野生児奥様のしあわせ妊活契約結婚

「妊娠しやすくするにはどうしたらいいの?」

あらすじ

「妊娠しやすくするにはどうしたらいいの?」

 田舎貴族の娘メアリは、豊かな自然に囲まれてわんぱくに育った野生児令嬢。そんな彼女に、都会の由緒正しきダンバール公爵家当主セルジュとの縁談が舞い込む。
 貧しい家と領地を救うため意気揚々と上京したメアリに「所詮は跡継ぎができるまでの契約だ」と冷たく言い放つセルジュ。だがメアリの破天荒さと明るさはそんな彼を変えてゆき……野生児奥様の妊活契約結婚生活、始まります!

作品情報

作:イシクロ
絵:いずみ椎乃
デザイン:RIRI Design Works

配信ストア様一覧

8月11日(木)ピッコマ様にて先行配信開始!(一部ストア様にて予約受付中!)

本文お試し読み

序章

「よいしょっ」
 目の前に広がる湖に向かってメアリは釣針を投げた。
 ぽちゃん、と思ったところに先に虫をつけた針が沈む。作ったばかりの浮きの出来栄えに惚れ惚れしてメアリは釣竿を持ったまま桟橋に腰を下ろした。
 午後の日差しはあたりを温かく照らしている。三方に山を望む湖のほとりには木々がしげり、春の陽気に新緑をのびのびと伸ばしていた。あちらこちらに花を咲かせていて心地よい風にメアリは目を細めた。
 糸を垂らしながらのんびりするこの時間が好きだ。ただこの釣果で家族の夕食が決まるのだから気を抜きすぎることはできない。
 たまに、ゆっくり竿先を動かして湖の岩陰に隠れた大物を狙う。
(ソテー、ムニエル、フライ……付け合わせに野草は取ってきたし……)
 フライパンの中でジュージューと油でこんがり焼かれる魚を想像している間にぴく、と竿先が動いてメアリは動きを止めた。竿先に意識を集中してそのまま待つ。
 もう一度、竿が振れる。そしてもう一回――今度は一気に重さがかかったところでタイミングを合わせて竿を思い切り引いた。
 バシャバシャと静かな湖面が揺れて浮きは沈んで見えなくなる。大きな獲物がかかった証拠だ。
「よし、今日の夕食ゲッ……」
 がららん、がららん! 後ろから大きな音がした。どうやら山に仕掛けた罠にも獲物がかかったらしい。
「あ、待っ、どうしよう!」
 思った以上に強い魚の力に湖のほうへひっぱられる。ひとまず手元に意識を集中させるが、背後の山では獲物が必死に逃げようとしているらしく鳴り子が忙しなく響いている。
「この、っ大人しく、夕食になりなさーい!」
 腰を使って一気に釣り竿を引き上げる。
 大きな魚が飛沫をあげて宙を舞った。

 その日、メアリ・アンダーソンが大きな魚二匹と雉の成果を手に、泥だらけの服で屋敷に戻ると珍しい客人が来ていた。
「やぁ、メアリ嬢」
「お久しぶりです、ライアン卿!」
 玄関に獲物を置いて頭を下げると、彼は綺麗に整えられた白い髭を撫でて口元をほころばせた。父の代から懇意にさせてもらっている貴族だ。もう齢六十を超えて隠居生活をしているが普段は王都に住んでいて国王陛下の相談役として頼りにされている。
「いらっしゃっていたのですね、今日はごちそうですよ」
 雉と魚を示して胸をはったメアリを見て、彼はにこにこと笑ってうなずいた。
「それは楽しみだ。時にメアリ嬢はいくつになったかな」
「十八歳です」
「よし」
 ライアン卿はもうひとつうなずいて、メアリの肩に手を置いた。
「結婚しないか」
「……」
 首を傾げた。
「ライアン卿とですか?」
「私には愛しい妻がいるよ。ダンバール公爵家の当主とだ」
「はい?」
 ダンバール公爵家、といえば由緒正しき血筋で幾度も王族との婚姻関係を結んでいる国の筆頭公爵家だ。当主の名はセルジュ。年は二十二歳と若いが昔から身体が弱く、その上人嫌いでめったに人前に出ないと有名だった。その顔立ちはとても整っている上に病弱のはかなさゆえか、美しい若き公爵としてアンダーソン領でも時折噂になっているほどだ。
「彼と結婚しないか、メアリ」
「……いえ、いえちょっと待ってください」
 ボロボロの応接室――この屋敷で唯一客人を呼べる場所――で改めてライアン卿から話を聞く。テーブルにお茶を出してくれるのは五つ下の弟アベルだ。メアリと同じピンクブロンドの髪の少年は眉をひそめて言った。
「この、今日の夕食にも困窮している貧乏貴族と、公爵家が釣り合うとは思えませんが」
「それはまぁねぁ」
「否定してください!」
 朗らかに笑うライアン卿にメアリは頬を膨らませた。
 アンダーソン家は先祖代々の名誉ある貧乏である。野山の幸豊かなこの地を収める領主は税をほとんど取らず、その分を領民の生活のために使わせている。滋養に良い珍しいキノコが取れるのでそれを王家に収める――物々交換が基本でそもそもお金の概念があまりなく、気の良い領民たちが差し入れてくれるのはもっぱら野菜や獲ってきた鳥や猪や兎の肉。
 数代前に地元の有志によって建てられた石造りの立派な屋敷はあるが、補修代はない。先代であるメアリの父が亡くなった今、身体の弱い母の代わりにメアリが一家の主人で、アベルが成人するまでの仮の当主だ。
 ちなみにドアの所では心配そうに母と弟妹たちがこちらを見つめている。
「それが良いんだよ」
 ライアン卿がため息をつく。
「公爵家の正統な血筋はセルジュだけだ。後継者がいないまま彼にもしものことがあれば、その跡目を巡って王都で血みどろの政権戦いが起こる。かといってどこかの勢力の息のかかった令嬢と番わせたとしてどこからか必ず横槍が入るだろう。そこで、辺境アンダーソン家だ!」
 ビシリと鼻先に指をさされた。
「権力に興味がない、あるのは今年の生産量! 王都へのコネもほぼ皆無なアンダーソン家なら!」
「それなら、うちだってライアン卿というコネが」
 負けずに言えば、彼はメアリの前で指をトンボにするようにぐるぐる回した。
「じゃあ君、これを機に王都の社交界を牛耳る気はある?」
「皆目ありません」
「陛下もすでにそのつもりで動いている」
「うう、本人の許可も得ずに」
「国の一大事だ、わかってほしい。それにもし引き受けてくれるのなら来年のアンダーソン領の減税も考慮に入れるとおっしゃっている」
「うっ」
 国王陛下は無理な徴収をする人ではない。それでも確かに貧乏領地にその提案はありがたかった。それに目の前のライアン卿には返しきれない恩がある。
「……わかりました。父が亡くなったとき、女性当主の特例に尽力してくださったライアン卿の頼みなら、よろこんで」
「メアリ嬢ならそう言ってくれると思ったよ」
 しかしひとつだけ気になることがあった。
「……その、公爵様はいいのですか……? 私なんかで」
 自分の泥だらけの服を見下ろす。いつもドレスではなく動きやすいズボンやシャツで、髪はひとつにくくっているだけだ。父親が死んでからは食料調達や領の運営――ほとんどしっかり者の弟がしているが――に忙しくて、まともな礼儀作法も習っていない。
 聞けばライアン卿はいつも通りの口調で答えた。
「大丈夫、彼にとっては女性なら誰でも一緒だよ」

 メアリが王都に旅立ったのはその一ヶ月後だった。
 領地のあとのことはアベルに任せた。数年前はまだ継承権のなかった幼かった彼も、今はもうメアリよりもよほどしっかり者の立派な少年になっている。特にアンダーソン家の次期当主としての自覚が芽生えてからは、積極的に勉強して領民ともいい関係をつくっていた。
(だからそちらは問題じゃないんだけど)
 泣きながらいつでも帰っておいでと見送ってくれた家族の顔を思い出しながら、汽車から王都に降りたメアリはさっそく途方に暮れた。
 どこを見ても人、人、人。歩道には急ぎ足の人々が常に行き交い、道路にはひっきりなしに馬車が通り過ぎる。その間をすり抜けるように新聞配達の少年が走っていたり、道の端には靴磨きや露店が大きな声で客寄せをしていた。
 見渡す限りの丘に納屋や家が数戸、作業する人が数人、羊やウサギのほうが多い田舎から出てきた身にはまるで別の国に見える。
「ちょっと!」
「す、すみません」
 目から入ってくる情報が多すぎて棒立ちしていると人とぶつかった。濃い紅色のジャケットを羽織るドレスを着た女性は、数十年前に流行した型のドレスと着たメアリを見てフンと鼻を鳴らす。
「おい、邪魔だ」
「ごめんなさい!」
 どんどん端に追いやられていく。持っている鞄でさえ人にひっかかって舌打ちされて平謝りするのを繰り返したあと、人波を避けて電灯にしがみついた。
(すごいところね……)
「おいぼさっとしてんな!」
「わっ」
 いつの間にか道路にはみ出していて、御者が怒鳴りながらすぐそばを通り過ぎた。土埃が舞って思わず咳き込む。汽車を降りたときから気づいていたが王都はどうも埃っぽくて喉が痛い。誰も彼も早歩きで過ぎ去っていく。通り過ぎても挨拶しないし、目も合わさない。
 そのすべてを見てメアリはほうっと息を吐いて両手を組んだ。
「……これが都会……!」
 新鮮だ。できればもっと眺めていたかったが約束の時間もあるのでライアン卿からもらった手紙を開いた。ダンバール公爵家への行き先が書いてあるそこには、通りの名前と数字が書かれている。馬車や人を迎えによこすと言われたのだが、地図で見れば駅から近いし歩いていけると断ったのだ。
「ええと、ギョーム通り、一番……」
 周りを見るが標識の数が多すぎる。
 こちらかと見当をつけてふらふらと歩くと人にぶつかり、あっちのほうかと道路に出れば轢かれそうになって――数時間後、到着が遅いことを心配した公爵家の使いに見つかるまで、結局駅前でさまようはめになった。

