「エリーサに恋をしてから、僕はずっとこの日を待っていたんだ」
あらすじ
「エリーサに恋をしてから、僕はずっとこの日を待っていたんだ」
森の奥の魔女エリーサは、伯爵夫妻の幼い息子ロランの病気の治療を依頼される。彼の病が何者かの呪いだと見抜いたエリーサは、解呪のためロランを預かり共に暮らし始める。
少しずつ心を開きエリーサに懐きながら、美しい青年へと成長したロラン。
だが彼の二十歳の誕生日の夜、ロランは突然「あなたのことが好きでたまらない」と甘くささやいてエリーサを押し倒し……
作品情報
作:さくら茉帆
絵:紺子ゆきめ
デザイン:RIRI Design Works
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序章 ~運命の出会い~
ベッドに仰向けになった状態で、ロランは天蓋をぼんやりと眺めていた。
昨夜まで熱があったせいか、体がだるく頭も若干重い。
それでも今日は、どうにか朝食を取ることができた。ひどい時には食事すらままならず、一日中寝込んでいることも珍しくない。
両親はそんなロランを疎んだりせず、一心に愛情を注いでくれている。
優しい家族に恵まれて幸せを感じる一方で、病弱なせいで心配ばかりかけていることを申し訳なく思う。
(今日はどんな天気かな?)
天気が良かろうと悪かろうと、今のロランに外を出歩くことなどできない。それでも気晴らしに外の様子を見ようと、彼は覚束ない足取りで窓辺へ向かう。
カーテンを開けると、温かい陽光が差し込んでくる。
数日間、薄暗い部屋で寝込んでいたせいか、太陽がいつになくまぶしくてロランは思わず顔をしかめた。
目が明るさに少し慣れてきたところで、窓の外に広がる景色を見下ろす。
空は晴れ渡っており、庭に植えられた花は活き活きと咲いている。
いつもと変わらぬ見慣れた風景。体が弱いせいで、ほとんど外出できないロランにとって、外の世界と呼べるのはこの邸の庭だけ。
代わり映えしない景色をぼんやり眺めていると、邸に人が入ってくるのが見えた。
黒髪の美しい女性である。年齢は二十代半ばといったところか。
(綺麗な人……)
薔薇の花がよく似合いそうな、大人の色香を漂わせた美しさ。現実の世界はおろかおとぎ話や神話でも、あれほどの美女は存在しないのではないか。
この時のロランは瞬きするのを忘れ、ほんのりと頬を上気させて彼女に見惚れていた。
こちらの視線に気付いたのか、女性は不意に立ち止まって見上げてくる。
彼女と目が合った瞬間、ロランは決まりが悪くなってとっさに身を隠す。
――体の芯が妙に熱く火照っている。
具合が悪い時に出る熱とは違う。上手く言えないが、胸の奥まで高鳴るような感覚がした。
(何だろう、この感じ……)
彼女の魅力的な姿や美貌を思い浮かべただけで、胸がドキドキして下腹部の辺りが微かに熱くなる。
――あの女性をもっと近くで見てみたい。
ロランはその想いを胸に秘めて、寝間着のまま部屋をあとにする。
この後、自身の運命が大きく変わることになるのを、ロランは知る由もなかった。
第一章 ~美しき魔女と幼き伯爵令息~
魔女エリーサは、使い魔である怪鳥マルファスの背から降りると、愛用の手鏡を取り出して身なりを確認する。
空を飛んできたせいか、艶のある長い黒髪が少し乱れていた。それを手櫛で簡単に整えると、右の腰に手を当てて優雅に歩き出す。
形の整った切れ長の目に、まっすぐに伸びた鼻筋。ルージュで彩られた唇。
大きく開いたドレスのデコルテから覗く乳房は、はち切れんばかりに豊満で歩くたびに上下に揺れ動く。お尻も綺麗な丸い形をしており、さながらよく熟した桃のようである。
道行く男達は皆、妖艶な魅力をまき散らすエリーサに、完全に見惚れていた。
しかし、当人はそれらの視線を一切気にすることなく、ひたすら街道を歩き続ける。
やがて目の前に、白い壁の大きな豪邸が見えてきた。
このフィンドール王国の名門家の一つ、アレクサンドル伯爵の邸だ。そしてここの当主が、今回の仕事の依頼主である。
(今日こそ私の魔法の腕の見せどころね)
魔女であることに誇りを持つエリーサにとって、人々のために自身の魔法を役立てる以上に嬉しいことはない。
――先日はとんだ無駄足を踏まされたものである。
エリーサが引き受けるのは、困っている人の手助けをする依頼のみ。明らかに野心や邪な欲望を満たすような依頼や、内容がいまいちはっきりしないものは全て断っている。
先日来た依頼の手紙も、こちらへ来てほしいというだけで、具体的な内容は記載されていなかった。
それでもエリーサが引き受けたのは、相手がフィンドールを治める国王だったから。下手に断って不敬罪に問われたくなかったので、エリーサは仕方なく王宮へ出向くことにした。
礼儀正しく挨拶をしてから内容を伺うと、国王は開口一番こう告げてきた。「宮廷魔導士として、余に仕えないか?」と。
だが、自身に向けられる好色な眼差しから、宮廷魔導士への勧誘を口実に肉体関係を築こうと下心を抱いているのが、エリーサにはすぐにわかった。
当代の国王は無類の美女好きとして有名で、正妃以外に三人も側室を娶っているという。
そんな国王のことだ。以前、エリーサに依頼をした貴族から話を聞いて、自分のそばに置きたいと考えたに違いない。
(冗談じゃないわ! 誰があんたみたいな、スケベオヤジに抱かれるもんですか!)
エリーサは心の中で毒づきながら、表面ではやんわりと微笑んで丁重にお断りした。
すると四角四面の近衛兵長が抜刀し、この場で切り捨てるとばかりにエリーサに切っ先を突きつけてきた。その際、「この魔女はいずれ、我が国を脅かす存在となるでしょう」などと、言いがかりをつける始末である。
魔力を持っているというだけで脅威と見なすとは、どちらが危険な存在なのかわかったものではない。そういう思想の持ち主が魔女狩りを扇動するのだろうと、エリーサは心の中で感じていた。
それから彼女は近衛兵長を簡単にいなすと、マルファスを召喚して森に構えた工房へ帰った。
そして今日、久しぶりにまともな依頼が舞い込んできた。
アレクサンドル伯爵の手紙からは、病弱な一人息子を救ってほしいという切実な思いが伝わってきた。そんな伯爵のためにも、自分が力になるのだという決意を胸に、エリーサは邸の敷地内へと足を踏み入れる。
庭を歩いている間、邸全体から不穏な気配が漂っているのを感じていた。
――まるで子供の頃に感じた時のような……。
遠い過去の記憶を思い出しかけたところで、エリーサは何者かの視線を感じて建物の二階に目を向ける。
窓から子供と思しき小さな人影が見えた。距離があるため、男なのか女なのかはわからない。
エリーサと目が合ったことで決まりが悪くなったのか、その子供はすぐに姿を隠してしまう。
その後も彼女はしばらく、立ち止まったままその部屋を見上げていた。
あの部屋から最も強い、不穏な気配を感じる。
(一体、あそこに何があるというの?)
