作品情報

初恋騎士団長の発情警報~えっちな植物の呪いのせいで治癒魔法士さんは毎晩大変です!~

「ありがとう。お前の初めてに、俺を選んでくれて」

あらすじ

「ありがとう。お前の初めてに、俺を選んでくれて」

 蒼黒騎士団の治癒魔法士メディリアと騎士団長のウォルドは、兄妹同然に育った幼馴染。メディリアは彼にずっと恋心を寄せているのだが、鈍感なウォルドは気づいてはくれなかった。
 だがある任務で謎の植物に襲われ、メディリアをかばったウォルドは小さな傷を負ってしまう。何とか退治はしたものの、その夜熱に浮かされた様子のウォルドがメディリアの部屋を訪ねてきて……

作品情報

作:蒼凪美郷
絵:紺子ゆきめ

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本文お試し読み

 

序章 これはきっと夢

「ムラムラするんだ、メディリアを見ていると……」
「え?」
 そう言われた次の瞬間、メディリア・エイドは逞しい腕の中に閉じ込められていた。
 彼の大きな身体には、小柄な自分の身体など容易く納まってしまうようだ。硬く隆起した厚い胸板が頬に押し付けられて、どくんどくんと鼓動が聞こえてくる。
 メディリア自身の分と、彼の分。まるで彼の強さを表すような力強い音が、メディリアの耳を打っていた。
 生まれて十八年、まさかこんな間近で彼の鼓動を聞く日が来るとは。
 信じられない気持ちになりながらも、メディリアの頭はこうなった経緯を思い出そうとする。
 確か──そうだ。一時間ほど前に彼から助けを求められて、慌てて駆けつけたのだ。
 それから、ああでこうでと今に至る。頭は未だ混乱の最中にあるようで、どうも記憶があやふやだ。
 メディリアが動揺してしまうのも当然だった。
 なにせ、ずっと昔から彼が好きだったのだ。幼馴染で、普段は「ウォル兄」と呼んで慕っているこの逞しい胸板の持ち主──ウォルド・ロルフのことが。
 立派な男になってくると言って故郷の町を出た彼を追いかけるくらいには、惚れ込んでいる自信があった。
 しかし、その気持ちを告げてしまえばウォルドを困らせるだけだと理解している。だからメディリアは彼への想いを隠すことに決めていた。
 気持ちを打ち明けてわざわざ関係を壊すようなことなどしなくていい。彼のそばにいられるだけで幸せだと、自分に言い聞かせて。
「メディリア……」
 だと言うのに、ウォルドが熱っぽく呼んでくるものだから困った。
 耳から溶かされてしまいそうなほどに甘い声が、何度も何度も鼓膜の中で蘇る。熱を孕んだウォルドの声が、こんなにも心拍に悪影響をもたらすものだったなんて知らなかった。思わず叫びそうな気持ちをメディリアはどうにか胸中に留めた。
 心臓はすでに苦しいくらい早鐘を打っている。しかし、ウォルドのおかげで余計うるさくなってしまったようだ。
 これ以上、鼓動が加速してしまったらきっと自分は死んでしまう。
 ──でも、彼の腕の中で死ねるなら本望かもしれない。そう思うくらいには、メディリアはずっとウォルドに恋焦がれていたのだった。
「メディリア……」
 甘くメディリアを呼びながら、ウォルドが身体を離した。
 しかし、それでもほとんど距離は変わらない。見上げればすぐに青空のような瞳に出会える。
 涼やかな印象を与えるブルーは、視線から溶かそうとしているのかと思えるほどメディリアを熱く見つめていた。
 熱を灯した青瞳の中に、金色の髪に翡翠色の眼差しをした少女がいる。
 こんな目で見つめられたら、期待で胸が震えてしまう。
 もしかしてあなたも、と。
「ずっと、お前が好きだった」
 そんなことを思った矢先に妄想を具現化したような言葉が落ちてきたものだから、メディリアは本格的に夢を見ているのかもしれないと思い始めた。
 熱烈な眼差しを向けてくる彼を、同じくらい熱く見返しながらメディリアは考える。
 彼の甘さを含んだ声に、熱の籠った瞳。それに、上気した頬。なんてリアルな夢を見ているのだろう、自分は。
 夢の中で何度も想像してきた言葉が、ウォルドの口から言い放たれたとは信じ難い。これは何か都合の良い夢を見ているに決まっていると、メディリアは確信する。
「メディ……」
 すると、今度は幼い頃からの愛称を甘く呼ばれた。メディ、と耳の中で何度も反芻しながら彼の声を鼓膜に溶かしていく。
 見つめ合っていると、徐々に距離が縮まり──直後、メディリアの唇に熱い感触が落とされていた。
 キスをされているのだと気付いて、メディリアは自然とウォルドの背中に手を回す。
 これが夢なら、いいやいっそのこと夢でもいい。
 夢は現実ではない。夢ならば、普段できないことも大胆にできてしまうから。初恋の人と初めてのキスという夢のようなシチュエーションも、思う存分味わっていいのだ。
 目を閉じながら、ウォルドの唇と柔らかに触れ合う。だが、経験のないメディリアはこれが初めてだ。ぎこちなく唇を開いてみれば、口腔内に入り込んだ熱い吐息に内側からあたためられているような気になった。
 ゆっくりと果実を齧るかのように、何度も繰り返し唇を食まれる。
 それがなんとも心地よかった。キスとはこんなにも気持ちがいいものなのかと初めて知った瞬間だ。
「きゃっ」
 これは夢なのだからどんな自分になったっていい──そんな気持ちでウォルドのキスに夢中になっていると、不意に身体が浮かび上がって驚いた。小さく悲鳴がこぼれ落ちる。
 メディリアはウォルドに抱きあげられていた。しかし、それでもキスが止むことはない。
「メディ……」
 熱く繰り返される口づけを、夢見心地で受け止め続ける。
 ウォルドはメディリアを抱えながらどこかへと向かっているようだった。キスの合間に感じる振動がそれを知らせていた。
 ガチャ、とドアが開く音がする。その数秒後にどさりとシーツの上に落とされた瞬間、メディリアはようやく夢から覚めた。
 ──これは夢なんかではない。断じてこれは夢ではない。
 生まれて初めてキスをしたことも、その相手が初恋の人だということも。それから、その相手からベッドの上に押し倒されているということも、全て。
 服越しに伝わってきたシーツの冷ややかな感触が、メディリアを現実へと戻させた。
(……え? ムラムラってそういうこと!?)
 覚醒した途端、脳内は困難に陥って忙しくなる。
 このあと自分の身に起きようとしている展開は、経験のないメディリアでも容易く想像できた。
 一組の男女がベッドの上、つまりそういうことである。あまりの急展開に思考が追いつかなくて当然だった。
「メディ……好きだ」
「ウォ、ウォルに、あの」
「好きだ。ずっと好きだった」
「……っ」
 だめだ、この急展開を止めるなど自分には無理だ。熱烈な眼差しを前にメディリアは早々に諦めた。
 自慢のプラチナブロンドの髪を優しい手つきで撫でられたなら、うっとりとしてしまう。ウォルドの大きな手は、メディリアへ安堵をもたらす存在だ。抗えないに決まっていた。
 もう、急展開だろうとなんだろうといい。
 これが本当に現実だというなら喜んで受け入れようと、再び近づいてきたキスの予感にメディリアはそっと目を閉じた。
(……ウォル兄の首筋に、こんな痣あったかな?)
 その直前、違和感に気付いた。
 ウォルドが着ているシャツの襟もとから、花のような形をした痣が覗いていたのだ。
 メディリアとウォルドは幼馴染で付き合いも長い。だから、こんな痣が昔からあったならとっくに把握しているはずだ。
 よく観察したいところではあったが、生憎そんな暇はメディリアに与えられなかった。
 何故なら、このあと控えているのは甘い抱擁の時間だからである。
(どこかで見たような気がするんだけど……)
 最近、どこかで見たような覚えがしながらも、降りてきた口づけに思考が溶かされて考えられない。
 しかし、どうにかそれを思い出そうと懸命に記憶を振り返った結果、メディリアはひとつだけ思い当たる記憶と再会することができた。
 それは今日のことだ。
 ウォルドが率いる蒼黒《そうこく》騎士団の仲間たちと、任務に向かった先でのことだった。

