作品情報

強気OLは年下策士と結婚前提のセフレになりました

「あなたが気持ちを自覚するのを待ってたら、結婚できなくなりそうだ」

あらすじ

「あなたが気持ちを自覚するのを待ってたら、結婚できなくなりそうだ」
 大手ジュエリーメーカーの営業部主任、美穂乃は、上司の電撃結婚を機に慌てて結婚相談所へ向かう。だが披露宴で出会った年下の男、諒一に知られ、彼と関係を持ってしまう。
「都合良く呼び出すくらいでいいよ。婚活も自由にしていい」
 つまりセフレってこと? 三十三歳の私に、そんな遊びを楽しむ余裕はないのに…ジュライトジュノー三部作、完結編!

作品情報

作:桜旗とうか
絵:まりきち

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プロローグ

 ジュライトジュノーきっての伊達男と言われた赤山幸臣《あかやまゆきおみ》が結婚をした。相手は、国内トップクラスを誇る加賀見商事の孫娘、加賀見幸《かがみさち》。
 私は、加賀見さんのことは嫌いじゃない。コピー機を壊すし、プリンターも使えなくするけれど、可愛いと思っている。本当に、本当。だから、彼女に「ぜひ来てください」と癒やし系の笑顔で言われたときには、うっかり頷いてしまった。
 こんなに屈辱的な披露宴は初めてよ……。
 高砂で、いつもと変わらない人好きする笑顔を浮かべて座っている色男が憎らしい。
 テーブルの真ん中に積み上げられたエビフライがもりもり減っていく様が恨めしい。私だってエビフライ食べたいわよ。でも、年齢のせいか、あんなに食べたら胃もたれする。ノンストップで十本とか食べられない。
 ちらりと目を向けると、エビフライの尻尾を見つめる女性が「もう一本食べていいかな」と真剣な顔で呟いたのが聞こえた。
 デザイン部の古賀《こが》さんは、今日も食欲旺盛だ。隣に座る、ジュライトジュノーの後継者、神野《じんの》くんが額を押さえる様も見慣れた光景。
 高砂席に目を向ける。
 白いタキシードを着ている男が本気で憎らしい。
「古賀さん、私もエビフライ取り分けたんだけど、手をつけてないから食べてくれる?」
「いいんですかっ」
 ワクワクした目で見つめられて苦笑いする。
「ええ。どうぞ」
 お皿を古賀さんに渡すと、すごい勢いで吸い込まれていった。
「私、お酒飲み過ぎちゃったからちょっと外へ出てるわ。なにか聞かれたら適当にお願い」
「了解です」
 席を立ってテーブルを離れた。披露宴会場を出て、近くのソファに腰を下ろす。会場内よりも涼しくてほっと息を吐いた。
 大安吉日。温かな日和。天空をイメージしたチャペルを有するハイクラスホテルで執り行われた彼らの結婚披露宴は、とてつもない規模となった。
 加賀見商事の関係者が多数参加している。ジュライトジュノーも、錚々たる顔ぶれだ。
 赤山さんたちの結婚は、大手商社と大手ジュエリーメーカーとの強固な繋がりを築くことになった。
 ジュライトジュノーの現社長は、息子の結婚は自由にさせるつもりでいたようだ。後継者としても充分な能力があるし、長い恋の相手だったはず。だから、それを引き裂く真似はしなかった。とはいえ、強固なコネクションが不要だったかと言われるとそうではないだろう。それでも息子を自由にさせたのは、赤山幸臣という顔の広い営業部長がいたから。
 二十代ですでに部長職に就いており、並外れた能力を発揮していた彼は、いまでもジュライトジュノーのエースだ。多くの権限を与えられ、会社に大きな影響をもたらす。そんな赤山さんは人材育成を趣味としている節があり、営業部の成績は常に右肩上がり。
 彼に勝てないと気づいたのはいつだっただろう。
 私が入社したとき、彼は普通の営業社員だったはずだ。初めましてと挨拶をした私に、抜群のルックスから繰り出される笑顔に「この人、人間?」なんて思った。
 でも、憧れる暇もなく彼のことが苦手になった。見た目が良くて、仕事ができて、人から慕われるあの人から投げかけられる言葉は、ちょっと目線が高い気がしてしまうのだ。
 そして、悪癖が目につく。
 顔がいい。人当たりもいい。仕事ができて物腰も柔らかなので、女性に恐ろしくモテる。そんな彼は、やはりというか、女性関係が華やかだったのだ。付き合う女性が常に変わる。思わせぶりなことを言うくせに、自分からは踏み込んでこない。
 ちょっと悪い男。それが赤山さんへの周囲の評価だろう。
 私は、赤山幸臣を見返したかった。初めて営業に出て契約を取った日に言われた一言への雪辱のために。
 だけど、契約をどれだけ取ろうと赤山さんには勝てない。営業という仕事において、このジュライトジュノーには赤山さんの上を行く人は存在しないのだ。
 ならば人材育成で勝負しようと思ったが、私に人を育てるなんて役目は向いていなかった。自分でやったほうが早いと思ってしまうあたりがいけないことはわかっている。
 勝てる要素はなにもなかった。でも、派手な女性関係を構築している赤山さんには、いつまで経っても結婚の「け」の字も出てこないから、これに関しては私も負けないと思っていたのだ。
 彼より先に結婚できるかもしれない。世間一般で言われる、それなりの幸せを手に入れられるかもしれない。そう思っていたのだけれど、今日のこの日である。
 じわりと視界が滲んだかと思うと、ぼろぼろと涙が零れた。
「え、泣いてる?」
 急に声が聞こえて顔を上げる。
 男性がいた。黒い髪にフォーマルなスーツを着た、見知らぬ男性だ。
「なっ……なにっ……」
「特に用事はないんですけど、赤山さんを心の底から恨んでる人がいるなぁと思って気になってたんですよ」
 男性はスーツの内ポケットから名刺入れを取り出し、一枚差し出してきた。
「加賀見商事の丹羽諒一《にわりょういち》といいます」
「あ……はい」
 ひどい受け答えだ。慌てて私も名刺入れから一枚抜き取って丹羽さんに渡した。
「ジュライトジュノーの青木美穂乃《あおきみほの》です」
「営業部主任……赤山さんの部下ってことですか」
「不本意ながら」
「あれですか。赤山さんに弄ばれた一人?」
「弄ばれてない! っていうか、私あの人嫌い!」
 丹羽さんが眉を上げて「へぇ」と笑う。
「なによ……」
「いえ。てっきり好きだから幸さんに嫉妬してるのかと思いました」
「そんなわけないでしょ」
「どうだろう。僕はあなたが赤山さんのこと、好きなんじゃないかなって思ったんですよ」
 ハンカチを差し出された。これを使って涙を拭けということなのだろうが、私はそっぽを向いて自分のハンカチを取り出す。
「違います。私、昔から赤山さんのことをライバル視してきたんです。結婚だけは絶対いい勝負ができるって信じてたから、また負けてショックだった」
「……ふうん」
「だから、なんですか。その含みのある感じ……」
「なんでもないです。結婚願望があるんだぁ、って思っただけです」
 ちょっと苛つく物言いだ。
「結婚願望くらいあります。だけど、負けたくないと思って仕事をしてたらいつの間にか三十歳過ぎちゃった」
 三十三歳になっても恋人はなく、それどころか恋愛なんていつしただろうというくらい昔の話になってしまっている。
「張り合う相手が悪すぎますよ」
「わかってます。でも、負けましたなんて言いたくないのよ。一度くらい勝ちたいの。五十音順以外で!」
「五十音順……」
 丹羽さんがぷっと吹き出した。笑うと幼く見える人だ。
「それしかいまのところ勝てないんだから仕方ないでしょ。笑わないでもらえますか」
「ふうん……まあ、頑張ってください」
 素っ気ない返事で丹羽さんが踵を返した。
 赤山幸臣に勝ちたいなんて、無謀なことを言う女への態度なんてこんなものか。
 天井を見上げて、私もその場をあとにした。

一.

