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意地悪をやめない伯爵令息に記憶喪失のフリをしたら「愛してる」と言われました

「……ずっと可愛くて仕方なかった」

あらすじ

「……ずっと可愛くて仕方なかった」

伯爵令嬢イルザは事故に遭ったのをきっかけに、記憶喪失のフリをすることにした。日頃意地悪ばかりいう幼馴染のトビアスをギャフンと言わせたい!といたずら心に目覚める彼女。しかしそんなイルザに対して彼は「俺たちは恋人同士だった」「ただの幼馴染としてではなく、もっと君を知りたい」としれっと真顔で嘘をついてきて!?彼の企みを暴くため恋人として接することに決めた彼女だが、溺れるような愛と優しさに思わず胸がときめいてしまう――わたしたち、こんなに激しいキスしたの?恋する胸の高鳴りで貪欲になっていくイルザは、トビアスからの深く貪るような口づけを受け入れて……。

作品情報

作:猫屋ちゃき
絵:木ノ下きの
デザイン:RIRI Design Works

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8/16(金)ピッコマ様にて先行配信開始!(一部ストア様にて予約受付中!)

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第一章

 寝台の上に上体を起こしてから、どうしたものかな、とイルザは考えていた。
 元気でどこも悪いところなどないというのに、家族や使用人にきつく言われて、昨日から寝台を出ることを許されていない。
 とある嘘をついてしまったことにより、何だか面倒くさいことになってしまっているのだ。
 嘘をついたというのは、正確ではないかもしれない。だが、イルザが本当のことを言っていないのは確かだ。そのせいで、彼女自身を取り巻く環境はとても面倒なことになっている。
 イルザは一昨日、事故に遭った。
 といってもそこまで深刻なものではない。彼女を乗せた馬車が数日雨が降り続いてぬかるんだ道を走ったことで脱輪し、大きく揺れた車内でひどく頭を打ちつけてしまったというだけだ。
 しかし、打ちどころが悪かったことから意識を失い、目覚めたときには記憶の一部をなくしていたのである。
 医者の話では一時的なもので、少し時間をおけば記憶は回復するとのことだった。
 その見立ては当たっており、少し眠って目覚めたあとは、記憶の混濁はなくなっていた。
 それなのに、家族や使用人はイルザが記憶をなくしたと大騒ぎし、今回の事故のことはあっという間に周囲の人間たちに広がっていったのである。
 友人知人からは見舞いの品と手紙が届き、祖母からはイルザのこれまでの成長記録を簡潔にまとめたものと、育てるにあたって周囲の者たちがどれほど苦労したかを綴った分厚い書面を渡された。
 この勢いでは、数日内に心配した知り合いが屋敷に押しかけるかもしれない。そう考えたイルザは、早めに真実を打ち明けるべきであると思っている。
 思ってはいるものの、「長い時間起きていてはだめ。寝ていなさい」と言われ、誰も話を聞いてくれないどころか寝台からも出られないありさまだ。
 今だってきっと、誰かが様子を見に来れば、起き上がっていることを咎められるに違いない。
「はい、どうぞ」
 ドアがノックされたから、イルザは反射的に返事をしてしまった。ここは寝たふりをしておくべきだったかと後悔したが、仕方がない。
「お嬢様、お加減はいかがですか? お客様がお見えなのですが」
「あら。それなら支度をしなくてはね。私は元気よ」
「では、簡単にお召し替えを」
 部屋に入ってきたのは身の回りの世話をしてくれるメイドで、彼女がもたらした来客の知らせにイルザはうきうきした。寝台から出られるなら何でもいい。
「お顔色が優れませんが、仕方がないですね」
 昼用のドレスに着替えて鏡台の前に座らせられたイルザに、メイドが心配そうに言う。病気でもないのにずっと寝台にいさせられれば顔色も悪くなるわよ、という悪態が出かかったが、心配する周囲の気持ちも理解できるから黙っておいた。
 鏡の中に映るのは、金色の髪と緑の目が特徴の気の強そうな若い娘。寝ついていたおかげで少しだけしおらしい見た目になったかしら、というのがイルザの自身に対する評価だ。
「無理に顔色を作らなくていいわ。お客様も、私が一昨日事故に遭ったばかりなのをご存知なのだから」
 顔色が悪いのが〝薄幸の美女〟っぽさがあるなと、イルザは自身の今の雰囲気を気に入っていた。