第一章 花のような謎の痣

 医務室の窓から空を見上げると、雲ひとつない見渡す限りの青が広がっている。
 冬が明けて春になり、気候も随分とあたたかくなってきた。冬眠から目覚めた獣たちも活発に動き始める頃である。
(今日もみんなが無事でありますように……)
 メディリアは青空に祈った。蒼黒騎士団の仲間たちが危険な目に遭わないようにと。
 新米であるメディリアは、まだ任務に出させてもらえない。だからいつも任務に向かう仲間たちを見送ったあとは、自主訓練や知識の蓄えに勤しみながら彼らを待つことにしている。
 仲間を率いているのは、この空に似た青色の瞳をしたあの人だ。
 頼れるあの人がいるから、正直心配はしていない。だが万が一、ということもあるだろう。
 任務の最中にとても危険なモンスターに遭遇していたら、きっと怪我をして帰ってくる。
 持たせられる限りのポーションや、あらゆる状態異常に対応する薬は持たせてあるが、足りなくなることだって考えられる。
 仲間たちが帰還したときに負傷しているようなら、メディリアが彼らを治癒してやらなければならない。
 メディリアは蒼黒騎士団の紅一点にして、唯一の治癒魔法士なのだから。
(あ……!)
 不意に、チリリンと軽やかな鈴の音が響き渡る。
 ポーションを調合するために薬草を擦っていた手を止めて、メディリアは医務室のドアを振り返った。
 この音は仲間たちが帰還したときに鳴るものだ。
 それが鳴ったということはつまり──。
(帰ってきた!)
 机の上を片付けることもせず、メディリアは急いでドアを開けて医務室を飛び出した。
 今日の彼らはポイズンワームの駆除のため、近隣の村へと赴いていた。だが、想定よりも帰りが遅く、心配していたところだったのだ。
 緊急通信がなかったということは危険に晒されていないということ──それは分かっているのだが、大切な仲間たちを心配するのは普通のことだ。早く彼らの無事を確認したい一心で、メディリアは急いで廊下を駆け抜けた。
 床を踏む度にきしきしと鳴る木目の廊下の先、玄関に青色の光が入り込んでいるのが見える。転移ライトの光だ。
 転移ライトとは、人のいる集落に必ず置かれている移動魔法装置だ。あまりに小さな集落だと置かれていないこともあるようだが、どこからでも世界各地に移動が出来るという優れ物である。
 蒼黒騎士団の拠点であるブルーハウスでは、玄関前に転移ライトを設置してある。玄関を開ければきっと転移を終えた仲間たちの姿があることだろう。
 玄関に辿り着いたメディリアが両開きの扉を勢いよく開くと、予想通り、青と黒を基調とした制服に身を包んだ男たちが存在していた。
 ざっと彼らの姿を見渡して、出発したときと同様の人数が揃っていることにほっと息を吐く。青髪の青年に、陰気な雰囲気の青年、それから中性的な美貌を持つ青年と、それから大柄な黒髪の男に目を留めて、メディリアは笑顔を作った。
「おかえりなさい!」
 すると、彼らの視線が一斉にメディリアへと集まった。
「ただいまです!」
 最初に眩しい笑顔で返事をしてくれた青髪の青年は、メディリアより半年早く騎士団へ入ったシャイネル・アーサーだった。彼の放つ矢は正確に対象を射抜く。時々外してしまうこともあるようだが、的中率は九割という頼れる弓士である。
「……ただ、いま」
 次に挨拶が聞こえてきたのは、ユユイ・スワドからだった。
 黒に近い濃紺色の前髪に覆われ、目元の見えない様相は陰気な雰囲気を醸す。
 しかし、戦闘になると雰囲気は一変し、華麗な双剣捌きを見せてくれる人だ。人は見かけによらないとは、まさに彼のことだとメディリアは思っている。
「ただいま。お迎えありがと、メディリアちゃん」
 それから、片方の瞳をぱちんっと閉じて笑顔を返してくれたのは、シズネ・ブランシュだ。美しい銀髪に紅色の瞳と彫刻のように整った顔立ち。見目麗しいこの彼が、蒼黒騎士団の副団長である。
 見た目に相応しく女性から多大な人気を集めている故かどうかは知らないが、少々軟派な性格だ。しかし、彼の多彩な魔法操作をメディリアは尊敬している。
 そして、最後。
「ただいま、メディリア」
 穏やかな微笑みをメディリアに向けてきた黒髪の彼が、総勢五名という小さな蒼黒騎士団を率いる団長──ウォルド・ロルフである。
 メディリアの幼馴染かつ、初恋の人だが、この場においてそれは関係ない。幼馴染だろうとなんだろうと、彼はメディリアの上司である。部下の顔を装って、メディリアはウォルドに話しかけた。
「予定より遅かったから、少し心配してしまいました。皆さん、怪我はありませんか?」
「ああ、大丈夫だ。問題はないよ」
「そーそー。まぁ、シャイネルがうっかりワームの棘に触れて毒を受けちゃってたけどね?」
「ああっ! そ、そんなカッコ悪いこと言わなくてもいいじゃないですか、シズネさぁん」
「え!? 本当に!?」
 シズネの一言に、シャイネルが眉根を下げて焦りだす。揺れ始めた黒目につられて、メディリアも大慌てだ。
 ポイズンワームは繁殖力が凄まじく、放っておけば農作物に食いついて枯らしてしまう。故に毎年のように駆除依頼が舞い込んでくるのだが、“ポイズン”と名がついているだけあり、背中に毒の棘を持っているところが厄介なのだ。
 生死に関わるほどの性質ではないものの、刺されると激痛が奔り、患部はあっという間にぶくぶくと腫れる。そして酷いと三日は寝込む高熱が出る。だからうっかり触れば痛い目を見てしまう。
「シャイネルくん、どこ? どこに毒を受けちゃったの!?」
「メ、メディリアさん、ちょ……っ!」
 そのことを知っているからこそ、メディリアは慌てたのだった。わたわたと焦るシャイネルをよそに、彼の腕を取り、制服の袖を捲り、患部はどこかと探る。
 刺された箇所は分かり易いくらいぷっくりと腫れあがる。なかなか見つからない患部に、シャイネルの腕を眼前にまでメディリアが持ち上げたときだった。
 メディリアを制すかのように、大きな手が頭の上でぽんぽんと跳ねる。
 振り仰ぐと、ウォルドがあたたかくメディリアを見下ろしていた。
「慌てるな、メディリア。お前特製の毒消しを持たせてくれていただろう? しっかり効果を発揮してくれていたから問題ない」
「あ、そうか! なら、よかったぁ……」
「それにシャイネルが刺されたのは尻だ」
「だだだだ団長!? メディリアさん、嘘ですよ!? 嘘ですからね!? 俺が刺されたのは、右の中指ですから!」
 ウォルドの冗談に大慌てになりながら、シャイネルが「ほら!」と言って右掌を広げて見せてくれる。彼本人の言った通り、中指には赤い点のような痕が見られた。
 本当だね、と笑いながらメディリアはシャイネルの中指をそっと握る。
 ベルトに差していた杖を抜き取り、杖先を彼の中指へと向ける。それからすぅっと息を吸ってから、メディリアは必要な言葉を引き出した。
「彼の者に癒しの奇跡を。“キュア”」
 メディリアの詠唱に合わせて、杖先の魔石から極々小さな光が現れ始める。小さな光はシャイネルの指の周りをそよそよと漂う。
 治癒魔法は魔力で細胞の再生を促し、元通りにするものだ。
 しかし、全てを元通りとはいかない。傷を長く放置すると、傷があるものとして身体が覚えてしまうそうだ。そうなると、どうにもできなくなってしまう。痕として、生涯残ってしまうのだ。
 シャイネルの点とした傷程度なら、本来は治癒魔法を使うほどでもない。
「はい、小さな痕だったけど念のため」
 時間にすればほんの数秒で治癒完了である。彼の指を包み込んでいた治癒魔法の光は、赤い点を綺麗に消し去っていた。
 シャイネルの手を解放して彼を見上げると、なぜかぼーっとした様子でメディリアを見つめていた。
「シャイネルくん?」
「あっ、あっ、いえ! あ、ありがとうございます!」
 メディリアが首を傾げると、シャイネルは我に返ったかのようにハッとしてからぺこぺこと頭を下げ始めた。
 シャイネルの大袈裟な反応を笑っているのだろうか。彼の後ろでシズネがにやにやと笑っているのが見えたので、つられるようにメディリアも口元を綻ばせた。
「でも、毒がすぐにどうにかなったのなら、遅くなったのはどうしてなんですか?」
「ああ。それはな──」
 メディリアの問いに、ウォルドがどこかへと視線を運びながら答えてくれる。
 青色の眼差しが向かった先を追いかけると、ユユイへ止まった。不意に注目を受けたユユイが、ビクッと身体を震わせてから肩を竦める。
 そんな彼の手には、全長三十センチはありそうな蛾の入った袋があった。艶やかな色彩の翅を持つ蛾で、その紋様は金粉をまぶしたかのように煌びやかだ。
 今日の任務内容とメディリア自身が持つ知識を掛け合わせた結果、すぐにピンと来た。
「これ、プルエラモスの翅? しかも女王サイズ、すごい!」
 それはポイズンワームが成長した姿のことだ。
 すべてのものがここまで大きくなるわけではない。数百匹に一匹のみ巨大に成長する個体があると言われており、それが半径数キロにも及ぶ地域一体に生息中の仲間を統率する女王となるのだ。
 メディリアが女王を目にするのはこれが初めてだった。その場で屈み込み、袋の中をまじまじと観察する。
「……シャイネルが、見つけた」
「蛹になっているワームが結構多かったんだ。それでシャイネルがこの密集具合なら女王が孵っていてもおかしくないかもと言い出してな」
 ポイズンワームの蛹は夜に孵化をするという。そこで念のために村長に許可を得て捜索をしてみたところ、女王がいるのを見つけたのだそうだ。
 幼虫時と違い毒の心配はないが、女王はたくさんの卵を産む。放っておけば来年の駆除量が凄まじいことになりかねない。
 よく見るとプルエラモスの胴体には穴が空いていた。そこから虫特有の緑色の血が流れている。
 この穴は矢が刺さった痕だろう。村で一番大きな木の上にいたということだが、シャイネルの腕前であれば高いところにいようと射貫けるはずだ。
 時々、外してしまうこともあるが。
「それで腹部に矢の跡があるんだ? さすがシャイネルくんだね!」
「い、いえ。そんな……はい」
 他に傷も見当たらないので見事一発で仕留められたのだろう。メディリアが手放しに褒めると、シャイネルはくすぐったそうな笑みを浮かべて頬を掻いていた。
「シャイネルの意見がなければ、見つけられなかった。この素材はいい金になるからな。おかげで、俺たちの懐も潤うぞ」
 ウォルドの言う通りである。売ったお金は我ら蒼黒騎士団のもの、つまり貴重な予算にできるのだ。
 実は蒼黒騎士団は設立からまだ二年ほどしか経っていない、新入りの騎士団だ。
 メディリアたちが住むクリスタニア王国には複数の騎士団が存在する。上級、中級、下級とランク分けがされており、メディリアたち蒼黒騎士団は当然ながら下級だ。
 基本的に任務は難易度や各騎士団の総合力を加味して、各ランク内で振り分けられる。しかし蒼黒騎士団は所属が五人と人数も少なく、大きな任務を任せてもらえることはほぼない。下ろされる予算も最低限だ。
 だから今回のように貴重な素材が手に入れられる機会は逃せない。任務時に得られたモンスターの素材は騎士団の所有として扱われるので、正規の手続きを経て売却をし、ちゃんと騎士団統括事務局へ申告をすれば予算に加えることができるのだ。
 プルエラモスの翅や鱗粉は加工すれば薬にもなる。見たところ頭の部分に崩れもないようだから、顎の部分も素材として売れる。しかも女王サイズだから、そこそこの値段になるだろう。
 貴重な財源の入手にシャイネルの手柄を褒めないわけにはいかなかった。
「だがまぁ、安易にワームに触れてしまったのは反省するべきところだぞ、シャイネル。メディリアが調合できるとはいえ、その素材もタダじゃない。俺たちにとっては薬も貴重なものなんだからな」
「うぅ……はい、すみませんでした。ウォルド団長」
 しかし、厳しいときは厳しく。それがウォルド団長である。
 だが、彼の説教は長く続かないことをメディリアは理解している。
 ウォルドが意地の悪そうな笑みを浮かべたのを見て、メディリアは胸の内でシャイネルへ「どんまい」と言葉を贈っておいた。
「というわけで、今回の報告書ならびに売却申請諸々は頼むな。シャイネル」
「ええ!? 報告書は団長のしご──」
「ちゃんと書かれてあれば誰が書いても平気さ。ああ、もちろん最終チェックくらいはしてやるぞ?」
 にこやかに笑うウォルドの前で、シャイネルはがっくりと項垂れた。
 シズネが明るく笑いながらシャイネルの肩を抱いて、彼を励ましながら一緒にブルーハウスへと入っていく。ユユイも静かに二人の後に続けば、その場にはメディリアとウォルドの二人きりとなった。
「ウォル兄」
 普段通りの呼び名で声を掛けて、彼と向き合う。
「ん? どうした、メディ」
 ウォルドもまた昔からの呼び名で向き合ってくれる。穏やかな眼差しに微笑みを返して、メディリアは彼の大きな手を取った。
「ウォル兄も人のこと言えないね?」
 それから、にやりと笑った。手に取った大きな手の甲を指先でトントンと叩き、その場所を示してみせる。
 大した傷ではなさそうだが、そこには数センチほどの切り傷があった。おそらくポイズンワームを駆除する際に、木の枝などで擦ってしまったのだろう。
 メディリアの指摘に、ウォルドがあははと笑いながら眉根を下げた。
「参ったな、バレていたか」
 ウォルドの苦笑に、メディリアはむっと唇を尖らせる。
「心外だなぁ、私に隠せると思ってたの?」
 メディリアはむくれながらも、先ほどシャイネルにしたように杖を添えて詠唱する。間もなく現れた治癒魔法の光が、ウォルドの手の甲にあった傷を綺麗に癒した。
「ウォル兄の怪我を治すのは、私でしょ?」
「……そうだったな」
 メディリアが手を離すと、癒しを施したばかりの手がメディリアの額のすぐ上あたりに置かれる。
「ありがとな、メディ」
 優しい手つきがメディリアの前髪を撫で始める。笑っているのに、ウォルドの眼差しはどこか申し訳なさそうに見えた。
 メディリアの額には傷がある。彼の指先はおそらくそれを捉えているのだろう。
 十字型のこの傷をメディリアが負ったのは当時八歳のことで、今も消えていないのは治癒が間に合わなかったからだ。
 ウォルドの眼差しはメディリアを見ているようで見ていない。遠い過去を見ているのだと思うと、ちくりと胸が痛む。
「おーい! なーにやってんの」
 遠くから掛けられた声に、メディリアの額から弾かれたように大きな掌が離れていく。
 声がしたのはブルーハウスの入り口のほうだ。シャイネルは一足先に奥へと入っていったらしく、少し古びた景観の玄関内にシズネとユユイの二人が立っていた。
「そんなところで良い雰囲気作ってないで、中に入ったらー?」
 シズネがにやにやと笑いながら言う。彼の横にいるユユイの表情は分からないが、もの言いたげな様子でこちらをじっと見ているように思った。
 ──ああ、またからかわれてしまった。
 メディリアとウォルドが幼馴染であることは、騎士団内において周知の事実だ。
 幼馴染だから、メディリアとウォルドだけの空気感があってもおかしくはないだろう。シズネの目から見てメディリアたちが良い雰囲気に見えたというなら、それのせいだ。
「もう、シズネさんってば! 私たちはそんなんじゃありませんから!」
 しかし、自分で否定しておきながら、少しだけ虚しく思ってしまう。
 メディリアの想いは一方通行だ。決して交差することはない。ウォルドにとって自分はただの妹的な存在でしかないと分かっているし、──そもそもだ。
 ウォルドがメディリアに優しいのは、額の傷に負い目を感じているせいなのだから。

