「快楽に溺れた女の血は甘くなる。特に処女の血は極上だ」
あらすじ
「快楽に溺れた女の血は甘くなる。特に処女の血は極上だ」
貧しい村の出のエリーシャは、勤め先がつぶれて突然無職に。働き口を求めて訪れた屋敷では、街で吸血鬼侯爵と名高いユージーンが彼女を出迎える。衝動にかられて吸ってしまったエリーシャの血の味に虜になった彼は、屋敷で雇う代わりに吸血行為を受け入れてほしいとエリーシャに提案する。夜ごと柔肌に痕がつく、住み込み”吸”愛契約が始まった!
作品情報
作:桜旗とうか
絵:高辻有
配信ストア様一覧
本文お試し読み
一
エリーシャ・ハーウッド、十二月の寒空の中、不景気の煽りを受けて無職になりました。
そんなモノローグを胸中、一人で呟きながら私は住み込みで働いていた花屋の一室から荷物を引き上げ、王都にやってきた。
日差しは高く昇っているが、さすがに温かさは足りない。
「さっむい!」
今日の宿泊先、どうしようかな。
ずっと働いてきたマーセルの町を出たはいいが、その先のことは未定。
「ごめんねぇ……」と寂しそうに、申し訳なさそうに呟く花屋のおばさんに「大丈夫ですよ」と笑って出てきたものの、行くあてはなかった。
宿がなければこの寒さはしのげない。
「もうちょっと安いかなと思ってたんだけどな……王都の物価舐めてた」
王都の宿は、一泊で三ノーヴ。私の日給は一ノーヴだった。三日分の給金が一泊分。
マーセルでは一ノーヴあれば一ヶ月毎日食べるだけのジャガイモが買えたのに、ここでは十個も買えない。王都の物価、どうかしてる。
私が暮らすサウラ王国はいま、不景気の波に押しつぶされそうになっている。
城下は暮らしている人が多い分、ある程度の賑わいがあるようだが、ずっと働いてきたマーセルの町は人の往来すら減ってしまうほどの閑散ぶり。
隅っこにある小さな町なので、このまま人出が戻らなければ、村へと縮小され、いずれは忘れられた場所になるのかもしれない。
私の故郷のよう、に――。
ぐるぎゅぐううぅぅ……と、とんでもない大音量でお腹が鳴った。道行く人が雷鳴かと空模様を確認するくらいの、盛大な音。
ひぃぃぃ! 恥ずかしい!
素知らぬ顔を通す。いまの音は私じゃないと無駄に澄ましながら。
マーセルの町を出て一週間。とにかく王都に到着することを最優先にしていたので、食事は控えめだった。そして、王都に近づくにつれて物価が高くなってきたので、最後に食べたのは一昨日のお昼、蒸かしたジャガイモ半分だ。
「再就職先、早く探さないと」
私のお腹と、故郷を出て勉強に励んでいる弟の学費のために。
うちはとても貧乏なので、私は勉強することもままならなかったけれど、弟には未来がある。これからたくさん幸せになってほしいし、お金で苦労は掛けたくない。
だから、働いたお金のほとんどは仕送りに回しているのだが、マーセルの町ではそれでもなんとか生活できていた。でも、王都では難しいだろう。
「どうしよ――」
またぐるぎゅぅぅぅと音がしてお腹を押さえた。やっぱり私のお腹のようだ。
「お腹、すいた……」
なんだったら目も回ってきた。あ、だめかも。
足元がふらふらして、道のど真ん中にしゃがみ込む。そのせいか、人がざわついた様子で私の傍を通り過ぎていく。声を掛けてくれないのは、みんな面倒ごとに関わりたくないからだ。
せめて道の端まで、と視線をさまよわせる。と、視界に黒いものが映った。たぶん、脚。
「おい、具合でも悪いのか?」
のろのろと視線を上げる。黒い靴。黒いズボン。黒い外套がひらりと風に揺れ、黒い服のさらにその先には、色素の薄い金色の髪があった。
真っ黒……。
全身に黒を纏《まと》ったその人は、声を聞いても、姿を見ても間違いなく男。しかも、相当な美形だ。
が、いまはそれどころじゃない。
「肩を貸そう。道の真ん中に座り込まれては邪魔だ」
「邪魔……」
そうだけど、もうちょっと言い方とかないのかな。
むうっと唇だけは尖らせた。
「ありがとう……ござ……」
小脇に、ひょいと抱えられるまでは。
「は、はい!?」
この状態でずっと唇を尖らせていることができるわけもなく、あたふたする。
「軽いな」
「肩を貸すって意味、わかってます?」
「なんだ、紳士ぶった対応でもされたかったのか? 理由がまるでわからんからしないが」
「それはあなたの都合であって、荷物同然に人を扱うのはどうなのかと」
「それはお前の都合だろう」
ぐぬっと声を押し殺した。
そりゃそうだけどさぁ!
じたばたと足をばたつかせると、道の脇に下ろされた。なんだったら、軽くぽいっと放り出された。
「いたっ」
ぺたんと尻餅をつく私を、男性が見下ろす。
「も、もうちょっと丁寧に……」
「充分丁寧だ。なにが不満なんだ?」
「さっきからなんなんですか。助けてくれたからいい人なのかなと思ったら、人の扱いが雑だし」
「女は好かん。が、具合が悪いなら多少見てやろうかとも思った。でも元気そうだしな。俺の手は必要なかったな」
助けてくれようとする気はあったんだ……。
でも、それ以外の言葉はどうなのか。女が嫌いなら放っておけばいいじゃない。こんなにぽいっと放り投げなくても!
「親切なのか意地悪なのかわかりませんね」
「どちらでもない。たぶん、お前を踏みつけても俺の心は痛まん」
「踏みつけないでください! なんでそう極端なのよ」
ぷうっと頬を膨らませると、男性は興味なさそうな素振りで踵を返した。
「あ、ちょっと待っ――」
お礼を言ってない。気に食わない人だけど、助けてもらったお礼は言わないと。放り投げられたけど!
だけど、ぐいっと腕を掴まれた。
「ちょっと、やめときなさいって」
見知らぬ女性が――いや、見知らぬ人びとが、私を見て首を横に振る。
「でも、お礼も言ってない……」
「吸血鬼侯爵。聞いたことない?」
吸血鬼?
「い、いえ。私は今朝この街に着いたばかりなので……」
「じゃあ、よく覚えておきなさい。さっきの人はユージーン・ランウェル侯爵。通称、吸血鬼侯爵よ」
「どうして吸血鬼なんですか? まあ、服は真っ黒でしたけど」
吸血鬼といえば、日光に弱く日中からは出歩かない。銀が苦手で、ニンニクも嫌いだったはず。でも、先ほどの男性はこの日差しの中を出歩いていた。
本当の意味での吸血鬼じゃないとか? ただのあだ名?
首をひねっていると、近くにいた男性が言った。
「あの侯爵様は本当に吸血鬼らしいよ。女の血を吸うらしい」
「血を……? ひ、被害者がいるんですか?」
思わず食いついてしまった。だって、そんなの――。
「いいや。でも、侯爵家に働き口を求めに行った若い女たちがみんな口を揃えて言うのさ。あの侯爵様に血を吸われそうになった、ってな」
「吸われそうに……?」
「ああ。牙でも生えてるんじゃないか」
あの人、街の人から評判悪い?
だとしたら――。
「まあ、ただの噂だろうけ――」
「あの! その侯爵様のお屋敷はどちらに?」
食い気味に尋ねる。
「……まさかお嬢ちゃん、行くのかい?」
「はいっ。お礼も言えてませんしっ!」
「なんか、目が輝いてるけど……」
「教えてくださいっ。お礼、言わなきゃ!」
「……その道をまっすぐ行けば、すぐに見えてくるよ。人の寄りつかない屋敷だけ――お嬢ちゃん!?」
男性が言い終えるより早く私はその場を飛び出していた。
だって、そんな人なら絶対使用人の入れ替わり激しそうじゃない! 仕事が見つかるかもしれないじゃない!
ワクワクしながら、吸血鬼侯爵の住むという屋敷を目指した。
「ごめんくださーい! 先ほど助けていただいた荷物ですー!」
言ってて悲しくなる。なぜ自分を荷物扱いしなければならないのか。でも、あの男性の様子からして、「助けていただいた者です」なんて生ぬるい言葉じゃ響かない気がしたのだ。
「ごめんくださーい! いらっしゃいませんかー! 入っちゃいますよー!」
ドアノッカーをダダーン、ダダーンと勢いよく叩きまくる。
かれこれ一時間は騒いでいるのに、まったく出てこないのは不在だから……だとは思うのだが、なぜだろう。彼が屋敷にいる気がしてしまうのだ。
「窓を割って侵入しますよー!」
ダーンとドアノッカーを叩いていると、扉が内側へぐっと開いた。前に倒れそうになる。
「うひゃあっ!?」
「うるさい荷物だな」
ドアの向こうには、黒ずくめの男性が立っていた。
うわ……っ。近くで見ると本気の美形じゃない……。
青い瞳も、プラチナブロンドの髪もこの人によく似合っている。
もっと色とりどりの服を着れば絶対映える容姿をしているのに、全身真っ黒。もったいない。
というか。
「聞こえてるんじゃないですか!」
「放っておけば帰るかと思ったんだ。喧《やかま》しい荷物なぞ見たくもない」
「や、喧しいって……。早く出てきてくだされば、私だって叫びませんでした。あと、ドアノッカー壊れました、ごめんなさい!」
「壊すほど扉を叩くな」
ぷらんと手の中にある、動物を象《かたど》ったドアノッカーを差し出す。
「これは、あなたがドアを開けたからで……」
「ならばやはり放っておくべきだったな」
「う。それは困るんですけど。ドアノッカーは弁償します」
「不要だ。荷物に支払えるとは思えん」
「荷物にも、荷物なりの価値がありますよ!」
男性が、じっとりと私を見る。あ。これは「馬鹿なことを言うな、荷物のくせに」の顔だ。
「……それで、なんの用だ」
くぅっ……。この人、黙ってればものすごい美形なのに、口も態度も悪い……!
そりゃあ、侯爵様だから偉いんだろうけど、もっと……こう……!
両手をぐむぐむとよくわからない動かし方をしていると、彼がはぁ、とため息をついた。
「用件を言え。端的に、三文字程度で」
「雇え!」
「俺に命令するとはいい度胸だな、荷物」
「荷物にしたのはあなたです! 三文字で用件を言えって言うからこうなりました!」
すると、彼は指を折り始める。八本、五本、と何度か折ったあと。
「雇って、でよかっただろ」
「超過してます! って、それを数えてたんですか!」
「程度、だからな」
「屁理屈!」
もう、と地団駄を踏む。
彼は無愛想に私を見下ろし、やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。
「働き口を探しに来たのか。残念だがうちで雇うことはない」
「人手は足りてるんですね……だれもいないみたいですけど」
開かれたドアの奥を、彼の脇から覗く。しんと静まり返った屋敷だ。玄関は薄暗い。
「馬屋に男が一人いるだけだが、それ以外を雇うつもりはない。この屋敷には不要だ」
「違いますよ、旦那様。貴族は体裁のために使用人を雇っておくべきなんです。メイドとかどうですか」
「雇うなら下男を雇う。女は不要だ」
忌々しげな顔をしてそんなことを言うから、首をひねった。
「女は好きじゃないって、そういうところにも発揮されるんですね」
「お前、街の者に聞いてこなかったのか。俺は吸血鬼だと言われなかったか」
「聞きました」
「迷信だとでも思っているのか?」
まっすぐ見下ろされて思案した。
たしかに、吸血鬼なんて存在しないと思っている人が多い。女の生き血を吸う悪魔。千年以上の命を持っているとか、死者が蘇った姿だとか、いろいろと言われている。私も、たぶん信じていないのだろうと思う。でも。
「自分でもそのあたりはわからないですけど、別にいいんですよ」
「……さっさと帰れ、泣きたくないだろう」
「じゃあ、吸血鬼だというならその証拠をぜひ!」
「証拠を見れば信じるのか」
「信じます」
期待に弾む胸を押さえながら言うと、ペしっとデコピンをされた。
「いったぁ……」
「好奇心はけっこうだが、身を滅ぼす前に控えておけ」
好奇心……か。
別にそういうわけじゃないんだけど、吸血鬼は怖くないと思ってしまう。会いたい気持ちもあるけど、それが好奇心かどうかはわからない。ただ、会わなきゃいけない気がするのだ。だけど、それを言ってもこの人は変わらず「帰れ」とあしらうのだろう。ならば。
「働き口がなくて困ってます!」
「ご愁傷様」
「今夜の宿もありません」
「宿なら街にいくらでもある」
「三ノーヴも払えません!」
「うちへ泊まるなら十ノーヴだ」
「ぐぬっ……」
これはだめだ。情に訴えてみようと思ったけど、この人にそれは通じないらしい。
「……わかりました。さっきのお礼を伝えたかったのが一番の目的なので。ありがとうございました。それと、ドアノッカー壊しちゃってごめんなさい。帰ります」
「そうしろ」
しょぼくれながら彼に背を向ける。今日はもう、諦めて三ノーヴ払うか、どこかで野宿でもするしかない。
きゅっとスカートを握り締める。そうして歩き出そうとしたとき、後ろでバタリと音がした。
「……え?」
振り返ってみると、あの男性がその場で倒れてしまっている。
「えっ、ちょっ……ど、どうしたんですか? だ、大丈夫……?」
駆け寄って、おそるおそる彼に触れてみると、火傷するのではないかと思うほどの熱が出ている。
「なっ……ど、どうしよう。お医者様呼びますか? どこにいらっしゃいます? ちょっと、ねぇ。ねえってばぁ!」
思いっきり揺さぶりたかったが、さすがに病人をガクガク揺することはできない。
「……ここに放置はだめよね。風邪かな。とりあえず中に……?」
ぐるぐると混乱する思考で一生懸命考えた。そして、彼を屋敷の中へ運ぶことにする。
「お、重い……っ」
意識のない、かつ男性とくれば私が容易に運べるはずもない。でも、泣き言は言っていられない。
「ふぬぅぅー!」
乙女にあるまじき声を出しながら、彼を引き摺《ず》って屋敷の中へと入った。
ちっとも動かない男性を引き摺って三十分は戦った。そのせいだろう、玄関を入ったところで私の体力は限界を迎えてしまった。男の人の重さに汗は噴き出すし、足はよろよろになるしで、途中で躓《つまず》いてしまったのだ。派手に転んでおでこを床にぶつけた気がする。痛い。
「うぅ……どうするのよ、これ……」
しかも運の悪いことに彼が上に乗っかってしまっている。うつ伏せにすっころんだので息もちょっと苦しい。抜け出そうと思っても、いい具合にはまってしまったようで、身動きが取れない。
……玄関で、自分の鈍くささによって男性にのし掛かられた女という構図は、実に間抜けだ。
そして彼は、まだ目を覚ます気配がない。
「もぉー! 重たい!」
ぐいぐいと男性をどけようとしてみたが、力を使い果たしたせいでちっとも動かせない。
床に這いつくばって、不満に頬を膨らませる。
「起きるまでこのまま?」
それって最悪なのでは、と思ったが、ものは考えようだ。
彼の敷き布団になっていましたとでも言えば、ちょっとくらい恩情を掛けてくれないだろうか。もしかしたら雇ってくれるかも? 一晩くらい泊めてくれるかも? というか、しばらくこのままなら、今日の宿は確保できたのでは?
「なかなか名案かもしれない」
男性の下敷きになったのは間抜けで不運だったが、三ノーヴ浮いたと思えば安いものだ。ちょっと苦しいけど。
それにしても、彼はなぜこんなに高熱なのに外へ出たり、平気な顔をしていたりしたのだろう。おとなしく寝込んでいたほうがよかったのでは。
「あぁ……ひょっとして、私がダンダンと叩いたから起きて出てきてくれた……?」
だとしたら申し訳ないことをした。せっかく養生していただろうに。
ちらりと、できる限りで振り返ってみた。
黙っていれば本当にきれいな人なのに、態度は大きいし、愛想もない。別に人懐こさなんて求めてないけど、もうちょっと普通に接してくれてもなぁ……なんて考えていたら、彼の手がもぞもぞと私の身体を撫でていることに気づいた。
「? 起きました?」
声を掛けてみたが、彼に反応はない。それどころか。
「ちょ、ちょっと! どこ触ってるんですか!」
彼の手が胸を鷲づかみにして、ふよふよと揉み始めたのだ。
さすがに彼の頭を押さえて抗議したが、がっちりと抱き込まれてしまった。
「え、えぇぇぇ?」
上からしっかり身体で押さえ込まれ、這い出ようと藻掻《もが》いていた腕は彼の手に押さえられた。
「ちょっと……これはまずいんじゃないですか……?」
もしかして寝ぼけてる?
「……お前、処女か」
「はい!? 起きてるんですか!?」
だったら悪戯なんてしてないでどいてよ、と思ったが、すぐに首筋にねっとりとした感触が這った。
「っ……、ちょっと……」
「美味そうだな……」
た、食べられるぅぅぅ!
吸血鬼ってそういうものだったっけ。主食、人間だっけ? い、いやこの人、普通の人間……も、もうどっちでもいいけど!
「お、落ち着きましょうよ、旦那様!」
「……それ、いいな」
はい!?
思考が停止した。なにがいいの?
