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執着系後輩は社畜女子を逃がさない

「他の男に渡すわけにはいきません。俺に黙って抱かれてください」

あらすじ

「他の男に渡すわけにはいきません。俺に黙って抱かれてください」

 システムエンジニアの千乃は、男性ばかりの職場で毎日逞しく仕事に明け暮れていた。
 だがそんなある日、千乃の元に田舎の母からお見合いをしないかという話が届く。それを聞いてしまった少々癖のある後輩、尊は、血の気が引いた顔で千乃に覆いかぶさる。可愛い後輩の突然の豹変に驚きを隠せない千乃。
 だが戸惑いつつも久しぶりの人肌に感じてしまい……。

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作:一宮梨華
絵:まりきち
デザイン:BIZARRE DESIGN WORKS

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 第一章 社畜女子とワンコ系後輩くん

 今日こそは、家に帰ろう。
 そう意気込んでから約四十八時間。高島千乃《ちの》は、半目でパソコンを叩いていた。
 そもそも家ってなんだろう。終電って? 有休って? もう完全に、思考回路がぶっ壊れている。
 それもそのはず。もう何十時間もこうやってパソコンに向き合い、コードばかり書いているのだから、誰だっておかしくなるに決まっている。
 化粧ははげているし、お風呂もいつが最後だったか、記憶にない。
 晩ご飯は先輩がくれた、にんにくチップ入りラーメン。職場だから、さすがににんにくチップは入れなかったが、やっぱりにんにくチップを食べて元気をつければよかっただろうかと、今になって後悔する。
 いや、ここで元気になんてなったら、ますます帰れないか。いっそのこと、倒れてしまえば帰れるんじゃ……なんて考えていると、先輩の不穏な声が届いた。
「おーい、高島、これバグってる」
 今の精神状態にはひどく堪えるセリフに、口から魂が出そうになる。その顔は酷い顔をしている自覚がある。二十九歳とは思えないやさぐれ具合だ。
 とはいえ、こんな千乃でも、昔は可愛いと言われていた。目は大きいし、自慢じゃないがまつ毛も長い。ぽてっとした小さい口がセクシーだと言われたこともある。
 だが今ではしゃれっけは皆無で、肩まである髪は適当にクリップで上げているだけ。
「え、どこですか。とぐろ先輩」
 半目で声の出所をたどれば、頭にとぐろを乗せたとぐろ先輩が、早く来いといわんばかりに、手招きしていた。
「誰がとぐろだ。石黒だ。ちょっと来い」
「はいはい」
 のそのそと重い体を引きずりとぐろ先輩の元に向かう。石黒明、もといとぐろ先輩は千乃より四つ年上の先輩で、ここのプロジェクトリーダーだ。
 ドレッドヘアを一つに束ね、それを頭のてっぺんで巻いているという、ワイルドな……いや、かなり変なヘアースタイルをしている。そのとぐろは顔より大きいとか大きくないとか。
 彼の本名である石黒という名前をもじって、とぐろ先輩と呼ぶようになった。もちろん、そんな失礼極まりない呼び方をするのは、千乃と、同じチームの後輩、御子柴尊《みこしばたける》くらいなもの。
「ここ、コーディング規約に沿って書いて」
「あー、はい。すみません……って、これ私じゃないです」
「御子柴か?」
「ですね」