 ようやくたどりついた公爵家を前に、メアリはぽかんと口を開けた。
「メアリ・アンダーソン様ですね。ようこそダンバール公爵家へ」
 絢爛豪華な公爵家の玄関ホールで、うやうやしく執事が頭を下げる。それに伴って並んでいる数十人の使用人たちも丁寧に頭を下げた。
「どうぞなんなりとご用命ください。本日からどうぞよろしくお願いいたします」
「こ、こちらこそよろしくお願いします!」
 見たことがないくらい大きな屋敷だ。メアリの家が玄関ホールの中だけですっぽりおさまってしまうほどの空間で出迎えてくれた執事に案内されて、緊張しながら建物を抜ける。渡り廊下からは池や広い庭、ガラス張りの建物の中では飛んでいる鳥のシルエットが見えた。
(撃ちやすそう……)
 あれは獲っていい獲物だろうか。先に送った荷物には愛用の銃も入れているのだが……そうやってよそ見をしていると廊下に置いているサイドボードにぶつかった。
「あ、わっ」
 その衝撃でサイドボードが傾き上に置いている花瓶が倒れる。執事が振り返って目を見開くのと花瓶が床に落ちようとするのがやけにゆっくり見えて、メアリは床に落ちる寸前で大きなそれを抱きかかえた。
「よかった……」
 どう見ても高級品だ。アンダーソン家ではお目にかかったことのない鮮やかな模様の壺を抱きしめるメアリに執事が慌てて駆け寄った。
「気を付けてください、どれも歴史的価値のあるものですから」
「は、はい」
 まだ心臓がバクバクいっているがなんとか返事をする。執事に手伝ってもらってそろりと元通りに戻した。
(これは、うかつに走り回れないわね)
 廊下の一定間隔で同じような調度品を載せたサイドボードが置いてある。ちらりと見える部屋はどこも豪華な内装になっていた。森の中を警戒するよりも慎重に足を進めて、ようやく執事は二階にある北向きの部屋の前で立ち止まった。
「旦那様、メアリ様が到着されました」
 綺麗なノックをして扉を開けると、窓辺に置いているベッドにはひとりの青年が座っていた。
 オリーブグリーンみがかかったプラチナの髪が薄幸な印象を与える、線の細い青年だ。ノックにも顔を上げず静かに本を読んでいた彼はそれを閉じた。噂通り、はかなく綺麗な顔立ちをしている。切れ長の薄い紫の瞳、すっと通った鼻筋。シャツからのぞく首筋も病的なほど白い彼は、その薄い唇を開いた。
「君に求めるのは二つ」
 挨拶もなく、静かな視線がメアリを射貫く。その声は人を扱うのに慣れている威圧感があった。
「私の邪魔をしないこと、嘘をつかないこと。以上だ、下がって良い」
 それだけ言って彼はまた本を開いた。
「だ、旦那様、夫婦になるのですからそのような」
「陛下とライアン卿に頼まれた、お互いそれだけの関係だろう」
 執事を見もせずにぱらりとページがめくられる。窓から入る風に彼の髪が吹かれる様子はまるで一枚の絵画のようだった。
 そのままその様子を見ていると、不機嫌そうに眉がひそめられる。
「まだ何か」
「あ、これ、お土産を……」
 ようやく我に返って鞄からごそごそと、平たい干からびた束を取り出した。
 彼の冷淡な表情がもう一段冷ややかなものになった。
「それは?」
「干し肉です」
「……干し肉」
 会話が続いたことにほっとして、胸をはる。
「私が作りました。お口にあえばいいのですが」
「あいにく、知らない者から渡されたものは口にしない性質だ」
「おいしいですよ」
「奥様、お土産はまた改めてのほうがよろしいかと」
 干し肉の束を渡そうとするメアリを執事が止める。軽く息を吐いて公爵――セルジュ・ダンバールは言った。
「君を愛するつもりはない」
「……!」
「恋だの愛だのは私に期待するな。所詮は跡継ぎができるまでの契約だろう、私に構わないかぎりは好きに過ごしていい」
「……よかった!」
 メアリはそこでようやく笑ってほっと息を吐いた。ぎょっと目をむいた執事に気づかずメアリは拳を握った。
「私も恋愛は苦手なの。ライアン卿から結婚なんて聞かされてからどうしようかと思っていたから、そう言ってもらえてよかった」
 子女の振る舞いなど考えたこともない。特に狩猟や魚釣りに目覚めてからは、女の子らしい遊びをしたことなど皆無に近かった。アンダーソン領では小さいころから男の子相手だろうが喧嘩して勝っているし、木登りも負けたことはない。
 それにこれは契約結婚だった。ちゃんとライアン卿から期限を提示されている。子どもが生まれるまで、もしくは……セルジュが亡くなるまで。
 田舎でのびのびと生まれ育ったメアリが、窮屈な王都と公爵家で一生を過ごすのをためらうことをライアン卿はよくわかっていたらしい。実際は提示される前に返事をしたわけだが、陛下や公爵家とも話したそれをきちんと彼は説明してくれた。
 そして、もしメアリが望むなら契約終了後に他の男性との縁談も用意すると。
 メアリは腕を組んでうんうんとうなずく。
「子どものことは任せてください。体が頑丈なのだけが取り柄ですから。風邪も引いたことがないし、胃は腐った肉も消化します。骨折も自力で直しました」
 指折り数えて言えばセルジュは無言の疑り深い目で見てくるが事実だから仕方がない。骨折のときはあまりの治りの早さに医者が仰天していたほどだ。
「メアリ様、そろそろ旦那様はお薬の時間なので……」
「あ、失礼します」
 執事にうながされてドアに向かう。けれどどうしても気になったことがあって途中で振り返った。セルジュは幸いこちらを見ていた。
「あの、セルジュ様。先ほどの条件で一つわからないことがあって……」
「なんだ」
「嘘をつくなとおっしゃいましたが、どうして私が家族であるあなたに嘘をつかなければならないのですか?」
「……」
 真っすぐに目を見て問えば、彼は無言のまま本に視線を戻した。そのまま待ったが答えてくれる気配がないので、仕方なくぺこりと頭を下げて廊下に出る。
「……申し訳ありません、旦那様も昔は、ああではなかったのですが」
 ドアを閉めたところで執事が小さく息を吐いた。
「何がですか?」
「その……いえ、なんでもありません」
 首を傾げると執事が口ごもって、今日から使う部屋まで案内してくれた。その頃には先ほどまでと違い、スキップしたい気持ちになっている。
「公爵様って聞いたからびくびくしていたけれど、意外と私たち似たもの同士ね」
「そうでしょうか……」
「でも、病人に北向きの部屋はあまりよくないのでは?」
 あまり日が差し込まないセルジュの部屋はどこかひんやりとして陰鬱だった。昔から心臓が弱いメアリの母の部屋は屋敷で一番日の当たる南向きだ。これだけ公爵家の建物は広いのだから、南向きや南東などもっと日当たりのいい場所などいくらでもありそうなのに。
「太陽光で発作が出る可能性があるらしく、旦那様と医者である叔父上で相談されて決めたことです」
「そうなの」
 それならメアリが言えることは何もない。結婚式まで使う客間にはすでにメアリの荷物が届けられていた。持っている鞄を置いてメアリは布でくるんだ銃を手に足踏みした。
「ねぇ、屋敷を探検してもいい?」
「構いませんよ。今、お付きを呼びますので」
「大丈夫、敷地内だもの迷わないわ!」
 そう言うなりメアリは駆け出した。

