「俺と、結婚してくれない？」
あらすじ
「俺と、結婚してくれない？」
若くして起業し、自他共に認める整った美貌と高いカリスマ性を持つCEO・誠臣……の優秀な秘書である春未は、突然彼から求婚される。何らかの理由で、女性は等しく一夜の関係〝キング・オブ・独身主義〟らしい彼がなぜ？と困惑する春未であったが、訳を聞くと祖父の会社相続のため便宜上の妻が必要となったらしい。彼の性格を理解していてもなお高鳴る心臓を抑えて、彼女は誠臣に『婚約者から逃げてきた』過去を打ち明けた――が「構わないって言ったら、きみは申し出を受ける？」にっこり微笑むと彼は言った。「これからよろしく、俺の婚約者さん」
作品情報
作：長曽根モヒート
絵：浅島ヨシユキ
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１
「俺と結婚してくれない？」
その言葉を聞いて、邑田春未《むらた はるみ》は目をしばたたかせた。
数十秒前までは系列会社の懸案事項や今日これからの彼の予定を話していたはずだ。それはこの二年、春未がこの男性の秘書になった日からくり返されてきた日課で、いつもどおり「ほかに何かありますか？」と聞いて、返ってきた言葉がこれだった。
てっきり、いつもどおり「ないよ」と言われるものと思っていたのに。
「……すみません、何ですか？」
目の前の彼――赤地誠臣《あかち まさおみ》はこちらを見つめてゆっくりとくり返した。
「俺と、結婚してくれない？」
くっきり二重の綺麗な目、凜々しい眉、肉感的な唇と、片側を後ろに流して少し目にかかる長めの前髪一房。すべてが計算ずくの完璧な笑顔を浮かべる。真正面からこれを受けて心揺さぶられない女はいない。そうわかったうえでの微笑みだ。
彼の背後に広がる六本木の空は今日も晴れ晴れとしている。先日梅雨明けが発表されて、午前中にもかかわらず外の気温は三十度近くあった。けれど空調の効いたビル内はどこもかしこも涼しい。青々とした空を背に、彼の笑顔はさらにまぶしく輝いて見えた。
春未はついだらしのない笑顔を浮かべそうになり、奥歯をぐっと噛みしめて顔をしかめた。
いまは仕事中。雇い主の笑みにデレデレするのはプロの秘書らしくない。
「意味がわかりません」
「ええ？ こんなにわかりやすいことないだろ。プロポーズだよ」
「そうではなくて、そんなことをされる意味がわからないんです」
いったい何を考えているんだろう。春未は身を守るように、手にしていた仕事用のタブレットをぎゅっと胸に抱いた。
「つまり嫌ってこと？」
「それ以外ありますか？」
彼は春未が喜んで同意するとでも思っていたのか、こちらの反応に心底怪訝なようすだ。
気持ちはわかる。誠臣は自分が他人にどう見えているか、どう見せればいいかを熟知している男だ。どんな頼みごとであれ、女性に断られたことなどまずないだろう。
赤地誠臣という男は、百八十四センチという高身長とずば抜けて恵まれた美貌の持ち主だ。二十歳のころに立ち上げた会社――〈ＡＫ・ソフトウェア〉の名はすでに世界中に知れ渡っており、本人も天才プログラマーとして二十二歳のときにアメリカの権威ある雑誌で『最も影響力のある百人』に選ばれた。つまりイケメンの若き成功者なのだ。本人もそれを自覚していて、集まってくるゴージャスな女性たちと日々楽しくやっている。
そんな誠臣をこの二年近くで見てきた春未だからわかるけれど、彼は特定の誰かと真剣に付き合うようなタイプじゃない。彼の一番の関心は仕事で、その次が遊び。まるでロマンス映画のなかから飛び出してきたような美しく完璧な王子様に見えても、誠臣にとってセックスとは仕事で使いすぎた頭を休める息抜きのひとつに過ぎない。一晩ともにしたところで意味はないと春未は知っていた。もしそんな彼に一晩以上を期待して恋心を抱いてしまったなら、それはもう悲劇の幕開けなのだ。
春未自身、職を失いたくない一心で隠してはいるけれど、もうかなり前からその悲劇に足を突っ込んでいた。ほかの女性たちと違って、これまで一度も上司と一夜をともにすることはなかったけれど。
そんな〝キング・オブ・独身主義〟が急にプロポーズなんて、いったいどんな心境の変化だろう。前々から「結婚なんて死んでもごめんだ」と言っていたはずなのに。