 メディリアとウォルドが幼少期を過ごしたのは、転移ライトもない小さな町だった。王都から普通に歩いて移動しようとすれば、五日もかかる場所にある。
 メディリアもウォルドも、物心ついたときにはもう孤児院で過ごしていた。
 ウォルドは孤児院の子どもたちにとって、頼れる兄のような存在だった。面倒見もよく優しい彼は、メディリアを筆頭に子どもたちからとても慕われていたのだ。
 だが、不良とまではいかないものの、当時のウォルドはやんちゃだった。
 孤児院の子どもは時々冷たい差別を受けることがある。
 子どもが孤児院へ身を寄せる理由は様々だが、大体が仄暗い事情であったりするし、服はまず新品を着る機会に恵まれない。分け与えられた古着を着ていることがほとんどなので貧相に見えてしまう。差別される原因としてはそれらだ。
 ウォルドはそういったことが許せなかった。町の子どもからからかわれて石を投げられれば、相手が年下であろうと投げ返し、孤児で貧乏だから盗みを働いたといちゃもんをつけてきた相手に殴りかかることもある。少々──いや、割と喧嘩っ早い人だったのだ。
 そんなことを繰り返していれば、当然怪我もする。その怪我の手当てをしていたのがメディリアだった。
 メディリアの治癒魔法は、町の治癒魔法士から教わったものだ。
 さすがに骨折などの大きな怪我まで癒せる魔力を当時は持っていなかったが、ウォルドが腕っぷしの強い若者だったため大怪我を負うことはなかった。しかし、殴られて切れた口端や青痣などの小さな怪我を作ってくるので、いつしか自然と彼の怪我を癒すのがメディリアの仕事になっていたのだ。
「ウォル兄の怪我は私が綺麗に治してあげるね」
「ああ、いつもありがとな。メディ」
 だから、メディリアとウォルドは一緒にいることが多かった。
 ウォルドから優しい笑みを向けられると、淡い恋心が刺激されてあたたかな気持ちが胸に広がる。メディリアはそのあたたかさを感じたいがために、皆で食事をするときはさりげなく隣を確保するなどいじらしいことをしていた。
 その頃から本当にウォルドが大好きだったのだ。強くて優しい彼の役に立てることが心から嬉しかった。
 事件が起きたのは、ある秋の日のことだった。
 子どもたちで食料の買い出しに出かけていた最中、メディリアは町の不良によって路地裏へと連れ込まれてしまったのだ。
 この不良はかつてウォルドによって成敗された人だった。孤児院の子どもに窃盗の罪を着せようとした上に失敗し、自分の悪事を暴かれ町を出ざるを得なくなったことを恨んでいたらしい。自業自得だというのに。
 一緒に買い物当番をしていた子から話を聞いたのか、ウォルドはすぐにメディリアを助けに来てくれた。
 だが、その場にはメディリアという人質がいる。
 メディリアを盾にされ、その結果、ウォルドは不良たちから殴る蹴るの暴行を受けることになってしまった。
 うずくまった姿勢で無抵抗に殴られる彼を見て、メディリアが何度やめてと泣き叫ぼうと不良たちの手は止まらなかった。それどころかどんどんと過激になっていっているようだった。
 一人が棒きれを手にしたのを見て、メディリアの頭は真っ白になった。無我夢中で拘束を振り解き、走って──ウォルドの前に。
 気が付いたときにはもう、事はすべて終わっていた。不良たちの姿はもうなく、メディリアはウォルドの腕に抱えられていたのだ。
 額はずくんずくんと鈍く痛み、生ぬるい温度を持った血液がどくどくと流れ落ちていく。その血を押さえようとしているのか、ウォルドの大きな掌がメディリアの額を押さえていた。しかし、肌が薄く血管が多く通っている頭部の傷を手で止血をするなんて無理だろう。
 このとき運の悪いことに、町の治癒魔法士は他の町へ出張していたために不在だった。
 遠方の相手と急遽連絡を取る術など当時はなく、手当の道具を手に入れようと思っても陽はとっくに落ちて、薬屋はもう閉まっている。開いていたとしても、お金を持っていないので買えなかっただろう。
 唯一の救いは、院長に医術の心得があったことだ。傷を縫ってもらったことで血は止まったが、傷痕はメディリアの額に一生残ることになった。
 ──ごめんな、俺のせいで。
 このときのウォルドの声を、メディリアは今でも覚えている。苦しそうで、悲しそうで、痛ましい。喉の奥から懸命に振り絞って出された声を忘れられないでいる。
 ウォルドが変わったのは、それからだ。急に勉強に励むようになり、孤児院の子どもが誰かにつっかかられても、暴力は振るわず言葉で対応するようになった。
 そして、メディリアを時々申し訳なさそうな眼差しで見るようになってしまった。今まで通り優しいのは変わらないが。
 額の傷に対して負い目を感じているのだとすぐに気付いた。自分がウォルドを庇いたくてやったことなのだから、そんなもの感じる必要などないというのに。
 ウォルドは優しい。だから、自分がやったことではないとはいえ、自分が原因で一生残る傷を女の子に作ってしまったことを深く気に病んでしまうのだ。
 皆をしっかりと守ってやれるような立派な男になってくる。そう言ってウォルドが孤児院を出たのは、メディリアが十歳で彼が十八歳のときのことだ。あの事件からちょうど二年が過ぎようとしていた秋の日だった。
 自立したあともウォルドは変わらず努力をし続けたのだろう。
 二年間みっちりと学舎で勉学に励んだあと、クリスタニア王国四大騎士団と呼ばれるうちのひとつ、月光騎士団への入団を果たし、それから四年という異例の速さでし少人数ながらも一つの騎士団を任されるまでに至ったのだから。年々増えていく孤児院への仕送りが彼の努力を物語っていた。
 ウォルドの出世を後押ししたのは、西のベヒーモスと北のアイシクルドラゴンの討伐任務だそうだ。その二つの大きな任務で活躍したことが評価されたのだという。
 その知らせを受けたとき、メディリアは心から彼に尊敬の念を送った。
 だが、その反面で心配もしていた。たくさんの努力をしてきた分だけ無理をしていないか、怪我をしていないかと。
 月光騎士団に所属していたのだから、それまでは優秀な治癒魔法士がついていたのは分かっている。
 しかし、これからは誰がウォルドの怪我を癒すのか。新設された騎士団へ、早々優秀な人材が入団することはないだろう。
 それを思ったら急に不安になってしまった。ウォルドのそばにいるのが自分ではないことを、メディリアは唐突に嫌に思ったのだ。
 ウォルドのあとを追いかけて、彼が率いる蒼黒騎士団へ入団をする。メディリアがその決意を固めたのは、彼が孤児院を出てから六年が過ぎた夏の夜だった。
 メディリアは、ウォルドの傷を癒すのは自分だという一心で治癒魔法士になったのだ。

