「いますぐ、僕の全部が君のものだって実感したいんだ」
あらすじ
「いますぐ、僕の全部が君のものだって実感したいんだ」
齢の巫女が、今際の際に予言を二つ残したそうだ。ひとつは、半年後に国を蝕む厄災が拡がること。もうひとつは、厄災の息の根を止める『白き獣』の存在――。愛猫の定期健診が終わり帰路についた夕莉は、突如現れた魔法陣に足を取られて異世界に召喚されてしまう。悲しみと不安で泣き出す彼女の元に、ルークと名乗る美男の魔術師が手を差し伸べ、監視役として一時的に連れ帰ることを約束。ひょんなことから、最強魔術師ルークと誤召喚された夕莉、そして『白き獣』ふくちゃんの甘々純愛共同生活が幕を開ける……!
作品情報
作:木登
絵:唯奈
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11月24日(金)ピッコマ様にて先行配信開始!(一部ストア様にて予約受付中!)
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プロローグ
人間、生きていれば一度や二度くらいは『人生やり直したい』と思ったりすることもあるだろう。
消えたい、誰も自分を知らない場所で生き直したい。
そんな風に思い詰める、辛い瞬間もあったりなかったり。
しかし大体のそれらは叶うことなく、地に足をつけて歩いていなければいけない。
責任感や迫る時間に背中を押されて、無理やりにでも一歩ずつ。
私にも立ち止まりたいときがあった。ここではないどこかに、行ってしまいたいときがあった。
――ただ、それはもう今じゃないのだ。
込み上げる吐き気と、頭に響く酷い痛み。
瞼《まぶた》を持ち上げる力もわかないほど、全身が激しい倦怠感に襲われていた。
「……ううっ」
少し身動きをしただけで、強烈な頭痛が稲妻のように私の脳天に突き抜ける。――小声で、ひそひそと何か話をする人の声がする。
それが耳に届いて、周りの状況を把握しようとようやく脳が働きだしていく。
頭が割れそうなほどの痛みのなか、目も開けられないまま。
同時に、この状況に至った経緯を思い出していた。
一章
私は、自宅のそばを歩いていた。
すっかり見慣れた景色、ここで初めてのひとり暮らしを始めてから二年が経つ。
駅からは離れ少々築年数は経っているけど、ペット可という魅力的な条件が備わるアパートが私、鹿目夕莉《かのめゆうり》のお城だ。
街路樹のそばにひっそりと咲いた花を見て小さな季節の移ろいを実感し、穏やかな風のなかにも変化を覚える。
どこに行っても混雑が避けられる、人の通りのない平日昼過ぎ。自分が平日に休みを取りやすいカフェの店員でよかった。
愛しの飼い猫、ふくちゃんの定期検診が終わり、動物病院で買った二キロ入りのペットフードと、六キロはある猫の入ったペット用キャリーを両手に持って緩やかな坂道を上《のぼ》っていく。
数ヶ月前、一方的に彼氏にフラれた。
彼は高校時代の同級生で、お互い社会人になってから再会した。そのまま勢いでつき合いだして一年目だった。
『夕莉とは友達の関係に戻りたい』
トークアプリで彼から送られた、突然の別れのメッセージ。
衝撃だった。彼とは相思相愛だと信じて疑わなかったから。
それに、学生ならともかく二十四歳にもなれば、ただの友達にもどるなんてことは難しいことだと予想ができた。
彼からのメッセージひとつで、私が淡く思い描いていた二人の将来は脆くも崩れ去ってしまったのだ。
メッセージを受けとった後すぐに会いに行ったが、彼は同じ職場で好きな人ができたのだと私に告げた。
私は話し合いを求めたけれど、彼の恋心は完全に他所《よそ》の女性に向いていることが痛いほどわかってしまった。
彼の表情や喋り方には、もう私にだけ向けられていた優しい愛はこもっていなかった。
彼が好きだからこそ、嫌というほどそれに気づいてしまったのだ。
消えてしまいたかった。新しい恋に目覚め輝く彼の前で、私はとても情けなくて惨めだった。
独りになって散々泣いて、そうして別れを受け入れた。
まだ心の傷は癒えてはいないけれど、最近やっと他のことに目を向けられるようになってきた。
彼とはやり直しができないことを受け入れ、人生の続きを歩む。
傷ついたままの恋心を忘れるために、毎日必要以上のパワーを使って生きていた。
ふと気を抜くと、まだ彼の顔がちらつく。
彼に抱いていた恋心は昇華したけれど、あのときの惨めな気持ちだけが、私の心にこびりついている。
じわじわと心を侵食する、失恋の傷を振り払うかのごとく、勢いをつけて坂道を上っていた。
……だからなのか、気付かなかったのだ。
ぐにゃり。アスファルトとは到底思えぬ、靴の底から伝わった奇妙な感覚。
とっさに下を見ると、足元が目も開けていられないくらい眩《まばゆ》く光っている。
魔法世界が題材の映画でみたことがある、地面に浮き上がったように光る魔法陣のようなものの端っこを……踏んづけていた。
「わ、な、なに!」
子ども用プールほどの大きさの魔法陣は、さらに光を強めた。
戸惑い、私が足を引こうとした時にはもう遅かった。足元がぬかるみ、ずるりと中に引き込まれる。
どぷん、音にたとえたらこう。ほんの一瞬の出来事だった。
誰かに助けを求める声を上げる隙もなく、あっという間だった。
どろりとした大量の泥の中に落ちたら、きっとこんな風に苦しいんだろう。
体や顔に何かが酷くまとわりついて、動けない。
もがくこともできず、パニックになりながら真っ暗ななかにずぶずぶと沈んでいく。
『死』の存在が、自分のすぐ目の前まできている。
わけのわからないまま……死にたくない。
(やだ、どうしよう、助けて、誰か!)