気になるところだが、その正体はこれからわかる筈だ。
エリーサは玄関前まで行き、扉の横にある呼び鈴を鳴らす。
程なくして扉が開き、執事と思しき初老の男性が出迎えてくれた。
エリーサの露出度の高いドレスに驚いたのか、執事は一瞬だけ驚いた様子で瞠目するが、すぐに柔和な表情を見せて口を開く。
「エリーサ様でございますね、旦那様から話は伺っております。私がご案内致しますので、どうぞ中へ」
執事に案内される形で、エリーサは邸内へ通された。
今まで依頼で訪れた貴族の邸は、やたら派手で豪勢な内装が施されていた。しかしこのアレクサンドル邸は、清楚で落ち着きのある造りをしている。
部屋の扉の前で止まると、執事は丁寧にノックをしてから声をかけた。
「旦那様、エリーサ様がお見えになりました」
「このままお通しして」
中から男性の声が返ってきたのを確認し、執事は扉を開けてエリーサに中へ入るよう促す。
「失礼します」
エリーサは一礼してから応接間へ入る。
「エリーサさん。今日はわざわざご足労いただき、ありがとうございます。どうぞ、こちらへおかけになって下さい」
室内のソファーに腰かけていた男女は、丁寧な態度で労いの言葉をかけてくれた。
この二人が今回の依頼主――アレクサンドル伯爵と夫人で間違いない。
(思っていたより若い夫婦なのね)
その上、今まで見てきた貴族連中とは違い、偉ぶったところが微塵も感じられない。
初対面の相手で、これほどまでに好印象を抱いたのは、今回が初めてである。
「私が当主のレナード・アレクサンドルです。こちらは妻のミシェル」
「初めまして、エリーサと申します」
エリーサは簡単に自己紹介をすると、伯爵夫妻を改めて見やった。
伯爵はとても優しい面立ちをしており、彼の人柄の良さがそのまま表れているようであった。年齢は三十代ぐらいだろうか。
夫人の方は、小柄でしとやかな麗人という印象で、まだ二十代半ばと思われる。
「いただいた手紙には、ご子息は体が弱く臥せがちであるとのことでしたが」
エリーサが本題に入ると、二人の表情は深刻なものに変わる。
最初に口を開いたのは、伯爵の方であった。
「ええ。息子は生まれつき体が弱く、ほとんど邸の中で過ごす生活を余儀なくされています。ひどい時には歩くこともできず、一日中臥している日も珍しくありません。何かの病にかかっているのではないかと思い、これまでに何人もの医師に診てもらいましたが、どなたも原因はわからないようで……」
伯爵の話を聞いただけで、子息の病状が相当深刻なものであるとわかる。
それでも、どうにかして幼い我が子を助けたい一心で、魔女である自分に一縷の望みを懸けようと手紙を送ってきたに違いない。
夫の言葉を引き継ぐ形で、夫人が話を続けた。
「どの医師も、大人になるまで生きるのは難しいと、口を揃えておっしゃっていました。母親である私が、丈夫な体に産んであげられなかったばかりに、あの子にこんな苦しい思いをさせてしまって――」
話しているのが辛くなったのか、夫人は堪え切れずに泣き出してしまう。
「ミシェル、君のせいじゃないよ」
伯爵は夫人の肩にそっと手を置き、優しい声音で慰めの言葉をかけた。
そんな夫妻の姿を見ていると、エリーサは胸がギュッと締め付けられた。同時に、彼らのためにも息子を救ってやりたい気持ちが強くなる。
それから伯爵はエリーサに向き直り、真摯な眼差しで訴えかけてくる。
「無理を承知でお願いしているのはわかっております。金ならいくらでも払いますので、どうかロランの病を治していただけないでしょうか?」
「お金なんていりません。私は――」
エリーサの言葉を遮るように、突如ギィィと音を立てて応接間の扉が開く。
「すみません、失礼します」
夫人は慌てて立ち上がると、扉の方へ駆けていった。
「ロラン、何をやっているの。昨夜まで熱があったのだから、無理して起き上がったら駄目でしょう。ぶり返したら大変だから、ちゃんとお部屋で横になってなさい」
ふと何気なく振り返ると、夫人にたしなめられている子供の姿が見えた。さっき、二階の部屋からこちらを覗いていた子である。
その子が伯爵家の子息で、唯一の跡取りであるロランに違いない。
彼は背が低く、少女のような華奢な体つきをしていた。年の頃は五つといったところか。
母親とよく似た顔立ちをしており、瞳の色は父親と同じ瑠璃色。
だが、ロランの髪色は伯爵のようなブロンドでも、夫人のようなブルネットでもない。まるで真冬の雪のような白銀。恐らく病弱な体質のせいで、頭髪の色素が抜けてしまったのだろう。
「あの、その子がロランですか?」
エリーサがすかさず問いかけると、夫人は苦笑いを浮かべて「ええ、そうです」と返答する。
「お話の途中で遮ってしまって申し訳ありません。すぐに部屋へ連れて行きますので」
「いえ、構いませんよ。私もちょっと、その子と話をしたいと思っていたので」
「そうですか。さあ、ロラン。お客様にご挨拶なさい」
夫人に付き添われながら、ロランはエリーサのそばまで歩み寄る。
「初めまして、ロランです……」
邸から出ないことが多いのもあって、あまり人と会う機会がないのか、ロランは緊張した面持ちで自己紹介をした。
そんなロランを少しでも安心させようと、エリーサは人懐こい笑みを浮かべて彼の目と同じ高さに屈む。
まだ子供と言えど、中身はやはり男の子らしい。ロランはほんのりと頬を紅潮させて、エリーサをまじまじと見つめていた。
「初めまして、ロラン。私はエリーサ、魔女よ。あっ、魔女と言ってもおとぎ話に出てくるような、悪さをする魔女ではないから安心して」
エリーサは笑顔で自己紹介をする傍ら、ロランの様子をじっと見つめていた。
その際、彼の首元に痣か紋様のようなものが、一瞬だけ現れたのに気付く。
(これはもしかして――!)