 土曜日のジュライトジュノーは閑散としている。
 それでも、休日出勤する人がいるので警備員さんはいつも立ってくれているし、休憩室で他部署の社員と会うこともあった。
 たとえば、デザイン部長の神野くんとか――。
「青木さんも休日出勤ですか? 外回り?」
「うっかり休日にスーツを着てきたことには触れないで。ちょっとやり残した仕事があって。持ち帰れないものだから出てきたのよ」
 営業部のフロアにある休憩室は、ほかのどのフロアのものよりも大きく、豪華な作りになっている。自販機は十台ほど入れてあるし、ホットスナックの販売機もある。椅子はすべて長椅子で、人がいるとなんとなく近くに座って会話をしてしまう。そんな空間だ。もちろん、営業部以外からも人がやってきて、飲み物を奢ったり奢られたりしているのは日常茶飯事。
 ここで、赤山さんが女性を誘うのも日常の光景だった。
 この空間を生み出したのは、ほかならぬ赤山さんだ。「ギスギス仕事しても楽しくないでしょ」なんて言いながら、稟議書を書いていた姿をよく覚えている。そして、それがすんなり通って、休憩室の大改造がおこなわれたのだ。
 あのころから、この会社はだいぶ変わってきたと先輩たちが口にする。
 赤山幸臣は、おそらくいつまでもこの会社の大黒柱なのだろう。あの人のいないジュライトジュノーは想像できない。
「古賀さんも一緒?」
「いや。家で夕飯作りを張り切ってました」
「彼女の手作りご飯が待ってるなんて幸せじゃない」
「作ってくれるのはありがたいし、あいつと食べる飯は嫌いじゃないんですが、最近とんでもなく食うので止めるのが大変で」
「…………、あの子、あんなに食べるのに太らないとか羨ましいわよね」
「まったくです」
 缶コーヒーを飲み干しながら、二人で遠くを見つめた。
 神野くんと古賀さんは付き合い始めてすぐに同棲しているらしいが、いつも食事に関しては神野くんが諫めている。食堂で頭を掴んで怒っている姿をよく見かけるけれど、なんだかんだ言いながらも彼らは楽しそうだ。
「ねえ、神野くん。あなたたちって結婚を延期したって聞いたんだけど、それってやっぱり赤山さんが理由?」
「そうです。俺らはいつでもかまわないし、向こうはいろいろと込み入ってるみたいなので」
「加賀見商事に関わるのは大変そうよね」
「あそこ、後継者問題がややこしいらしいんですよ。女社長は認めないとかで、加賀見に継承権がないらしくて」
「ジュライトジュノーは? あなたの子どもが女の子ばかりだったらどうするの?」
 加賀見商事は大手商社だが、古い価値観が根付いているのか、女性の台頭が遅れているという話はよく耳にする。しかし、それはジュライトジュノーも同じだ。女だからという理由で出世が遅れる。女性部長が存在していないのだから、加賀見商事のことをとやかく言えないだろう。
 だから、次期社長の神野くんがどんな判断を下すのか、興味があった。
「継ぎたいというなら継がせるつもりはありますよ」
「へぇ……、ちょっと意外かも」
「俺は古賀や加賀見が成長する過程を見てきているので、男女の区別なく評価してるつもりです。伸びる人は性差なく伸びるし、頼れる」
 ジュエリーデザイナーである古賀さんは、赤山さんに能力を買われて二年ほど海外出向に同行をした。帰国してからの彼女はめざましい成長を遂げてジュライトジュノーの主線力だった神野くんと肩を並べるまでに力を伸ばした。
 加賀見さんは、労働とは? というほどの資産家の家に生まれた本物のお嬢様だが、赤山さんに恋をして、振り向いてほしい一心でジュライトジュノーへ入ってきた。スパルタ教育を受けながら、スポンジが水を吸収するようにぐんぐんと成長している姿は私も目の当たりにしてきている。
「個人差だと思うわよ。私なんて、何年主任をしてるの? って感じだし」
 たぶん、神野くんが入社したときには主任だった気がする。
 女性主任なんて珍しくもない。でも、課長にはなれないのだ。前例がないから昇進させてもらえない人がたくさんいる。
「女性を管理職にした前例がないですからね。慎重になるのはやむを得ないというか」
「……そうね」
 だけど、能力があればそんな前例も覆せるはずなのだ。
 赤山さんがもしも女性だったら、会社は前代未聞を繰り返してきただろう。能力も、実績も示せるから異例を通すことができる。私にそんな話が下りてこないのは、能力が足りないから。
 いつも赤山さんの次。エースの後ろ。次期エースの座を狙っても、赤山さんはいつまでも首位を譲ってくれない。引きずり下ろせない。
 ため息しか出てこないわね。
「仕事も終わったし、赤山さんをケチョンケチョンにする方法を探しに行こうかしら」
「なんの恨みがあるんですか」
「私と赤山さんの確執は根深いのよ。主に私が一方的にだけど」
 飲み干した空き缶をゴミ箱へ投げ入れる。きれいな放物線を描いて吸い込まれる様を見て、神野くんが笑った。
「営業部って必須スキルなんですか、それ? 赤山さんも投げ入れるのうまいでしょ」
「だから練習したのよ」
 失敗して、残っていたことに気づかなかったコーヒーを床にぶちまけて、一人でせっせと拭いたこともあるけれど。
「赤山さんには負けない!」
「そういうところは張り合わなくていいです」
「今年こそ、打倒赤山ぁー! それじゃあ帰るわね。お疲れさま」
 ハイヒールをカツカツと軽快に鳴らしながら営業部へ戻り、鞄を手に社屋を出た。

