作品情報

婚約破棄された淫紋聖女ですが、お願いですからスローライフを送らせて下さい!!

「俺の名前を呼んでくれたら、続きをしてさしあげますよ」

あらすじ

「俺の名前を呼んでくれたら、続きをしてさしあげますよ」

淫蕩な王太子を諫めて怒りを買い、王太子妃としての婚約を破棄されてしまったアビゲール。お付きの騎士ファングと共にのどかで自然豊かな村で暮らし始めるが、彼女は国を追い出される直前、夜な夜な発情させられる淫紋の呪いを刻み込まれていた。実はエッチな事に興味しんしんのアビゲールと、彼女を癒してあげたいファング。二人の淫靡なスローライフが始まる……!

作品情報

作:イシクロ
絵:稲垣のん

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本文お試し読み

序章

 ――誰かと愛しあうというのはどういうことなのだろうか。
 王太子に呼び出されて彼の自室に向かいながらアビゲールは考えていた。
 急ぎはせず、あくまで淑女としての足運びをする。着ているのは一流の職人によって仕立てられたドレス。コルセットはアビゲールの腰の細さを引きたたせ、うすい金の髪は侍女によって今日も一分の隙もなく結いあげられている。
 背筋を凛と伸ばした姿を目にした騎士や召使たちが、粛々と端に寄る。軽く視線だけで礼を返し、表情を変えないままアビゲールは心の中でため息をついた。
(仕事がまだ途中だから早く部屋に帰れますように……)
 残してきた執務を思い浮かべつつ、ようやく王宮でも奥まった一角、王太子の特別部屋の前に着く。アビゲールはノックをしようと手を上げて――動きをぴたりと止めた。
「は、っ……ぁあっ」
 中からは小さく女性の艶めかしい声が聞こえてくる。
「……ん、殿下ぁ」
「ずるい、殿下私も!」
 しかもどうやら一人ではなさそうだ。
(……陛下たちがいらっしゃらないからと、またこんな昼間から……)
 意を決して扉を叩くと、王太子が応じた。
「入れ」
「失礼します、王太子妃アビゲール参りました。何か御用でしょうか」
 スカートの端を持って少し足を後ろにし、頭を下げて礼をする。
 顔を上げた。部屋のほとんどを占める大きなベッドは天蓋の幕が降りていて、数人の人影が見えた。どうも女性だけではなく男性らしき影も複数あり、その瞬間、アビゲールは心の中の感情のスイッチを切った。
「用だと?」
 傲慢な声が天蓋の中から聞こえる。
「ああ。もちろん用があるから呼んだんだ!」
「きゃっ!」
 自分の上に乗る女性を無理矢理退かせて、上半身裸で王太子が出てくる。ゆるくウェーブした煌びやかな金の髪、腰に布を巻きつけた少し痩せた体形の彼がアビゲールの前に立った。
 鼻をくすぐるのは香水混じりの、汗と動物的な体液の匂い。すでに慣れてしまったそれを前に、頭ひとつ分高い王太子をアビゲール静かに見つめた。
「執務をしていますので、お話は手短に願います」
「はっ、何を偉そうに。そんなもの私が本気を出せばすぐに終わる」
「……それで、ご用件は?」
「ジェニファーのことだ」
 苛立ちを隠そうともせずに王太子がアビゲールをにらんだ。
「私の許可なく勝手に修道院に入れたそうだな」
「そうです」
 それは半ば予想していた問いだった。
「半年口説いてようやく手に入れたんだぞ、貴様、私に愛されないからと嫉妬をしてよくもそんなくだらない真似をしたな」
「……いくら公妾制度があるとはいえ、本人の意思を無視しては同義に反します」
「私のものになりたいと言ったのはジェニファーだ」
「貴族である父親を脅して、そう言わせたと聞きました。殿下、為政者として権力を使うと後で大変なことに」
「減らず口を!」
「っ」
 突き飛ばされてアビゲールは床に倒れた。ベッドからようすを面白そうにうかがっていた者たちがくすくす笑う声が部屋に響いた。
「殿下、そんな頭でっかちな王太子妃様放っておいてこちらで遊びましょうよ」
「早く戻ってくださ~い」
「ちっ……もう二度と余計なことをするなよ、お前など顔も見たくはない。出て行け!」
 王太子が踵を返した。立ち上がったアビゲールは、こちらに背を向ける彼に一礼をして部屋を後にする。
「あんな可愛げのない、どこの馬の骨かも知らない女が妻などぞっとする」
「そうよ、殿下には私たちがいるのですから!」
「続きをしましょう」
「そうだ、この間面白い本を見つけてな……」
 そんな声を聞きながらアビゲールは廊下に出た。
 ドアを閉じる瞬間、また卑猥な水音と喘ぎ声が聞こえてくる。締め切った部屋とは段違いの、廊下の爽やかな空気をいっぱいに吸ってこぼれそうになる涙を堪えた。
(またやってしまった)
 自分の可愛げのない言動で王太子(ル:こんやくしゃ)との距離が遠ざかってしまった。
(……でも、裏庭で泣いているジェニファーさんを放っておけなかったんですもの。恋人がいると言っていたし)
 王太子の気まぐれが収まれば帰俗させるように修道院には頼んでいる。次期国王である彼から嫌われている上、実家の後ろ立てもないアビゲールにできるのはこれが精いっぱいだ。
「ふぅ……」
 いつも通り毅然と対応できていただろうか、話の間なんとか取り繕った赤い頬を両手でおさえる。今日のは強烈だった。男女数人でいろいろ……いろいろできるものなのだろうか?
 壁際に寄りかかる。そこで悔しさや恥ずかしさが渦を巻いてアビゲールは頬を膨らませた。
(……私だって、エッチなことに興味がないわけじゃない、のに!)
 なんてもちろん口が裂けても言えない。
 小さく息を吐いて壁に指で、のの字を描く。自分がひどく惨めだった。こんな気持ちで山積みの書類を処理しなければならないなんて。
「もう王太子妃なんてやだ……野菜でもつくりながら静かに暮らしたい……」
「おや、アビゲール様」
 後ろから明るい声が聞こえて、アビゲールは瞬時に壁から身体を離した。
 振り返らずに歩き出すとすぐに一人の騎士が後ろにつく。
「お一人ですか、執務室まで送りますよ」
「結構です」
「そう冷たいことを言わず」
 アビゲールは視線だけをそちらに向ける。
 後ろにいるのは明るい紅目が印象的な青年だ。屈強な者が多い騎士の中でも一際目を引く引き締まった体躯に、人好きのする切れ長の涼しげな目をしている。茶色の髪はふわふわしていてそれを好きに風に遊ばせる、どこかつかめない男だ。
 今年で二十四歳の彼の名前はファング・オルガス。由緒正しい血筋から騎士が選ばれるこの国で、ふらりと剣闘大会に現れて優勝し己の腕一本で成り上がった男。
 アビゲールの天敵である。
「相変わらず殿下は国王夫妻がいないのをいいことにやりたい放題ですね。どうです妃殿下、同じことしません?」
 立ち止まって、アビゲールはその胡散臭い笑みをじろりとにらみつけた。
「口を慎みなさい、牙の騎士」
 名前ではなく陛下からたまわった名称を呼ぶ。
 するとアビゲールの顔をじっと見て彼が口を開いた。
「……泣いていました?」
「そんなはずないでしょう」
 涙はこぼれなかったはずだが、敏い彼にはばれているかもしれない。それでもそう言い返せば彼は片手をさし出した。
「泣くなら俺の胸でいくらでもどうぞ」
「……」
 こういうチャラさがファングの特徴である。
 誰にでもこの感じで口説くのだから、何事にも真面目一辺倒なアビゲールには王太子とは別の次元で理解しがたい。
「もしくはこんな窮屈なところから逃げませんか。アビゲール様とならどこへでもご一緒します」
「面白くない冗談ね」
 誠実さのかけらもない言葉に呆れた声を返して、歩き出す。
 アビゲールが王太子妃になったのは十歳のときだ。
 国王陛下夫妻が外遊先で出会ったアビゲールを一目で気に入って、この王宮に招き入れてくれた。それ以来厳しく淑女教育がされてきた故か、誰かに本音を話すのは苦手である。ましてファングのように誰彼構わずへらへらした顔で隙を見せるなどありえない。
 完璧、優雅な淑女、理想の王太子妃であるべし。それだけが王宮でのアビゲールの武器で、だから奔放な性格の王太子が反発するのはある意味必然だと思う。
 こんな可愛げのない女は嫌われて当然だ。
「痛、……」
 高いヒールをはいた足がズキリと痛んだ。
 さっき突き飛ばされたときに挫いたらしい。歩けないほどではないが下を見れば、足首が赤くはれていた。
「失礼」
 ファングが膝をついて止める間もなく患部に手をかざした。そこに青白い光とともに治癒の紋章が浮かぶ。
 すっと吸い込まれるように紋章がアビゲールの足首に消えて、同時に痛みが遠ざかった。
「……王宮内での軽率な紋章の使用は認められていないわ」
「すみません、妃殿下の足の一大事ということで」
「あとで始末書を出して。私の状況説明書とともに騎士団に提出します」
「誰も見てないのに、真面目ですね」
「……」
 感嘆交じりのファングの声を聞いて、しまったと思う。
(ああ本当に可愛くない)
 治してくれてありがとうと言うところだ。どうしてこう、規律が先に頭をよぎってしまうのか。
(……牙の騎士も今度こそ呆れ……)
 ちらりと見るとファングはアビゲールを見てにやにやと笑っていた。
「何か」
「いえ、……厳しいことを言った後に一瞬、素の顔がよぎるのが面白くて」
「――もう一度同じことを言うなら不敬罪で捕らえますよ」
「それは困るので、このへんで退散します」
 引き時と思ったのかファングは片手を上げてその場から去る。その背中を眺めていると、角を曲がるところで見回りの騎士や仕事中の使用人が次々に彼に声をかけていた。
 明るく楽しく彼らと話をするファングを、羨ましく見る。あんな風に話せたらもっと王太子妃として信用されるのに。
「アビゲール様!」
 そこで侍女のシャロンが駆け寄った。
「遅いのでお迎えにあがりました。……その、殿下はなんと」
「いつもの小言よ。気にすることはないわ」
「あ、ファング様!」
 シャロンがめざとくその姿を見つけて大きな声を上げる。ファングはその声に振り向いて、こちらに投げキスをした。
 隣のアビゲールが顔を引きつらせているのも気にせず、シャロンが悩ましげにため息をつく。
「素敵ですねぇファング様。腕も立ちますし、王の覚えもめでたいし、各地を回ってきた方なので話題も豊富で……何よりお顔立ちも整っていますしぃ」
 アビゲールにしてみればだからこそ気が抜けないのだ。本性も本音も見えず、得体が知れないとでも言おうか。
 
 ――アビゲール様とならどこへでもご一緒します。
 
(誰にでも同じことを言うくせに)
 ファングは女性と見れば誰にでも口説いている。王太子から顧みられることのない寂しい妃、彼からそう見られているのはわかっていた。
 人を愛するとは……何もかもを相手にさらけ出せることだろうか。
(だとしたら私は、一生誰も愛せないし愛されることもない)
 心の中でつぶやいて、顔を上げる。
「さぁ、執務に戻りましょう」
 アビゲールはシャロンをうながした。