この邸に足を踏み入れた時から感じた、あの不穏な気配と何か関係があるかもしれない。
「ロラン、ちょっとごめんね」
言うが早いかエリーサは、ロランの首元に手をかざして魔法の詠唱を開始する。
しかし次の瞬間、ジュッと灼けるような音と共に痛みが走り、たまらず「痛っ!」と悲鳴を上げる。
見ると手に火傷のような怪我が生じていた。しかし、この程度の傷なら魔法薬で簡単に治せる。
「大丈夫ですか!?」
伯爵は急いで呼び鈴を鳴らすと、使用人にエリーサの怪我の手当てを命じた。
「私なら平気ですので、お気になさらず」
「いえ、そうはいきません。私の邸で客人に怪我をさせたまま、放置などできません」
それからこちらが断る間もないまま、エリーサの手に応急処置が施されて包帯を巻かれた。
「それで、一体何が起こったのですか?」
そう問いかける伯爵はもちろん、夫人もロランも不安げな面持ちでこちらを見ている。
本心ではこの家族に、残酷な現実を突きつけたくなかった。
だが、隠しても彼らのためにはならないので、エリーサは意を決して口を開く。
「……ショックを受けるかもしれませんが、ロランの病は死の呪いによるものです。術者の意思が強いのか、この呪いはとても強力で今の私では解くことができません」
「そんな――」
伯爵は青ざめた顔で絶句し、夫人も顔を覆って再び慟哭した。
最も衝撃を受けたのはロラン本人だったようで、愕然とした様子でその場で立ち尽くしてしまっている。
こういう反応が返ってくるのはわかっていた。それでもエリーサが言ったことは、紛れもない事実である。それに、下手な気休めを言えば、もっと彼らを苦しめることになってしまう。
しばらく呆然としていた伯爵だったが、真摯な眼差しを向けてエリーサに再度訴えかけてきた。
「エリーサさん。私達夫婦にとって、ロランは何よりも大切な存在なのです。だからどうかお願いです、ロランを助けていただけませんか!」
「私からもお願いします! この子が助かるのであれば、何でもしますので!」
伯爵夫妻が心の底から、一人息子のロランに生きてほしいと強く願っているのが、言葉の端々から伝わってくる。
現時点では、エリーサの魔力で呪いを解くのは不可能である。それでも、夫妻のために願いを叶えたい気持ちは変わらず、むしろ強くなっていく一方だ。
しばらく逡巡した後、エリーサの脳裏に一つの案が思い浮ぶ。
この家族がその案に承諾してくれるかどうかは不明だが、エリーサは彼らに希望を持たせるように柔和に微笑んで言葉を紡いでいく。
「まだ確証はありませんが、工房には私の魔力をかけているので、そこでなら呪いを弱められるかもしれません。その間に呪いを解く方法を必ず探し出すと約束します」
「それはつまり、ロランをあなたの元へ預けるということですか?」
「ええ、そうなります。もちろん、今すぐ預けろとは言いませんし、最終的にはあなた方に決めていただきます」
エリーサの話を聞いた伯爵夫妻は、互いに顔を見合わせたまま黙っていた。
果たしてこのまま、魔女に自分達の息子を任せて大丈夫なのか――そんな不安を抱いているのが見ただけでわかる。
その反応も無理はない。エリーサの元へ預けるということは、最愛の息子と離れて暮らすことを意味するのだから。
いくら我が子の命を救いたいとはいえ、魔女と二人きりで暮らさせることをためらうのは当然であろう。
「よろしければ、一旦お二人で話し合われてはいかがでしょうか? 返事はそれからでも構いませんので」
「いえ、その必要はありません」
伯爵の瞳からは迷いは消えており、代わりに強い決意に満ちた表情を浮かべていた。傍らにいる夫人も、不安そうではあるがすでに答えを決めたようである。
「今の我々は、あなたに頼るしかありません。だからあなたに全て託します」
「私も夫と同じ想いです。この子の病が治り、元気に生きられるのであれば、どんなことでもする覚悟はできています」
夫妻の答えを聞いた後、エリーサはロランに向き直って語りかける。
「ロラン、あなたの気持ちはどうなの?」
一番大事なのは、ロラン本人の意思である。
突然話を振られたことで、戸惑った様子で瞠目するロランだったが、やがて決心したように言葉を返す。
「僕も……元気になって普通に生きたいので、あなたの元へ行きます……」
「わかったわ。私が必ず、あなたの呪いを解いてみせるからね」
エリーサはロランの頭を撫でると、安心させるように明るく微笑みかけた。
「ありがとうございます。どうか、ロランをよろしくお願いします」
伯爵夫妻はもう一度、エリーサに深々と頭を下げた。
ロランは部屋に戻った後も、先程会ったエリーサという魔女のことを思い返していた。
間近で見た彼女は想像以上に美しかった。同時にとても優しい人で、初対面であるにも拘らず親切に接してくれた。
魅力的な微笑みを湛えた美貌。背中まで伸ばされた長い漆黒の髪。ドレスからこぼれてしまいそうなほど大きな胸。体からほのかに漂う甘い香り。
思い出しただけで胸が高鳴り、体の芯がじんわりと熱くなる。
「本当に、綺麗な人だったな……」
ロランは小さく微笑むと、頬を上気させて陶然とため息をつく。
自身の体調が良くなり次第、エリーサの工房で暮らすことが決まった。
魔女との暮らしがどんなものなのか、全く想像がつかない。それでも不思議と怖いという気持ちはなく、むしろ楽しみにも似た感情が湧いてくる。
『私が必ず、あなたの呪いを解いてみせるからね』
ふと、エリーサの言葉がロランの脳裏に蘇る。
そう告げた時のエリーサは、微笑みながらも真摯な眼差しを向けてくれた。だから彼女ならきっと、約束を果たしてくれると信じることができた。
同じように両親も、エリーサを信用できると判断したからこそ、自分を預ける決心をしたに違いない。
それからロランは、先程エリーサからもらった金平糖を一粒食べる。
甘い味が瞬く間に口の中に広がっていった。心なしか、少しだけ元気が出てきた気がする。
「ロラン、入るわよ」
ちょうどその時、両親が揃って部屋に入ってきた。
続いて使用人も入ってきて、テーブルにスコーンやティーセットを並べていく。
「今日はあなたの大好きなスコーンを焼いたわ。みんなで一緒に食べましょう」
「うん」
ロランはテーブル席に着くと、スコーンに手を伸ばして食べ始めた。
この甘くてふわふわした食感が、彼は何よりも大好きだった。こうして食べていると、ほっこりと幸せな気分になる。
不意に、父レナードが悲しげな面持ちを見せて口を開く。
「ロラン、本当にすまない。父さん達と離れて暮らすことになって、心細い思いをさせてしまって……」
「僕なら平気だよ。もう二度と会えなくなるわけじゃないんだから」
ロランは笑顔で言葉を返すが、父は悲しげな表情のまま「そうだね」とつぶやく。
誕生日には必ず会わせると、エリーサは約束してくれた。また、彼女の使い魔経由で手紙のやり取りも承諾してくれた。
それでもやはり、両親と離れて暮らすことになるのは寂しい。
(でも、僕は行くと決めたんだ……!)