「あ、あの。先刻助けていただいた荷物ですよ……?」
「吸血鬼だという証拠がほしいんじゃなかったのか?」
あ、これ絶対起きてる。
焦点が定まらず目を泳がせていると、首筋が甘く噛まれた。
「痛くしないから、じっとしていろ」
「ひっ!?」
噛まれたら吸血鬼になっちゃう? 全部吸われちゃう? 私、死ぬ……?
だらだらと冷や汗をかいていると、ぷつりと皮膚の裂ける感触がした。
「っあ……」
絶対痛いやつ、絶対痛いやつ! 首なんて噛まれたら普通死ぬって……!
ぎゅうっと手を拳にして握り締めた。
首筋になにかが刺さっている感覚がある。これ、けっこう深いんじゃ……?
でも、不思議と痛みはない。それだけは幸いだったが、ジュルッと啜《すす》る音がして、やっぱり血を吸われているのかと血の気が引いた。
「……痛むか?」
れろっと首筋を舐められながら囁かれる声が、驚くほど甘い。熱っぽい吐息が首筋をくすぐるようにかかる。
「痛くない……けど……」
「だったら、もう少し……」
再び首に違和感が生じた。ぬぷっと深く噛まれ、身体が強張る。
「ふ……っ……んっ……」
彼の手が身体を這った。服の下に滑り込まされて胸を揉みしだかれる。
「っあ、あ……や……待っ……」
拘束された手は解けることはなく、制止することもできないままふにふにと乳房を弄ばれた。
彼の指先が胸先の飾りを捉えると、きゅっと摘まみあげられる。
「っあ、あ……っ」
「お前の血は美味いな……」
耳を舐められると身体がぞくぞくと甘く震えた。
頭がぼうっとする。下腹部がジンジンと熱を帯びて、耐えられないくらい疼く。
「甘くなった……感じてるのか?」
「ち、違っ……そんなわけないでしょ……」
首筋を噛まれて、勝手に胸まで触られて、感じてるとか絶対にない。身体が熱くなっているのは気のせいか、防衛反応なんだから……! たぶん!
ぎゅっと目を瞑って「ないないない」と一人で首を横に振る。
「感じていても恥ずかしがることはない。それは、正しい反応だ」
耳元に声を落とされるたび、寒気にも似た感覚が背筋を走った。
この人の声……直接頭に響くみたい……。
身体の力が抜けていく。このまま彼にされるままになっていれば、心地よい感覚だけが与えられるのではないだろうか。
「んっぅ……」
「快感……というものをお前は覚えたのか?」
「は、はい……?」
覚えるもなにも、処女だって自分で見抜いたくせに。
「……というか……そろそろどいて……あなたが吸血鬼だってわかったから……あっ」
スカートの下に手が忍ばされた。太股をなぞる指の感覚にぞくりと身を震わせる。
「ま、待って……それ以上は……」
彼を制止してみたが、止まる気配はない。あっけないほど容易く秘所に触れられた。
「ふ……あ、や……どこ触って……」
「なあ、エリーシャ。俺に純潔を捧げにきたのか……」
ちゅうっと首筋を吸われる。そのたびに頭がくらくらして、脚の間がむずむずと熱くなる。
「なに言って……も、もう……本当にどこ触って……」
「このまま散らしてしまおうか……」
低められた声にぞくっと身体が震えた。
それもいいかもしれない。二十二年生きてきて、恋愛なんて一度も縁がなかった。働いて、働いて、遊ぶ時間なんて全然なかったから仕方がないといえばそうなのだけれど、人並みに興味はある。
性格はちょっとアレだけれど、顔のいい侯爵様との恋愛なんて……、遊び確定か。よくて愛人だ。
……って、なにを考えてるのよ。いいわけないでしょ。
一人で思考を巡らせ、頷いたりふんっと怒ってみたりしていると、彼がクスクスと私の首元へ顔を埋めて笑う。
「感情豊かでなによりだ……」
「あ、あのね……こういうことは手順を踏んでいくべきだと思うの。まずはお友達……あ、いや。まずは使用人から始め――」
言い終える前に、すーすーと静かな呼吸音が聞こえてきて、不自然な体勢ながら首をひねった。
「……ね、寝てる……」
片手は胸を掴んだまま。もう片方はスカートの下に突っ込んだまま、だ。
「あり得ないでしょ、ばかぁ!」
じたばたと暴れると、ゴチンと彼の頭を肘で殴ってしまった。
「あ、ごめん……なさい……」
それでも彼が寝ていたのでまあいいかと思いながら、彼が目覚める翌昼までがっちり拘束されてしまった。
「悪くない抱き枕だった」
むくりと起き出した彼に「なぜこんなところで寝ている?」と聞かれた挙げ句、「抱き枕志願か」と超訳されてしまった、翌日。時刻は十三時を過ぎている。
私はあのまま身じろぐこともできず抱き枕にされ、身体があちこち悲鳴を上げている。
「私は最悪でした」
「三ノーヴ浮いたと思えば悪くないだろう」
応接室へとりあえず来いと言われ、それに従って部屋へ入った。ようやく、屋敷の中へ入れてもらえたと思えば進歩だ。
応接室はソファとテーブルがあり、古い調度が置かれている。どれも年季の入ったもので、売れば高そう……くらいの感想しか抱けなかった。調度やアンティークはよくわからない。侯爵家にあるものなのだから、きっと値打ちもののはずだ。
でも、ちょっと埃っぽい。テーブルにも埃が積もっている。指でなぞったら線ができる気がする。傍にあるクッションは、触ると埃がもうもうと立ちこめそうだ。
「ひっ、人の胸揉んでおいて、三ノーヴ浮いただろって、あんまりだと思います」
「……記憶がない。お前のような小娘の胸に興味はないはずなんだが」
「悪かったですね、小娘で!」
めっちゃ揉んだくせに! 触られるのはじめてだったのに!
ふんすっと鼻と頬を膨らませると、彼が顔を伏せて肩を震わせた。
「……そういえば、熱はもういいんですか?」
「ああ……あれなら治まった」
「風邪ですか?」
「吸血衝動だ。熱が出るほどになるのは久しぶりだったが……」
「吸血……衝動……」
やっぱりこの人、吸血鬼かー。そっかー。
うつろな目で遠くを見つめ、現実逃避する。でも、不思議と彼が吸血鬼でもびっくりはしないものだ。
いないと思っているはずの存在。でも、いても不思議じゃないと心のどこかで思っている。なんだろう、この矛盾は。
「でも、吸血鬼だって言うならいろいろとおかしいと思うんです」
「おかしい? どのあたりが?」
「だって、吸血鬼は日光が苦手だと聞きます。でもあなたは昼間から出歩いてましたよね」
「太古の時代の吸血鬼ならそうかもしれないが、いまの時代になれば人間の血が濃く継承されてるからな。日光の下に出ても平気だ。昼間に買い出しにくらい行く」
「アクティブな吸血鬼ですね!」
「悪魔は信仰にも弱いと言われるが、俺は敬虔《けいけん》な信者だ」
言いながら、ほら、と首から提げた首飾りを見せられて目眩がした。あれは教会に熱心に通わないともらえないやつ!
「悪魔の概念皆無!」
「とはいえ、悪魔は悪魔だ。人間よりはるかに長い寿命があるし、俺は吸血衝動を抑えられない。昨夜、処女の匂いに耐えきれず荷物で抱き枕の小娘の血を吸ったことは屈辱的だが」
「私は注意しましたよ。それでもがぶっとやっちゃったんじゃないですか」
ぷいとそっぽを向くと、彼はまた肩を震わせて笑い出す。
「よかっただろ?」
「……は、はい? なにがよかっただろ、なんですか」
「快楽を感じなかったか? 俺たち吸血鬼の体液は催淫効果をもたらす。快楽に身を委ねてしまえば、つまらないセックスよりよほど気持ちい――」
ぼふっと手元にあったクッションを投げつけた。埃がもわっと立つ。
「わあっ、やっぱり埃まみれ! なんで掃除してないんですか!」
「俺の部屋だけがきれいならそれでいい」
「ひっどい!」
やっぱり想像したとおりもうもうと埃が立ちこめて、手でぶんぶんと払う。
しかし……。
あのときの身体が疼く感覚は彼のせいだったのか。たしかに存外悪くなかっ……じゃない。悪いに決まってるでしょ。男性経験なんてないのに変な声出てたし。
ぷうっと拗ねていると、彼が脚を高く組んでにやりと笑った。
「お前、働き口を探していたんだったな」
「はい。どこも不景気で働かせてもらえる場所は少ないです」
いまから探そうと思ったら、きっと大変だ。年の瀬にかけて寒くなるし、みんな暖かい部屋で眠りたい。だから夏場はさほど仕事をしていない人たちも、日雇いの仕事を求めてやってくる。特に王都なんて人が多いから仕事もほかより多いだろう。それゆえに競争率も高くなる。早い者勝ちだろうから、いまの私は完全に出遅れている状況だ。ここで雇ってもらえなかったら、寒空の下で野宿がほぼ確定してしまう。毎日三ノーヴは高い!
「条件をいくつか出そう。それをすべて呑めるなら、雇ってもいい」
「ほ、本当ですか! 条件を聞かせてください!」
身を乗り出して尋ねると、彼は目を伏せて端整な笑みを浮かべる。さっきの悪人っぽい顔が嘘のようなきれいさだ。
「ひとつは、俺の吸血衝動を緩和する手伝いをすること」
「緩和……?」
「普段は薬を使って衝動を抑えているが、効かないことが増えてきた。完璧に抑えるなら、吸血するのが手っ取り早いが最近の夢魔騒ぎのせいで血の味が濁っているうえに、女を傍に置く気にもならん」
「えっと、どこを突っ込めばいいですか?」
情報が多すぎる。夢魔騒ぎ? 女を置く気がないのに私を置くの?
疑問符ばかりだが、彼は気にした様子もなく話を続けた。
「お前は荷物だし、抱き枕志願のようだからこの屋敷に置いてやってもいい」
めっちゃ上から……!
「なにより、お前の血の味が好みだった。懐かしい味というか……うん。悪くなかった」
「そ、それはなによりです」
「それ以外の時間は、使用人として家事全般を担ってもらう」
「あ。それはとっても仕事らしいですね」
ぱんと手を叩いた。こういうのを期待していたのだ。吸血衝動の件《くだり》は思い出したくないけれど。
「仕事用の服はあとで見繕いに行く。付き合え」
「う、上からだなぁ……」
まあ、侯爵様なんだからこれくらい尊大でも許されるのか。
「……が、その服はいいな。噛みやすそうだ」
「がぶがぶ噛む前提なのやめてくださいよ」
首を手で隠す。
いま着ている服は胸元もけっこう開いている。胸元と袖に白いフリルがあしらわれていて、お気に入りの一着だ。
毎日、仕事でテーラーの前を通っていたのだが、そこに飾られているドレスを見て、絶対に素敵な仕上がりになると思って下手くそな絵でデザインを描いた。全然思うとおりにできなかったけれど、イメージを伝えれば仕立ててくれるはず、と思って何年もコツコツと給金を貯めたのだ。
大好きなテーラーで仕立ててもらった一着。スカートもふわふわしていて意外と動きやすいし、お客さんの反応もよかった。一生で一度の贅沢だったけど、大満足だ。が、吸血鬼にも気に入られてしまったのはどんな気持ちになればいいかわからない。
「ほかにも細かい条件を出すからよく聞け」
「はい」
「俺のことは名前で呼ぶこと」
「名前……」
たしか、ユージーン・ランウェル侯爵だと街の人が言っていた気がする。
「ユージーン様?」
「敬語は使わないこと」
「ユージーン」
「朝は起こさず、やむを得ない場合は『起きて旦那様』」
「オキテダンナサマー」
そこまで言ってもうひとつあったクッションをぼふっと床に叩きつけた。
「なにこの茶番!?」
「悪くないな。いい響きだ」
「うっとりしないでもらえませんか!」
「敬語は使うな」
「癖なんですよ。できるだけ善処します!」
ぶすっと頬を膨らませて不貞腐れると、面白がるようにユージーンが笑う。
「食事は二度」
「二回、血を吸われるってこと?」
「俺の主食はパンだ」
「血じゃなくて?」
「いつの時代の吸血鬼をイメージしてるんだ」
でも、彼は言った。吸血衝動は抑えられない、と。それはつまり。
「血が主食じゃないの?」
「それだったら俺はいまごろ飢え死にしている」
「じゃあ、血を吸うのって……?」
「セッ……、夜伽とほぼ同義」
「いまど直球に言おうとした!」
「言い直しただろうが。きゃんきゃんと喧しい荷物だな」
要するに、快楽のために血を吸われる……ということか。ま、まあ……私は吸われるだけだし、特に支障は……。
考えて、この人は平気な顔をして胸を揉むんだったと思い出す。
「あ、あの。なんで胸触ったんですか」
「? そこにあったから」
「目の前にあったら誰彼かまわず触るの? 揉みしだいちゃうの!?」
「明確な理由が必要なら、血の味が変わるからだ。快楽に溺れた女の血は甘くなる。特に処女の血は極上だ」
「だから胸を揉まれると……」
自分の胸元を見下ろす。
これは、貞操の危機? そのうち襲われちゃう?
「安心しろ。俺は処女が好物だから、それを奪うような真似はしない」
「……危なっかしいこと言ってましたけど」
「記憶にない。昨日のことはあまり覚えていなくてな」
「無意識であんなことやそんなことを!?」
「抱き枕に柔らかい感触があれば揉むだろ」
「揉まないでしょ!」
この人、オープンすぎない? でも、むっつりよりマシ?
額を押さえ、どっちもあんまり変わらないなとため息をつく。
「この条件でよければ、一日十ノーヴで雇ってやる。三食夜伽付きだ」
「夜伽がメリットみたいに言わないでもらえますか」
「血を吸われる以外の危険はないんだ。お互い、快楽に耽《ふけ》ればいいだろ」
そこだけは気にかかるが、十ノーヴは破格待遇だ。しかも食事もつくし、暖かい部屋もある。
「ぜ、絶対に……しちゃだめですよ……?」
「貴重な処女だ。お前こそ、勝手に純潔を散らすなよ」
「相手がいないですから、そのあたりは大丈夫かと」
「そうか。それでお前。名前を聞いてなかったな」
「?」
首をひねった。てっきりどこかで名乗ったと思っていた。だって彼、昨夜は……。
「エリーシャ・ハーウッドです」
「わかった。エリーシャ」
「……あの。自己紹介、はじめてでしたっけ?」
「ずっと自分で荷物だと言っていた気がしたが」
ん? じゃあどうして昨夜、私にエリーシャって言ったのかな。昔の恋人と偶然同じ名前だったとか?
そんなまさか、とかぶりを振るが、否定すれば疑問はより大きくなるだけだ。
「それよりエリーシャ。街へ出るぞ。ついてこい」
「なにしに行くんですか?」
「食材の買い出しだ。あと、お前の服も」
「太陽、真上にありますよ? 溶けちゃったり……」
「溶けるか。ほら、いくぞ」
ぐいと腕を引いて立ち上がらされる。吸血鬼、本当にアクティブだなぁ。
そんなことを思いながら、この日から私はランウェル侯爵家の使用人となった……はずだ。
ランウェル侯爵家から王都まで、歩いて十分。
その距離を、彼は馬車でガタゴトと移動していく。歩けばいいじゃない。そのほうが早いじゃない。貴族って十分も歩けないものなの?
