作品情報

私、本当に結ばれて良いの?~王太子は亡国の侍女に執愛を注ぐ~

「じゃあ私、本当に結ばれても良いの……?」

あらすじ

「じゃあ私、本当に結ばれても良いの……?」

国と家族を失ったシャーロットは、戦とは無縁の平和な隣国へと一人逃げ延びる。身分を隠し、王女の侍女として働くシャーロットは、王女の兄エリックに目をかけられる。優しく強いエリックに惹かれるシャーロットだが、決して許される関係ではなく、わざと不愛想を装い距離を取っていた。そんな中エリックに見合い話が舞い込む。相手はなんとシャーロットの国を滅ぼした敵国の王女で…

作品情報

作:柴田花蓮
絵:唯奈

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本文お試し読み

(一)

「イザベラ様、朝食の準備が整いました」
「ありがとう、シャーロット。今日は食事を終えたらサーシャ叔母様のところに行こうと思うの。だから……」
「サーシャ様にお渡しする贈り物も準備してございます。すでに馬車へ積みいれております」
「さすがね。あなたは本当に気が利くから助かるわ。いつもありがとう、シャーロット」

 セルビオ王国・ティザーバッハ城に仕え始めてから、約二年。そして、セルビオ王家の第一王女であるイザベラに仕え始めてから、一年になるだろうか。シャーロット=ロゼは手慣れた手付きでイザベラの給仕を行い、彼女が食事を終えるのを待つ。
 シャーロットとイザベラは同い年なのだが、生まれてからずっと姫君として育ってきたイザベラは、どこか幼さがあり、ほんわかとした性格だった。シャーロットは当初洗濯専門の使用人として働いていたものの、その仕事ぶりやイザベラとの年齢の近さを買われて、イザベラ付きの侍女として働くことになったのだった。そんなイザベラとシャーロットとのやり取りを、
「イザベラ、お前はもう十八なのだろう? シャーロットに頼ってばかりじゃなく、もう少ししっかりしないとだめだぞ」
「まあ、お兄様ったら。お兄様こそ朝からそんなに小言ばかり言っていると、いつまでたっても素敵な方と巡り合えませんわよ?」
「それはお互い様だろう?」
「……もう、あなた達。お父様の前ですよ? はしたない言い争いなどやめなさい」
「ああ、構わん。兄妹の仲が良いことは大切なことだ」
 同じテーブルを囲みながら、兄であり第一王子であるエリック、イザベラとエリックの母であり皇后のメイ、そしてセルビオ国王であるセルビオ五世・ハーメットが笑顔で見守っている。
 セルビオ王国は、近隣他国の中でも群を抜いて家族同士仲が良いことが有名だった。そのため、近隣諸国へ嫁いだ娘達との関わりもいまだ強く、その娘達も嫁いだ先で人間関係の構築をしっかりと行っているせいもあり、各国との繋がりも強い。それに、
「シャーロット、いつもイザベラを助けてくれてありがとう。君がきてくれてから、本当に助かっているよ」
「恐れ入ります、エリック様」
「これからもイザベラのことをよろしく頼むよ」
 王太子のエリックも、それ以外の王族達も、城の一使用人であるシャーロットにも気さくに話しかけてくれるのだ。他の国ではこのようなことはあり得ないし、使用人にとって王族と話せるなどとても光栄であり恐れ多いこと。特にエリックは、この近隣国では群を抜いた美青年であり、まだ王太子という立場でありながら城のもの達からも信頼が厚い。王の職務を代行して国民と接することもあり、国民からの評判も良かった。その上、若くしてセルビオ王国軍の副総帥に任命されたことからわかる通り武芸にも秀でており、先の隣国との諍いでは目に見えた成果を上げていくつもの褒章を授与されたという輝かしい功績も持っている。
 すらりと高い背に、整った顔立ち。漆黒の髪を爽やかになびかせながら甘いマスクで微笑まれれば、夢中にならない娘などいない、とまで言われた恵まれた容姿。そんな彼を象徴するような真っ白い軍服に身を包んだ凛とした姿でその場にいれば、夜会に参加する貴族の娘達や外交で訪れた先の姫君など、すぐにエリックに恋をしてしまうとまで一部では囁かれているほどだ。
 そんなエリックの側で――実際にはその妹のイザベラの侍女ではあるが――こうして毎日気さくに声をかけてもらえて働くことができるなど、とても恵まれているのだろう。その点ではシャーロットは感謝しているものの、シャーロットはそれを感情あらわに喜ぶことも、そんなエリックに笑顔を見せることもなかった。いや、エリックだけにではなく、イザベラにも、同僚の使用人たちにも、他の誰にも――シャーロットは笑顔を見せることはない。
「かしこまりました」
 シャーロットはいつものように無表情のまま、淡々と答えて一礼をする。そして、イザベラが食べ終わった皿などを素早くテーブル傍のワゴンへとかたづけると、さっと部屋を出ていく。
 カタカタカタ、とワゴンの中で食器が揺れている。早くこの食器を厨房に下げ、イザベラが果物を食べ終わるまでに紅茶を運ばなくてはならない。
「……」
 ――余計なことは考えない。余計なことも望まない。ただひたすら、生きていられることに感謝をしながら過ごす。それが、今の自分にできること。そう、誓ったのだから。
 シャーロットは、廊下を進みながらただひたすら自分自身にそう言い聞かせる。しかしその傍らでは、どうしても人知れずため息をついてしまう。それは、ただ単に仲睦まじい王族達の姿に羨望しているというわけではなく、シャーロットが抱えている「ある事情」が深く関係しているのだ。