ロランの心情を察したのか、母ミシェルは優しい手つきで髪を撫でてくる。
「離れていても、あなたを愛する気持ちは変わらないわ」
「僕もだよ」
ロランがそっと腕を回すと、母も優しく抱き返してくれた。
それから父も、妻子を守るようにギュッと抱きしめる。
「エリーサさんを信じよう。彼女ならきっと、ロランを救ってくれる筈だ」
三人はしばらくの間、祈るように抱き合ったままでいた。
こうしてエリーサは一つ屋根の下で、ロランと暮らすことになった。
ここへ来ることを決めたとはいえ、たった五歳の子供が両親と離れて暮らすのは寂しい筈である。ロランの表情や雰囲気からは、とても緊張しているのが伝わってくる。
「色々と不安かもしれないけど、必要なことがあったら遠慮しないで何でも言ってね。それと、私のことはエリーサって呼んでくれて構わないから」
エリーサがそう優しく語りかけると、ロランは安堵した様子でうなずき表情を緩めた。
(あぁ、何てかわいいのかしら!)
この時のロランの微笑がとても愛くるしくて、エリーサはたまらず彼を抱きしめてしまう。
母親以外の異性から抱きしめられたのは初めてなのか、ロランは照れた様子で真っ赤になっていた。
工房には魔力で結界を張っているおかげか、予想通り呪いの効果は弱まりロランの体調は少しずつ快方に向かっていく。
それに伴って彼はエリーサにすっかり懐き、一緒にお菓子を作ったり読書をしたりして、楽しい日々を過ごしていた。
そして九歳を迎える頃には完全に元気を取り戻し、食事ができないほど寝込むことはなくなった。
誕生日には、工房へ招待した両親が元気になった息子を見て大いに喜び、エリーサに何度も感謝の言葉を述べてくれた。
エリーサもまた、ロランとの生活に安らぎを覚え、彼を年の離れた弟のように思い始めていた。
(こんな気持ちになるなんて、思ってもいなかったわ)
親しい間柄の人間以外、工房に人を入れるのは好きではない。依頼を受ける際、その相手の元へ出向くのも、自身の領域に踏み込まれたくないからだ。
そんなエリーサがロランを預かる決意をしたのは、心のどこかで安らぎを得られる相手を求めていたからなのかもしれない。
しかしその一方で、困ったことも一つ出てきた。それは、夜になるとロランが甘えてくることである。
懐いてくれたのは嬉しいが、まるで幼稚化したようにべったりくっついて離れようとしない。
「エリーサ、一緒にお風呂に入ろう」
この日も夕食の片付けが終わったところで、ロランは屈託のない笑みを浮かべてエリーサに抱きついてきた。
「もう元気になったのだから、一人で入れるでしょう?」
「でも僕、エリーサとお風呂に入りたい」
ロランは抱きついたまま、頑なにせがんでくる。
工房へ連れて来た当初は彼の体調が心配で、エリーサも一緒に入浴していた。そうしたら懐いた途端に、こうして毎晩のようにせがむようになったのだ。
(九歳にもなって、甘えん坊なんだから……)
だが、こうやって抱きついてきた時のロランは、こちらが何を言おうが一切聞こうとしない。
エリーサは小さくため息をつき、ロランの銀色の髪を軽く撫でてやる。
「仕方がないわね。いいわ、一緒に入りましょう」
「ありがとう、大好き!」
エリーサの返答を聞いて、ロランは満面の笑みを浮かべる。
その笑顔が本当に愛らしくて、まあいいかという気持ちにさせられてしまう。
その後、大量の泡を湛えたバスタブに入ったロランは、終始上機嫌であった。
「やっぱりエリーサとのお風呂の時間は、すごく楽しいな」
「そう、それは良かったわ」
エリーサは手で掬った泡に向けて、ふぅっと息を吹きかける。
「わぁ、綺麗! 雪みたい!」
舞い落ちる小粒の泡を見て、ロランは目を輝かせてはしゃいだ。
エリーサは表情を綻ばせながら、ふと遠い過去の記憶を思い出す。
まだ無垢で幼かった頃。エリーサも今のロランのように、舞い落ちる粉雪に目を輝かせてはしゃぎ回っていた。
だが、あの温かく幸せな日々は、呆気なく消え失せてしまった。考えただけで切なくなり、胸の奥が締め付けられるような痛みを覚える。
「どうかしたの?」
エリーサの様子の変化を感じ取ったのか、ロランは首を傾げて問いかけてくる。
「ううん、何でもないわ」
エリーサは笑顔を繕って答えるが、ロランは釈然としない様子であった。
「でもエリーサ、何だか悲しそうだったよ?」
「本当に何でもないから。あなたは自分のことだけを考えなさい」
エリーサは再び手に大量の泡を取り、ロランの髪に塗りつけるようにくしゃくしゃと撫で回す。
「エリーサ、くすぐったいよ」
「ほら、じっとしてて。でないと、ちゃんと髪が洗えないでしょう」
胸に生じた暗い気分を吹き飛ばすように、エリーサは明るく笑ってロランの髪を洗っていく。
戯れながらの入浴を終えた後、エリーサは寝室にて全身にオイルを塗っていた。
気を引きたい男がいるわけではない。それでも女として、美容に気を遣う気持ちは何年生きようと変わらない。
ネグリジェを着たところで、いつものようにロランが部屋を訪ねてくる。
入浴同様、毎晩一緒のベッドで寝るのも、恒例行事となってしまっている。
ロランはこのことを手紙に書いたらしい。後日、伯爵夫人からエリーサ宛に、「迷惑をかけて申し訳ない」とお詫びの返事が来た。
そして誕生日の時にも、「エリーサさんが優しくしてくれるからって、甘えてばかりいては駄目よ」とたしなめられていた。
しかし当人はどこ吹く風。今夜もベッドに入ってきては、「一緒に寝よう」とおねだりしてくる始末である。