 ――その夜。夕食時になってもメアリは姿を現さず、すぐさま使用人で捜索隊が組まれて街や屋敷中を皆で散々探し回った結果……庭でアヒルを枕に一緒にすやすや寝ているところを発見された。

第一章 契約の新婚生活

 セルジュはベッドに座ったまま窓から外を見た。
 伝統と誇りという静謐な空気に包まれて落ち着いた雰囲気の屋敷は、数日前からやけに賑やかになった。その原因はもちろん――。
「奥様、温室の鳥を射ってはいけません!」
「どうして? 丸々太っているから、あれは丸焼きにしたら美味しいわよ」
「やめてくださいあれは南国から来た珍しい鳥で……」
 自前だろうか、ライフル猟銃を手にしたメアリが執事やメイドに必死で止められている。
「……」
 窓辺に肘をついてセルジュはそのようすを呆れて眺めていた。
(確かに好きに過ごしていいと言ったが、好きにし過ぎではないだろうか)
 とはいえ彼女が本当に温室の鳥を撃ったとしてもセルジュに文句があるわけではない。どうせこの自室から出ることはほとんどないし、温室など何年も立ち入っていないのだから。
 けれど、移動しやすいようにと二階にあるこの部屋の窓からはよく大騒ぎが聞こえてくる。メアリが来た初日の大捜索のようすもずっと見ていた。せっかく遠くから嫁いできたのに冷たいセルジュに腹を立てて帰ったのでは、と話している使用人の声も聞こえていた。
 そして今、窓の外を見ているのがもう一人。
「いやぁ、やはりメアリはどこにいても元気だな」
「ライアン卿」
「ん?」
 客人であるライアン卿は楽しそうに振り返った。
「話を承諾したとき、私は確かに伴侶は誰でもいいと言いましたが……あれはさすがに」
「何が不満なんだ」
「不満というか」
 新しく公爵家に来た花嫁は、この数日のうちに池の魚を次々に釣りあげてパイにし、街に出ては公園で野生の鳩やウサギを捕まえようとして警備隊に止められている。
 毎晩そんな騒ぎを執事が申し訳なさそうに伝えてくれるのだが、想像するだけで疲れる。ライアン卿はその話を聞いてお腹を抱えて笑った。
「面白いだろう! 王都で海千山千を相手にしてきた私ですらあの一族は予想ができない」
「……」
「やめておくかい?」
「……いえ、もう今更ですし」
 どうせ誰でも同じだ。自分は相手を愛さないし、愛されることも望んでいない。珍獣が入ったと思えばいい。
(……どうせ、何をとりつくろおうと公爵家の名誉と金が目当てだ)
 権力争いとは一線を引いて久しいアンダーソン家のことはセルジュも知っている。けれどそんなものは建前でなんとでも言えるものだ。本来であれば婚姻も断るつもりだったが、さすがに陛下と恩のあるライアン卿から強く促されれば否とは言えなかった。
 それでも今までのらりくらりと先延ばししていた跡継ぎ問題のことを彼らが譲らなかったのは、セルジュの命が長くないことを悟ったからだろうか。
 だから自ら期間を定めて結婚を承諾した。彼らの願いが、己が死んでも不備がないように代わりを作れと言われていることだとしても、もうどうでもいい。
(こんな男に嫁いで可哀そうに)
 もう一度外を見れば、どうやらメアリは使用人の説得に応じてくれたらしく騒ぐ声が小さくなった。これでようやく静かに話ができると思ったら彼女がちらりとこちらを見た。これだけ離れているのにガーネットのような赤い目がセルジュを射貫く。思わず本能的にカーテンの陰に隠れた。
 ライアン卿はひらひらと彼女に手を振った。
「私には、君が彼女を存外気に入っているように見えるけれど」
「気のせいで――……っごほ、っ」
 息をのんだところでいつもの焼けつくような胸の痛みと咳が押し寄せてくる。
 ベッドの上で胸を押さえて咳き込んでいると、ライアン卿が慌てて背中を撫でた。
「セルジュ、大丈夫かい」
 そこで音を聞きつけたのか扉が開かれた。急ぎ足で入ってきたのは白衣を着た体格のいい男だ。彼はライアン卿に変わってセルジュの背中に手を当てた。
「また発作が出たようだね」
「叔父、さん……」
「検診に来てよかった」
 持ってきた黒い鞄を置いて手早く聴診器を取り出した男はライアン卿を見た。
「ライアン卿、申し訳ありませんが今日はこれで」
「では失礼しようか。高名なグレゴワール医師が叔父とはセルジュも運がいい」
 気持ちのいい紳士はそう言って部屋を後にした。
 処方された飲み薬でようやく呼吸が穏やかになったのはしばらくしてから。ライアン卿の叔父――グレゴワール医師は、さきほどのライアン卿のように窓の外を見た。
 風が吹いてカーテンが揺れる。その薄い紗の向こうに立つグレゴワール医師の表情は見えない。
「結婚おめでとう、甥が一人前になって私も鼻が高いよ」
「ご心配をおかけしました」
「……しかし、あんな田舎者は君にどうかと思うが」
「陛下のご命令です」
「そうだな、貴族の辛いところだ」
 笑った叔父が鞄から取り出した手帳に文字を書き込む。そして中から紙袋を差し出した。
「薬はちゃんと飲むんだよ」
「ええ、おかげさまでだいぶ楽になっています」
 枕もとにはコップと処方薬が置かれている。それが空になっているのを確認して、叔父はセルジュの肩を叩いた。
「何かあればいつでも言いなさい。私は君の味方だからね」

 セルジュとメアリの結婚式は新郎の体調を考慮して簡略に行われた。最低限の招待客のみが臨席した教会でおざなりな誓いを交わしてすぐに、夫はいなくなってしまう。
 次から次に挨拶をされるが社交の場など初めてのメアリは緊張して何もしゃべれなかった。それよりもおしろいや香水の匂いが一度に押し寄せ、くらくらして吐いてしまった。
 そんな散々な結婚式を終えて、しばらく休めばすでに夕方になっていた。そこから慌ただしく初夜の支度が行われて、湯あみをしたメアリは薄いナイトウェアの上に上着をはおって寝室に向かっていた。
(さすがに緊張する……)
 そわそわと落ち着かないまま、扉の前に着いた。
 セルジュが普段使っている北向きの部屋ではなく夫婦の寝室用にと整えられた場所だ。メイドにうやうやしく扉を開けられると、中では燭台の灯りでセルジュが本を読んでいた。
「失礼いたします」
 メイドが静かに退席する。暗く沈んでいる部屋の中でセルジュがページをめくる音だけが聞こえていた。
 今日までろくに彼と話す機会はなかった。朝や夜に挨拶にいくのだが、いつも扉の前で門前払いされる上に最初の『約束』である邪魔にあたると警告されてしまったのだ。
 居心地悪くたたずんでいると、しばらくして彼が面倒くさそうに立ち上がった。
「これは責務だからな」
 セルジュが目の前に立つ。それを見上げてメアリは少し驚いた。
(こんなに高かったっけ……?)
 いつ見てもベッドにいるし、結婚式では飾りが重くてまともに頭が上がらなかったので気づかなかったが、セルジュは意外と背が高い。メアリは彼の胸元までしか身長がない。
「優しさは期待するなよ」
「ええ、わかっています」
「私は具合が悪い。三十分で終わらせる」
「えっ」
 その言葉にメアリは声を上げた。
「文句があるのか」
「――三十分もいるのですか?」
「は?」
 聞くと変な顔をされた。
 いくら鈍いメアリでも本当に彼の体調が悪いことくらいはわかっている。
「もっと早く済ませないと」
 自分で着ている上着を脱ぐ。身に着けているナイトウェアは下の肌が透けて見えるほど薄いが、こんなに暗ければそう見えないだろう。
 部屋の中央に天蓋付きの大きなベッドが置いてある。そのふかふかなベッドの上にメアリは四つん這いになった。
「――――」
「何してるんですか?」
 後ろを振り返る。セルジュが暗い部屋の中でもわかるほど顔を引きつらせていた。
「――お前こそ、何を、しているんだ」
「お前じゃなくてメアリです。何って、交尾を」
 春の繁殖期では山でよくその光景を見た。メスの上にオスが乗る。時間はまちまちだがだいたい五分以内と短い。
 セルジュが顔を手で覆ってうめいた。
「お前、いくつだ」
「メアリですってば。今年で十八ですが」
「……嘘だろ」
「ほら、遠慮せず」
 ふるふると腰を振ってみる。早く済ませると言ったはずのセルジュが動かないのにじれてそちらを見ると、近づいてきたセルジュがメアリの腕をとった。
「わっ」
 ころりとベッドにあおむけになったメアリの上にセルジュがのしかかって、着ているうすいナイトウェアの胸元を無造作に引き下げた。
「ひっ」
「……大きいな」
 ふるりと外気に晒されたメアリの胸を見てセルジュがやけに真剣に呟く。
 小柄なわりに大きいとはよく言われるが、今はそれどころではない。
「な、なにを……っ」
「いいから黙っていろ」
「っふ、ぁ」
 胸に手を置いたセルジュが先端を口に含んだ。その途端にぴりっとした疼きが身体を走ってメアリは身をよじらせた。
「ん、っんぅ」
 赤子のように吸われて舌先が立ち上がった先端を転がす。その間にも両手で下から揉みこまれて知らず腰が揺れた。
「……触り心地も良い」
「ん……あ、待って、やだ」
 ぐずるように声が震える。ベッドに押し付けられて身動きも取れないまま胸をいじられ、初めて感じる本能的な恐怖に身体が震える。
「っ、あ、あ」
 胸の先を齧られて声が出た。髪を振り乱して抵抗するのにセルジュはどいてくれない。恥ずかしくて顔が見られない。
「何をしているんですか!?」
「準備に決まっている」
「準備って、交尾では、みんな何も」
「そのまま突っ込むと痛いのはそちらだぞ」
「……え、あ」
 胸に顔を埋めたセルジュが裾から大きな手を滑り込ませた。ひやりと冷たい指が奥に触れる。そこを擦られると途端にさっきまでより強い快楽が背中を走った。
「ふぁ、あ」
「ここに、私のをいれるのだからな」
「っひ」
 指が探るように奥をかき分ける。こんなところにと思うほどの場所で、自分の身体なのに知らなかった。そしてそこを触れられるのはとても恥ずかしい。
「指で慣らさないと」
「い」
 もったいぶるように指が少し中に入り込む。痛いような、うずくような、よくわからない感覚にメアリはパニックになった。
 番いになって必要なところに必要なものを入れて、中で出す。交尾とはそういうものですぐに終わると思っていた。けれど先ほどから耳元でささやくようなセルジュの低い声に身体も心も落ち着かない。触れられるたびに反応してしまって、顔が真っ赤になっているのがわかった。
「……大丈夫です」
 今、この妙な恥ずかしさから逃れられるならなんだっていい。
「慣らさなくても。さぁ!」
「……」
「こ、これでも病気したことないですし、怪我も一日で治る体質なので」
「それは聞いたが……わかった」
 ちらりと時計を見たセルジュが息を吐いた。
 あおむけのメアリの足の間に、ズボンをくつろげて取り出した何かを当てて――。
 ぐっとそれが入ってきた瞬間、メアリは悲鳴をあげた。
「いたたたた! 痛いです!」
「……ち」
「無理、むりです入りません!」
 身体を引き裂かれる拷問のような痛みだ。通常の擦り傷や骨折とはまた違う種類のそれに即白旗をあげて、泣きながら喘いで訴えると、セルジュが顔をしかめた。
「おい、自分で言っておいて……こういうときは嘘でもいいというものだ」
「嘘をつくなと言ったのは旦那様ですが!?」
「うるさい、時と場合による」
「なんですかそれ、とにかく、いったん休戦を……っ」
「……時間だ」
 そこでセルジュが身体を起こす。
 息も絶え絶えに時計を見ると、確かに約束の三十分が経っていた。
(いつの間に……)
 いつも以上に苦々しい顔で服を着たセルジュは、そのままベッドにいるメアリを見ずに寝室を出て行った。