 不意に名前をあげられた御子柴尊が、積みあがった書類の隙間から頭をぴょこんとだす。
「呼びましたか? とぐろ先輩」
「誰がとぐろだ。今の話、聞いてたか? やり直しな」
「わかりました」
 端的に返事をし、再び沼に沈むように隠れてしまった彼は御子柴尊、二十五歳。千乃と同じ、システムエンジニアだ。
 千乃たちはここ、三ツ星電気のシステム開発課に所属している。メンバーは三十名ほどで、男女比率は3対1。圧倒的に男性の方が多い。千乃は男性に混じり、切磋琢磨しながら働いている。
 広いフロアにチームごとの島があって、とぐろ先輩と千乃と、そして尊は昨年から国交省のプロジェクトに投入されている。
 そんな千乃の後輩の尊は、一流大学出身のいわばエリートで、業界内で最も上位といわれる資格の持ち主。
 しかも頭脳だけでなく、顔もいいときたものだから、女性が放っておかない。長い前髪で顔は隠れ気味だが、目はぱっちりとしていて、鼻筋のとおった高い鼻が男らしい。身長も一五五センチの千乃より十五センチは高そう。
 だからよく他部署の女性から、合コンやデートに誘われている。でも尊がその誘いに乗っているのを、千乃は見たことがない。
 もしかして、女性に興味がないとか? もしくは、彼女がいるとか?
 つまり、千乃は尊と同じチームになって二年ほどになるが、プライベートの尊はよく知らないのだ。
「とぐろ先輩、修正しました」
「はやっ! お、お前まじか」
「確認お願いします」
「お、おう」
 尊が経験を積めば、右に出る者はいないだろうと、千乃は密かに思っていた。
 常に冷静で真面目。そして先輩のアドバイスをきちんと聞ける素直さがある。伸びしろは計り知れない。
「オーケーオーケー、御子柴、確認した。高島、戻っていいぞ」
「はーい……って、とぐろ先輩、にんにくくさっ!」
 思わず鼻をつまんだ千乃を見て、とぐろ先輩がけらけらと笑う。
「お前が捨てたにんにくクチップも入れたからな。にんにく増し増しだ」
「威張んないでくださいよ。ていうか、拾ったんですか? わー最低。きもい」
「きもい言うな。SDGSっつーやつだよ」
「どこがですか。流行の言葉を使いたいだけでしょ。ケチなだけでしょ」
 言いたいこと言って、鼻をつまみながら千乃は席に戻る。
 同時に千乃はさっき、尊が言われていたことを付箋に書き、パソコンに張り付けた。
 二度同じことを言わせるわけにはいかないからだ。
 千乃は仕事中、付箋をかなり使用する。書いては時系列に並べ、その工程が終わったら捨てる。ややアナログだが、千乃はそれがやりやすかった。
 だけど最近、気になることがあった。
 ゴミ箱に入れたはずのポストイットが、なくなっていることがよくあるのだ。
(どこいったんだろう。まさかとぐろ先輩が盗んだ? いや、さすがの変態先輩もそんなことしないか。ましてや私相手に……)
 そんなことを思い返していると、ふとあることに気がついた。
 尊がなにやら、とぐろ先輩をじっと見ているのだ。それも、なにか聞きたそうというより、恨めしそうな目で。
 その視線にとぐろ先輩は気がついていない様子。
(もしかして、にんにく増し増しラーメンが食べたかったのかな? それで恨んでるとか?)
「って、心底どうでもいい」
 千乃はひとりごちて、仕事に取り掛かった。
 とにかく今日の目標は家に帰ること。時刻は二十時。絶対に終電に乗ってやると意気込むと、千乃は目を血走らせながら、目の前の仕事に没頭した。