なんてむぐむぐしながら馬車に揺られた。
とはいえ、城下町から徒歩十分の距離ともなれば閑散としてくるもので、侯爵家の近くには人の気配がまるでなかった。
馬車から外を眺め、本当に人がいないな、とユージーンに向き直る。
「あの。さっき言ってた夢魔騒ぎってなんですか?」
「最近、人の外出が極端に減ってるのは知ってるか」
「ああ……はい。夜は本当にがらんとしちゃうみたいですね。このあたりのことはよく知らないですけど」
ずっと花屋で働いていたから、朝は早いのだがその分仕事が終わる時間も早かった。夜に出歩く用事も特になかったので、夜は八時に寝て、朝は三時から仕事に励んだ。だから、夜の町については詳しく知らない。
「マーセルの町では、人が外出しなくなったからサウラ王国は不景気に拍車がかかったと聞いてますよ」
「この国ではいま、夢魔が出るんだ」
「その夢魔って、そもそもなんなんですか?」
「悪魔の一種。人間の夢の時間に紛れ込んで身体を乗っ取ったり、悪さをしたりする連中のことだ」
それで、夜の時間はみんな外出をしなくなった……と。でも、それだけでここまで不景気になるものだろうか。昼間なら怖くないような気がするのだけれど。
「それなら、昼間は平気なのでは……?」
「この国にいる夢魔は日中も活動してるからな」
「悪魔ってみんなアクティブですね!」
悪魔なら悪魔らしく、日光を嫌っておいてほしかった。
でも、それならみんなが外出を控える理由も理解できる。昼間から悪魔に襲われるかもとか考えたら怖いもの。
「そのうえ、厄介なことにサウラ王女が夢魔に身体を乗っ取られている」
「えぇぇぇ……」
「だから、夢魔が好き勝手やらかしていて、この国は浪費が著しく進み、どん底の不景気まっただ中だ」
「そういうことだったんですね……私、なにも知らなくて……」
恥ずかしい、と俯いていると、ユージーンが距離を詰めて座り直し、そっと私の肩を抱く。
「俺が必ず守ってやる。心配しなくていい」
「え……」
いくらいきなり荷物扱いしたり、胸を揉みしだいたりしたとしても、この顔面の破壊力はすさまじい。
優しく微笑みかけられたら、くらっときちゃうよ……。
「そ、それは……」
「お前の貞潔だけは守らないとな。せっかくの美味い血が台無しになる」
「真顔で最低なこと言う……」
まあ、そんなところだろうなと思った。この人にとって、私の価値は処女であることだけなのだから。
「でも、それなら王女様はいま大変なんじゃ……?」
「そうだ。王宮は祓魔師《ふつまし》に悪魔祓いの依頼を出しているが、あの夢魔、なかなか執念深くてな。雑に追い出したらおそらく王女の命に関わる」
悪魔退治は祓魔師の仕事だということは、大昔からある概念だ。悪魔の存在を信じるかどうかは別として、そういう職業の人が必ずいるものなのだ。
しかし、いつの時代も悪徳祓魔師という者は存在する。祓魔できないのにできると偽って多額な金銭を要求し、苦しむ人たちの足元につけ込むのだ。
そういう悪徳な人たちはいい加減な道具を使ったり、術式と呼ばれる魔道の腕も皆無なことが多い。
正真正銘の祓魔師というのは、自ら道具を生成し、そこに力を宿すことができる。たとえば、悪魔には銀の弾丸が有効とされているが、それを自作し、術式を乗せる。そうすれば人間には無害で、悪魔にだけ特効のある弾丸が作れる。
……と、ユージーンが言っていたが、半分くらいしか私は理解できなかった。
眉間に皺を寄せて呻《うめ》いていると、馬車が街の入り口で停まる。ここからは歩いて行くのだそうだ。
「本当に、たった十分の距離を馬車で移動とかよくわかんない……」
「このご時世に、ふらふら歩いているほうがどうかしている。夢魔が出ると言ったばかりだろう」
「そんなに誰彼かまわず襲っちゃう感じですか?」
「このあたりの夢魔は処女が好物だな」
「また処女って言う!」
じたばたと足を踏み鳴らすと、ユージーンがくすっと笑った。
「いつの時代も、純潔の乙女は美味だと相場が決まっている」
「食べる前提!」
「夢魔からしても、男性経験のない娘を身籠もらせるという奇っ怪な現象を引き起こせるわけだからな。さぞ面白いだろうさ」
「そ、そんなことができるんですか……?」
「できる。夢魔の性別は紙一重だ。相手によって性別が変わるという報告もある。気をつけることだ」
本当に悪魔が実在するのであれば、やっぱり恐ろしい……かもしれない。
ユージーンも、そういう面白さを重視して悪さをしたりするのだろうか。そんな一面があるのかな……?
馬車を降りてちらりと目を向けると、あとから降りてきた彼にぽふっと頭を撫でられた。
「とりあえず、買い物をするぞ。まずはお前の服からだ」
「本当に仕事用の服を買ってくれるんですか?」
「当然だ。その服で仕事をしたら汚れるだろう」
私の、一生分の贅沢をしたオーダーメイド。絶対に贅沢だと言われると思っていたのに、なんだか彼の言葉は嬉しい。
「やっぱりここはメイド服を買いに行くんです?」
「ああ。メイドの服は、慎ましやかなロングドレスと、魅惑のミニスカートがあるが、俺の好みはロングドレスだ」
「意見を聞いてくれるのかと思ったらただの主張!」
「なぜ荷物で抱き枕のお前の意見を聞かねばならない。それとも、ミニスカニーハイの絶対領域で俺を誘惑する算段でも……」
「妙にマニアックな方向で詳しいのどうにかなりませんか」
私もロングスカートがいい。脚が出てたら気になって仕事どころではない。
「やっぱり白いエプロンは必須アイテムだと思うんです。フリルがあると可愛いですよね」
「好きなものを選べばいい。メイドの服は昼と夜で違うことが多いが、俺の屋敷ではそんなことはしないからな」
「はい、大丈夫ですよ。経費削減は大事」
「いや。プリントドレスが好みじゃない」
「主張の激しいご主人様……」
プリントドレスも着てみたかった。可愛い柄を選んで仕立ててもらったら、ちょっと特別な感じがしそうだ。
「ユージーン。私、あのテーラーで見てみたいです。可愛いドレスが飾ってあるので期待できそうですよ!」
彼の腕をぐいと引っ張って、目についたテーラーへ足を向ける。ショーウィンドウに飾られていたドレスはやっぱり可愛い。
「こういうものが好みか?」
首を傾けて覗き込まれ、大きく頷く。
飾られていたのは、オープンショルダーの白いドレスだ。裾にかけて青くグラデーションしていて、小花が散らされている。
胸元は開いていないが、背中が大きく開いているのでセクシーに見える……かもしれない。
「少し大人っぽくないか」
「二十二歳は充分大人だと思います」
「年齢はな。だがお前、童顔だしな」
「どっ……ほ、ほっといてください。子どもっぽく見えるの気にしてるんですから」
「無理して背伸びしなくても、俺から見ればみんな子どもだ」
ふふと笑うユージーンを見上げた。なんだか楽しそう。機嫌がいいのかな。
「ユージーンはいくつなんですか?」
「二百六十七歳」
「ん!?」
「二百七十年ほど生きている。まだ若いほうだろう」
「どのあたりで若いとお思いに?」
「吸血鬼の寿命は千年超えだからだな。まだ若い」
「そ、そっかー。へー」
理屈がぶっ飛んでいるのは吸血鬼ゆえか。
しかし、それが本当だとしたらたしかにみんな子どもだろう。だけどこんなの、嘘を言ってる可能性だってあるわけだし……。
「その顔は信じてないな?」
頬をむにっと摘ままれる。みょいんと伸びるほっぺが面白いのか、彼が楽しげにむにむにするのはなんなのか。
「信じてないというか、やっぱり吸血鬼っているのかなぁ? って思いました」
「噛み跡を残されても信じないか」
首筋に残った傷跡は、痛みもないし血が流れることもない。だけど、人に噛まれたというには不自然な、牙の跡だ。
「まったく信じてないわけじゃないんですよ。いるような気はするんです。でも……」
ツキンと頭が痛んだ。
なに……いまの……。
頭が一瞬割れそうなほどの痛みを伴った。それと同時に、なにかが脳裏に浮かんだ。黒。星。山。そんな、断片的なものしかわからなかったけれど、どこかの景色だったような気がする。
「どうした?」
ユージーンが怪訝そうに顔を覗き込んでくる。
なにが起きたかもわからないのに説明をするのはとても難しい。だから、首を横に振った。
「なんでもないです。それより、早くお店に入りましょう」
ぐいぐいとユージーンを店内に連れ込む。
お店の中にある商品も、やっぱり素敵だった。可愛らしいフリルデザインのワンピースや、シックなデザインのドレスもある。
トルソーに着せ付けられているドレスを見ながら、私の服にももうちょっと飾りがあると可愛いかな、なんて自分を見下ろす。
「なあ、エリーシャ」
「はい。素敵なドレスいっぱいですね!」
「寝巻きはこれを着てほしい」
「?」
彼が指で示す先を見てみる。ひらひらとした透け素材。裾にはリボンがついていて甘めのデザイン。胸元がばーんと開いていて、レースがあしらわれているけれど、これは隠さなきゃいけないところが絶対見えるやつ……!
「こ、これは刺激的なネグリジェ……」
たぶん人はこれを下着と呼ぶのだけれど、真顔で目を輝かせているユージーンに届く言葉ではないだろう。
「これはちょっと私には大人っぽいと言うか……」
「二十二歳は大人なんだろ。それにお前、胸はあるから似合うと思うぞ」
「こんな場所でなんてこと言うんですか!」
お店の人がニコニコしているけど、絶対聞こえてるし変態だって思われた!
だいたい、ユージーンってあんまり街の人からいい印象がなかったように思うのだけれど、これ以上印象悪くして大丈夫かなぁ。
「せっかく使用人を雇うんだ。朝起きてから夜寝るまで、俺の好みであるべきだろう」
「雇い主と使用人ってそういう関係ですっけ?」
ユージーンってちょっとずれてる気がするのよね……。
「でも、今日は仕事服を買いにきたわけなので、寝巻きはまた後日に……」
「買うだけ買えばいいだろう。普通のも買ってやるから」
「本当に? じゃあ私、こっちの白いフリフリしたのがいいです。可愛いっ」
「好きにしろ。あとはコートも必要だな。お前は見ていて寒々しい」
そう言いながら、彼が選んだのはもっふもふの毛があしらわれたコートだ。優しいクリーム色で、裾に小さな小花が刺繍された、シンプルだけど可愛らしいデザイン。
「仕事用の服はやはり誘惑的な……」
「これでっ」
彼がなにかに目を留めるより早く、手近にあったワンピースを手に取る。紺色だし、ロングスカートだし、長袖だ。たぶん大丈夫!
「わかった。それでいい」
「やったー!」
危険は回避された。ユージーンってオープンなむっつりスケベなのかしら、なんてよくわからないことを考えながら品物を買って店を出る。
「んふふっ、ありがとうございます」
「嬉しそうだな。気色悪い笑い方だ」
「言い方!」
両手に荷物を抱え、ほくほくしながら彼の後ろを付いて歩く。仕事用の服でも、彼の好みでも、やっぱり自分のためになにか買ってもらえるのは嬉しい。
「……はっ。もしや、給金からの天引き……」
「そうしてもいいが?」
「ごめんなさい。私が間違ってました」
なんだかんだで、実はいい人なのよね。ちょっと変わり者だというだけで。
「ユージーン。このあとはどこへ行きますか?」
「食材の買い出しだ。常備していたパンがなくなった」
「本当に主食パンなんですね。お野菜も食べてくださいよ。トマトとか」
「俺の嫌いなものを食卓に並べるなよ」
「トマト嫌いなんだ……吸血鬼なのに……」
「関係ない。トマトはトマトだ」
処女の血の代わりにトマトジュースを飲む……という吸血鬼が登場する物語を読んだことがあったが、やはり作り話か。色は同じだけど、血液と同じはずもない。
「それじゃあ、パンを買いに行きましょう。自家製も挑戦してみたいですけど」
「やりたいことをやればいい」
「では材料も買いますね。ふふっ、楽しみ」
粉と酵母を買って、麺棒やボウルなどの道具もあると便利だ。あのお屋敷にはそんなものがあるとは思えないし、あっても埃被ってる気がする。だから、絶対必要。
掃除をするにも道具は揃ってるかな。箒《ほうき》なんて、使い始めたら折れたなんてことになりそう。それはそれで面白いけど。
一人でそんなことを考えてにまにましていると、ユージーンが私の頭を撫でる。
「……あのね、ユージーン。私の頭がちょうどいい位置にあるなとか思ってません?」
「いや。ただ、俺の屋敷で働こうという娘が、こんなに楽しそうにしている姿を見るのははじめてでな」
「十ノーヴももらえて、服も買ってもらえて温かい寝床と食事付きですよ。この冬は凍死も覚悟していましたから……」
思い出してずぅんと肩を落とすと、彼が面白そうに笑った。
こうやって感情を表に出していれば、本当にただの美形なんだけど。
でも、それを指摘すればユージーンは仏頂面になるのだろう。それが目に見えてしまうから、あえて黙った。私だけが知っている素顔なんてちょっと優越感だ。
「俺の部屋には暖炉もある」
「お、おぉぉ……暖かそう……」
「温かい茶も飲み放題だ」
「西方の限定茶葉がそろそろ出るころです。毎年お店を眺めるだけしかできませんでしたが……、か、買っても……いい?」
むぐむぐと拳を作ったり開いたりして、この冬は楽しくなりそうだとワクワクする。
冬の花屋はなかなか過酷だ。水は冷たいし朝は早いし、お客様がいれば吹雪いていてもお店を開ける日だってあった。
実は労働環境最悪なんじゃ……と思ったけど、吸血鬼侯爵の使用人って、ものすごく好待遇なのでは?
「俺と一緒に眠ればより温かいだろうな」
「はわぁぁ……想像するだけで温かそ……ん?」
「数日に一度と考えていたが、これからのお前の身を案じれば、毎日でもいいかもしれないな」
「私を助けるふうな口ぶりでよからぬことを考えてる……!」
「俺は血を吸うだけだ。あと、抱き枕に柔らかい感触があるから揉む」
「もうこの人むっつりでさえない!」
「俺がむっつりだなんてどこのだれに聞いた? しゃべるのが面倒なだけで会話量は普通だぞ」
「ものぐさ侯爵ぅぅ!」
ジタバタと足を踏み鳴らす。
「お前は本当に、子どもっぽいな。いや、感情が豊か……やはり子どもか」
「二回も落とすし!」
ユージーンにはイラッとさせられることもあるけれど、この人、本当に楽しそうに話してくれるのよね……。
どうして街の人はあんなに彼を嫌っていたふうだったのかな? 誤解を受けやすい人なのかもとは思うけど、少し話してみればいい人そうだとすぐにわかる。
もしも誤解されているなら、それを解くお手伝いができればいい。千年以上も生きるのに、ずっとひとりぼっちなんて寂しいはずだ。
「そんなことはいいから、早く買い物を済ませて帰るぞ」
「はい。食材の買い出しと、……あの、ユージーン。贅沢を承知でお願いしたいのですが」
「なんだ?」
ぽふぽふと頭を撫でられ、やっぱり頭がいい位置にあるとか思われてるな、と彼を見上げる。目が合うと、柔らかく微笑みかけられて心臓が出てくるかと思った。
美形の微笑、破壊力が本当にすさまじい……。
「お花を買いたいです。このご時世だととても贅沢品なので、どこの花屋も売れてないと思うんです」
「ああ……そうだろうな。好きなだけ買えばいい」
「本当に!?」
嬉しくてはしゃぐと、彼にまた笑われた。
ユージーンが楽しいならいいけど、これは面白がられているだけ?
「それじゃあ行きましょう。粉類とか重たいので何度か馬車まで往復しないといけないかもですが」
「持ってやる。好きなだけはしゃいで買い物を楽しめばいい」
「……普通、侯爵様は荷物を持たないと思うんですが」
「小娘に担がせているほうがどうかしてるだろ」
「また小娘って言う!」
ちょっと口が悪いけど、きっと彼は優しい。そんな確信がある。
あんまり名前はちゃんと呼んでもらえないけど、それでもいいかと彼の腕を引っ張った。目当ての材料を買いに店へ向かい、粉類はやっぱりユージーンが持ってくれる。
重たくないかな、と気にして見てみると、なんだか彼がそわそわしていた。
「ユージーン? どうかしましたか?」
「いや……なんでもない」
でも、明らかにきょろきょろと落ち着きなく周囲を見回している。
そんなに居心地の悪い場所なのだろうか。やっぱり昼間に出歩けるとはいえ、日中の外出なんて吸血鬼にはハードルが高いのかも。
「あ、あの。早く馬車に戻りましょう。ユージーンが溶けちゃうかも……」
「溶けるか」
「でも、なんだか落ち着きがないから……」
心配になってしまうのだ。悪魔の知り合いなんてはじめてだし、生態とかよくわからないし。もしかしたら無理をしてるのかもって思っちゃう。
「これは……」
一度言葉を迷ったような素振りで口ごもった彼を、首を傾げて見上げる。
「そろそろかなと思って」
「なにが?」
ますます首をひねっていると、馬の足音が聞こえた。音のほうへ目を向けると、黒塗りの豪奢な造りの馬車が目の前に停まっている。
「すごっ……」
ピカピカの黒塗り馬車なんてそうそう見るものじゃない。立場のある貴族か、王族か……。思って馬車を眺めると、馬車には見覚えのある紋が掲げられていた。田舎者の私でも知っている、王家の紋だ。たしか、百合と蔓草と剣を象っていたはず。
あまりの出来事に呆然としていると、馬車の扉が開かれた。
タラップを降りてくるのは、見事な金髪をきれいに巻いて整えた美女。胸が強調されていて、すらりと長い脚がスリットから覗く。そんな抜群のスタイルの女性を前に、自分の胸元を意味もなく掻き合わせてしまった。
「ごきげんよう、ユージーン」
鈴を転がすような、とはよく言ったものだ。彼女の声はまさにそれ。厭味のない、まっすぐ通るきれいな声だ。
「お知り合いですか?」
ユージーンにぼそっと尋ねると、彼はわかりやすく嫌そうな顔をした。
「リーレ・サウラ王女だ」
「王女……えっ」
この女性が、王女様……。と、いうことはだ。
「乗っ取られているという?」
「そうだ。中身は夢魔だ」
そっと付き添いの人に日傘を差し掛けられているが、それでも日中に活動する悪魔がここにもいるとは……。
「今日は乳臭い小娘につきまとわれていらして?」
「ちっ……乳臭くないですよ!」
いきなり失礼な悪魔だ。いや、それはユージーンもか。
妙に納得をしながら、王女に膨れっ面を見せる。だからだろうが、クスッと笑われてしまった。
「ごめんなさい。小娘につきまとわれていらっしゃるのね、ユージーン」
「ぐぬぅ……」
たしかに乳臭いという部分しか否定しなかったから正しく言い直されたのだが、なんだかすごく悔しい。あと、つきまとってない。
「あいにくと、俺の傍に置くつもりだ。下手な真似はするなよ、エイラ」
「その名前で呼ばないで。リーレのほうが可愛い気がするわ」
「でもお前はエイラだろ」
「そうだけど。ユージーンとお揃いの長音がないし」
そこ!?