 シャーロットは、今でこそ「シャーロット=ロゼ」と名乗っているものの、本当の名前は「シャーロット=ロージア=フォン=フィルドベート」という。そう、シャーロットは数年前にギューネイ王国という国に侵攻されて滅ぼされてしまった、フィルドベート王国王家の第一王女であり、王族唯一の生き残りなのだ。緑豊かな穏やかな気候が特色だった王国は、今はそのギューネイの領地となっており、風の噂では、かつてのフィルドベートの民たちはあまり良い扱いを受けていないとのことだった。ギューネイ王国の歴史は浅く、非道な手を使って近隣の国々を自分たちの領土にしながら国土を広げてきた国として有名だった。フィルドベートでも、ギューネイの存在には注意していたものの、それでも「自分たちの国は大丈夫だ」と、どこか高をくくっていたところがあったのかもしれない。シャーロットの兄であり次期国王となることが決まっていた、王太子のギルへの縁談話がギューネイからあり、それを進めている内にフィルドベートの重要機密情報や内情がギューネイに筒抜けになってしまい、その情報を悪用されてあっという間に攻めこまれ――シャーロットは家族も、城も、そして国も失ってしまったのだった。
 ――本当は。城の最奥部にある謁見の間で自ら命を絶ち城に火を放った父や母、妹達と一緒にシャーロットも逝きたかった。しかし、
「お前は生きよ! シャーロット」
「嫌です! お兄様、私も皆と一緒に……!」
「ならぬ! お前はどこか遠い国へ逃げ延びて、そこで……誰かと結ばれて幸せに暮らせ! お前が子を成せば、もう国は無くなってしまったとしても……フィルドベート家の血筋は絶えずに済む!」
「そんなの、お兄様が生き延びたとしても同じでしょう!? じゃあお兄様も一緒に、私と……!」
「……ギューネイの奴らは、王族の男子が完全に命を落としているのを確認するまで執拗に追い続けるという。俺が一緒にいては、例え逃げ延びることができたとしても、お前を危険な目に遭わせてしまう」
 ギルは、近隣諸国でも剣術の腕に長けた王子としても有名だった。毎年行われる数か国合同の剣術大会で何連覇もしている腕の持ち主。たしかに、そのギルをギューネイのもの達が見逃すはずもない。彼らのことだ、ギルが二度と剣を握れず逆らわないようにと、腕を切り落とすくらいはするかもしれない。そうなれば、シャーロットのことは守れない。ギルもそれがわかっているので、シャーロットを必死に説得するのだ。
「奴らには、お前を追わせない。そのために、我らは屍に火を放つのだ。燃えてしまえば、一人足りないことも誤魔化すことができるはず」
「そんな……嫌、嫌です、お兄様! どうせ燃えてしまうなら、私も一緒に皆と逝かせて!」
「シャーロット!」
 皆が既にこと切れている部屋の入口に立ちふさがるように、ギルはシャーロットが中に入るのを許さなかった。
 周囲には、ギルが放った火がうねるような炎と化して広がり始めていた。別れの時間がもうすぐそこまで迫っていることを物語っている。
「廊下の突き当りの壁に、隠し扉がある。そこから城の外へ出よ。森を抜けた先に、木こり小屋がある。そこに、お前を助けてくれる信頼できるもの達がいるから、そのもの達と一緒に国を出ろ。そうだな、セルビオ王国へ向かうんだ。あそこの国王は徳も高く臣民の信頼も厚い。王子のエリックのことも知っている。あいつは信頼に値する男だ。セルビオならお前が身を潜めて暮らすにはちょうど良い……」
 シャーロットにそこまで伝えると、ギルが酷い咳をした。どうやら煙を吸いこんでしまったようだった。シャーロットはギルを気遣おうとするも、ギルはそんなシャーロットを手で制し、
「……父上も母上も、そして俺も。いつかお前の成す子を抱いてみたかったが、それは叶わぬ。しかし、天から見守っているぞ」
「お兄様っ……! 嫌よ、そんなの嫌! お兄様!」
「さあ、行け! このままではお前も火に飲まれてしまう。この火では、ギューネイの奴らもここまでは入ってこれまい」
 ギルは最後に柔らかい笑みを浮かべると、自分の胸元にそれまでかけていたロザリオを素早く外し、シャーロットに押し付けた。
 それは、ギルが父親から「次期国王の証」として引き継いだ、フィルドベート王国の宝。フィルドベートで採取される特産の赤い宝玉を全体に品よくちりばめた、銀色に光るロザリオだった。
当然、それを父から引き継いだギルはシャーロットに決して触らせてくれなかったし、いくらシャーロットが可愛がられていたとしても、父も母もそれに触ることは許さなかった。そんなロザリオを、シャーロットがギルから受け取るということ。それが何を意味しているか、もちろんわからないシャーロットではなかった。
 とにかくもう、時間がなかった。
「ああ、お兄様……! 本当は嫌よ! こんな形で、このロザリオを触りたくなんかなかった!」
「シャーロット! すまない、だがわかってくれ。フィルドべートの血を残すにはこれしかない。それが、俺達と、そしてこれまで国を守ってきた先代たちの望みなのだ」
「ああ……! そんな……!」
「とにかくシャーロット、これはお前が、俺の代わりに持っていてくれ。そして、もしも……本当にお前が困った時は、この言葉を思い出せ。『グロリオサ』」
「グロリ……オサ? それって、強いって意味の、何かのお花の花言葉でしょう!? 強くあれってこと? みんながいないのに、私だけそんなのできない!」
「……。ああ、もう時間だ。さらばだ、我が妹。愛しいシャーロットよ。こんな形で本当にすまない。でも、俺も、そして家族の皆も……永遠にお前を、心から愛しているよ」
 ギルはロザリオを抱きしめたまま泣き崩れるシャーロットに最後にそう笑顔で声をかけると、そのまま扉を閉じた。それ以後、シャーロットが何度その扉を叩こうとも、ギルは決して扉を開けてはくれなかった。
 そんなシャーロットの背後には、ギルたちがここに逃げこむ際に放ってきた火が勢いを増し、うねるような炎に姿を変えて迫ってきていた。
「ああ、お兄様……! いやよ、皆……ああ、なんてことなの……!」
 泣き叫ぶシャーロットの声は、きっと中には届いていないだろう。それにもう、きっと。考えれば考えるほど、絶望がシャーロットを襲う。しかし、今それに打ちひしがれるのはシャーロットのやるべきことではない。
「……」
 溢れでる涙を何度も手の甲で拭い、シャーロットは最後に一度、扉に触れる。そして、
「お兄様……お父様、お母様、そして我が幼い妹達……ごめんなさい……私、行くわ。みんなのために、絶対に逃げ延びてみせるから!」
 ギルが形見として残したロザリオを強く握りしめ、短く祈りを捧げた。そしてギルの指示通り、廊下の隠し扉を使って城から脱出すると、助けが待つという木こり小屋へと向かったのだった。
 木こり小屋でシャーロットを待っていたのは、昔、城に仕えていた使用人の夫婦だった。高齢で引退したものの、それまでの城への貢献を買われて、この森の番人を任されるようになっていたのだった。