 ◆ ◆ ◆

 本日もまた晴天だった。
 まだ太陽は天辺にまで昇りきってはいないが、陽射しは充分にあたたかい。木の間から差し込む陽気が、ぽかぽかと心地よい温度で身体をあたためてくれている。
 周囲の木々は淡いピンク色の小花をその枝に咲かせていて、すっかり春の景色である。
 こんな天気の日には、仲間たちとピクニックに出かけられたら楽しそうだ。
 普段のメディリアであれば、そんな想像をしていたことだろう。
 しかし、今のメディリアは景色を楽しむ余裕もないほどに緊張している。前を歩くウォルドがこちらを振り返って苦笑した。
「メディリア、そんなに硬くなるな。今回は調査だけだと言ったろう?」
「わ、わ、分かって……るんです、けど……!」
 羽織っているローブの合わせを杖とともにぎゅっと握り締める。がちがちに身体を強張らせながら歩くメディリアに、ウォルドが気遣いの言葉を掛けてくれても緊張は解けそうにない。
「ここは王都のはずれだが、モンスターの目撃情報はこれまでにない。万が一があっても俺たちがついている。気負わず、いつも通りにやってくれればいい……とはいっても、初の任務だから緊張するのも無理ないか」
 そう、入団から早半年。メディリアもとうとう任務に同行する日が来たのである。
 これまでは任務の内容に合わせてメディリアが調合した薬を必要分だけ持たせるか、他から治癒魔法士を派遣してもらっていた。だが、そろそろ実戦経験を積んでもいい頃だということで、メディリアはウォルドたちと一緒に王都の端にある森を訪れていた。
 前をウォルドとシズネが、真ん中にメディリアとシャイネル、そして後ろにユユイという隊列で歩いている。
 だが、今日は討伐が主な内容ではない。ウォルドが言った通り、戦闘になる心配はほとんどないということだ。
 それでも可能性はゼロではない。いざというときにちゃんと立ち回れるかどうかが不安で仕方がなかった。
「まあ、内容が内容だしねー。呻き声の主が人じゃなくて、ゴーストっていう可能性もあるしー?」
 シズネが言い放った単語に、メディリアはますます身を硬くした。
「ゴゴゴ、ゴースト!?」
「シズネ、メディリアを怖がらせるな」
「そう言うウォルドも怖い顔で睨んでこないでよ」
 ウォルドに咎められたシズネが肩を竦める。一体どんな怖い顔をしているというのだ。ウォルドの顔はもう前を向いていたのでメディリアからは見えなかった。
 今日の任務内容は町はずれにある廃墟の調査だ。
 メディリアたちが現在歩いている森は近隣の住民がよく訪れる場所らしいが、なんでも奥にある廃墟から呻き声が聞こえてくるという通報があったのだ。それも複数も。
 近年、隣国ディアンディの情勢悪化に伴い、密入国者が増加の傾向にある。それに併走するように人身売買も横行している。ウォルドの見立てでは、呻き声の正体は密入国者か人身売買の被害者のどちらかではないかということだ。
 しかし、場所が場所なだけにゴーストがいる可能性もあるのかと、シズネの発言にはハッとさせられた。
 ゴーストとは、生き物の魂が生の未練を忘れられずに怨念と化してしまったモンスターのことだ。負の感情が溜まりやすい陰気な場所や、悪い噂が集中している場所に出現すると言われている。
 今回の廃墟という場所を考えれば、ゴーストが存在してもおかしくはない。メディリアはまだゴースト系のモンスターとの遭遇経験はないが、できれば一生出会いたくないと思っている。なにせ死体に憑りついて操るという情報もあるのだ。絶対に遭遇は避けたい。
「…………廃墟は、ずっと昔からある。ゴーストがいたら、とっくに退治されてる」
 後ろからぼそぼそと聞こえてきた声に、メディリアは希望を持って振り返った。
「ほ、本当ですか、ユユイさん……?」
「そそ、そうですよメディリアさん! ゴゴーストなんて、こんな、お、王都にいるわけが、あはは!」
 どうしてか隣のシャイネルが声を震わせていた。明るく笑ってメディリアを励まそうとしているようだが、ぎこちない笑顔では説得力がない。
「もしかして……シャイネルくんも怖いの?」
 メディリアの問いかけに、シャイネルが「うっ」と呻く。
 どうやら図星のようだ。
「……小さい頃に、故郷でゴースト騒ぎが起きたことがあって……実はそれから……はい」
「そ、そうなんだ……それは怖かったね……」
 幼少時にゴーストと遭遇とは、なんと不運な。相当おそろしい記憶だったのか、途端に弱々しくなった笑顔からそれが窺える。幼少のシャイネルに同情しないなんて無理だ。
「……でも」
「ん?」
「俺ももう騎士になったからには、ゴースト相手だろうと射貫いてみせます」
 ゴーストに物理攻撃が効くのかどうかはさておき。
 前を向き直したシャイネルからは真剣な空気を感じた。メディリアは首を傾げながら、隣を歩く彼を見上げた。
 すると、ぱっとまたこちらを振り向いたシャイネルが、何かを決意したような瞳でメディリアを見る。
 真っ直ぐな黒色の眼差しを受けて一体どうしたのだろうと思ったとき、シャイネルが再び口を開いた。
「だから、万が一のときには俺が絶対にま」
「二人とも、そろそろ静かに。もう着くぞ」
 言葉を遮ったウォルドの声に、シャイネルの声がごにょごにょと萎んでいく。ウォルドの隣ではシズネが何故か肩を震わせて笑っていた。
 ウォルドの言った通り、目的地である廃墟の姿がメディリアの目でも確認できた。石造りの建造物で、遠い昔の原住民が住居として使っていたものだそうだ。遠目から見ても少し朽ちかけているのが分かる。
 薄暗い森の中に佇むその廃墟は、ゴーストがいてもおかしくなさそうな雰囲気を醸していた。
 とうとう本番がやってきたと、メディリアは気持ちを引き締める。シャイネルと話しているうちにどうやら緊張が解けていたようだ。
「ありがとうシャイネルくん。緊張を紛らわせようとしてくれて」
 隣にだけ聞こえるように声を潜めて伝えると、シャイネルはどうしてか微妙な顔になって「ああ、いえ……はい」と頬を掻いていた。
「ユユイ、先行して周囲を探ってきてくれるか」
「……御意」
 廃墟を目前にして立ち止まる。ウォルドの指示に、メディリアの後ろを歩いていたユユイが静かに駆け出した。ユユイは存在を消すのが得意で、先行しての視察をよく任されているそうだ。
 ユユイが廃墟の周囲を探索している間に、メディリアたちも段取りを再確認するためにその場で輪になった。
「まず、俺とシズネが中に入る。中の安全が確認出来たら、続けて入って来てくれ」
「はい」
「了解です」
 淡々と確認を続けるウォルドの横顔を盗み見る。
 昔から身体が大きく逞しかったが、騎士団に入ってからより磨きがかかったように思う。
 どこからどう見ても胸板が厚くなっている。当時は幼かったのをいいことにメディリアが甘えていた彼の胸元は、あの頃より間違いなく肉厚な感触がするはずだ。
 元々力強さを備えていた腕だって、一回りほど太くなっている。鍛えられた筋肉が隆々としているのが、ぴっちりと彼の腕を覆う袖の様子から伝わってくる。
 当たり前ながら身体は現在制服の下に隠されてしまっているが、間違いない。ウォルドを見る自分の目に狂いはないとメディリアは自負している。
 再会したときは本当に驚いた。精悍な顔つきは昔よりも男らしくなり、数段にも跳ね上がった格好良さには卒倒するかと思ったものだ。
 実はウォルドが孤児院を出て行ってからのやり取りは、全て手紙だけ。つまり、メディリアが蒼黒騎士団に入るまで一度も顔を合わせてこなかったのだ。
 その期間は約八年になる。ウォルドを驚かせてやろうと王都へ出たことも秘密にし、その間のやり取りはすべて孤児院を経由するという徹底ぶり。これも院長が快く協力してくれたおかげである。
(……本当、立派になったなぁ)
 異例の早さでの出世に一部からは妬まれているそうだが、ウォルドの人望を慕う人は多い。
 学生時代はどうだったか知らないが、孤児院の頃と変わらずだったとすれば、優しいウォルドに憧れを抱いた女性もきっと多いはずだろう。
 絶対に恋人の一人や二人はいただろうと思うと、正直離れていた八年を心苦しく思う。
 ウォルドも年頃の人だから、恋人がいてもおかしくはない。しかし、でも──と思ってしまう。
 上京を秘密にすることを決めたのも、気持ちを隠すと決めたのも、全部自分自身だというのに恋心というのはなんて我儘なのか。
「メディリア?」
「あっ、はい!」
 つい、ぼーっとしてしまった。ウォルドに呼ばれてメディリアは慌てて返事をする。
 まだ緊張していると思われているのか、ウォルドにやれやれといった風に笑われてしまう。
「要救助者がいたら、お前の出番だ。あの頃より強まったメディリアの治癒魔法を俺に見せてくれ」
「はい!」
 ぼんやりしている場合ではないと、力強く頷いて見せた。するとウォルドの眼差しがふわっと和らいで、メディリアへと柔らかな微笑みを向ける。
「頼んだぞ」
 続いて、メディリアの頭の上で大きな掌が優しくぽんぽんと跳ねた。
 じわり、と胸の奥があたたかくなって、押し隠していた気持ちが暴れ出す。──好き、大好きと今すぐ叫べたらどんなに気持ちいいだろう。我慢していないと言葉になって飛び出しそうな想いをせき止めるように、メディリアはそっと息を吐く。
 昔よりも魔力所有量は格段に増えた。背や胸だけは大きくなってくれなかったが、今のメディリアにはどんな怪我でも癒せる大きな自信があった。
 相手がもし衰弱していても大丈夫だ。メディリア特製の薬一式を、腰に提げたポーチいっぱいに詰め込んである。
 準備は万端だ、ウォルドの期待にきっと応えられるだろう。
 想いは告げられなくても、彼のそばにずっといたいから。
「移動するぞ」
 廃墟の影からチカチカと小さな光が瞬いている。ユユイから送られた合図に、メディリアたちは廃墟へと近づいた。
 段取り通りにまずウォルドとシズネが侵入し、二人の指示を待ってからメディリアもシャイネルと共に後へ続いた。ユユイは引き続き周辺の調査をすることになったため、別行動だ。
(なんの植物かな、これ……?)
 外はなんの変哲もない廃墟に見えたが、中は植物の根か蔓と思われるものが床を這っていた。
 植物以外の存在は感じられない暗い空間。空気は少し湿っているのか冷ややかだ。
 不意にシズネの言った冗談を思い出して、背筋がぞくぞくと震える。当の本人は足りない明かりを補うために、手元に光を灯していた。光は彼の小指にある指輪から現れ、輝くような銀髪を闇の中に浮かび上がらせる。
 基本的にメディリアたち魔法士は、魔石が嵌められた魔法具を装備する。メディリアは杖で、シズネは指輪で、魔石は魔法となって放出される魔力量を調整するためのものだ。
 シズネが灯した明かりのおかげで中がよく見えるようになったことで、床を這う植物の根たちが二階のほうから伸びていることに気が付いた。
 ──……う……っ、ぁ……。
 そのとき微かに漏れ聞こえてきた呻き声に、メディリアはぞくりと肌が粟立つのを感じた。呻き声はどうやら二階から聞こえてくるようだ。
 通報にあった通りの状況に恐怖を覚えないわけがなく、この呻き声の主が冗談ではなく本当にゴーストだったらと思うと正直恐ろしい。だが、住民の安全を護る為に来たのだから歩みを止めることはできない。
 部屋の端にあった階段へ向かって進むウォルドたちの後を、メディリアは懸命についていく。
 明かりを持ったシズネが先導し、続いて階段を昇ろうとしていたウォルドと目が合った。彼の口がぱくぱくと動いて、メディリアに何かを伝えようとする。
 ──俺がいる。
 声なき声がしっかりと耳に届いて、心強さに包まれる。
 小さな頃からずっとそうだ。何かあるとウォルドはいつもそう言って安心させてくれる。
 だからメディリアもそんな彼に応えたいという気持ちになるのだ。小さな頃と違って守られてばかりではいられない。自分だって彼を守れる人になるのだと。
(うん、大丈夫!)
 ウォルドに力強く頷きを返すと、青い眼差しが柔らかくなったのが分かった。
 彼がいるという安心感に包まれながら、メディリアも後に続いて静かに階段へ足を掛ける。
 一段一段と二階へ近づいていくほど呻き声もはっきりと聞こえてきた。そうすると、もうひとつ別の事実が露わとなった。
 呻き声はひとつではなかった。複数の声が折り重なるように聞こえてきていたのだ。
 階段を昇り切ると、その先でも植物が床を這っていた。それを辿るように奥へと歩みを進めていく。行き着いた先でメディリアたちはびっしりと根や蔓に覆われたドアに出会った。
 呻き声はドアの向こうから聞こえてくる。ウォルドとシズネがうなずき合ってからドアの両側に立った。
 ウォルドの手が腰の鞘に掛けられたのを見て、メディリアも覚悟を決める。
 錆びたような音を立てながら、ウォルドとシズネの手によってドアが押し開かれていく。
 その先に広がっていたのは異様な光景だった。
 シズネの持つ光によって照らし出されたのは、ドアと同様に植物がびっしりと生い茂った床や壁。それからこの部屋の主とでも言いたげに鎮座する巨大な花だった。
 花は真っ赤な花びらが折り重なったような形状でローゼの花にそっくりだが、花を支える太い花枝には棘がない。新種の花だろうか。
「ン……う、あぁ……」
 呻き声が壁際のほうから聞こえてきて、メディリアはそちらに目を向ける。そこで三人の女性が倒れていた。
「大丈夫ですか!?」
 要救助者と思われる人の発見に、メディリアは慌てた。早く助けなければという思いに駆られ、ウォルドやシズネたちよりも早く部屋へ足を踏み入れる。
「メディリア!」
 何かに焦っているような激しい声がしたのは、その直後だ。ウォルドの声にメディリアは背後を振り返った。
 すぐ近くで、しゅっと風を切る音が鳴る。振り返った先で床の植物を踏み荒らす足音が立った。
 ウォルドが走り出してきていた。その足先はメディリアのほうに向けられている。
(え……っ)
 何が起きているのか分からないままに、メディリアはウォルドの身体に覆い込まれていた。彼の首後ろを掠めるように緑色が奔っているのが見えたその直後に、もう一度風切り音が鳴る。それからダンッと床を打つ音が響いた。
 ウォルドに抱き込まれながら床を転がり、起き上がったメディリアはそこにあった光景に言葉を失った。花から伸びてきたと思われる蔓が、矢によって床に留められていたからだ。
「まだ来ます!」
 びゅんっと放たれた矢が別の蔓を裂いた。
 シャイネルが戦闘行動を取っていることで、メディリアは改めて巨大花のほうを見やった。
 大きな花が閉じたり開いたりを繰り返している。その様子をメディリアの目には、まるで呼吸をしているように映った。
 巨大花には意思があったのだ。それも人を襲おうとする意思の──つまり、あの花がモンスターであることを察した瞬間、頭の先から血の気が引いていく思いがした。
「シズネ、蔓を焼き払え!」
 起き上がり様にウォルドが剣を振り、こちらを目掛けて伸びてきた蔓を払う。ぱらぱらと蔓の欠片が頭上から降り注ぐ中、メディリアは茫然としていた。
(──私、どうしよう……!)
 完全にメディリアの不注意だった。その挙句、ウォルドたちを危険に晒してしまった。
 庇われた際にウォルドが怪我を負っていたとしたら、自分のせいだ。
 もしも花が毒を持っていたらどうしよう。そうしたら早く薬を、早く治癒をしなければ。
 自身の失敗を察したメディリアの頭は混乱していた。
 ──一体、どうすれば。
「メディリア、今のうちに女性たちを!」
「……あ」
「メディ!」
 メディリアを混乱から呼び戻してくれたのは、ウォルドの声だった。
 メディリアは騎士団の一員だ。何よりも今優先しなければいけないのは、ウォルドや仲間たちのことではない。メディリアが守護するべきは民間人の安全とその命だ。
 気持ちを切り替えるために、頬をぱんぱんと叩いてから立ち上がる。
 ウォルドたちが巨大花の相手をしてくれている隙に、メディリアは女性たちのもとへと急いだ。
 女性たちは揃って薄着姿で、かろうじて服を着ているという状態だった。しかし一人に関しては完全に下着姿だったため、メディリアが羽織っていたローブを被せておいた。
 女性たちは随分と痩せ細っており、頬はこけ、投げ出された手足が異常に細い。少しの衝撃でいとも簡単に折れてしまいそうで怖いくらいだ。
 元々肌が白いようだが、顔色も悪い。それにやけに呼吸が荒いような気もする。女性たちの目は揃って虚ろな様子で、どこかを見つめながら荒く息をこぼしている姿は異様だ。
 熱もあるのか、触れた身体は熱かった。
(……これは痣かな?)
 一人の首筋に赤黒い痣のようなものがあった。暴行の痕ではなさそうだが、なんとなく痣の形が巨大花と似ているように見える。他の女性の首筋も確認すると同様のものが見られた。
 女性たちを診ていると、ぼうっと空気が焼けるのを感じた。
 ウォルドの指示通りにシズネが炎で蔓を焼き払っているようだ。前を見るとシズネは周囲に配慮をするように水魔法と合わせながら、床や壁の根や蔓を燃やしていた。
 それでも炎は熱い。ちゃんとした装備をしていなければ、火傷をしてしまうだろう。騎士団の制服は魔法耐性のある繊維で作られているが、一般市民である女性たちは違う。杖を天井に向けて、メディリアは急いで詠唱をした。
「我らに光の奇跡を、嵐を阻む壁となれ。“ホーリーサークル”」
 天に向けた杖の先から、メディリアと女性たちを囲うように光の円が現れた。光は半球状になって、炎の熱からメディリアたちを護ってくれる。
 ちりちりと焦げた火の粉が舞う。
 花から伸びていた蔓は勢いを失くしていた。弱ってきているのが目に見えて分かる。
「シャイネル、今だ! 花の中心を狙え!」
「はい!」
 ウォルドの指示にシャイネルが弓を引く。直後に放たれた矢は、びゅうと風を切りながら真っ直ぐに花へと飛んでいく。
 矢尻が密集した雄蕊の中心──雌蕊を貫くと、ぶちゅっと液体が弾けた。
 そこが弱点だったのか、花びらをはらはらと散らして巨大花は沈黙した。
「ごめんなさい!」
 この場に平穏が訪れたことを確認してから、メディリアが最初にしたことは謝ることだった。
 ウォルドの前に駆け出て、メディリアは大きく頭を下げる。
「私が不注意でした。よく確認もせず飛び込んで、みんなを危険にさらしてしまって、本当にごめんなさい!」
 花があまり凶暴な性質でなさそうだったのが幸いだったが、そうでなかったら確実に女性たちをも巻き込んでいただろう。そうなっていたら、救える命も救えなかったかもしれない。それを考えると、胸の奥がぎゅっと苦しくなる。
 メディリアは膝の上でぎゅっと握りこぶしを作り、ウォルドから言葉が返ってくるまで頭を下げ続けた。
「……お前は俺たち蒼黒騎士団唯一の治癒魔法士だ。お前が動けなくなったら、誰も治癒できない。このミスは次に必ず活かせ、いいな?」
「はい、もちろんです……!」
 厳しい声音に上体を起こす。すると彼の手が伸びてきて、メディリアの頭の上でぽんぽんと跳ねる。
「……怪我はないか?」
 先ほどと打って変わって優しくなったウォルドの声に涙をぐっと堪える。
 こんなときまで甘やかさなくていいのに。
 今は幼馴染ではなく上司と部下なのだから、厳しいままでいいというのに。
 まるで特別扱いをされているのだと勘違いしてしまうではないか。
「……大丈夫、です。庇ってくれて、ありがとうございました」
 今にも喉から飛び出しそうな感情を懸命に飲み込んで、返事を紡ぐ。
 見上げた先にある優しい青空色の瞳の中では、小さく笑うメディリアが映っていた。
 ──大丈夫だ、この気持ちはちゃんと隠せている。
「あの、ウォルド団長のほうこそ怪我は」
「──問題ない。女性たちの容態を確認してくれ」
「分かりました……」
 被せ気味の返事に、メディリアから目を背けるかのようにすぐに翻された身体。ウォルドの態度にメディリアは僅かな違和感を抱いた。
(……花を、見てる?)
 メディリアからはウォルドの後ろ姿しか見えない。だが、彼の視線は花を捉えているように思った。
 沈黙した巨大花の前では、シャイネルとシズネが見分をしている。それを見ているのだと思ったが、メディリアにはそうでないように思えた。
「……う、ぁ……」
 背後から聞こえてきた呻き声に我に返る。
 まずは彼女たちの体力を回復させてあげなければ。腰のポーチからポーションを取り出しながら、メディリアは再び壁際へと戻る。
 力の抜けている女性の上半身を支えながら、一人ずつゆっくりとポーションを飲ませていく。喉が嚥下するのを確認してから、最後にメディリアのローブを被せた女性を起こす。
「ン……っ」
 女性からこぼれ落ちた吐息が妙に色っぽく聞こえて、メディリアは口元に薬の瓶を運ぼうとしていた手を止めた。
 三人とも状態は似ているが、一番呼吸が荒そうなのはこの女性だった。
 虚ろな眼差しが、メディリアを見上げる。
「ん、ふふ……」
 微かに女性が笑う。恍惚と、といった表現が相応しそうな表情で。
 痩せ細った腕がゆっくりと持ち上がる。あまり力が入らないのかぷるぷると震わせながら、女性の手がメディリアへ向かって伸ばされた。
「あ……あぁ……」
 それは何かを求めているような声に聞こえた。
 恍惚とした眼差しに、熱くこぼされる吐息、それから何かを欲するかのように伸ばされた手。
 そのとき、脳裏を過ったのはウォルドの顔だ。女性から視線を外し、メディリアは同じ空間にいるはずのウォルドの姿を探した。
 ウォルドはシズネと何かを話しながらも、巨大花を見つめているようだった。
 花びらを落とした巨大花と、女性たちの身体に浮かんでいた痣の形が重なる。
 巨大花をじっと見つめているウォルドの横顔に、メディリアは僅かな不安を抱くのだった。