 色恋や結婚話に不慣れなメアリにも、散々な初夜だった、ということだけはわかる。
 翌朝、ライアン卿が訪れてくれたときもあまりの情けなさに顔が見られずに頭から布団をかぶってしまった。
「どうだったかね」
「最悪でした」
「そんなわかりきったこと」
 ライアン卿は意外とこういうときはっきりと言う。
「そうですけど!」
 がばりと布団を跳ねのけて叫ぶと、彼は自分の顎に手を当てて思案する表情になった。
「やはりそうか。……セルジュには聞かせられないが、病状からまず起つかどうかを心配していたんだ、君には苦労をかけたね」
 寝室にはセルジュの姿はない。薄いナイトウェアではなく普通の寝間着を着てショールを羽織った涙目のメアリの頭を、ライアン卿が撫でる。
「ええ、立ちません」
 暗くてよく見えなかったが、何か大きなものがほんの少し入っただけだというのに足の間の違和感がすごい。いつもは使わない筋肉によるものか、足がぷるぷるした。
「メアリ、人に愛されないということは辛いことだと私は思う」
 長年王宮に務めて、数々の折衝を行ってきた老紳士は微笑んでメアリの手を握った。
「この役目、君にしか頼めないと思っているが……本当に嫌なら、契約達成前に別れてもらって構わない。私にとって君も、大事な娘のような存在だから」
「……いえ」
 シーツを握りしめる。そんなことを言われたら、むしろ奮い立つのがメアリである。
「大丈夫です、次は痛いのも我慢します。野生動物もしているのだから、あれくらい」
「野生動物?」
「……それが」
 さすがに話の齟齬に気づいたのかライアン卿が首を傾げる。
 言いくるめられてメアリが昨夜の初夜の惨状を一から十まで説明すると――初めて見るほどの大笑いをされた。
「そ、そんなに笑わなくても!」
「いやぁ、セルジュの戸惑う表情を見てみたかった」
 完全に面白がっている彼に頬を膨らませる。
「しかしこれは違う意味で大変だな。三十分か……確かにセルジュの体調を考えればそのくらいが限度だろうな。本来はゆっくり、時間をかけるものなんだがどうしたものか」
「早くするために、私にも何かできることはありませんか」
「おや、花嫁にやる気になってもらえるなんてありがたいね」
 そう言った彼は椅子に座りなおして、身を乗り出した。
「君さえよければ特別教師を派遣しよう」
「教師、ですか」
「夫婦のたしなみ、閨教育の教師だ」
「……」
 勉強は正直苦手だ。けれど昨夜のセルジュの苦しそうな顔を思い出す。
 どちらにせよあの痛みをなんとかしなければ契約も遂行できない。迷っているよりやってみるのがメアリの性質だ。
「お願いします!」
「承知した」
 そして彼は上機嫌に帰っていった。
 もう大丈夫だ、とメアリに太鼓判を押したうえで。

 午後に、メアリは日課である屋敷の散歩に出かけた。公爵家はとても広くて迷路のようで一日中ぐるぐる回っても見知らぬ部屋が出てきたりして飽きることがない。この日、いい匂いにひかれて足が赴いたのは台所だ。暖炉の火で大きな肉があぶられ、パンをこねる者、魚をさばく者と大勢が作業をしているようすをメアリは興味深く眺めた。
「何か手伝いましょうか?」
「平気です。それより奥様、つまみ食いはいけませんよ」
「はぁい」
 すでに顔見知りになったメイドに言われる。
 結婚式の準備にいそがしい厨房には近づかないように、と言われていたので実は入るのは初めてだった。
 公爵家のご飯は美味しい。近隣の村から食材を仕入れていて、取れたての肉や野菜は家庭菜園に慣れたメアリでもうなるほど新鮮だ。
 特に、食材を調達しないで食卓に出てくるというのが信じられなかった。同時にこうして働いている人たちを眺めるだけという自分の存在意義について考えてしまう。
(……早く帰りたいな)
 することもなく屋敷を散歩しているだけの毎日だ。それでなくとも人の多い王都はどこか息が詰まる。庭は馬で走ったら一瞬だし、池は五分もあれば歩いて一周できて、人からもらう餌に慣れた魚には釣りの駆け引きの面白さを感じない。
 温室で足元にまで近づいてくる丸々した鳥を撃てないのもストレスだ。いっそ手づかみしようと何度思ったことか。
(でも、帰るにはセルジュ様と昨日みたいなことをしないといけなくて……)
 悶々としていると、テーブルに銀のトレイと小さなお皿が置かれた。中に入っているのはいくつかのドライフルーツとナッツ類。
「これは?」
「旦那様のお食事です」
 その言葉に目をぱちくりする。公爵家では朝食は寝室で、夜は食堂で美味しい料理がふるまわれるがセルジュは姿を現さない。彼が何を食べているのか知らなった。
「リスみたいね」
「肉も野菜も召し上がりませんで」
「……なるほど、だから干し肉を食べたがらなかったのか」
「それはまた違う理由かと存じます」
 冷静に突っ込むメイドに言った。
「私が部屋まで持っていきましょうか」
「しかし……」
「どうせ暇だし。渡すくらいなら邪魔にはならないでしょう?」
 銀のトレイを預かってセルジュの寝室に向かう。すでに屋敷の地図は頭に入っているので、台所から出てショートカットをした。廊下に沿ってご丁寧に歩くより、中庭を突っ切って窓から建物に入るほうが早い。
 綺麗に整えられた中庭を歩く途中、一角にキイチゴがなっているのを見つけた。
 腰ほどの高さまでの枝に無数についた赤や赤紫の小さなキイチゴたちは、大きな葉っぱの陰でメアリを誘った。
(……ちょっとだけ)
 そろりと近づいて誰も見ていないことを確認して、食べごろを見極めてハンカチに包む。メイドが用意してくれるドレスにはポケットがないので銀のトレイに載せてまた歩き出す。
 中庭の対角線上にある窓の前で、トレイを地面に置いた。
「ここ、壊れているのよね」
 修復場所だらけの屋敷の住人であるメアリには、入れそうな隙間を見つける特技があった。鍵がゆるんでいるのを目ざとく見つけて、上下にがたがた揺らすと掛け金がするりと外れてしまう。
「やった」
 銀のトレイを頭に載せて片手で支えて、身軽に廊下に降りる。あとは何事もなかったようにカーペットを進めば目的地はすぐそこだ。
 その間も道行く使用人がメアリの邪魔にならないように頭を下げて端によってくれる。
(こんな風に扱われるから、勘違いして態度がでかくなるのよ)
 夫になったばかりの男のことを思い浮かべる。それについてどうこういうつもりもないが、だからこそこれを当然と思う前に家に帰らなければならないとも思う。
「セルジュ様、食事を持ってき……」
 扉を開けると、ベッドではセルジュが長いまつ毛を伏せて静かに眠っていた。起こすのもどうかと思って口をつぐんで枕もとに銀のトレイを置いた。
 北向きの、相変わらずどこか寂しい部屋だ。本棚ばかりが目立って、メアリの心がうきうきするようなものは何もない。
 寝顔をそっと覗く。人をじろりと睨むことのないセルジュは本に出てくる王子様そのものだ。
 ――ここに、私のをいれるからな。
「っ」
 昨日の夜の声がよみがえって思わずセルジュの長い指が触れた場所を隠すように足を閉じた。
(もう出よう)
「寒い……」
 踵を返したところでセルジュが小さく声を上げた。起きたのかと思ったが目はつむったままだ。けれど顔をしかめて小さく震えている。
「寒いの? 大丈夫?」
 急いで毛布を上からかける。
「待ってて。今、火を」
 暖炉に向かおうとしたところで、手を掴まれた。え、と思う間もなくベッドに引きずり込まれた。メアリを後ろから腕の中に抱くようにセルジュが長い腕を回す。
 メアリの首筋にぐずるように顔を埋めた彼は、そのままほっと息を吐いた。
「温かい……」
(ひえええええ!)
 腕の中でメアリは顔を真っ赤にして固まった。ちらりと後ろをうかがうと、メアリを抱いて落ち着いたのかセルジュは震えも止まり寝ていた。
(ううう)
 がっちりと抱かれて身動きが取れない。無理にでも引きはがせばいいのかもしれないが。
「……すー……」
 先ほどまでと違っておだやかな寝息が聞こえてくる。
 それを聞いていると抵抗する気がなくなって、いつの間にか一緒に眠ってしまった。

