「ご褒美が欲しいな。永遠に一緒にいたい」
あらすじ
「ご褒美が欲しいな。永遠に一緒にいたい」
インストラクター加恋の理想の男性は、ヒストリカル系の小説や漫画に出てくるような細マッチョの誠実な王子様。だが召喚された異世界で加恋が出会ったのは、悲しみに沈みぽっちゃり体形になってしまった王子フレデリックだった。
彼の心を癒し健康を取り戻さなければ、元の世界には帰してもらえない……加恋とフレデリックのダイエット計画が幕を開ける!
作品情報
作:ひなの琴莉
絵:茲助
デザイン:RIRI Design Works
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第一章 異世界へ……
私の家族は、とにかく食べることが大好きだった。
お祝いごとがあっても、悲しいことがあっても、食べて食べまくっていた。
私が特に太りはじめてしまったきっかけは、中学校一年生の時、両親が出かけた先で事故に遭って他界したことだ。
大切な人を失った悲しみで私は気が狂ってしまいそうで、食欲も失い、黙って泣く日々だった。
そんな姿を見かねた祖母が、美味しい料理をたくさん作って食べさせてくれた。食べると心が満たされて悲しみが消えていく。
そして私はだんだんと体に脂肪を蓄えたのである。
三年前まで私は、ぽっちゃり……いや、ぼってり体型だった。
しかし、友人に言われた一言で一念発起し、ダイエットに目覚めたのだ。
『顔は可愛いんだから、痩せたほうがいいよ。彼氏とかもできると思うよ?』
仲がよかった友達は気がつけばみんな恋人がいて、私は恋愛から遠ざかる生活をしていたのだ。
せっかくなら恋をして素敵な彼氏と出かけてみたい。
そのためにもダイエットを頑張ろうと決意をしたのである。
まずはジムに通い、食事制限と運動の方法を学んだ。
はじめの頃は体が重くてしんどかったけど、体重が減ってくると、動くことが愉快になってきた。するとブヨブヨだった体はみるみるうちに痩せて、引き締まった身体を手に入れた。
そのまま、そこのスポーツジムで働くことになり、会社からのお願いで運動ダンス動画を投稿するようになった。
動画投稿なんて恥ずかしくてたまらなかったけど『いつも楽しく見ながら運動頑張ってます』とか『加恋先生のキュートなダンスが大好きです』などコメントをもらうようになってだんだんと楽しくなってきた。
すると再生回数がものすごい数になり、女性のファッション雑誌や情報番組からも声がかかるようになった。
お世話になったフィットネスクラブの社長から『フリーになったほうがいい』とアドバイスをされ、悩んだけれど、私は退職した。
独立してちゃんとやっていけるのか不安もあったが、自分の動画チャンネルを開設するとあっという間に三十万人もチャンネル登録をしてくれたのだ。
テレビや雑誌の仕事もしながら日々頑張っている。
……が、ラブが足りない。
痩せたことで目鼻立ちがはっきりし、男性から声をかけられることも多くなった。だけど私の性格とか知らないのに『可愛いから付き合ってほしい』なんて言ってくる人もいて、すごく気持ちが萎えてしまう。
私のタイプはヒストリカル系の小説や漫画に出てくるような、見た目は華奢なのに脱ぐと腹筋が割れているような細マッチョの誠実な王子様!
「……って、そんな人、今の日本にいるわけないよね」
雑誌の取材を終えて戻ってきた私は、ワンルームの部屋で一人寂しく小さな声でつぶやいた。
疲れたなと思いながらベッドに転がりスマホを確認する。
今日もたくさんのコメントがついていてそれを見ていると癒されるが、二十三歳になったのでそろそろ彼氏がほしい。
痩せようとしたのはもともと素敵な恋人を作ろうと思ったからだ。しかし好きだと思える人に出会えず、恋ができなかった。
だって、空想の世界の人物のほうが魅力的なんだもの。
ピンクブラウンのふわふわとした茶色の髪の毛は背中まであり、普段は頭のてっぺんで結んでいる。今日はそれを外すのも面倒だと思いながら、お気に入りのヒストリカル系小説を読むことにした。
『王子が近づいてきて意味深な視線を向けてくる。クラヴァットを外し、シャツを脱ぐと眩しいほどに鍛え上げられた体躯があらわになった』
(そうそう! 王子様は、腹筋が割れていて超絶イケメンじゃないとね)
そして穏やかな性格で、何でも包み込んでくれる。
私は文庫本を抱きしめて甘いため息を吐いた。
まだ誰とも付き合ったことがない私には少々刺激的すぎで強烈であるが、糖分補給することができる。
こんな素敵な登場人物を作り出してくれた作家さんに感謝したい気持ちでいっぱいだった。妄想を膨らませていると、そのまま私は眠気に襲われて、まぶたがだんだん閉じていく。
本日は営業終了。おやすみなさい。
(……なんだろう?)