「この前、夫人にたしなめられたばかりじゃない」
「いいの。だって僕、エリーサと一緒のベッドで寝たいんだもん」
言うが早いかロランは、深い胸の谷間に顔を埋めてくる。
「あぁん」
エリーサはたまらず艶めいた声を上げてしまう。
「エリーサ、今夜もすごくいい香り」
ロランは陶然とつぶやいては、豊満な乳房に愛しげに頬ずりする。健全な男子である証拠なのか、巨乳が好きなのは彼も同じらしい。
「ちょっと、ロラン。くすぐったいから離れて……」
くすぐったいだけではない。体が変に反応して、声が自然と上擦ってしまう。
だが、ロランは一切離れようとせず、満足げに胸に顔を埋めたままである。
「ねえ、エリーサの理想の男性はどんな人?」
「え? 急に何なの?」
子供に異性の好みを訊かれるとは思わず、エリーサは狐につままれたような顔をする。
ロランの問いかけに返答できずにいると、「ねえ、教えてよ」と急かされた。
「……話しても、笑ったりしない?」
「しないよ。だから教えて」
ここまでしつこく求められては、答えないわけにはいかなくなる。
本音を言うとあまり話したくない。以前、友人や姉弟子とその話題になった時に、「理想が高すぎる」と呆れ笑いが返ってきた。
また、これまでに数多の男性から言い寄られたことがある。しかしその誰もが、エリーサの美貌や体が目当てで、本気で愛そうという気持ちは感じられなかった。
それ以来、エリーサは恋愛に対していまいち乗り気になれずにいる。
(まさか、またこの話をすることになるなんて、思ってもいなかったわ。しかも子供相手に)
深いため息をついた後、エリーサは意を決して口を開く。
「……強くて気品に溢れていて、ありのままの私の受け入れてくれる一途な人よ」
するとロランは、屈託のない笑みを見せて意外な言葉を返してくれる。
「いつかきっと、現れると思うよ」
「本当にそう思ってくれてる?」
「うん、もちろん」
そううなずくロランの瞳には、嘘偽りが一切感じられなかった。どうやら本当に、エリーサの理想の相手が現れると信じているようである。
「ありがとう。あなたは本当に優しくて良い子ね」
何十年生きてきても、理想の相手とはまだ一度も巡り会えていないし、この先も会うことはないと思う。
それでも、ロランがこうして信じてくれるのも悪い気はしなくて、エリーサは礼を言っておいた。
「それで、ロランはどんな人が好みなの?」
自分だけが答えるのは平等じゃない。エリーサはすかさず訊き返すが、ロランは悪戯っぽく笑って「それは秘密」としか言わなかった。
「人に尋ねておいて、自分は答えないなんてずるいわよ」
「じゃあ、大人になったら教えるよ。僕、絶対に呪いになんか負けないから」
「だったら私も、必ず呪いを解くと約束するわ」
ロランの決意に満ちた瞳を見て、エリーサは勇気づけられたように決意を口にする。
「うん、約束だよ」
それから誓いを立てるように、互いの小指を絡ませた。
「じゃあ、僕そろそろ寝るから、お休みのキスして」
「はいはい」
エリーサ小さく笑うと、ロランの愛らしい顔にチュッとキスをする。
口づけしてもらって満足したようで、彼は至極嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「お休み、エリーサ」
「ええ。お休みなさい、ロラン」
エリーサは無邪気な姿を見つめながら、ロランをここまで回復させられて良かったと実感する。
(あとは呪いを完全に絶つだけね)
工房へ連れて来てからも何度か解こうと試みたものの、相手の術者もなかなか手強いようで未だに成功しない。
大魔導士の弟子の一人である師匠なら、ロランにかけられた呪いを解くのは容易い筈。
だが、一人で生きていける力を身につけるために、エリーサは魔女の道を歩んだのだ。それに、伯爵夫妻は自分を信じて託してくれた。だからどんなに時間がかかっても、最後まで己の力でやり遂げるのだと改めて決意する。
ランプの灯りが消えてしばらく経ってからも、ロランは頭の中で先程のエリーサの言葉を反芻していた。
強くて気品に溢れていて、ありのままの自分の受け入れてくれる一途な人。それが、エリーサの理想の相手だと言っていた。
とりあえず今のところ、エリーサに好きな相手がいないと見て良さそうだ。
だが、エリーサはとても美人で魅力的な女性である。そんな彼女が、多くの男の心を射止めているのは、容易に想像がつく。
自分と会う以前に、付き合っていた男性がいたのではないかと考えたのは、一度や二度ではない。どうかこのまま自分が大人になるまで、エリーサに寄り添う男が現れないことを祈る。
(早く大人になって、僕がエリーサの理想の相手になるんだ)
大人になるまであと十一年。こうして数えると、途方もなく長い時間のように思えて、自分が本当にそこまで生きられるのか心配になってくる。
(ううん、こんなところで弱気になったら駄目だよ。エリーサを信じないと!)
ロランは不安を振り払うように、首を振って自身に強く言い聞かせる。
立派に成長した姿を両親に喜んでもらいたくて、早く大人になりたいと以前から願っていた。
しかし、エリーサを振り向かせたいという想いを抱いている今、その願いがより一層強くなった。
だから何が何でも死の呪いに打ち勝ち、大人になるまで生きてエリーサに自身の想いを告白するのだと誓う。
(だけどエリーサは、大人になった僕を好きになってくれるかな?)