第二章 熱烈な眼差しの理由

 現場の後始末に倒れていた女性たちの保護など、メディリアが今日やるべき仕事を一通り終わらせた頃にはすっかり夜になっていた。
「はぁ、疲れたぁ……」
 ぼふん、とベッドの上に正面から倒れ込む。プラチナブロンドの髪がさらさらと滑り下りてて、甘みのある石鹸の香りが漂う。
 夜になってブルーハウスと同じ敷地内にある団員寮に帰宅したメディリアは、つい先ほど個室内にある浴室でシャワーを浴びてきたところだ。髪がまだ濡れているので乾かさなければとは思うも、ベッドの上に投げ出した手足は動かすのも億劫なほど重い。
 疲労感で怠い身体をごろりと転がし、仰向けになる。
 天井を見つめながらメディリアが思い返したのは、今日のことだ。
「……あの女の人たち、大丈夫かなぁ」
 恍惚とした表情でメディリアへと手を伸ばしていた女性の姿が思い浮かぶ。
 ウォルドの見立て通り、女性たちは隣国ディアンディからの亡命者だという判断に至った。あの陶器のように白い肌は、ディアンディの人間に多い特徴だという。
 おそらく亡命した先で人攫いの手にかかってしまったのでは、という推測になったが、話を聞こうにも保護した女性たちは揃って様子がおかしい。これはまず治療が必要だということで、クリスタニア王立病院へと移送することになった。
 しかし、移送の最中も彼女たちは苦しそうでかつ切なそうな吐息をこぼし、何かを求めるかのように空虚を見つめる。色っぽくも聞こえる吐息には、シャイネルが顔を真っ赤にしていた。
 彼女たちを診察した医師が言うには、彼女たちの首筋にあった痣は暴行を受けてできたものではなく、状態異常の痕跡だという。この痣の影響で、女性たちは精神に異常をきたしているのだということだった。
 あの巨大花については一部を切り取って、国の研究機関に預けてある。何が彼女たちに異常をもたらしているのかは、これから病院と研究機関で協力しながら解明していくことになるだろう。
 どうか彼女たちが無事に回復することを祈るばかりだ。
(ウォル兄は……大丈夫かな)
 しかし、メディリアの気がかりはもうひとつあった。それはウォルドのことだ。
 どうも、ウォルドの様子がおかしい気がするのだ。何かと花を気にしているように見えたし、少しぼんやりともしていた。傍目にはいつも通りのように見えたので、気のせいという可能性もある。
 だが、あのあとずっとウォルドはメディリアと目を合わせてくれなかった。
 これは気のせいではなく、間違いない。帰還するまでも、役割を分担して解散するまでの間も、全く目が合わなかったのだ。女性たちの容態についてメディリアが報告したときにも、不自然なくらいこちらを見ようとしなかった。
(……やっぱり、私にがっかりしちゃったかなぁ)
 一生懸命やるぞと気合を入れた挙句、空回った。期待に応えられなくて、残念に思われたのかもしれない。
 ウォルドの前で頷いてみせた通り、今日のミスはこれから挽回するつもりだ。しかし、初手の躓きは思った以上のダメージをメディリアに与えていた。
「……はぁ」
 考えれば考えるほどにため息がこぼれ出て、メディリアの気持ちを沈めていく。
 外を探っていたユユイが言うには、不審な人影もあったそうだ。
 今回の件は人身売買組織が関わっている可能性も浮上している。団長であるウォルドは上層部への報告もしなければならないから、色々考え事をしていたのかもしれない。だが、目を合わせてもらえなかったという事実にはやはり落ち込んでしまう。
 気持ちを隠すと決めている以上ウォルドと結ばれることは諦めているが、彼に嫌われてしまったらもう生きていけない。
(……食欲もないし、もうこのまま寝ちゃおうかな)
 幸いにも明日は休日だった。この落ち込んだ気持ちを切り替えるにはちょうどいい時間がある。
 髪はまだ乾いていないが、たまには怠ってもいいだろう。このまま寝て、明日目が覚めたときにはきっとお腹が空いているはずだ。そうしたら朝から町に繰り出して、早朝から営業しているカフェで美味しい朝食を摂るのもいい。
 それからお店が開くのを待って服を見に行ってみたり、仕送りと一緒に院長へ贈る茶葉を探すのもいいかもしれない。楽しいことを考えているうちに、次の仕事に向かうために必要な前向きな気持ちをきっと作れるだろう。
 明日の予定を脳裏で組み立てながら、瞼を下ろしたときだった。しゃららん、とハープを奏でているような音色がメディリアの耳に届いた。
 のっそりと身体を起こし、音が鳴っているほうへ目を向ける。音の発生源はベッドのすぐそば、木製のチェストの上だった。
 そこには置時計にアクセサリーボックス、小さなキャンドルとポット、そしてスタンド型の鏡が並んだその更に横に、楕円形で平べったい物体が置いてある。音の出処はこれのようだった。
 この物体は国が現在進行形で開発している物のため、騎士団に所属している者しか持っていない小型の通信機だ。遠方の相手と顔を合わせなくても直接の連絡が取れるのだという。
(……こんな時間に誰だろう?)
 しかし、まだ試作段階だ。故に通信可能な距離は王都内と限られているので、相手は騎士団関係者の誰かだ。
 ベッドの上からぐっと手を伸ばして通信機を取り上げる。それから通信機の表面に浮かび上がっている通信相手の名前を見て、メディリアは飛び上がった。
 驚きで早くなった鼓動を感じながら、おそるおそる通信を開始する。
「は、はい。メディリア・エイドです……」
「……メディ。こんな時間にすまない」
 相手はウォルドだった。通信機を介して聞こえてくる彼の声が、思ったよりも耳の奥に響いてきて胸が高鳴る。近くに感じられる想い人の声の破壊力に、心臓が口から飛び出しそうだ。
 彼と通信をするのは、実は今が初めてだった。離れていた八年であればたくさん連絡を取り合っていたかもしれないが、毎日のように顔を合わせる今はあまり必要性を感じなかったからだ。
「どう、したの? 通信なんて、珍しいね」
 緊張でメディリアの声は震えてしまっていた。変な声に聞こえていないかと気になりながらも、どうにか応対しようと口を開く。
「ちょっと……な」
「……もしかして、今日のお説教?」
「ハハ、違うさ。あの場で充分言うことは言ったつもりだからな」
 では一体何の用なのだろう。心なしか息が荒いように聞こえるウォルドの声に、メディリアは首を傾げた。
「……っ、う」
「ウォル兄? なんか、息が荒いよ? 大丈夫……?」
「……うーん、お前の声を聞けば大丈夫になると思ったんだがなぁ」
 メディリアの心配に対して、ウォルドから返ってきたのは苦笑だ。
 通信機越しに耳をすませば、はあはあと荒い呼吸を繰り返す彼の吐息が聞こえてくる。
 不意に、あのとき感じた不安がメディリアの胸中に蘇った。
 本当に一体どうしたのだろう。もしや、自分を庇ったときにどこか怪我を負ってしまったのではと、そう思い始めたとき。
「メディ……助けてくれ」
 酷く辛そうなウォルドの声を初めて聞いたメディリアは、大急ぎで彼のもとへ向かうことを決めたのだった。

 ブルーハウスは古い建物を改装改築したものだが、団員の休息を取るための寮は新しく建築されたものだ。拠点と違い、メディリアが廊下を走っても床は軋んだりしない。
 団長であるウォルドの部屋は最上階の一等部屋だ。廊下を走り、階段をも駆け上がり、メディリアが彼の部屋の前に到着したときにはもう息も切れ切れだった。
 急いで飛び出してきたから、服も部屋着のままで来てしまった。Tシャツにショートパンツ、そしてサンダルという簡素な出で立ちだが、とりあえずカーディガンだけは羽織ってきている。
 カーディガンの合わせをぎゅっと握り、荒い呼吸を整えようとしながらメディリアはドアを叩いた。
「……悪いな、メディ」
 やや間を置いてドアの向こうから現れたウォルドの顔は、熱でもあるかのように赤かった。
「ウォル兄、顔真っ赤だよ!? 本当にどうしたの……!?」
「すまない、とりあえず中へ入ってくれないか」
「う、うん……」
 ウォルドに急かされ、静かに中へ入る。
 脱ぎ捨てられた制服がソファの上で散らかっていた。皺になるということも厭わずに、ウォルドがその上に腰を下ろす。
 どさりと背もたれに身を預けたその様はひどく疲労しているかのようだった。
「ウォル兄、本当にどうしたの……? 風邪?」
「いや、違う。風邪は引いてないんだ」
「本当に? ……ちょっと、失礼するね」
 辛そうにしているウォルドに断りをいれてから、メディリアは黒髪を掻き分けて額へと触れてみる。
 入浴は済ませていたのか、短い髪が僅かに湿っている。
 ほんのりと漂う石鹸の香りに緊張しながら触れてみた額はとても熱かった。
「ウォル兄、やっぱり熱あるよ! 横になったほうがいいよ!」
「いや、……本当に、違うんだ……」
「そんな真っ赤な顔で否定されても説得力ないよ!」
 メディリアの指摘に、ウォルドが力なく笑みをこぼす。その顔はやはり赤く、瞳もとろんとしている。呼吸だって辛そうだ。
 だが、ウォルドは体調不良を認めようとしない。誰の目から見ても、異常だと分かるというのに。
 ブルーハウスへ行って薬でも調合してこようかと思ったときだ。とろんとしたウォルドの眼差しがメディリアを見上げた。
「……風呂場で二回も抜いたんだがなぁ……やっぱりだめそうだ」
「ぬ……?」
 幼馴染を前にして唐突にこぼされた発言に、メディリアは思わず視線を下げてしまった。脚を開いて座る、ウォルドのその間を。
 はっきりとわかるほどに、そこが膨らんでいた。ウォルドの股間部分が、もっこりと。
(──こ、これって……!?)
 見てはいけないものを見てしまった気持ちになり、メディリアは頬が熱くなっていくのを感じた。おそらく熱があるウォルドに負けないくらい、顔が真っ赤になってしまったことだろう。
 しかし、メディリアの視線はそこに釘付けになり、じっと見つめるような場所でもないのに見てしまう。どうしても目が逸らせない。
 ウォルドの股間はその身体つきに相応しくあるようにと言わんばかりに、立派に存在を主張していた。
「はは……恥ずかしいところを見せてすまないな」
「あ!? え、えっと!? わ、私もまじまじと見ちゃってごめんなさい……っ」
 ははは、と力なく笑うウォルドからメディリアは大慌てで目を逸らした。額に触れたままだった手も離そうとしたが、ぱしっと掴まれてしまう。
 ウォルドの瞳に視線を戻すと、熱烈な眼差しがメディリアを貫いた。彼のこんな眼差しを見るのは生まれて初めてで、心臓がとくんと高鳴る。
 しばらくの無言のあとで、先に口を開いたのはウォルドだった。
「ムラムラするんだ、メディリアを見ていると……」
「え?」