「んっ……」
 それからどのくらい時間が経過しただろう。
 眩しさを覚え目を開けると、そこには見慣れた天井があった。目だけキョロキョロさせれば、すぐにハッと現実に戻された。
(もしや、会社? やばい……また泊まってしまった!)
 時計を見れば時刻は八時。うん、確実に一周回っている。
「あ~、最悪。また帰れなかった」
 ぐっと伸びをしながら体を起こすと、床に転がる寝袋を数個発見した。とぐろ先輩も、尊もどうやら泊まっていたようだった。これじゃあ昨日と同じだ。もしかすると自分はループしているのでは? と、わけのわからない思考まで過り始める。重症だ。
 本気でいつ帰れるのだろう。それもこれも、無謀な仕事をとってきた営業のせいだ。
「体痛い。歯磨きしてこよ」
 抜け殻のような体を引きずり、課を出る。
 女を捨てている自覚はある。会社に平気で寝泊まりして、化粧もせず、風呂にも入らず、仕事に明け暮れる毎日。彼氏なんてもう何年もいない。そもそもこんな状況じゃ出会いすらない。
 最近田舎に住む母、初枝からよく電話がかかってくる。その内容は専ら「彼氏はできたか」「結婚はまだか」というものだ。
 そんなに頻繁に聞かれてもすぐにできるものじゃない。何度そう言うも初枝は諦めようとせず、さっきも着信が入っていた。
 一人娘として、結婚して、親孝行をしなければという気持ちはもちろんある。でもそう簡単にいくものではない。
 一瞬で恋に落ちて、とんとん拍子に入籍して、なおかつ仕事は続けられるような、そんな夢のような話があったら一瞬で食いついてやるのに。
 ありもしないことを想像して、千乃は自嘲の笑みをこぼしながらパウダールームに入った。
 歯磨きを済ませると、千乃は鏡の中に映る自分を見つめた。
「ひどい顔」
 やつれていて、見られたもんじゃない。
 華やかなOLライフを送るとばかり思っていたが、そんなの幻想にしか過ぎなかった。システムエンジニアは過酷だとは聞いていたが、まさかここまでとは。父である、孝蔵の言う通りだった。
「って、なにを今さら」
 反対を押し切り東京に出てきたのは千乃の意志。孝蔵の顔を振り切るように、ぶんぶんと頭を振ると、パンと両頬を叩いた。
「さ、頑張らなきゃ。昼には帰るぞ」
 そう意気込み、入り口に置いてあるゴミ箱に空になった歯磨き粉を捨て、パウダールームを後にした。
「あ、高島さん」
 すると、ちょうど男性用のパウダールームから出てきた尊に出くわした。Tシャツに、スエットパンツというラフな格好。髪は濡れていて、もしかしたら洗面台で洗ったのかもしれない。
(男性はいいな。そういうことができて)
 しかも濡れているせいか、ちょっと幼く見える。肌にも艶があって、若いなー、とついぼやきそうになる。
「おはようございます、高島さん」
「おはよ。御子柴くんもまた帰りそびれちゃったんだね」
「まぁ、いつものことですし、慣れっこです」
「私も。もう三日も家に帰ってないよ」
「俺は五日です」
 言い合ってくすくすと笑う。何を張り合っているのかと思われそうだが、同士がいるのは心強い。
「そういえば、とぐろ先輩が昼にあがれたら飲みに行かないかって」
「まじ。元気だね、あの人。私はパス。一秒でも早く帰って寝たい」
「しかも、そのあと風俗行くって豪語してましたよ」
「うわ。どこにそんな体力隠してるの。しかもそれを後輩に正直に言っちゃうんだ」
 千乃はとぐろ先輩のことを、仕事の面では尊敬している。でも風俗やギャンブル好きで、毎回かなりの金額をつぎ込むのだとか。そういう面はちょっと引いている。絶対に彼氏や旦那にはしたくないタイプだ。
 彼氏にするなら一途で、風俗もギャンブルもしない人がいい。
 努力はしないくせに、理想だけは一丁前である。
「じゃあ、御子柴くんも連れてってもらうの? よかったね。奢ってもらいなよ」
「い、いきませんよ! 俺は!」
「え? あ……そ、そうなんだ」
 そんな前のめりで、かぶせ気味に来なくても。
(ビックリした)
 だいたい健全な男子なんだ。恥ずかしがることでもない気はする。とぐろ先輩みたいに堂々としているのもどうかしているが。
 しかもよほど心外だったのか、いまだにムッと口を尖らせている。
 ひどく悪いことをした気になり、千乃は尊に謝った。
「なんか、ごめんね。無神経で」
「いえ、そういうわけでは……ただ、高島さんにそんなふうに思われたくないだけです」
 口元を隠し、目を伏せながら言う。そんな尊を前に千乃は首を傾げていた。
(よほど嫌なんだろうな。今どきの男子ってシャイだな)
「あの、たか……」
「さ、戻ろうか。とぐろが湯気を上げながら怒ってるかも」
 これ以上追及しては可愛そうだと悟った千乃は、話題を変え課へと急ぐ。そんな千乃を見て、尊はがっくりした様子で「はい」と頷いた。