体が宙に浮く気がする。頭が痛くてどうしようもない。
何か強い力で引っ張られているような不思議な感覚。
瞳を開けようとしても、風圧があまりにも強すぎて目を開くことができなかった。
「きゃああああああああ」
恐ろしくなって大きな声で叫ぶが、誰も助けに来てくれない。風の音が強すぎて他に何の音も聞こえなかった。変な夢を見ているのだろうか。どこかに引っ張られる感じがして恐怖心がこみ上げてくる。
ヒュン。
先ほどまでのうるさい音がまったく聞こえなくなった。
急に静まり返ったのでそっと目を開けば、強い光の中に包まれていた。まるで光でできた球体の中に放り込まれたような。眩しくてすぐに目を閉じた。
(……な、何なのっ?)
こんな体験をしたことがなくて私は動揺し頭の中が混乱している。
これは夢なのか現実なのかわからない。
「ひゃっ」
最後にドスンと体が穴に落ちた感じがした。
「イテテテ……」
そこは、硬くて冷たい床の上だった。
「シュッタルフ、シャーバジャリア……!」
聞きなれない言葉が耳に入り、私の心臓が激しく動き出す。部屋の空気が冷たくて、すごく寒い。夢にしてはリアルすぎる感覚だ。
目を開くと。そこにいたのは、白髪で髪の毛もひげも長い老人男性だった。
長いスティックのようなものを持っていて私の目の前に来てクルクルと回している。光が宝石のようにキラキラと輝いていてとても美しい。
わけのわからない呪文を唱えているようだった。
その男性が近づいてきて私の目の前にしゃがんだ。そして虹色に輝く飴玉のようなものを親指と人差し指でつまんでいる。
気を取られていると彼は私の口の中にそれを放り込んだ。
毒を飲まされたのかもしれないと焦ったが、次の瞬間、今までに食べたことがないような甘くて美味しい味がした。イチゴのようなバナナのようなオレンジのような……まるで高級なフルーツが使われているミックスジュースみたい。
あまりにも美味しいので口から吐き出すことを忘れ夢中になって食べた。
あっという間に飴が溶けてしまう。
「これで私の言葉がわかるだろう」
日本語が聞こえてきたので、私は驚いて目をパチパチと瞬かせる。
「……あなたは誰ですか?」
「魔術師だ」
「は?」
ヒストリカル系とかファンタジー小説が大好きなのでそういうものをばっかり読んでいるから夢にまで見てしまったのかもしれない。
この際だからこの夢を楽しんでおこう。
私は部屋を眺めた。すごく狭い部屋だ。窓がひとつもなくて四方が締め切られている。
この部屋に私はこの老人と二人きり。
「イシダカレン、これはお主の名前じゃな?」
「そうですけど」
「職業は健康管理士」
「スポーツインストラクターです。しかも国家資格とかじゃなくて、ダイエットするためにスポーツジムに通ったんですけど、そこでスカウトされて働くことになったんです。だから運動方法とか栄養面に関しては先輩に教えてもらったのと、独学なんですけど。でも仕事は一生懸命頑張りました。そのおかげで今は動画配信で成功して食べていけてるんですけど……あーでも、この生活がいつまで続くかわかんないんですけどね」
老人はスティックをポンポンと叩いた。
「口数が多い娘だ。細かい情報はいい」
質問されたからせっかく答えたのに、うざったいような表情をされる。失礼な人だなと思いながら私は軽く睨んだ。
「一流の健康管理士を召喚するように国王陛下から仰せつかった」
「我ながら面白い夢」
面白くてクスクス笑うと、老人はスティックを床に叩きつけたので、私の体がビクンと跳ねる。
「お主はこれを夢だと思っているのか?」
「違うんですか?」
「夢なんかじゃない。この私がお主を召喚したんだ。目標達成するまで元の世界には戻れないことになっている」
「えーーーーー!」
信じられないけれど、目が覚めたらきっと元の世界に戻っているだろう。冷静になろうと息を細く吐いた。
「ところで目標達成とは何ですか?」
「我が国第三王子、フレデリック・エル・テヤンディエ・ベルベレット殿下をご健康な体にして差し上げることだ」
その話を聞いて私は頭の中で想像してみる。