 “五つしか売れなかったの?”
 私が赤山さんをライバル視するきっかけとなった一言だ。
 いまにして思えば、あの無敵エースをライバル視するなんて身の程知らずもいいところだが、あのときは若かった。そして、いまさら引くに引けなくなって、いまだに打倒赤山なんて言っている。
 勝てないことなんてわかってるのよ。
 国道沿いをぶらぶら歩きながら、一人で唇を尖らせた。
 仕事の能力はもはや次元が違う。性格だって、赤山さんは素直に人を褒めて認められる。私は意地っ張り。顔は、土台は圧倒的に赤山さんが上。私は力の限りおしゃれをして、メイクをして、ネイルも抜かりなくして張り合わないといけない。
 後輩を育てる能力は……考えたくない。あの人は人材育成マニアと呼んで差し支えがないので、張り合えるはずがないのだ。
「あーあ。なになら勝てるんだろ」
 恋愛において、一人の女性に決めることなんてあり得ないと思っていたのに、それでさえあの人はすっと気持ちを切り替えてしれっと結婚をした。私なんて、結婚したくても相手さえいないのに。
 鞄をぎゅっと握って足を止めた。
「合コンとか行く……?」
 いや、あれは二十代だから成立するのであって、アラサー終わりの女が行くと痛々しい。
 じゃあ出会いの場なんてなくない?
 みんなどこで出会うんだろう、と考えて思考を止めた。
 もう、いいや。今日は一人飲みして帰ろう。まだ明るいけど気にしない!
 スマホを取り出してお店を検索する。どこかいいお店はないかな、と調べていると、ネット広告が目についた。結婚相談所なんて恨めしいったらない。
「……結婚……相談所……か」
 建設的に将来の話ができるのではないだろうか。恋愛から始めるとなると、仮に相手ができたとしても、その人は私との結婚を考えてくれるかわからない。崖っぷちの私に遊んでいる時間なんてないのだ。子どもを望むならなおさら。
 悲しいけれど、女の身体には期限があって、その期限は刻一刻と迫っている。
「婚活……してみようかな」
 一人は寂しい。別に結婚だけが幸せだとは思っていないし、独身の気楽さは手放しがたいのだけれど、やっぱり歳を重ねるほどひとりぼっちが寂しくなる。そんなとき、一緒にいてくれる人がいたら心強いだろうと思っていた。
 結婚したくないわけじゃない。できるなら私だってしたい。でも、仕事と恋愛の両立なんて難しい。私にはたぶんできない。だけど、その過程をすっ飛ばして結婚できるのだとしたら?
 ありかもしれない。というか、ありあり。全然あり。よし、そうと決まれば……。
 スマホを操作して、近くの結婚相談所を調べてみた。比較的大手に区分される相談所があるようで、飛び込みだけれど覗いてみることにする。予約が必要なら、また改めればいい。
 雰囲気を見るだけ、よ。
 そんな言い訳をして歩き出し、目的のビルへと向かう。
 どこにでもある雑居ビルの四階にあるらしい相談所は、外からでは確認することもできない。やはり中まで入らないとだめかと意を決して一歩踏み出す。
「青木さん?」
「ひゃああああっ!? 相談所なんて行かないですけど!?」
「?」
 名前を呼ばれて条件反射で足が止まり、覚悟を決めた直後だったせいでどうでもいいことを暴露してしまった。
「相談所?」
 だれっ。私の覚悟をポッキリ折るのはだれ!?
 あたふたしながら声の主を探すと、知っている顔がいた。
「あっ、丹羽さん」
「どうも。赤山さんの披露宴ぶりですね」
 あの大安吉日の日に声をかけてくれた、加賀見商事の人だ。
 丹羽さんはビルを見上げて首を捻ったあと、自分の顔を撫でて「ああ……」と頷いた。
「ここ、結婚相談所がありましたね」
「行きませんよ!?」
「行く気満々ですね」
 否定すればするほど肯定してしまう、最悪のパターン。
「すぐに結婚したくなったんですか?」
「したくなったって言うか……赤山さんに負けたの悔しいなぁって思って。それにひとりぼっちも寂しいなぁって……」
 ごにょごにょと、唇を尖らせながら言うと丹羽さんが笑いを堪えている姿が視界に入った。
「……笑っていいですよ。アラサー女がいまさら必死だなって自分でも思いますし」
「あんまり自虐しなくていいと思いますけどね。ただ……」
 彼の指が、私の頬をぷにっとつつく。
「そんな怖い顔で行ったら、見つかる相手も見つからないですよ」
「怖い顔してます?」
「してますね」
「やっぱりだめ?」
「だめです。積極的な女性は好きだけど、食い気味な女性はちょっと……。必死そうというか……ねぇ?」
 必死よ。必死なのよ! でも必死だと思われたくないぃぃぃっ!
 頭を抱えて地面をじっと見つめる。
 え。私って結婚相談所にも向かない? お金払っても結婚相手見つけられない?
「青木さん、大丈夫?」
「大丈夫に見えたら丹羽さんはどうかしてる。かなりのダメージが……」
「だいたい、なんでスーツなんですか。もうちょっとカジュアルな服装でいいでしょ」
「仕事してきたのよ。休日だって忘れてて、うっかり着てきちゃったのよ!」
 お客様のところへ行くわけでもないのだから、ここまで気合いを入れなくてもよかった。恥ずかしいのに、丹羽さんはそれを容赦なく指摘してくる。
 消えたい……。
「そこまで仕事漬けなんですね。そりゃあ必死にもなるわけだ」
「必死じゃない!」
「そういうとこだって」
「うぅ……だってね。私は打倒赤山とか言ってるけど、勝てるわけないのよ。でも一回くらい、ケッチョーンってしたいじゃない」
「ケッチョーン……」
「仕事も恋も顔も性格も負けてるとか、悔しすぎてっ」
「あの人、別に性格よくないでしょ。いい性格はしてるだろうけど」
 ……そう……かな。言われてみればそうかもしれない。
「青木さんって、モテないんですか?」
「モテてたら結婚相談所に気合い入れて行こうとは思わないわよ」
「まあ、そうですね。にしたって顔が怖い」
「これがデフォルトなの。ずっと負けないとか言ってきたから、素直ににこにこできないのよぉ……」
 打倒赤山。絶対勝ってやる。次こそは。
 そんな負けん気ばかりを前面に押し出してきたから、年々気が強くなる。負けたことへの言い訳を、意地でどうにかしようとしてしまう。
 可愛くないなぁ、私……。
「相談所への入会なんていつでもできますよね」
「勇気が必要よ」
「逃げ腰になるなら、僕がついていってあげますよ」
「そんな入会の仕方ってある!?」
 男性に付き添われて結婚相談所へ入会とか、あまりに屈辱的なのだけれど。
 この人は私を女としては見てません、という証明なわけだし。
 ギリギリと唇を噛んでいると、腕をぐいと掴まれた。
「そんなに仕事漬けならデートも久しぶりでしょ。僕でよければ一緒にちょっとぶらぶらしません?」
「え?」
「戦闘服みたいなスーツを着替えて、どこかで美味しいものでも食べましょう」
「えっ、待っ……」
「行きますよ」
 そうして、引きずられるように連れ出された。