「よっしゃー! 終わった! 高島千乃、帰還いたします」
 目標通り、昼で仕事がひと段落した。千乃はガッツポーズをすると、いそいそと荷物をまとめ始めた。
 休める時に休まないと、殺される。帰ってお風呂に入って、もふもふの布団にくるまって眠るんだ。
 想像してにやにやしてしまう。我が家への道のりが、こんなにもハードルが高い場所になるとは、入社時は思いもしなかった。
「高島、飲み行くぞ」
 鼻歌交じりで帰り支度する千乃に、とぐろ先輩が嬉々とした様子で声をかけてくる。
「えー嫌ですよ。くたくたです」
「そういうときこそ、酒を入れろ! 行くぞ、高島、御子柴」
(嘘でしょ……)
 千乃はがっくりと落胆する。
「もふもふ……お風呂……」
 涙声で、つぶやく。だがこうなってしまえば断れない。
(パワハラとぐろめ。一杯飲んだら即効帰ってやるんだから!)

 ◇◇◇

「いらっしゃいませーーっ! 喜んでいらっしゃいませ~!」 
 店員さんの元気な掛け声で出迎えられ、耳がキーンとなる。寝不足の頭にはかなり堪える。
 しかも喜んでいらっしゃいませってなにそれ。ごめんなさい、そんな元気いりません。
「三人ね」
「喜んで~」
 いや、喜びすぎではと思いつつ、千乃と尊はとぐろ先輩のあとを亡霊のように付いて行く。
(だいたい昼から居酒屋が開いてるってどういうことなの。しかも意外とお客さんいるし)
 心の中で愚痴って席に着く。とぐろ先輩は勝手にビールを三杯注文していた。
「昼から酒って最高だよなー」
「俺、座ったまま寝れそう」
 お通しをむしゃむしゃ食べながら、半目で尊がぼやく。
「さぁ飲むぞ~。朝まで飲むぞ~」
「バカですか、アホですか? 私一杯飲んだら帰りますから」
 この人にはついて行けそうにない。どうしたらそんな元気でいられるんだ。なにか変な薬でもしているのか。
 こんなことしている暇があったら、その臭そうなドレッドヘアを洗ってはいかがだろうか。なんてくだらないことを考えていると、スマホが震えていることに気がついた。
「げっ、お母さん」
「電話ですか?」
「あ、うん。ちょっとごめん」
 二人に断りを入れ、千乃は店を出て電話を取った。どんな内容かはだいたい察しがつく。
 千乃はため息を一つ吐いて、受話ボタンを押した。
「……もしもし」
「千乃? あんた大丈夫。全然電話でないけど」
「あーうん。今仕事終わって、先輩たちと飲んでるところ」
「昼から? まぁー! どういう生活してるの」
 驚愕する母の声が耳をつく。でも無理もないかもしれない。
 田舎の生活は早寝早起きが当たり前。初枝は長年専業主婦で、孝蔵は朝九時から夕方五時までの、勤務時間がきっちりとした公務員だった。五つ年上の兄もそれに同じ。
 だから娘が三徹だとは想像もしないだろう。
「で、なに? 彼氏ならいないよ。来世までできそうにない」
「そうだと思って、千乃にいい話を持ってきたのよ」
 急に張り切りだす初枝に、千乃は嫌な予感がした。声のトーンがさっきと明らかに違う。
「千乃、高校の同級生の皐月基晴《さつきもとはる》くんって覚えてる?」
「皐月基晴? あーなんとなく」
「お母さん、皐月くんのお母さんとこの前偶然会ってね。それでね、皐月くんもお嫁さんを探してるって言うのよ。それで意気投合しちゃってね……」
「ちょ、ちょっと待ってお母さん」