 * * *

「――暑い!」
 耐え切れない暑いにセルジュは起き上がった。
 はっと気づくともう窓の外は暗くなっていて、上には苦しいほど毛布が積んである。そしてベッドには――メアリが眠っていた。
「は?」
 すやすや眠るメアリも暑かったのか汗をかいていた。けれど寝息は規則正しく、起きる気配はない。
(……子どもか)
 たたき起こす気が失せたのは少しだけだがこの状況に心当たりがあったからだ。
 発作と同じく定期的に訪れる悪寒に襲われて、無意識に手を伸ばすと温かいものに触れそれを引きずり込んだ記憶がある。
 セルジュは頬にはりつくメアリのきれいなピンクブロンドをかきあげた。
(とんでもない花嫁だな)
 昨日の、散々な初夜を思い出す。
 一通り閨教育は受けたが、特に気持ちいいと思ったことはない。今回もそうだろうとさっさと初夜を終わらせるつもりが、想定外のことがありすぎた上に、泣きながら喘いでいる彼女を見て強く反応している自分を知った。
 前から小柄だと思っていたメアリは意外にも胸とお尻に肉付きがよくて、やわらかな肌をしていた。白い胸元に顔を埋めれば甘い彼女の香りに包まれて、気づけばもう準備ができている状態だった。
「はぁ……」
 ため息を吐いてもう一度ベッドに横になり、まだ眠っているメアリを抱き寄せる。
 その首筋に顔を埋め、ぬくもりに吸い寄せられるように唇をはわせてちゅ、と吸うとそこに赤い痣ができた。あまりにも簡単につくので面白く、何度か繰り返していると。
「ん……?」
 メアリが目を覚ました。慌てて身体を離せば、彼女はベッドに横たわる自分とセルジュを見て慌てて起き上がった。
「あっ、こ、これは食事を持ってきたのであって、邪魔をしにきたわけでは」
「わかっている」
 そういえばお腹がすいた。人を呼ぶのも面倒でベッドからおりてテーブルに近づけば、いつもの銀のトレイにはナッツやドライフルーツと一緒に、ハンカチにくるまれた何かがあった。広げてみるとキイチゴだ。
「あ、これは私の」
「取る気はないから安心しろ。ここで食べるのか」
「ダメ?」
「虫がいるだろう」
「ああ」
 メアリがハンカチを持って窓を開く。夕暮れの窓辺で光に照らされながら彼女がふっとキイチゴに息を吹きかけた。
「……どうかした?」
 自分はその様子をじっと見ていたようだ。全部のキイチゴを確認して窓を閉めつつ、戸惑った表情をするメアリに笑う。
「昔、好きだった子が同じことをしていたと思って」
「……その子を、お嫁さんにすればよかったんじゃないの?」
「どこの誰かも知らないし、ほんの子どもの頃のことだ」
「へぇ」
 彼女は興味がなさそうに相槌を打った。
 ナッツを口に入れる。塩もハーブもつけない素の味が喉を通り過ぎた。まずくないわけではないが、特段美味しいとも思えないそれをいくつか摘まんで水を飲んだ。
 ふと違和感とともにベッドを見れば、珍しくメアリは大人しくじっとしていた。目が合って慌てて顔を背けて彼女は口を開く。
「そ、その、今日も、……するの?」
「しない」
「そっか!」
「……」
 自分で言ったがそうあからさまにほっとされると癪に障る。
 ベッドで半泣きで痛いと泣いていたから、今日くらいはと思っただけで。別に下手と言われた気がして傷ついているわけではなく――。
「やはりするぞ」
「えっ」
 腕をとってメアリをベッドに転がす。途端に男女事に慣れていないのがまるわかりのようすでメアリは動きを止めた。いつもはイノシシのようなのにその変化が面白くてゆっくりと胸のボタンを開ければ、すぐに体格に似つかわしくない胸が飛び出してセルジュはそれを愛撫した。
「んっ、う」
 舌を這わせれば感覚が鋭いのかすぐに甘い声を出して、身体がもっと熱くなる。ちらりと顔を見ればすでに真っ赤で目元はうるんでいた。
 知らず、ごくりと唾をのんだ。
「……いきなりつっこむと痛いのはわかったな」
「う、うん」
「三十分だけ力を抜け。昨日みたいに無理やり入れたりしないから」
 指を絡めてシーツに縫い付け、首筋に顔を埋める。そこを何度も口づけていると、次第にこわばっていた力が抜けてきた。動物的なだけあって快楽に弱いのかもしれないなと思っていると彼女が口を開いた。
「ゆっくり、時間をかければ大丈夫?」
「……ああ」
「ライアン卿が言ってたのと同じね」
 その言葉にセルジュは動きを止めた。来ているとは聞いていたが……。
「メアリ、まさか話したのか。昨夜のこと」
「うん」
「――」
 素直にうなずく妻に一瞬殺意に似た感情がよぎる。
「い、いけなかった?」
「お前……」
 一気にやる気が萎えてセルジュはベッドに崩れ落ちた。
 この契約結婚を主導しているのがライアン卿なのだから、彼が気にかけるのは当然だ。だがメアリのことだ、昨夜の惨事をすべて話しているだろう。これからどんな顔をして会えばいい。
 どうやら花嫁には、夫婦のことを不用意に話さないようにという基本的なことから教えなければいけないようだ。