 ◆ ◆ ◆

 ウォルドの口づけに、思考がどんどんと溶かされていく。
 これは、夢ではない。自分の身に起きていることは間違えようもない現実であり、そしてその現実はメディリアにこれから初恋の人と結ばれようとしている事実を見せている。
 初恋は実らないなんて嘘だ。
 これから素敵な時間になろうとしている最中に、あれこれと考えてしまうなんてもったいない。ウォルドのことだけを考えていたほうが良いだろう。
 だから、ウォルドの首筋にある痣のことも今は考えなくていいのだ。
 まだ夢の中にいるかのような心地に堕ちながら、メディリアは考えることを諦めた。
「ウォル兄、あのね、私……」
 長年の想いをメディリアも告げようと、キスが途切れた隙に口を開いた。
 しばらく濃厚なキスが続いていたせいか、息切れをしている。続きを紡ごうとしてもなかなか言葉にならず、メディリアはしばらく呼吸だけを繰り返すことになった。
 すると、ウォルドの手がメディリアの頭をそっと撫で始めた。大きくてあたたかなぬくもりを持った掌に、ついうっとりとしかけてしまう。
「……急にすまなかった。メディは……その、初めてだったか?」
 もしかして、緊張していると思われたのだろうか。
 メディリアを見るウォルドの眼差しと頭を撫でる手つきは、労わっているかのような柔らかさを帯びている。
 確かに緊張はしているが、言い淀んでいたのは緊張のせいではない。
「……初めて、だけど……ウォル兄なら、いいよ」
「そうか……嬉しいよ、メディ」
 相変わらず顔を赤くしたまま、ウォルドが穏やかに微笑む。
 今の言葉で気持ちは伝わっただろうか。メディリアはそう願いながら、続けて落ちてきたキスへ応酬を試みた。
 何度もキスを受けているうちに、なんとなくではあるが要領が分かってきたような気がする。ウォルドの唇の動きに合わせて、メディリアも甘く噛み返してみた。
 しかし、仕掛けてきたメディリアへ反撃するかのように舌が入り込んできたときには、さすがに驚いてしまった。
 ウォルドの肉厚な舌がメディリアの口腔内をゆっくりと舐め上げる。
 口の中がくすぐったく思うが、その心地よさに身体から力が抜けていってしまう。
「メディ」
 いつもより甘く愛称を告げる声と熱い眼差しに胸の奥でとくんと音が鳴る。
 シャツの中に忍び込む指先を感じて、メディリアはつい身体を強張らせた。
 メディリアの心臓はもうずっと、どくどくとうるさい鼓動を鳴らしっぱなしだ。
 突然の急展開だったが、せめて入浴済みでよかったとほっとしかけたときだった。メディリアがあることを思い出したのは。
「あ、あの、うぉ、ウォルにぃ……あの、やっぱり、また今度じゃ」
 急に焦りを見せたメディリアを訝しく思ったのか、ウォルドの手がぴたりと止まる。
「……やっぱり俺が怖いか?」
 ──やっぱり? やっぱりとはどういう意味だろうかと思いながらも、メディリアは首を振った。
 ウォルドが怖いなんてあり得ない。緊張はしているが、相手がウォルドなら自分にひどいことをしないとメディリアは信じている。
「怖く、ないよ。で、でもね……その、私……下着が……よれよれのを、着ちゃってて……あの」
 一体何を告白しているのだろうと、思わなくもない。しかし、乙女にとっては重要なことである。
 ウォルドから通信が入るまで寝るつもりでいたし、夜間に外出をする予定がなければ、入浴後は快適に過ごせるようにゆったりとした服装に着替えるものである。
 そもそも通信の時点でまさかこんな展開になるとは誰が予想できただろうか。誰も想像できないだろう。そうは分かっていても、メディリアは適当に下着を選んだ過去の自分の行動を悔やまざるを得ない。
 初めての瞬間は、しかも相手が長年の想い人であれば、やはりとっておきの可愛い下着を身に着けておきたかった。
 ウォルドにがっかりされたらどうしよう。恥ずかしさで顔を手で覆いながら、メディリアは「下着は見ないで欲しい」と彼に訴えた。
「うーん、それは少し無理だな」
「ど、どうして……?」
 指の隙間から覗き見たウォルドは、赤ら顔のまま困ったように苦笑していた。
「長年、この瞬間を夢見ていたんだ。お前のどんな姿もこの目に焼き付けたい」
「──あっ!」
 八つも年齢が離れているからこそできる早技なのだろうか。するりとショートパンツを脱がされた。
 つまりあっという間に下半身だけ下着姿にされてしまったのだ。途端に恥ずかしくなって、メディリアは顔を覆った手の下で瞼をぎゅっと閉じた。
(なんでこんなときに限ってベリー柄のパンツなんて穿いちゃったんだろう……!)
 子どもっぽい柄だが、昔から気に入っているものだ。
 すぐ近くでふふっと笑みがこぼれた気配に、メディリアは身体中の熱が顔へと集まっていくのを感じていた。
「メディらしくて可愛いじゃないか。お前のことだから、上もお揃いだろう? ──ほら、手をあげようか」
「うぅ……」
 さすが幼馴染、と言っていいものなのかどうか。ウォルドの言う通り、上半身も同じ柄の肌着だ。タンクトップで胸の部分にブラジャーと同じようなカップがついている。
 下を見られたなら上も同じ。観念したメディリアは、ウォルドにされるがままに脱がされる覚悟を決める。
 裾を持ち上げられながら身体を起こされた拍子に、手の覆いを外されてしまった。腕からすっぽりとシャツが通り抜けていったあと、あまりにも間近に彼の顔があったことにドキリとする。
 キスで何度もその距離を縮めたあとだというのに、やはり初恋の人は格好いい。メディリアには目の毒のように映って、つい顔を背けてしまう。
「恥ずかしがるな、メディ。こっちを向いてくれ」
 ウォルドの懇願におそるおそる顔を正面に戻す。
「好きだ、メディ。どんなお前も愛おしく思う。お前のエメラルドのような瞳も、全部好きだ」
 ──あまり甘いことを言わないで欲しい。甘すぎる衝撃に頭が沸騰して爆発するかと思ってしまった。
 ウォルドの告白は凄まじい威力でメディリアへと突き刺さった。じわじわと実感が込み上げて、目の端に涙が浮かぶのを感じる。
(本当に? ……本当に、ウォル兄も私を好きだったの?)
 夢のような事実が心から嬉しくて仕方がない。
 胸の奥から想いが溢れ出る。今すぐ好きだと叫びたい衝動がメディリアの口を開かせる。
「私も、ウォル兄が──ンんっ」
 まるで声を塞ぐかのように、唇を唐突に覆われた。
 ウォルドの吐息が口腔内に入り込み、舌が絡め取られる。じゅるりと舌を吸い上げられて、びりびりと迸る甘い痺れにメディリアは悶えた。
 これまでよりも荒く激しいキスには性急さを感じる。だが、そのことが自分へとウォルドが募らせた思いの丈を表わしているかのように思えた。
 メディリアも、長年隠してきた想いをぶつけるかのようにキスを返す。唇と唇が合わさるその激しさに喘ぎながらも、どうにか舌を絡み返して彼がしたように吸い付いた。
 ウォルドへ、自分も貴方がずっと好きだったということが伝わって欲しい。その一心だった。
 もう一度シーツの上へとメディリアの身体が押し倒されたと同時に、キスは止んだ。
「お前の身体に相応しい可憐さだな、ここは」
「……んっ」
 タンクトップの裾から忍び込んだウォルドの手がメディリアの胸を覆う。
 メディリアの胸は、はっきり言って大きくはない。成長に合わせて身長も胸も大きくなると思っていたのに、その期待に応えてくれなかったそこはメディリアが劣等感を抱いている場所だ。
「ちっちゃすぎて、引いちゃう……?」
「そんな訳ないだろう。大きさなんて関係ない。お前の胸だから愛おしく思うんだ」
「あっ……!」
 タンクトップを捲り上げた先に現れたメディリアの乳首を、ウォルドはぱくりと食べてしまった。がっかりされてしまうかな、と心配した矢先のことだった。
 ざらざらとした感触はウォルドの舌だろうか。乳首を転がされているかのような感覚に、メディリアは悶える。
「んっ、あぁ……っ!」
「可愛い胸だよ、どこからどう見ても」
「あ、あぁンッ!」
 がっかりするどころか、ウォルドはメディリアの胸を気に入ってくれているようだった。
 自信のない胸も、好きな人が褒めてくれるなら自信が持てそうな気がしてくる。
 空いている胸もウォルドの手でやわやわと揉まれて、くすぐったいとはまた別の心地に震わされた。
 胸からじんじんと響くように、感覚が身体中へと広がっていく。身体の真ん中が熱いような、そんな錯覚をメディリアは抱いた。
(……なんだろう、気持ちいい、ような)
 気持ち良い感覚に身体から力が抜けていくも、びくびくと震えてしまう。おまけに、胸の先でちゅぱちゅぱと弾む唇の音には耳から焦がされそうだ。
 劣等感のかたまりでもあったメディリアの胸を、ウォルドはたっぷりと可愛がろうとしてくれている。身体はその喜びに震えているかのようだった。
 やがてウォルドの手はふくらみの上から滑り降りて、メディリアの脚の間へと触れる。
「ンん……ッ」
「ちゃんと感じたようでよかった。……下着が湿っている」
 ウォルドの指摘に、メディリアは顔から火が出るような思いをした。かーっと頬が火照っていくのを、覆った手で感じ取る。
 下着の上からウォルドの指先がなぞったメディリアの秘した場所は、自分でも分かるくらいに潤いを帯びていた。
 こんな風になるとは知識として知っていたが、ここまでとは思わず、まるでお漏らしでもしてしまったかのような湿り具合には恥ずかしくなった。
「や、ウォル、にぃ……そんなとこ、触らない、で」
「触らなければお前を抱けないだろう? 解さないと、俺を受け入れるのが辛くなるぞ」
「ほ、ほぐすって……? ひぁっ」
 いやいやと身を捩っても、ウォルドの手はその場所から退きそうにない。それどころか、そのうちウォルド自身を受け入れることになる穴のその上──そこにある突起を撫でられて、メディリアの身体を駆け抜けていくように強い痺れが迸った。
 今までで一番強い感覚にはぁはぁと息を荒げる。
 こんなにも敏感な場所があったなんて思いもしなかった。
 更に濡れてしまったのか下着の湿り具合がひどくなったようだ。ぺたぺたと布地が張り付くような感覚が少し不快で、メディリアは脚を擦り合わせた。
「濡れたから、もう脱ごうな」
「あっ、あっ、待っ……」
 それを察知されたのか、メディリアが止める間もなく、ショートパンツと同じくするりと脱がされてしまった。涼やかになった下半身にぎゅっと脚を閉じる。
「こら、脚を閉じるな」
「だ、だってぇ……」 しかしウォルドがそれを許してくれるはずもなく、いとも簡単にメディリアの抵抗をなかったことにしてしまう。
 ぱかっと殻を割るかのように膝頭を開かせたかと思えば、ウォルドは露わになったその場所へと顔を近づけていく。
 突然のことでメディリアはなんの抵抗もできなかった。次の瞬間には、ウォルドの肉厚な舌に潤いを纏った割れ目を舐め上げられていた。
「あ、やぁあッ!」
 頭の先から爪の先まで、全身がかっと熱くなる。
 蜜を啜るかのようにじゅるじゅると吸われ、メディリアはびくびくと身体を震わせる。
 自分の意思で抱かれようとしてはいるが、こんなことをされるなんて予想もしていなかったのだ。
 先ほど乳首にしていたように、ウォルドは入り口の上を舌で転がしてみたり吸ったりを繰り返す。ぴちょぴちょと水が弾ける音が恥ずかしいが、もたらされる快楽のほうが強く抵抗も出来ない。
「ン、っふ、あ、うぉる、うぉるにぃ……っ待って、あ、あぁ!」
「メディの愛液は、果実のような甘さがするな」
「っや、甘く、なんてないよぉ……っ! そんな、とこ、舐めちゃ、いやぁ……っ」
「いつまでも味わっていたくなるような甘さだよ」
 ──そんなわけない、絶対ない! と言いたくても、喘ぎが邪魔をして言えない。
 熱くなった身体の中心がざわざわしている。びりびりと立ち昇る強い刺激に火をつけられたかのように、腹部の奥がじんじんと熱い気がして変だ。
 得体の知れない何かが爪先から込み上げてくるという不思議な感覚に、メディリアは少しだけ恐怖心を抱いた。
「っひあ、んンっ、う、ぁ、うぉるに……っ」
「ここもツンと勃起しているな、もうイキそうか?」
「やぁ……ッ、ん、わか、んな……っひあ、あっ!」
「そのまま身を委ねろ」
 ウォルドの舌先は止まらず、引き続きメディリアを責め立てる。それどころか、メディリアを追い詰めるかのように責めを激しくしていく。
「あ、あっ、……あああっ!」
 鋭く、何かが駆け昇った。その何かはメディリアの頭を真っ白にしていきながら、どこかへと消えていく。
 未知の感覚にメディリアはぶるぶると震えながら、くったりと脱力した。
 しかし、まだ終わらないようだ。力が抜けている隙にと言わんばかりに、メディリアの内側へ沈み込もうとする存在があった。
 ウォルドの指だ。
「ん、んぅ……っ」
 当然ながら、性体験は今日が初めてであるメディリアに何かを受け入れた経験などない。今まで感じたことのない異物感に身体が強張ってしまう。
 きゅっと力を込めると内側も締まってしまうものなのか、膣内にあるウォルドの指の形が伝わってくる。
 すっかり男らしくなった肉体に合わせるかのように、太く筋張ってゴツゴツとしている彼の指。それが今自分のあんなところに入っているのかと思ったとき、その奥がきゅんと疼いたような気がした。
「予行練習だと思って、身体の力を抜いてみるんだ」
 メディリアの身体を起こして、ウォルドが片腕で抱き締めてくれる。強張った身体を落ち着かせようとするかのように背中をゆっくりと撫でられた。
 うぅ、と微かに呻きながらも、背中を撫でる彼の手に合わせて呼吸を繰り返す。すると、自然と力を抜くことができた。
 力を抜けたら異物感が弱まり始めて、代わりに快楽を連れてくる。
 ウォルドの指が自分ではきっと届かない奥を触った。その瞬間ははっきり、気持ちいい──とメディリアは感じていた。
「ん、ぁ、あぁ……っ」
「奥からたっぷりと滲みだしてきたな。メディ、感じているのか?」
「あ、ぅ……き、きもち、いい……っ」
 つい、言葉にして出してみると、感度が高まったような気がする。体温が急上昇したように、汗がぶわりと噴き出る。
「すっごく、とろとろだ。指を動かせば動かすほどに溢れてくる」
「ふ、ンぁ、いわ、ないで……」
「本当のことだ。いやらしくて、最高にソソるよメディ」
「あっ、あぁん」 やはり、ウォルドとこんなことをしているのが信じられないとメディリアは思った。
 耳元でウォルドがいやらしいことを言う。甘く熱が籠った声で。それにぞくぞくとしてしまう自分自身も信じられない。
 これが感じる、ということなのだろうかとうっすら思う。ウォルドの声だから、ウォルドの指だから、唇だから、きっとたくさん感じて濡れてしまうのだろう。