そんな懸念がロランの中に押し寄せてくる。
まだ子供だから仕方がないのかもしれないが、エリーサは自分のことを年の離れた弟としか見てくれていない。
ロランが気を引くためにこうして甘えるのも、両親に会えない寂しさから来るものだと思っているようだ。
エリーサが誕生日にプレゼントをくれるように、自分も彼女の誕生日にプレゼントを渡しているが、それだって、家族同士のやり取りみたいな感覚でいるに違いない。
自身の気持ちを伝えられないもどかしさに、ロランの中のモヤモヤは一段と増していく。
(さっき、僕のことをずるいって言っていたけど、ずるいのはエリーサだって同じだよ)
普段着のドレスはもちろん、就寝時に身にまとっているネグリジェも、かなり際どい作りをしている。
胸元が大きく開いていて、ベッドに横たわった際に何度もピンク色の乳輪が見えた。また、ネグリジェの上からはいつも乳首がぽちっと浮き出ている。
そんな煽情的な格好をしておいて、更に体から甘い香りまで漂わせているのだ。
本人にその自覚はないのかもしれないが、完全にこちらを誘惑しているとしか思えない。そのせいか、時々色っぽい夢を見ることもある。
それからロランは、隣で眠るエリーサに視線を向けた。
彼女は魅力的な谷間を見せつける姿勢で、すやすやと気持ち良さそうに寝息を立てていた。少しでも動いたら乳房がこぼれてしまいそうである。
あまりにも無防備かつ煽情的な寝姿を目にして、ロランは自身の股間が熱を帯びていくのを感じる。
子供の自分でさえ、こんなにもドキドキしてしまうのだ。大人の男が見たら、間違いなく手を出そうとするに違いない。
――そんなこと、絶対にさせてたまるものか。
ロランは独り占めするようにエリーサに抱きつき、再び豊満な乳房に顔を埋めた。その際、少しだけネグリジェをずらして乳首を覗いてしまう。
いけないことだとわかっているが、エリーサのたわわな実りを見たいという欲望に、どうしても抗うことができない。
「ん……」
不意に、エリーサがわずかに身動きして声を上げる。
起こしてしまっただろうかと、ロランはおずおずと様子を窺う。
どうやら夢の中の出来事だと思ったらしい。エリーサは変わらず規則正しい寝息を立てていた。
そのことに安堵すると同時に、ロランは含みのある笑みを浮かべる。
(エリーサの裸を見ていいのも、こうしておっぱいに触っていいのも僕だけ。エリーサのことは誰にも渡さない。絶対に僕のお嫁さんにするんだ)
独占欲にも似た恋心を胸に、ロランはエリーサに抱きついたままそっと目を閉じ、甘く幸せな夢の中へと入っていった。
第二章 ~思いも寄らない初夜~
ロランがエリーサの工房へやって来てから十五年後。
彼は無事に成人を迎え、見目麗しい青年へと成長した。
今ではエリーサよりも背が高くなり、華奢だった体つきも大人の男らしくなっている。
呪いの効果がだいぶ弱まっているとはいえ、完全に解けたわけではないので工房の敷地外へはまだ出られない。
それでも元気になったことに変わりはないと、伯爵夫妻は大いに喜び誕生日に会えるのを楽しみにしてくれた。
ロランの誕生日を一ヶ月後に控えたその日。マルファスと共に出先から帰ってくると、彼はすぐさま出迎えてくれる。
「お帰り、エリーサ。どこも怪我していない?」
「そんなに心配しなくて大丈夫よ。今日もちゃんと、こうして無事に帰ってきたでしょう」
今日の依頼は、北西にある狩場の洞窟に棲みついた、凶暴な怪物の討伐。こういった類の依頼は報酬も多く出るので、実戦経験が豊富なエリーサは積極的に受けていた。
だが、いくら大丈夫だと言い聞かせても、ロランは出かけるたびに毎回浮かない顔をする。
「エリーサはいつもそう言うけど、僕はできれば危険なことをしてほしくないんだ。お金なら両親が送ってくれているんだからさ」
「確かにそうだけど、私は金銭面を人に頼るのはどうも――」
ロランが工房へ来てから、伯爵夫妻は生活するのに充分なお金を毎月送ってくれる。
エリーサは当初、自分なら大丈夫だから心配ないし、ましてやこんなにたくさんは受け取れないと断った。ところが返すたびに、送られてくる金額が少しずつ増えて断りづらくなり、結局こちらが折れる形で受け取ることになった。
もらったお金は必要になった時のために、無駄遣いせず大切に取っておいてある。
「お金の面だけじゃないよ。僕は――」
そこまで言いかけたロランは、途端に口を噤んでじっとエリーサを見つめてくる。
「どうしたの? 何か言いたいことがあるのなら、遠慮なく言っていいのよ」
「ううん、何でもない。とにかく、お願いだから命を落とさないで。エリーサが死んだら僕、すごく悲しいよ……」
「あなたの呪いを解くって約束したんだから、私は絶対に死なないわ。だからロラン、そんなに暗い顔をしないで」
泣きそうな表情を浮かべるロランをなだめるように、エリーサは優しく微笑んで銀色の髪をそっと撫でた。
大人になった今でも、エリーサはつい子供の時と同じような感覚で、ロランに接してしまう。ずっとそばで成長を見守ってきたせいか、年の離れた弟のようでかわいくて仕方がない。
するとロランは「いつまでも子供扱いしないで」と、拗ねた面持ちを浮かべて離れる。
「僕はもう大人なんだよ。今日だって洗濯や掃除をしたし、エリーサのために夕食を作って待ってたんだから」
「ありがとう。戦ってきた後だから、すっかりお腹が空いているの。今日の夕食は何?」
「グラタンだよ。さっき焼き上がったところだから、熱々で美味しいよ」
エリーサが依頼を受けて出かけた日は、ロランは夕食を作って待っていてくれる。それ以外の日でも、率先して料理をするようになった。
そのたびにロランは、「いつか父様と母様にも作ってあげるんだ」と、口癖のように明るく語っている。
今のロランの腕前であれば、伯爵夫妻も美味しいと喜んでくれるに違いない。
「本当に頼りになるわ。実は私も今日、お土産にチョコレートを買ってきたの。食後のデザートにでもどう?」
「いいね! そうと決まれば、冷めないうちに早く食べようよ!」
ロランはエリーサの手を取り、ダイニングルームへと連れて行く。
「もう、そんなに焦らなくても平気よ」
もうすぐ二十歳を迎えるというのに、ロランの言動はまだ子供っぽいところがある。
(まあ、それがロランの良いところでもあるんだけどね)
それからテーブルに着くと、さっそくロランお手製のグラタンをいただく。
食べた瞬間、具材の鶏肉と野菜、チーズとホワイトソースの旨味が、口いっぱいに広がっていった。
「味の方はどう?」
「今日も美味しくできてるわよ」
エリーサが手放しで褒めると、ロランは破顔して「良かった」と喜ぶ。
「この出来ならきっと、ご両親も喜んでくれる筈よ」
「そうだといいな」
両親の喜ぶ姿を想い描いているのか、ロランはいつにも増して満面の笑みを浮かべていた。
「ところで、もうすぐ誕生日だけど今年は欲しいものはないの?」
食事を続けながら、エリーサはふと思い出して尋ねてみた。