第二章 共犯

 さんざんセルジュに説教をされた数日後、ライアン卿の言っていた『教師』が公爵家にやってきた。
「では、メアリちゃん、よろしくお願いしますね」
 そう背を伸ばして言うのは、ライアン卿夫人だ。
 凛としたたたずまいの彼女は、個人レッスン用にと用意された部屋で椅子に座るメアリに言う。ライアン卿よりも二十若い夫人は、夫によく似た温和な笑顔で持っている馬用の鞭で軽く自分の手を叩いた。
「夫から任されている以上、手は抜きません。覚悟してください」
「よろしくお願いします!」
「いいお返事ね。ではまず性交と言うのは……」
 美しい夫人がほとんど恥じらう表情を見せずに口から出す単語の数々に、初めはうんうんとうなずいていたメアリも途中から顔をあげられなくなった。
「……な、なるほど?」
 一通り話を聞き終わって、真っ赤になった頬を抑えた。
 雄のあれが中に入るのはわかっていたけれど、まさか人間と動物では違うとは。しかも四つん這いではなくベッドに寝てするものだとは。
 そして男性を受け入れるまでにしなければならない行程があったとは。
「初めて男性を受け入れるのは特に大変よ。三十分とは厳しいわね」
「うう」
 あの感じたことのない痛みを思い出す。あれに耐えた上にさらに擦られなければならないとは恐ろしい。
「とはいえ、セルジュ君の体力も考慮しなければならないし」
「ど、どうすればいいのですか先生!」
 絶望のまま問えば夫人はうなずいて、机に手のひらほどの大きさの瓶を置いた。
 うながされて開けて手にとってみると、中はとろりとした無色透明の液体だ。匂いもない。
「これで、始める前に準備をしましょう」
「準備?」
「これであそこを、ごにょごにょ」
「――っ」
 部屋に他に誰がいるわけでもないのだが、内緒話のように耳打ちされたあり得ない言葉にメアリは飛び上がった。
「な、ななな」
「もちろん慣れないうちは入り口に塗るだけでもいいわ。とにかく、女性の負担にならないようにするためのものだから」
「え、えっと、でも」
 もう真っ赤な顔で口をぱくぱくするしかない。そんなメアリの机を夫人が鞭で叩いた。「私がやってもいいけれど?」
「いえ!」
 慌てて首を振る。このうえライアン夫人の手を煩わせるわけにはいかない。なにより女性同士でも恥ずかしいし……ちょっと怖い。
(思い出せ、……初めて魚や鹿やウサギをさばいた時のことを……!)
 恐ろしくて怖かったけれど、一度やればもうあとは身体が慣れる。これもきっとそうだ。
 ……多分。

 その夜。先に寝室に来て夫人に聞いた通り準備をしたメアリに遅れて、いつも通りの気だるそうなセルジュが姿を現した。
「? やけに静かだな」
「……うん!」
(変な感じがする……)
 ベッドの上で正座をして、濡れた感覚にもじもじと足を揺らした。
 さすがに中に指を突っ込むのはできなかった。ぬるつく液体を入り口に何度かこすりつけるだけで精いっぱいだ。粘着性のある液に下着をつけるのもためらわれて履いていない。
(三十分、三十分我慢するだけ!)
 身を縮こまらせているメアリの前にセルジュが瓶を置いた。
「?」
 それはまさしくライアン夫人から渡されたのと同じもの。
「これを使えば少しは痛いのもマシになる」
「あ、えと、はい」
 セルジュも同じことを考えてくれていたらしい。
「ぬ、塗りつけてみたんだけど、冷たくて変な感じが」
「……」
 セルジュが瓶とメアリを交互に見る。そして目ざとい視線が枕の下に隠していた瓶を見つけた。
「あっ」
 思わぬ素早い動きで使った瓶を取られる。すでに三分の一ほど減っている瓶を眺めたセルジュがメアリの腕を掴んだ。
「見せてみろ」
「こ、こころの準備が!」
「いいから」
 向かい合ったまま背中を支えられて、指が先日と同じところを這う。前回と違うのはぬちゃ、という水音とともに指が中に入っても前より痛くないことだろうか。
「ん、っ、ん、あ」
 そのままかき混ぜられてメアリは目の前のセルジュにもたれて呼吸を乱した。指は思いがけないほど奥まで届いている。入り口だけを擦ったかと思うと一気に手のひらが入り口に当たるほど貫かれてその度に腰が震えた。
 卑猥な水音が耳に入ってくる。それもメアリの羞恥心をかきたてた。
「はっ、あの、自分で、やるから」
「遠慮するな」
 喘ぎながら言うとセルジュが指を奥で少し曲げた。
「っ」
 途端に先ほどより強い衝撃が身体を突き抜ける。
「あっ、あっなに、ふあぁ」
 執拗にそこを擦られて声が上ずる。ノックするように指で軽く叩かれるだけで目の前に星がまたたく。セルジュの手の動きのひとつひとつに身体は従順に反応した。
「あん、ん、っ……なんか、へん」
 すぐに呼吸が荒くなって耐え切れないほどの何かが身体にたまっていた。肩を上下させるメアリの耳にセルジュが口を近づける。
「そのまま」
「え、っあう、あ……ぁ――――……」
 外耳を食まれて舌が中をくすぐる。ぐじゅぐじゅと奥を探っていた手が入り口近くの蕾を手のひらで押しつぶしたところで、何かがはじけた。
 一度来た波は止められずにガクガクと身体が勝手に痙攣する。
「は、……あ、あ……?」
 なんともいえぬ感覚が通り過ぎたあと、中に入った指が再び動きを開始した。
「待っ、まだ、いた、ぁ」
「そのうち気持ちよくなる」
「ならな、……あ、ん、ん」
 過ぎた刺激に声をあげればむしろ面白がるように指が先ほどの場所を探った。
「ふぁあ、ん、あ――……」
 一度達した身体はまた上り詰めるのもすぐだった。セルジュの手でもう一度頂を越して怯えるようにすがりつけば彼ははぁと息を吐いた。
 存外優しくベッドに転がされて服をはだけられる。セルジュも邪魔そうに服を脱いだ。
「う、……」
 初夜と同じ熱いものが入り口に当てられる感覚。あの痛みを思い出してぎゅっと身体を縮こまらせたメアリの中にゆっくりと太くて固いものが入ってきた。
「……ふぁ、あ」
 痛みは……前よりないがやはり、苦しい。
「息をして、下腹部から力を抜け」
「っ、うう、むりぃ」
 力の抜き方がわからない。それでも指で散々慣らされた入り口はとろとろに蜜をこぼしていて、セルジュに胸を吸われながら腰を動かされると少しずつ入ってくるのがわかった。そして。
「――っ……」
 ひと際狭いところを屹立のふくらんだ頭が抜ける感覚があったあとに、一気に奥に入ってきてメアリは背中を弓なりにした。
「……はっ、はう、う」
「力を、抜け。きつ過ぎる……食いちぎる気か」
「で、でででも」
 上にのしかかるセルジュにふるふると首を振ると、はぁとため息が聞こえた。
 身体が重なる。ひやりとしたセルジュの身体が布団のように上に乗るとしばらくしてメアリの体温がうつったのか、じわりと温かくなった。初めは苦しさしかなかった屹立は、しばらくしてようやく身体になじんだ。
「……お前は、温かいな」
「ふ……?」
 メアリの髪をかきあげて、セルジュが身体を起こした。
「もう時間もないし」
 枕もとの時計を見ると、もうすぐ三十分だ。離れたぬくもりがどこか寂しくて手をさまよわせると、セルジュが腰を掴んだ。
「ん、っあ、なんで」
「まだ半分も入っていない」
「――え」
 驚いて下を見る。メアリの足の間に見える屹立が……まだある。だが体感的にはもうぎゅうぎゅうでいっぱいだ。少し動くとよくわからない痛みが背中に走る。
「はんぶん、って」
「……メアリの怯える顔は意外とそそる」
(え)
 メアリは目を見開いた。
(今、名前を)
「ふ、ぁ」
 一瞬高鳴った気持ちはしかし口元をゆがめた彼が腰をすすめて霧散する。セルジュの顔は相変わらず冷静で、呼んだことに気づいていないのだろうか、雄茎が宣言通り少しずつ中に入ってきてメアリは悲鳴をあげた。
「待っ、や、こわ、い」
 何かもうひとつ違う感覚が身体を支配する。全部をゆだねてしまいたくなるような、今すぐ突き飛ばして逃げたいような。
 交尾とはこんなものなのか。もっと野生動物たちは普通の顔をしていたけれど。
「っは、ぁ……っ」
「しかも中は、極上だ」
 泣きじゃくるメアリの頭に口づけて、セルジュは腰を押し進める。
「……こんな男に抱かれて、かわいそうに」
「あ、――……っ」
 ぷつりと中で何か切れる感覚がして、痛みに身体が引きつった。
「動くぞ」
「待っ、あ、っいたい、や」
 先ほどまでのゆっくりさをかなぐり捨ててセルジュがメアリを揺さぶった。泣きながらその動きに身を任せていたが、ぎゅうぎゅうに詰める大きな杭が奥をかき混ぜた時に身体が勝手にぴくりと動いた。
「っふぁ、あ」
「しめつけるな、っ」
「だ、って」
 自分ではどうにもならない。反応したところを何度も擦られてあえぐ。
「身体も、素直だな」
「っん、ん」
 好き勝手に揺さぶられて声がもれる。痛みの中になにか小さな快楽が少しずつ育ってきて……だが、途中で彼は動きを止めた。
「え……」
「三十分だ」
 中断に目を開けたメアリに言って、セルジュが屹立を抜く。中途半端に火照る身体のままぐったりと倒れこむと、乙女のしるしがシーツにこぼれた。
「……」
 それに目を細めたセルジュが服を着て出ていくのを、メアリはベッドでぼんやり見送った。
 慣れないことばかりでいろいろ限界で、おやすみなさいを言う前に瞼が閉じた。