「っ、あ、うぉ、うぉるに、もう、っまた……ンんっ」
 メディリアの感度上昇に合わせているのか、膣内を責め立てる指の動きが少しずつ激しくなっていく。ぐじゅぐじゅと液体をかき混ぜるような音が響く中、メディリアは腹部の奥が再度熱くなるのを感じていた。
 先ほどよりも、なんだかたまらない。腹の中で激しく沸騰しているような感覚が堪えきれず、メディリアは拠り所を求めてウォルドの腕にしがみつく。
 身体の中で熱が大きくうねり、じわりと汗が滲む。
 強い快楽の波をどう逃がせばいいのか分からず、メディリアは必死にウォルドの腕に抱きつく。
「ンぁ、うぉるに、……あぁ、いッ、く……っ!」
 覚えたての言葉を自然と口に乗せて、メディリアは絶頂に震えた。
 膣内がぎゅうぎゅうと収縮を繰り返している。内側で抱き締めたウォルドの指の逞しさが何度も伝わって、達した余韻に拍車をかけた。指の関節が膣壁に擦れて、メディリアの身体を熱くさせる。
「ん……んぅ……っ」
 長い、長い余韻が続く。ウォルドに秘所を舐められていたときとは違う絶頂感だ。
 先ほどよりも鈍くて、重い。だが、とても気持ちがいいものだった。
「メディ……」
 未だ震え続けるメディリアの額にキスを落とし、ウォルドが離れた。
 直後に聞こえたのは衣擦れの音だった。見上げてみると、ウォルドの上半身が露わになっている。シャツを脱いだようだ。
 メディリアの胸よりも大きいのではないかと思えるほど、くっきりと隆起した大胸筋に、がちがちに割れた腹筋。雄々しい身体を目の当たりにして、心臓が激しく鼓動を打ち始める。
 こんなにも逞しくなっているなんて、聞いていない。
 ずっと想像はしてきたが、想像よりもがっちりした身体で困惑してしまう。もう、今夜が命日なのではというほどメディリアの心臓は強い脈動を打ち続ける。
 しかし、ついまじまじと見つめていると、ウォルドがズボンに手を掛けようとしていることに気付き、メディリアは慌てて目を逸らした。さすがにそこまで見つめ続ける訳には──。
 だが、一体どんな気持ちで、どんな状態で、どんな顔でそのときを待てばいいのだろうか。とりあえず、手で顔を覆っておくことにした。
 それから間もなく、そのときはやって来る。
「さっきみたいに、力を抜いていろ」
 再び脚を開かれたあとで、性器に押し付けられた熱の塊。それが指の何倍もある質量でメディリアの中へ入り込もうとしている。
 みちみちと肉が裂けるような、それでいて狭い道を押し広げようとしているかのような苦しさに、無意識のうちに唇を噛んでいた。
「唇を噛むな。お前の可愛らしい唇が荒れたらどうするんだ」
「ぅう、だ、って……」
「……分かっている。痛いんだよな? 唇を噛むくらいなら、俺を噛め」
「んっ……」
 唇を硬く閉じていると、熱い吐息が押し付けられた。
 ぎゅっと閉じていた合わせをこじ開けて、侵入をしてきたのはウォルドの舌だ。入り込んできた肉厚な舌は、メディリアが痛みを我慢しようとするのを防ごうとばかりに、ちろちろと口蓋をくすぐってくる。すると甘い波が押し寄せてきて、メディリアの身体から力を抜いていった。
 甘く、心地のいいキスにうっとりしかけるが、胎内への侵攻が止められたわけではない。じんじんと鈍い痛みも同時に込み上げてくる。
 だが、ウォルドのキスが中和してくれる。それに気づいたメディリアは、痛みを意識しないよう彼との口づけに集中した。
 それでも胎内に入り込もうとしているウォルドの肉身はとんでもない質量だ。狭いメディリアの隘路をずりずりと擦りながら沈んでくるものだから、どうしたって痛みは完全に拭えそうにない。
 初めては痛いとメディリアも聞いてはいたが、ここまでとは思わず正直泣きそうである。
 しかし、ここまで来たなら最後まで彼としたい。
 夢かもしれないと思ってしまう感情が止められないでいる。これは途轍もなく現実感溢れる夢なのかもしれないと、頭の隅でずっと思っていた。
 何故なら、今日までのメディリアたちの間には恋愛事が絡むような兆しが一切なかったからだ。それが突然こんなことになってしまっているのだから、やはり夢かもしれないという疑惑を打ち消せない。
「──ッう!」
 不意にその瞬間が訪れる。ぷつんと何かが破れたような感覚とひと際鈍く奔った痛みに、メディリアは呻いた。
 メディリアの上でウォルドも小さく呻く。すると口内に錆びた鉄のような味が広がり始める。
 痛みが奔ったときに、ウォルドの唇を噛んでしまっていた。キスが止んだあとで彼を見上げると、先ほどまでメディリアを味わっていた唇に赤色が滲んでいた。
「ありがとう、メディ。お前の初めてに、俺を選んでくれて」
 とろけるような甘さを持ったウォルドの声が、メディリアの耳に口づける。最高に幸せだと紡いだ低音が心地よく響いてきたときには、メディリアは涙を浮かべていた。
 メディリアも同じ気持ちだったからだ。処女でなくなった瞬間はとても痛かったが、それでも幸せな痛みのように思った。
「ウォル兄、まだ、終わりじゃない、でしょ? ……いいよ、動いて」
 ウォルドの太い首に腕を巻きつかせながら告げる。
 今の自分はどこからどう見ても強がっているようにしか見えないだろう。痛みのせいで涙目だし、言葉も震えている。
 優しいウォルドのことだから、遠慮をされそうな気がして先手を打ったのだ。事実、メディリアを熱く見下ろしている青空が僅かに曇っていた。
「お願い、やめないで? 私も、幸せなの。だからウォル兄のこと、いっぱい感じたいの」
 メディリアも彼と同じくらいの熱量のつもりで見つめ返した。
 このままもしもやめられてしまったら、次はないかもしれない。ウォルドとこんな風になるのは、メディリアが長く見続けてきた夢だ。だから、これが本当に夢だったとしても後悔しないくらい、ウォルドに熱く抱かれたかった。
 メディリアの熱い想いが伝わったのか、ウォルドが弱々しく微笑んでから深くため息を吐いた。
「……参ったなぁ。最後の箍が外れちまった」
 ──と思えば、眼差しの雰囲気が一変した。
 ぎらり、と瞳が光ったような錯覚をする。気のせいだろうが、このときばかりは獲物を見つけたような獣の瞳に見えた。
 ふと、ずっと存在を意識の外に追いやっていた、彼の首筋にある痣が目に入る。
 ウォルドの情熱具合に合わせているかのように、赤黒かった痣が鮮やかな赤色に変化していた。
「あ、んっ」
 痣に気を取られたのは一瞬だけだった。
 ぐりぐりと一番奥深くにウォルドの熱が押し付けられる。身体が早くも慣れてきたのか、それとも痛いのは最初だけなのか。甘い痺れが胎内から全身へ向けて、じわじわと広がっていく。
「どうにか、我慢していたんだ。でも、今のメディの言葉がダメ押しになっちまった」
「えっ? あ、うぅ……ンっ」
 ずりずりとメディリアの内側を擦りながら、ウォルドがその身を引き抜く。さすがにそのときは少々引き攣るような痛みがあったが刹那に消えた。
 一体、ウォルドの身に何が起きたというのか。自分の言葉がきっかけになったような気がしなくはないが、戸惑う暇はない。
「メディ、好きだ。メディ。優しくしたかったが、もう止められない。すまない、メディ」
「ひっ、あん!」
 情熱的に告白を落としながら、ウォルドがもう一度メディリアの中へ戻って来た。最初よりもスムーズに、ずぶずぶと膣内へ圧を掛けながらの律動に身体がびくびくと跳ねてしまう。
 元々痛みに強い体質なのか、それとも本当に身体が慣れてしまったのか、痛みはほとんど感じられない。
「あんっ! うぉるに、いっ、ひあっ、ん!」
 ゆっくりとは程遠い速度で、ウォルドが隘路を往復する。その度に重く甘い波が身体の奥からじわじわと広がり、メディリアの頭を白く明滅させた。
 まるで意識がどこかへ飛ぼうとしているかのようだ。それほどに、メディリアはウォルドからもたらされる快楽に悶えていた。
 初めてにしてこんなにも感じてしまうなんて、もしかして自分はいやらしい女だったのだろうか。だが、それはきっとウォルドのせいだ。
 ぐじゅぐじゅと泡立っているような音が聞こえる。聞いていて恥ずかしくなるくらいの音がずっと鳴らされている。
 その音の出処はもちろん、ウォルドと繋がっているところだ。
 ウォルドに中を掻き回されて、はしたないくらいに濡れてしまうのは当然だろう。喜びが全身から溢れているのだ。
「うぉるに、うぉるにぃ……っ」
 一周回って快楽が苦しくなってきて、ウォルドに縋りついた。
 熱く、熱く、ウォルドの眼差しが降り注ぐ。その熱烈さは狩りをしている獣のよう。彼が男性であるのは見ての通りで当たり前なのだが、なんというか“男”を感じさせる眼差しのように思えた。
 こんな眼差しをするウォルドは見たことがない。優しいウォルドにこんな獣性があったとは思わなかった。
 彼の瞳にときめかされたメディリアの内側がウォルドを抱き締めてしまう。すると精悍な顔つきが僅かに歪んだのが分かった。
 苦しいようで、気持ちよさそうな。何とも言えない表情と上気した頬にウォルドの色気を感じて、メディリアは余計にときめいてしまった。
「あっ、やぁ、ぅあ、うぉるにっ、……うぉるにぃ……っ!」
 限界が近い。大きく膨らんだ快楽の塊がもう破裂しそうで、波に攫われかけている意識をどうにか保とうと、メディリアは何度もウォルドの名前を呼ぶ。
「っう、メディリア……っ」
 熱く呼び返された名前がメディリアの膣壁を収縮させる。熱烈な眼差しに見下ろされて、メディリアは幸福感に溺れた。
 今、本当に好きな人に抱かれているのだということをやっと実感できた。夢だと疑っていた気持ちが霞に消えて、その実感がメディリアを高みへと押し上げた。
「あっ、あ、うぉるに、……あぁあああッ!」
 身体の奥で弾ける熱と放たれる熱を感じながら、メディリアは達した。
 意識が白濁に飲まれかけながら、身体を震わせる幸福感を噛み締める。
 くったりと脱力したあとでメディリアが感じたのは疲労だった。情事はこんなにも体力を消費するものなのだと身を持って知ってしまった。
 だが、手を伸ばせばすぐに好きな人を抱き締められるという距離感はとても良く──メディリアは意識を手放しかける。
 その直前、目に入ったウォルドの表情が気になって、意識はかろうじて現在に留まった。
 彼は大きく目を見開いていた。今やっとメディリアの存在に気付いたとでもいうような表情だ。
 首筋に目を向ければ鮮やかな赤色に見えた痣は、元の赤黒い痣へと戻っていた。まるで、情熱はもう冷めたとでも言うように。
 嫌な予感が胸を過る。その詳細は分からないが、メディリアの胸の中でざわざわとしている。
 どうか、気のせいであって欲しい。
 そう願うメディリアの中からウォルドがそっと出て行き、そして。
「すまない、メディリア……! こんなことをするつもりは、なかったんだ……!」
 勢いよく頭を下げたウォルドの姿に、幸福感が打ち消される。
 彼と結ばれたという夢を見ていたメディリアが現実に引き戻された瞬間だった。
「すまない……本当に」
「……どう、して、謝るの?」
 夢から覚めた反動がメディリアの胸を衝く。声が震えてしまうのも無理はない。
「……俺がメディリアに迫ってしまったのは、おそらくベルディアンナのせいだ」
 頭を下げたままでウォルドが、謝罪の理由を口にし始める。
 だが聞き慣れない単語にメディリアは首を傾げるしかない。
「ベルディアンナって……?」
「……あの、巨大花のことだ。あの花は、生物の性的欲求を高める物質を持っていると聞いている」
「性、的……欲求……」
「メディリアを庇ったときに、傷を負い、そこからあの花の成分が中に入ったんだろう。それで、俺は……一人で耐えようとしていたんだが、どうにも堪えきれなくなり、それでお前に通信を……」
「……そう、だったんだ」
 やはりあのときに怪我を負ってしまっていたらしい。それを証明するかのように、ウォルドの頭の上から覗き込んだうなじに小さな赤い線が見られた。これがそのときの傷だろう。
 首筋の痣はおそらくだが、ベルディアンナの成分が発揮された影響で出来たもののようだ。やはり、メディリアが思った通り、ずっと昔から彼の首筋にあったものではなかった。
(……つまり、性欲を処理するために……私を……)
 そういうことなのだろう。ちょうどいい相手がメディリアしかいなかったのだ。一人でどうにかしようとしていたのは、事が始まる前の彼の発言からも感じられる。それでもどうにもならなかったのだ。
「……そ、それは、仕方ないこと、だよね。高まった欲求なんて想像、できないけど……ウォル兄が耐えられないくらいだったんだから……仕方ないよ」
 もはやそう思うようにするしか、メディリアはこの事実を受け止められそうになかった。
「……いや、仕方ないで済まされないことをしてしまった。本当にすまない、メディリア……っ」
「……も、もとはといえば、ウォル兄がそうなっちゃったのは、私のせいでしょ? あや、謝らなくていいよウォル兄……」
 もう泣きそうだ。必死に涙を堪えながら、メディリアは強がりを告げた。
 夢から覚めたなら、現実に立ち向かわなければならない。自分があのときしっかりと周囲を確認していれば、避けられた事態だったのだ。その事実は変えられない。こうなったのは、メディリアにも責任があるのだ。
「で、でも、どうしてウォル兄はあの花のことを知っていたの……? あんな花、私、見たことないよ……?」
 薬の調合で花を素材にすることもある。故にメディリアは世界に存在している花の種類の大体を把握しているが、ベルディアンナという名前なんて聞いたことがない。あんなに巨大だったのだ、実在していたなら知らないはずがない。
 そこでようやくウォルドは頭を上げた。しかし、メディリアから気まずそうに目を逸らす。その仕草には胸が痛んだ。
「……身体、辛いだろう? 服を着て、今日はもう休め。ベッド、使っていいから」
「……ううん、帰るよ。ここにいたらウォル兄が寝られないでしょ?」
「いや、休んでいってくれ。夜も遅い……頼む」
「…………分か、った」
 気まずいので本当は自室に帰りたくてたまらなかったが、好きな人の切な願いを無碍にはできなかった。メディリアが頷くと、ウォルドはほっとしたように微笑んだ。
 それから手が伸ばされ──メディリアの髪に触れる直前で止まった。
「……俺は向こうにいる。明日、花を預けた研究所へ一緒に行こう。細かい事情はそこで話すよ」
 その手を引っ込めて、ウォルドはメディリアから背を向けた。
 脱ぎ掛けだった下穿きを正し、自身のシャツを拾いながらベッドを降りる。
「……おやすみ、メディリア」
「……おやすみなさい、ウォル兄」
 何とも言えない気まずさがメディリアたちの間を漂う。
 静かにドアが閉じられ、メディリアは眠れない夜を過ごすのだった。