 それに、心配して訪ねてきた客の前には、多少心配になるような見た目で現れてやるのも礼儀だろうと思ったのだ。
 化粧を念入りにしなくていいぶん、今日の支度は早く済んだ。
「どなたがいらしているの?」
 支度を終えて応接室に向かいながら、イルザは尋ねた。そういえば誰が来ているのか聞いていなかったことに気がついたのである。
「トビアス様です。すみません、お伝えし忘れていて」
「いいのよ。トビアス……」
 その名を聞いて、思わずイルザの眉間に皺が寄った。
 来客なら誰でもいいと思っていたが、彼は別だ。
 彼とはいわゆる幼馴染で、付き合いはとても長いのだが、正直言って仲がいいとは言えない。いつも突っかかってきたり、意地悪を言ってきたり、とにかく性格が合わないとしか思えないのだ。
 おそらく、事故の知らせを聞いて面白がりに来たのだろう。「脱輪したくらいで頭打って気を失うなんて、鈍くさいやつ」くらいは言われるかもしれない。彼が言いそうなことを思い浮かべるだけでイルザはムカムカしてきた。
 元気なときならいざ知らず、今は会いたくない人だった。喧嘩にならないためには言い返さなければいいのだろうが、彼の言葉をただ受け止めるのも、それはそれで心労が溜まるから。
「お嬢様……もしかして、トビアス様のことをお忘れなのですか?」
「え?」
 イルザがトビアスのことを考えて難しい顔をしたのを、メイドは彼を思い出せないからだと判断したらしい。
「申しわけございません……お嬢様はいつもトビアス様と軽快にお話をされるので、元気になられるかとわたくしどもは考えたのですが……」
「えっと、違うのよ! 思い出せないとかじゃなくて! というより、私全然記憶を失ってなんかなくて……」
 メイドの誤解を解こうとイルザが弁解を始めたとき、応接室のドアが勢い良く開いた。
 何事かと思えば、中からひとりの青年が飛び出してきた。なぜかその手に、大きな花束を抱えている。
「イルザ!」
 飛び出してきた青年――トビアスは、イルザのそばまでやってくると、流れるような動きで目の前に跪いた。
 そして、恭しく花束を差し出す。
「事故に遭ったと聞いたときは、心臓が潰れてしまうかと思った。無事でよかった……」
「あ、ありがとう……おっも」
 花束を受け取ったイルザは、その重さに思わずよろめいた。そのくらい、大きな花束だったのだ。
 すぐに気づいたメイドが花束を引き受けてくれたが、それだけではイルザの動揺は去らない。
 なぜなら、トビアスの様子がおかしかったからだ。
 いつもだったら彼は半笑いを浮かべた意地悪な表情でイルザを見てくるのに、今は不安に揺れた目をしている。そんな顔をする機能がついていたのかと、失礼ながらも驚いてしまった。
「記憶が一部ないと聞いたが……もしかして、俺のことを覚えていないのか?」
 とても真剣な顔でそんなことを聞かれて、答えに迷った。
 正直に打ち明けてもいいのだが、こんなふうに心配してくれたのが予想外で、もう少し反応を楽しみたい気もする。
 いつもいつもひどいことを言われているのだ。意趣返しくらいしてやったっていいだろうと思えてくる。
「実は……」
 イルザが目を伏せて言えば、彼があきらかにショックを受けたのが伝わってきた。そんな顔をするのかと思うと、少しだけ胸がすく。
 だが、悲しそうにした彼の口から飛び出した言葉に、イルザはまたも驚いてしまう。
「そうか……それなら、俺たちが恋人同士だったのも、覚えていないんだな」
「えっ」
「えー!?」
 イルザが驚いて発したのよりもさらに大きな声で、メイドが驚愕の声を上げた。びっくりしすぎて、イルザの代わりに持っていた花束を取り落としてしまっている。
「し、知りませんでした! お嬢様、そんなことはひと言もおっしゃってませんでしたので!」
「実は、ほんの数日前から付き合い始めたから、周りは誰も知らなかったのかもしれない」
 驚いて落ち着きをなくしているメイドに対し、トビアスはしれっと真顔で嘘をつく。どうやら、本当にイルザが記憶をなくしていると思っているらしい。
 驚きつつも、自分以上にメイドが驚いていることでイルザは冷静になってきてしまった。
 冷静になると、彼の目的が気になってくる。だから、ここで正直に記憶が戻っているのを打ち明けたら彼の目的を暴くことができないだろうと考え、黙っていることを選択した。

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