大好物の『王子様』というキーワードが出てきた。しかし健康に不安を抱えているらしい。
栄養面についても、アドバイスできるかもしれない。
痩せて病気がちな王子様をお世話して、最後はラブラブになったという話も小説で読んだことがある。この夢は私の頭の中で作られたもの。だから今まで読んできた物語が影響しているのかもしれない。本当に面白い夢だ。
とりあえず何でも“イエス”と答えて話を進めていこう。私はゲーム感覚で楽しむことにした。
「健康な体に私がしてみせます!」
立ち上がって胸のあたりをトンと一つ叩くと、魔術師は安心したような表情を見せた。
「それでは。カレンを案内することにしよう」
扉が開かれて細い廊下を歩いていく。
歩きながら、今いた場所は王宮に作られている魔術師の部屋だと教えてくれた。
あそこで召喚する儀式をすることもあるらしい。
夢の世界なのに、よくできた設定だなと思いながら歩いていると、大きな部屋にたどり着いた。
「ここは玄関じゃ。ここからはフレデリック殿下の側近に引き渡す。よろしく頼んだぞ」
近づいてきた男性は眼鏡をかけていて、目が細く眉毛がつり上がっている若干神経質そうな性格をしていそうな人だった。
「召喚したのはこの娘じゃ」
顔を凝視され居たたまれない気持ちになる。この女に本当に仕事が務まるのだろうかみたいな顔をされて、少し嫌な気分になった。
「あなたが召喚したなら、きっとこのお嬢さんは本物なのでしょう……。受け入れるしかありませんね」
「一言余計じゃ。じゃあ、ワシは行くぞ」
老人が杖を鳴らしながらその場から去っていく。
「はじめまして、セヴァンと申します」
「はじめまして、石田加恋です」
セヴァンさんが上から下までじろじろと見つめてくる。
瞳の色が青かったり、茶色だったり、髪の毛はブロンドヘアーの人が多く見え、私がよく読んでいたヒストリカル系小説の世界に入り込んだ雰囲気だった。
なのでバリバリ日本で生きてきた私はこの空間ではかなり浮いている。
「ちょっと待って!」
案内しようと歩き出したセヴァンを呼び止めた。
「王子様に会うのに、私Tシャツとジーンズなんですけど」
「その服装は、あなたの国の正装ではないのですか?」
「……めちゃくちゃ普段着です」
じっと見つめられた。
「珍しい格好をしていますが、殿下は心の広い方なので認めてくださると思います」
「そ、そうですか……。それならいいですけど」
着替えすることを許されることもなく案内された私は、廊下を歩きながら考えるが心の広い方だと聞いて安心する。
そして、きっと王子様はイケメンで素敵な人だと勝手に想像していた。
それにしても広すぎる館内だ。絶対一人だと迷子になってしまうだろう。
所々に護衛が待機し鋭い視線を向けてくる。悪いことをしていないのにまるで悪いことをした人みたいな気分だ。
到着したのは一際、厳重な警備がされている扉の前だった。
「よろしいですか? くれぐれも失礼のないように」
「了解しました」
ノックをして中へ入ると長い廊下になっていて、さらに進む。もう一度扉を叩くと中から返答があった。
「フレデリック殿下、失礼します」
重厚な扉を開き、セヴァンさんの背中について私は歩みを進める。
足音が響く大理石の床。そこを進んでいくと広い空間が広がっていた。
天井にはシャンデリアがぶら下がっていて、長方形のダイニングテーブルが目に飛び込んできた。
左に曲がったセヴァンさんを追いかける。あまりにもゴージャスな空間だったので目が奪われてしまっていたのだ。
もう少し進むと、金で縁取られた立派なソファーに座っている背中が見える。
サラサラのブランドヘアーから、イケメンの王子様のオーラがダダ漏れだ。
顔を見るのが楽しみでドキドキする。
(でもちょっと背中が大きいような)
後ろ姿が想像していたのとちょっと違った。
体調が悪いと聞いていたので、痩せて細くて華奢な体型をしているのかと思ったが、がっちりとしている。まあ、マッチョも嫌いではない。
浮き足立つ気持ちで彼の前に立つと、私は目が点になってしまった。
お腹がぽっこりと出ていて、ベストのボタンがはちきれそうになっている。