 服を着替える。
 自分では絶対に選ばない、春らしいふんわりピンク色のワンピース。でも、甘くなりすぎないようにくすみカラーで、上着には暖色系の濃いカーディガンを合わせられた。
 丹羽さんはカラーセンスがいい。ぱっと見て似合う色やデザインを判断できる。そういうことは感覚でできてしまう人もいるけれど、彼はロジカルに考えている。肌の色や骨格などを知り尽くし、基本に忠実でありながらもさりげなく彼の感性を取り入れて、完璧に合わせてくるのだ。
 加賀見商事は最近アパレル関連の業績が順調だと聞いているが、それは丹羽さんの力が大きいのだろう。
 すごいなぁ……。
 とはいえ、なぜピンク。
 ため息をつきながら、メイクも変える。
 バッチリ戦闘モードのようなメイクは服に合わせると浮いてしまう。どこかでやり直してもらおうと丹羽さんが提案をしてくれたが、それくらい自分でできると、パウダールームへ駆け込んで手直しをした。
 そうすると髪型も不釣り合いなので、それも合わせなければならない。
 鞄からあれこれと道具を引っ張り出しながら、服に似合うように自分を変えていく。
 これくらいのことはできる。
 いつもおしゃれをして、きちんと身だしなみを整えている人を追いかけていたから。負けないように、自分もそこへ並び立とうと勉強をしてきた。
「よし……これなら大丈夫かな」
 縛っていた髪は解いて、メイクも柔らかく見えるようにナチュラルに変えた。
 それにしても、ピンクって……とまたため息をつく。
 スタイルがよく見えるし、顔も明るく見えるけれど、私のキャラじゃないというか。違和感があるのだけれど……まあ、連れて歩く丹羽さんがいいと言うのなら、それでいいか。服は本当に可愛いし。
 メイク道具を鞄に押し込み、パウダールームを出た。
 丹羽さんは近くのカフェで待っていると言っていたので、お店へ向かって彼を探す。窓際に座る姿を見つけ、ふと思った。
 丹羽さんって……遠目でもわかるくらいきれいなのよね。
 きれいな姿勢。所作の一つひとつが落ち着いていて優雅。体つきは細めだが、頼りないくらい華奢というわけでもない。
 雰囲気イケメンなんて言葉があるが、それだろうかと近づいてみると、向けられる顔は芸能人も顔負けの美形。
 この人、絶対モテるでしょ……。
 近づいていく私を、丹羽さんがじっと見つめてくる。
「…………」
「…………、お、おまっ……たせっ……」
 動揺著しい私に丹羽さんが笑う。
「どうぞ、座って。なにか買ってこようか」
 どこにでもあるカフェ。スーツを着た男性や、おしゃれな女性のたくさんいるお店で、私もよく利用している。
「自分で行くから大丈夫よ。ありがとう」
 鞄から財布を取り出し、いつものコーヒーを注文しに行く。受け渡し口で商品を受け取って席へ戻ると、丹羽さんが肩を震わせて笑っていた。
「なにか面白いことでもあった?」
「いや、特には。青木さんって僕の知る女の子とは違うなと思っただけ」
「? まあ、女の子って歳でもないしね」
「そういうことじゃなくてね」
 よくわからないが、丹羽さんがこれまで出会ってきた女性とは違うということだけは理解できた。
 彼の向かい側に腰を下ろし、カップをテーブルに置く。
「さっき、青木さんを見たときちょっと驚いた」
「似合ってなかった? ごめん……」
「違うよ。披露宴のときも、今日も、しっかりメイクしてたじゃない? 美人だなとは思ったんだ。でも、いま見たら可愛くなってて、女性ってやっぱり変わるなぁって」
「ちょっとでもきれいに見えるようにしてるもの。それに、可愛いって言われるより強そうって言われたいわ」
「いや……褒めたんだけど。強そうって……」
 あれ? 褒められたの?
 まあ、美人とか可愛いと言われて悪い気はしないけど……メイク技術の話でしょ……?
「強い女はだめ?」
「だめってことはないんだけど、程良く頼られたいかなぁ。庇護欲をそそるタイプって可愛いし」
「庇護欲……」
「守ってあげたいっていう……」
「意味くらいわかるわよ」
 ぷうっと拗ねてみせると、丹羽さんは顔を背けてまた笑った。
「でも、どうやって頼るの?」
「ああ、そこなんだ。たとえば、重たい荷物を運ぶことになったとするでしょ。どうする?」
「当然持っていくわ。たまに鬼の形相って言われる」
「そこだって」
 コーヒーカップを持ち上げて一口飲む。そして首を傾げた。
「置いといたら運べないじゃない」
「青木さんってばかなの?」
「! そこそこの偏差値の学校は出た……はず……」
「違うって。男に頼めばいいじゃん、って話」
「自分でやったほうが早いし、男の人だって重いものは重いでしょ」
 人を探している間に運べてしまうから、自分でやろうと思う。
 だけど、社内でモテる女の子たちはうまく男性にお願いをしているような気がした。でも、私には無理だと思う。
「そうだけど、体格とか筋肉量とか、男のほうが普通に上でしょ。できることが多いのは当然なんだって」
「で、でもね……私が『運んでほしいな、キャッ』とかやったらドン引きでしょ」
「それは青木さんじゃなくても引くけど、頼られたら、まあ悪い気はしないんじゃないかな」
 頼られたら……かぁ。
 負けない。勝ちたい。そんな一心でいままで来たから、だれかに頼る術を知らない。人に頼るってどうやるんだっけ?
「……よし、じゃあこうしよう」
「? なに?」
「今日、青木さんは僕とデートをするから、僕の言うことに全部頷いて」
「私の意見はないってこと? それはやだなぁ……」
「そうじゃなくてね。青木さんって甘え下手でしょ。それって、青木さんの考え方の基本が甘えてないってこと。だから、今日だけは騙されたつもりで頷いてみてよ」
 なるほど……。うん? なるほどで合ってる?
「婚活、したいんでしょ。いくら相手も結婚を前提としているとはいえ、書類を交わすだけのものじゃないんだから、程良く甘える技術も必要じゃないかな」
「そ、そっか。うまくできるかな……」
「慣れじゃない? まあ、とりあえず普通にデートしようよ」
 コクコクと頷くと、丹羽さんがまた笑う。そんなにおかしなことをしただろうか。
 やっぱりメイクが変なのかな。
「ねえ、青木さん。聞いていい?」
「なに?」
「赤山さんには口説かれなかったの?」
「ないわね」
「へぇ……」
「あの人も私のことは最初から好きじゃなかったみたいだし、人として合わないのよ」
「なにがあったのか、ぜひ知りたいところだね。そろそろ行こうか。美術館とか平気?」
 頷くと、丹羽さんが満足そうに微笑んだ。
「美術鑑賞の趣味があるの?」
「チケットを大量にもらったから、消費活動に励んでるだけ」
「そうなんだ」
 休日も、デートという響きも、久しぶりでワクワクする。
「それじゃあ、青木さん」
 丹羽さんが椅子を立ち、私に手を差し出してきた。
「?」
「手、繋ごうよ」
「え、必要……」
「返事」
「はい。繋ぎます」
 ちょんと指を乗せると、ぎゅっと握られて引っ張られる。
 男の人の手って、こんなに大きかったっけ。
 顔が熱くなる。丹羽さんを見上げ、気づかれる前に視線を外した。ドキドキしながらお店を出て、美術館へと向かった。