「シャーロット様! お久しゅうございます。まさかこんな形で会うことになるとは……!」
「さあ、急いでお召し物を。その姿だと目立ってしまいます」
 ダンテとジーナの夫婦は、ギューネイがフィルドベートに侵攻してくるかもしれない、という情報をどうやらギルから聞いていたようで、「もしもの時はシャーロットを頼む」と頼まれていたようだ。
「お、お兄様はセルビオに……セルビオ王国に逃げよと、言っていたの」
 生まれて初めて、たった一人で城から出たシャーロット。素足で全力疾走し、不気味な夜の森を命からがら抜けてきただけあり、精神状態が高ぶった状態だった。そのため、足をところどころ小枝で傷つけ出血していたことさえも、気づかない程だった。
「ああ、おいたわしやシャーロット様……」
 ジーナはそんなシャーロットの汚れて傷ついた足を丁寧にお湯で洗い流し、布で拭いながら、
「セルビオでございますね。あそこは良い国です。それにあそこには、我らの親戚もおります」
「着替えと足の手当てをしたら、急ぎましょう」
 ダンテと共にシャーロットを目立たない町娘の服に着替えさせ、顔に泥で汚れをつけさせて美しく輝くような王族のオーラを消させると、「祖父母と孫」という設定で木こり小屋を早々に出発した。途中、ギューネイの兵に声をかけられて調べられたことがあったものの、ダンテが耳の通い老人を演じて、兵達を呆れさせることで、何とかやり過ごすことに成功。そうして、三人は三日三晩かけてセルビオ王国へと入国したのだった。
 三人はすぐにダンテの親戚の家へと向かい、事情を説明した。そこでシャーロットはあらためて、フィルドベートがギューネイの領地となったこと、フィルドベート家のものは自ら城に火を放って命を絶ったのが確認されたと聞かされたのだった。しかし、何らかの理由があるらしく生き残りがいないかを執拗に調査しているとも言われた。
「……シャーロット様」
「シャーロット様、どうかお気を確かに……」
 ギルに手渡されたロザリオを手に泣き崩れるシャーロットを、ダンテとジーナが慰めるが、
「なぜフィルドベート家の生き残りを探しているのかはわかりませんが、他国へ先に嫁いだ姉君たちにはない『なにか』について、奴らは知りたがっているのかもしれません」
「『何か』って……? 私は何も知らないわ……」
 国政については、父と兄が担っていた。なので、今さらシャーロットに何かを尋ねられてもわからない。
「ギューネイがフィルドベートを侵攻したのは、資源の搾取だと想像できます。おそらくその関係だと思うのですが……」
「余計に私にはわからないわ……」
「そうですか。しかし、今の段階でシャーロット様がこうして生き延びたことは、奴らはまだ知らない。だとしたら、この状況を利用して、セルビオで身を潜めながら生きていくには都合が良い」
「ええ。シャーロット様にはお辛いかもしれないけれど、別人として生きていくにはこのセルビオは良いところです。アマネ、お願いできる?」
「ああ。家も、仕事もすぐに手配する。ギューネイの奴らが安易に手を出せないような場所を、実は考えているんだ」
 ダンテの従兄弟であるアマネはそう言って、シャーロットに微笑みかける。
 実はアマネの妻は、以前ギューネイに滅ぼされた国出身らしく、そこに残された人々がどんな扱いを受けているか、知っていたのだ。
 そもそもギューネイは、侵攻した王国の王族は基本的に皆殺しにする方針であり、唯一姫が残っている時は、場合により王や王子の側室にするために捕らえるというのが有名だった。新たにギューネイに所属することになった民たちも、以前の数倍の税を課されて苦しんでいるという。
「……奴らに、シャーロット様の存在は絶対に知られてはいけません。他国の姉君たちへ助けを求めるのも控えた方が良い。シャーロット様も、お辛いかもしれませんが……決してご自身の出自を明かされてはいけませんよ。しばらくは時を待つのです」
「ええ……」
「では、こちらへ。シャーロット様が、今日から新たな人生を歩んでいくのに必要なことをお教えいたします」
 ――こうして、シャーロットは「シャーロット=ロージア=フォン=フィルドベート」から「シャーロット=ロゼ」と名を変え、新たな人生を歩むことになったのだ。本当は「シャーロット」という名前も変えたほうが良いと言われたが、それだけはどうしても残したいと、シャーロットは譲れなかった。
 そして、アマネがシャーロットの為に用意した家と仕事というのが、ティザーバッハ城の使用人というものだった。使用人は城の奥のエリアに皆住みこみで働くことになっている為、シャーロットがギューネイの兵に安易に見つかるようなことはない。それに、王族だったシャーロットなら、王族や貴族の勝手や仕来りなどは理解している為、新たに何か初めての仕事を始めるよりも働きやすいだろうと、考えたのだ。とはいえ、シャーロットは今まで「働いてもらう側」だったので、そのあたりの意識は変えなくてはいけないのと、それなりに仕事ができなければクビになってしまう。そのため、一週間ほどかけてシャーロットはアマネの妻から家事や洗濯、炊事などのやりかたを習い――皆に見送られて、ティザーバッハ城へと上がったのだった。
 城に来てからは、シャーロットは必死に仕事を覚えて働いた。当然ながら、以前のように愛らしく微笑みながら優雅に過ごすことも無くなり、気づけば、いつも俯き加減で歩くようになっていた。正体がばれるのを恐れ、必要以上に同僚とも接しないようにしていたし、誰かと話をする際も、極力目を合わすのを避けるようにしていた。トレードマークだったふんわりと少しクセ毛の長いブルネットの髪も、今はきっちりと一つにまとめている。笑みも消えて張り詰めたような表情している今のシャーロットを見ても、きっと、以前からの知り合いであってもわからないのではないだろうか。
 そんなシャーロットなので、本当は最初に担当となった洗濯係をひっそりとずっと務めていたかったのだが、手先が割と器用だったことや、元王族なだけあり自分では気づかなかったが所作の美しさが使用人長の目に留まり、王女・イザベラの侍女として側に仕えることになってしまったのだ。最初は抵抗があったものの、同い年ながらも天真爛漫なイザベラの人柄に亡き妹の姿を重ねてしまったシャーロットは、相変わらず笑顔を封じて距離を取りながらも、自分にできることを今、精一杯やっている。だからこそ、シャーロットには余計なことを考える暇などないのだが、イザベラを始め、エリックや他の王族達の温かさに触れてしまうと――あの日、炎に包まれて自ら命を絶った家族を思い出し、辛くなる。その度に、シャーロットは、
「グロリオサ、大丈夫、私は強い。大丈夫……」
 あの日別れ際にギルから言われた「強くあれ」という言葉を呟いては、必死に心を奮い立たせるようにしていた。でもそんなシャーロットでも、
『これからもイザベラのことをよろしく頼むよ』
 そう言っていつも優しくシャーロットに微笑んでくれるエリックを想うと、胸が苦しいのだ。