ブルーダイヤモンドのような瞳はとても美しいのに、顔の輪郭が丸い。こんなにぽっちゃりとした王子様を見たことがなかった。
「フレデリック殿下、本日より健康管理をしてくださるカレンさんにお越しいただきました」
「わざわざありがとうございます」
おっとりとした話し方だった。
全身から優しくて穏やかな人だと伝わってくる。
人柄に感動する前に私はどうしても気になってしまうことがあった。テーブルにはフルーツやお菓子がたくさん並んでいて、甘そうなジュースまで置いてあるのだ。
「殿下はただいま休憩中でして、お部屋で休んでいただいていたところです」
「休憩中なのはわかりますが、少し食べ過ぎなのではないでしょうか?」
言ってはいけない言葉だったのか、部屋の空気が凍りついた。
セヴァンさんは咳払いをする。
「殿下はお疲れになっているのです」
「……たまにならいいですけど、毎回こんなに食べていたら脂肪がついて体に悪影響を与えてしまいますよ。それに筋肉ってなんだかカッコいいと思いませんか? 筋肉をつけましょう!」
「筋肉がかっこいい……? 私には少し理解が難しいですね」
フレデリック様はまったく興味を示さないで、口にチョコレートを放り込みながら答えた。
「筋肉があると、頑張って自分の体を鍛え抜いた証っていう感じがするんです!」
なんせ私は夢の中にいるのでズバズバと言いたいことを言ってしまった。
王子様は穏やかな表情を浮かべているが、もしかしたら気分を害することを言ってしまったかもしれない。
「……ま、まずはご紹介できたのでよかったです。カレンさん他にも館内をご案内いたします」
「はい。ではフレデリック様、またお会いしましょう。ダイエット頑張りましょうね!」
私が元気いっぱい言うと、王子様は肩を震わせて笑った。
「明るいお嬢さんに担当していただけて光栄です。こちらこそよろしくお願いします」
痩せて筋肉がついたら小説に出てくるような超絶イケメンに変わるのではないかと私は期待で胸を膨らませて廊下に出た。ところが、セヴァンさんに口酸っぱく怒られてしまう。
「失礼な態度をとってはいけないと言ったじゃないですか。わかりますか? フレデリック殿下は、海に囲まれ農作物も海鮮物も豊富な大国、ベルベレット王国、第三王子ですよ?」
「でも、まずは仲良くなることからはじめないと、ダイエットは成功しないんです」
盛大なため息をつかれてしまった。
「たしかにおっしゃるとおりですね。……ですが」
「頑張ります!」
「……頼みますよ。殿下の将来に関わる問題なんですから」
将来に関わる問題なんてめちゃくちゃ大袈裟な気がするが、私は軽く受け流す。
「フレデリック様って、仕事はしているんですか?」
「国民の前に出るような仕事はしておりません。しかし書類を見たり考えることがあったりたくさんやることはありますので、王族として忙しい毎日を過ごされております」
「そうなんですね」
「では、次に面会していただくのは国王陛下です。今度こそ失礼のないようによろしく頼みますよ」
「かしこまりました」
ということで国王陛下の執務室に案内された。
小説の世界で読んでいるような建物で館内がとても立派だ。
国王陛下は背もたれの高い椅子に腰をかけて大きな机の前で仕事をしているところだった。
私の姿を見て驚いた表情をした。
「あなたが救世主か。黒い瞳というのはとても珍しい」
息子のことを助けてくれる救世主だと思っているっぽいので、失礼なことは言ってこない。
「日本という国から来たんです。ご存知ですか?」
眉間にしわを寄せて頭を左右に振った。
「申し訳ないが聞いたことがない」
お互いに自己紹介を済ませると、早速国王陛下が悩みの種を話しはじめた。
「息子はあんなに太ってしまって……。いろいろとあったからショックを受けたのだろう。我が国の公爵家から縁談は様々あるが、あまりにも醜い身体になってしまったので父親として対面させるのが恥ずかしいんだ。それに国民の前にも出させることを躊躇ってしまう。今は本人も誰にも会いたくないようだから、行事には参加していないんだが、このままではいけないと思っている」