体は沈んでいく一方で、いつまでも底につかない。
……こんなに沈んでしまったら、這い上がるのは到底無理だ。
自分の人生が、わけのわからないところに落ちて終わるなんて思ってもみなかった。
きっともう誰も助けに来ることはできない。認めたくないのに、本能的にそう察してしまう。
(もう、本当にだめなんだ)
そう考え出すと、とうとう気持ちが持たなくなり、そこで記憶が途切れた。
遠のいた意識が、少しずつもどってくる。
今、自分が縦になっているのか横になっているのかはわからない。
頬に硬くて冷たい何かが当たっている。微かに動いた手で、その冷たいものに触れてみた。
ここは、さっき落ちた泥の底なんだろうか。
……あ、と気づく。息ができる。さっきまで、あんなにも肺が潰れそうに苦しかったのに。
すうっとひと息吸ってみる。空気が吸えることに、こんなにも感謝したことはない。
するとその空気のなかに嗅ぎなれない、不思議な匂いがした。
香辛料と香料を混ぜたような、何ともたとえがたい匂いだ。
(この香り、さっきまで一緒にいたふくちゃんに 悪い影響があったら……)
「……ふ……ふくちゃんっ」
そうだ、ふくちゃん! ふくちゃんを入れたキャリーはどうなったんだろう。
手を離した覚えはないから、一緒に落ちてしまったに違いない。
何であのとき、ふくちゃんが入ったキャリーをすぐに離れたところに放り投げなかったんだ。
けがをしてしまうかもしれなかったけど、得体の知れないところに一緒に落ちるより百万倍はよかったはずだ。
私は力を振り絞り、喉から声を絞り出した。酷い後悔の念に、押し潰されそうだ。
「ふくちゃん、どこ」
私の声に、ふと聞こえる人々の話し声のような音がぴたりと止まるが、そんなの今はどうでもいい。
子猫のころから耳の聞こえないふくちゃんは普段、私の呼び声に返事をすることはない。
だけど今はどうしても、その名前を呼び続けるのを止められなかった。
「やだ……ふくちゃん、返事して……お願い」
重い瞼《まぶた》を無理やりに持ち上げると、目の前にはぼんやりと石の床が見えた。そうか、私は横になって倒れているのか。
しだいにクリアになっていく視界に、私を囲みながらも距離を取っている数人の足元が見えた。
体はまだ起こせないので、頭だけをかろうじて動かしぐっと視線を上げる。
私を見ている人たちは、金糸で刺繍の細やかに施された美しい白いローブを頭から被っていた。
顔までははっきり見えない。けれど、皆男性だというのは彼らの体つきでわかった。
人々の向こうへ目を向けると大きな柱が見える。この部屋を支えるように何本も連なるそれは、すべてが乳白色の石の素材で造りあげられているようだ。
白い柱を照らしてゆらめき幻想的な雰囲気を醸し出しているのは、ロウソクの灯りだろうか。
冷たく静かで、自然の灯りがひとつもない。
この空間を例えるなら、ネットやテレビで見たことのある、教会の地下礼拝堂や聖堂に似ている。
少なくとも、私が暮らしていた国、日本ではない。まるで海外、中世か近代ヨーロッパのようだ。やっとの思いで上半身を起こすと、私のすぐそばにペットフードの袋が落ちていた。
それから、少し離れた場所にふくちゃんを入れたキャリーケースが転がっているのを見つけた。
「ふくちゃん!」
愛猫《あいびょう》の名前を呼び、起こした体を動かそうとするたびにあちこちに激痛が走る。
口からは呻《うめ》きが漏れ、体はまだ思うように動かない。
そんな私のそばを、さっきからうろつく人がいた。
私を助けようとしているのだろうか、大柄で目深く被ったローブからは表情は窺えない。
ただ、私におずおずと手を差し伸べようとしたと思ったら、すぐに引っ込めるのを繰り返している。
少なくとも、私が動けないことを理解して何かをしてくれようとしてくれているのはわかった。
周りの様子がまったくわからない今はきっと、大人しくしているのが一番の得策なんだろう。
だけど、私は我慢ができなかった。
「……ねぇ、ここはどこ? なんなんですか、一体!」
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