 兄のギルは、エリックと交友があったとあのとき言っていたが、シャーロットは一度もエリックと会ったことはなかった。しかし、彼の噂は耳にしていた。
 容姿端麗で、聡明で、武芸にも秀でた臣民の信頼が厚い王太子――噂を聞いていただけの時は、「そんな人物いるわけがない」と思っていた。だいたい噂というのは、流す方にとって都合がよく流れるもの。だからきっと、セルビオ王国の誰かが、エリックの評判を挙げるために情報を盛って流しているのだと、どこかでそんな穿った見方をしていた。しかし、国を亡くしセルビオに逃れて来て、城で働くようになって――実際にエリックの傍にいるようになって、あの噂に何の偽りもなかったことを知ったのだった。
 家族思いで、聡明で、武芸にも秀でていて、シャーロットのような使用人にも気さくに話しかけてくれる。彼と縁談を望む貴族や隣国の姫君の使者が毎日のように城にやってきては、贈り物や手紙を置いていく。ひとたび夜会に赴けば、女性たちが群がって一目で彼の居場所がわかるほど(と、イザベラがシャーロットに教えてくれた)だ。
 実はまだシャーロットがイザベラの侍女になりたての頃、このままイザベラの側にいてよいのか、やはり城勤めは色々と思い出してしまうので辞めてしまおうか、アマネに連絡を取って別の仕事を紹介してもらった方が良いのかと、悩んだ時期があった。
 もちろん今でも心のどこかで葛藤している部分はあるけれど、当時は今よりももっと顕著で、毎日気も張りつめていたし食事もろくにのどに通らない程だった。セルビオ城の中にいれば、簡単にギューネイのものに見つかることも捕まることもない。シャーロットにとって、ここがとても安全な場所であることはわかっていた。しかし、
「まあ、シャーロット。あなた、私よりもとても所作が綺麗だわ。侍女にしておくのはもったいないくらいね」
「……恐れ入ります」
「シャーロットにドレスの着替えを手伝ってもらうと、とても綺麗で、可愛く着ることができるわ! あなた、どこかで仕立てのお仕事か何かをしていたの?」
 無意識に行うちょっとした所作の美しさは、シャーロットがずっと、母国の城で身につけたもの。それを意図的に隠し続けるのはどうしても難しい時があった。イザベラは純粋で素直な娘なので、単純にシャーロットを褒めてくれるものの、シャーロットにしてみれば、その度に肝が冷える思いだった。
 このままではいつか、怪しまれてばれてしまうかもしれない――シャーロットはそんな思いに駆られて、日に日に憔悴していたのだった。そんな時、
「やあ、君がシャーロット?」
 イザベラが郊外にある伯母の別荘に遊びに行ったため、少しの間、シャーロットも休憩をするために中庭を歩いていた。そこに、たまたまそこを通りかかったらしきエリックが、話しかけてきたのだった。
「っ……お、恐れ入ります」
 顔は知っているものの、相手は国の第一王子で王太子。そんなエリックと二人きりで話したことなどなかったシャーロットは、思わずビクンと身を竦めて、慌てて頭を下げる。すると、
「そんなに恐縮しなくて良いよ。この城では、皆もっとフランクに話しているよ。俺にも、イザベラにも」
「で、ですが……」
「だから君も。それより、イザベラから聞いているよ。君、とても優秀なんだってね」
「そんなこと……」
「実は今朝、イザベラの部屋に用事があって行ったんだけど、そこで君たちのやりとりを見聞きしてしまって。確かに、イザベラよりもとても綺麗な所作だなって思ったよ。ご両親の教育が、とてもしっかりしていたんだね。イザベラにも見習わせたいくらいだ」
「……」
「あいつは素直で良い子なんだけれど、どこか子供っぽいところもあるし、そそっかしさやガサツな部分もあって、一国の姫君としてまだまだ足りない部分もあるんだ。だから、君のような人に傍にいてもらえると、とても安心だ。これからも、イザベラのことをよろしく頼むよ」
 エリックはそう言って柔らかい笑みを浮かべシャーロットを見た。
 ――その温かい笑顔に、シャーロットはいつしか、兄のギルの姿を重ねていた。
 ギルも、エリックのようにとても優しくて温かい人だった。シャーロットを始めとした妹達の面倒も良く見てくれたし、父を助けて国務にも必死に取り組んでいた。
 それなのに、ギルにも、もちろん他の家族にも何の罪もないというのに、あんなひどい目に。
『お兄様っ……! 嫌よ、そんなの嫌! お兄様!』
『さあ、行け! このままではお前も火に飲まれてしまう。この火では、ギューネイの奴らもここまでは入ってこれまい。……さらばだ、我が妹。愛しいシャーロットよ』
 シャーロットの脳裏に、ギルと永遠の別れとなったあの日のあの瞬間が一瞬で蘇る。胸がぎゅっと強く締め付けられ、さっと血の気が引いた。
「シャーロット、大丈夫か? 顔色が……」
 そんなシャーロットの変化に気が付いたエリックが、心配して顔を覗きこむ。シャーロットは「大丈夫です」と言ってその場を去ろうとしたものの、足の力が抜けてしまい、思わずその場に崩れ落ちてしまう。
「しっかり。さ、そこに座って」
「も、申し訳ありません……大丈夫ですので、どうか……」
「大丈夫なわけないだろう? 酷い顔色だ。それに、何だかとても悲しそうな眼をしている……どうしたんだい?」
 エリックはシャーロットの身体を支え、中庭の隅にあるベンチへと腰かけさせる。そして、いまだ顔色の悪いシャーロットを覗きこみながら、優しい声でそう尋ねた。
「っ……」
 そのあまりの優しくて柔らかい顔に、シャーロットは思わず目を背ける。が、
「……家族のことを思い出してしまいました。申し訳ありません」
「ご家族を?」
「はい。その……今は遠い所にいるので、会うことはできないのですが……」
「そうだったのか。きっと、仲の良い素敵なご家族だったのだろうね。会えなくて辛いな」
「……」
「でも、無理をすることはない。どうしても家族に会いたい時は、イザベラに言って少し暇をもらえば良い。家族とゆっくり過ごして、また戻ってイザベラの為に尽くしてくれれば十分だよ」
「……」
「ここでは、皆がそうやって、自分にとって大切なものをちゃんと守りながら生活しているんだ」
 エリックは笑顔でシャーロットにそう語り掛けると、「ちょっと待ってて」と席を立つ。そして、
「はい、これ」
「わあ……良い香り……ですね」
「これは、厨房長が育てている薔薇園の薔薇なんだ。おかしいだろう? 何で厨房長が薔薇なんてって。彼はね、ここに来る前、城下で店をやっていたんだ。その裏庭で、趣味でずっと薔薇を育てていてね……城の厨房長に抜擢して、ここに来てもらう条件として、今まで育てていた薔薇ごと城に来る、というものだった。だから、いっそのこと彼専用の薔薇園も用意するから来て欲しいって、お願いしたんだ。それ以来、彼は厨房長の仕事と、薔薇園の管理もしているんだよ。城中に飾られている薔薇は、その薔薇なんだ」
 エリックは、中庭の奥に見えていた小さな薔薇園の薔薇を一輪、シャーロットに持ってきて手渡した。可憐な薄桃色の薔薇だった。どうやらエリックは厨房長とも仲が良い様で、こうして自由に薔薇を一輪もらうことも許可を得ているようだ。
「そういうわけで、ここは自由な城なんだよ。だから、シャーロット。君も気負わず、働きながら自由に、楽しくすればいい」
「エリック様……」
「ああ、だいぶ顔色も良くなったね。もうしばらくここで休んでいて。俺ももう少し一緒にいたかったけれど、これから来客があるんだ。じゃあね」
 薔薇の花の匂いを楽しみ、少し表情が明るくなったシャーロットに安心したのか、エリックはさっと椅子から立ち上がり、小走りで建物へと駆けていってしまった。シャーロットは椅子から立ち上がりそんなエリックのうしろ姿に深々と頭を下げると、もらった薔薇の香りを再び堪能するように、鼻をつける。
 ――本当に噂通りの方だったのね。あんな方がギルお兄様以外にいるなんて、今まで思わなかった。
 イザベラと同じように年頃の娘だったとはいえ、まだ縁談などとは無縁だったシャーロットの知っている世界はとても狭く、男性と言えば四つ離れた兄のギルか父親か、という環境だった。だからこそ、噂で聞くエリックのことを、「兄のような男性が他にもいるはずがない」と思いこんでいた節もある。しかし、実際にエリックを目の当たりにすることで、その考えは変更せざるをえないシャーロットだった。
 そしてそれ以降、シャーロットは城でエリックを見かける度、その麗しく凛々しい姿に密かに胸を弾ませたものの、
「ねえねえ! 私、エリック様に感謝の声をかけて頂いたのよ!」
「私も! 本当に素敵よねえ……」
「昨日の軍事訓練のお姿、見た!? 颯爽と剣を扱うお姿、まるで演武をしているかのようだったのよ! 本当に素敵だわ……」
 他の使用人たちのように、それを表立って表現することはせず、あくまでもエリックへの感情は胸の奥底に、鍵をかけて閉じこめていた。
 ――人前で、気軽に笑ってはいけない。
 亡くなった家族や国を思えばこそ、残された自分だけが、幸せな時間に浸ってはいけない。
 ――恋など気軽にしてはいけない。
 ギルには「子孫を残せ」と言われたけれど、それはきっと、今ではないし相手はエリックではない。
 かたや、大国の王子。かたや、滅びた国の王族の生き残りで、今や没落して城の一侍女として働く、身寄りのない娘。恋慕の情を抱くなど、思い上がりも甚だしい相手だ。
「もしもギルお兄様が生きていたら、エリック様に私のことを紹介してくれていたかしら……そうだったら……いえ、やめよう。考えても、もうあの頃には戻れないし、その望みは叶わない……」
 思わず口にしてしまった弱音をシャーロットは慌てて飲みこみ、自身を強く戒める。
 ――忘れなさい、シャーロット。あなたはもう、シャーロット=ロゼなのよ。目立たずにひっそりと、ここで生きながらえるの。ただ、それだけよ。
 同僚達には、「表情がない」「仕事はできるけど不愛想」などと陰口を叩かれているのも承知はしている。それでも、今ではないいつか、兄のギルとの約束を果たす日が来るまでは、何とか生き延びなければならない。
「……お兄様。そしてみんな。いつかくるその日まで、もう少し私を見守っていて。グロリオサ、大丈夫、私は強い……強くあれ、シャーロット」
 シャーロットは、服の下に隠れるように首から下げている形見のロザリオを、そっと押さえるようにして目を閉じる。そして、エリックからもらった一輪の薔薇をそっと近くの花壇に置こうとするも――思い直して、それだけはとハンカチに包むようにしてそっと持ち帰ったのだった。