第一章 婚約破棄と追放

「この女は王国の害になる女だ。王宮……いやこの国から追放してやる!」
 広間で王太子がそう叫んでアビゲールを指さしたのは、ジェニファーのことで部屋に呼び出されてから一週間後のことだった。
 大臣や貴族が立ち並ぶその場にたたずんで、執務代行処理で徹夜三日目のアビゲールは眠気と戦いながら王太子の言葉を聞いていた。
 彼の口から読み上げられたのは全く身に覚えのないものばかり。賄賂や国費の横領、無駄遣い、そして王太子やその寵姫たちへの陰湿ないじめや、公妾ジェニファーを寂しい修道院に押し込んだことまでも。
「――こんな悪女を国の母にさせるわけにはいかないだろう。将来の国王である私だけでなく、可愛い雛鳥たちを王太子妃という立場でいじめるなど」
 王太子はそっと両側にいる女性を抱き寄せた。先日ベッドにいた誰かだろう、彼女たちは王座のある階段の前に立つアビゲールを見下ろしてくすくす笑った。
「さぁ、もうその可愛げのない面は見たくない。さっさと連れていけ」
 騎士がアビゲールを捕まえたところで、ようやく眠気が飛んだ。
(……つまり、国外追放……?)
 今までにもこういう嫌がらせのような断罪会はあったが、ここまで人を呼ぶ手はずを整えているのは初めてだ。そのことに遅ればせながら気づく。部屋の誰しもがアビゲールから顔を背けていて……根回しはすでに終わっていると見るべきだろう。
 まさか直情型、行き当たりばったりな王太子がこんなやり方をしてくるとは思わなかった。
「お、お待ちください! せめて陛下たちが戻ってこられるまで」
 外遊中の国王夫妻が戻ってくるまで二カ月ほどもある。たまっている陳情書はまだ机に高く積まれたままだ。焦って言えば王太子は笑いながら壇上をおりてきた。
「父上たちがいれば大丈夫とでも? どちらにせよ二人とももうお前に興味はない」
「――え」
 思わず目を見開くと王太子がアビゲールの髪を掴んで引き上げた。
「悔しいだろう、今からでも私に跪いて赦しを乞えば許してやらないこともないんだぞ」
「……っ」
 身長の差で足がつま先立ちになる。その上容赦のない力が込められて痛みに喘いだ。
(ここを、追い出されたら……)
 どうなるのだろう。アビゲールは王宮以外のことをほとんど知らない。生まれ故郷を離れた十歳からずっと、不相応でも与えられた役目を果たそうと必死に努力をしてきた。
(跪いて……赦しを)
 震えながら膝を曲げようとして、歪んだ笑みを浮かべる王太子を見る。
 人を権力と暴力で支配しようとする男だ。そのことを王宮でずっと見てきた。
 追放に関する手紙もないことを考えると、国王夫妻はこのことを知らない可能性が高い。だからアビゲールが王太子の言う通りにすれば……きっと彼は留飲を下げて今回の追放を撤回する。
 けれどその先はどんな未来が待っているのか。
 今この場で、アビゲールのことを誰一人見ようと――必要としない王宮で。
「……わかりました」
 アビゲールは静かに口を開いた。
 王太子の手を振り払い、騎士をひと睨みで離させてその場に立つ。震えそうになる身体を堪えて、王太子に一礼した。
「謹んで国外追放を受け入れます」
「なっ……」
 その瞬間、王太子は顔を青ざめさせた。
 やっぱり独断だったようだ。けれどもうすべてどうでもいい。
「い、いや、謝罪をすれば赦してやらなくも……」
「必要ありません」
「……そうか」
 王太子が一歩近づく。
 ゆらりと、その姿がやけに恐ろしくゆがむ。本能的に逃げそうになる足を叱咤してなんとかその場にとどまった。
「……私はな、お前のそういうすかした態度が気に入らなかったんだ」
 彼の手が伸びてきてアビゲールの腹部に触れた。
 そこにわずかに赤い光の紋章が宿る。思わぬ行動に動きを止めたところで焼けつくような痛みが走ってアビゲールはよろけた。
「っ、う」
「もう一度言うぞ、跪いて赦しを乞えば許してやるからな、アビゲール」
 すべては一瞬のことで王太子は笑いながら去っていく。今の出来事に気づいた者はいないようで、アビゲールは騎士に引き立てられて広間から連れ出された。
(何、今の……)
 服の上からは異変は感じられない。服を脱いで確認するわけにもいかず混乱するアビゲールをそのままに、事態はあっという間に進んでいった。
 着ていた服や装飾品はすべて王太子の愛人によってはぎとられ、簡素な服を着て小さな馬車に詰め込まれる。
 王宮のものを持ち出すことも、侍女のシャロンと言葉を交わすこともないまま、アビゲールは八年を過ごした城を追い出された。