 慌てて上機嫌の初枝を止める。もう初枝が何を言いたいのかわかってしまったが、最後まで聞いてしまえばきっと回避不可能。
 千乃は呼吸を整え言った。
「あのさ、お母さん。私、先輩待たせてるからその話は……」
「千乃、あんた皐月くんと、お見合いしない!?」
 やっぱり……。そう嘆かずにはいられなかった。
 きっと、畦道で何時間も井戸端会議を繰り広げてきたのだろう。
 キャーキャーと、なぞの小突き合いをしていたのだろう。容易に想像できてしまう。
「ごめん。今ちょっと忙しいからさ」
「そんなこと言わないでよ。もう向こうのご両親もノリノリなのよ。だから来週の日曜、帰ってきてね」
「ちょっと! いくらなんでも勝手すぎ!」
「どうして? いいじゃない。皐月くん、昔からイケメンだったし、今は代議士の秘書をしているらしいわよ。なかなかいないわよ、こんな優良物件」
「優良物件って。オフィスの給湯室の会話じゃないんだから。それにそういうことじゃ……」
「皐月くんも前向きだって言ってたし、こんないいお話はないわよ。ね? 千乃。たまにはお母さんの顔を立ててよ」
「うっ……」
 そう言われると弱い。なにせ千乃はこれまで、初枝の期待をことごとく裏切ってきたから。進路も、恋愛も、なにもかも。
(だけど、皐月くんまでノリ気ってどういうことだろう……?)
「とりあえず会うだけ会ってみて、ね? どうしてもいやだったら断ればいいんだから」
 千乃は胃の底からため息を吐いた。
 初枝は口調はおっとりだが、言いだしたら聞かない頑固者だ。千乃は重々知っている。だから返事はこれしかないのだ。
「……わかった」
 ここでこう言わなければ、きっと電話口で泣かれるだろう。そっちのほうがよほど面倒くさい。
「ほんと? よかった。じゃあさっそくお返事しておくわね! 絶対に帰ってくるのよ!」
 初枝は念を押すと、張り切った様子で電話を切った。
(はぁ……どうしてこんなことに)
 だいたいお見合いって、いつの時代? 基晴も基晴だ。どうして了承したのだろう。高校の時も、たいした接点もなかったはずなのに。
「高島さん? 大丈夫ですか?」
 ふと聞こえてきた声に振り返れば、尊が店からひょっこり顔をだし、心配そうに千乃を見ていた。
「御子柴くん」
「あんまり遅いから、どこかで倒れてるんじゃないかと思って見に来ました」
「ごめんごめん。お母さんの電話長いからさ」
「本当にお母さんだったんですね」
「え?」
「あ、いえ。男かなーって……」
 くしゃっと髪を掻きながら、目を泳がせている。
「何言ってんの。いないいない、そんなの。こんな社畜女に彼氏がいると思う?」
 自虐的に言うと、尊は鼻の頭に皺を寄せ、嬉しそうに笑った。その顔がやけに可愛く見えた。
「中、入りません? とぐろ先輩がすでにくだを巻いてて、一人で相手するのきついです」
「あはは、ごめんごめん。じゃあ行こうか」
 想像しただけで頭痛がするが、千乃は尊に連れられ店の中へと戻った。
 席に戻ると、尊の言った通り、顔を真っ赤にさせたとぐろが酒を煽っていた。
「高島、遅い!」
「すみません」
「ほら、飲め飲め」
 生ビールのジョッキを手渡され、それをごくっと喉に流す。冷え冷えのビールが、疲弊した体をいたぶるように、しゅわしゅわと流れていく。
「はぁー、寝不足の体にきく。すぐ酔っちゃいそう」