いつもなら大体、一ヶ月前には欲しいものを伝えてくるところだが、今年はまだ何も聞かされていない。
ロランは考えるような素振りを見せた後、含み笑いを見せて口を開く。
「今年はエリーサの美味しい手料理だけで充分だよ」
「本当にそれだけでいいの?」
意外な返答が返ってきたことで、エリーサは驚いて目を丸くする。
「うん。欲しいものは父さんと母さんに手紙で伝えたから、エリーサからのプレゼントは美味しい料理がいいんだ。スコーンも忘れずにお願いね」
屈託のない笑顔を向けられ、エリーサはそれ以上のことは訊かず素直にうなずく。
「わかったわ。腕によりをかけて、美味しいごちそうとスコーンを作るわね」
エリーサがやんわりと微笑んで告げると、ロランは嬉々とした様子で目を輝かせて、「楽しみにしてるから」と言葉を返した。
ロランの誕生日当日、エリーサは朝から料理に励んでいた。
やはり期待されると、いつもより気合が入る。
ロランはこの工房へ来た時から、エリーサの作った料理を「美味しい」と言ってくれた。
そうやって喜んでもらえるのが嬉しくて、エリーサはますます料理の腕を磨いていった。
今日の献立はキッシュパイにローストチキン、そしてロランの好物であるスコーン。どれも自信作である。
テーブルの上に料理を並べ終えたところで、マルファスが伯爵夫妻の来訪を知らせてくれた。
普段は外部からの侵入を防ぐため、工房の周囲に結界を張り誰も足を踏み入れられないようにしている。
だが、ロランの誕生日に限り伯爵夫妻だけは、こうして工房へ招待している。
「ロラン、お誕生日おめでとう!」
「お前が立派に成長してくれて、私達は本当に嬉しいよ」
夫妻は工房に上がるなり、ロランと抱擁を交わして祝いの言葉をかける。
最愛の一人息子が元気になり、無事に大人に成長したことを心から喜んでいるのが、二人の言葉の端々から伝わってくる。
それから彼らはエリーサに向き直り、改めて感謝の言葉を告げてきた。
「エリーサさん、ありがとうございます。あなたのおかげでロランがここまで元気になって、私たち夫婦はこの子を失わずに済みました。いくら感謝してもし切れません」
「本当に、あなたにロランを託して良かったです。ありがとうございます」
「私こそ、あなた方のお役に立てて何よりです」
まだロランの呪いが完全に解けたわけではない。それでも自身の魔法で、この家族を救えたことを誇らしく思う。
この日はロランの成人祝いも兼ねて、今までの誕生日会よりも大いに盛り上がった。
(もし私も普通に暮らせていれば、私も大人になった時にこんな風に祝ってもらえたのかしら?)
遠い昔に家族を失ってから、エリーサはついそんなことを考えてしまう。
楽しそうに談笑するアレクサンドル一家の姿が、少し羨ましくなって切なさが込み上げてくる。
「エリーサ、何だか浮かない顔してるけど、どうかしたの?」
エリーサの表情に翳りが差しているのに気付いたのか、ロランは訝しげな眼差しを向けて尋ねた。
「いえ、何でもないわ。多分、いつもより張り切って料理を作ったから、少し疲れが出たんだと思う」
彼らの楽しい一時に水を差してはいけない。エリーサは作り笑いを浮かべてどうにかごまかした。
すると伯爵夫妻は、エリーサの話を真に受けて、申し訳なさげな表情を浮かべる。
「私達のために、色々と準備をして下さったのですね。本当に、どうお礼を申したらいいか……」
「ロラン、エリーサさんにちゃんとお礼を言ったの?」
「もちろんだよ。でも、改めて感謝の気持ちを伝えたいから、もう一度言うよ。本当にありがとう、エリーサ」
ロランは満面の笑みでエリーサに礼を言う。
「ええ……」
エリーサは頬を赤く染めて、ぎこちなくうなずいた。
ここ最近、ロランの笑顔が妙に色っぽく感じられて、見るたびにドキドキしてしまう。なぜそんな気持ちになるのか、エリーサにもわからなくて困惑するばかりである。
「そうそう。今ちょうど、僕がエリーサのために料理を作ってることを話したんだ。もしエリーサが嫌でなければ、今年は父さんと母さんの誕生日に工房に招待してもいいかな? 僕の作った料理、二人にも食べてほしいから」
「ええ、もちろんよ」
ロランの望みであれば、どんな願いでも叶えてやるのだと、この工房へ連れて来た日から決めていた。だからエリーサは、迷うことなくうなずいてみせる。
「ありがとう、エリーサ」
エリーサに許可をもらえたことで、ロランは満面の笑みで再び礼を言ってきた。
夫妻も笑顔を浮かべて、「私達のために、こんなにも良くして下さって、ありがとうございます」と、何度も感謝の言葉を伝えてくる。
温かく和やかな誕生日会も終わり、邸へ帰る伯爵夫妻を見送った後、ロランは率先して後片付けをしてくれた。
最初は食後の片付けも、エリーサがやるつもりでいた。
ところがロランは、「美味しい料理を作ってくれたお礼をしたいんだ」と言って、エリーサに休むよう勧めてくれたのだ。
恐らく食事の席で口にした、「少し疲れが出た」という言葉を聞いて、気を遣ってくれたに違いない。
せっかくの誕生日に、後片付けをさせるのは申し訳ない。しかし、ロランの厚意を無下にするのも悪い気がしたので、ここは素直に任せることにする。
それからエリーサは先に風呂に入り、花びらを浮かべたバスタブにゆったり浸かる。
(そういえば、小さい頃はよく一緒に入りたいって、せがんできたっけ)
当時はそうやって甘えてくるロランに手を焼いたが、年の離れた弟のようにかわいくて突き放すこともできず、一緒に入浴したものである。
そんな甘えん坊だったロランが、今ではすっかり美しい青年に成長した。そのことに感慨深いものを抱きながら、エリーサは湯の中で感傷に浸る。
入浴を終えて部屋へ戻ると、就寝時間になるまで魔導書に目を通していた。
ロランの呪いの効果は弱められているものの、まだ完全に解くことはできていない。
相手の魔力が強いせいもあるだろうが、何より自身が魔女として未熟なせいであると、エリーサは痛感している。
だから少しでも、恩師や姉弟子のような完璧な魔女に近づくべく、空いた時間で様々な魔導書を読み漁っている。
(だけどもしこのまま解けなければ、ロランに呪いをかけている者を探す他ないわね)
見つけ出した時にやることは二つ――その者に呪いを解くよう命じるか、その者の命を絶つことだ。
ロランや伯爵夫妻のためにも、後者はできればあまり取りたくない方法である。
だが、人に死の呪いをかけるような人非人に、話が通じるとは思えない。
何年かかっても諦めないという決意は変わらないが、もうあまり悠長にしていられないだろう。
本を閉じて深くため息をついたところで、部屋の扉がノックされた。
「エリーサ、入ってもいい?」
ロランが同意を求めて尋ねてくる。
こんな夜遅い時間に、彼が部屋にやって来るのは久しぶりである。十歳を過ぎてからは、添い寝をねだるようなことはなくなった。
「ええ、いいわよ」
エリーサが返事をすると、ロランはすぐさま寝室に入ってきた。
(こんな時間に一体どうしたのかしら?)