 翌朝、起きた時にはすでにシーツも服も綺麗になっていた。もちろんセルジュの姿はどこにもなく、侍女がしずしずと運んでくれた温かい紅茶でようやく一息つく。
 足の間の違和感は初夜よりもひどい。けれども昼頃には歩けるようになっていた。
 ようやくセルジュのものを受け入れたお腹を撫でる。特に変わったところはないが。
(もう生まれるのかしら)
 早ければ三か月で懐妊がわかるというが……。セルジュが射精していないことを知らないメアリは首を傾げた。
 日課の散歩に出ると、廊下で知った顔に会った。
「おやこれは、奥様」
 前からやってきたのはセルジュの叔父のグレゴワールだ。すでに挨拶もしている彼にメアリはぺこりと頭をさげた。
 セルジュの往診の帰りだという彼と少し話をする。
「今度、王宮の晩餐会に呼ばれているんだ。君もいかがかな」
「晩餐会、ですか」
 聞いたことはあるが行ったことはない。社交界デビューをする前に父が亡くなってしまったし、そもそもそういう場所にふさわしいドレスも持っていなかった。
「まぁ、君のような田舎者では公爵家が恥をかくだけかもしれないが」
 明るく言うグレゴワールに笑って……メアリは心の中で首を傾げた。
(あれ? 今)
 何かひっかかるような。それを認識する前に、彼はメアリの肩を叩く。
「新婚だからというのもわかるがあまりセルジュに無茶させないでくれよ。代わりが効く君と違って、大事な身体なのだから」
 そう言われた瞬間、メアリは拳を握った。
「――そうなんですよ!」
「え?」
「大事な身体なのに一日中こもって、木の実ばっかり食べて……だからあんな冬眠しているリスみたいになるんだわ。ついでにいじわるにも」
「ん?」
「ありがとうございました!」
 ペコリと頭を下げて、善は急げと走る。しかし途中で装飾品にぶつからないようにと足をゆるめた。

「散歩?」
 メアリの提案にセルジュは嫌そうに顔をしかめた。
「そう、せっかくだし、五分だけ」
「断る。ロブ」
「はい」
 声をかけると、メアリを追い出すために常駐している使用人が前に出る。
「待って、話はまだ終わってな……」
 ロブに猫のように廊下に追い出された。
「そもそも、私の邪魔をするなと言ったぞ」
「一日中本を読んでるんだから、五分くらい邪魔にならないわよ」
 閉められた扉越しに会話をする。
 セルジュの具合が悪いのは動いていないからだ。散々生き物を狩ったり飼育したりしてきたメアリの見立てでは、セルジュの命は『まだ』大丈夫だ。そもそも夜はあれだけメアリをいじめるのだから、すぐ死ぬはずはない。
 身体や薬はグレゴワールが診てくれている。あとは日ごろの運動や食事に気をつければきっともっと丈夫になるはず。
 だが食事は頑なに変えてくれない。だからまずは散歩に誘ってみたのだが……。
「夫としての見返りを期待しているのか。身体を重ねたくらいで」
「何言ってるの」
 アンダーソン家の妹弟たちよりわからずやな夫に頬を膨らませる。
「家族として身体を心配しているの!」
「必要ない」
「奥様……」
 説得して数日が経っていた。この攻防を見守ってくれていた執事がおろおろと声をかける。毎度摘まみだすロブも困った顔をしていた。
「わかった。じゃあセルジュから開けてくれるまでここで待つわ」
「好きにしろ」
 平坦な小さな声だけが返ってくる。
 扉にもたれかかって、膝を抱えて座った。
「……あんまり閉じこもってるとカビが生えちゃうんだから」
 扉の前で待つ作戦。一日目は何の反応もなかった。
 そして三日目。
「……」
 今日も扉の前で座って、天井の宗教画を見る。実家の天井はすでに禿げきっていて、下地かうすい線だけだが、公爵家では修繕をしているのか絵の具の色も綺麗にそのままだ。
 描かれた雲の合間に天使が舞い、楽園では人々が明るく笑っていた。
(死んだあとに行くのがこんな場所ならいいな)
 それを眺めながらぼんやりしていると、やがて少しドアが空いた。振り仰げば不機嫌と顔に書いたセルジュがそこにいた。その威圧感に一瞬ひるむが、引きこもっていた穴から出てきてくれたのはいいことだ。メアリも立ち上がった。
「……いつまでそこにいる」
 言葉には怒気が含んでいる。ぐっとこらえてその紫の目を見返した。
「セルジュが散歩に行くまで」
「私は具合が悪い」
「五分だけ」
「邪魔を……」
「夜の時間を三十分って勝手に決めたのはセルジュなんだから、今度はこっちの要求ものんでもらうわ」
 いつの間にか名前で呼び捨てにしていたメアリの口をぱっとセルジュが押さえた。
 じっと目を見ていると彼は嫌そうに息を吐いた。けれどロブに別の使用人を呼ばせて着替えを始めてくれた。
 十五分後、リネンのナイトウェアからシャツとズボン、ベストに着替え、肩からマントを羽織って杖を持ったセルジュが現れた。
「五分だからな」
「ええ」
 着替えのほうが長いと思いながら素直にうなずく。
 結婚式の前からあちこち見て回ったので、もう公爵家の庭も知り尽くしている。池の魚の数も、温室に放たれている鳥の数も、鳥の巣の位置も。
 歩くのも辛そうなセルジュはずっと杖をついていた。その背中を支えると渋い顔をしながらも振り払われることはない。約束通り五分だけ芝生を歩いたらすぐ部屋に戻ってしまったが翌日から、朝五分だけ散歩をする習慣がついた。
 時間が少ないので、なるべく効率よく動けるように執事やロブと対策を練る。歩きやすいように道を整理したり、庭師と一緒に心がうきうきする花をいろんなところに植えた。
 毎日せっつくメアリに根負けしたのか、散歩の時間は少しずつ増えてきた。
 けれど相変わらず、夜の時間は決められたとおりだった。