 お酒は弱い方ではないが、さすがに今日はコンディションが悪い。悪酔いしないように気を付けなければ。
「いい飲みっぷりじゃねーか。ほら、もっと飲め」
「もちろん、とぐろ先輩の奢りですよね?」
「おう、任せろ」
「やったー。ほら、御子柴くんも」
 たった数口なのに、自制も虚しく、すでにおかしなテンションになっていた。初枝からの電話もあって、もはややけくそだ。
「ほらほら。御子柴くん。飲んで」
「あ、はい」
 千乃は普段こんなふうに人にお酒を勧めたりしない。今はアルハラなんて言われる時代だ。そんなことをして、訴えられたらたまったもんじゃない。それに尊はあまりお酒が強い方ではないと聞いていたし。
「高島さん、大丈夫っすか? あんまり無理しない方が」
「らいじょーぶ! これでも強いんだから」
「そうは見えませんけど」
 尊が心配そうに千乃を見つめている。そんな尊に千乃は、へらっと笑みを向けた。
「やっぱり御子柴くんって、可愛い顔してるよね」
「え? なんですか急に」
 千乃の発言に、尊は顔を赤らめる。そんなこともお構いなしに、千乃はさらにずいっと顔を近づける。
「他の部署の女の子に、よく誘われてるの知ってるよー。彼女いないの?」
「いませんよ。だって、俺……」
「じゃあとぐろ先輩に風俗連れてってもらえばいいのに」
 千乃は朝の話を聞いて、尊が実は行きたいが、恥ずかしくて行きたいと言えないと思っているらしい。先輩らしく援護射撃したつもりだった。
「なんだ、御子柴。やっぱ行きたいのか。朝は秒で断ったくせに」
 とぐろ先輩が、おっぱいを揉む仕草をしながら、ニヤニヤしている。
「いや、行きませんから。高島さんも変なこと言わないでくださいよ」
「遠慮すんな。奢るぞ」
 千乃はそれを聞いて「さすが!」「よ! とぐろ!」なんてはやし立てている。すっかり酔っ払いだ。
 そんな千乃の隣では、尊がムッとした表情を浮かべていた。だが千乃は気がつく由もない。
 気がつけば千乃は、尊の肩に寄り掛かり、ぺらぺらと饒舌に仕事に対する情熱やら、夢やらを語っていた。
 完全に悪酔いというやつだ。
「私はこれでも頑張ってるんれすよ。みんなを幸せにしたいって、思ってるんです!」
「いいぞ、高島」
「最高の仕事をして、家族に頑張ったねって、褒めてもらいたいの……ううっ」
 ついには泣き始めた。しかも尊の膝の上にごろんと寝転ぶ始末。
「え、た……高島さん?」
「どうせ私はダメな娘ですよ……」
「……」
 ぶつぶつと念仏のように愚痴る千乃の頭に、尊はそっと手を置いた。弱り切った千乃を慰めようとしたのだ。
 千乃はその温もりが心地よかったのか、ふにゃっと子どものように笑った。
「あ~あ、やだな。お見合いなんて……」
「え? お見合い?」
「お母さんが、お見合いして結婚しろって」
 尊ととぐろ先輩は、顔を見合わせる。
 するととぐろ先輩が、思い出したように言った。
「そういえばこいつ、こう見えてお嬢だった」
「そうなんすか?」
 普段の千乃からでは、想像できなかったのだろう。尊は目を見開き驚いている。
「このご時世にお見合いって。最悪だよ、まったく。でも結婚して子ども産んだら認めてくれるのかな……私のこと……」
 それだけ言うと千乃はスースーと寝息を立て眠ってしまった。
 そんな千乃を見つめる尊は、絶望を飲み込んだような顔で固まっていた。