醜い体なんてちょっと言い過ぎなんじゃないかなと思ったけれど、私は黙っていた。
ショックを受けていると言っていたが、何があったのだろう。
体だけではなく心もリフレッシュしてくれたらいいんだけど……。
「減量が成功したらお見合いをさせて結婚させたいと思っている。もしくは…… 幼い頃からよく遊んでいる公爵令嬢がいるから、話がまとまればそのお嬢さんと結婚させてもいいと思っているが……。ともかく成功したら、カレンには大きな報酬を与えよう」
とにかく楽しい気持ちで運動に励んでもらえたらいいのだが、きっと眠ったら私は元の世界に戻る。
この世界をもっと見てみたい気もしたけど、これは夢なのだ。なので私は素直に引き受けることにした。
「自分のできることを頑張ってやってみます」
「生活費も必要だろう。しばらくはここに住んでもらおうと思っている。衣食住に不自由することはないと思うが、自由な貨幣も必要だから国民の平均的な月収の二倍を支払うことにする」
「感謝いたします」
私は面白い夢だなと思いながら、自分の胸に手を当てて頭を深々と下げた。
第二章 まさか、これが現実なんて
目が覚めると私はふかふかなベッドの上にいた。
いつも見える天井と間違いして頭の中が混乱する。
目をこすりながら体を起こして辺りを見渡すと、花柄のカーテンやソファーが見えた。
「……え? ここどこ?」
明らかに自分のベッドではない。
(まさか昨日見ていた夢の続きをまだ見ているとか?)
そんなはずはないと思ったが、やけにすべての出来事がリアルだったことを思い出す。
香りも感覚もはっきりしていて現実の世界で起きているみたいだった。
(私は本当に召喚されてしまったの? ……いやいやありえないって)
ぼんやりとした頭でカーテンに近づき開くと、綺麗に手入れされているガーデンが目に入ってきた。あまりにも美しくて窓を開いて空気を吸い込む。
(甘い花の香……。クチナシかな?)
日本にいた頃には経験したことがない爽やかな空気と美しい景色。あり得ない状況にいるというのに私はうっとりとする。
しかし私は頭を左右に振った。
(ありえない! ありえない!)
普通に考えて日本から異世界に行くなんて絶対にありえない。まだ夢を見ているのだ。きっと……。
扉がノックされ返事をすると、中に入ってきたのは、私と同じぐらいの年齢のメイドだった。
「お目覚めですか? はじめまして。ルリーヌと申します」
栗毛をおさげにして可愛らしい笑顔を向けられる。
「本日からお手伝いさせていただくことになりました。お食事の用意ができましたので運びますね」
「……あ、あの」
まだ動揺している私は何も言葉を発することができず、大人しく椅子に腰かけた。
お腹が空いているのでまずは食事をすることにしよう。
運ばれてきたのはパンとスープとサラダと鶏肉のソテーだった。香りはいいがビクビクしながら口へ運ぶ。
異世界に来たら食事がまずいというのが定番だが、ここの食事は味付けが濃すぎず薄すぎず私の口にはちょうどいい。栄養バランスもいいしとても満足した。そういえば昨夜も食事をご馳走してもらったことを思い出す。自分の部屋に美味しそうな料理をたくさん持ってきてくれて、味も満足した。
「ごちそうさまでした」
「伝言承っております。昼食後と夕食後にフレデリック殿下のお時間が取れるそうなので、その時に運動指導をしてほしいとのことでした」
「……そうですか」
「また何かありましたらお気軽に呼んでください」
侍女が部屋を出ていき、一人になった私は考え込む。
もしかしたら別の夢を見ているのかもしれないと思ったけど、昨日の夢と同じ名前が出てきたので、現実味が帯びてきている気がする。
こんなことがあるのだろうか。
異世界転生や異世界転移、そんな小説やマンガは腐るほど読んできた。
でもどれも現実に起きることはなくて、私の妄想の世界を彩ってくれるものだったのに、実際に私はこの世界に飛ばされてしまったのか。
今後どうしたらいいのだろうと不安になる。
(もし本当に異世界転移していたとしたら、あの王子様の減量させることが私の仕事ってことだよね? 待って、私はもう日本に帰ることができないの?)