 翌朝の天気は、メディリアの心情を表わしているかのような大雨となり、青空はどんよりと暗い雲の向こうに隠され、降り注ぐ雫が地面を強く叩く。
 重い心を引き摺りながらメディリアは、ウォルドと共に城内にある研究室を訪れた。
「初めまして。君がウォルドの幼馴染くんか。僕はイスト・シュタインだ。この研究室の責任者だ」
「初めまして、メディリア・エイドです」
 訪れた先でメディリアたちを迎えたのは、ぼさぼさな天然パーマが印象的な眼鏡の男性だった。
「ウォルドも久しぶりだね。軽く一年くらいかな?」
「ああ、久しぶり。同じ城の所属だというのに意外と会わないものだな」
「お互いに忙しい身になってしまったからねぇ」
 メディリアの横で男性二人が拳を押し付け合う。その様子はとても親しそうだ。
 イストはウォルドの学生時代からの友人なのだという。副団長のシズネも同じ学舎の出身らしいが、彼と実際に交流を持ったのは騎士団に入ってからだそうだ。だからウォルドはイストとの付き合いのほうが長いらしい。
 そして彼もウォルドと同じく、早期に自身の研究室を持った人だ。イストの後ろで数人の研究員が作業をしているのが見えた。
「今日は二人揃って、こんな朝からどうしたんだい? しかも、格好からして今日は非番だろう?」
「ああ……実はちょっと困ったことになってな……」
 少し言い淀んでから、ウォルドはシャツの襟元をぐいっと引っ張った。そこにある痣をイストが見易いように。
 露わにされたウォルドの首筋を見て、眼鏡の奥にある目が興味深そうに細められた。
「なるほど、ベルディアンナの影響を受けてしまったのだね?」
「……イストさんも、あの花のことをご存知だったんですか?」
 メディリアの疑問を拾い、イストは首肯した。それから彼の目はウォルドへと向かう。
「……ここに連れてきているということは、話してもいいのだよね?」
「ああ。お前のほうが説明上手いしな……メディに教えてやってくれるか?」
 イストはウォルドにも「分かった」と頷いてから、再度メディリアと向き合った。
「それじゃ長い話になるかもしれないから、ミーティングルームで話そうか」

 ◆ ◆ ◆

 それはウォルドたちがまだ学生だった頃の話だった。
 王都の数ある学び舎の中で二人が在学していたのは、様々な分野を自由に学ぶことができるミネーヴァ・アカデミーというところだ。
 ウォルドとイストを区別するなら、肉体派と頭脳派だろう。得意とする分野の違う二人が出会ったのは、講義で一緒になったのがきっかけらしい。
 ちなみにメディリアは、治癒に関連することを専攻に学びたかったため、医術専門の学舎に入学している。
 ウォルドたちの同級生に、クレディス・クレイという男がいた。
 始まりは、国が使用を禁じている魔法に関するレポートだ。
 その魔法は、拷問や洗脳、命に係わるもののことで、彼が書いた論文には如何に禁止魔法たちが魅力的なのかを羊皮紙五枚に渡って綴られていたらしい。
 人を支配するためには拷問もやむを得ない。故に、拷問魔法は解禁すべし。
 悪人を更生させるには洗脳が一番の近道である。よって、洗脳魔法を解禁すべし。
 生命は死に縛られるべきではない。命ある全てのものは自由であるべき。つまり、蘇生ならびに死を操る魔法は、この世で最も尊ぶべき魔法である──といった内容だ。
 それらの内容はアカデミーの教授陣によって問題視された。
 確かに禁止魔法の力は凄まじいだろう。だが、それらにまつわる悲劇がかつてあったからこそ禁止されている。凄まじいと同時に魔法が孕んでいる危険性も相当なもの──禁止魔法は尊ぶべきものではないと教授陣が諭しても、クレディスは一切聞かなかったそうだ。
 そうして彼は最も注意するべき生徒となった。
 遠くない未来に彼は問題を起こすだろう、そこでアカデミー側が行った対策は、禁止魔法に関わる内容を彼から遠ざけることだった。禁止魔法に触れることがないように彼が持ち込む教本などは全て検査をし、禁止魔法に関する記述が一行でもあるものは全て没収していったそうだ。
 どのみち、禁止魔法は国中に敷かれた検知魔法によって行使することはできない。もしも、魔法の唱え方を知ったところで使えないからとそれ以上の対策は考えなかったそうだ。
 ある日、ウォルドとイストが共に町へ出かけたときにクレディスと遭遇したという。彼とは深く関わりはなかったが、同級生なので互いに顔くらいは把握していた。
 遭遇したところで特に挨拶をするような仲でもないので、その場はただすれ違うだけに留まった。だが、人目を避けるような素振りをしていたため、彼の評判を知っていた二人はクレディスを尾行することにしたそうだ。
 そこで二人はとんでもないものを見てしまった。王都近郊の森にある洞窟の中で、見たこともない巨大な花の世話をしている彼の姿を。その花が一人の女性を縛り上げているところを。そしてその女性が色欲に狂っている姿を──。
 果たして一体どうやったのか。彼は新種のモンスターを創造する、ということをやってのけていたのだ。
 当然、このことはすぐにアカデミーへと報告した。
 教授たちはすぐに報告のあった洞窟へと向かい、巨大花の討伐を決行した。第一発見者としてウォルドたちもその場に同行したそうだ。クレディスを押さえる役目を負ったのだという。
 教授たちが放つ火魔法によって焼かれていく巨大花を見ながら、クレディスはこう叫ん
だ。
 ──私のベルディアンナに手を出すな!
「古代クリスタン語で“美しい女神”という意味の単語を名付けていたところから、相当可愛がっていたのだろうね。彼の叫びには胸が痛んだよ。……まあ、独学で新しい命を生み出したのはすごいことだが、事が事だったからね」
「……それでどうなったんですか?」
「クレディスは退学処分になった。彼は身寄りのない身の上だったみたいでね、その後の行方は誰も分からないらしい。このことが大きく世間に知れ渡っていないのは、これを不祥事として表に出すことをアカデミー側が嫌がったからだ。被害に遭った女性は……今も病院で眠っているそうだ」
「……そんな」
 クレディスの被害に遭った女性は、メディリアが今日出会った女性たちと同様の症状で自我を失っていたという。ウォルドの首筋に発現した痣もあった。
 女性の血液を採取してみたところ、見たこともない成分が検出されたそうだ。
 ウォルドたちの報告内容からして、強制的に性欲を高めるものではないかという見立てにはなったが、巨大花を燃やしてしまったために詳しく調べることができなかったらしいとイストは語った。
「まだ若い女性だった。……僕は彼女を見て救ってあげたいという気持ちに駆られてね、こうして薬物研究をしているのだよ。まあ、今日まで成果を挙げられていないのが悲しいところだけれど」
 イストは一度言葉を切り、でも──と言葉を続けた。
「当時の検査記録と、昨日保護された女性たちの血液から検出された成分が一致した。君たちが持ち込んでくれた花は間違いなくベルディアンナの一部だ」
「じゃあ、あの女性たちはベルディアンナのせいで……?」
「……ああ。おそらく、身体を売るように強要されたのだろうね。繰り返しベルディアンナの成分を投与され、我を失くしてしまった……あのときの女性のように」
 強制的に発情させれば意思など関係ない。
 なんてひどいことを、とメディリアは女性たちの身を案じた。今頃病院のベッドの上で、昨日のように虚ろな表情で理性を失ったままでいるだろう。
「でも、ウォル兄が今平気なのはどうしてですか?」
「それはきっと、身体に入った成分が少なかったのだろうね。不幸中の幸いだったね、ウォルド」
「……だが、痣は消えていない。昨日は独りでどうにかなったが、今後ベルディアンナの効能が現れないという保障はないだろう」
 すると、イストが「おや」と意外そうな顔をした。
「メディリアさんに付き合ってもらったのではないのかい? 彼女が君の恋人なのだろう?」
「……いや、違う。メディリアはうちの治癒魔法士なんだ。俺の状態を知ってもらうために、連れてきたんだ」
「ふぅん?」
 イストの指摘にウォルドが動じた様子は見られなかった。きっとメディリアが恥ずかしい思いをしないように配慮したのか、それとも昨日のことをなかったことにしたいのか。ウォルドの否定には胸が苦しくなった。
 それでも疑っているのかイストが首を傾げながらこちらを向いたので、彼の疑惑を払拭しようとメディリアは微笑みを返しておくことにした。
「現状、ベルディアンナの成分を抜く方法はない。しかし、今回の一件で研究がかなり進むことになる。必ず彼女たちを治す薬を完成させてみせるよ。……少し時間はかかるがね」
「……どれくらい、ですか?」
「うちの研究室であれば、最低でも一ヶ月はいるかな。その間、発作が来てもウォルド自身でどうにか耐えてもらうしかない。少量であれば、ある程度発散したら治まるはずだよ」
 ただ、発作がいつ起こるかは分からないということだった。体内に入った成分が少量であろうと、ベルディアンナの性質は凄まじいもののようだ。
 状態が不安定である以上場所と行動には気を付けるように、という言葉を最後にイストは研究に戻っていった。
「……あの、ウォル兄」
「どうした?」
 ウォルドの状態を聞いて、メディリアはずっと考えていたことがあった。
 発作の頻度が不安定であるなら、しばらく騎士団の仕事は休むべきだ。
 しかし蒼黒騎士団は駆け出したばかりだ。そんなときに団長がしばらく不在になるのはあり得ないと、ウォルドは絶対に休まないだろうことが予想できる。
 このまま仕事を続けるというのなら、補助をする者がいたほうが安心だ。
「……私、いいよ。発作が起きたとき、私がウォル兄を……手伝うよ」
 それは自分の身体を貸すということだった。
「メディリアは気にしなくていい。今後は独りでどうにか耐えるさ。……俺が言うのもなんだが、お前には自分の身体を大切にして欲しいんだ」
 ウォルドの視線は明らかにメディリアの額を見ていた。昨晩と、傷のことも言っているのだろう。
 メディリアの額に傷がついたのは、自分の意思で彼を庇ったからだ。
 メディリアが処女を捧げたのは、自分の意思で彼に抱かれることを決めたからだ。
 ウォルドが責任を感じる必要なんてない。
 それにそもそも、ウォルドがこんなことになったのはメディリアのせいだ。
「ううん……私のほうこそ、気にしないで。だってウォル兄がこんなことになったのは、私のせいだもん……その責任を取らせて欲しい。……お願い、ウォル兄」
 メディリアが出来ることは、ウォルドが一人で苦しまなくていいようにと自分の身体を差し出すことだ。
 じっとウォルドを見上げ、メディリアは懇願した。
「……分かった。……だが、嫌になったらいつでも言うんだぞ。俺も、出来る限り耐えるようにするから」
「うん……ウォル兄も、遠慮しないでいいからね?」
 メディリアの一言に、ウォルドは困ったように苦笑をこぼした。
 そこに愛などないと分かっているのに、身体を繋げる。
 それがどんなに辛いことかなど、このときのメディリアに想像できるわけがなく──こうして偽りの蜜月が幕を開けたのだった。

(――つづきは本編で!)

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