで思いつつも、仕方がないことなのだとも思う。
 言葉は、呪いにもなるのだから。
 テオドールは占いの結果として告げられた言葉に、呪われているも同然だ。
「そう……それで『私ならすぐに君を解放してあげられる』と言ったのね」
 テオドールの言葉を噛みしめるようにコルネリアは言った。
 その顔には、嫣然《えんぜん》とした笑みが浮かんでいる。
 普通ならば、可哀想な運命に囚われた彼に同情するだろう。もしくは、“愛の力”でその運命に立ち向かおうとでも考えるかもしれない。
 だが、コルネリアはそうではなかった。ただ単に、好都合だと思っただけだ。
 彼と結婚すれば、周囲からの結婚しなければならないという圧力から解放されることになる。彼の子どもを生みさえすれば、煩わしさからはおさらばできる。なんて最高なのだろうとコルネリアは思った。
 神の前で一生の愛を誓うなど嫌だが、一時の契約なら喜んでしてやる。
「いいわ。その話、受けてあげる」
 そう言って、コルネリアはテオドールに手を差し出した。
 それを彼は、驚いた顔で見つめ返した。まさか応じてもらえるとは思っていなかったのだろう。
 だから、コルネリアはさらに言葉を重ねた。
「占いとか何だとか私にはわからないけれど、あなたが死ぬところを見届けてあげるって言ってるの。子どもだって産んであげる。その代わり、あなたが死んだあと、私に安泰な人生を送らせてよね」
 そう言ったときの彼女の顔が女神に見えたと、のちにテオドールは語る。
 彼女が差し出してくれた手が、まごうことなく救いの手に見えたと。
 だから彼は、ただコルネリアの手を取るだけでなく、跪いて彼女の手に口づけた。
 自分を救う女神に、忠誠を誓ったのだ。

(――つづきのお試し読みは各ストア様をご覧ください!)

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