 美術展は、有名な絵画が並ぶ圧巻の様相だったのだが、私はそのうちの一部しか記憶になかった。
 終始丹羽さんが手を繋いでいるので意識がそっちへ持っていかれていたし、なんだったら突然恋人繋ぎにされて変な声まで出た。
 静かな美術館では自然と声をひそめてしまい、丹羽さんが聞き取るために顔を近づけてくるから心臓が吹っ飛ぶかとも思った。
 私……男性への耐性ってゼロだったっけ……。
 お付き合いはしたことがある。でも、ここ数年は仕事最優先で、異性として男性に近づくことはなかった。その間に男性との接し方を忘れてしまったのだろうか。
 いや……。
 ちらりと丹羽さんを見上げて、この人だからだろうなと思った。
 私の周りにはいない、静かな美男。そりゃあ、ジュライトジュノーには赤山さんや神野くんという、女性が胸をときめかせる容貌をした男性はいるが、毛色が違うのだ。
 周囲にすうっと溶け込んで、だけど強烈に意識を持っていかれる不思議な人。
 じいっと見つめていると、丹羽さんに気づかれて目が合った。
「このあとどうする?」
「あー、えっと……」
 こういうときどうするんだっけ?
「食事にでも行く?」
「あ、行きたい。フレンチに一緒に行ってほしいな」
「フレンチ?」
「そう。一人じゃ予約もできないことが多いでしょ。せっかくだし行きたいなって思ったの」
 この歳になれば、友人たちは子育て真っ最中の人ばかり。誘っても都合がつかない。
 恋人もいないし、職場の後輩を誘うのも気が引ける。仕事が終わってまで拘束されたくもないだろう。だから最近はずっと一人で食事をしている。いろんなお店に行くが、やっぱりフレンチのフルコースだけは一人で入ることができなかった。
 こういう機会でもないと無理だしね。
「行くこと自体は別にかまわないんだけど、昨日食べたばかりなんだよね」
「そうなんだ。じゃあ違うお店にしましょ。どこがいいかなー」
 スマホを引っ張り出してお店を探していると、丹羽さんが視界の端で不思議そうに首を捻った。
「どうかした?」
「抗議されるかなと思ったんだ」
「? なにに抗議するの?」
「青木さんが行きたがってるのを断ったから。ちょっとくらいごねられるかなって思った」
「私が一人で行けないだけのものに、無理に付き合わせる意味なんてなくない? どこで食べるかとか全然重要じゃないでしょ」
 食事は美味しく、楽しく食べられるのが一番だ。
「丹羽さんはなに食べたい? 一緒にお酒とか飲むのも楽しそうよね。強い?」
「それなりに」
「じゃあ居酒屋とか行く? 飲み放題三千円!」
「バーとかじゃなくていいの?」
「えー? そんなの一人でも行けるし。居酒屋でワイワイ飲むのは一人じゃできないでしょ。まあ、たまに酔っ払った人たちに混ざることもあるけど」
「……そりゃあ、酔った勢いで誘うくらいはするでしょ……」
 ぼそっと呟く丹羽さんに目を向けた。
 うまく聞き取れなくてどうしようかと思ったが、丹羽さんに手をぐいと引かれる。
「青木さん、ホテル行かない?」
「うん、いいよ。フレンチ以外でお勧めとかある? 行きたい行きたい!」
「……うん、まあね」
 わずかに笑いを含んだ声が不思議だったけれど、丹羽さんに誘われるままタクシーに乗った。
 行き先は、一番近い繁華街。そんなところにホテルなんてあったっけと首を捻った。
「ねえ、丹羽さん。隠れ家的なお店だったりする?」
「むしろ目立ってるんじゃないかな」
「うぅん?」
 どこだろう。美味しい料理店かと期待しているけれど、なんか、様子が妙だ。
「青木さんって、とんでもなく鈍いか恋愛下手だよね」
「なっ! しししし失礼ね。それなりにはお付き合いくらい……うぅ、でもここ五年くらいお付き合いしてないかも」
「だろうね。ある程度恋愛に慣れた子なら、男にホテルへ行こうって言われて、食事に行くなんて本気で思わないよ」
「う。そうなの? じゃあどこに向かってるの?」
「ラブホに決まってるでしょ」
「…………、決まってなくない?」
 なんか妙だなと思ったし、まさかとは思ったけれど、彼が私を誘う意味なんてないと思ったから、その可能性を無意識に排除していた。
「嫌?」
「いいか悪いかで言われたら、よくないと思う。お付き合いもしてないわけだし……」
「付き合ってないとそういうことはできない?」
「……丹羽さんはできるの?」
「僕は別に誠実で真面目なわけじゃないよ」
 くすりと笑われて、座席の端まで逃げた。
 物静かな外見と、ゆったりとした話し口。所作は優雅ささえ感じさせる、きれいな顔立ちの男性。そのうえ、加賀見商事の営業部長という抜群のステータスを持っている人だ。寄ってくる女性は多いだろうから、恋愛経験値は高い。少なくとも、私とは比較にならないくらいに。
「私はできな――」
「ベッドで食い気味の女性はさすがに引くけど、積極的な女性は喜ばれるよ」
「そうだろうけど……」
「婚活、するんでしょ。話がうまくまとまっても、ベッド事情が最悪だと目も当てられないよ」
「そこ、重要……?」
「だいぶ重要。見るからに初心そうな子ならともかく……」
「どうせ私は見た目だけは派手よ!」
 じたばたと足を踏みならすと、丹羽さんが吹き出して笑った。
「別にそうは言ってないけど」
「服もメイクも気合い入れてるもん! でも家ではジャージだもん!」
「そんなことまで言わなくていいよ」
 負けない。そう決めて、完全武装のごとく研究をした服やメイクは、気づけばなにやらどんどん派手になってしまっている。だけど、別に派手なものが好きなわけじゃない。ただ。……ただ、赤山さんに負けたくなかっただけだ。
「赤山さんが派手なのよぉ!」
「あそこを目指すとか、無謀すぎ」
 駄々っ子のようにジタバタする私の腕を丹羽さんが掴む。身体を寄せられ、ぐっと体重を掛けられた。
 ドアに身体があたって逃げられない。
「にっ、丹羽さん……ここタクシーの中……」
「それが?」
「人の目を気にして!」
「青木さんが声さえ上げなきゃ、運転席からはいちゃついてるだけにしか見えないよ」
 それが大問題だと言っているのだ。
 でも、詰められる距離を拒めない。身体を押し返して、それとなく抵抗はしているけれど、力なんて入っていなかった。
 男の人って、こんなに大きかったっけ……?
 何年も男性に触れることがなかったから、忘れてしまっていたのかもしれない。私より高い体温を、服越しにも感じる。頬を撫でる手の大きさにすり寄りたくなる。吐息が触れ合って、キスをされると気づいてぎゅっと目を瞑った。
「お客さん、このあたりでいいですか?」
 タクシーが停まり、運転手に声をかけられて唇が触れ合うことはなかったけれど。
「はい、ここで大丈夫です」
 丹羽さんの指が唇を一瞬撫でて離れていく。
「続きはまたあとで」
 呆然とする私の手を引いて、丹羽さんがタクシーを降りた。繁華街の、たぶん端っこ。煌びやかな街から少し外れた場所に目を向ければ、煌々と明かりの灯された派手な建物が見える。
「行こうか」
「え、やだ……」
「あれ。僕の言うことに頷く約束じゃなかった?」
「あ。そっか。わかった行……、……いやいやいや、だめじゃない!?」
 一瞬受け入れた自分が恥ずかしい。丹羽さんがやっぱり肩を震わせて笑っている。
「じゃあやめておこうか。こればっかりは無理強いすることでもないしね」
 思いのほかあっさり引き下がってくれるけれど、ちょっと残念だと思っている自分がいる。
 私は、嫌なのかな。
 丹羽さんに触れられても別に嫌悪感はなかった。キスをされそうになったのも、そうなったらなったでいいと思った。
 ホテルへ行くのだって、承諾したらがっついているみたいで嫌なだけだ。
 ただ、身元が知れているとはいえ、一度会っただけの相手とホテルへ行くなんてワンナイト確定。三十三歳の私に、そんな遊びを楽しむ余裕はないのだ。次にだれかとお付き合いをすることになったら、たぶん最後の相手になるだろう。
 好きでも、そうでなくても。うまくいっても、いかなくても。
 ……この歳になって、別に大事にする貞節はないか。
 遊んでいると思われるならそれでもいい。丹羽さんだって、本気にしないと思っているから私を誘っているのだろうし、気軽に楽しみたいだけなのかも。
「いっ……、いいよっ。行こう!」
「本当に? 無理しなくていいよ?」
「うん。でもラブホテルは嫌。ちゃんとしたホテルにしよう?」
 場所なんて実際はどこでもいいけれど、明らかな遊びと意識させられるのは悲しい。
「いいよ。ちょっと歩くけど平気?」
「営業の足を甘く見ないでよね」
 ハイヒールで一日歩き回ることもあるのだ。どうってことはない。
「逞しくていいね」
 ふっと笑う彼の表情をすべて見ることはできなかったけれど、艶めかしい笑みに、不覚にもドキリとさせられてしまった。