 ――そうやって、あの日以来、シャーロットはエリックに抱いた仄かな恋心を胸の奥底に鍵をかけて閉じこめていた。以前皆に愛されていた可愛らしい笑顔共に。
 長い間かけて身に付いてしまった美しい所作だけはどうにも隠しようがないものの、無表情で必要最低限のことだけ喋るようにしていれば、それほど城の中でも悪目立ちすることもない。
 本当は、他の使用人たちと同じように、エリックの笑顔に笑顔で答えたい。でも、それは今の自分にはふさわしくないことだ。
 シャーロットは食器のワゴンを厨房へと運ぶ廊下を進みながら、何度も何度も、自分にそう言い聞かせるのだった。

(二)

 そんなある日のこと。
「もう! お父様ったら、何で断らなかったのかしら!」
 珍しく一人だけ王に呼ばれて、しばらく部屋を留守にしていたイザベラが、戻って来るなりソファに身を投げながら不満を口にする。
「……イザベラ様。おみ足が見えておりますよ」
 勢いよくソファに身を投げた余り、ドレスの裾がはだけて、イザベラのほっそりとした白くて形の良い大腿が丸見えになっていた。シャーロットはサッとそれを直して再び傍に立つ。すると、
「聞いてよ、シャーロット! お父様ったら、私の縁談の日程を勝手に決めてしまったのよ!」
「……」
「縁談をする、しないを確認せずによ!? なんでも、お兄様も同じ日に縁談をするらしくって、それに合わせて私もって……なんて勝手なのかしら! 私、まだ誰とも結婚する気なんてないのに!」
 イザベラはそう言って、じたばたと足を動かす。その際、またドレスの裾がはだけたので、シャーロットは再びそれを直しながら、
「エリック様も縁談をされるのですね」
「ええ。まあ、お兄様はそろそろ身を固めないといけない頃だっていうのはあるわよね。王太子だし。いっつも、なんだかんだ理由をつけて断っていたみたいだけど、さすがにそろそろ、ってお父様にも言われたみたい」
「そうですか」
 イザベラから聞くエリックの近況に淡々と答えてはいるものの、シャーロットの胸はざわついていた。しかし、相手は王太子で自分はただの侍女。彼に舞いこんだ縁談をどうにかする権限などない。
「……しかも、お兄様の縁談相手の兄と、私が縁談するのよ。もし両方とも上手くいってしまったら、私、妹なのにお兄様の『お姉さま』になってしまうのよ!? そんなの複雑だと思わない!?」
 そんなシャーロットをよそに、イザベラはずっと不満を口にし続けている。シャーロットはイザベラを宥めて紅茶を淹れながら、
「縁談のお相手は、ご兄妹なのですか?」
「ええ。年頃の妹がいるって、相手国も調べていたみたいね。それで、向こうの第一王子もそろそろ縁談を考えていたからって、ついでに」
「そうなのですか……」
「私はあまり城の外のことは良くわからないけど、最近国土を増やして力をつけてきている国みたいよ、えーっと確か……」
 ギューネイって国だったかしら。イザベラはそう言ってシャーロットに微笑みかけるも、「ギューネイ」という言葉を耳にしたシャーロットは、思わず淹れていた紅茶のティーポットを床に落としてしまう。
「きゃ! ちょっと、大丈夫? シャーロット、あなた火傷は……」
「っ……も、申し訳ありませんっ……」
「ねえ、あなた顔色が悪いわ。本当に大丈夫なの? とにかく、ここは他の人に任せて着替えてらっしゃいよ」
 みるみる琥珀色のシミが絨毯に広がっていき、部屋中に良く蒸された茶葉の豊潤な香りが広がっていく。普段なら、シャーロットがそれを素早く処理するのだが、顔色の悪いシャーロットは身体を小刻みに震わせてその場に立ち尽くすしかできないでいた。
 もちろん、そんなシャーロットの珍しいミスに目くじらを立てるようなイザベラではないので、すぐに他の侍女に床を片付けさせると、シャーロットに着替えてくるように命じる。シャーロットはイザベラに頭を下げると、顔色が悪いまま、部屋から出て侍女達の休憩部屋へと駆けこむ。そして、床にへたりこんでしまった。
 ――ギューネイ王国。それは、シャーロット達の国を滅ぼした憎き敵国の名前。
 シャーロットがその国名を忘れたことなど、あの日以来一日だってない。ギルのおかげで、彼らはシャーロットもあの時に亡くなったと思っているものの、万が一のことを考えてこうして、第三国へのがれ、簡単にかの国のものと接触しないで済む環境に身を置いているのだ。それなのに。
「エリック様のお相手は、もしかして……あの時、ギルお兄様と縁談をした、あの女? ……だとしたら、まさか、奴らはこのセルビオ王国にまで毒牙を」
 シャーロットの脳裏に、かつてのフィルドベートでのでき事が蘇る。
 そう、ことの発端は、ギルと、ギューネイの王女・フランシスカとの縁談話だった。あまり乗り気ではなかったギルに比べ、フランシスカは積極的だった。フランシスカは父と母にも気に入られ、年の離れた幼い妹達にも取り入って、あっというまに家族になじんでいた。そんな中、フランシスカの兄であり、ギューネイの第一王子でもあるオリバーも、よくフィルドベート城にやってくるようになったようだった。しかしフランシスカと共に、いつの間にか我が物顔で過ごす二人を快く思わなかったシャーロットは、ほとんどオリバーと顔を合わせることはなかった。それはギルも同じだったようで、まだ婚約もしていないのに勝手に城に来ては自由にふるまう二人を、快く思っていなかったのだ。そうこうしている内に、城の機密事項が外部に持ち出されてしまい、その情報を利用したギューネイが、あっという間にフィルドベートを――その経緯を、シャーロットが忘れるはずはなかった。
 そんなギューネイが、このセルビオにも手を伸ばそうとしている。
 おそらくイザベラの相手は、フランシスカと共にフィルドベートの機密情報を城から盗み出した、兄のオリバーだろう。そんな人物だとわかっていて、あの純真可憐なイザベラや、清廉潔白で人格者でもあるエリックと縁談などさせたくはなかった。しかし――シャーロットには、それを彼らに伝える手段がなかった。
「イザベラ様、ギューネイのものは信用なりません! エリック様も含め、縁談などすぐにやめるべきです!」
 例えシャーロットがそう声を挙げたとしても、「そう思う根拠」を話さなくてはならなくなる。そうなれば、シャーロットは自分の身の上を話すことになり、自身の出自や、なぜ今名前を変えてここにいるのかも全て、話さなくてはいけない。それは、少なからずシャーロットの身に危険がおよぶことにもなり、これまで助けてくれたダンテ達の苦労も無にすることになってしまう。それはできなかった。しかし、ギューネイの真実を知っているシャーロットが声を挙げなければ、最悪の事態がこのセルビオにも訪れてしまうかもしれない。
「ああ、どうしよう……どうしたらいいの……」
 紅茶の染みができてしまう服など、どうでも良かった。手にほんの少し火傷を負ったのも、気にならなかった。それよりも、フィルドベートに起こったことがセルビオにも起こりえるかもしれない、その方が、シャーロットの心を酷くかき乱すのだった。

 それから十日ほどして。シャーロットの不安をよそに、エリックとイザベラの縁談がティザーバッハ城にて行われた。この縁談に際し、最初は文句ばかり言っていたイザベラだったものの、どうやら相手のオリバーに一目ぼれしたようで、
「ねえねえ、聞いてよシャーロット! オリバー様ってね、狩りがお好きでよく行かれるんですって! 私に、その時の楽しいお話を色々教えてくださるのよ!」
 よほど彼を気に入ったのか、オリバーたちが帰ったあとも、イザベラは毎日毎日同じ話をしては楽しそうにしている。
「そうですか……」
 オリバーはともかく、オリバーの妹であるフランシスカとはシャーロットは面識がある。そのため、いくら侍女の格好をしているとはいえ極力彼らと顔をあわせないで済むよう、縁談の日は無理を言って休みをもらったシャーロットだった。
「まあ、シャーロット。あなたならもう少し喜んでくれると思ったのに! とにかく、オリバー様ってすごく素敵なのよ。紳士的で、大人びていて……いつもお小言ばかりのお兄様とは大違いだわ! あなたにも会わせてあげたいわあ」
 そんなシャーロットとは正反対に、オリバーへの恋心を日に日に膨らませていくイザベラ。おそらく初恋なのだろう。それゆえ、その気持ちを大切にしてあげたい気持ちもあるが、事情を知っているだけに手放しで応援はできずに複雑な気持ちになる。
「ねえ、シャーロット。来週、またオリバー様がここに来てくださるの。お城の庭を案内してさしあげる約束をしたのよ! ふふ、ドレスは何色がいいかしら。やっぱり華やかな色? でもあまり色が強すぎると子供っぽく見えてしまうかしら……」
 そんなシャーロットの心中をよそに、イザベラは明らかに初めての恋に舞い上がっている様子だった。シャーロットは適当にイザベラに話をあわせながらも、心の中は複雑な思いに支配され続けているのだった。