思わず二人を交互に見てしまった。どうでもよくない、それ……。
むくれ気味な顔で不満を言う王女はとても可愛らしく見えるけど、内容は果てしなくどうでもいい。ただ、夢魔の名前がエイラと言うらしいということだけはわかった。
「ねえユージーン。そろそろわたくしと結婚しません?」
「しないな」
即答するユージーンを、なぜか私がじっとりと見上げる。もうちょっと考えてあげてもいいのでは……? 相手は王女様だよ? いや、中身は夢魔だけれども。
「今度は王女になりましたの。ちゃんと純潔も守っておりますわ」
「それは何百回と聞いた。だいたい中身が処女じゃないし、吸血鬼と夢魔なんて相性は最悪だろ」
「そっ、そうはおっしゃるけれど、あなただって経験済みではございませんこと?」
「二百七十年ものの童貞吸血鬼が好みならほかを当たれ。あと、お前のそのしゃべり方が最高に嫌いだ」
ひどい。しゃべり方が嫌いって。
「そ、そんな性格だから友達がいなくて、根暗で引きこもりになるのよ!」
「引きこもっていないし、根暗で友達がいないのは昔からだ」
認めるの!? 根暗でボッチって認めるの? オープンスケベなのに変なことにならない?
あわあわしながら二人を見遣っていると、後ろから腕をぐいと引っ張られた。
振り返ってみると、近くのお店のおじさんのようだ
「お嬢ちゃん。ちょっと離れたほうがいいよ」
「え。でも雇い主なんです……」
「それはそれ、だからね」
よくわからないが、険しい顔をするおじさんに、なにか危険が迫っているのだろうと直感した。こくりと頷いて距離を取る。と、いきなり王女が近くにあった空き樽を蹴っ飛ばす。
「えっ」
お店のおじさんにぎゅっとガードされて私は無事だったが、王女様、はしたない!
「二百年も前から毎日毎日求婚しておりますのに、どうしてわたくしではいけませんの!?」
「それが鬱陶しいと何度言えばわかるんだ。ストーカーか!」
王女が辺りを見て、近くのお店に並べてあったリンゴを掴む。そしてそれを思いっきりユージーンにぶん投げた。
彼は華麗に避けたが、次々と野菜やら果物が投げつけられている。
「……あ、あの。おじさん。これはいったいどういう……?」
助けを求めて、距離を取るよう言ってくれたおじさんの顔を見た。
「これだから侯爵様が街に来るのは嫌いなんだ。王女が大暴れしてくれるからな……」
はぁ、とため息をついたのはおじさんだけではない。近くにいた人たちがみんな、二人から距離を取っている。そして、絶望の顔をしていた。
二人に視線を戻すと、目の前をビュンビュンと食べ物が飛び交っている。中には、地面に落ちて潰れてしまっているものもある。
この不景気に、食べ物を粗末にするなんてどういう神経してるのよ。
「皆さんはなにも言わないんですか? 売り物がぶん投げられてるんですよ」
「相手は王女様と侯爵様だからなぁ……言っても庶民の言葉なんて聞いちゃくれないさ」
むっと口をへの字に曲げる。これは、二人の身分が高いのがいけないのだ。そして、それに対して鈍感すぎる。きっと、お詫びもしていないのだろう。だから、街にくると嫌がられる。
そういうことかと納得して、おじさんたちにお辞儀をしてユージーンの傍へ戻った。
「ユージーン。これはあんまりです!」
「え?」
目の前をトマトがすごい速さで飛んでいった。べしゃりと音がして、ユージーンを見るとトマトが張り付いている。黒くて汚れは目立たないけれども。
「こんな不景気の時期に人様の売り物をぽいぽい投げるなんてひどいです!」
「俺は避けてるだけだ。お前のせいでいま避け損ねたが」
「む、むぅ……そうですね」
たしかにユージーンは、さっきから投げつけられるものを避けるだけだ。彼が投げているわけではない。
「じゃあ、王女様!」
くるっと振り返って王女に大股で近づく。彼女はぴたりと動きを止め、近づいた私に顔を寄せた。すんすんと匂いを嗅がれたが、いまはどうでもいい。
「こんなことをして街の人を困らせちゃいけません!」
「あら、処女」
「悪魔ってなんで処女って言っちゃうんですか! 気にしてるのに!」
「ユージーンの好物よねぇ。羨ましい」
にたりと笑う王女は、悪い人の顔をしていた。これが、悪魔の本性というやつだろうか。
「いま、不景気でみんな困ってるんです! 食べ物を粗末にするなんて、絶対にしたらだめです!」
「…………」
王女が私を冷たく見下ろす。
夢魔に乗っ取られてるって言っても、王女様だしこんなこというのはまずかっただろうか。でも、このまま放っておいたらお店も壊しかねない。
「叱られたのははじめてだわ」
「へっ?」
「王女になる前は公爵家の令嬢に乗り移ってたの。そうしないとユージーンと釣り合いが取れないから」
「え、ええ……」
「だから、叱られることはずーっとなかったの。夢魔のころだって、男はみんなあたしの虜だったから、褒められることばかりだもの」
「そ、そうですね……」
「女に悪さをするとだいたい泣き崩れるから、それでおしまいじゃない?」
「知りませんけど」
夢魔、性根がなかなか悪いな。
彼女の後ろにぼんやりと視線を投げながら、このあとどうしようと考えた。ひょっとしたら、私も処女で身籠もったりさせられるのだろうか。好きな人と愛し合って、子どもがほしいとか思ってた夢は消えちゃうのかな。
考えて、しくじったかもしれないとようやく気づいた。
「ふふっ、いいわ。あなた、気に入ったわ。乳臭いけど」
「一言多い!」
「あたし、ひとりぼっちだから寂しかったの」
「自業自得だと思いますけどね」
「お友達になって。えぇっと……小娘」
「悪魔ってみんなそうなの!? エリーシャです! ユージーンとお揃いの長音付きですよ!」
最後の情報はいらなかったな、と思いながらも、とりあえず胸を張っておく。ここで訂正したら負ける気がしたからだ。
「な、なによ! あたしだっていつか長音がつくようになるんだから! あと三百年くらい生きれば……」
「ご長寿のお祝い的なものじゃないですよ? 長音大事すぎません?」
「まあいいわ。あなた、明日王宮へ来なさい。そしてあたしと遊びなさい!」
遊ぶ命令ってなんだろう。嫌な予感がする。
「男のたぶらかし方を教えてあげるわ」
「いえ、全然いらないです。恋は自分で見つけてしますので」
「それじゃあ、また明日。ごきげんよう」
「行きませんってば!」
こちらの話なんて聞かずに優雅な所作で踵《きびす》を返し、馬車へと乗り込んで帰っていく王女を見送り、ため息をついた。
街の人、本当に大変だ……。お掃除、手伝わないと。
「ユージーン……、あれ?」
振り返ってユージーンの姿を探す。だけど、彼の姿はどこにもなく、一人取り残されてしまった。
まあ、歩いて帰れる距離だから、先に帰ってたとしてもいいけどね……。
彼が先に帰ったのならば、むしろ都合がいい。
肩を落とす街の人たちを振り返り、大きく息を吸い込む。雇い主が関わったこの惨事を、見ない振りして帰るわけにはいかないもの。
「皆さん、お掃除しかできませんが、私にやらせてください!」
そうして私は、日が暮れる直前まで街の清掃に励んだ。
「あのね、エリーシャちゃん」
街の掃除が終わるころ、住民の皆さんが目の前にずらりと並ぶので何事かと身構えた。
「ど、どうかしましたか……?」
「さっきの王女様のお誘い、受けてくれないかな」
「へ……?」
「王宮で、遊び相手になってもらえないかな!」
えぇぇぇぇ……。
眉を寄せて渋い顔をすると、青果店を営んでいるという顎ひげのおじさんが私の前にずざあっと滑るように膝を突いた。土下座の姿勢だ。
「買い物に来たときにおまけつけるからさぁ!」
「くっ……」
貧乏人はおまけに弱いと相場が……決まっているかどうかは知らないが、私は弱い。
一瞬躊躇した私を見て、パン屋の爽やかそうなおじさんが紙袋を差し出してくる。いい匂いがするが、これは……。
「余り物だけどパンも毎日取りに来ていいから!」
「み、皆さん必死ですね……」
「必死にもなるよ。毎回毎回、侯爵と二人で街を破壊するんだから」
やっぱりユージーンが嫌われる理由はこれだったか。一度や二度ならいざ知らず、毎回となると私でも嫌だ。
「王女様、君のこと気に入っていたみたいだし、なんかいい具合に話して、いい感じに街を壊さないように言って、ついでに不景気もどうにかしてもらえないか頼んでもらえないかな」
「要求がわりと大きいですけど。私、王女様と初対面なんですが」
いきなりそんなことまで突っ込めるはずがない。
でも、いまにも足元に泣きついてきそうな街の人たちを見ていると、気の毒でならなかった。きっとささやかに、毎日を精一杯生きているはずなのだ。それが、身分の高い人たちの手によって破壊されていくのは耐えがたい。
こめかみに人差し指を当てて「うむむぅ……」と唸る。
どうしようか。引き受ける? ユージーンの株もちょっぴり上がったりする?
「侯爵様が来てもたまにしか邪険にしないからさぁ!」
吹き出してしまった。邪険にされる侯爵ってどうなの。
「……わかりました。お役に立てるかわかりませんが、皆さんのお力になれるよう精一杯努力してみます!」
自分の胸をぽんと叩いて請け負った。
彼らの望みは王女との約束を反故にしないことだ。つまり、明日王宮へ行けばとりあえずの目的は達成される。
それに、悪い人じゃないかもしれない。たとえ中身が夢魔でも。
「よろしくねぇ!」そう言われたときのみんなの顔がキラキラしていたので、期待は大きいがいい役目を引き受けられたと思う。それに、ユージーンについてきてもらうことだってできるかもしれない。いや、ついてきてもらおう。
そう勝手に決意して、街のみんなと別れた。屋敷までは徒歩十分。街の入り口に停めてあったはずの馬車がなかったので、ユージーンはきっと先に帰ってしまったのだろう。
ひどいご主人様。
ちょっとむくれながら屋敷まで戻り、玄関の扉を開いた。
「戻りましたー」
屋敷はしんと静まり返っている。
「ユージーン?」
気配を探ってみたが、広い屋敷で人の気配を探ろうというのがそもそも無理なのだ。ならば、探しに行くしかない。
昨夜は玄関で抱き枕にされてしまったので部屋の案内は受けていないし、彼がどの部屋を使っているのか見当もつかないけれど。
幸い、屋敷の明かりは灯されているので視界が悪くて見えないということはない。
ならば片っ端から開いていくしかないだろう。屋敷をじっくりと見て回るいい機会だ。
まずは玄関正面にある階段を上って左手通路に向かう。飴色の扉がみっつ。そのすべてをノックしてはしばらく待ち、無反応ならばドアノブをガタガタと回したり押したり引いたりしてみた。全部はずれだったので、今度は階段右側の通路に向かう。
こちらにも部屋はみっつあるようだ。先ほどと同じく一人でガタガタガンガンやってみたが、どこからも反応はなかったし人の気配さえなかった。
次は階段を下りて一階を見て回る。玄関を背にして左側がキッチンやランドリーといった日常のスペース。ユージーンがそこにいるとは思えなかったが、とりあえず覗いておく。やっぱりいない。
屋敷の右側へ向かって応接室を覗く。今朝入った部屋なので、ここだけはわかる。
「ユージーン? いないんですか? いないなら返事をしてくれないとわかりませんよ」
無茶なことを言っているな、と自分でも思いつつ、帰っていないらしい主人の安否が少し気になった。
どこかで溶けた? もしかして徒歩十分の距離で迷子? 血を吸いに行っちゃった? 倒れてるのかな。また踏まれてるかも。
「うぅん……」
顎に手を当ててあれこれ可能性を考えた。
吸血鬼なのだから、やっぱり無理をしてはいけないのだ。どこかでお祓いされている可能性もある。
「ん? ……また?」
考えが行き詰まったあたりで、自分のおかしな思考に気づいて首をひねった。
私と彼が出会ってからまだ一日くらいだが、目の前で倒れたことはあっても、踏まれていたことはないはずだ。それなのにまた、って。
「街のお掃除を頑張ったから疲れちゃったのかな」
広い王都で半日ゴミ拾いをして、被害に遭ったお店の陳列をすべて手伝い、樽を担いでおよそ女性が出さないだろう雄叫びを上げながら走り回った。昨夜からこんなことばかりだ。
「あっ。吸血鬼といえば地下室に棺桶のベッドで眠るのが相場よね。きっとどこかに地下室への通路が……」
エントランスまで戻ってきたあたりでぽんと手を打った。地下室の可能性は思いつかなかった。
となれば床下に階段があるのかも、とその場にしゃがみ込んで絨毯をペタペタ手で探ってみる。
「荷物で抱き枕になったあとは絨毯になりたいのか? 踏むぞ」
「踏まないで!」
反射的に返事をして、声の主を見上げた。
両手いっぱいに花を抱えたユージーンが立っている。
「どうしたんですか、それ!」
「お前、花がほしいと言っていただろ。店にあるものを全部買ってきた」
「わああっ! ありがとうございます!」
彼の手から花を受け取ろうとすると、ひょいと身を躱《かわ》されてしまった。
「あれ?」
「待ってたんだがな」
「? えっ?」
「西日がきつくなったから物陰にいた俺も悪いが、完璧に置き去りにされた」
嘘。ずっと待ってたの?
先に帰るなんてひどい雇い主だとちょっと思ったけど、貴族なんてそういうものだろうとも思っていた。なのに、私が置いて帰っちゃったなんて。
「だ、だって、馬車なかった!」
「先に帰らせたんだ。仕事が遅くなっては気の毒だろう」
「だったら声を掛けてくれればよかったんですよ!」
「住民たちに囲まれてるお前にか? 楽しそうな空気に水を差すのも悪いだろ」
「そういう気遣いはしなくて大丈夫ですよ! 私はここで雇われてるんですから! もう!」
足をダムダムと踏み鳴らす。
ユージーンは変なところで気を遣う。そのくせ、人を荷物だの抱き枕だのと言っても平気なのだ。気遣う場所がおかしい。
ぷうっと頬を膨らませると、彼は呆れたような、少し困ったような顔をして花を床に置くと、私に手を伸ばす。そして、膨らんだ頬をつんと突かれた。
「お前はずっと子どもだな」
その瞬間に見た彼の笑顔は、本当に少年のようで目が離せなくなる。
じっと彼を見つめていると目が合って、また微笑みかけられた。
「どうした、エリーシャ?」
ただ呆然と見つめる。返事をすることも、息をすることもきっと忘れてしまっていた。だからだと思う。
彼が身を屈めて顔を近づけてきたことにも気づかなかった。
影が落ちて、引き寄せられるように顔を上げると柔らかな感触が唇を掠める。
ちゅっとキスをされ、感触が離れていく。唇には自分とは違う体温の感触が残された。
「エリーシャ、これを」
「え……?」
バラの花束を渡される。それを無意識に受け取りながら、彼の動きを目で追いかけた。
「残りの花はどうするのがいい?」
「わ、私がやります……」
「そうか。なら頼んだ。部屋にいるから、片付いたら来い。二階の一番右だ」
「はい……」
頭を一度撫でられたあと、彼が階段を上っていく。その背中を目で追いかけて、彼が部屋へ入っていくまで見送ったあと。
「……?」
首を傾げた。いま、なにが起こったのだろうか。
唇にそっと手を当てて、ボッと顔が燃えるような感覚がした。というか、たぶん頭のてっぺんから湯気を吹いててもおかしくないくらい顔に血が上っている。
「な、な……っ、なぁ!?」
キスされた! 人生ではじめてのキス! なんでキス!?