 何食わぬ顔で連れてこられたホテルは、普通に宿泊するにも高価なハイクラス。受け付けをスマートに済ませ、気取るでもなく部屋へと案内された。
 大きなベッドが置かれた、ビジネスホテルよりも広い部屋だが、これがこのホテルの標準。標準がおかしくない? と思っていると、肩を抱かれてベッドへ誘われた。
「あ、あのっ。シャワー浴びてきていいかな……っ」
「そのままでいいけど?」
 あっ……あなたがよくても私がよくない……!
 デスクワークだけど仕事してきたし。歩いたからちょっと汗ばんでもいるし。メイクは軽めにしてるけど、直したいし……!
 口をぱくぱくさせてそれらを言おうとするが、丹羽さんと目が合って、なんとなく言葉を飲み込んでしまった。
 なんだろう……、丹羽さんに目を合わせて微笑まれると、自然と頷いてしまう自分がいる。
「汗かいているし……き、気になるでしょ」
 なんとかそれだけを言ってみたが、丹羽さんは首を横に振った。
「僕、そういうの全然平気なんだよね。どうせまたシャワー浴びなきゃいけなくなるんだし」
 それは、少しだけ羨ましいと思う言葉だ。
 こういった行為はどうしても汚れてしまうものだけれど、シャワーを浴びなければならないほどかと言えば、必ずしもそうとは言えない。ただ快楽を貪るだけの相手ならば、さほど汚れることもないから、終われば服を着てそのまま帰ることだってできてしまう。
 そして、私はそういう人としか付き合ってこなかった。
 情熱的に愛されるようなことはいままで一度もなくて、事が終わればじゃあねと言って帰るだけ。セフレとそう変わらない。だから、恋愛に依存せずにいられた。だからこそ、仕事に打ち込んできた。
 いつからか、一人で生きていくのだと諦念していたのだ。
 ベッドへ座らされると、そのまま覆い被さって押し倒された。
「精一杯頑張るけど、私、つまんないと思うわよ」
「そうなの? こういうこと嫌い?」
「好きだって思ったことはあんまりないわね。感じにくいのかも」
 痛いばかりの行為。痛みが和らいだとしても、なにがいいのかわからなかった。感じているふりだけはうまくなっただろうけれど。
「そう。だったら楽しみだね」
 服に手を掛けられ、背中のファスナーが下ろされた。するりと剥がされながら、彼の言葉の意味を考える。
 どこに楽しめる要素があるのだろうか。夢中になられるのは苦手とか……?
 まあ、私がやるべきは丹羽さんに気持ちよくなってもらうことに変わりはない。
 普段着ないワンピースが脱がされ、下着も取り払われたことに気づいて、慌てて彼の服に手を掛けた。
「青木さん。今日はそういうことしなくていいよ」
「そ、そう?」
 じゃあどうしようと思って手を出したり引っ込めたりしていると、丹羽さんにぎゅっと手を握られた。大きな手で包み込まれるとやっぱり胸がざわめく。ドキドキして落ち着かない。
「そう。気持ちよくなることにだけ集中してて」
「うーん……それは難しいかもしれないけど、頑張ってみる」
 丹羽さんが笑った。「そうして」と呟いて、首筋に顔を埋められる。ねっとりとした感触が這って、ゾクッとしたけれどこれはいつものことだ。舐められるのは得意じゃない。
 でも、こういうときは声を出さないといけないもの。
「んっ……」
 小さく喘いでみせれば、丹羽さんが私の唇に指を押し当てた。
「声は、無理に出さなくていいよ。感じたふりなんてしなくていい」
「わ、わかっちゃった……?」
「そんな気がしただけ。それに、身体触ってたらわかることだしね」
 そういうものなのかと頷く。
 胸に手をあてがわれ、ゆっくりと形を潰された。胸先を擦られたが、正直気持ちいいと思ったことがない。
 どうしよう……。本当に声出さなくて大丈夫?
 彼はああ言ってくれたけれど、絶対気持ちが盛り下がるはずだ。
「丹羽さん……手早く済ませちゃって大丈夫よ?」
「そんな寂しいこと言わないで」
 寂しいこと……か。そんなふうに言ってもらったのは初めてかもしれない。
 胸元に顔を伏せられた。先端の肉粒を口内に含まれ、湿った感触に包まれる。温かな、大きな手で身体を撫でられるのは落ち着いたけれど、やっぱり快感にはほど遠い。気持ちいいってなんだろう? どんな感覚なんだろう?
 いい歳をして、そんなこともわからない自分が恥ずかしい。
 丹羽さんの唇が身体を少しずつ下っていく。脇腹やお腹、臍に至るまでゆっくりと舐めてくれるけれど、あまり気持ちのいい行為ではなかった。
 これ、絶対だめじゃない……? なにか反応しなきゃいけないよね……?
 焦りばかりが募って、変な汗が出てくる。丹羽さんにガッカリされたくないという気持ちもあった。
 彼の手が膝を割る。大きく脚を開かされ、秘所へと口を付けられた。
「あ、丹羽さん……それはやだ……」
「嫌い?」
「うん……気持ちいい場所だっていうのはわかるんだけど、舐められるの苦手……」
「ふうん……じゃあいまはやめておこうか」
 いままでなら、絶対に気持ちよくなるからと強引に続けられてきていたが、彼はちゃんと私の気持ちを尊重してくれる。
 嫌なことはしない人なのだろう。
 それにしても、私の身体はまったくこういったことには向かない。不感症というやつだろうか。
 本当にこんなのでいいのかな……。
 ちらりと目を向けると、膝にちゅっとキスをされた。内股を撫でながら、少しずつキスが足先へと移動していく。
「丹羽さん、足なんていいよ……」
「これも嫌い?」
「嫌いというか……よくわからないけど、足なんて汚れてるし」
「そういうの、気にしないって言ったよね」
「あ、あと、ハイヒールで歩きまくってるからきれいじゃないし!」
「青木さんが頑張ってきたからだよね。それって勲章じゃない?」
「勲章……?」
 そんなこと、初めて言われた。胼胝と肉刺だらけで、もちろん毎日ケアはしているけれど、効果は薄くて諦めてきた、ある意味でのコンプレックス。
 それを勲章だと褒められるなんて思ってもみなかった。
 どうしよう。ちょっとジンとしちゃった……。嬉しいなぁ……。
 そういえば、最近嬉しいなんて感じたことあったかな。
 いつも、負けない、負けないと意地ばかり張っていた気がする。一人で大丈夫――に違いはないけれど、助けてほしいことだってあった。でも、甘えたら負ける気がしてやっぱり意地を張る。
 ……なにと戦っていたのだろうか。
 足先が、ねっとりとした感触に包まれる。
「っん……っ」
 驚いて目を向けると、丹羽さんが丹念に舐めていてぎょっとした。
「ちょっ、丹羽さん、そんなこと……っ、……んっ」
 足なんて舐めるものじゃないでしょ。
 そう思いはするのに、変な感覚が這い上がってきて力が入らない。声が消されてしまう。
「やっと緊張がほぐれてきたね。それに、足を舐められるのも好きそう」
「す、好きじゃない……!」
「そう? 一番反応がいいけど」
 そんなわけないでしょ。いわゆる性感帯よりも足のほうがとか……絶対気のせいなんだから……!
 胸中でどれだけ強がってみても、なにひとつ言葉にならない。
「んっ……、あ、んんっ……」
 柔らかくぬめった感触が這い回って、背筋がゾクゾクする。こんな感覚、知らない……。
「やっ……、あ……丹羽さん、それ、やめ……」
「やめないよ。せっかく青木さんのよさそうな場所見つけたんだし」
 足首も、ふくらはぎも丹念に舐められていく。
 引き剥がしたくても身体は起こしづらいし、丹羽さんは遠いし、うまく抵抗もできなかった。
「んっ、あ……やだ……っあ……」
「でもここ、ちゃんと濡れてるよ?」
 つっと秘裂をなぞられ、身体が跳ね上がる。
「ひゃあっ……あ、んっ……絶対違うもん……」
「身体に聞くからなんとでも言えばいいよ」
 ふふと楽しげに笑う丹羽さんの顔を見て、ごにょごにょと言葉にならない声を呟く。なにかを言いたいわけではない。ただ、抗議をしたかっただけだ。
「ここ、まだ気持ちよくない?」
 ぬるぬると指を滑らせながら、肉芽を擦られる。身体が疼くような感覚に襲われて、首を左右に振った。
「なんか……変な感じ……」
「そっか。もう少し続けてみようか」
 くにくにと刺激され、頭が白くなっていく。痺れて、蕩けていきそうな不思議で、ちょっと怖い感覚。
「んっぅ……んんっ……」
 ときおりビクッと身体が震えて、恥ずかしくてシーツを掴んだ。逃げるように身体を捻ったが、丹羽さんの手に腰を掴まれて思うように動けなかった。
「丹羽……さん……っ」
「あんまり身体を硬くしてると、なにをしても気持ちよくないからね。そのままにしてて」
 膝裏に手を入れられて足を持ち上げられると、彼は秘部へと口を付けた。
「丹羽さん、それやだって……っ、あっ……」
 ちゅうっと花芯を吸われ、足先がビクビクと震える。