さすがに大人になってまで、添い寝をしてほしいとせがんだりはしない筈だ。そう高を括るエリーサだったが、内心では理由が全くわからず戸惑いを隠せない。
エリーサの心情を知ってか知らずか、ロランはごく自然に彼女の隣に腰を下ろす。
「実は僕、子供の頃からずっと欲しかったものがあるんだ」
ロランはじっとエリーサを見つめながら、唐突に話を切り出した。
「だったら、事前に言ってくれればいいじゃない。この間、誕生日に何が欲しいか訊いたんだから」
「でも、今日言わないと意味がないんだ。二十歳の誕生日になったら伝えるって、その時からずっと決めていたから」
「どういうこと?」
ロランの話の内容が全く掴めず、エリーサはますます困惑するばかりである。
すると彼は唐突に、甘えるようにエリーサに抱きつき、そのままベッドへ押し倒した。
「エリーサの体に触れるの、久しぶりだな……」
それからロランは、エリーサの豊満な胸に顔を埋めて、感嘆のため息をつく。
(どうして……今になって急にこんなことを――?)
子供の頃のロランも、よくこうしてエリーサに抱きついては、乳房に顔を埋めてきた。
その当時と全く同じ行動なのに、彼が大人だからか鼓動が急速に上がっていく。
「ちょっと、ロラン。あなた一体、何のつもりなの?」
エリーサが恐る恐る問いかけると、ロランは顔を上げて艶然とした微笑みを浮かべる。
その表情が妙に色っぽくて、エリーサは余計に心を掻き乱されてしまう。
「子供の頃、僕が大人になったら理想の相手を教えるって言ったの、覚えてる?」
「え? ええ……」
なぜ今その話題を出してきたのか、まるで見当がつかない。
エリーサは首を傾げながらも、ロランの問いかけに小さくうなずく。
それを確認したロランは、満面の笑みを見せて思いも寄らないことを告白する。
「僕の理想の相手はね、エリーサなんだ」
「ロラン、一体……何を言っているの……?」
ここまでまっすぐに、異性から愛情を向けられたのは初めてだった。
よもやロランから告白されるとは思わず、エリーサは呆然となって固まるばかりである。
ふざけているようには見えないし、彼の目は紛れもなく真剣そのものだ。
「エリーサ、僕はあなたのことが好きでたまらない。ずっとエリーサだけが欲しかったんだ」
甘くささやく声音や、こちらを見つめる眼差しは、この上ない劣情で満ち溢れている。
それだけで、ロランは本当にエリーサを女として見ているのだと、否応なしに実感されられた。
「エリーサ、愛しているよ。あなたの全てを僕にちょうだい」
ロランは愛の言葉を告げると、エリーサを引き寄せてそっと唇を重ねた。
「ん……んん……」
間髪を容れずに舌が侵入し、口内をじっくり舐られていく。
恋人同士が交わすような口づけは、あまりにも気持ちよくて蕩けてしまいそうになる。
その一方で、弟のようにかわいがってきた相手とキスをすることに動揺し、エリーサはわずかに残った理性で離れようとする。
だが、ロランは逃がさないとばかりに迫り、角度を変えながら一段と深く口づけてくる。
「んっ……ふぅ……」
不意に、ロランの手がエリーサの体を撫でたかと思うと、そのままネグリジェを脱がしにかかってきた。
「ン……あっ……!」
エリーサは今度こそ逃げようと身を捩るが、抵抗の甲斐も虚しくあっという間に裸にされる。
更に間髪を容れずにショーツも下ろされ、とうとう一糸まとわぬ姿になってしまう。
(まさか、ロランにこんな形で脱がされるなんて……!)
エリーサが赤面していると、ロランはなぜか可笑しそうに笑う。
「どうしてそんなに恥ずかしがるの? 裸ならお風呂に入る時に見せていたじゃない」
「それは……あなたがまだ子供だったからよ……」
「エリーサって本当に、無自覚のまま僕を誘惑していたんだね」
「え……?」
ロランの言葉にエリーサは衝撃を覚える。
呆然となるエリーサを見て、彼は一段と可笑しそうに喉元で笑った。
「こんなに色っぽくて魅惑的な姿を前にして、僕が何も感じていないとでも思った? ああやって甘えていたのも、お風呂や添い寝をせがんだのも、子供ながら気を引くためだったんだよ。だけど、今日まで全然気付いてもらえなかったから、いつもやきもきさせられたけどね」
「そんな……」
子供の時からずっと、ロランが自分に対して欲情を抱いていたと知らされ、エリーサは完全に言葉を失う。
こちらの心情などお構いなしに、ロランはおもむろに手を伸ばして乳房を揉み始める。
「あ……っ!」
触れられた瞬間、体がビクンと震えてエリーサはたまらず嬌声を上げる。
「ずっとこうして、エリーサの大きいおっぱいに触りたかったんだ」
ロランは乳房の柔らかさを堪能するように、指を喰い込ませて熱心に揉みしだいていく。
「あ……あぁ……」
ただ揉まれているだけなのに、体の芯は瞬く間に熱を帯びていき、口から自然と艶めいた声が漏れ出てしまう。
(私、どうなっているの?)
ロランを恋愛対象として見たことなど、今まで一度もなかった。それなのに、口づけを交わしたり愛撫したりしただけで、なぜこんなに反応してしまうのかわからない。
困惑するエリーサをよそに、ロランは嬉しそうな面持ちで、たわわな実りを捏ね回し続ける。
「あぁ……あっ、あぁあ……」
「ふふっ。今のエリーサ、とっても気持ち良さそうな顔してる。すごくそそられるよ」
ロランはうっとりと微笑みながら、胸の頂で淡く色づく乳首をそっと撫でた。
「ひゃぁっ!」
胸の頂から甘い痺れが生じて、瞬く間に全身を駆け抜けていく。
エリーサから素直な反応が返ってきたことで、すっかり気分を良くしたロランは唇の端を吊り上げて笑う。
「初心でかわいい反応だね。もっと触らせて」
ロランは嬉々とした様子で、乳首をクリクリと転がしていった。
(――つづきは本編で!)