 ――それから、数日後の夕刻。その日はイザベラが用事で外出をしていたため、シャーロットはイザベラが戻るまで、ゆっくりと業務をこなしていた。そんな中、イザベラの部屋に飾る花を分けてもらおうと、中庭にある薔薇園へと足を運ぶ。
 この薔薇園の管理者は、庭師ではなくなぜか厨房長。なぜ彼がこの薔薇園を管理しているのかをエリックから以前に聞いていたシャーロットは、それ以降、厨房長と薔薇の話でよく盛り上がっていた。フィルドベートにいた際、直接薔薇の手入れはしていなかったものの、薔薇が好きだったシャーロットは、よく城の薔薇園で遊んでいたのだ。そしてそこで、庭師に薔薇について話を聞いていた。その時の記憶を思い出し、厨房長と意気投合したのである。おかげで今は、シャーロットの時間が合えば厨房長と二人で薔薇の手入れをし、そして薔薇を分けても貰えるようになったのである。
 よく手入れの行き届いた無数の薔薇の花たちが、淡いオレンジ色の夕日に照らされている。この薔薇園は、厨房長の趣味なのか、薄桃色の薔薇が多い。愛らしく可憐な、薄桃色の薔薇。フィルドベートにいた時も、シャーロットが大好きな色合いの花だった。そういえば、城で初めてエリックと話した時も、彼に初めて贈られた一輪の薔薇はこの色だった。
「……」
 シャーロットはそっと服の胸元を押さえて目を閉じる。
 相変わらず首には兄の形見のロザリオを下げているが、その上、身に纏っている服の胸ポケットの中には、その時にエリックに贈られた薔薇を乾燥させて粉末にして匂い袋にしたものを持っていた。大好きな薔薇の香りをいつでも持ち歩いていたいと思ったのはもちろんだったが、そうやっていつでも身につけて持っていたいと思うほど、エリックからの贈り物は嬉しかったのだ。
 ――きっと、こんな光栄なことはもう二度とない。大切な思い出として、残しておこう。
 口にするのも憚られるような、身分違いの恋。今の自分の境遇を想えば、恐れ多くも浅ましいその思いを自分の中だけで消化するために、シャーロットはいつでも自分を戒めている。しかし、
「……」
 自分の恋心は自分で抑えこむとしても、それ以上に、エリックのことが心配だった。もちろん、イザベラのこともだ。
 シャーロットがギューネイのことで心を痛めている間にも、時は進んでいく。明日にはまた、ここへオリバーがやって来ることにもなっている。イザベラの様子だとオリバーに夢中のようだし、きっと縁談を早く進めて欲しいと国王にねだるだろう。エリックについては、城の他の使用人たちが「エリック様とフランシスカ様は、悔しいけれどお似合いね」と噂していたところを聞いた限りでは、きっとエリックの方もフランシスカと良い雰囲気なのかもしれない。以前見かけたフランシスカは、確かに美しい女性だった。色白で、豊満で女性的な身体をしていて、そこはかとなく色気も漂う。でも、どこか信用のおけない瞳が、シャーロットも、きっとギルも気に入らなかった。しかしエリックほどの人間でも、フランシスカの色香に惑わされてしまっただろうのか  ――シャーロットはそれも少なからずショックではあった。
 卑劣手段を使って、これまで国土を広げてきた国だ。きっとセルビオにも何か策があって近づいてきたに違いない。
 このセルビオは、多くの国が共に存在しているこの「ユーダ大陸」のちょうど中央に位置する国。内陸なので海はないが、その海に繋がる大きな川と、その川を利用した交易で発展してきた国だ。また、大陸の東と西を行き来するには必ずこのセルビオを通らなければならない為、商業・観光の要所としても発展している。ギューネイにとって、セルビオを手に入れるということはつまり、ユーダ大陸に置いて大きな意味を持つということだ。それを証拠に、ギューネイはこれまで、セルビオの周辺の小国に攻め入っては自分たちの領土としてきた。それもきっと、セルビオを手に入れる為の布石なのかもしれない。何にせよ、用意周到な国である。
「このままではセルビオの皆が危ない……ねえ、あなた達ならどうする?」
 薔薇園の中央に佇み、シャーロットは可憐に咲く花へと話しかける。もちろん、薔薇の花が答えてくれることはない。しかし、答える代わりにフワリ、と花びらが急に吹きこんだ風に乗って舞い上がる。
「……あなた達なら、逃げるってことね」
 夕暮れの空にゆらゆらと舞い散る花びらを目で追いながら、シャーロットはそう呟いた。
 この花びらたちのように、優雅に空を漂いながらこの場から逃げられたら、どんなに良いだろう。シャーロットだけではなく、エリックも、イザベラも、その他の人たちも――危険を察知して何もかも捨て去って逃げることができたら、どんなに良いだろう。シャーロットはそう考える。でも、現実はそうはいかない。セルビオの人々に至っては、迫りくる危険を回避しない限り未来はないのだ。そう、フィルドベートの国のように。でも、一体どうすれば――シャーロットは空を見上げながらそんなことを思い、そっと目を閉じた。と、その時だった。
「……君は、鳥にでもなりたいの?」
 不意に背後からそんな声がする。シャーロットが慌てて振り向くと、そこにエリックが立っていた。
「あっ……エリック様……」
 シャーロットは慌ててエリックにお辞儀をするが、エリックはそれを手で制すと、
「さっきからずっと見ていたけれど、宙を舞う花びらを思いつめた顔で見ていたから。もしかして空をはばたく鳥にでも憧れているのかと思ったんだ」
「……そうなのかもしれません」
「え?」
「大空を舞う鳥のように、自由に、好きな所へ羽ばたけるのならどんなに良いのか――ふわふわと宙を漂う花びらを見ていたら、そう思いました」
 おそらくエリックは冗談半分で言ったのだろう。しかしシャーロットにはその冗談が、ほぼ真実だった。本当は自由に羽ばたいて好きな所へといきたい。しかし今のシャーロットには、ここ以外行く場所もないし、自由に羽ばたくことなどできない。国を失い家族を失ったあの日から、シャーロットは空をはばたくための翼を失ったのだ。すると、
「……俺もさ、昔、同じことを考えていたことがあるよ」
「エリック様も……? 鳥になりたかったのですか?」
「ああ。子供の頃、冬に別荘の近くの森で怪我をした小鳥を見つけたことがあるんだ。胸が赤くて可愛らしい鳥だったな。その鳥を保護してしばらく部屋で飼っていたんだけど、ちょうど春を迎えて陽気が暖かくなり始めた頃、ちょっと目を離したすきに鳥かごから逃げ出してしまって、それっきりさ」
「……もしかして、渡り鳥だったのかもしれませんね」
「ああ。今思うと、冬は暖かい城の中で過ごして、春になって暖かくなったから自由に好きな場所へと旅立ったんだとわかるんだけど、当時はすごく落ち込んだんだ。当時、父からの期待に押しつぶされそうだった俺は、部屋に閉じこもることも多くてね……だから、怪我して保護したその小鳥が、話し相手だった。毎日色んなことを話しかけたり、時には小鳥の怪我が治ってまた飛べるようになる為の練習をしてやったり、とにかく大切な存在だった。いつのまにか、その小鳥が空をはばたけるようになる時は、自分も一緒に羽ばたくつもりになっていたのかもしれないな。だから、あの春の日に、小鳥が籠から飛び出して一人で空へと羽ばたいていった時の喪失感は半端なかったよ。俺は置いて行かれたんだって……俺も一緒に、自由になりたかったのにって。まあ、鳥にしてみればそんな約束した覚えはなかったんだけどね」
 エリックは自嘲気味にそう話すと、シャーロットを見る。そして、
「もしかしてイザベラが、シャーロットを悩ませるようなわがままをたくさん言っているかい? あいつはちょっと子供っぽいところがあるから、なんなら俺がイザベラに……」
「と、とんでもないです! イザベラ様には何の不満もございません! これは……これは私自身の……」
 シャーロットは慌ててそう否定すると、エリックに背を向ける。そして、
「それよりエリック様は、今はもう鳥になって羽ばたきたいとは思われないのでしょう? 今のエリック様は、陛下の右腕として既に国務にもたずさわられている。皆からの信頼もお厚いですし、何よりいつも楽しそうです」
「ああ、まあね。時間がたつにつれて、気が付いたんだよ。いつも上手くいかないのを、何かのせいにしたがっていた自分に。変わりたいなら変えてくれるのを待つのではなく、自分から動かなくてはと。だから今は、もっと父の期待に応えたい、皆の期待にこたえたいと思っている。毎日も充実しているよ」
「……素晴らしいお考えです。それに……縁談も進みそうなのですよね」
「縁談……さあ、どうだろう。まだお相手とは一度しか顔を合わせていないから。せめて数回会わないと判断はできないよ。イザベラは相手のことが気に入ったみたいだけれど」
 さりげなく縁談のことをエリックに確認すると、エリックからは意外に冷静な回答を得られた。
ああ、この人はやはり、上辺や雰囲気だけで人を判断するような人ではないんだ――そのことにシャーロットは喜ぶも、もちろんそれは表に出さぬまま、
「どうかいつか、エリック様にもイザベラ様にも、良いご縁が訪れますように――失礼いたします」
 あんな国の人達とは結ばれないで! とは声高には言えないが、最大限、今自分にできる方法でシャーロットはエリックに警告すると、そのまま薔薇園から立ち去ろうとした。しかし、
「あ……待って、シャーロット!」
 そんなシャーロットの手を、エリックが急に掴んで引きとめた。シャーロットが驚いた表情でその場にとどまると、
「あ、すまない……いや、何だか君の様子がどうしても気になってしまって」
「……」
「イザベラに言いにくいことがあったら、俺に話してくれていいんだ」
「あ、ありがとうございます。でも、本当にそれはないのです。イザベラ様には本当に良くしていただいて……」
「じゃあなぜ、いつもそんなに哀しそうな顔をしているんだい? 少なくてもこの城に来た時、君はそこまで表情は暗くなかったよね」
「……ご存知なんですか? 私が城勤めを始めた時のこと」
「使用人たちが話しているのを、耳にしたんだ。とても所作が綺麗で、手際も良い娘が働き始めたって。でも全然笑わないから勿体ないって」
「……」
「それで、何となく気になっていたんだけど、そうしたら偶然、洗濯物を干している所を見かけてね」
「そうでしたか……」
「確かに手際もいいし、所作も綺麗だと思った。その後、君がイザベラの侍女として任命されたと聞いて、適任だなって思ったんだ。でも、そこからの君は、以前にも増して表情が暗くなった。イザベラのことは嫌いじゃなさそうだし、仕事はきちんとしてくれるのに、どうしたのかと、ずっと気になっている」
「特に理由があるわけではないのですか……」
 エリックの疑問はもっともなことだけれど、それに対して本当のことを簡単に話すわけにはいかない。シャーロットは、思わず服の下、胸元に隠しているロザリオを服の上からぎゅっと掴んでしまう。すると、あまりに強く掴みすぎたのか、それとも鎖がだいぶ劣化していたのか――ロザリオがカラン、と服の中をすり抜けて地面に落ちてしまった。
「あっ……」
 シャーロットは慌ててそれを拾おうとするも、一瞬早く、エリックがそれを拾ってしまう。
「はい、これ。へえ、綺麗な宝石がついているね。大切なもの?」
「……え、ええ、まあ……。兄からもらった、大切なものなんです。ひ、拾って下さりありがとうございました」
 シャーロットは半ば奪い返すような形でロザリオを手に取ると、エリックにお辞儀をして足早に薔薇園を出ていく。
 エリックはそんなシャーロットの後姿をしばらく見つめていたものの、その内「ホルスト!」
と叫んだ。直後、エリックより少し年上の、細身の男性がエリックの元に駆け寄る。
 ホルストは、エリックの側近の中でも、エリックが特に信頼をよせている男だった。ホルストはエリックの母方の遠い親戚で、元貴族。家が没してしまってからは、城で生活しながらエリックを支えている。
「……ホルスト、お前に頼みたい」
「何なりと、エリック様」
 そのホルストに、エリックはあることを耳打ちした。するとホルストは表情も変えずに一度だけ頷くと、駆け足でその場から離れた。
 ホルストは頭脳明晰で判断力もある。そして何より、情報収集能力が高い。エリックはきっと明日の朝までには様々な情報を持って帰って来るであろう、ホルストの帰りを心待ちにするのだった。