 王都では今日も人々は変わらぬ生活をしている。気候が穏やかなこの国では作物は毎年すくすくと育っていて、国力はゆるやかに増していた。
「神の祝福がありますように」
「ああ、そちらにも」
 そんな挨拶を交わす彼らの間を、アビゲールはまるで罪人のように静かに運ばれた。
(いえ、実際罪人だけど)
 カーテンの隙間から外を見るが、国外追放の付き添いは御者だけのようだ。まぁ、ここまで次期国王に嫌われた元王太子妃を護衛するもの好きもいまい。
 アビゲールはそっとお腹を撫でた。
 先ほど王太子の触れたところがまだずくずくと痛む。暗い馬車の中は一人とはいえ、服を脱いで確認することもはばかられてまだ確認はできていない。
(紋章魔法……けれど、どうして?)
 一瞬だけ見えた赤い光を思い出す。
 この世界では人々は既定の紋章を描いて魔法を発動させる。水の魔法なら水の紋章、火なら火の紋章。形は決まっているが誰もが使えるわけではなく、それぞれの適性に合った紋章によりその機能を発動させることができるのだ。
 王太子含めてこのエッジワード王国の王家はこの力に秀でている上に、門外不出の強力な紋章の資料が大量に存在するとされていた。その優位性により長年の繁栄と平和を保っていた。
 アビゲールにはそういう適性はない。けれども井戸やかまどに紋章術師によって紋が刻まれている場合、誰でも扱える魔法道具として生活の一部で使われている。
(そういえば、あの男も紋章を使っていたわね)
 茶色の髪に軽薄な表情のファングを思い浮かべて、すでに治った足をさする。
 動揺したところを誰にも見せないよう、真っすぐ前を向いていたから彼の姿はアビゲールの視界には入らなかった。
(まぁもう会うこともないでしょうけれど)
 侍女のシャロンのことも気がかりだ。けれど罪状はアビゲールだけの名だったし、こんなでっち上げの茶番でさすがに彼女にまで手を出せば王太子の評判も落ちるとわかっている、はず。
 今は北にある国に向かう街道にいるようだ。道の両側には林が生えていて時折、鳥が空を飛んでいくのが見えた。その光景と、ゆっくりと進む馬車の中で、昼も夜もコルセットで締め付けていたアビゲールの胸がようやく深呼吸を思い出す。
 ここからどこに連れていかれるのだろう。一番可能性があるのは北方の隣国だろうか。
 ――父上たちがいれば大丈夫とでも? どちらにせよ二人とももうお前に興味はない。
 広間での王太子の言葉がよみがえる。
(そう、……そうなのね)
 王宮に上がったときこそ親代わりとなってくれた国王夫妻は、時が経つにつれてアビゲールに冷やかな態度をとるようになった。最近の息子の行き過ぎた行動もアビゲールが妻としてしっかりしていないからだと常に叱られている。
 自分が王太子妃になった理由は未だにわからない。
 王宮に来た当時から王太子は政治よりも女性関係に夢中で、国王が早く身を固めさせたかったのだと噂はされていた。だが実際は、王太子はアビゲールなどに束縛されるつもりはないとさらに悪化していた。
 自分の無力さに身体を抱きしめる。
 それに、この追放は本当にあの王太子だけの策だろうか。
(例えば、陛下たちと画策して……私を殺す目的なのでは?)
 そうでなければ執務代行で国の内部情報を知っているアビゲールを簡単にこんなに追放するだろうか。もちろん知っていることは誰にも話すつもりはないけれど、目につかないところで、人知れず……。
 そこで、馬車が止まった。
 不穏なことを考えたタイミングにぎくりとして身構えると御者が降りてこちらにくる気配がある。思わず馬車の中を見回したが二人乗りの馬車には武器になるようなものはない。
 想像してしまった未来がよぎって、ごくりと唾を飲み込んだところで静かに扉が開いた。
 まず見えたのは血に飢えた獣のような瞳。茶色の髪を風になびかせてそこに立っていたのは、牙の騎士――ファング・オルガスその人だった。
 目が合うとその顔がへらっと笑顔になる。
「殿下、俺の馬車の乗り心地はいかがですか」
「……最悪です」
「あ、今のは別に下ネタでは」
「どうしてあなたがここにいるの!」
 いつも通り緊張感のない顔と声に思わず言葉を荒げる。
 一番近い隣国だとしても、王都からでは馬車で数週間かかる。用なしのアビゲールを捨てに行くのだからてっきり馬車は雇人か、よくて下級兵士と思っていた。少なくとも王宮に勤める騎士の仕事ではない。国王のお気に入りならなおさら。
(……いえ、むしろちょうどいいのかも)
 実力は折り紙付きのファングならばアビゲールを殺すことなど容易いだろう。しかも元流れ者を使えば騎士や兵士の手を汚すこともない。
 『牙の騎士』とは言いえて妙だ。
 表向きは誰にでも愛想がいい青年だが、一瞬アビゲールを見る瞳に獣を思わせるこの男を飼いならすことなど誰にもできるはずがない。
 ちらりと窓の外をうかがうが、近くに身を隠せそうな茂みなどはなかった。
「まさかここで逃げる気ではないですよね」
 視線に気づいたのだろう、にやにやと笑う表情はとても憎たらしい。簡単に言うと癇に障る。
「王都から出たのだからもういいでしょう。一人で国境へ向かいます」
 まるで全部お見通しというような彼の視線は、虚勢を張るしか己を保てないアビゲールには何よりも恐ろしかった。王太子妃としての振る舞いなど張りぼてだと見抜かれているようで。
 だからこそ、彼は天敵なのだ。
 馬車を降りようとしたアビゲールを、ファングは素直に地面におろした。
「隣に来ませんか、風が気持ちいいですよ」
「誰がお前なんかと」
「まぁそう言わず」
 ファングがアビゲールの背中に手を置いて御者台に向かって押す。
「――は、離しなさい無礼者!」
 抵抗むなしく御者台に座らされる。隣に乗り込んだ彼は、はっ、という小さな掛け声とともに手綱を操り、一頭立ての小さな馬車はまた進みだす。
 馬はゆっくりとした足取りで進んでいく。いつも移動は馬車の中にいたから忘れていたが森を通り抜ける風はここちよい。道沿いに植わっている木々たちからは鳥の声が聞こえてくる。梢からはきらきらした光が森のあちこちに差し込んでいた。
「まぁそんなに警戒せず」
 背中を伸ばして座るアビゲールにファングが口を開いた。
「俺も王太子から王宮を追い出された身なので」
「え?」
 思わぬ言葉に声が出た。彼はうんうんとうなずく。
「女好きで人気者キャラが被っているせいか目の敵にされていた上に、この間剣の稽古で殿下をぼっこぼこにしたのがよくなかったみたいで」
「へ、へぇ」
「というわけで仲良く国外追放です。まぁさすがに長居しましたしちょうどよかった」
「……」
 アビゲールにとっては一大事もファングにとっては『ちょうどいい』になるのか。その色々な面での違いを見せつけられたようで返事ができなかった。
 彼を初めて見たのは数年前の剣闘大会でのことだ。エッジワード王国の騎士たちをあっという間に倒し、その圧倒的な腕前にほれ込んだ国王から騎士に登用されてからは、廊下で会うこともあった。
 皆が端によりアビゲールにこうべを垂れる中、通り過ぎるところで髪に触れられた。
 誰も気づかないくらいのささやかな接触に戸惑いつつ真意をつかみかねた。普通なら秋波と見るべきかもしれないが、剣の腕前と人当たりの良さで国王に可愛がられている彼は王太子との仲の悪さで立場が危ういアビゲールよりもよほど人望があったのだから。
 いつも人に囲まれていて、眩しい。
 こういう風には生きられない。常に人の目を意識して、弱みを見せずに己を律して、正しい行動をしなければ。それだけがアビゲールの立場と――心を守ってくれる。あれはファングが王宮に来てから何度目かの舞踏会の夜だったか。王太子はいつも通り愛人を侍らせて、国王夫妻は見ないふり、一人きりのアビゲールに客からは哀れみと嘲りの視線を感じる。
 それでも途中退席などできず、バルコニーに出て空を見上げていると隣にやってきたファングがささやいたのだ。
 ――どこかに逃げませんか。
 初めてファングに言われたのは、そのときだ。
 いつもどこか風を感じる男。その言葉は、アビゲールのひた隠しにしていた気持ちを暴くものだった。
 王宮も窮屈なドレスもしきたりも嫌いだ、こんなところから逃げて祖母と暮らした森に帰りたい。
『……馬鹿にしているの!?』
 叫んではっとする。下の者に声を荒げるなど王太子妃としてあるまじき行動だ。
 自白したようなものでさらに恥ずかしく顔を見られないでいると、ファングは何も言わなかった。視線を向けると、――彼は珍しく眉を下げておろおろした表情をしていた。
『そんなつもりじゃ』
 いつものからかいではなかったのか。まさか本気で。
『失礼します』
 アビゲールは足早にその場を去った。
 侍女も連れずに人のいない廊下を進む。顔が熱い。鏡を見なくても自分が真っ赤になっているのがわかった。心臓がやけにうるさくて、そっと胸を押さえる。
(私、こんなに単純だったの……)
 ここから逃げようと、そうアビゲールに言ったのはファングだけだ。
 嬉しかった。いや、素直になれないアビゲールにいつも明るく話しかけてくれるファングのことを、もうすでに自分は……好きだったのかもしれない。
 王太子妃ならば願うことさえ間違いの、初恋。
 同時に自嘲する。
(どうせ彼はそんなこと思ってないでしょうけど)
 だから距離を置いた。
 彼の言葉をすべて跳ね返した。
 アビゲールに言ったのと同じように皆に声をかけるファングに傷ついて、嫌悪を抱いた。同時にどこか期待した自分にも。
「王都への道はこちらでいいかな」
 ちょうどそこで商人の一団が正面からやってきた。たくさんの荷を積んだ馬車を操るのは店主らしき男だ。お互い端に寄って近づいたところで彼が帽子を上げる。
「ええ、真っすぐです」
 ファングが答えれば商人が隣に座るアビゲールを見て微笑んだ。
「夫婦かね、微笑ましいねぇ」
「そうです」
「違……むぐっ」
「はっはっは、元気な奥さんだ」
 ファングに口をふさがれて否定の言葉は商人の耳に入らないまま、笑いながら行ってしまう。その姿が遠くになったところでようやくファングは手を離した。
「微笑ましいなんて照れますね」
「なんてことを言うの!」
 去っていく商人の馬車を見ながら言えば、ファングは真顔になった。
「では国から追い出される王太子妃と名乗ったほうがよかったですか」
「……、っそれは」
 今回の件をまだ国民に知られるわけにはいかない。
 アビゲールだけの不名誉ならともかく、あらぬ噂が民にまで立てば国が揺らぎかねないからだ。とはいえ、貴族も大臣もその場にいたからそのうちに広まることにはなるだろうが……。
(まだ王太子妃としての振る舞いをしようとしているのね)
 そんな自分に自嘲気味に笑ったところでふと影が落ちた。
 不思議に思って見上げるとファングが背もたれに手を置いてアビゲールをのぞきこんだ。紅い目の中にある瞳孔が細くなり、その状態で見下ろされて知らずつばを飲み込む。
「それとも、……国王陛下が戻ってきたら王宮に帰れると思っています?」
「――まさか」
 真っすぐに見つめ返すと彼は表情をゆるめた。
「よかった」
 ファングが隣に座りなおす。
 小柄なアビゲールに覆いかぶさるようにしていた獣の雰囲気がなくなり、一瞬遅れて背中に冷や汗をかいた。
(……よかったって何!?)
 口に出す勇気がないので心の中で悪態をつく。
「ああでも嬉しいなぁ」
「何がですか」
 問えばファングは隣に座るアビゲールを見て笑う。軽く結んだだけのアビゲールの金髪を取ってその毛先に口づけた。
「好きな子が、婚約者のもとを離れたのが嬉しいんです」
「――」
 見つめる目にはアビゲールだけがうつっている。とっさに言葉を返せないでいると彼はするりと髪から手を離した。
「もちろん俺のことを何とも思っていないことは知っているので、これから惚れさせていきますね」
「この状況でまだ冗談を言うの!」
「しっ」
 そこでファングがアビゲールの声をさえぎって馬車を止めた。
 彼は馬車を道の端に寄せると御者台を下り、馬の器具を外して手慣れたようすで馬車の上に乗せていた鞍をつけた。大人しくじっとしている利口な馬を改めてよく見れば、それはファングの愛馬だ。名前は確かローズ。
 そこでアビゲールの耳が、後ろから迫ってくる馬の蹄の音を聞いた。
「俺は君を傷つけることはないです、そこは安心して」
「安心って……」
「それとアビゲール様がひとりで生きていけるほど、世間は甘くないですよ。特に、国の情報を握っているのであれば」
 ファングがアビゲールの腕を掴む。一瞬単純な形の紋章が浮かんだと思うとぱちっと音がしてはじけ、光の縄が身体に絡みついた。
「――な、なに」
「少し大人しくしていてください」
 ファングがアビゲールを軽々と抱き上げて馬に乗りこむ。
 拘束されたまま前に座らされて、ファングが拍車をかけた。国外まで乗るはずだった馬車をその場に置き去りに、先ほどよりも猛スピードで風景が後ろへ流れていく。
「待て!」
 怒鳴り声が後ろから追ってくる。
 猛スピードで走る馬からなんとか身を乗り出して後ろをのぞけば、遠目に見えるのは貴族の私兵のようだ。
「俺たちは大臣からの使いだ。アビゲール様を保護しろと言われている!」
 彼らが叫ぶがローズの足が速くて二人乗りだというのにみるみるうちに距離が開いていく。
「あの場で何も王太子に忠告しなかったのに、今さら何を」
 私兵の言葉も、小さくつぶやくファングの声も、風の音がうるさくてアビゲールには聞こえなかった。
「ひゃ、っ、お、おおおちる」
 それよりも振り落とされないようにするのが精いっぱいだ。
 両腕を後ろで拘束されているので支えはファングの腕だけだ。あまりのスピードに青ざめるアビゲールを見て、ようやく彼は魔法の拘束を解いた。
「俺にくっついていいですよ」
「誰が! ……ひ」
 言ったとたんにさらにスピードが上がり、さすがに身体のバランスが保てずにファングの胸にしがみついた。ふと笑う気配がして上を見れば彼は前を見ながら唇を持ち上げている。
(やな男!)
 馬は街道を離れて脇の小径を駆けていく。馬が一頭ようやく走れるくらいの細さだ。そのうちにいつ行き止まりになってもおかしくない。
「ど、こに行くの」
「喋ると舌を噛みますよ」
 そこで一瞬光に包まれて、ふっと周りの空気が変わった。
「――さ、寒っ」
 暖かな気候からひやりとした刺すような気温へ。瞬きをすると光は消えて、同時に馬の速度がゆるんだ。
「よしよし、サンキュな」
 ファングが少し身を乗り出してローズの首を撫でると、ブルルと鼻を鳴らした馬はその場で数度足踏みをした。
「ここ、どこ……」
 アビゲールが呆然とつぶやく。先ほどとは明らかに違う場所にいた。
 広葉樹ばかりの森だったはずなのに針葉樹が多くなっていて、視界の向こうには白い雪を被った岩山が幾重にも連なっている。
「ドレイク皇国領です」
「……え」
「あらかじめ設置していた転移紋を使いました」
 隣国でも馬車で数週間かかる。
 そして大陸でも南側にあるエッジワード王国からドレイク皇国……北端にあるその国へはさらに時間が必要なはずだ。
 確かに紋章魔法による移動手段はあるけれど、大量の魔力を使う上に発動には条件があるはずだ。先ほど光の環をくぐったところにはすでになんの痕跡もない。
 薄いワンピース姿のアビゲールがふるりと身体を震わせると、ファングが自分の上着を肩からかけた。冬仕様の布ではないが彼の体温と残り香に包まれて、アビゲールは慌てて脱いで突き返す。
「止まりなさい」
 言えばファングが素直に馬をとめた。
 本当に祖国から出たのだ。場所は想像とは違うところだが国外に出た以上、ここから先はどこに行こうとアビゲールの勝手だ。
「ここまででいいわ、おろして」
「まぁまぁ、そんな焦らなくても」
 上着を今度はアビゲールの膝にかけてファングが手綱を操る。しばらくして馬が足を止めたのは、周囲を柵で囲んだ森の中の小さな家の前だった。
 二階建ての、青い屋根と白い壁が印象的な家だ。まるで絵本の中に出てくるような可愛らしい建物に目をぱちくりさせている間に、ファングがアビゲールを馬からおろした。
「寒いから、入って入って」
「ちょ、ちょっと」
 背中を押されて抵抗する。
「俺の知り合いの家です。今は使っていないから俺たちの好きに使っていいと」
「どういうこと? 私と、あなたがここに住むというように聞こえたのだけど」
「その通りですけど」
「――」
 何をいっているのだろう。
「大変だったんですよ、いい感じの家を見つけるの。この間野菜でもつくりながらのんびり暮らしたいって言っていたじゃないですか」
 確かに言ったけれど。
「牙の騎士、どういうことか説明を……」
「ほら、やっぱり!」
 そこで賑やかな声がした。
 振り向けば黄色と緑色のスカーフをそれぞれ頭に巻いた、農作業帰りらしい女性二人がこちらを見ている。黄色のスカーフの女性が緑のスカーフの女性の肩を叩く。
「修理されていたから、引っ越してくるんじゃないかって言っていたでしょう。当たったわ」
「本当、キキはそういうところ鼻が利くわね」
「なによぅ、グリだって気にしていたくせに」
「こんにちは」
 突然の訪問者に動けないアビゲールに代わってファングがにこやかに挨拶をすると、女性たちはきゃっきゃと声を上げた。
「まぁいい男!」
「ちょっと旦那に怒られるよ! 私たち近くの村の者ですけどね」
「ここには二人で住むの?」
 よほど仲が良いのか見事な呼吸の会話だ。スカーフの色で見分けはつくが、どちらがしゃべっているのか一瞬わからなくなる。けれど飾り気のない笑顔と無邪気なようすに、侍女シャロンと姿がかぶった。
「ちょうどよかった、私たち作業の汗を流してくるところなんだけど」
 そんな感傷の中にあったアビゲールの腕を両側から彼女たちが掴む。
「奥さんも一緒にいこう」
「いいところがあるんだよぅ」
「え? ええ? ちょっと!」
「いいところ、いいですね」
 そのまま敷地内から連れ出されるアビゲールをのんびりした足取りのファングが追う。
「ちょっとおおおお!?」
 連行されていくアビゲールの声がむなしく森の中に響いた。