胸の内で一人絶叫した。そして、手元にあるバラの花束を見る。
「一、二、三……」
数えてみると、十二本。
「十二本!? 意味わかってる!?」
これでも花屋で働いていたのだ。十二本のバラが意味するところなんて、嫌というほどわかっている。多くの場合、それは求婚に使われてきた。
きっ、気が早くない!? まだお付き合いもしてないのに。
ぎゅうっとバラの花束を抱きしめる。熱くなる顔をどうにかしたい。これじゃあ、喜んでるみたいだ。でも。
「……お店にある花を全部買ったって言ってたっけ……」
たまたまバラが十二本あっただけかもしれないし、バラは売り物の中でもかなり高価なものなので、床に置きっぱなしにされるのを彼が気にして手渡したのかもしれない。
ただ、それだけのことかもしれないのだ。むしろ、ユージーンならそういう可能性のほうが高そうだ。
「私だけ意識して恥ずかしい……」
つまりこれは。
「私、ユージーンに一目惚れでもしちゃったのかな……」
顔がいいって本当にずるい。それだけで魅力的なんだもん。それなのに、意外と人懐こい性格なのか、妙にじゃれついてくるし。
「そういえば……」
彼はなんだか私を前から知っているようなことをまた言った。
「……どうしてこんなことを言っちゃうのかな」
あなたも、私も。
ユージーンが買って帰ってきた花を水揚げしたあと、どうしようかと悩んだ。花瓶なんてこの屋敷にあるかしら、と首をひねりながら、先ほど彼を探していたときに見かけた物置らしき場所を思い出したのだ。
裏口から出てすぐの場所にある、離れか物置だと思う。
そこへ向かってみると、やはり使われていないだろうものが積み上げられていた。長く使われていないのか、埃を被っているものばかりだったが、それらをひとつひとつどけていくと、花瓶がたくさん出てきたのだ。
この屋敷にも、花を飾っていた日があったのだろう。
そんなことを思って、昔を想像してみる。でも、軽い頭痛がして考えるのをやめた。
いままでも季節の変わり目になると頭が痛むことがあった。きっとそれに違いない。
そう結論づけて、花瓶を腕と手で抱える。四つが限界だったが、何度か往復して持ち運んだ。
裏口には馬屋があり、近くには馬の世話をするための水場もあった。そこで花を生けて、玄関からエントランス、二階へ続く階段と花を置いていく。
ちょっと薄暗い屋敷だが、花の彩りがあれば華やいで見えるものだ。
「やっぱりお花は素敵よね」
不景気で売れなくなってしまった花。仕入れても、買ってもらえなくて処分することが多くて、お店は結局赤字になってしまう。そうして店を閉める店主が多かった。
昼間会った王女が、夢魔に乗っ取られているから不景気が進んだとユージーンは言っていた。明日会ったら、彼女とそういったことを話せるだろうか。みんなが苦しんでいると伝えたなら、なにか変えられるかな。
最後の花瓶を飾り終え、私は二階の右奥の部屋へ向かった。
「ユージーン。片付けが終わりました」
扉を叩くと、奥から入室を促す声が聞こえる。部屋へ入っていくと、一人掛けのソファに座ったユージーンが手招きする。
「全部飾ったのか?」
「はい。物置に花瓶がたくさんありました」
「そうか」
さらに手招きをされ、彼に近づく。膝の上には本が置かれていた。
「読書中でしたか?」
「夢魔祓いの方法を調べていた」
「……昼間会った……?」
彼が頷く。
「俺はある祓魔師に師事している。王宮が依頼を出した祓魔師というのが俺の師だ。先生は俺に祓うように言ったんだが、一向に祓えない。しかも女王の身体から追い出すことも難しいときた。なにかいい方法があればと思っているんだがな」
「……悪魔が祓魔術《ふつまじゅつ》を?」
「そうだが?」
「もしや、セルフお祓い?」
なんて矛盾! とげっそりすると、彼が声を立てて笑う。
「なるほど、お前には俺が自分で自分を祓う暴挙に出ているように見えるわけか」
「悪魔が祓魔師に師事している時点で、もはや成敗される気でしょ」
「いまの時代、悪魔も祓魔術もさほど力を持っていない。ああいうものは信心と恐怖によって成り立っている」
はるか昔、悪魔が絶大な力を持っていた時代があった。そのころは、いわゆる怪奇現象はすべて悪魔が引き起こしているとされていて、人間の心に強い恐怖心が芽生えていた。その恐怖心こそが、悪魔を強くする根源。悪魔という存在を信じ、恐れているからこそ彼らは強くなる。祓魔術もそうだ。それらに縋《すが》ることで悪魔を祓っていた。だから祓魔師という職業が聖職者から派生し、生業とできていたのだ。
しかし、あらゆるものが解明され始めた昨今では、悪魔などいないと信じる人が多くなった。そうなると、信心と恐怖によって成立していた彼らは力をなくしてしまう。
多くいた悪魔たちは力を失ったことによって命を落とし、種が繁栄できなくなった。だから彼らは人間の振りをして、人間と交わって種族を繋ぐ道を選んだ。
ユージーンが日中、平気な顔をして街中を歩いていられるのはそのため。もはや悪魔の力はほとんどなく、人と変わらない。けれど、たしかに悪魔である証明もある。
彼の中に存在する、悪魔としての衝動だ。
それがある限り、彼は人間ではない。人間よりも鋭い犬歯を持つのも、そんな影響なのだと彼は言った。
「悪魔には銀の弾丸が効果的であることは知られていることだが、火器技術の発展によって、殺傷能力と祓魔能力のバランスが取れなくなっている。いまのまま、王女に銃を向ければ夢魔は追い出せるかもしれないが、王女の命も奪いかねない」
「それはだめね……」
「俺も人殺しがしたいわけじゃないからな。祓魔術は衰退し、研究もされなくなって久しい。いまの時代に合わせていくためにはもう少し時間がかかりそうだ」
彼は彼なりに、人を救おうとしてくれている。悪魔なのに。
悪い人じゃないのよね。私を荷物扱いするだけで。
クスッと笑ったあと、すぐに面白くなくなってぷうっと頬を膨らませた。なんで私が荷物扱いなのよ。
「おい、百面相」
「だれが百面相よ!」
「いいから、ここへ座れ」
ユージーンが自分の膝を叩く。
「な、なんで膝の上……」
「夜伽の時間だ」
「夜伽とか言わないで!」
手を取られて引かれる。体勢を崩すと、彼の腕にぎゅっと抱きしめられた。
「……ちょ、ちょっと……」
心臓がバクバクと早くなっていく。さっきキスなんてされたせいだ。だから、彼を意識してしまう。
ぎゅうっと抱き込まれ、抵抗も虚しく彼の膝に乗せられる。
首筋に吐息が触れてぞくりと身を震わせた。
「お前の首は細いな」
髪をさらりと払われ、ちゅっと首を吸われる。
「んっ……」
「うっかり強くしたら、噛み千切ってしまいそうだ」
ねっとりと首を舐められ、ちゅ、ちゅっと肌を吸い上げられた。
「……強く噛まれたら、やっぱり死んじゃう?」
「首を噛ませる意味をもう少し考えろ。お前の命はいま、俺の手の中にある」
血の気がさあっと引いていく。やっぱり彼が強く噛んだら、私は死んじゃうんだ……。
「あ、あの……お手柔らかに……」
「だからあの日は腕を噛んだだろうが」
肌に歯が立てられる。
「え……」
つぷりと皮膚を引き裂く感触がして、反射的に身体をよじった。
「んあ……っ」
ドクドクと脈打つ感覚が鮮明に伝わってくる。ぬるりと流れていく感覚を覚えながら、すぐ傍でジュルリと音を立てて血を吸われた。
「あっ……」
身体が熱くなっていく。頭がくらくらして、意識が落ちそうだ。
「あぁ……っ、んっ……」
「ここでお前が意識を手放したら、うっかり深く噛むかもな……」
「それは、だめ。朝起きて死体が転がってたらユージーンも嫌でしょ」
「嫌だな。お前は大事にしてやる。最近は珍しくなった処女だしな」
「また処女って言う……」
気にしてるのに! 気にしてるのにぃ!
「別にいいだろ。快楽は教えてやる。……そろそろ熱くなってきたか?」
身体をそろりと弄られた。
「んっ、あっ……」
服の上から脇腹を撫でられるだけで身体がびくりと反応してしまう。これが、催淫効果……というやつなのだろうか。
「悪くない。もっと快楽に身を委ねろ。男を知らない女の快楽は最高の味になる」
歯を立てられた場所から熱が広がっていく。じわじわと侵食して、肌に触れる服や空気の感触に身震いした。
「はぁ……っ、んっ……」
「我慢するな。……落ちてしまえばいい」
それはきっと、悪魔の囁きというのだろう。
甘く、熱を帯びて耳元に落とされた声に目の前が真っ白になった。なにかの糸がぷつりと切れてしまったような恐怖と高揚感に心臓がバクバクと早くなっていく。
彼の手が胸の膨らみにあてがわれる。そのまま形を潰すように揉まれると、身体がびくびくと小さく震えた。
「あ、あっ……」
「まだ足りないか?」
くすっと笑みを零す彼は、きっと機嫌がいい。
その表情を見てみたくて目を向ければ、彼の青い瞳と視線が絡んだ。見つめ合ったのは、ほんの一瞬。すぐに逸らされた。
「ユージーン……」
「そんなに潤んだ目で俺を見て、それでもまだ快楽に落ちないんだな……」
唇を塞がれる。柔らかく啄《ついば》まれたと思ったら、口の端からなにかがつっと零れた。
「悪い。切れた」
彼の指が私の唇をぐいと拭う。
ああ……犬歯が邪魔なんだ……。
日中は、間違いなくそんなものはなかったのに、いまは彼の口元に、鋭く伸びた犬歯が覗く。
「それ、引っ込めればいいのに」
「変幻自在だとでも思ってるのか」
「昼間はなかったじゃない」
「夜は俺たち悪魔の時間だ。いくらその血が薄くなって力をなくしたと言っても、な」
ワンピースのファスナーが下ろされる。緩んだ隙間から手が差し入れられると、するりと服を剥ぎ取られた。
「こ、こんなこと……するの……?」
「夜伽だからな」
「ま、まだ……身体のお付き合いはちょっと……」
「言ったはずだ。お前の純潔は守ってやると」
「貴重な処女ですしね……」
しゅんと肩を落とす。二十二年生きているのに、恋とは無縁の自分が悲しい。
「……いまからお前がどれほど乱れたとしても、それは悪魔の仕業だ」
「?」
身体がふわりと浮く。彼に抱き上げられたのだと気づいたときには、もう暴れるのも怖い高さに持ち上げられていて、ユージーンの首筋にしがみついた。
ぎゅっと一度強く抱きしめられたあと、彼は私をベッドへと運ぶ。おそらく彼がいつも眠っているだろう場所に横たえられると、そのままユージーンが覆い被さった。
「エリーシャ。ずっとお前を待っていたよ」
「え……?」
優しげに笑う彼を見上げたが、すぐに首筋に顔を伏せられる。そして、わかりやすいくらいがぶっと噛みつかれた。
「っあ、……あぁっ……」
奇妙な感覚だ。
皮膚を裂いてなにかが入ってくる感覚がわかる。いままでは針で刺されたような感覚だったのに、これは確実に噛まれているのだと理解できてしまう。それなのに痛みがないことが不思議だ。
「ユージーン……深……っあ、あ……」
彼の身体をぐいと押し返してみるがびくともしない。
ジュッと血を啜られるたびに頭がふわふわとして、力が抜けていく。彼を押し返していた腕にも力が入らなくなって、くたりとベッドへ投げ出すと、ようやく彼が顔を上げる。
「いい顔だな」
そう言って笑う彼はやっぱり機嫌がよさそうで、そして少し暗い影を落とした。
頬を撫でられたあと、彼の手がそのまま首筋へと滑る。そして、乳房に触れると、胸先の飾りをきゅっと摘ままれた。
「っあ、ああっ……んっ……」
ビリビリと、電流が走るような感覚に身体を反らせる。
「ユージーン……これ、なんかやだ……」
こりこりと肉粒を捏ねられるたび、身体の奥が熱くなる。そしてその熱は、脚の間をひどく疼かせた。
もじもじと膝をすり合わせてみても、その疼きが消えるわけではなく、どうしていいかわからない。
「嫌? どんなふうに?」
「え……どんなって……」
「言ってみろ」
そっと顎に手を添えて目を合わせられる。
「……な、なんか……変な感じ……」
「漠然としすぎてわからないな」
的確に表現できる語彙《ごい》も、経験もないのだからこれが限界だ。
どうしたものかと思考を巡らせていると、彼が胸元に顔を伏せた。舌先が、肉粒をぺろりと舐める。
「ふっ……あ、あっん……」
「いけそうだな……」
ゆっくりと、先端が口内に含まれた。
「んんっ……あ、あ、っ……ん」
こりこりと舌先で硬くしこる粒を捏ねられると、それに呼応するように身体がびくんと跳ね上がる。
「やっ……、あ、んっ……やだぁ……、これ、恥ずかし……」
逃げるように身をよじると、彼の手に強く掴まれた。
「あまり動くと余計なところにも噛み跡が残るぞ」
「ふ……ぅ……」
ちゅうっと肉粒を吸われ、ぶるぶると身体が震える。疼くほどの熱を与えられるのに、動きを制限されて快感が増していく。
「あっ……あ、んっ……」
むずむずと脚の間が焦れて、膝を擦り合わせた。
「こっちか……?」
ユージーンが顔を上げて、下肢へと目を移す。手が膝に掛けられると内腿を撫でて脚を左右に割った。
「っ……、や、恥ずかしい……って……」
「もっとも手っ取り早く快楽に溺れられる。俺も、お前もな」
彼の指が下着越しに秘裂をなぞる。
「……んっ……」
「こんなに濡らして……効きすぎたか?」
ふっと笑みを零す彼に首を傾げる。
「わからないか?」
「う、うん……」
いまいち言っている意味が理解できなかったが、彼の指が下着の隙間を縫って差し入れられた瞬間、状況がようやくわかった。
「あ……、あ、違……」
ぬるりと彼の指が滑る。ぬちゅぬちゅと大きく水音を立て、下着がぐっしょりと濡れていることに気づいた。
「お前は、自分が思っているより感じてるってことだ」
愛液の溢れる秘裂が指で割られる。ぬるぬると滑らされて肉芽を捉えられると、身体が大きく仰け反った。
「ああぁっ……!」
敏感に膨らむ芯を捏ねられ、腰が浮き上がる。彼の指の動きに、無意識に動かすようにびくびくと震えて揺れてしまう。
「あ……っは、んっ……あ、やっ……」
「嫌? 腰を揺らしているのはお前だろうに」
自ら刺激を受けようと腰を揺らしていると気づかされ、首を左右に振った。
「ち、違う……の……」
「そうだ。これは俺がそう仕向けていること。お前の意思じゃない」
ユージーンが首筋に顔を埋める。そして、また皮膚をつぷりと食い破られた。
「んあっ……、あ、んんっ……」
「お前はなにも悪くない。だから、狂うくらい乱れていればいい」
ぬちゅぬちゅと蜜口を弄ったあと、ぐっと彼の指が押し込まれてくる。
「んああっ……あ、あっ……」
体内に沈められる異物感に、反射的に彼の身体を押し返す。けれど、その手はあっけなく握られて、手のひらに口付けられた。
「痛くないだろう?」
「ふ……ぅ……あ、んっ……あぁっ……」
眦から涙がぽろぽろと零れる。
彼の言うように、痛みはないが圧迫感で苦しい。
「苦し……、っん……あっ……」
「すぐによくなる」
押し入れられた指が膣内を弄った。ぐちゅぐちゅと音を立てて掻き回され、膣壁を内側から押し上げられる。
「っあ……あぁっ……」
また身体を仰け反らせると、ユージーンの腕がぎゅっと私の身体を強く抱き寄せた。
「エリーシャ……」
熱っぽい声が私を呼ぶ。その声の甘さに、身体がぞくぞくと疼いた。
「んっ……、あ……っ」
「お前の快感をもっと引きずり出してやる……」
ちゅっと耳にキスをされたあと、さらに蜜口から指をもう一本押し込まれる。
「やっ……あ、あっ……んっぅ……」
隘路を開かれ、圧迫感が増す。普通ならば痛くて耐えられないだろうに、私の身体は甘い快楽を容易に捕まえてしまった。
「あぁっ……」
内壁を探るように擦られる。そうして、ある場所を擦られた瞬間、目の前が光を放ったように真っ白になった。
「ああっ! あ、はっ……んあっ……あ……っ」
がくがくと身体が震えて止まらない。手足が自分の感覚から切り離されたようで怖かった。
「あっ……ユージーン……、あ、んっあ……」
かろうじて動きそうな手を伸ばして、彼の服をきゅっと掴む。そうでもしないと正気が保てそうになかった。
「……お前は可愛いな」
「え……、あ、あぁっ、んっふ……」
弱い場所を執拗に擦られる。シーツを波打たせながら足を藻掻かせ、刺激から逃れようとしたが、彼の手に引き寄せられてしまった。
「逃げるな。そのまま、達してしまえ」
首筋に吸い付かれる。また噛まれると緊張したが、ねっとりとした感触が肌を這うだけだった。
「あ、んっ……」
そのまま肌を舐められ、ゆっくりと下っていく。胸先を舌が掠めると、魚のように身体が跳ね上がった。
「あぁぁ……っ」
膣壁が擦られ、全身の感覚が鋭くなっていく。ふっと彼が吐息を漏らすだけで、触れた肌が熱く疼いてしまう。
「あ……だめ……や、やだ……」
じわじわと追い詰められていくような気がして、ユージーンの身体を押し返した。それでも、彼は優しく私を抱きしめる。
「大丈夫だ。すべて俺に見せてしまえばいい」
ぐっと強く内側を押し上げられた瞬間、迫る快感が全身を駆け抜けた。
「っ……あ、あ、あぁ……っん!」
がたがたと痙攣して震える肢体と、ふわふわと浮かぶような感覚に意識が朦朧とする。なにか、山をひとつ越えたような不思議な気分だ。
追い詰められている瞬間は怖かったのに、いまはもう……。
「エリーシャ」
すり寄るように首元に顔を埋めた彼が、ちゅうっと肌を吸い上げた。それが、血を吸う行為だということはもう理解できる。でも、なんだか複雑だ。
やっぱり、血を美味しくするためだけにこういうことをしてる……のよね……。
ユージーンが顔を上げるのを待って、ちょっと不貞腐れながら彼の胸元にすり寄った。
「どうした?」
「こんなことされて、まともに顔なんて見られないんですよ……っ」
嘘ではないけど、完璧な本音でもない。
だって、彼の嗜好の一部だなんて思いたくないもの。
ぐりぐりと頭を押しつけていると、彼が笑って私の頭を撫でてくれた。
「お前の純潔を散らせないのは、本当に惜しいな」
「え……?」
顔を上げると、彼は自分の指を舐めている。
「まっ……、ま、……まぁ!?」
「なんだ? お前、とうとう言語能力が死滅したか?」
だって、その指はついさっきまで、あれでそれだったわけでしょ。それを、なんで舐め……舐め……。
恥ずかしすぎて両手で顔を覆ったあと、ベッドの上でじたばたと転がった。
「エリーシャ。腹が減った」
「……食事を用意します……」
「これでいい」
そう言って、ユージーンが私に覆い被さってくる。そしてまた、首筋をがぶりと噛むのだ。
私の首、絶対人には見せられない……。どうなってるんだろう。
凄惨なありさまではありませんように。せめてキスマークみたいな感じになっていますように。
そんなことを考えながら、彼の髪を指に絡めながら頭を撫でた。
「?」
首をひねった。
彼が覆い被さってくることは別にかまわないというか、程良い重みはけっこう安心できるな、なんて思っていたのだけれど。
……ん?