日本では仕事で大成功して楽しいこともあったけど、家族がもういなくなっていて寂しいと思うことも多かった。
それにありがたいことなのだが、日本では一部の人に顔が知られてしまいプライベートがあまりなくなってしまった。だから将来は外国で暮らそうかな、なんて考えていたところなのだ。
もしこの状況が夢でなかったとしたら、それは私の生きる道の一つの選択肢なのかもしれない。
動揺しているはずなのに、少しずつこの世界にいることを受け入れはじめている。
私がこの世界に飛ばされたのは、王子様を健康な体にしてお見合いを成功させるため。
そのミッションが成功すれば、もしかしたら日本に戻してくれるのかもしれないけど、よく考えてみると元の世界にはもう戻りたくないなんて思う。
私はダイエットも仕事も成功したけど、スタイルがいいというだけで言い寄ってくる、いやらしい顔をした男性たちを思い出すと嫌気がさす。
そして成功した私はお金持ちの男性を紹介してとか、合コンをセッティングしてほしいと言われることが多くなった。そういうことを言ってくる女性たちはお金持ちだったら誰でもいいのだろうかと疑問に思っていた。
それなら私を囲む何もないところで生活したほうが心健やかに過ごせるのではないか。そんなことをふと思った。
まだ結論を出すのは早いので、まずはあの王子様に健康な体になってもらえるように私は頑張ろうと決意をした。
まずは食事メニューを考える。タンパク質を多めに野菜中心の生活にしてもらおうと思ったのだ。
ダイエットには運動も必要だが、食事の管理というのも深く関わってくる。あまり食べないようにして我慢すればいいというわけではない。筋肉がつきやすいような食事をすることが大切なのだ。
ある程度一週間のメニューが決まったところで、セヴァンさんがやってきた。
「魔術師から話を聞きました。カレンさんは異世界から召喚されたんですね」
「どうやらそのようですね……」
「まさか異世界から召喚されるなんて思ってはいませんでした。同じ世界のどこかから、召喚するものだと思っていたのですが」
「まあでも……夢だとは思えませんし。今できることを頑張ろうと思っていたところです」
「そのように思っていただけて光栄でございます」
彼は安心したような表情を見せた。
「それで早速食事のメニューを考えたんです」
セヴァンさんに献立を手渡すと感心したように頷いた。
「素晴らしいですね。…… しかし、これで満腹になりますかね?」
「はじめは少ないと感じるかもしれませんが、慣れてもらうことが重要ですから」
「……なるほど。料理長に提案しておきます」
なんとか納得してくれたけれど、王子様は食べることが好きらしい。
「それで運動する時の着るものを用意していただきたいのですが……」
私はこちらの国に来てから用意されたワンピースを着ていた。
「お持ちいたしました」
見せられたのは白のブラウスとズボンのセット。色気がまったくないけれど運動するだけなのだからあまり関係ない。これを運動着として使わせてもらうことにする。
「ありがとうございます」
セヴァンさんを見送ると、侍女が下着を持ってきてくれた。フィット感はあまりないけれど、仕方がない。私は早速運動着に着替えることにした。
ランチタイムを終えた頃、昼の運動をするために王子様の部屋に向かった。
「こんにちは」
「……先生、こんにちは」
のんびりした雰囲気の人で刺々しい感じはないけれど、私にまったく興味がないという感じ。彼の目の前に座って私は瞳をじっと見つめた。美しいブルーの瞳だ。さすが王子様!
だけど、二重あごが気になる。
「今日から運動頑張りましょうね」
「……そうですね」
気乗りしない受け答えだ。
「脂肪がたくさんついた体だと、内臓の病気になるかもしれませんし、体重が重いと足腰に負担がかかって痛みが出てくる可能性だってあるんです」
笑顔を浮かべているが黙り込んでしまう。私は彼の思っていることを聞き出そうと少し顔を近づけた。
「運動はお嫌いですか?」
「……長生きしなくてもいいと思っているんです」
まさかのマイナス発言に私は驚いた。
「好きなものを食べていると、悲しいことを忘れられるので」
何があったのかわからないけれど、生きる気力をなくしているのか。
体だけではなく心のケアも必要なのではないかと感じる。
(……でも私にできるの?)