「あ、あっ……や、っ……あぁっ……」
 知らない感覚が次々と襲ってきて、丹羽さんの頭を押し返した。このまま続けられたら絶対変になる。そんなの、怖い……。
「大丈夫。青木さんは怖がらずに僕を信じて」
「そんなの、無理……あ、あっ……んっぅ……」
 びくん、びくんと身体の至るところが跳ね上がる。得体の知れない感覚に飲み込まれてしまいそうだ。
「あ、っあ……んっ……やっ……、丹羽、さん……っあ、ああっ!」
 ちゅうっと強く吸い上げられると、誘われるように感覚が弾けた。
 ビクビクと足も身体も痙攣して力が入らない。丹羽さんが覆い被さってきても、震える身体が止められなくて、彼を恨めしく見上げる。
「感じにくいなんて、嘘ばっかり。ちゃんとイけるじゃない」
 抱き起こされながら、首を捻った。
 あれが、絶頂というもの……?
 はじめての感覚だったけれど、あまり実感がない。もっと強烈なものかと思っていた。……いや、充分強烈だったが、もっとぐちゃぐちゃにされるようなものなのかと思っていたのだ。
「そろそろこっちも感じられるかな……?」
 気づけば丹羽さんの膝の上に背を向けて座らされていて、そろりと胸元に手を這わされる。何度やっても同じだと思うけれど、男性は胸を触るのが好きだとも聞くし、それならそれで……。
 そんなことを思っていたが、胸先の粒を指の腹で掠められた瞬間、身体が大きく仰け反った。
「っ……あ、ああっ……」
「よさそうだね。ちゃんと敏感になってる」
 後ろからうなじに舌を這わされながら、胸の先端を摘まみあげられる。
「あ、あっん……やっ……丹羽さん……なに……」
 逃げようと身体を捩っても、丹羽さんの腕は強く私の身体を抱きしめるばかりだ。この腕から逃げ出すことはできそうにない。
「気持ちいいって感覚は頭で覚えるんだよ。ここを触られれば、こっちも気持ちよくなって……ってね」
 胸元に吸い付かれながら、秘部へと手が伸ばされる。
 硬く尖った肉粒は敏感に刺激を享受し、彼の愛撫に蕩かされていく。気持ちいい、と感じるほど、蜜が溢れて彼の指が滑らかに秘裂をなぞった。
「んっ……あ、やっ……あぁっ、んっぅ……」
「青木さんって感じてる顔、すごく可愛いね」
 耳元で囁かれて背筋がぞくぞくとした。この感覚は、最初のものとは違う。甘く疼いて下腹部に響くような、誘惑的なものだ。
 耳を舐められ、身体を撫でられる。優しい手つきで、彼は私をどんどんだめにしていく。
「丹羽さん……っ、あ……あっん……、や、やだぁ……あっ……」
 怖いことは嫌いだ。初めてのことなんて、いまさら経験したくない。それなのに、私が嫌がるほど彼は執拗に責め立てる。
 蜜口から指が差し入れられ、膣壁が強く押し上げられた。
「っ……んっあ……あ、あぁっ……」
 胸も秘部も一緒に刺激されて、頭が真っ白になっていく。彼の手を振りほどきたいのに力が入らなくて、されるまま追い立てられた。
「やっ……丹羽、さん……あ、んっああぁっ……」
 ぐちゅぐちゅといやらしい音を立てる自分の身体が恨めしい。私の身体って、こんなに卑猥な音を立てるものだったっけ……?
「青木さん、気持ちいい?」
 楽しげにそんなことを聞く丹羽さんに抗議したかったけれど、残念ながらその言葉を否定できない自分がいた。
「あっ……あ、っ……あぁっ……!」
 全身に快感が広がっていく。近づいてくる絶頂に抗えず、腰が砕けたようにがくがくと痙攣して達してしまった。
 力が抜けた身体がベッドに横たえられると、快感の余韻にうっとりと目を閉じる。
 これは……私の知っている行為の何倍も気持ちいい。作業的に進めて、相手が終わったらそこで終了してしまう行為しか知らなかったから、全部が未知の体験だ。
 このまま眠ることができたら最高だろうな……。
 うとうとと意識が落ちてしまいそうになったが、すぐ両脚を左右に割られてぎょっとした。
「! 丹羽さん……っ、ちょっとだけ休ませて……」
「だめ」
 即答。こんなにきっぱり、迷いなく拒否されるなんて。
 好きな行為じゃなかった。痛いし、苦しいばかりだったから、早く終わってほしいと思っていた。でも、いまは違う意味でつらくて、このまま続けられるのは怖い。
 身体はだるいし、頭はぼんやりしている。触られたらたぶん、それだけで達してしまうかもしれない。それくらい、感覚が鋭敏になっていた。
 覆い被さってくる丹羽さんを見上げる。目元にちゅっとキスをされ、そのまま首筋まで舌が這わされた。
「んんっ……」
 秘孔から、指が押し込まれる。ぬちゅぬちゅと中を探るようにかき混ぜられた。
「っあ……んっ、んっふ……」
「やっぱり感じにくいなんて、ただの思い込みだったね」
「ち、違うの……本当に……っあ、ああぁっ……」
 ぐっと膣壁を押し上げられると、また絶頂に似た感覚が押し寄せてくる。
「それとも、本当はもっとトロトロになるのかな」
「違……ってば……あ、んっぅ……ふ、あ、あっ……」
 執拗なくらい同じ場所を擦られ、深い場所からなにかが迫ってくるような気がした。
「僕、青木さんみたいな人が蕩けちゃう姿って、かなり刺さるんだよね。すごく楽しみ」
 遊ばれているのだろうなと思うのだが、終始楽しげな丹羽さんに抗議ひとつできていない。
 指が増やされて、中を圧迫していく。苦しいけれど、逃げ出したくなるような不快さはない。
「あぁっ……、やっ、それ、だめ……怖い……っ」
「大丈夫。ここは青木さんが好きな場所だよ」
 ぐちゅぐちゅと音を立てながら膣壁が擦られる。そのたびに頭の芯が蕩けてしまう。
 いままで経験してきた絶頂とは違う、その先の感覚が迫ってくるのだということは理解ができたけれど、むりやり押し上げられる感覚に不安が勝ってしまう。
「丹羽……さん……っ、やっ……だめ……、あ、あぁっん……ふ、んっ」
 唇が重ねられた。
 声も、呼吸も奪って舌を差し入れられる。
「んんっ……ふっぅ……ん、あっ、んっ」
 この人のキスは、すごく安心する。
 擦りつけられる唇の感触も、口内を蠢く舌も、全部受け入れられる。
「キス、平気そう?」
「あっ……んっ……、うん……っ、あ、ああっ……」
 中を掻き回す指が、次第に早さを増して私を追い立てた。
「っは……あ、ああっん……、丹羽、さん……っ、んっ、あ……っ!」
 下腹部から強い快感が広がっていく。膣壁が攣縮して彼の指を締めつけた。そのたびに、彼は強引に内壁を押し広げようとする。
「っは……あ、あっ……やっ……ぁ……」
 深い絶頂へ昇らされ、さらに刺激を続けられて、全身がビクビクと勝手に跳ね続けた。恥ずかしいし、どうにかしないといけないと思うのだが、うまく身体が動かない。
 ……もう、どうでもいい……。
 頭がぼうっとする。意識を保っているのも疲れる。眠りたい。だるい。
 ベッドの上で呼吸を荒らげていると、服を脱いだ丹羽さんが覆い被さってきた。
 膝裏に手を入れて、脚を大きく開かされる。
「っ……に、丹羽さ……」
 さあっと血の気が引いた。当たり前だが、ここで終わるわけがない。私は丹羽さんになにもしていないのだ。
「僕も気持ちよくなりたい」
 だよね! だよね! わかってる! でも身体どころか指一本も動かないの!
 口をぱくぱくさせてみたが、どうにも声を出すこともうまくできなくなってしまったらしい。全身が弛緩しきっている。
 丹羽さんが、目の前で避妊具を装着すると、蜜孔に屹立を押し当てた。
「っ……あ、……あぁっ……」
 ぬぷりと押し込まれ、敏感な襞を広げられる。
「あ、んっ……ああ……っ!」
「もっと声を聞かせて」
 うっとりと囁かれ、見上げた彼は息を飲むくらいきれいで、だけどギラつくような目をしていた。
「んっふ……、あ……っ、あっ……」
 指を絡めて手を握られ、そっとベッドに押しつけられる。
 ゆっくりと彼の欲望を飲み込んだ身体は、それだけでビクビクと痙攣してしまう。
「青木さんの中は柔らかくて気持ちいいね」
 ぐっと突き上げられると、勝手に身体が跳ね上がった。
「ひあ……あっ……あっ、んっ……」
 深い場所まで届く彼の欲望が何度も打ち付けられる。
「あっ……やっ……深……あっ、もっとゆっくり……」
「いっぱいイって? もっと気持ちよくしてあげたい」
 これ以上気持ちよくなったら、絶対になにかがおかしくなってしまう。だけど、丹羽さんは強く肌をぶつけて、容赦なく私を絶頂へ押し上げようとする。
「んっああ、あっ……は、んっぅ……あ、や……また……っ」
 そうして彼の目論見通り、達してしまう。
 がくがくと四肢を痙攣させる私を見下ろして、丹羽さんは満足そうに笑った。
「まだ続けるよ」
「え……、待っ……、本当に……」
 彼の攻め手はそのあとも続き、気づけば私は意識を失っていた。