なんだか、お腹のあたりに妙に硬いものが押し当てられているような。
「……?」
疑問符は浮かび続けたが、彼がのろのろと身体を起こしたのでそこでおしまいとなった。
「風呂に入ってくる」
「はい。……あ、着替えは……」
「不要だ。お前は休んでいろ」
それだけのやり取りを交わして、彼は部屋の奥へと姿を消す。
そして。
「やっぱりいまなにか当たってたよね!?」
現実から目を逸らすことができなくて、ベッドの上でまたじたばたと転がった。
二
翌朝、むくりとベッドの上で目を覚ました私は、状況の把握に努めた。
隣を見ると、ユージーンがいる。しっかり寝巻きを着て、なんならナイトキャップまで被っている。
「ナイトキャップを被る吸血鬼……」
ちょっと可愛いぞ、なんて思いながら彼の頭を撫でた。が、自分が素っ裸であることに気づいて膝を抱える。
服、着せてほしかった。
いつ眠ってしまったのだろうか。ユージーンがお風呂に入ったところまでは覚えているのだけれど、そのあと……。
思い出して、ボッと顔が熱くなった。
そうだ。あんなことやこんなことがあって、ベッドの上でジタバタ転がっている間に眠ってしまったのだ。
「そんなことある?」
私の馬鹿。
お風呂から戻ってきたユージーンは、どんな気持ちで私を見下ろしていたのだろうか。
「なんか、すっごい渋い顔して見てそう……」
想像するだけでげっそりする。彼のことだから、ひょいと荷物みたいに担ぎ上げて、ぽいっと放り出したのかもしれない。
まあ、ベッドのど真ん中を占拠していたら仕方ないことだけど。
そんなふうに雑に扱うんだろうなと思うのに、ベッドからは追い出さないでいてくれたことを喜んでしまう。
もしも……。
もしも、彼が吸血鬼でなければ、あのまま抱いてくれたのだろうか。それとも、やっぱり身体にさえ興味がないかな。
規則正しく寝息を立てる彼に顔を寄せる。
「必要なのは処女だから……?」
その血が好きだから私を雇ってくれたのだろうか。都合良く満たせるから。
嗜好を最大限楽しむために、私にあんなことをするのだろうか。
「私は……」
顔をさらに寄せて、ちゅっと唇を触れ合わせた。
そして、我に返って後ずさり、ベッドから落ちてしまった。
「いったぁ……」
天井を見上げて、一目惚れって怖いなと噛みしめる。顔がいいって本当に罪。
のろのろと起き上がり、床に落ちていた服を拾って袖を通した。そして、またベッドに戻ってユージーンを揺する。
「起きてください。お屋敷のこと、ろくに聞いてないのでなにもできません」
ゆさゆさと揺すってみるが、彼はぴくりとも動かない。
「ねえ、ユージーン……ご飯にしませんか」
ちょっぴりお腹が減った。彼もお腹が空いていたはずだ。でも、やっぱり睫毛《まつげ》さえ動かない。
「……こうなったら……」
とんだ茶番だが、やるしかない。すうっと息を吸い込む。
「起きてー旦那様ー」
これで起きたらむしろすごいな、と思ったが、彼がクスクスと笑い出した。
「なっ!」
「どうするのかと思っていたが、契約には忠実だな」
「お、起きてたんですか!? いつから!?」
「お前が不貞腐れたように起き上がったあたりから」
最初からじゃん! と思いながら彼の腕をペしペし叩く。
「寝起きのキスも悪くない」
「んなぁ!」
そうだった、そうだった!
じゃあ、あのあたりの会話も聞かれて……。
青ざめながら彼を見ると、起き上がってナイトキャップを外しながらこちらに目を向けてくる。そして、ぎゅっと抱きしめられた。
「おはよう、処女」
「また処女って言う!」
「褒め言葉だ。男を知らない女に快楽を教え込んで、最高の生き血を啜る――」
「表現が怖いです!」
生き血を啜るって。阿鼻叫喚の世界じゃない。
「それよりユージーン。お風呂をお借りしたいです。今日は王女様と会う約束をしているので」
「エイラと? 会いに行くのか?」
「はい。まがりなりにも王女様です。ご機嫌を損ねて暴挙が進むのも困るし、話し合えばわかってくれるかもしれません。あと、街の人からお願いもされました」
「お人好しか。そんなに聞き分けのいいやつだとは思えないがな。ずっと追い回されている身としては、早く祓いたい」
二百年だっけ。あの夢魔、本当に執念深い。でも、それだけユージーンを好きってことなんじゃ?
「彼女は、ユージーンに振り向いてほしいだけかもしれませんよ?」
「興味がない。夢魔と吸血鬼なんて最悪の相性だ。ベッドでもどうせ合わない」
「……王女様と相性が良かったら誘うの? 王女様なら、そのまま続けちゃうの……?」
ベッドの上で正座して、スカートをぎゅっと握り締めた。
「うん?」
「王女様となら、最後までしちゃう……?」
「さあな。そもそも――」
ばふっと枕を投げつけた。そこは、即座に否定してほしかった。嘘でもいいから、しないと言ってほしかった。
「……お前、主人に向かってこの態度か」
「だって、ユージーンがひどいこと言うから!」
「どこがひどかったのか教えろ」
「処女ならだれでもいいんでしょ。わかってるわよ、そんなこと」
「別にそうは言って――」
「でも、嘘のひとつくらいついてくれたっていいじゃない」
「……お前、なにをそんなにカリカリしてる?」
「知らないわよ」
自分でもわからない。
だけど、ユージーンがほかの人にもあんなことをするのかなと思ったら、とても腹が立つのだ。
「……お風呂、お借りします! あと、生意気な態度取ってごめんなさい!」
全然謝る態度じゃなかったけど、どうしようもなく面白くない。
ベッドを降りてドカドカと床を踏み鳴らしながら、昨夜ユージーンが入っていった扉を開ける。お風呂がなかったらどうしようかと思ったが、幸いにもちゃんと浴室があったので服を脱いで入り、頭からザブザブと水を被った。ちょっと冷たい。
だけど、その冷たさが頭を冷やしてくれた。
いくらなんでもあの態度はない。あとでちゃんとユージーンに謝ろう。
そう思って浴室を出た。手近にあったタオルで身体を拭いて服を着たあと、寝室に戻るとユージーンが身支度を整えている。
「あ、あの。ユージーン」
「少し出てくる」
「え?」
「いままで旅に出ていた師が、ようやく戻ってきた。数日前から約束をしていたから、俺はそちらを優先する。お前はエイラに会いに行くんだろう?」
黒いハイネックシャツにジャケットを合わせ、その上からケープを羽織る姿を見つめながら、また「え?」と首を傾げた。
「違うのか?」
「行きます……けど……」
ユージーンにも一緒にきてもらうつもりだった。でも、彼には彼の都合がある。そんなの、当たり前だ。だけど。
一緒にいたかった……。
しゅんと肩を落として、なにか言わなければとごにょごにょ口ごもっていると、頭をよしよしと撫でられた。
「俺はエイラと親しくなるつもりなど微塵もないが、お前のように歩み寄るような付き合い方をすればなにかが変わるのかもしれないな」
「……うん」
「馬車は置いていくから使え」
「それだとユージーンが困るんじゃ……?」
「辻馬車があるからいい。気をつけていってこい」
笑顔を見せてくれる彼に、きゅうっと胸が疼く。
笑いかけてくれたから? 少しでも優しくしてもらえたから?
理由がなんであったとしても、私は彼に近づかれると嬉しいらしい。
「あ、あのね……さっきはごめんなさい」
「なにか気に障ったんだろう。まあ、もう少し配慮のある言い方をする。処女はやめておくか」
「それもだけど、そこじゃない……」
嫉妬していたなんて言えるわけがない。まだ出会って二日。嫉妬するほどの間柄じゃないもの。一目惚れしてしまった私がいけない。
むぐむぐとやり場のない感情を飲み込んでいると、ユージーンが私の頭をまたぽふぽふと撫でた。
「エリーシャ、これを。昨日目について買ったんだ」
「?」
彼の手元を見ると、首飾りらしきものを持っている。金の土台に、琥珀色の石がついた、しっかりとしたデザインのものだ。
「首元が見えすぎているのが気になっていた。なにより、その首で外を出歩くわけにもいかないだろ」
彼が笑いながら顔を寄せ、そろりと私の首筋を撫でた。
「……跡、やっぱり残ってる?」
「浅い噛み跡ならさほど残らないんだけどな。少し深く噛みすぎたようだ」
やっぱり深かったんだ。噛まれてる感覚、すごいしたもんなぁ……とちょっと遠くを見つめていると、首筋に冷たい感触が触れた。
「もう少し加減をしていただけると助かります」
「断る。お前の血を前にして、自制などできるか」
即答で断るとか、なくない?
むうっと拗ねながら彼を見上げると、ちゅっとキスをされた。
「……! だ、だから、なんでキスするのよ!」
「いけないか? ご主人様が所望しているが?」
ぎゅうっと手を握り締めて拳を作る。この人、自分が所望すればなんでも叶うと思ってる!
「私のファーストキスをしれっと奪っておいて……」
「この程度でキャンキャン噛みつかれるのもかなわん」
「そうよ。もうしない、で――」
くいと顎を掴まれると、顔が寄せられる。吐息が触れそうなほどの距離まで近づかれると、またキスをされるとぎゅっと目を瞑った。
「嫌がることが愚かしいと、存分に教えることにする」
「え……」
「それじゃあな。日が落ちるまでには戻ってこい」
額にキスを一度されたあと、彼は部屋を出ていった。
「い、いやいやいやいや……」
キスをやめるって流れじゃなかった? 存分に教えるってなに?
「もぉぉ! そっちじゃないでしょ、ユージーンのばかぁ!」
その場で地団駄を踏んで、前向きなご主人様に頭を抱えた。
ユージーンが出掛けたのを見送ったあと、私は昨夜もらったバラの花束から数本を抜き取った。王女様に会うために王宮へ行くのでおしゃれをしようと思ったのも理由だったが、ユージーンのことをちょっとでも近くに感じていたかった。
だから、胸元と腰元に飾ってみる。
「ダズンローズなんて……絶対意味わかってないでしょ、あの人」
そんなことをぶつくさと零しながら、でも少しくらいは期待をしているのだ。もしかしたら、なんて。
昨日今日会った、小娘だの荷物だの絨毯だのと言う相手に、そんなロマンチックなことをする人には思えないから、もはや私の勝手な妄想でしかないのだけれど。
「首飾り……きれい……」
鏡を見ながら、彼がつけてくれた首飾りに触れてにんまりした。
こんな顔をしているから、気色悪い笑い方だと言われるのだろうか。年頃の乙女にひどくない?
また一人でぷうっと不貞腐れて、途中で飽きてやめた。
そのあとは馬屋にいる男性に声を掛けて王宮まで送ってもらう。侯爵家の馬車は造りもやはりしっかりとしていて豪華なので道行く人にだいぶ見られたけれど、気にしないことにした。一朝一夕で、これまで彼らがしでかしてきたことを帳消しにできるはずがない。街を散々なありさまにして、ほっぽり出していたのなら嫌がられるのも当然。ゆっくりじっくり、時間を掛けてお詫びしていこう。
ユージーンの謝罪なんて、尊大で傲慢そうだけど。
想像して、うなだれながら王宮に入った馬車を降りる。そこで取り次いでもらって、王女様の部屋へと案内された。
王宮はとても贅を尽くした場所だった。
城門を抜けると、蔦薔薇のアーチが並ぶ庭園が見えていた。バラは本当に手がかかるので、庭園がどれくらい労力を掛けて造られているかが窺える。
調度も、この国のものじゃない。異国から取り寄せた贅沢品だ。
なんだか、すごく複雑。
町では王宮へ卸していた店が次々と閉店を余儀なくされていたのを知っている。王宮からの注文がなくなったので、売り上げが大きく減ってしまったかららしい。しかも、事前の通達が一切なかったというのだから、お手上げ状態だっただろう。それでもみんな頑張っていたけど、もしもこの調度のひとつでも、いつもどおりの店で発注してくれていたら、なんて思ってしまう。
でも、私がどう思ったところで国を変えられるわけでもない。だから、できることを精一杯やって毎日生きていくしかないのだ。
ふかふかの絨毯を、なんともいえない気持ちで踏みしめながら案内されるまま部屋へ向かう。通されたのは、変な声が出そうなくらい豪華な部屋だった。
天井から吊り下げられたシャンデリアは一点物のオーダー品。ランプカバーにものすごく細かい細工がされているらしい。……というのは、以前働いていた花屋の近くにあった工房の職人さんから聞いた話。王宮がとんでもない調度を取り寄せたらしいと話題になった。ランプひとつで二十万ノーヴはくだらないとか。ランプを五、六、七と数えてげっそりする。
絨毯は、廊下に敷かれていたものもたいがいすごかったが、部屋のものはさらに毛足が長くて雲に乗っているのでは? と錯覚するほどふかふか。アラベスク模様がきれいだ。
ソファも机もアンティーク。百数十年前の流行が、いまの上層貴族らの流行になっているのだとかで、庶民では想像もできない金額のものばかりだと聞いたことがある。
机ひとつで百万ノーヴとか、そんなレベルだ。
これが格差。これが王宮。
軽い眩暈に額を押さえていると、ほどなくして王女がやってきた。
今日もきれいに金色の髪を巻いて、胸元がバーンと強調されたドレスを着ている。真っ赤なドレスが似合うって、ちょっと羨ましい。
「来てくれたのね。ありがとう、エリシャ」
「エリーシャです」
「あなただけ長音があるのはずるいわ」
だから好きでついてないんだってば。
「座って。いろいろとお話ししましょ。お茶を用意するわ」
ソファを勧められてコートを脱いだあと、ビクビクしながら腰を下ろした。だって、百万ノーヴを超える家具だ。座って万一壊れでもしたら、私の給金ではとても弁償できない。
「あら。素敵な首飾り」
「! 私もそう思います!」
「ユージーンからのプレゼントかしら。ふふっ、妬けちゃう」
言われてボッと顔が熱くなった。
「そんなにわかりやすかったですか?」
「うん。だって、目をキラキラさせるんだもの。好きな人からの贈り物かしらって思うわよね」
好きな人……か。会って日も経ってないのに、好きとか言っちゃっていいのかな。なんか、すごく軽い女みたいじゃない?
言葉にならない感情に首を傾げていると、目の前で美女がクスクスと笑う。
「そんなにいろんな顔しないで。笑っちゃうくらい変な顔」
「悪魔ってみんな直球過ぎません!?」
そりゃあ美人ではないけども。王女様のほうが断然美人だけども。
もう、と拗ねているとお茶とお菓子が運ばれてきた。このお茶は知っている。西方から入ってくる高級茶葉で、一度だけ味見に飲ませてもらったことがある。それ以来のファンなのだが、貧乏な私にはとても手が出せなかったものだ。
すごい……。これ、きっと新茶よね……?