 第二章 ワンコ系後輩、本性を現す!?

『どうして千乃はいつもそうなの』
『もっと女の子らしくしてちょうだい』
『またお母さんとお父さんの期待を裏切るのね』
 ごめんなさい、ごめんなさい。親不孝でごめんなさい。こんな娘でごめんなさい。
「高島さん?」
(私はダメな娘です。もう期待しないでください。お願いします)
「高島さん、大丈夫ですか?」
「え? あっ……!」
 急に意識が鮮明になり、慌てて飛び起きる。
「あれ? ここは? 家?」
(はぁ、よかった。ちゃんと帰ってきてたんだ)
「って、え?」
 だがすぐ、違和感を覚えた。なぜか手の自由がきかないのだ。
「すごくうなされてましたよ」
「御子柴くん!? どうしてうちに?」
 しかもどういうわけか、尊がベッドに横たわる千乃の隣に当たり前のような顔でいる。千乃の頭はますます混乱する。
(確かとぐろ先輩と御子柴くんと居酒屋にいて。それで……あれ、それからどうなったっけ? まずい記憶がない)
「すごく酔ってたので送ってきました」
 混乱する千乃を見て、尊がクスクス笑いながら言う。
「あの、ありがとう。それはすごく嬉しいんだけど、この手はどういうことかな」
 ネクタイで縛られた手をあげながら、おずおずと尋ねると、尊はけろっとした様子で口を開いた。
「逃げられないように拘束しました」
「へぇ~、拘束ね。わぁい、こんなの初めて……って、なんてことすんのよー!」
 慌てて突っ込みを入れる。お酒のせいで頭がズキズキするが今はそれどころじゃない。
 だがそんな声に動じることなく、尊は笑みを崩さない。
(なんなの、この状況。意味不明すぎる)
 どうして後輩にネクタイで手を縛られなきゃいけないんだ。全然理解が追いつかない。
 ここにいるのは、本当にあの尊?
「今すぐ解いてよ」
「嫌です」
「嫌って……何する気?」
(まさか変なこと考えてる? いやいや。おかしいおかしい。だいたい私たちはそんな関係ではない)
 それに、千乃はずっと尊のことを、草食系男子だと思っていた。女性からのお誘いはすべてお断りだし、むしろ興味がないのではないかとさえ。
 そんな尊がこんな真似をするなんて、天変地異の前触れか?
「あの、御子柴くん、いったん冷静になろう」
「俺はいたって冷静ですよ?」
「先輩を拘束しておいて何が冷静よ」
 抗議の目を向けながら言えば、尊は千乃を真っ直ぐ見たまま、意を決したように口を開いた。
「ずっと好きでした」
「え?」
「単刀直入に言います。お見合いなんてやめてください」
 きりっとした表情で千乃を見下ろす。こんな尊の男らしい表情、今まで見たことがなくて、千乃はごくっと息をのんだ。
「ほ、本気? いや、まさかね。だって私全然女らしくないし、仕事ばっかりしてるし……」
「本気です。冗談でこんなこと言いません」
「えっ……」
 こんなふうに、面と向かって告白をされたのは初めてで、尊を見つめたまま固まってしまう。
 付き合った経験はそれなりにあった。だがいつも、友達からなんとなく彼女に昇進。そんな経緯で付き合うことがほとんどだった。
 でも最後は振られることが多かった。理由は言わずもがな。
『千乃とは男友達といる感覚っていうかさ……。友達に戻ろうぜ』
 そんな類のセリフを散々言われてきた。軽くトラウマだった。
「今すぐお見合いはやめると電話してください」
「えっと、それはどうかな……もう進んじゃってるし」
「じゃあ、好きでもない男と結婚するんですか」
「ちょ、落ち着いて。まだするとは決めてないから。ね?」
 拘束された手で、今にも押し倒さんばかりの勢いの尊の胸をやんわりと押す。
 こんな必死な尊を今まで見たことがなくて、千乃は内心おろおろしていた。
 尊は仕事がどんな修羅場でも絶対に取り乱さないし、理不尽な納期を言われたって、顔色一つ変えない。そんな尊が千乃を想って半狂乱になっているのだ。これは予想外すぎる。
 しかも千乃は、尊の気持ちにこれまでまったくと言っていいほど気がつかなかった。
 なんだか途端に申し訳ない気持ちになり、頭を下げ謝った。
「ありがとう。気持ちはすごく嬉しい。それと、気がつかなくてごめんね」
「いえ。俺が臆病だっただけです。振られるのが怖くて、ずっと告白できませんでした。でも入社した時から好きでした」
「入社時から?」
 千乃と尊はこれまでずっと同じチームで仕事をしてきた。でもどこをどう切り取ったらそんな感情に行きつくのか、不思議でならない。
 いつも女を捨てた格好で仕事をして、平気で上司に噛みつくような女のどこに魅力を感じたというのだろう。
「理解できないって顔をしてますけど、俺は今でも覚えてますよ」
「え?」
「俺が会社で熱をだして倒れた時、高島さんが真っ先に駆けつけてくれた日のこと」
 そう言われ、千乃は記憶を遡らせた。
 確かあれは尊がまだ新入社員だったときのこと。現場は佳境で、誰もが血眼になって仕事をしていた。殺伐した空気が漂い、冗談も言えない状況だった。