できることは限られているかもしれないけれど、寄り添いたい。辛いことがあった時、私も祖母に励ましてもらったから。
「もし私に話してもいいと思ったら、その悲しかった出来事を聞かせてください」
「……」
「私はフレデリック様に元気になってほしいって思っています」
私は微笑んだ。しかし、今は話す気分ではないようだ。
「さぁ、まずはストレッチからはじめますよ。立ってください」
仕方がないというように立ち上がってくれた。
顔は笑顔だがどこか突き放すような瞳をしている。
それでも私は彼に健康になってほしくて笑顔で接することにした。
「両足を肩幅まで開いて立ってください。そして両手を頭上に思いっきり伸ばします」
「……痛い」
これだけのことなのに、かなり運動不足のようで痛がっている。
「次は体を前に倒していきます」
私と同じようにやってくれるけど、お腹が突っかかって前には倒れられない。
「ふぅ、苦しい」
「あんまり無理しないでゆっくりやっていきましょう。イチ、ニィ、イチ、ニィ」
今まで私が対応してきた人たちは運動をしたいという人が多かったけれど、運動する気がない人をその気にさせるのはとても難しいことだ。
十分ほどストレッチを終えると時間になった。
「先生、ありがとうございました」
「また夕食後も一緒に運動しましょう」
曖昧な表情を浮かべて執務室へと消えていく。どうやら、フレデリック様が生活をする部屋の隣に執務室があるようだ。
セヴァンさんが迎えにやってきて、私の部屋に戻る途中、フレデリック様のプロフィールを細かく教えてもらっていた。
年齢は二十歳。私より三歳年下だ。
身長一八五センチの八十五キロ。いつも穏やかな表情をしているが、心を開くことはなく、ずっと引きこもっているらしい。
最低限の執務はこなしているが外に出ての行事には参加しないとのことだ。
「辛い過去があったようですね」
「そのことについてはご本人の口から聞いてください」
「わかりました。元気になってもらって健康な体になって、国のために働いてもらえるよう私も努力します」
* * *
夕食からは私の考えたメニューが出されたようだ。
夜は寝るだけなので、炭水化物を控えめにしたほうが効率的に痩せられる。体を冷やさないように温かいスープと脂身を取った肉か魚料理が中心。
彼の食事が終わった頃に私は部屋へと向かう。
「こんばんは」
私の顔を見て彼はギョッとした表情を浮かべた。
「夜も体操をする……のですか?」
「夕食後も運動しましょうって言ったじゃないですか。一日も早く健康になってほしいとのことでしたので」
「……国王陛下が私の姿は醜いからという理由ですよね。国王陛下はこんな醜い体になった息子を愛してはくれていません」
穏やかな口調なのにどこか冷めたような表情を浮かべられる。この人はどこか寂しい人なのかもしれない。
自分も両親を失った時は自暴自棄になり、祖母に寂しさから当たってしまったこともある。気持ちがなんとなくわかる気がして切なくなった。
運動も大切だけど、彼の隣に座って、コミュニケーションをしっかり取ろう。
「国王陛下はそのように思っているかもしれませんが、健康で長生きしてほしいと私は心から思っていますよ。せっかく出会ったのですから」
自分のできる精一杯の笑顔を向けると、王子様は少しだけ強張っていた表情が柔らかくなっていく。
「私こう見えて小さい頃とってもぽっちゃりしていたんです。なのでいじめにもあいました。大人になって一生懸命運動して痩せたんです。痩せたからって幸せになるわけではないんですけど、自分がこれだけできたって自信が持てて……」
「そうだったのですね」
自分の過去を下げるとフレデリック様は興味を持ったように話を聞いてくれる。
「運動することで私は人生が変わったんです。勉強もして人に運動を教えることが好きになりました。そしたら仕事も成功して喜んでくれる人もたくさんいたんです。その代わり仕事で成功した表面だけ見て近づいてくる嫌な人もいました」
「まだ若そうなのに苦労していたんですね」
「それほどでもないですよ」
会話をしていると夜が深くなっていく。
本当は運動してほしかったけど、今日はまず心を開くことが大事だと思って会話を重ねていた。
「先生は、私のために異世界から召喚されたんですよね? 恨んではいませんか?」
「それが、むしろこちらの世界に呼ばれてよかったなって思うんです。いつか私は海外で暮らそうと考えていたので。でも、こちらの世界には私に知り合いは誰一人いません。それはちょっと寂しいです……」
フレデリック様は眉尻を下げて悲しそうな表情をした。