 十分後、アビゲールは岩場に湧いている温泉に浸かっていた。
 周りには高い木の壁が立てられているが温泉自体が大きくて閉塞感はあまりない。二人に引っ張られて脱衣場にたどりつき、あれよあれよという間に服を脱がされて――本日二回目である――気づけば心地よい湯の中にいたというわけだ。
(気持ちいい……)
 外気温が低いのでよけいにそう感じるのだろう。初めは警戒していたが、一緒にきた二人がそれぞれ脱力したように身体をひたしているのを見て馬鹿馬鹿しくなり楽しむことにする。
 王都でも入浴することはあったが、バスタブに湯をはっているものだった。
 視察で温泉地を訪れたこともある。しかし平民と貴族で場所がわかれていてこんなふうに誰かと入るのは初めてだ。
 月の出は遅い時期だが、もう日はとっぷりと暮れていてあたりは暗い。
 森も遠くに見える岩山もすでに黒い影になっていた。かさかさと茂みや梢が風に揺れる音に紛れて、小さく狼の遠吠えも聞こえる。
「いいところだろう、誰でもいつでも入っていいんだ」
 緑のスカーフでそのまま髪を結んだ女性、グリが言う。
「ちなみにのぞいた男は血祭りだよぅ」
 黄色のスカーフのキキが言う。今女湯に入っているのはアビゲール含めてこの三人だ。
「あの人なら一緒に入ってもいいけどね」
「ねぇ」
  そう言って二人がけらけらと笑った。どちらも二十代半ばほどだろうか、今日あった出来事をつらつらと話していて仲の良さが伝わってくる。アビゲールは言葉少なに応じていた。
(エッジワード王国とは発音が違う……)
 言葉は通じるが不用意に話すとこの国の者でないのがばれてしまうかもしれない。
 でもそれがどうしたのだ。ほこほこと温泉につかっているとすべてがどうでもよくなってきた。
(最近、徹夜続きだったし……)
「アビゲールちゃん」
 うっとりと目をつむっているといつの間にか二人が目の前にいた。
 グリがアビゲールの体を見ていて、視線がお腹のあたりに注がれている。
(……そういえば、王太子の紋章魔法!)
 いろいろなことがありすぎて確認するのを忘れていた。お湯の表面からは絶えず白い湯気が立ち上っていて視界は効かないがとっさにお腹を隠すと、グリはアビゲールの肩に手を置いた。
「もっとよく食べないと倒れちまうよ、なんだいその細い腰」
「胸が大きいねぇ。お肌がすべすべだねぇ」
 キキがアビゲールの手を取る。裸を見られるのは侍女で慣れてはいるとはいえこんなふうに至近距離で話をするのは落ち着かない。
「ああでもよかれと思ったけど先に見て悪いことしちゃったかなぁ」
「ね」
「?」
 そんな話をされて首をかしげると彼女たちはうなずいた。
 もう一方の肩にキキの手が置かれる。両肩それぞれに手を置いた彼女たちは視線をそれぞれ警戒するように周囲に向けて――ずいっと顔を近づけた。
「なんでも相談してね」
「ここに入ったら村の一員だよ。男には言いづらいことも、ここじゃあ聞こえないから」
「そうそう、私たちはいつも夫の愚痴ばっかり」
 はっはっは、とキキとグリが笑う。
 長年、王宮で暮らしてきて相手の表情やちょっとしたしぐさから、どう感じているのかわかるようになった。もちろんファングという例外はあるものの概ねその予感は当たることが多い。
 今、同じ湯に浸かる二人から感じるのは、アビゲールを心配してくれる優しい気持ちだ。
「……ありがとうございます」
 はにかんで心の底からそう言うと、二人の頬が赤くなった。

 ほこほこと幸せな気持ちで外に出る。
 女性用と男性用の温泉は少し離れているらしいが、ここまで近づいていいという限界の場所に木が生えていて、そこにいた少し濡れた髪のファングがアビゲールを見て微笑む。
(げ)
 温泉の気持ちよさで大変な状況を忘れていた。回れ右しようとしたアビゲールの手をファングが掴んだ。
 それは湯上り直後のアビゲールと違ってひやりと冷たい。いつから外で待っていたのだろう。
「不慣れな妻をありがとうございます」
「つ……!」
「また一緒に入ろうねぇアビゲールちゃん」
 そそくさとキキとグリが去っていく。
「訂正……っ訂正しなさい!」
「いいじゃないですか、では家に帰りましょう」
 ファングが厚手のマントをアビゲールに着せて、手を引いて歩き出す。振り払おうと手に力を込めたが外れなかった。
 彼の手は大きくてアビゲールの手はすっぽりとおさまってしまう。それをまるで湯たんぽの代わりのように時折ファングが撫でた。
「今度からはランプでも持ってきたほうがよさそうですね」
 そう言いながら暗い道を歩くファングの足取りには怯えも揺らぎもない。その広い背中を見ながら小さく息を吐いた。
(本当に、どういうつもり?)
 無事にここまで連れ出してくれたことには感謝している。
 国外追放の馬車から降りたところで追ってきた私兵は見覚えがあった。大臣ながら私腹を肥やしているという噂の男が使っている手練れ。大方、国の流れを知っているアビゲールを囲い込んで利用するつもりだったかもしれない。
 その疑惑は、同時にファングにも言える。
 真意がわからない。こんな自分を好いてくれるなんて信じられない。彼は誰にでもそう言うのだから。
 繋いだ手はアビゲールの熱がうつったのか熱い。
(牙の騎士のそばは、ほっとするのは事実だけど……)
 だからこそこんな風に頼ってばかりではいけないと思う。アビゲールは立ち止まった。歩みを止めたのに気づいてファングも止まって振り返る。
「……キキさんとグリさんの住む村が近くにあるのでしょう」
「ええ」
「私は、そちらに、……っ」
 突然足の力が抜けた。へたりこみかけたアビゲールをファングが支える。
「な、何……」
 ずくんと下腹部がうずいた。やけに気怠く、妙な汗をかいて顔が熱い。風邪とは違う悪寒を感じながら顔を上げれば、空に月がのぼっているのが見えた。
「――ひとまず、家に」
「で、でも」
 アビゲールの身体を簡単に抱き上げる。先ほどの家はもうそこで、ファングはアビゲールを抱いたまま家の中に入った。
 外観からもわかるとおり小さな家だ。掃除はされていて清潔で、暖炉のある台所に居間、他にもいくつか部屋があるのをファングの肩にもたれながら見る。
 彼はアビゲールを居間のソファに座らせて額に手を当てた。
「平気、たぶん湯あたりだから」
「……」
 ファングが口を引き結んで、アビゲールのお腹を指した。
「ここ、確認してもらえますか」
 王太子が触れたところだ。言いようのない熱さの中でうなずくと、「俺は廊下にいますから」と言ってファングは扉を閉めた。
 ゆるゆると服のボタンを外す。なんてことのないはずのその動作にもたつきながら、下に着ているシャツごと脱ぐと。
「……なに、これ」
 下腹部になまめかしい文様が浮かび上がっていた。
 薄紅色でハートを模した幾何学模様で構成されている。人体に作用する紋章魔法の一種だと判断できるが、温泉に入っているときにはなかったはずだ。

 ――跪いて赦しを乞えば許してやるからな。

 唐突に、顔を歪めて言う王太子の顔が浮かぶ。一瞬走った痛みも。
(あのときに、何か)
 ろくでもないものだということだけはわかる。アビゲールを困らせようというのだろう。そしてこれにより、自分にひれ伏させようというのなら本当に悪趣味だ。消えないだろうかと指で紋を擦ると、痺れるような感覚が背中に走った。
「ひゃ……っ」
「アビゲール様!」
 焦った声がしてびくつく。外にファングを待たせているのを忘れていた。
「どうしましたか? ……開けますよ」
「大丈夫、だから開けないで!」
 こんな状態を見られるわけにはいかず慌てて脱いだ服をはおる。けれど手が震えてボタンがうまくはめられない。
(ひとまず部屋に……!)
 諦めて上着を重ねて立ち上がったが、すとんとその場で腰が抜けてしまった。
 そして、お尻からもろに床にぶつかった。どすんという大きな音が家に響いた。
「アビゲール!」
 そこでドアが開く。はっとしてそちらを見るとファングと目が合って、床にへたりこんだままアビゲールはシャツの前を握りしめた。
「……」
 ファングは口を閉じると部屋に入ってきた。きし、きし、と床が軋む音をさせて一歩ずつ近づいてきて彼はアビゲールの前に膝をついた。
「見せてください」

 いつものからかうような口調ではないが、シャツを掴んだままふるふると首を振る。
 その間にも身体の熱があがっていて、意識がぼんやりしてきた。息を吐いたファングはアビゲールをソファに横たわらせた。
「すみません」
 そっとファングがアビゲールの服をめくった。もう抵抗する力もないまま胸元は隠して、じっとお腹あたりを見る視線に耐えていると、彼が口を開いた。
「……淫紋」
「え?」 
「これ、人を強制発情させる紋章魔法です」
「きょうせ……はつじょう……」
 思いもよらぬ言葉にアビゲールは目を見開いた。
「どうして、そんなことを?」
「……そういうプレイも一般的にはあるということで……でも普通の淫紋じゃないな」
 診察するように大きな手が直接お腹に触れた。
「ひうっ」
 手のひらがおへその下を撫でる。自分の体温がうつったのかファングの手も熱い。
「な、なななにするの」
「……誰かにここを触れられましたか」
「ん、ったぶん、殿下、に……」
「――ちっ」
 ファングが舌打ちをしながらお腹の模様をなぞる。すぐに背中にゾクゾクした感覚が上ってきた。
(ちょ……)
「あの王太子もなかなかの術者だな」
「待っ、離し……っ」
「古代文字も入ってるか、……これは」
 耐えきれないほどだが、ファングは息を荒げるアビゲールに気づいたようすはなく撫で続けている。
「やめ、なさい!」
 押し退けようとすれば手をお腹に置いたままのファングにきょとんと見られて怒りが込み上げる。わざとなのだろうか、腹立たしい。
 さっき自分で触れた時よりも感覚が鋭敏になっていて、妙な声が出そうになってアビゲールは慌てて彼の腕を掴んだ。
「あの、もういいから……っ」
 必死に言うとファングは真顔で返した。
「俺も見たのは初めてなのでしっかり確認しないと」
「面白がっているでしょう!」
 常にからかわれていたからわかる。真剣な声の中に混じるのは嬉しそうな響きだ。
「人が、こんなに苦しんでいるのに……っ」
「淫紋なら対処は簡単です」
 そこでアビゲールのお腹を直に撫でていた彼の手が止まってようやく息ができた。熱で意識がくらくらする。
「――俺が、しても?」
 ファングが耳元でささやいた。身の内から焼かれるような熱さと苦しさから逃れたくてうなずくと、淫紋を撫でたファングの手がアビゲールの下着の中に入った。
「――え、っあ、っ」
 あまりにも自然な動きに一瞬何が起こったのかわからず目を見開いた。ファングに背中を支えられて、もがいても逃げられない。
「……っ」
 先ほどから疼いてたまらない足の間をファングが撫でた。剣だこと硬い皮膚が触れて途端に身体に痺れるような感覚が走って息が乱れる。
「何す、……っや、離し……っ」
「『対処』です。これ、一度達すれば消えますから」
「はぁあああ!?」
 思わず叫び声が出た。その間にも自分で触れたことのない場所に指がもぐりこむ。太ももを締めようとしても相手の力のほうが強くて、しかも空いている方の手で胸を揉んできた。
「離しなさ……っん、う」
「抵抗する力も残ってないじゃないですか、ほら遠慮せず」
「遠慮とかでは、や、本当に、……待って」
 気持ちよくて身体が動かない。ファングの服を握って、涙でにじむ視界のまま掠れた声で言うと、そこでぴたりと彼は動きを止めた。
「ん、ぅ」
 まだ手は下着の中に入ったままだが責め立てる動きが止まって安堵の息をつく。
 なんだか頭がふわふわして手足がしびれたように動かない。あともう少しで何かが来そうな感じだ。
 ちらりと上を見ると、窓から入る月灯りでファングの顔が見えた。
 いつもの飄々とした余裕のあるものではなく、目元を歪めて頬を赤く染めた彼は息をのむほど艶めいていた。剣闘試合を何度勝ち抜いても平然としていた呼吸が荒くなっているのを感じる。
 さすがのアビゲールもこれが男女の肌の触れ合いということはわかる。
 王太子とベッドにいた女性たちもこんな感じだったのだろうか。
 ぐっと頭を持ちあげられて顔が近づく。
「アビゲール……」
 吐息とともに聞こえた言葉に、アビゲールはとっさにファングの目を手でふさいだ。
「見てはだめ!」
「……はい?」
「目を開けるのは、許しません」
 もう身体は全身熱を帯びて動けない。腕を持ち上げるだけでもおっくうだ。
 王太子によってつけられた紋章が発動していて、対処する必要がある行為なのは理解した。その処置を、医者を呼ぶまでもなくファングができることも。
(う、う)
 けれどその間、これ以上情けない自分を彼に見られるのは耐えられない。
 彼の目に手を当てたまま震えていると、小さなため息が聞こえた。
「では、……見なければ触れても?」
「……っ」
 とっさに返事ができなかったのは、その言葉にからかいではなく懇願がはいっていたからだ。その戸惑いを正確に感じ取ったのか、目をつむったままのファングの顔が首元に埋められた。
 自分でもわかる汗ばんだ肌に鼻先が押し当てられて彼のうすい唇が触れた。
「や、……ふぁ」
 軽く吸われてちくりとした痛みが走る。その間に濡れた足の間を撫でられて、アビゲールの羞恥をあおるとともに聞こえる水音が大きくなった。
(はやく、……終わって)
 たくましい身体に抱き寄せられたまま腰が勝手に揺れる。ほとんど息を止めるようにして口を手で押さえていたアビゲールの首からファングは顔を離して、ささやいた。
「入れますよ」
「いれ、……っひう」
 明確な意思を持った指が入り口を撫でて中に入ってきた。
「あ、ぅ」
「はは、狭……」
 中で指をゆっくり出し入れしながらファングが小さくつぶやく。アビゲールは唇を噛み締めたまま半泣きでファングをぽこぽこ殴った。
「馬鹿、にして!」
「痛て、っ、褒めてるんですよ?」
「どこがです!」
「落ち着いて。痛くはさせたくないので」
 アビゲールの両手をファングがあっさり片手で拘束して、ソファに縫い付ける。するりと片手で器用に下着が脱がされた。
 彼の指がアビゲールの足の間にある入り口の浅いところを出し入れしながら手のひらが愛蕾を撫でた。今までよりも一層直接的な刺激にすぐに意識がとろけた。
「は、……あ、う」
 ぱちんぱちんと白い光がはじけていく感覚。がくがくと足が震えてお腹の奥がしまり、腰に重い感覚が増していく。上から覆いかぶさったファングが服をはだけたアビゲールの胸元に顔を埋めた。
「はぁ……」
「ちょっと!」
「言われた通り目は閉じてます」
「そうじゃな、っんぅ……、いや、なに、――あ……っ――」
 胸元に浮く汗を舌で舐められると身体が勝手に跳ねて甘い声が出た。肌をいくつも吸われて堪えきれずにぎゅっと身を縮めてその衝撃が通り過ぎるのを待つ。
「……は……」
 ゆっくりとファングが手の拘束を解いた。髪や泣いている目尻にキスを降らせたファングが中から指を抜くと、とろりとした液がそこに繋がるのが見えた。
 あの破滅的な衝動はいつの間にかおさまっている。
「落ち着きました?」
「……ええ」
 そこでファングはアビゲールの身体を離した。
 触れ合っていた肌とぬくもりが消えて夜の冷たい空気が間に入る。くたりとしたまま動けないアビゲールに代わり、ファングは手探りでボタンをしめた。
 少し身を起こして身体を見るとお腹の紋章は消えている。眩む意識の中、動くのはそれが限界でアビゲールはそのまま目を閉じた。

