「この先なにがあっても俺は必ずキミの元に辿り着くから」
あらすじ
「この先なにがあっても俺は必ずキミの元に辿り着くから」
海軍総督の娘・マノリアは父の秘書をしながら、秘密裏に父の部下、機関士のイェラキと交際している。夕日が金色に輝く海辺のカフェで待ち合わせをして愛しい彼との時間を過ごす、そんな毎日が彼女の幸せ。……この幸せはずっと続くと信じていた。だが、家族に彼を紹介した翌日。彼女の元に飛び込んできたのは、イェラキが敵艦偵察中に海に転落して行方不明になったという一報だった。それから4ヶ月が経ち、恋人を失い仕事に明け暮れていたある日のこと彼女は遭遇した敵艦の捕虜となってしまう。敵の指揮官を見上げるとその男は行方不明になったはずの恋人イェラキで……。
作品情報
作:杜来リノ
絵:アヒル森下
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第一章・海と黄金の恋人たち
夕日が金色に輝く黄昏時。
カフェ『七色鯨』のテラス席で、マノリア・フィラフトは黒髪を指にくるくると絡めながら恋人が来るのを待っていた。
港のすぐ横にあるこのカフェ。屋上にあるテラス席は海が良く見える。遠くに、ここアネモス帝国の海軍であることを示す『海蛇と銀鏡《ぎんきょう》』の海軍旗を掲げた軍艦が停泊しているのが見えた。
「遅い……」
――テーブルの上にはいつも頼むアイスティー。氷が溶けかけ、薄まったそれをぼんやりと見つめながら、マノリアはぷくりと頬を膨らませた。
すぐ向かいの席では、海軍の軍服を着た青年が恋人と思しき女性と熱い抱擁を交わしている。軍港近くにあるカフェならではの、よく見る光景だ。
「はぁ、羨ましい。もう、イェラキったら、また遅刻。これで何回目かしら」
恋人のイェラキ・トラグディは長身で体格も良く、なによりも顔立ちが非常に整っている。性格も穏やかで優しく、声を荒げた姿など一度も見たことがない。
そんな完璧な彼の欠点は、〝優しすぎる〟ことだ。決して他人に侮られるような容貌でも能力でもないのに、その人当たりの良さが災いして色んな雑務を頼まれているのを知っている。
結果、こうして仕事終わりに待ち合わせをすると高確率で彼は遅刻をするのだ。
おそらく、今日も誰かになにかしら頼まれてしまったのだろう。
マノリアは髪から手を離し、胸元にぶら下がる真円真珠のネックレスを見つめた。
これは先月のマノリアの誕生日に、イェラキが贈ってくれたものだ。
「婚約を発表して私の婚約者、って公になったら少しは変わってくれるかしら」
そう呟いたあと、マノリアはすぐにその考えを振り払った。
「ううん、きっと彼はなにも変わらないわ。まぁ、そういうところが好きなんだけど……」
好き、と言葉にした途端、マノリアは我に返り真っ赤になった。二人きりの時はこれでもかとばかりに口にしている愛の言葉も、こうして一人で呟いていると恥ずかしいことこの上ない。
「やだ、私ったらなにを言っているのかしら、恥ずかしい」
「……なにを言っていたの?」
「え!? きゃあっ!」
突如、耳元で囁かれマノリアは驚き飛び上がった。振り返ると、恋人イェラキが可笑しそうに笑っている。
「イェラキ、気配を消して近づいて来ないで、って、いつもお願いしているじゃない!」
「ごめん、独り言を呟きながら表情をころころ変えるリアが可愛くて」
「そ、そんなにおかしかった?」
「おかしくないよ。可愛いって言っただろ?」
マノリアは耳を押さえながら、赤く染まった顔で恋人を見上げる。イェラキは急いで来てくれたのか、作業着のままだ。
それでも長身に鍛えられた体躯、顔にさらりとかかる灰銀の髪に晴天下の海のような紺碧の瞳、非常に整った顔立ちの彼は、ところどころ油染みのついた作業着を着ていてもなお周囲の女性たちの視線を独り占めにしている。
「それで? 今日は誰になにを頼まれていたから遅刻をしたの?」
マノリアはほんの少し、意地悪な気持ちを込めて訊く。