「王族のあなたにこんなことをお願いするのはおかしいかもしれませんが、友達になってもらえませんか?」
突然のお願いに彼は驚いた顔をしたがすぐに頷いてくれる。
「ぜひ」
彼は恥ずかしそうにしながらも手を差し出してくれたので、私たちは固い握手を交わした。穏やかな空気が流れていたのにフレデリック様はうつむく。
「……しかし、もし痩せたとして、お見合いさせられても、本当に愛する人でなければ結婚したくありません」
「あぁ……なるほど。家系的にいろいろ大変ですよね」
この時代のあるあるだと思って私は深く頷いた。
恋愛をして結婚をするヒストリカル系小説はたくさん読んだけど、実際にこの世界観ではそれは許されないことなのかもしれない。
「フレデリック様は好きな人いないんですか?」
その質問に彼は頭を左右に振った。
「恋とか愛とかわからないです。憧れはありますが……」
「とても大切に思う気持ちというか……」
「妹に対してはそうでした」
「親族に対する気持ちとはまた違うかもしれませんが……」
ドン。
急に机を手のひらで叩き出した。
テーブルに置いてあるドリンクが倒れる。私は驚いて目を大きく見開いた。
「妹に対する気持ち……あなたに何がわかるんですか?」
「すみません……」
「今日は一人になりたいです。出てくれませんか?」
穏やかな表情をしているフレデリック様がものすごい怖い表情をしている。私は恐ろしくなって何も言わずにその場から立ち去った。
自分の部屋に戻ったが、私はなかなか寝付くことができない。心臓の鼓動はまだバフバフと過剰に動いていた。
妹の話になるとすごく怒っていたけど、何か言ってはいけないことを言ってしまったかもしれない。もしかして彼が悲しんでいる原因は妹さんなのだろうか。
(明日からどんな顔をして会えばいいの?)
次の日のランチタイムが終わり、おそるおそるフレデリック様の部屋に足を運んだ。
「昨日は失礼しました」
謝ったが目を合わせてくれず、私がお願いしたメニューとは違うものを食べている。
脂身がたっぷりついたステーキと甘そうなパンケーキだ。無言で黙々と口に運ぶ。
「先生がどうしてそんなに必死になるのか、私には理解できません。一生分の金品をもらえるからでしょうか?」
綺麗な瞳がこちらを睨みつけてくる。
人のことをそんなふうにしか見られなくなったなんて可哀想だと思うが、私も日本にいた時、同じような気持ちを経験したことがあった。
「何があったかわかりませんが、人のことを決めつけて色眼鏡で見ないでください。私はただあなたに健康になってもらいたいだけなんです。失礼ですよ!」
はっきりと言葉を告げると、フレデリック様は食事する手を止めた。
「嫌な気持ちにさせてしまって申し訳ありませんでした。カレンのことを考えず自分のことばかりでしたね」
私は彼にゆっくりと近づいていく。
嫌われてしまったかと思ったけど、私の呼び方が『先生』から『カレン』に変わっていた。彼なりに親しみを込めてくれているのかもしれない。
「食べなければいけない理由って、何かあるんですか?」
「……悲しみが癒えるからです。胃袋が満たされたら辛い気持ちが軽減されるんです」
「……」
「三年前に大事な妹が亡くなり、それから食べるようになりました」
そんな過去があったことを知らず私は胸がズキンと痛んだ。嫌なことがあったら食べていた過去がある私は気持ちがすごくわかった。ましてや大切な家族を失った悲しみは何者にも代えられないだろう。私も両親を失ったからその悲しみはわかる。
「妹はすごく可愛くて、本当に大切な存在でした」
「事情も知らずに申し訳ありませんでした」
「いえ、こちらも話していなかったので」
ストレートに考えたことを伝えることが一番いいのか私は悩んでしまう。でも言葉にして言わなければ相手にも伝わらないのだ。
「長生きしなくていいとおっしゃっていましたが、その言葉を聞いた妹さんはショックを受けるのではないでしょうか?」
「え?」
「私も両親が亡くなっていて。同じように悲しくてたくさん食べました。でも違うんじゃないかって気がついたんです。きっと、自分の分まで長生きしてほしいと思うはずですよ。私はフレデリック様に一日も長く生きていてほしいです。せっかくできた友達なんですから」
フレデリック様は考え込むような表情をした。そして深く頷き、こちらを見つめる。
「カレンの言う通りですね。私は妹の死を無駄にしてしまうところでした」
優しく微笑むと彼は運動してくれる気になったのか、立ち上がった。
「すぐに痩せられるかはわかりませんが、頑張るのでご教授ください」
「わかりました! 一緒に頑張りましょう」
心が通じ合った瞬間だったと思う。
(――つづきは本編で!)