「聞いてよ、シャーロット! お兄様ったら、本当に女心がわかっていないのよ!? せっかくフランシスカ様が尋ねてきてくださったのに、急用ができて出かけてしまったのですって。せめて、フランシスカ様のお顔を見てから出かければよいのに!」
 それから二日後のこと。今日はオリバーとフランシスカが、イザベラとエリックに会うために城に来る日だった。本来ならばお休みをとっていたシャーロットだったのだが、急病になった使用人がいたため、彼女の代わりに洗濯業務を引き受けることになったのだ。それをどこからか聞きつけたイザベラが、わざわざシャーロットが大量のシーツを干している城の裏庭までやってきて、こうして愚痴をこぼしている。
「あの、イザベラ様? オリバー様がお待ちではないのですか?」
「オリバー様達は、今お父様たちとお話されているわ。私とはその後。それにしても可哀そうなフランシスカ様。そうだわ、オリバー様も一緒に、この城の中を案内して差しあげようかしら! きっとお兄様、気が利かないから城の案内とかしていなさそうだし、それにフランシスカ様がお兄様と結婚すれば、ここはフランシスカ様のお家にもなるんですもの」
 イザベラはそう言いながらシャーロットの手伝いをしようとするが、普段洗濯干しなどしたこともないイザベラにそれができるわけもなく、結局、ただ愚痴を言いながらシャーロットの傍にいるだけだ。
「……イザベラ様。今日は天気も良いですし、城の中よりも、庭を案内して差し上げたらいかがでしょうか?」
「え? どうして?」
「先日、イザベラ様は、オリバー様が『狩りが得意』でいらっしゃるとお話しくださいました。ということは、生き物ですとか、自然に興味を持たれている方なのだと思いまして……この城には、自然豊かな区域もございます。美しい薔薇園や、小鳥たちがさえずり小動物が自由に駆け回る区域もございますので、そちらにご案内して差し上げたらいかがでしょうか?」
 ――本当は、オリバーたちに容易くティザーバッハ城の内部を見せたくないと思っていた。だから若干苦し紛れであるが、シャーロットはそんな提案をすると。すると根が素直なイザベラは「それは名案ね!」と、シャーロットの本心を疑うことなく、提案を受け入れてくれたのだった。 シャーロットはホッと一息つくも、
「……イザベラ様」
「あ、オリバー様! それにフランシスカ様も」
 なんと、王達と話を終えたオリバーたちが、イザベラを探してこんな裏庭までやってきてしまったのだ。きっと、イザベラの他の侍女が、オリバーたちに気を使って話したのだろう。イザベラもこうして彼らが自分を探してきてくれたらより喜ぶだろうと、そう考えたのかもしれない。
「!」
 しかし突然二人の声や姿を目にしたシャーロットにとっては、生きた心地のしない時間だった。
「イ、イザベラ様……それでは私は失礼いたします。どうかごゆっくり……」
 悟られてはならない。ばれてはいけない。そして、動揺しているのを気付かれてはいけない。
 シャーロットは必死で平静を取り繕いそうイザベラに挨拶すると、オリバーたちに顔が見えぬようさりげなく庇いながら頭を下げ、その場を走り去る。
「え? ちょっと、シャーロット!? もう、せっかくあなたのことも紹介したいと思っていたのに……ああ、もういっちゃた。あの子、意外に足が速いのね」
 そんなシャーロットの姿に呆れていたイザベラだったが、お気に入りのオリバーが自分を迎えに来てくれたことを思うと、そんなことは気にもならなかった。
「オリバー様! お父様たちとの堅苦しいお話は終わりましたの!?」
「ええ。ですから、今日は夕方までゆっくりイザベラ様と過ごすことができます」
「わあ、嬉しい! ねえ、オリバー様。是非ご案内したい場所があるんです! 行きましょう!」
 イザベラはオリバーの腕を取り無邪気にはしゃぎながら歩き出すも、
「……フランシスカ、どうかしたのか」
「え? いえ……なんでも」
 フランシスカは、「きっと気のせいね。そうに決まっている」と何か気になる素振りでオリバーに返事をする。しかしやはり何かが気になるのか、オリバーに目で訴えると、
「そうだわ、お兄様。お兄様とイザベラ様の邪魔をしてはいけないから、私は別に過ごさせてもらうことにするわ。ねえ、イザベラ様。お庭を、私も自由に散歩しても良いかしら?」
「ええ、もちろんよ!」
「ありがとう、イザベラ様」
 フランシスカは笑みを浮かべて二人から離れ、一人今来た方角へと戻って行ったのだった。