第二章 森の中の小さな家

 目が覚めてアビゲールは気怠く起き上がった。はれぼったいまぶたのまま目をこする。
 朝の爽やかな光に浮かぶのは、見慣れた豪奢な部屋ではなく簡素な木の壁だ。ベッドの中で目を擦りながらどうしてここにいるのかと一瞬考えて、昨夜のことが頭をよぎった。
 ばっと自分を見下ろす。身体はいつの間にか綺麗に清められていて、柔らかいリネンの寝間着を着ていた。
(あ、ああ……)
 温泉から帰る途中にどうしようもない熱とうずきに襲われたことも、ファングの腕の中で彼の手で達したこと、品位も忘れて泣いてしまったこと。触れる手はどこまでも優しかったことまで思い出す。
 慌ててお腹を確認するが淫紋はもうない。
(――悔しい、……っ)
 置いてあるクッションを両手で押さえつけた。
 相手が王太子であればこんな惨めな思いをしなかったはずだ。淫紋をつけられた状態で初夜を迎えてもただ軽蔑するだけに終わった。
 けれどファングにだけは、……自分がただの女だと知られたくなかった。
 ベッドの上で小さくうずくまる。状況を改めて思い出せば、ファングと顔など合わせられるわけがない。
 すでに太陽は高いところにのぼっていた。ちらりと窓から外を見れば、ちょうどファングが家から出てきたところが見えて慌ててカーテンの陰に隠れた。ようすをうかがうと、庭の一角にある馬小屋から愛馬のローズを出して、ブラッシングしているのが見えた。
 まるで意識をしているのがアビゲールだけのような、自然な動きだ。
 そこでふと、物干し棒に洗濯物がはたはたと揺らめいているのが見えた。シーツや服に混じって、ありえないものが干されているのに気づいてアビゲールは立ち上がった。
(パンツ!)
 太陽光にさらされて健やかに乾いているのはまぎれもなくアビゲールの下着である。やけにお腹がすーすーすると思ったら、下着をはいていない。いつの間に脱がされたのだろうか、昨日の記憶はすべてあいまいだ。
 だが事実として、物干し棒にあるということはファングの手ですでに洗われたということで……午後の光にすでに乾いているそれを回収すると、動揺と殺意にも似た気持ちが沸き上がった。
(まったく、油断も隙もない!)
 真っ赤な頬を心地よい風が拭って、アビゲールは顔を上げた。
 改めて家を見るとすぐに一周できるほど小さい。馬小屋と道具小屋、そして少し荒れているが畑には畝の名残があって、雑草が生えている。触らずとも土に元気がないのがわかった。
(エッジワード王国に比べるとドレイク皇国は精霊の力が弱くて、採れる作物も限られているのだっけ)
「アビゲール様?」
「ひっ」
 後ろから声をかけられてびくつく。
 そこにいたのはもちろんファングだ。ローズの世話がひと段落したのか彼は首に巻いたタオルで汗をぬぐった。陽の光で陰影をつくる引き締まった身体を前に、これに昨日組み敷かれたのかと思うと落ち着かずに視線をそらす。
 ファングがどこの国から流れてきたのか、アビゲールは知らない。ただそれなりの人生経験は積んできているのはわかる。わずかな身のこなしや所作からは彼がただの成り上がりではなくそれなりに教養のある出自か、少なくともそれを取得したことがあるのを思わせた。それは、貴族の出自ではないアビゲールだからこそわかることかもしれない。
「身体は大丈夫ですか」
 目の前までやってきたファングが手を伸ばす。そこに立ちすくんでしまったアビゲールの髪に彼が触れた。
 するりと頬に手が添えられて途端にびくっと大げさに反応してしまう。
 ベッドで押さえつけられた手首はまだ赤い痣が残っていた。
 こんな森の中で二人きり。しかも相手は国一番の騎士。王太子妃という肩書もないただのアビゲールに『何か』しようとするならもちろん抵抗など無駄だろう。
「この家、気に入りません?」
「え」
「……それなら、今からでも別の場所に住めるように話をつけますけれど。貴族の屋敷とか」
「なぁに、それ」
 珍しくしおらしいファングに首をかしげる。顔が広いのは知っているがなぜそういう発想になるのか。
 アビゲールは小さな敷地を見回した。
「……いえ、気に入ったわ。ありがとう」
 もし王太子妃の責務がなければこんな家に住みたいと思っていた、まさしくそのまま。
「それにもう分不相応の暮らしはごめんだしね」
 アビゲールの言葉にファングは小さく息を吐きながら「そうですか」とつぶやいた。
「……言っておきますけれど、昨日のあれは魔術のせいであって、あなたに好意を抱いているとかそういうものではないの」
「もちろん、わかってます」
 いつものように言うとファングが手を差し出した。
「俺のことを信用できないのはわかりますけど、しばらくここにいてください」
「……」
「ちなみに逃げたら、顔写真付きで大規模捜索するので」
「んぐ」
 にっこりほほ笑んだファングに言葉を飲み込む。
 場所が遠いだけあって直接的に戦をすることはなかったし関わり合いも少ないが、もしアビゲールがエッジワード王国の元王太子妃だとばれたら、スパイとして皇帝の前に引きずり出される可能性はある。
 ドレイク皇国の皇帝は密偵により他国の情報を多く握っていると噂されている。確かまだ三十四歳と若いが有能という話もよく耳にした。
(というかそもそも国外追放って……私が内情を話して他国の王に取り入ろうとするかもとか王太子は考えなかったのかしら)
 改めてため息をついた。国王陛下不在の間の執務は王太子がまったく何もしなかったのでほとんどアビゲールが行っていた。その中には極秘文書ももちろん含まれている。
 アビゲールは目の前にあるファングの手を見た。
「……なら、代わりにお願いしたいことがあるの」
「なんです」
「牙の騎士なら、エッジワードの王宮に信頼できる騎士や女官が多いでしょう」
 自分で言っていて悲しくなるが事実だ。
「……シャロンのことに、気を配ってもらえるように彼らにどうにか頼めるかしら」
「もちろん」
「……」
 返事は軽いがファングは交わした約束をたがえるような人ではない。アビゲールはそっとファングの手に自分の手を乗せた。
 ファングが手を握ってアビゲールを家にいざなう。
「お腹が空いているでしょう、昨日から何も食べてないんですから」
 そう言われてお腹が鳴った。中に入って所在なく立っているアビゲールを気にせず彼は手早く小枝と薪で火を熾して、やかんをかける。
 待っているのもきまずく、アビゲールは家を回ってみることにした。
 森の中の家は台所と居間、保存食材が並ぶ食糧庫、本がたくさん置かれた書斎、二階にはいくつか寝室が並んでいる。
 風呂場もあった。蛇口が二つあり、一方をひねるとそのまま温かい湯が出て、匂いから温泉と同じものが引かれていると知る。ここ一帯のいたるところに湧いているようだ。
 馬小屋の近くには井戸もあるのを見ている。
 部屋に戻ってクローゼットをあけると、そこには大量の女性の服が入っていた。コルセットや下着まで一式がそろっている。
(着させてもらっていいのかしら)
 回収してきたパンツをそっと戻して着替えた。
 居間に戻るとファングが机に食事と紅茶を並べていた。ワンピースにゆるく髪を結んだアビゲールの姿を見て少し彼が目を細める。
「いい家でしょう」
「……そうね」
「ルールも決めましょう、やはり一緒に住むとなるとお互い譲れないところがあったりするみたいですし。俺はアビゲール様の決めたことなら何でもいいですけど」
「……」
 もう返事をする気力もなく視線をそらせる。机の上のメニューは野菜のスープに三日月パン、バター、目玉焼きとベーコンだ。美味しそうな匂いがしている。
 アビゲールは小さく息を吐いてそっと机に小さなルビーを置いた。万が一のためにと下着の裏に縫い付けられていたものだ。正真正銘、アビゲールの全財産。洗ったときに気づかなかったはずはないのに、そのままにされていた。
「これ、どうぞ。小さいからあまり価値も高くないけれど……服や食事代や、家賃の足しくらいにはなると思う」
 ファングは机に載る赤い宝石を見て、そっと指先で押し返した。
「俺がしたくてしていることだから気にせず。これは必要な時に使ってください」
「……そうね。ここを抜け出したらとか」
「預かっておきます」
 ファングが摘まんでポケットに入れた。
「あと、この辺は狼も出ますし、俺がいないときは家の敷地から出ないようにしてくださいね。やわらかいアビゲール様は格好の餌なので」
 ふいと視線をそらす。
「じゃないと両手足縛ってから出掛けますが」
「わかった、わかりました!」
 ファングの不穏な言葉にアビゲールは急いでうなずいた。
「では今日から、よろしくお願いします」