 その日も自分で準備をして訪れた寝室で、腕を引かれたメアリはセルジュの腕の中に倒れこんだ。細いと思っていたが意外と体格はよく、メアリはその腕の中にすっぽりおさまってしまう。
「こういうのもいいだろう」
「え、あ」
 あぐらをかいた膝に対面でメアリをのせると、すぐに下から、濡れたところに熱の先がもぐりこむ。ほぐされた入り口が雄茎を招き入れた。
「あ、ああ、っふあ」
 いつもの体勢とは違うためか、狭いのに太いセルジュの熱は内壁をこすりながら侵入してくる。腰を押さえられて逃げられないままどんどんお腹の中に入ってくる感じはやけに生々しい。それでも一度に全部は入らずに、途中で止まる。
「……は」
 セルジュが苦しそうに息を吐いた。顔をしかめているところを見るとまた体調が悪いのだろうか。まだ受け入れた衝撃が抜けないまま身体にもたれていたメアリの髪の毛をセルジュがそっとかきあげた。
「……自分で、動けるか?」
「ん……」 
 震えながらそろりと腰を持ち上げておろしてみる。それで熱がまた少し中に入った。
「ぐ」
 セルジュが小さく声を出す。
 苦しいのだろう、早く終わらせたほうがいい。もうこうなれば恥ずかしいのも同じだ。どうせ全部見られているし、夫婦なのだから。
「っ、ん、ぅ……ふ、ぁ」
 セルジュの肩に手を置いて、座った状態の彼の上で腰を動かす。何度か繰り返しているとさらに深部に潜って、あるところを先端の丸いところがこすった。
「っふぁ」
 途端に足先から頭までびりびりと快楽が走る。身体が支えられなくて目の前の身体に抱きついてその衝動がおさまるのを待った。
(確か、セルジュはここを)
 自分の感覚で同じところで腰を揺らしてみた。初めは苦しくて違和感しかなかったのにだんだん気持ちよくなってくる。
「あ、あ、っん、ん」
 もう腰を振ることしか考えられなくて、セルジュに抱きついたまま吐息をこぼす。いつものチカチカした光と背中を這う重い快楽が身体と頭を支配する。自分でも蜜が中からこぼれてるのを感じれば、奥を打つわずかな衝撃とともに熱杭がすべて埋まった。
「……は……」
 下生え同士がこすれるのを感じる。荒い息はまだ整わない。
(時間は)
 枕もとの時計を確認しようとすると、セルジュが少し身体を倒した。
「え」
 胸を持ち上げて先端を口に含む。
「待っ、それ、っ」
 途端に腰にたまる快楽が増える。ふにふにと指で柔肉を持ち上げながら、先端を舌でいたぶられて声が出た。
「ふ、うう」
「腰が止まってるぞ」
「こ、これで動くの!?」
「当たり前だろう」
「……っ」
 動きを再開した。胸をいじられているせいか先ほどより体中が敏感になっている。そのうえ、背中に腕を回されて動きづらい。
「せる、じゅ、一回、口はなして」
「やだね」
 これみよがしに吸われてしまう。次いで胸を揉んでいた手が結合部の濡れている愛蕾を摘まんだ。
「……――っは、は、ぁあ」
 全部気持ちよくてもう達することしか考えられない。セルジュの腕の中で自分のいいところを何度も擦って……ようやく、その瞬間が訪れた。
「ん、っあ……これ――――」
 波が来て一瞬遅れてがくがくと身体が震えた。たまらず目の前の柔らかな髪にすがりついて身を縮こまらせていると、セルジュの指先がメアリの背中を優しく撫でた。
「だめ、……、――あ――……」
 そんな刺激でもう一度波がやってくる。長い痙攣をしている間にセルジュがメアリを抱く力も強くなった。
(あ)
 奥で熱杭が震えて、飛沫が放たれる感覚があった。メアリを強い力で抱きしめたままセルジュは動かなかったが、しばらくして拘束を緩めた。
「……終わりだ」
 小さく言って身体を離す。ずるりと雄茎が抜かれれば、透明な愛液をまとうそれは白濁で入り口とつながる。
 ベッドに倒れこんで時計を見るときっちり三十分だ。ぐう、とそこでメアリのお腹が鳴った。
「お腹がすきました」
 言うと服を着たセルジュは、珍しくベッドに座りなおした。
「……何か持ってこさせるか」
「いえ」
 気だるそうにベルを手にとったセルジュを止めた。
「せっかくなので、冒険しませんか」
 服を着て静かな屋敷を静かに移動する。
 門番はまだ起きているのか、庭には灯りが動いているのが見えてそれに気づかれないように態勢を低くする。
「なんでこんなこそこそと……」
「楽しいじゃないですか」
 ナイトウェアにショールを羽織ったメアリが胸を張る。
「そうか?」
「というか別に待っててもらってもよかったんですが」
 シャツにズボン、セーターを着たセルジュはなんとも言えない顔でメアリを見た。真正面から見返すと、顔を逸らされる。
「細かいことはいいんだ。で、どうする」
「厨房の火はもう消えているので、食糧庫からチーズやハムやパンを調達しましょう。昨日はミルクが届く日でしたし、ナッツとかもそちらに」
「……いつの間に台所事情を」
 呆れたセルジュの声を無視して静まり返った、まるで迷路のような暗い屋敷を進む。厨房は別棟にあって渡り廊下には心地よい風が吹いていた。
 ゆっくりと階段を降りて階下の厨房に赴けば思った通りもう誰もいない。壁や棚には綺麗に磨かれた食器や鍋が並んでいる。いつ見ても公爵家の使用人の仕事のできには恐れ入る。
 しかし目的地はここではない。いそいそと迷いなく足を進めるメアリにセルジュが言う。
「今までにも忍び込んだな」
「な、ななななんのことだか」
「まぁいいが」
 たどり着いた食材庫にはもちろんだが鍵がかかっている。メアリは鼻歌を歌いながら、持ってきた針金で鍵を外した。
「ふふふ、宝の山ですよ」
 厳かに扉を開けた。
 天井から吊るされたランプに灯りをともすと、並んだ棚にはぎっしりと食料が置かれている様子が浮かび上がる。
 布で包まれて日付のメモがピン止めされている肉、籠いっぱいのリンゴ、オレンジ、パン、チーズ。上からはソーセージやハムがぶら下げられている。缶に入ってるミルクもたっぷりだ。
「……初めて見た」
「私も、こんなに詰まってる食糧庫なんて見たことないです」
 実家ではあっという間に食べきってしまう。もらい物はそれぞれ交換するし。
「ナッツやドライフルーツはあれです」
 棚の上にある高級缶を指す。背の低いメアリでは背伸びしても届かないのでぴょんぴょんと飛び上がった。途端に、奥からとろりと何かが出てくる感覚があって思わず動きを止めた。
「これか」
 ひょいとセルジュが缶を取った。その場にしゃがむメアリを見て怪訝そうに眉をひそめる。
「どうした」
「……いえ」
「他には?」
「そ、そうですね……パンとチーズで」
 棚に手をついてゆっくりと立ちあがった。それだけでまた液体の感覚があってもぞりと足を擦り合わせる。
 うかつに動くともっとこぼれそうだ。下着はつけているから粗相することはないと思うが……セルジュはメアリに気づくようすもなく、籠にパンやチーズ、ハム、リンゴを入れた。
「これくらいか……お前は静かだと気味が悪いな」
「失礼な。いえあの、先、行っててください」
 思わずしゃがみこんで扉を指した。
「なんだ、具合でも」
「いえ、セルジュの、がこぼれそうで」
 お腹を抱える。セルジュは眉を持ち上げた。
「……それが? 下着はつけてるよな」
 いつもは聡いのに反応がにぶいセルジュにメアリは真っ赤な顔で言った。
「出したらもったいないじゃないですか……っ」
「っ」
 赤ちゃんができるまでのかりそめの妻なのだから。なるべく早く追い出したいというのはわかっている。せっかくのチャンスを無駄にするわけにはいかない。
「……は」
 小さな声に顔をあげると、顔に手を当ててセルジュが口元をゆがませていた。
(あ)
 その表情にどきりとした。
 目元が少しゆるんでいるその顔は、いつもの皮肉めいたものではなく笑うのを堪えているもので視線はどこか優しい。だがそれも一瞬のことで、呆れたように彼は息を吐いた。
「お前は、……まったく」
「そこにいるのは誰だ!」
 鋭い声にはっとする。
 セルジュがしゃがみこんだメアリを抱き上げた。細いと思っていた腕は意外とたくましく、そのまま食糧庫から抱きかかえて駆け出す。
「またですか奥様! って、旦那様!?」
 もちろん正体はすぐばれて、後ろですっとんきょうな声が上がった。
 籠は床に置いたまま、玄関ホールまで戻った。そこでセルジュがメアリを下ろす。ぜえぜえとしゃがんで苦しげに息をしている彼の背中をさする。
「つい逃げたが……必要はあったのか」
「旦那様、スリルです」
「私には似合わん」
 そのあとすぐに、執事とランプを持った見回り役――ロブが先ほどの戦利品を入れた籠を持って現れる。
「呼んで下さればすぐにお持ちしましたのに」
「スリルです」
「はぁ」
 メアリの言葉に執事もロブもあいまいに返事をする。「わからないのは私だけじゃないな」と呟いたセルジュがしたり顔でうなずいた。
 すぐに台所の火が熾されて、温めなおした夕食のシチューを寝室まで運んでもらった。味が染みこんで美味しいそれに、パンをひたして頬張る。
 その様子を、ナッツとドライフルーツを前にセルジュは見ていた。
 こんな食べ方では怒られると気づいて姿勢を正した。
「いえ、これはアンダーソン家に伝わる秘伝レシピというか……」
 メアリに興味がないセルジュは行儀作法についても何も言わないが、さすがにこれはまずい、と思ったら――彼は執事を見た。
「私も、メアリと同じものをもらおうか」
「! は、はい、すぐに」
 セルジュの言葉に、執事が飛び上がる。メアリも同様にびっくりした。
「急にどうしたんですか?」
「メアリに搾り取られて、腹が減ったんだ」
「言い方が! そ、それに搾り取ってなんて……っ」
 あまりな理由に肩を怒らせると、いそいでシチューが料理長によって鍋ごと持ってこられた。皆が見つめる前で涼し気な顔の彼はそれを一口飲んだ。
 スプーンを見て、つぶやく。
「……うまい」
「旦那様が……私の料理を」
 料理長が涙ぐんだ。
「あぶったチーズを載せるともっとおいしいですよ」
 ランプの火で少しとろけたそれをセルジュのパンに乗せた。アンダーソン家では数か月に一度食べられるかどうかの贅沢メニューだ。彼はそれも無言で齧った。
「どうです」
「悪くない」
 そしてそのパンをシチューに浸してぺろりとよそわれた分を完食した。
「旦那様……っ」
「うまいぞ、お前も食べるか」
「はい!」
 執事が泣いてうなずく。シチューは主にメアリが食べて空っぽになった。
 食後、胡坐をかいて顔をしかめた彼は静かに料理長に言った。
「……うまかった。これからはちゃんと食べる」

 その後セルジュは宣言通り、少しずつではあるが普通の食事を食べるようになった。
「ありがとうございます、メアリ様」
 一番喜んだのは執事だ。涙ぐみながら何度もお礼を言われる。しかしこの第一歩が『搾り取ったから』という理由は複雑で素直に喜べない。
 ちなみに錠を勝手に外したことは怒られて、針金は没収された。

(――つづきは本編で!)

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