 そんなとき、尊は課内で倒れた。ずっと我慢していたが、ついに限界が来てしまったのだ。
「御子柴くん!? 大丈夫?」
 デスクの下でうずくまる尊に真っ先に気づき、駆けつけたのが千乃だった。
 千乃は仕事を放り、医務室まで付き添うと、その足でコンビニに行き、飲み物や必要なものを買いに走った。
 そしてそれを尊に持たせタクシーに乗せると、言ったのだ。
「何かあったら電話してね。夜中でも出るから」
 そう言って千乃は尊を見送った。その姿は熱にうなされる尊の目に、女神のように映った。
 この時、尊は恋に落ちたのだ。つまり、恋に落ちる理由なんて、案外些細なことなのだ。
 それから千乃への想いは日に日に募っていった。
 だが臆病な尊は千乃に想いを告げられず、今にいたる。かれこれ、片思い歴二年といったところだ。
「すごく嬉しかったです。俺のために必死になってくれて」
「でも後輩がそんな状況になったら誰でも……」
「いえ。そんなことないです。とぐろ先輩は『俺にうつすなよ』とだけ言って、見向きもしませんでしたし」
「あー……」
(なんとなく想像できてしまう。とぐろ先輩は仕事命だもんな)
「俺はずっと高島さんを想ってました。それなのに、お見合いだなんて。俺でいいじゃないですか」
「待って待って、その前にこのネクタイはずして」
「嫌です」
「へ?」
「お見合いなんてしないって言いたくなるくらい、気持ちよくしてあげます。俺に夢中になればいい」
「それってどういう……?」
「高島さんを……いえ、千乃さんを抱きます」
「はっ!? だ、抱く!?」 
 思わず大きな声が上がる。どうしてそうなる? いや、意味が分からない。
 今が何時で何曜日かさっぱりわからないが、後輩とそんなことをしてはいけないことくらいわかる。
「ちょっと落ちつ、きゃ……んんっ!?」
 押し倒されたかと思ったら、ぬるっとした感触が口内に侵入してきた。
(嘘……! 御子柴くんとキスしてる!?)
「はっ、やぁっ……みこ、しばくっ……ンッ」
 舌をからめとられ、食むようにしながら何度も重ねられる。
 手を拘束されているせいで、押しのけようにも抵抗できない。
 それをいいことに、隙間なく千乃の中を堪能する。
「はぁっ……やっ」
「千乃さん、可愛い。美味しい」
 くちゃ、くちゅっと口内を荒らす音が部屋に響く。
 自分の部屋で、まさか後輩とこんなことをするなんて、千乃は想像もしていなかった。まさに青天の霹靂。
 そもそも上京して数年たつが、男性を部屋にあげたことすらないのだ。つまり、今から行われようとしていることも、学生の時以来。
 そのことに気がつき、無意識に体が強張る。だが尊はお構いなしに、千乃の服を剥いていく。
 シャツを捲り上げられ、色気のないブラが現れたところで、やっと唇を解かれた。千乃は慌てて言葉を紡ぐ。
「ほ、ほんとに、やめて、お願いだから」
「もっとしてっていうお願いなら、きいてあげますよ」
 言いながら着ていたシャツを脱ぎ捨て、千乃を見下ろす。ふわっと揺れた前髪の隙間から現れた目は、獲物を狙う雄の目をしていた。
 こんな尊、今まで見たことがない。色っぽくて迂闊にも喉が鳴った。
「着やせするタイプなんですね」
「んっ……」
 ふにふにとブラの上から胸を揉まれる。その感覚すら久しぶりすぎて、眩暈がしそう。
「やっ……あっ」
「可愛い声。ぞくぞくします」
 舌なめずりをしながら、身をよじる千乃をじろじろと眺める。その顔は普段の尊からは想像できないくらい、エロティックだ。
「最高のアングルだ。ここも美味しそう」
「あぁっ……くぅ、ンッ」
 ブラを強引に下げられると、尖った先端をちゅぷっと口に含まれた。ぞくぞくと快感がせり上がり、体が火照り始める。
 先端を見せつける様に熱い舌でしごかれる。千乃のなけなしの理性が徐々に奪われていく。
「はぁっ、あっ、あっ……」
「ここ、弱いんですね。可愛い」
「んんっ、やだ……っ」
 ちゅぱちゅぱと先端をしゃぶりながら、反対側も指で弾いたり、揉みしだいたりしている。
(ど、どうしよう……き、気持ちいい)
 まだ胸だけだと言うのに、感じてしまっている。頭が陶然としてくる。
 それに、すでに下がぐっしょりと濡れているのがわかる。
 あんなに拒否していたのに、しっかり感じてしまっている自分が恥ずかしくて、思わず膝をすり合わせる。
 すると、察した尊が千乃のズボンの隙間から手を入れ始めた。
「ま、待って! さすがにそこは……」
 紅潮した顔で、必死に首を振り訴える。これ以上はまずい。絶対に。
「しのごの言わないで、俺のものになってください」
「きゃっ!」
 腰に手をかけられ、ぐるんと視界が反転したと思ったら、一気にズボンを脱がされた。

(――つづきは本編で!)

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