春未は警戒しながら上司を見据えた。
「そもそも社長とは付き合っていませんよね？」
それどころか、会社以外で会ったこともなければ、下の名前で呼んだことすらない。どんなに魅力的な男性であろうと、彼がボスであることを忘れないために春未は常にかっちりとしたスーツを身にまとい、彼を〝社長〟と呼んだ。境界線を守り、立場を忘れず、自分の心と仕事を守るためだ。
「それが何か問題？」
大問題ですけど？
そう言いたくなる気持ちをぐっと堪える。
「いったい何があったんですか。急に結婚だなんて、理由を話してください」
誠臣は「とりあえず座って」とデスクの向かいにある一人掛けのソファを示した。春未はちらと腕時計を見やり、予定している会議の時間まであと二十分あることを確認してから腰を下ろす。
「週末、じいさんの葬式に行ったことは知ってると思うけど」
彼はデスクに両肘をつき口もとの前で両手を組んだ。
「はい、うかがっております。ご愁傷様です」
誠臣の祖父はここ数年入院していたが先日亡くなった。かなり高齢で持病もあったのである程度は覚悟していただろうけれど、彼の顔に一瞬沈痛な表情がよぎる。けれどまばたきひとつでもとの穏やかな笑みに戻った。
「そこで遺言状が開けられたんだ。財産のほか、じいさんが経営する会社の相続に関することが書いてあって、〝男孫のなかで最初に結婚したものに会社の経営権を与える〟って内容でさ」
「それで結婚、ですか。いったい何の会社なんですか？」
「小さい製造業だよ」
小さな製造業の会社を億万長者の誠臣が欲しがるとは意外だった。もしかしたら祖父の会社であることが大事なのかもしれない。これまで彼の口から家族の話は一切聞いたことがなかったけれど、する気もなかった結婚を決めるくらいだ。そのプライドから顔には出さなくても、きっとものすごく欲しい会社に違いない。
「ほかのお孫さんはなんておっしゃっているんですか？」
「男孫は俺以外に四人いるけどみんな未婚なんだ。それぞれ結婚願望がなさそうで〝このままだと赤地の血が途絶える〟っていうのがじいさんの口癖だったくらい。でもだからってこんな遺言にするとはね……」
その口調にはどこか苦々しい思いが混じっていた。
「幸いうち三人に相続したい意思はないんだ。海外赴任中だったり自分の店を持っていたりするからいきなり会社を任されても困るんだろう。でも一人はどうも金に困ってるらしくて、相続できるものは相続して一円でも多く金に換えたいと思っているようでね」
「社長はそうさせたくないんですね」
「ああ、したくない。じいさんが生前大切にしていた会社を金のために手放すなんてどうかしてる。だから、俺と結婚してほしいんだよ」
彼はどこか懇願がこもった視線でまっすぐに春未を見つめた。そんなふうに見つめられると、つい後先考えずに〝イエス〟と言ってしまいそうになる。
「でも、それならその方が手に入れたあとで、それなりの額を提示して買い取ればいいのでは？」
「ああ……そうできれば俺もよかったんだけどね」
歯切れが悪い。
「何をしたんですか」
「学生時代にあいつが狙ってた女の子がいて、偶然俺と会って……」
言いづらそうに視線を逸らす。
最悪。話が見えてきた。
春未が呆れたような表情を浮かべると、彼はあわてて手を上げた。
「別に何かしたわけじゃないよ。俺の顔がいいのは俺のせいじゃないだろ？ その子が面食いだったのも俺のせいじゃない」
まあ、たしかにそれは言えてる。春未がうなずくと、彼は幾分ほっとしたようだった。
「でもおかげでずっと恨まれてて、俺が欲しがってると知って俄然やる気になってるみたいなんだよ。金も手に入るし、俺にも意趣返しできるし、一石二鳥だろう？」
日頃の行いを見ていると自業自得と思えなくもないけれど、いまさら言っても仕方がない。春未はため息をついた。
「理由はわかりました。でも、だからって結婚だなんて……」
簡単に了承できる内容ではない。春未は思わず下唇を噛んだ。
春未にとって、誠臣はただのボス以上の存在だ。三年前、大した経歴も持たない彼女をこの会社に迎え入れてくれたのはほかでもない誠臣自身だった。
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