 その日の夕食後、アビゲールは早々に部屋にこもることにした。ちなみにメニューはファングが近くの川で釣ってきた鮭のムニエルだった。とても美味しくて、改めて憎たらしいほどなんでもできる男だ。
 椅子に座り窓から外を見る。夜になってさらに気温が下がってきて、エッジワードとは根本的に気候が違うと痛感する。
 しかもこれから冬の時期だ。
(牙の騎士と二人きりが嫌なのであって……家はとてもいいのよ)
 ファングの手のひらで転がされているのを感じる。
(キキさんとグリさんに話を聞きに行ってみようかしら、ひとまず明日は村に……)
 そう思ってカーテンを閉じかけたところで、月が明るく森の向こうに顔を出した。ずくんとまた下腹部が疼いて、覚えのある感覚にアビゲールは顔をしかめた。
(また……!?)
 すぐに歩けなくなるほどの衝動が身体を襲ってベッドに手をつく。急いでシャツの前を開けると、昨日と同じ紋章が下腹部に浮かんでいた。
(淫紋は、消えたはずじゃ)
 起き上がるのもおっくうなほどの痺れがすぐに全身をおおって、アビゲールはうめいた。……今日はファングの手を借りるわけにはいかない。
(た、確かこうやって)
 覚悟を決めて、下腹部にそろそろと手を伸ばす。
 足の間を指で触れれば、それだけでも快さにびくりと反応してしまう。すでに蜜がこぼれてきていてすぐに指が濡れる感触があった。
 改めてこんな状態をファングに見せられるわけがない。
(中、に)
 自分でも触ったことのなかった柔らかな奥を探って指を差し入れてみる。だが恐怖からか、入口をこするだけでなかなか挿入できない。
「っふ、……う、う」
 それでもじんわりと快楽は高まる。ただ、脳が焼けつくような熱さに先に身体が耐えられなくなった。荒く呼吸をしながらベッドの上で身悶える。
「ん……、……」
 そこでぐいっと手を引かれた。見ればそこにはファングが立っていて、月明かりに彼の紅潮した顔が見えた。
「……う、うー」
 また情けないところを見られた。しかも自分でしているところなんて。悔しくて苦しくて、ぼろぼろと涙がこぼれてくる。息を吐いたファングがアビゲールを抱いて膝に乗せ、頬に手を置いて涙を舐めとった。
「苦しいならちゃんと人を頼ってください。本当に見ていられない」
「い、いつから」
 まさか、ずっと一人で慰めているところを。
「……そろそろかと」
「~~~~」
 ぷるぷると拳を振り上げるとファングがそれをなんなく捕えた。
「俺のことを嫌っているのは分かっていますけど、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう」
 ファングがちらりとアビゲールの身体を見下ろす。ボタンをしめる余裕もなかったので胸からお腹、太ももまで見られてしまう。慌ててシャツで隠すと、ファングが小さく息を吐いた。
「……これならいいですか」
 青いスカーフを取り出した彼がそれで自分の目を隠した。
「この状態なら、アビゲール様も気にしないでしょう」
 シャツを掴んだまま目の前で手を振ってみる。反応はない。
「……本当に、見えて、ない?」
「ええ」
「本当の、本当の本当に?」
「全く」
 なかなか高度なプレイを……とよくわからないことをつぶやくファングから視線をそらして考える。
 見られているから恥ずかしいのだ。少なくともこれならば、彼にアビゲールがどんな表情をしているかや恥ずかしいところを見られないで済む、と思う。
「……その状態なら、触ってもいい、わ」
 こんなときにも可愛げがないことしか言えない。わずかに視線を下げた。
「仰せのままに」
 ファングの手が形を確かめるように胸元から喉に這いあがった。先ほどまでよりもどこか自信なさげな、手探りの触れ合いはむしろもどかしくて感度を上げる。
「……っ」
 もう一方の手が肘を滑ってアビゲールの手を掴んだ。剣タコや傷だらけの大きな手がそっと組み合わされて強く握られる。
(ん? あれ?)
 そういえばファングの膝に乗ったままだ。猫にするように顎を軽く撫でた彼は、今度はゆっくりと、あおるように下に向けてアビゲールに触れていく。もどかしいほどの愛撫にアビゲールの身体は本人の意思に反して恥ずかしい期待で息を乱した。
「牙の騎士、……っわざと!?」
「何を疑っているんですか。見えない以上、大事な身体に傷をつけるわけにはいかないからこうやって優しく」
「ひ、ぅ」
 指の先が胸に触れる。丘の形をなぞるようにして、ぴんと立ち上がっている先端を押しつぶした。
「ん、ん……」
 逃げ出そうにも片手で押さえ込まれて叶わない。
「……は、っぁ」
「ここだけでも達することもできますよ」
「ええ!?」
 思わず言ってからしまったと気づいた。目をスカーフで隠したままのファングがにやりと口元を持ち上げた。
「試してみます?」
 手がアビゲールの胸をすくうように持ち上げる。パンを捏ねるように押しつぶされては先端を引っ張られ、逃げ場がない腕の中でもがいた。
「ん、……んん、ん」
 胸を弄られて、快い感覚が増す。はしたない声が出そうになってとっさに片手で自分の口をふさいだ。
「手触りも大きさも最高です」
「んん、ん!」
(うるさい!)
 胸を揉みながら耳元でわざとらしくファングがささやくのに抗議の声をあげた。その間もふにふにと好き勝手に捏ねられる。
(確かに、……ぞくぞくする、けど)
 昨夜のような鮮烈な感覚ではない。ゆっくりと這いあがるような快楽は頂まで遠い。お腹の淫紋は色を鮮やかに増していて、熱で全身から汗をかいていた。
 そこで、胸を揉んでいた手が下腹部に置かれる。ぴったりと閉じたアビゲールの足の間に潜り込もうとするように指に力が込められた。
「足の力、抜いてもらえませんか?」
「わ、わかってます」
 本能的な怯えなのか身体が言うことを聞かない。それでも意を決して少しだけ足を開くと、ずっと触れて欲しかったところを指が撫でた。
「――――っ」
 待ち望んでいた刺激に身体が跳ねる。指はすでに濡れきっている入り口を擦って愛蕾を撫でた。
「あ、っ、ん、ん」
 気怠い身体を支えられずにファングの胸に倒れこむ。ガクガク震えながら顔を埋めて声を殺した。
「……入れますよ」
「っひ」
 狭い入口を抜けて指が中に侵入する。昨日と同じように蜜洞を奥へと進む感覚にわずかに熱が下がる。こればかりは快さよりも違和感のほうが大きい。それ以上に中に指という異物が入るのはまだ怖い。しかも……昨日よりも深い。
「あ、あ、……あ」
 すがりつく相手が誰かも忘れてしまって、子どものようにイヤイヤと首を振った。
 先ほどよりも強く抱きかかえた彼が中を探りながらアビゲールに言う。
「……一番早く終わらせる方法があるんですが」
「はや、く?」
 アビゲールだって愉しみたいわけではない。触れ合いは淫紋による不可抗力で、仕方がないことで――けれど、なぜかそれを彼の口から聞くと少し悲しい気持ちになった。
(牙の騎士も、早く終わらせたい、よね)
 こんな可愛げがない女の処理など、面白味もないだろう。
「……なら、そうして」
「わかりました」
 あっさり言ったファングが中から指を引きぬく。え? と思う間もなくベッドにあおむけに転がされ、濡れた手がアビゲールの足を掴み、膝頭を探った手に左右に開かれた。
「な……ななななな!?」
 あまりの屈辱的な恰好に言葉を詰まらせる。文句を言おうとしてところでファングが身を乗り出して――ありえないところに顔を近づけた。
「ちょっと、待っ……あうっ」
 指でもいじられていた一番気持ちいいところを熱くてぬめるものが撫でた。ぴりぴりと今までとは比較にならない感覚が背筋を通って背中が反る。一瞬遅れて、それが彼の舌だと気づいた。
 ……舌が、そんなところを。そう思った瞬間に青ざめた。
「牙の騎士、待ちなさ、何してるの!?」
「見えてないからいいでしょう」
「そういう問題じゃない!」
 制止の声も聞こえてないようすでファングの舌がぬるぬると愛蕾を愛撫する。すぐに快楽があがってきたところで彼は再び指を中に差し入れた。
「ひ、っあん、……んっふぁ」
 性感帯を同時に刺激されて身体がはねる。指の違和感よりも快楽のほうが強くて視界が涙でにじんだ。
「気持ちいいでしょう」
「や、しゃべらな……」
 熱い息が吹きかけられるだけで愛液に濡れた秘部がひくつく。指は愛蕾を唇で食まれたり下からねっとりと舐められる間にどんどん深く潜っていく。
「っふぅ、ん、……んん」
「我慢しなくていいんですよ」
 ほとんど指が根元までおさまって、少し曲げたところでへそのほうに押されて言葉をつまらせた。とんとんと優しく刺激されながら蕾を吸い上げられる。
「――っ、ん、やら、それ、本当に」
 ついにこらえられず涙声で訴える。大腿でファングの頭をはさんで髪の毛をぐいぐい押した。
「は、誘ってるんですか」
「何を言ってりゅの!」
 ろれつが回らない。すぐにでも達してしまいそうで足が震える。
「やだ、っ離れて」
「……まぁ確かにこのまますぐに終わるのはもったいないですね」
 目隠しをしたままの意地悪な元騎士は、口元をにやりと持ち上げてアビゲールをベッドにうつぶせにした。

   *

 目隠しをされている分、他の感覚が敏感になることを彼女は知らないらしい。
「あ、っ、ん、ん」
 膝の上に乗るアビゲールの、淫紋で無理やり感度を上げさせられた下腹部に指を這わせると彼女は甘い声をこぼした。服越しでもわかる熱い身体をファングの胸元に押し付けて、すがりつくように顔を埋めた。
 ファングに聞かせないようにとアビゲールが息を詰める。甘い声が鼓膜を揺さぶってファングの下半身も反応していた。
(かわいい……)
 腕の中にすっぽりとおさまった華奢な身体を少し抱き寄せる。少し力を入れたら折れてしまいそうな指を己のそれと絡めて獲物が逃げられないようにした。
「……入れますよ」
「っひ」
 アビゲールの中は指一本でも辛そうだ。けれど愛液をこぼしながら内壁がきゅうきゅうとファングの指を締めつけられると、自分が中に入った時にどれだけ心地よいのか想像して喉が鳴った。
(俺も、指だけでいきそう……)
「あ、あ、……あ」
 アビゲールがふるふると震えながら首を振った。
 花のような香りと汗が交じった香りが寝室にこもる。
「っふ、う、う」
 彼女がどんな顔をしているのか見られないのはひどく残念だ。昨日も目をつむっていてほとんど堪能できなかった。
 大きな目は涙で濡れているだろう、果実のような唇はむしゃぶりつきたくなるように赤いだろうか。……このままファングが堪えるのも精一杯な己の欲を、この狭い蜜洞に打ち込みたいと思っていると知れば、どんな表情をするだろう。
(はぁぁああ……)
 今までの己の所業を悔やみつつ、とにかくアビゲールの快楽を高めることに集中する。あくまで彼女の熱をおさめるためだと思わせないと、敏いこの少女はすぐに逃げてしまうだろうから。