 結局その日、オリバーとフランシスカは城に一日滞在し、翌朝に国へ戻ることになった。その夜は王や妃、イザベラや急用から戻ったエリックとの急な晩餐会となり、厨房を始め使用人たちも大忙しとなった。本来ならば夕刻で仕事を上がれるはずだったシャーロットも、急遽手伝うことになってしまったのだが、給仕だとオリバーたちと顔を合わせてしまうため、厨房長に無理を言い、厨房の中を手伝わせてもらうことにしたのだった。
「ああ……さすがに今日は大変だったなあ……」
 晩餐会も終わり、厨房の全ての片づけが終わったのは、夜もだいぶ深まったころだった。シャーロットは、城内の端にある寝泊まりしている部屋がある棟へと重い足取りでゆっくり歩いている。
 今日はオリバーたちも城に来ていたし、絶対に顔をあわせてはいけないと、気を張っていた。だから余計に、疲れを感じるのかもしれない。眠りたい。とにかく、早く一人の部屋の中で安心して眠りたい――シャーロットはそんなことを思いながら、一人歩いていた。
 と、その時だった。そんなシャーロットの前に、誰かが立ちふさがるように現れた。こんな夜も遅くに、一体誰? シャーロットが相手の顔を確認しようと顔をあげると、そこにある顔を見た瞬間、自分でもわかるほど顔が強張った。
「やあ、君がシャーロット? イザベラから話を聞いているよ……」
 ――オリバーだった。しかも、口元は笑っているのに目は全く笑っていない。まるで、「何か」を知っているかのような様子だ。
「っ……」
 シャーロットは慌ててその場から逃げようとする。しかしオリバーの側近がシャーロットの背後に既に回りこんでおり、シャーロットは逃げ道を塞がれてしまっていた。
 シャーロットがさらに表情を強張らせていると、オリバーはシャーロットの顎に指をあて、自分へと視線を向けさせる。そして、
「大丈夫、とって喰いはしない。今日は挨拶をしにきただけだよ」
「……」
「イザベラが君のことをよく話すんだ。とても気に入っているようだね。だからどんな侍女なのか会ってみたくなった」
 と言った。
 ――この人、もしかしてまだ、私の正体に気付いていない?
 オリバーの言葉に、シャーロットはとっさにそう考える。もしもオリバーが今の時点でシャーロットに気付いていたら、もっと何かアクションをしてくるはずだ。彼とは以前にほとんど顔を合わせたこともなかったので、気づかないのも無理はない。だったら、その幸運を利用させてもらった方が利口だ。
「恐れ入ります」
 シャーロットは、あくまでも余計なことは言わず、挨拶のみを冷静を装って返す。オリバーはそんなシャーロットの顎から指を離すと、
「中々綺麗な顔をしているじゃないか。イザベラ同様、我が国に来たら十分に可愛がってやる」
「……恐れ入ります」
「じゃあな、シャーロット」
 オリバーはそう言って、側近たちを連れてシャーロットから離れようとする。
 ああ、何とか無事に乗り切った――シャーロットはホッと胸を撫でおろすも、
「ああ、そうそう。イザベラが教えてくれたのだが、シャーロット、君のご家族はセルビオではなく離れたところにいるのだろう?」
 再び、オリバーがシャーロットに語り掛ける。
「は、はい」
 イザベラには、家族が皆亡くなっているとは伝えず、セルビオではなく離れた国にいると話しているシャーロットだった。実際、年の離れた姉たちは、すでに他国へ嫁に出ている為、フィルドベートの悲劇時には命を落とすことはなかった。ただ、うかつに彼女達に連絡を取れば、彼女達の身にも危険がおよぶかもしれない――ダンテやアマネにもそう忠告されたシャーロットは、自分の生存を彼女達には知らせていなかった。おそらく、彼女達はシャーロットももう亡くなっていると思っているはずだ。
 そんな状況なので、シャーロットは自分についての余計な情報は、極力語らないようにしていた。イザベラにしつこく何度も聞かれた時も、このように適当にはぐらかしていたのだ。
 そんなシャーロットに、オリバーは続ける。
「そうか。若いのにずいぶんと苦労しているのだな。きっとご家族も、嘆きの丘の上から君を見守っているだろうね」
「え?」
「それじゃあ。またゆっくりと話ができる時を楽しみにしているよ、シャーロット」
 オリバーはそう言って側近たちと去っていった。
 ――嘆きの丘? あの人、一体何を。
 シャーロットはオリバーに頭を下げて見送るも、最初彼が何を言っているのか理解できなかった。しかし、その言葉の「本当の意味」に気が付いた時、全身から一気に血の気が引く感覚を覚える。
「……!」
 嘆きの丘、というのは、フィルドベート城があった場所のすぐ傍にある、小高い丘の別称。そこには、フィルドベート王家代々の墓がある。風の噂では、あの日城と共に燃え尽きた皆の「残骸」は、何とか生き残ったフィルドベート城の使用人たちがギューネイより許可をもらい、そこに埋葬させてもらったのだと、フィルドベートのその後の情報を集めていたダンテ達が手紙で教えてくれたのだ。
「っ……どうして……! どうしてそのことを、あの男が!」
 オリバーもそのことは知っていたであろうが、それをこんな形でシャーロットに伝えてくるということは――そう思うと、身体中から力が抜けていく。
 直接言われたわけではないけれど、オリバーはシャーロットの正体に気が付いているのだろう。
 ――なぜ?
 ――気を付けていたのに、それに顔を合わせたことなどほとんどなかったのに!
『お前の正体はわかっているからな』
 オリバーの笑顔の裏に、その言葉が隠されていたことをあらためて感じ、シャーロットは地面に座りこんでしまう。
 ――どうしよう。どうしたらいいの!?
 シャーロットは、首に下げているロザリオをぎゅっと強く握りしめて目を閉じる。そんなシャーロットの脳裏には、「困ったことがあったらなんでも話して」と言ってくれたエリックの優しい笑顔が浮かぶ。が、こんなことをエリックには話すわけにはいかない。
「そうだ、手紙……いや、手紙も危ないかもしれない。直接、アマネ様の所に相談しに行かなくちゃ……」
 場合によっては、城から出て行かなくてはいけない。せっかくここでの生活も慣れたし、エリックもイザベラも好きだけれど、このままでは皆にも危険がおよぶかもしれない。
「大丈夫、落ち着いてシャーロット……グロリオサ、大丈夫、私は強い……」
 シャーロットはふらふらと立ち上がると、まずは自分を落ち着かせるために、まじないのようにいつもの言葉を口にする。そして、今後のことを考えるためにロザリオをしっかりと握りしめながら、その場を後にしたのだった。

 翌朝。朝食を軽く済ませた後、一晩ティザーバッハ城で過ごしたオリバーたちがギューネイに帰るので、その見送りの為に、イザベラやエリック、そしてそれぞれの侍従達が城のエントランスに集まっていた。
「オリバー様、また近い内にお会いできたら嬉しいです」
「もちろんですよ。私も、イザベラ様とお会いするのが楽しみです……」
 オリバーに夢中のイザベラは、オリバーが馬車に乗るその瞬間まで彼の手を離そうとしなかった。そんなイザベラの手に軽くキスをして、オリバーが優しく微笑む。シャーロットは集まる皆の一番後ろで、目立たないように佇んでいたものの、そんなシャーロットをオリバーは決して見逃さず、一瞬だけ強く不気味な光を帯びた目で見つめ、馬車に乗りこんでいった。
「……」
 昨夜、一睡もせずに色々考えていたシャーロットだったが、やはりオリバーはシャーロットの正体に気が付いており、何か仕掛けてくるかもしれない、と確信する。とりあえず今日は、先日休みを交代した使用人に頼み、今日はこの後休みをもらうことになっている。城下のアマネ達に この件を相談しに行くつもりなのだ。正直、オリバーたちにはさっさと国に帰ってもらい、すぐにでも城下に行きたい思いに駆られているシャーロットである。
 と、そんな中。
「……エリック様。とても楽しい時間を、ありがとうございます」
「私も、とても充実した時間を過ごさせてもらいました」
「また、遊びに来ても良いですか? エリック様と過ごした時間が、忘れられないの……」
「もちろんです」
 二台用意されている馬車の、一台には既にオリバーが乗りこんでいたものの、もう一台の前では、フランシスカがエリックとの別れを惜しんでいた。
 以前、フランシスカはギルにも同じような態度で接していたが、その時よりも何というか、妖艶さを感じる。もしかしたら、身目麗しく誠実で紳士的なエリックに本気で惹かれているのかもしれない。
 しなだれかかるように胸元に寄り添い、女性らしさをアピールしているのか、甘ったるい声でエリックとの別れを惜しんでいる。とはいえ、エリックもこれまで多くの女性達に言い寄られてきたはずだ。色仕掛けには簡単に靡くことはないと、その場にいた誰もが思っていたのだが、
「フランシスカ様。私も、もっとあなたと、色々な話がしたい」
「本当に?! ああ、エリック様、嬉しいですわ!」
「近い内に、また必ずお会いしましょう」
「ええ! 約束よ……!」
 嬉しそうに抱きつくフランシスカを、エリックはまんざらでもなさそうに軽く抱きしめ、その後手の甲にキスをし、馬車へと乗せる。その後馬車は出発するも、外へ身を乗り出し手を振るフランシスカに、エリックは笑顔で手を振り続けていた。
「……意外ねえ。エリック様って、ああいうタイプの女が好きだったのかしら」
「ね。でもフランシスカ様って、私たち同性から見ても、むせかえるような色気があるというか……エリック様も、そういうのに惹かれる男性だったってことね」
「ああ、エリック様のご結婚も近いということかねえ……」
 そんなエリック達の姿に、彼らの後ろで控えていた侍従達がそんなことを呟いている。
「……」
 確かに、フランシスカは魅力的な女性だった。「女」を具現化したといっても過言ではないともいえるだろう。そんな女性だから、男性として惹かれるとしても無理はないとも思う。それは、エリックのような男性でも。エリックは、シャーロットがいくら憧れているとはいえ、決して結ばれることのない相手だ。だから、ショックではあるけれど、エリックが誰を選ぼうがどんな女性が好みかなどは、エリックの自由だ。しかし――
「……」
 相手は、あのギューネイの姫。この縁談自体が、国を滅亡に追いこむ為の何かの策の一部なのかもしれない。そう思うと、胸が苦しくなるシャーロットだ。
 本当は、全てを言ってしまいたい。そのうえで、この縁談も止めたい。
 でも、今の自分にはそれは――
「……」
 エリックは、馬車がだいぶ小さくなってもまだ、手を振っている。
 その姿を遠くから見つめながら、シャーロットは複雑な思いでため息をつくのだった。

(――つづきは本編で!)

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