まだサウラ王国では流通していないはずだ。ということは、特別なルートで取り寄せたものだろう。そして、一緒に出されたお菓子に目を向ける。見たこともないカラフルなもので、焼き菓子のようだ。こちらも甘い匂いがする。これは、バニラかな。
お茶をひとくち飲む。柔らかい甘みが口の中に広がって、花のような香りが鼻から抜けていく。
「お……おいしい……!」
「でしょ。あたしのお気に入りなの。おかわりもたくさんして」
お言葉に甘えることにして、お茶のおかわりをもらう。
「それで、変な顔の理由はなに?」
目を輝かせるエイラさんに苦笑いする。
「……いろいろ、考えちゃったんです」
「人間って不思議よね。いろんなことを悩んで、いろんなことを諦める。それで、後悔するのよ。馬鹿馬鹿しいったらないわ」
「……それは……」
そういうものじゃないのかな。考えた末に諦めるほうがいいと判断することもある。それを後悔してしまうことは少なくない。みんながみんな、思ったとおりに行動できるわけじゃないもの。
「あたしたちは快楽主義だから、悩んで後悔するとかしないのよ。ほしいものは奪う。手に入らないなら手の届くところまで行く。それのなにがだめなの?」
「それでいいこともありますけど、相手ありきの場合だとそういうわけにはいかないものですし」
「この王女様もそうだったのよ。王族って政略結婚が基本。だから彼女にも婚約者があてがわれるはずだったの。でも、好きな人がいて政略結婚はしたくなかったみたい」
貴族や王族の政略結婚は、国を守るためにも必要なことだ。それを受け入れられる人もいれば、受け入れられない人もいる。
王女様もそうだったのね……。
「そういう心の弱さや脆さって悪魔にとってはご馳走なのよね。ふふっ、つけ込んじゃった」
「……つけ込んじゃった……って……」
「いまごろこの子は、深い眠りに落ちて幸せな夢を見てるかもしれないわね。あたしはユージーンに毎日求婚できるし、ウィンウィンなわけ」
本当にそうだろうか。
眉根を寄せると、彼女がむっとした表情を作った。
「違う、って言いたそうね」
「よくわからないですけど、王女様がそうしたいと言ったんでしょうか」
「政略結婚は嫌、って泣いてたのよ。じゃああたしが変わってあげるわ、って話したの。それで、契約は成立だわ」
「王女様は、それでいいと言ったんですか?」
「どうして人間の意見を聞かないといけないのよ」
悪魔は、人の気持ちを無視して契約を強行する。弱さを見せたらそれでおしまいだ。身体を乗っ取られたり、魂を食われたりする。だから気をつけろと言われたのだ。
……だれに……言われたんだっけ。
頭がズキズキする。なにか、大事なことを忘れているような気がするのに、全然思い出せない。
「どうかしたの、エリシャ?」
ぼんやりしていたのだろう私を、エイラさんが覗き込む。
「いえ……ちょっと調子が悪いみたいで」
「ああ……、それ、たぶんユージーンのせいじゃないかしら」
「え?」
「人間にだいぶ寄ってると言っても悪魔だもの。一緒にいればただの小娘でしかないあなたは、無意識に緊張したり、悪魔の“気”にあてられたりすることもあるわよ」
だから頭が痛むのかな。なるほど、そっか……。
「そうだ。いいお茶があるわ。良かったら持って帰って飲んでみて」
そう言って、エイラさんが後ろにある棚に近づいて開ける。その中から薄紙の包みを私に差し出してくる。
「特製茶葉よ。気持ちを落ち着けて眠りやすくする効果があるの」
安眠効果は私には必要なさそうだけど。
「えっと……これはどこのお茶ですか?」
「あたしの手作りよ。いろんな茶葉を集めて、美味しいと思う配合にしてあるの」
「でもエイラさん……夢魔ですよね?」
ということは、悪魔なのだ。そんな人から簡単に受け取っていいものだろうか。
「大丈夫よ。そんなに心配なら、ユージーンに味見してもらいなさいよ。彼なら毒かどうかすぐにわかるわよ」
ちょっと機嫌を損ねそうだ。これでは街の人たちのお願いをまったく叶えられないことになる。それはまずい。
ここは、受け取るだけ受け取って、ユージーンに一度聞いてみるのがいいかもしれない。
「……わかりました。いただいていきます」
「んふっ、そうして。きっとお口に合うと思うわ」
「……ちなみにおいくらですか?」
「やだぁ。お金取ると思ってるの?」
悪魔なんだから、絶対対価を要求するでしょ。善意とか、絶対ないでしょ。
「思ってます」
「お金はいらないわ。でも、条件があるの」
ほら、やっぱり。でも、このあたりは覚悟の上だ。
「なんでしょうか……!」
「ユージーンの誘惑方法を探って」
「へ……?」
「彼の趣味嗜好、どんな下着が好きで、どんな体位が好きなのか……とかぁ!」
とかぁ! ではない。彼に、どの下着が好き? と聞けと……。どんなふうに女性と行為に及ぶのかを聞けと……!
「で、できるわけないです!」
「大丈夫、ちらっと聞くだけでいいの」
「そういうことじゃなくて……聞くの恥ずかしい……」
「大丈夫だって。セクシーな下着を着て迫れば万事オッケー。自然とわかるわ。買っただけの下着があるから持って帰る?」
「い、いえ。大丈夫です」
「えぇ? ご主人様いじめてセットとか、ご主人様いつでもいらっしゃいセットとかあるわよ?」
「そんなのいりませんってば!」
どういうものなの、それ。
ちょっと興味はあるけど、夢魔の用意する下着って絶対着けてる意味がなさそう!
「そう? 残念。でも、いろいろと聞かせてね」
つまり、またお城に来てね、ってことか。
悪い人ではないみたいだから会うこと自体は全然かまわないのだけど。次の話題の内容がなぁ……。
そういう話に全然免疫がないから恥ずかしすぎる。
「ねえねえ。ところで昨夜はどんな夜だったの!?」
「どんなもこんなも、たぶん普通だと思いますけど」
「やっぱり血を吸われると気持ちいいの!?」
「……えぇっと……」
「隠しても無駄よ。噛み跡見えてるしっ!」
「えっ……えーっと……」
苦手すぎる。婉曲せずに聞かれるからごにょごにょと口ごもってしまう。それが面白いのか、エイラさんは楽しげに笑っているので、それだけはよかったけれど。
「あたしのいまの身体も処女なんだけどな……。あなたにすればいいのかしら」
なんだか物騒なことを言われて冷や汗をかきながら、小一時間ほど彼女の話に付き合った。
エイラさんから茶葉を受け取って城を出たあと、私はまっすぐ屋敷に帰って昨日買ってもらった服を引っ張り出した。
寝巻きに、と言われて買ってもらったのは刺激的なネグリジェ……ではなく、やっぱり下着だ。
適当な部屋に入って着替えてみたが、胸も局部も全然隠れていない。
「ひぃぃ……見える……」
白いレースのあしらわれたブラとショーツ。それから、裾にレースのついた、隠す気ゼロの透けたスリップ。
清楚さを演出しているようなのに淫靡さが隠せない。どういうこと。
でも、ユージーンはこれがいいと言ったのだ。彼が選んだのだから、こういうデザインが好みなのだろう。
こんな格好で、彼に迫る? 無理無理無理。
ぶんぶんと頭を振っていると、がしっと掴まれた。
「うぎゃっ」
「なにをしてるんだ、お前は。ご主人様のお帰りだぞ」
「ご主人様って言えばいいと思ってる!」
恨みがましく頭を押さえてくる彼を振り返る。ユージーンが面白そうに私を見下ろし、そして口元を綻ばせた。
「玄関まで迎えに来なかったのは、その格好で大目に見てやろう」
「……! こ、これは……」
慌てて胸元を隠したが、透け素材のせいで身体全部がほぼ隠れていないのだ。あたふたしながらその場にしゃがみ込む。
「玄関に近い部屋で俺を誘惑する算段なんて、悪い使用人だな」
「適当に入っただけ! 悪くない!」
「誘惑しようとしたのは否定しないのか」
「する! 違う、誤解なの!」
実際は全然誤解でもなんでもないのだけど。
「そういえば、お前の部屋を用意してなかったな。ここでいいか」
「適当!」
「俺の部屋でもいいが、一人になりたいときもあるだろ」
「嬉しい配慮!」
気を遣っているのかいないのか。彼なりに、私を気遣ってくれてるのよね。
「一人にする気はないが」
「配慮の意味!」
もう、と頭を抱えていると彼が私の前にしゃがみ込む。そして、顎に手を掛けられた。
「お前は本当に喧しい娘だな。少し黙らせるか」
「え……」
一瞬で距離が詰まり、唇に体温が触れる。彼にキスをされたと気づいたときには、背に手を回されて引き寄せられていた。
「んっ……」
唇を舐められ、食まれる。その感触がくすぐったくて首をすくめると、後頭部をしっかりと押さえられた。
「ま、待って……ユージーン……」
「おとなしくキスされる気になったか?」
「い、いえ、おとなしくされてたくはないんですが――……んん……っ」
抗議すれば、彼はまた私の唇を塞ぐ。ちゅっ、ちゅっと啄んで、まるでじゃれつくようなキスを繰り返された。
「口元が切れたら痛いんですよ……っ」
「いまは問題ないだろ」
そういえば、昨夜は犬歯が当たっていたけどいまは平気だ。あれ?
不思議に思って彼の顔をじっと見つめる。
「牙がない……!」
「夜になると伸びるからな」
夜になると伸びる……。
「朝になると引っ込む?」
「引っ込むというか、伸びた分が抜ける」
「なるほど。都合のいい身体……」
でもそれも吸血鬼独特というか、納得できなくはない。アクティブ吸血鬼だもの、それくらいできたってもう驚かない。
「だが、俺の体液が催淫効果をもたらすのは朝も夜も変わらないぞ」
「え……、えっ?」
「舌を噛んだらお仕置きだ、エリーシャ」
そう言って、また唇を塞がれた。今度はぴったりと隙間なく密着させられ、ぬるりと舌が滑り込んでくる。
「ふっ……、んっ……」
口内に差し込まれた舌が生き物のように蠢く。歯列をなぞって、上顎を舐められると頭がくらくらした。
「もっとお前からも絡ませてこい。こうやって――」
舌を絡め取られ、吸い上げられる。身体が熱を持ったように熱い。奥からなにかを引きずり出されるような感じがする。
「んっふ……ぅ、んっ……」
彼の舌の動きに精一杯応えながら、知らない感覚が呼び起こされていく。
「んっ……ユージーン……、んんっ……」
胸を押し返すと、彼はそれを嫌がるように私の身体を強く引き寄せて膝に抱き上げた。
「もっとだ、エリーシャ」
頭を押さえられ、さらに深く舌が口内を侵す。息苦しくて首を振っても、がっちりと抱き込まれるばかりで身動きが余計にできなくなった。
「っ……、あ、んぅ……」
くちゅくちゅと粘った水音が耳の奥で大きく反響する。舌を吸われるたびに身体が熱くなり、痺れて力が抜けていく。
「お前はいい匂いがする」
首元に顔を埋められ、一瞬身を強張らせた。噛まれる、と思ったが、ねっとりと熱く、柔らかい感触が這うだけ。ああ、いまは噛まれないんだったと安堵したものの、彼はちゅうっと肌を吸い上げた。
「っあ……」
「疼くなら、もっとねだっていいぞ」
背中をそろりと撫でられると、全身に熱が広がるような熱さを覚えた。
「っふ……あっ……」
「今夜のお前はさぞ美味いだろうな」
スリップをめくり、肌に直接彼の手が触れる。最初は遠慮がちに触れてくれたが、私がびくりと反応を返すと気分を良くしたのか、今度は容赦なく胸をむにゅりと揉んだ。
「あっ……」
「悪くない。形も、弾力も俺好みだ」
「なに言って……」
ちらりと一瞬視線を向けられる。熱を灯し、情欲を滲ませるその瞳は、まるで飢えた獣のようだ。ぞくりと身を震わせると、彼は胸元に顔を伏せた。つっと乳房を舐められたかと思うと、ブラを押し上げてあらわにした胸先に吸い付く。
「ふ……ぁ、あっん……」
こりこりと肉粒を舌で尖らせて、味わうように食まれた。身体が灼けそうに熱い。じわじわと熱を帯びて、内側に熱が籠もってしまっているようだ。
「やっ……ユージーン……なんか、熱い……」
「もう少し堪えろ」
ちゅうっと乳首を吸い上げられると、身体が仰け反った。
「ああっ……」
中心が熱い。下腹部の、その奥がジンジンと熱を帯びていく。
「っふ……ぁ……」
「熱いのはこのあたりだろう?」
彼の手が下肢へ伸ばされ、秘部をショーツ越しに擦った。
「ひあ、あっ……」
秘裂に指を滑らされるたびにぬちゅぬちゅと音がする。また、気づかないうちにぐっしょりと濡らされているのだろう。恥ずかしい。でも、彼に触れられるのは気持ちいい。
「ユージーン……、あ、んっ……」
「直接触ってほしいか?」
昨夜の感覚が蘇る。はじめてのことばかりだったが、あの感覚は間違いなく快感と呼べるものだ。
また、それを与えてもらえるのだろうか。
こくりと頷くと、ユージーンは私の顔を見上げて優しく微笑んだ。
「『触って、ご主人様』だ」
「……やっぱりご主人様って言えばいいと思ってる……」
「言わなくてもいいが、ずっとこのままだ」
ジンジンと熱を持って疼く身体はどうにかしたい。触ったら少しはマシになるのだろうけれど、自分で触れてみる勇気はない。かといって彼に従うのも恥ずかしい。
もじもじとスリップの裾を握っていると、ユージーンが上着を脱いで床に敷いた。
「早く言え、エリーシャ」
「絶対言うと思ってる……」
「言わないのか?」
不思議そうな顔をされ、口をへの字に曲げる。どうして言わないかもしれないとか、言うことを恥ずかしがっていると思ってくれないのだろう。
「俺は、素直なお前が好きだ。拗ねても怒っても嫌いにはならないが、素直に甘えてくれれば優しくしてやらなくもない」
「どうしてそう上からなんですか」
「ご主人様だからな」
くすくすと笑って、相変わらず彼は上機嫌だ。
……ユージーンって、ご主人様って呼ばれるのが好きなのかな。
「どうするんだ?」
試すように見つめられ、目を逸らした。この人に抗いきるのは無理だ。
「……さ、触っ……て、ご主人様……」
「いい子だ。お前はそうやって素直にねだればいい」
ぐいと体重を掛けられ、床に置かれた彼の上着の上へと押し倒される。
スリップを脱がされ、ブラも外されて緊張に喉を上下させた。
「怖がるな。お前に教えるのは快楽だけだ」
それは、今日も彼は理性を保つということ。それが、絶対に振り切れないということだ。
ショーツを脱がされると、彼の手が下肢へ伸びた。内腿を撫で、ゆっくりと秘部へと上がる。そして、そろりと秘裂をなぞった。
「ん……っ」
心臓がドキドキする。触れられると身体がびくっと反応する。こんなの、恥ずかしいはずなのに期待をしてしまう。
「ユージーン……」
手を伸ばして彼の顔に触れると、キスが落とされた。瞼《まぶた》や頬に唇を押し当てられ、誘うように耳を舐められる。
「あぁっ……」
「お前は可愛いな……」
耳元に落とされる彼の声が鼓膜を震わせると、ぞくぞくと寒気にも似た感覚が背筋を走った。
首をすくめると唇を重ねられ、秘裂をなぞっていた手が肉芽を捉える。
「んっふ……んっぅ!」
しとどに濡れる秘所は、軽く指を動かされるだけでぬちゅぬちゅと水音が立つ。ビリビリと足先が痺れるような刺激に、腰がびくっ、びくっと跳ねた。
「あ、んっ……」
「こんなに濡らして……俺の服まで汚す気か?」
「だ、だって、これはユージーンが……」
「そうだな。俺のせいだ」
楽しげに彼は笑う。どうして、可愛げなんてないだろう私をこんなふうに笑って許してくれるのだろう。
「ユージーンは、思ってるより寛容よね……」
「小娘相手に目くじらを立てて怒ればいいのか?」
くだらない、とまた笑ったあと、彼は身体をずらして私の脚を左右に割った。
「ちょっ……、ちょっと待っ……」
「俺を待たせるのか?」
「……ご主人様がご所望?」
「そのとおりだ。よく勉強してるじゃないか」
だからって、この格好は……!