『お待ちください、陛下。その方を王宮に入れるかどうかの決定にはもう少し時間をかけるべきです』
 剣闘大会で優勝をしたファングを騎士として登用すると国王が言ったとき、そして王宮の皆がそれに賛同したとき唯一反対したのがアビゲールだった。
 淡い金の髪を結いあげ、まだ十七歳だというのに大人びた雰囲気の彼女は背筋をぴんと伸ばし、ファングに鋭い目を向ける。
 周りがざわつく中、ファングの真意を見透かすようにこちらを見る姿はいっそ神々しいものだった。
 幼い頃に国王陛下がいずれかから王宮に招き、王太子の婚約者として教育を施したという美しい妃。
(――よくわかっている)
 ファングは彼女に心の中で感嘆した。
 エッジワード王国の王宮にもぐりこむ機会をうかがって、国王の剣闘好きを利用したのだ。
 公の場で国王の決定に異を唱えるのはもちろんありえない。しかしファングが内定を受けてからアビゲールが何度も裏で国王に精査を頼んだ話は聞いていた。それに聞く耳を持たない王を止める、最後の機会と見たのだろう。
(だがもちろん、ここでそんなことを言えば)
 アビゲールからのいっそ心地よい視線を受けていると、思った通り王太子が口を開いた。
『それを言うならば、お前の方が身分が知れないのでは? オルガス卿は各地で名を馳せてきたのだ、口を慎め』
『――』
 にやにや笑う王太子の言葉にわずかに反応した彼女は、しかしそれ以上の動揺を出さずに顔をあげていた。
 王太子妃アビゲールはまるで一輪の百合のようだった。静かに佇む姿は不思議と目を引く。
『……かわいそうにな』
『おい滅多なことを言うな』
 その場にいるものは誰も彼女をかばわない。
 誰よりも国のために正しくあろうとする妃。けれどそれは仮面をかぶっていることはすぐにわかった。本人自身もわかっているだろう。

 ――どこかに逃げませんか?

 バルコニーで一人夜空を見上げる彼女にそう言ったのは、誰にでもするいつも通りの軽い誘いだった。風に綺麗な金の髪をなびかせた彼女は驚いたようすでファングを見て……ものすごく嫌な顔をした。
 常に表情を崩さない彼女が、眉をしかめて汚らわしいものを見るような視線で睨む。
 その表情を前にした瞬間、ファングは雷に打たれた心地になった。
(思う存分泣かせたら、……どんな表情をするのか)
 ぞくぞくとした気持ちが生まれたのはその時だ。年相応の表情をしたアビゲールの、蔑む目に興奮した自分を知る。まさかそんな性癖があったとは我ながら最低である。
 アビゲールはわずかな味方の中でがんばっていた。だが子煩悩な王と王妃、色にしか興味がない王太子を前に彼女の努力は側から見ても無駄だ。そのようすは壊れそうな金細工を思わせた。
 廊下で見かけるたびにふわりとした残り香を嗅ぐだけでも嬉しくなった。いつしか我慢ができなくなって、通り過ぎるときに彼女の髪に触れるのが習慣になった。
 そして、その話を聞いたのは彼の『仕事』をあらかた終えたところだった。
『あのいけ好かない女を追い出す方法はないか』
 王太子が大臣にこぼしているのを聞く。
『国王陛下のいらっしゃらない間に勝手をしては……』
『あんな傲慢で可愛げのない女、父上も母上もとっくに見放しているじゃないか』
(可愛げのない?)
 王太子の人を見る目のなさに心底同情した。
 だが追い出すと言うなら好都合だ。どうやって連れだすべきか、悩んでいたのだから。
 そして機をうかがっていたところ……王太子に部屋に呼び出された後に一人で壁によりかかりながら、葛藤しているアビゲールを見つけた。
 声をかけると――目に泣いた痕があった。
 気丈な彼女の泣き顔を見たのはそれが初めてだ。見たいと思っていた表情を王太子がさせたのかと思うと、自分の中で苛立ちとも憎しみともいえるものが芽生えた。
 培った人脈でいろいろ根回しをし、大勢の前で婚約の破棄と国外追放を王太子の名で宣言させて、無事にアビゲールを手に入れることができた。
 しかし彼女から嫌われているのは知っている。反応を引き出すのが楽しすぎて、心の距離が開いてしまったのは誤算だった。
 王太子妃として責任感の強い彼女のこと、そのまま本拠地に連れて行ってもスパイをしていたファングを心底軽蔑するだろう。
 だから、彼女の理想の場所を用意した。
 人の目から隠す必要も含めて、ここに身を潜めて……騎士と王太子妃ではなく、一人の男としてのファングをアビゲールに好きになってもらうために。
 人身掌握もそのための舞台作りも得意分野だ。ただ、王太子の淫紋が予定外だった。もっとゆっくり時間をかけるはずが……。

 柔らかくて熱い彼女の肌に触れる。
「っ、ふ……」
 うつ伏せにしたアビゲールの上にのしかかり、愛撫を続けた。
 荒い息とともにひそめるような彼女の声を聞き逃すまいと耳をすませた。入り口を撫でるファングの指に感じていると示すように、素直な身体からは蜜がこぼれてくちゅくちゅと水音を立てていた。
「ん、……ん」
 抵抗が弱くなったのを感じて先ほど味わった、ふわりと膨らんだアビゲールの胸を手で包む。王宮でドレスを着る彼女を見るたびに触れてみたくてたまらなかったのだ。騎士や兵士の宿舎では他の男も同じように言っていた。
「っ」
 途端に面白いように息をつめるのがわかった。形のよい丘の線をなぞって先端の突起を指で優しく撫でる。目隠しのせいで直に見られないのが本当に残念だがこの際贅沢は言っていられない。
「ん、っんん、ふぁ」
 明らかに声に涙がにじんでいる。
(王太子も馬鹿だな)
 こんな極上の身体が目の前にあるのに手を出さないだなんて。
 もっとも、そんなことをさせないために裏から手を回して女性をあてがい、男相手の快楽も教え込んだのだが。
(さて)
 すぐにでも達しそうなほど指を締め付ける蜜洞からファングは指を抜いた。
「へ、……?」
 少し上ずった、戸惑いの声を聞きながら今後は指を入れずに陰唇を撫でる。入口をこするたびに指に絡む愛液で上の蕾を撫でてあげれば、アビゲールの腰が揺れるのを感じた。
「ふぅ、っう?」
 びくびく震える華奢な肢体が息を詰めるのがわかって意図的に手を止める。しばらくしてから再開するのを繰り返しながら、ファングはアビゲールを逃がさないように身体をおさえつつゆっくりと手を動かした。
「これ、っう、ん」
 堪えきれずに声をあげたアビゲールに微笑んだ。
「俺の名前を呼んでくれたら続きをしてさしあげます」
「え、え?」
「一緒に住むのにつれないじゃないですか。なんでずっと『牙の騎士』なんです」
「……そ、れは!」
「たまには素直になりましょうよ」
 自分のことを棚に上げてささやく。また指を中に差し入れた。
「……は、っんぁ」
「ほーら、気持ちいいでしょ」
「ふっぅ……お、おもしろがって……!」
「まさかまさか」
 強情な少女はなかなか口を開かない。それでも快楽が高まれば指を抜き、刺激するのをやめるのを繰り返すと、抵抗も口数も少なくなってくる。
(そんなに嫌なのか)
 髪に口づけながら若干傷ついたところでアビゲールが吐息をこぼした。
「……、……」
「ん?」
「ふぁ、……ふぁん、ぐ……っ」
 ぐずるような声とすんすんと鼻をすする音が聞こえる。
 目隠しをしたまま、ファングは改めて自分の下にいて指を受け入れているアビゲールを認識した。服はほとんどはだけている。両手をベッドに押さえつけただけでろくな抵抗もできていない。触れ合う滑らかな肌は汗ばんで吸い付くようで……。
(犯してぇ)
「ふぁ、…………ん、あ、あ、っ――、……――」
 約束通り、甘い声に導かれるように今まで浅いところを探っていた指を奥に挿入する。蜜洞はおいしそうにファングの指を飲み込んで、そこでアビゲールが喉を震わせた。隘路が一層締まって、入れただけで達したアビゲールが息を詰めた。
「ふ、……、……」
 やがて弛緩したアビゲールから、名残惜しいがゆっくりとファングは指を引きぬいた。抵抗もなくなったのに気づいてそろりと身体を起こすと、力尽きたのか寝息が聞こえている。
「……このまま抱くぞ」
 ささやきはまだ気だるい空気を残す部屋に落ちた。
 汗ばんだアビゲールの髪を撫でる。こんな状態の彼女を家から出すわけにはいかない。今さらながら、村から少し離れた場所に拠点を構えた自分の判断のよさに満足する。
 そこでずくんと腹部に重い感覚があって、ファングは舌打ちした。
「ああくそ」
 息を吐いて自分のシャツを上げる。アビゲールは気づいていなかったようだが、すでにファングの雄は今にも爆発しそうなほど立ち上がっていた。そしてその下腹部にあるのは――アビゲールと同じ淫紋だ。
「……あのくそ王太子にやられるとは、俺も焼きが回ったな」

 ――お前がアビゲールを送るだと?

 それを申し入れた時、王太子は考える表情をした。
 彼はにやりとファングを見た。それならば一つ条件があると言って、ファングにこの紋を刻んだのだ。目標達成を前にして油断した。
(悪趣味にもほどがある)
 だがアビゲールを手に入れるためと思えば安いものだ。幸い、幼少期から訓練をしているので呪いや毒には多少耐性もある。
 ファングはアビゲールの目もとに口づけて、手探りで着替えの服を着せた。そこでようやく目隠しをとって、先ほど脱がせたアビゲールの服を持って立ち上がった。
「これはちょっともらっていきますね」
 さすがに限界で、ふらふらと廊下に出たファングはその場で座り込んでアビゲールの寝間着に顔を埋めた。先ほど己の手で昂らせた甘い声や吐息、そして中の狭さを思い出しながら自分のそれを扱く。
 気高い彼女はファングにも同じ紋が刻まれていると知れば何かしらの反応を返してくれるだろう。もしかしたら身体まで差し出してくれるかもしれない。
 けれどそれではだめだ。
 自分が欲しいのは彼女の同情ではなく、自ら手に堕ちて身を委ねてくれること。それでこそ手に入れる価値があるのだから。
(告白したのに無反応だし)
 森での出来事はなかったことにされている。まぁこういうファングの歪んだ性質を見抜いているからかもしれないが。
 誰かのためには頑張れて、自分のことは大事にできない少女。
「……俺が、大事にします」
 つぶやくがもちろん応える声はない。
「――ぐ……」
 手の中で熱が大きくなって、震える亀頭から白い液が噴き出す。アビゲールの寝間着に白濁がこぼれるのを見ながらファングは大きく息を吐いた。