 目が覚めて、見慣れない天井に「あれ?」と呟く。ここはどこだっけ。
 疑問に思いながらも身体を起こそうとしたが、鉛のように重くて動かない。このどうしようもない倦怠感はどうしたのだろうか。
 指一本も動かしたくなくて、ただ呆然と天井を見つめ続ける。外は朝なのか夜なのか。おぼろげな記憶を手繰り寄せようとしたとき。
「あ、起きた?」
 ぱっと明かりがつけられ、眩しくて目を瞑った。また眠ってしまいそうだ。
「起き上がれそう? 今日はホテルの中をぶらぶらする?」
 ここはなんでもあるしね、と楽しげに言いながらベッドに座る丹羽さんを横目に、もそもそと身体を起こした。スースーする。
「なんで丹羽さんが……あっ」
 布団を抜け出すと全裸で、急速に記憶が戻ってきた。そうだった、そうだった!
「…………、あ、あのっ、これはその、あの、だからねっ」
「うん?」
「これはお酒の勢いで!」
「一滴も飲んでないけど」
「そう、一滴も飲んでないけど!」
 あ、あれっ。お酒飲んでないのにこうなっちゃった?
「な、流されて?」
「青木さんが行こうって言ってくれたから連れ込んだけど」
「そう。行こうって言った!」
 私のバカっ。なにノリ気で丹羽さんの誘いに応えてるのよ。
「えぇぇぇ……なんで? 私、こんなに軽い女じゃなかったはずなのに」
「人肌が恋しいときくらいあるでしょ。三十も過ぎれば」
「だれがアラフォー目前よ!」
「言ってないし」
 ばふっと枕を投げつけても、丹羽さんは笑って受け流すだけだ。
「マッサージでも呼ぶ? エステもネイルもすぐ予約できるけど」
「わあっ、マッサージしたい。エステでピカピカになって、ネイルも付け替えたいっ」
 最近ずっと仕事に追われて、最低限のメンテナンスしかできていなかったから、せっかくだし楽しみたい。
「そうだね。青木さん、ちょっと疲れてるみたいだし、リラックスすればいいんじゃないかな」
「……疲れてるように見える?」
「全身ガチガチだったでしょ。まあ、エッチに慣れてないってのもあっ……痛いって」
 ぺしぺしと丹羽さんを叩く。そういうことは言わなくていい。
「丹羽さんはちょっと慣れすぎだと思う」
「そんなことないよ。別に遊びまくってるわけでもないし」
「私、あんなに乱されたことなんてなかったの。そもそも感じにくいし」
「それは思い込みだって。あと、青木さんって男見る目ないでしょ。男運が悪いのかな」
「……ほ、ほっといて」
 いままで付き合ってきた人たちは、やっぱりいい男ではなかったのだろう。言い寄られて、それがちょっと嬉しくて、なんとなく付き合って。そうしたらけっこう扱いが冷たくて。
 お付き合いってこういうものかな、なんて思いながらいままで生きてきた。だから、もうお付き合いなんてしなくてもいいと思ったのだ。
 結婚をするなら、シンプルに利害関係だけで成立すればいい。愛情とか、全然いらない。
「ねえ、青木さん。いま付き合ってる人いないんでしょ?」
「いたら結婚相談所に行ってまで結婚しようとは思わないわよ」
「だよね。だったら、僕と付き合わない?」
「……二度しか会ってない人とお付き合い……?」
「都合良く呼び出すくらいでいいよ。婚活も自由にしていい」
「それって……」
 つまり、セフレってことよね。
 私って、もうだれの一番にもなれないのかぁ……。
 セフレの誘いを受けるほど、男性に飢えているように見られているのだろう。恋愛からは対象外。別にそれでもいいけど、利害関係だけってけっこう虚しい。
 なんだかんだと強がっても、私はまだだれかに愛されたいのだ。
「セフレ……よね」
「恋人って言っていいよ?」
 ニヤニヤと笑う丹羽さんになんだか腹が立つ。
「言わないわよ!」
「交渉成立だね。連絡先教えて」
「違……、承諾してない……」
 スマホを手に「早く」と急かされて、私も鞄からスマホを出した。淡々と連絡先を交換し、晴れてセフレの仲間入りだ。華麗に流されてしまった。
 まあ、仕事で会うわけでもないし、素知らぬ顔をしていればいいか。
 それに、彼にはほかにもセフレがいるかもしれない。毎日呼び出されるような関係にはならないだろうし、きっとすぐに忘れちゃうわよね。
「それじゃあ、シャワー浴びておいでよ。エステもネイルも予約しておくから」
「うん、ありがとう。丹羽さんはどうするの?」
「ただ待ってるのも退屈だし、ジムにでも行こうかなと思ってる」
「……待って……るの?」
「待たないの? 終わったらまたしたいんだけ……」
 ばふっと枕を投げつけた。
「……青木さんって、こういう話苦手だよね」
「得意じゃないわよ。どうせ年齢の割に免疫も耐性も低いとか笑われるのよ」
 男性に近づかれると身構えてしまう。二人きりになるとなにを話せばいいかわからなくて、強がって見せてしまう。可愛くないことだらけだ。
「じゃあ、青木さんが僕としたいって言えるようになるまで、毎日誘うことにしようかな」
「え……」
「仕事が終わって青木さんと会えたら楽しそうじゃない?」
 毎日呼び出されるような関係云々は、わずか数分で覆されてしまった。
 毎日会うの? ということは、毎日そういうことをするの?
「ま、毎日……?」
「うん」
「するの?」
「するけど」
「毎日よ!?」
 この人の性欲は正常だろうか。絶対におかしい。強すぎるのでは……。
 あたふたしていると、丹羽さんが笑う。
「僕、気に入った子は近くに置いておきたいから」
 丹羽さんの思考がさっぱりわからない。
 貧相な恋愛経験で彼の言葉を一生懸命考えたが、どこかでプスンと音がした気がした。たぶん思考がショートしたのだろう。
「……うんそっか」
 よくわからない返事をして、その日も丹羽さんに言われるまま行動をして終わってしまった。

(――つづきは本編で!)

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