両手で顔を覆い隠す。恥ずかしすぎて耐えられそうにない。
彼の手に両脚を持ち上げられると、秘部に熱い吐息が触れた。指の隙間から覗いてみると、彼が秘所へ顔を近づけていてぎょっとする。
「ま、待っ――」
だが、制止は間に合わず彼の口が花芯を食んだ。
「んああ……あっ……」
びくびくと足先が跳ねる。ちゅっと敏感な場所を吸われ、身体がくねった。
「あ、あっ……やっ、んっぅ……」
「エリーシャ。お前はただ溺れていればいい」
ジュッっと蜜を啜られ、耳を塞ぐ。血を吸われるのとはわけが違う。恥ずかしくて、手が震えてしまう。
「や、やぁっ……恥ずかし……あ、あっん……」
舌を蜜口に差し込まれ、襞を伸ばすように舐められる。ジンジンと熱を帯びてじれったい。
「お前の身体はそんなことは言ってない。素直になれ」
「い、言ってる……でしょ……」
「いいや?」
ちゅうっとまた肉芽を吸われ、目の前が真っ白になった。
「ああぁっ……!」
意識が飛びそうだ。
そうすれば、またあの強い快感を得られるのだろうか。彼の手でそれはもたらされるのだろうか。
「物欲しそうにひくついて……いやらしくていい眺めだ」
うっとりとした声で彼がそんなことを言う。
「も、もうだめ……! 見ちゃだめ、やだ……!」
「心配するな。中もちゃんと触ってやる」
「違――、っあ、あ、ああっ……!」
ぬぷりと指を蜜壺に押し込まれ、がくがくと身体が震える。中を弄るように指を動かされるたびにびくん、びくんと跳ねる肢体が恨めしい。
「っは……あ、んんっ……あっ……」
「もっと拓いてやろう」
さらに指が増やされて、蜜口がこじ開けられる。
「っああ……っ、ん、は……あっ、あっ……苦し……」
「まだだ。この程度で音を上げるな」
もう一本、指が膣内へと押し込まれた。
「ああぁっ……、あ、やっ……も……無理……あ、ああっ……」
目の前が真っ白になる。圧迫感で息もろくにできないし、ぐちゅぐちゅと容赦なく掻き回されて、なにかが引きずり出されそうだ。
「抗うな。その感覚はお前を愉悦に誘うものだ。もっと俺に甘い蜜を吸わせろ」
快感に震える媚唇を食まれ、ちゅるりと肉芽を吸い上げられる。膣壁の敏感な場所を指で擦られ、苦しいほどの快楽に捕らわれた。
「んっあ、ああ……っ、そこ……だめ……あ、ああっく、ふ……」
「ここはお前の好きな場所だ」
内側から腹を押され、手足を藻掻かせる。これ以上は怖い。昨夜味わった感覚よりももっと大きな波が押し寄せてくる。
「やっ……あ、ああっ……ユージーン……やめ……あ、んああっ……」
膣内で蠢く指の感覚が鮮明に伝わってきて、頭がおかしくなりそうだ。
無意識に彼の頭を押し返していると、そっと手を取られた。指を絡めて繋がれ、握られる。
「お前はいい子だよ、エリーシャ」
甘い囁きに、奥がきゅっと疼いた。
「っ……あ、あ……ああっ!」
それをきっかけに、快感の波に飲まれる。身体が強張ったかと思うと、目の前でなにかが弾けた。肢体がぶるぶると震えて跳ね、強い絶頂に放心する。
「エリーシャ……」
ユージーンが覆い被さってくると、ちゅっと口付けられた。唇を舐められ、薄く開いた口をこじ開けて舌を押し込んでくる。
「んっぅ……」
口内を蹂躙される感覚が気持ちよくて、くちゅくちゅと水音を立てながら彼の舌に応えた。
「今夜、お前を屠るのが楽しみだ」
ユージーンの機嫌は、相変わらず良さそう。どんなに物騒なことを言っていても、嬉しそうな彼の顔を見るとまあいいかと思ってしまう。
「俺の部屋で休んでいろ。時間になったら行く」
ぎゅっと抱きしめられたあと、彼の腕に抱き上げられて部屋まで運ばれた。昨夜と同じベッドは彼の匂いがする。
「またあとで」
離れ際、キスをくれた彼に頷いた。
ぼんやりと意識が引き戻される。瞼の向こうが少し明るくて、ゆっくりと目を開いた。
ベッドの下に明かりがあることに気づいて視線を向ける。床に、ユージーンが座り込んでいた。カチャカチャと音がしているので、なにか作業をしているようだけれど。
そんなところに座って……。
ふふ、と笑うと彼が私に気づいて顔を向けた。
「起こしたか?」
「ううん。なにしてるの?」
「銃の手入れだ」
その言葉を聞いた瞬間、布団をがばっと被った。銃なんて、普通は持っていない。持っているのは、悪党か特殊な訓練を積んだ兵士くらいなものだと聞く。
「あ、悪党……?」
「悪魔だが悪党ではないつもりだ」
身体を起こして彼の手元を覗き込む。そしてまた、私は素っ裸だなとがっかりした。もう、いいか。
床には布が敷かれ、よくわからないパーツが置かれていた。
「なんの銃?」
「祓魔に必要な道具だ。悪魔は銀弾が苦手だからな。手っ取り早く祓うためのものだと思えばいい」
つまり、彼の手にある銃で悪魔を撃つ、ということか。
ちょっと難しいけど、わからなくはない。なるほど、と頷くと彼が自分の手元を見たまま口の端を上げて笑った。
「悪魔そのものなら撃てばいいだけだがな。王女のように乗っ取られていたら、まだ銃の性能が高くて、殺傷能力が出る。……あと少しなんだがな」
彼が生まれるより以前ならば、悪魔が信じられていたため祓魔術の研究も盛んだったらしい。そのころは、火器の技術はいまとは比較にならないほど劣っていて、祓魔術のほうが優れていたようだ。だから、銃に銀弾を込めて乗っ取られた人間に向けて発砲したとしても、命を奪うことはなかったという。
でもいまは、祓魔術が廃れてしまった。研究がされなくなり、火器の開発技術が進歩したため、まだ命を奪ってしまう。
「祓魔術は人を救う力だ。なんとかして昔くらいの均衡を保てるように、師と研究をしてはいるんだが……」
「ユージーンは、意外と優しいですよね」
「一言多いな。俺はいつでも優しいだろう」
「自分で言うあたりがちょっと」
不満そうに睨まれたので、とっさに頬を両手で覆った。またぶにっとされたら困る。
そう思ったが、彼と出会って一度でもそんなことはされていない。頭は掴まれたけれども。
また、よくわからない既視感……。
「悪魔が人を助けるって、なんだか不思議」
「エイラのような、勝手気ままな性質を持ったままの悪魔はいまも多いし、悪魔らしい悪魔もいる。ただ俺は、一人で何百年と生きていることに飽きた」
「それでセルフお祓いをしてみようと……」
「そんなことは思ってないな。だが、そうなっても別にいいかと思って祓魔師に師事している。まあ、先生も普通ではないが」
彼はきっと、寂しく生きてきたのだろう。悪魔だ吸血鬼だと言われれば、人間は恐れて距離を取る。私だってきっと、なにもなければ関わることはなかっただろう。
あの日がなければ――。
「っ……」
頭が痛い。なにか思い出せそうなのに、なにも思い出せない。記憶の蓋が引っかかっているような気がする。これはなんなのだろう。ユージーンに関係があるのかな……?
「どうした?」
「ううん。というかね、ユージーンは街の人ともっと歩み寄るべきだと思うんですよね」
「エイラがいる限り、難しい相談だ。街を壊す悪魔と親しくなりたい人間がどこにいる」
「壊したら、誠心誠意謝罪するんですよ!」
「一度したことがある」
お。彼もやっぱり悪いと思ってるんじゃない。
「どうでした?」
「なんだか不興を買った。悪かったと、伝えはしたんだけどな」
「……ふんぞり返って言ったんでしょ。謝罪は頭を下げなきゃ!」
「なぜ俺が頭を下げる必要が?」
「そういうところですよ!」
侯爵様だから偉いのはわかる。ご先祖様やご両親がなにか功績を立てて、国から感謝されているのだろうなってこともわかる。だけど、悪いことしたら偉い人でも頭は下げないと。
「ユージーン。今度街を壊したら、私と一緒に謝りに行きましょうね」
「…………」
「すっごい不満そう!」
「俺はお前がいればそれでいい」
「だめですよ! 街の人と仲良くしておかないと、不便なことがいっぱいなんですから」
「お前がやれと言うなら、努力はしてみよう。頭は下がらないかもしれないが」
うっかり吹き出してしまった。下げる気ないんじゃない、と思いながら、でも彼なりに努力をしようと思っているのだ。ならば、私はそのお手伝いをしなきゃ。
彼が手元で作業を終え、銃を勢いよく振った。
「なんですか、いまの。ちょっと格好いい」
「シリンダーを収めただけだ」
彼の使う銃は、リボルバーというらしい。いまはもっと性能のいいものもあるようなのだが、祓魔術との兼ね合いで旧型を使っているのだそうだ。それより古いものは壊れやすく、かえって危険なのだとも彼は言った。
「そういえば昔、小さな村に悪魔祓いに行ったことがある」
「そうなんですね。私の故郷も――、っ……」
また頭が痛んだ。
「平気か?」
「うん……なんか、頭痛がするんですよね」
「……そうか。ゆっくり休んだほうがいいが……」
彼がベッドに上がってくると、私の肩を掴んで抱き寄せた。
「今日の血を逃すのは惜しい」
「痛くしないでくださいよ」
首を晒すと、彼はすぐに首元へ顔を伏せる。吐息がかかって、ややしてから舌で肌を舐められた。歯が皮膚に押し当てられると、そのまま噛みつかれる。
「んっ……」
ぴくりと反応してしまったが、痛いわけではなかった。
「お前は花の匂いがする」
「そ、そうですか……?」
「ああ。悪くない」
またがぶっと噛まれたので、明日も首飾りは外せないだろう。彼がくれたもの。彼がつける傷。彼が教えてくれる感情と感覚。
一目惚れなんてと人は言うのだろうけれど、それでもいい。私は彼のことが好きだ。
ぎゅっと彼の背に腕を回すと、体重が掛けられて組み敷かれた。
「血を吸うだけと思っていたが……お前の甘い声が聞きたいな」
太股を撫でられると、それだけで身体がびくっと反応して下腹部が熱くなる。期待している自分に驚きながら、彼の首筋に手を掛けた。
「私の血は美味しくないですか?」
「いいや、この上なく美味だが……お前を乱したい」
首筋にまた顔を埋められ、ちゅうっと吸われた。肌を吸われたのか、血を吸われたのかはわからなかったが、この行為が私を淫らな気持ちにしていくのだ。
「私はよくわからないんですけど、こういうことをすると男性はつらいと聞きますよ?」
「つらいな。お前を抱きたい。だがお前の純潔を奪うのも惜しい……」
そのふたつを天秤に掛けて、彼は私の純潔を守ることを選んでいるのだ。
「そ、そこまで……味が変わっちゃったりするんですか……?」
「そうだな。普段は薬を使っているとはいえ、俺はある程度血を吸わないと熱が出たり、動けなくなったりするから、伝手《つて》を頼って血を分けてもらうことがある。そんなときはやはりわかるな」
血は鉄っぽい味がする。私にはそれくらいしかわからないが、ユージーンはそれ以外のなにかを感じているのだろうか。
「じゃあ……仕方がないですね」
「お前も俺に抱かれたいか」
ふふ、と嬉しそうに笑う彼を見て顔が熱くなった。いまのでは彼の言うとおり、まるで抱かれたがっているみたいだ。でも、ちょっと自信過剰……。
「ユージーンは、私が嫌がるかもとかは思わないんですね」
「嫌なのか?」
「私だって乙女ですよ。好きな人と……とか……」
「お前、俺のことが好きだろう?」
「!」
朴念仁かと思っていたのに、どうしてそういうことを聡く見分けるのか。
「わっ……わかりやすいですか……?」
「さあ? だが、嫌いな男にこんなことはさせないだろ」
そろりと手を内腿に滑らされ、そのまま秘裂に触れられる。
「んあっ……」
「まだとろとろだな……甘そうだ」
ぬぷりと指を蜜口に差し込まれ、身体が仰け反った。
「あああっ……、あ、んっあ……」
「お前は、俺を好きでいればいい。飽きるほど可愛がってやるから」
額にキスをされながら、彼の指がぐちゅぐちゅとぬかるむ膣壁を弄る。
「んっふ……あ、あっ……」
「抱けないのは……本当に惜しい……」
手を取られると、彼に引き寄せられる。誘われるまま目で追っていると、彼の脚の間に引き寄せられた。
「! な、なっ……!」
手のひらに硬い感触が触れる。これは、間違いなく彼の欲望だ。
あまりのことに身動きできず固まっていると、ユージーンは照れたような、悲しそうな、なんとも言えない表情を浮かべた。
「俺にとって血の味は妥協できない。だから、お前との交わりを諦めるしかないが……」
彼が顔を寄せてくる。吐息が触れるほど近づくと、どちらからともなくキスを交わした。また唇が切れてしまうのだろうけど、かまわない。
「平気なわけじゃない」
顔が熱い。口をぱくぱくさせても、なにを言えばいいのかわからない。
「でも……ほかの人とでも……」
「……そうだな……探しに行ってもいい」
「えっ……」
迂闊なことを口走った。彼なら、いくらでも代わりがいる。吸血鬼だと言われたところで冗談だと思うはずだ。そうなれば、彼のこの外見は圧倒的な武器になるのに。
彼が私を構い続ける理由なんてないのだ。
「……だが、お前がもっと甘く啼いて俺を満足させると言うなら、わざわざ探しに行く必要もないだろう」
ちらりと視線を向けられた。どうする? と暗に聞かれているとわかる。
彼が、ほかの女性にこんなことをするなんて想像したくない。夜にふらりと出掛けて、朝方戻ってくるとか、絶対嫌だ。帰ってきて女物の香水の匂いなんてさせられたら、彼をお風呂でジャブジャブ洗いたくなる。
「……い……行かないで、ユージーン。私、頑張るから……」
彼に満足してもらえるなら大人向けのエッチな本だっていっぱい読むし、刺激的なネグリジェだって着る。恥ずかしいことだって、もうちょっと勉強する。
「お前はそうやって、素直に俺を求めればいい」
指を引き抜かれ、膝を左右に割られると彼が脚の間に身体を滑り込ませた。
今度はなにをされるのだろうとドキドキしながら見ていると、彼が服を脱ぎ始める。
「ゆ、ユージーン……?」
どうして? と思いながらも目が逸らせない。
あらわになる上体は均整が取れて、程良く筋肉がついている。この人は、裸体でも完璧なのかと瞬《まばた》きを忘れて見入ってしまった。
ズボンも脱ぐ彼を目で追いかけていたせいで、そそり立つ欲望まで視界に入って息を止める。
待っ……て!
いま、交わりは諦めるしかないと言ってなかった? これは襲われちゃうよね? 血の味変わるんでしょ。いいの? いいの……?
目を白黒させながらこのあとどうなるのだろうかと必死に考えた。
彼とそういうことになったら、私はもういらなくなる? 夜伽専門の使用人になるのかな? それはそれでちょっと切ない……。
どうしようと焦っていると、彼の手が私の膝裏に入れられ、ぐいと持ち上げる。
「お前は面白いな。考えていることが筒抜けだ」
「だ、だって……! 私、処女……」
「申告しなくても知ってる」
そうだった。わざわざ言う必要なかった!
でもこれは……最後までしちゃう……の?
ビクビクしながら彼を見上げると、くすっと笑われる。笑いごとじゃないのに。
「もっとそれらしいことをしよう、エリーシャ」
「それらしいこと……?」
一度目を伏せたユージーンが、身体をぴたりと寄せる。そして、秘裂に硬いものを押し当てた。
「っ……ま、待って……本当に……?」
「安心しろ。お前の純潔は守ると言っただろう」
ぬりゅと彼の欲望が秘裂を滑った。
「んあっ……」
媚肉を割って、熱が擦り合わされる。そのたびに、欲望が肉芽を引っかけて擦った。
「あっ……んっ……」
「物欲しそうにひくついて俺を誘うなんて……いけない娘だな」
「やっ……知らない……あっ、や、んっ……それ、だめ……」
ぬちゅぬちゅと音を立てて動かされるたびに下腹部が疼いて、その奥の子宮がきゅんと甘く震える。
花芯を擦られると腰が跳ねるくらい気持ちいい。
「お前の蜜に俺のものが濡らされて、見ているだけでゾクゾクする」
手を伸ばして顔を撫でられる。
もしも本当に彼と繋がったらどうなるのだろう。もっと満たされるのか、もっと気持ちよくされるのか。もっと……彼を好きになるのかな。
「ユージーン……、もっと――」
そっと指を唇に押し当てられた。
「言うな。抗えなくなる」
切なげに眉根を寄せて彼が首を左右に振る。ほしくても求めてはいけない人。求めても手に入らない人。
どうして彼は吸血鬼で、私は人間なのだろう。
考えるほど切なくて、涙が零れた。
「つらいか?」
首を横に振る。つらいわけじゃない。ただ、切なくて苦しい。
「後ろを向け、エリーシャ」
身体を抱き起こされ、くるりとうつ伏せに反される。
「腰を上げて、膝は閉じていろ。すぐに終わらせるから」
後ろから抱きしめられながら、彼に言われたとおり膝を閉じて腰を上げた。脚の間に灼けそうな熱が押し込まれてくると、彼がなにをしようとしているのかがわかった。
本当に繋がっちゃえたらいいのに……。
ちゅっと耳にキスをされる。
「不用意に動くなよ。いまのお前なら、うっかり入ってしまうかもしれない」
それでも私はかまわないのにな。
彼にとってはそんな簡単な話ではないだろうから、こくりと頷いた。
「いい子だ」
パンッと腰が打ち付けられると、秘裂が擦られて身体が快感に震える。
「んあっ……あぁ……」
律動のたびにぬちゅぬちゅと水音がして、本当に抱かれているような錯覚がした。幸せな夢。だけど、現実はすごく寂しい。
「……ユージーン……、あ、んっ……」
「お前、このままだと一生処女で人生を終えるな」
面白そうに笑うユージーンを振り返った。一生、彼に血を捧げるのだろう。それはつまり、男性を知らずに生きていくということ。結婚も、子どもも諦めることになる。
「……それでもいいですよ」
「いいのか?」
ゆるゆると腰を揺らされるたびに、熱塊の括《くび》れに肉芽が引っかかって、甘い快感をもたらした。
「んんっ……あ、あっ……だっ……て……」
彼の動きに合わせて腰を揺らすと、強く肌を打ち付けられる。
「あぁっ……、あっ……んっあ……」
「エリーシャ……」
ぐっと腰を抱き込まれ、彼が激しく揺さぶった。一度身体を離されると、背中に生温かい感触が吐き出される。
「ッ……」
ふっと彼が吐息を零した。振り返ってみると、なんだかけっこううなだれている。
「ユージーン……?」
「もう少しお前をいじめてやろうかと思ったんだが」
「意地悪するつもりだったんだ……」
「我慢はよくないな。悪い、汚した」
それだけで、なんとなく察することができた。
「ユージーンが気持ちよかったって言えたら、許してあげますよ?」
「ああ。気持ちよかったよ。本当に、お前を抱けないのが残念だ」
「え……」
散々恥ずかしがらされたので、仕返しをするつもりだった。渋々口にする彼が見たかったのに、ずいぶんあっさりと言われて、私はなにがしたかったのだろうという気にさえなかった。
「……その……早くないですか……もうちょっとこう……」
「それは言うな。ちょっと傷ついてる」
あ、そこは触れちゃだめなのか。
「お前、まだ満足できてないだろ。来い」
「これ以上されたら私、たぶん明日腰が立ちません」
「寝込んでいればいいだろ」
「寝込むほど使用人を酷使しないでください」
ろくに仕事もできないのはやっぱり不本意だ。それに、彼のなんとも複雑そうな顔を見られたのだから、それで満足できてしまう。こういう表情は珍しいと思うし。
ふふ、と笑っていると頭を撫でられた。
「こっちへ来い。なにもしないから、俺の腕の中にいろ」
「……はい」
ぎゅっと抱きしめられる。
私はきっと、子どものころに夢見たような、ありふれた将来というものは得られないのだろう。だけど、ユージーンがいればそれで充分だ。彼と一緒に生きていけるのなら、それで。
「しかし……さすがに不甲斐なかった……」
「気にしてるんですね……」
「当たり前だ。男のプライドというか……」
「元気出してーご主人様ー」
「お前、棒読みが過ぎるぞ」
そんな他愛ないことに笑い合いながら、彼との暮らしが本格的に始まった。
(――つづきは本編で!)