第三章 スローライフ

 近くにあるという村は想像以上に牧歌的だった。名前をモココ村。
 家から村までは徒歩で十分ほどだ。今日はしばらくの食材の調達も兼ねているので馬のローズに小さな荷台をつけて来た。
「一通りの日用雑貨が売られている以外は、皆畑や鶏、牛を飼って必要なものは自分たちで作っているみたいです」
「そうなの」
 ファングの言葉に、アビゲールが応えた。
 頭からすっぽりと被ったフードを少し上げてきょろきょろと周りを見ると、隣を歩くファングと目が合った。軽く微笑む顔からそっと視線を外してフードを被りなおした。
 ドレイク皇国に来てから五日が過ぎていた。
 王太子の淫紋は毎晩アビゲールの身体を苛んでいる。どう察知するのか効果が現れ始めたころに目をスカーフで覆ったファングが部屋に来て、熱を鎮めてくれた。
 行為が恥ずかしいのはもちろんだし、慣れることはない。とはいえすぐに淫紋の効果に飲み込まれて、最中の記憶はほとんどなくなっているのだが。
(だからこそ憎らしい……)
 馬の手綱を引いて歩く彼に気負ったところは見当たらない。アビゲールにしてみればここ数日触れた肌や熱、息の近さを思い出して落ち着かないというのに。
 アビゲールはふるふると首を振った。
(このままだと牙の騎士の思うつぼじゃない……いつかぎゃふんと言わせてやる)
 この男に仕返しをしてやるという決意で拳を握ると鳥の声が聞こえて、空を見上げた。街の上空、南の方角に群れが飛んでいく。
「冬の前に鳥が南に移動してるんですよ。どうしても食料が少なくなりますからね」
「へぇ」
 北方のこの国では、冬は国土のほとんどが雪に覆われてしまうという。その前に人々は秋のこの時期に保存食をつくるのに勤しむ。
「あらアビゲールちゃん」
 村唯一の店でグリに会った。というか店番がグリだった。
「あら、あらあらあらあら」
 今日は渋めの緑のスカーフを巻いた彼女はカウンターでアビゲールとその後ろにいるファングを交互に見て、にやにやと口元をゆるめた。
「何か必要なものは?」
「一週間分の食料と、補修用の釘と……」
 ファングがグリと話している間にお店を見回した。人がすれ違うほどの通路しかないがたくさんの棚が据えられていて、並んでいる品を見るだけでも楽しい。天井には玉ねぎが干されている。
 そしてカウンターの近くには色数は少ないが刺繍糸が置かれていて、アビゲールはそれを手にとった。
「何、アビゲールちゃん刺繍できるの?」
「ええ、少しは」
 王太子妃教育の成果である。
「ちょうどよかった。刺繍糸おまけするからさ、お店に置くもの作ってくれない? 頼んでいた人が息子夫婦のところに帰ってしまってさ」
 色とりどりの刺繍糸をカウンターに並べながらグリが笑う。その間にも村の人がまた入ってきて、新聞がないか聞いてきた。
 食料の他に、布と刺繍糸の入った袋を手にお礼を言って店を出る。
 そこでコケー! と叫びながら鶏が数羽、道を走っていった。
「待ってぇええ!」
 そのすぐ後にキキが通り過ぎて行った。黄色のスカーフが遠ざかっていくのを見送っていると、男の人が追い付いてくる。
「お前が待て! ……ってファングさ、んに……アビゲールちゃん! キキから話を聞いていますよ」
 男は作業着姿の背筋を伸ばした。やけに筋肉質な彼は帽子を脱いで汗を拭き、あっちこっちに散らばる鶏を追いかけ回すキキを遠い目で見る。
「鶏が脱走してしまって。……追いかけ回すとむしろ逃げるんですけどね……」
「キキさんの夫です」
 ひそりとファングが言った。もう一度鶏とキキを見て、アビゲールはマントを脱いだ。
「よかったら捕まえるのを手伝いましょうか」
「い、いえそんな」
「私も昔、飼ってましたから」
 マントをローズの荷台に置いて、地面をつつく鶏にそっと後ろから近寄る。
「大人しくしてね」
 傷つけないように、折りたたまれている羽の下に手を添えた。久しぶりに触れる羽はふわふわで、そうっと持ち上げても暴れないでいてくれた。
「いい子」
 キキの夫が持ってきた籠にその子を入れた。
 それでもあちこちに散った鳥を全部捕まえられたのは昼前で、お礼にとキキ夫婦は食事に誘ってくれた。二人は村はずれで小さな牧場をしているらしく鶏の他にも牛や豚の姿があった。
「いやぁ助かりました」
 鶏を戻した後、外に置いているベンチの机にパンケーキを並べながらにこにことキキの夫が言う。台所ではキキが「たくさん焼くのでどんどん食べてくださいね」と腕を振るっている。
 大きく膨らんだパンケーキをフォークで切れば、こんがり焼けた表面から黄色いスポンジが顔を出した。バターやはちみつと一緒に食べれば甘い味が口に広がる。
「美味しいです」
「俺のとどちらが美味しいですか」
 真剣な顔でファングが聞く。
「……比べるものではないと思うけど」
 彼がつくってくれたパンケーキの味を思い出す。どちらも同じくらい美味しい。そのようすを見てキキの夫はくすりと笑った。
「なんか、思っていたより素朴な方ですね……っい、いえ、変な意味ではなく」
 どう思われていたのだろう。というよりも村に来たのは初めてだがすでになにか噂されていたのだろうか。
「……妙なことは言ってないわよね」
「俺の奥さんは可愛いとしか、痛っ」
 ファングに小声で問いただせばそんなことを言うので、アビゲールはお調子者の手の甲を軽くつねった。

「ふぅ……」
 温泉に身を浸してアビゲールは息を吐いた。
 楽しい昼食会のあと、キキに温泉に誘われた。買ったものを家に運んで、グリに頼まれた刺繍をしてからやってきたのだ。
 初めて入った時もとても気持ちよかったけれど、いろいろな仕事を終わらせた今日はさらに身にしみる。温泉にはグリと、他にも村の人らしい女性が幾人か。ここは社交場でもあり本来はよそ者のアビゲールが中に入るのは難しかっただろうが、初日によくしてくれた二人が紹介してくれたおかげで居心地の悪さは感じない。
「ねぇ聞いた? 陛下が荒れてるんですって」
 少し離れたところにいる女性が言うのを聞く。
「ああ、また皇弟殿下にあしらわれたんでしょ」
「陛下はブラコンだからねぇ」
 危機感ではなく世間話の雰囲気だ。こんな辺境まで聞こえてくるとはよほど仲のいい兄弟なのだろう。エッジワード王国とは距離があり、遠方で交流がないためそんな話は知らなかった。この国の皇帝は寡黙だが有能と国民誰もが評している。
 北の大国ドレイク皇国の治安は安定している。周辺国からは戦火を逃れてきた農民がやってくることも多く、キキとグリもアビゲールが来る前に夫婦で引っ越してきたのだそうだ。
「アビゲールちゃんのお肌つやつやね」
「い、いえそんな」
 考えに耽っているとグリがアビゲールの頬をつついた。
「いいわよねぇ、旦那さんに可愛がってもらっているのかしらぁ」
「だから旦那では……っ」
 話を聞いているのかいないのか、アビゲールより少し年が上の二人に肌を撫でまわされる。嫌ではないのだがそういう話題は苦手だ。しかも翻弄されているだけとなればなおさら。
「いつかぎゃふんと言わせたいんですけど……」
 温泉の気のゆるみからか、気づけばそうつぶやいていた。
「なぁに、興味あるの!?」
 はっとして顔を上げるとキキとグリはきらきらした目でこちらを見ていた。
「きょ、きょうみ、は…………ありますけど」
 王宮では絶対に言えないセリフを、言えたことに少し驚く。キキが右からアビゲールの耳にささやいた。
「じゃあお姉さんたちが教えてあげる! ごにょごにょごにょ」
「えっ」
 左からはグリが。
「それで、これがこうして……」

 かなりの長湯をしてから服を着て外に出るとファングが待っていた。
 男の村人と何かを話していた彼がアビゲールを見て微笑む。
(ううっ)
 温泉で聞いたあれこれが頭をよぎってぎくしゃくしてしまう。
「……なんか顔が赤い。のぼせました?」
「そ、それほどでも」
 男性とのあれこれについてのレクチャーはすさまじかった。閨教育では『男性に任せること』と聞いていただけだ。
 いつか役立てて、と含み笑いでキキとグリは帰路についている。
(男性のあれを口に……しかも自分でもいろいろ……?)
「アビゲール様?」
「ひゃいっ」
 ファングがいぶかしげな顔をしていた。しっとりと髪を濡らした彼の向こうには星が見えている。その横を村人たちが通り過ぎた。
「ここまでいつも待ってるなんて愛だねぇ」
「私の旦那も昔はそうだったけど、先に家で飲んでるってのに」
 はっはっはと村の人たちが歩いていく。
 それを見送っているとファングが手をさしだした。
「帰りましょうか」
 その大きな手を見て、手を伸ばす。
 ぱちんと手のひらを叩いてそのまま脇をすり抜けた。

 鋤を振り下ろした。
 土を耕す。手入れするものがいなくなって久しいのか土は雨風にさらされて表面が固くなっていた。
(肥料も必要ね)
 ふうと息を吐いてアビゲールは汗を拭いた。
 小さな畑はすぐに作業が終わった。出来上がった畝を、手近なところにある大きな切り株に座って満足げに眺める。
 国王陛下たちに連れられて王宮に入る前は、こんな森の中の家で祖母と暮らしていた。おぼろげな記憶はもう忘れかけているほど昔のこと。なんでも知っている祖母は捨てられていたアビゲールを拾って、育ててくれたのだ。祖母が亡くなり一人きりで暮らしてしばらくして、陛下たちと出会った。
 畑のこと、暮らし方、それは王宮に入ってからはまったく必要のない知識で――王太子妃になるという者が土いじりなどもってのほかだと叱られた――忘れたと思っていたのに、身体は覚えているらしい。
「手際がいいですね」
「……そうね……王宮に来る前は、よく手伝っていたから」
 そこで木材をかついでいるファングがやってきた。家の補修をしている彼は切り株の近くにそれらを置いた。
「すみません、薪割りするので退いていただいても?」
 どうやらちょうど座っていた切り株が台だったらしい。立ち上がるとアビゲールを少し下がらせてファングがそこに薪を乗せた。剣ではなく斧を振り上げた彼の手にかかって薪はぱくりと二つに割れる。
「――」
 わずかにアビゲールは緊張した。
 夜、淫紋に苦しむアビゲールをなだめるファングは目隠しを外さず、それ以上のことはしない。いつも行為のあとは眠ってしまうのだが……シーツに乙女の証はないからそうだと信じたい。
 ファングは新しい生活に右も左もわからないアビゲールを助けてくれている。それは疑いようのない事実だが……それでもその薪が自分の姿にかぶって知らずゾッとした。
「やってみますか」
 視線に気づいたのか、振り返ったファングが言う。
 きょとんとして差し出された斧とファングの頭を見比べると、彼は自分の後頭部をおさえた。
「どこを見て何を考えているんですか……っ、薪割りです、薪割り」
「そうね」
 冗談半分本気半分で斧を受け取った。
 重い斧を持ってふらつきながら薪をめがけて、振りおろした。
「っ」
 しかし薪に少し刺さっただけでびくともしない。それどころかジーンとした痛みが腕をのぼってきてとっさに離してしまう。
「もっと腰を入れて」
 隣にいるファングがアビゲールの腰に手を置く。
「気安く……」
 触らないでと言いかけると彼はアビゲールではなく真面目な顔で薪を見ていた。
「腕の力で叩くんじゃなくて、持ち上げてそのまま斧の重さで割るんです」
 斧を持つ手に彼の手が添えられる。
 はっとしてアビゲールは斧から身を離した。
「こ、こういうのは任せるわ。申し訳ないけど!」
「そうですか」
 斧を受け取ってファングが薪割りを再開する。手持無沙汰で、アビゲールは畑の雑草を抜いた。
「牙の騎士はどこの出身なの?」
 聞いてみたのは単なるきまぐれだ。だがしばらくしても返事がないので顔を上げると、ファングが目を見開いて固まっていた。
「……なに?」
「アビゲール様が俺に興味をもつなんて……っ」
「別に、興味がないわけでは」
 仮にも同じ屋根の下で暮らしているのだから。
「出身国はここです。生まれ育ったのはもっと北部ですけど」
「そうだったの。なんていう場所?」
「聞いてもわからないと思いますよ、小さい村なので」
「いろいろな国を巡ってきたのでしょう、いつまでここにいるの」
 聞けば彼はアビゲールを見た。
「……もう少し、だと信じたいところなんですけど」
 そう言って彼は遠く北の方を眺めた。

(――つづきは本編で!)

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