「あー、そうだね、うん、ちょっとした雑用をしていただけだよ」
向かいの席に座ったイェラキは、不自然に視線を逸らせている。
「……もしかして、お兄さま?」
途端にビクリと跳ねる恋人の肩。それを見て、マノリアは深い溜め息をついた。
「だと思った。もう、イェラキは嘘が不得手なのだから、誤魔化したって無駄よ?」
マノリアの追及に、恋人は鼻の横を掻きながら決まり悪げに笑った。
「ハハ、ごめん。でも、フィラフト大尉に頼まれごとをしたわけじゃあないんだ。大尉は魔力砲の動力炉を今日初めて僕に見せてくれたんだよ」
「動力炉って、お兄さまの護衛艦?」
「いや、デルピス艦長の巡洋艦。民間から雇われた乗員にそこまで見せて貰えるとは思っていなかったから、驚いた。それで、部品の劣化がないか急に気になって、つい」
さすがにまずいと思ったのだろう。イェラキの声が段々小さくなっていく。
「……部品の清掃に夢中になった? 私との約束があったのに?」
「だって、最強の海軍、と言われるアネモス海軍を支える魔力砲の動力炉だよ? そんなの、夢中にならない方が……って、ごめん、リア。……やっぱり、怒っているよね?」
「そんなの、当然じゃない」
マノリアは笑い出しそうになるのを懸命に堪えながら、つん、と顎を横に向けた。
「……マノリア、目を逸らさないで。僕を見て」
不意に聞こえる低い声に、マノリアの胸がドキリと鳴った。少し調子に乗り過ぎたかもしれない。この声音は、滅多に怒らない彼が少し怒っている時のものだ。
「な、なぁに?」
おそるおそる、顔を前に向ける。イェラキは気を悪くしてしまったのかもしれない。
それも当然だ。急いで来てくれた彼に、なんて可愛くない態度を取ってしまったのだろう。マノリアの胸の内に、激しい後悔が過る。
「ごめんなさ……っ!?」
謝罪の言葉を口にしながら、うつむいたまま正面に体を向けた次の瞬間、向かい側から身を乗り出してきたイェラキはマノリアの顎をひょいと掬い上げた。
そしてそのまま、唇を重ねてくる。マノリアは驚き、黄金の両目を見開いた。つき合って一年。これまでイェラキとは数えきれないほど口づけを交わしてきたが、人前でキスしたことは一度もない。
唇はすぐに離れた。呆然とするマノリアの目の前で、恋人はどこか獰猛な眼差しでぺろりと舌舐めずりをしている。
「僕のお姫さま、貴女から嫌われたら僕は生きていけない。だから許してくれる?」
そう甘く囁きながら、恋人の長い指がゆっくりと唇をなぞる。
「ゆ、許して、あげる……」
――顔全体が、燃えるように熱い。きっと今、自分は自身ですら見たこともない表情をしているに違いない。
「そうか、良かった」
イェラキは微笑みながら、そのまま椅子に座ることをせず立ち上がった。
マノリアも、そしてちょうど注文を取りに来た黒シャツの店員も、揃って首を傾げる。
「あぁ、注文は結構です。もう帰りますので」
イェラキはポケットから札を出し、テーブルに置いた。
「リア、行こう」
「……え? えぇ、わかった」
本当は『七色鯨』で食事もしていくつもりだった。けれどイェラキに促され、マノリアも慌てて立ち上がる。
「イェラキ、お腹空いてないの?」
「ん? 空いているよ、すごく」
「だったら、食事をしたほうが良いのではないの?」
イェラキを見上げるマノリアの腰に、腕がするりと回された。こんな風に作業着を着たまま、要は海軍章を胸に付けた状態で密着することはなかった。
初めてだらけのことに、嬉しいよりも戸惑いのほうが勝ってしまう。
「あ、イェラキ……」
「大丈夫。食べたいものは今、捕まえたから」
マノリアを見下ろす、紺碧の瞳。海のような青であるはずのそれは、欲に染まりどこか赤みがかって見える。
「行こう、お姫さま」
低く、それでいて甘く蕩けるような声で囁かれ、マノリアには頷く以外の選択肢がどこにもなかった。
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