作品情報

乙女ゲームの悪役令嬢に転生した私は、わんこ系執事と愛を育みます

「発情の香りがしますね。お手伝いを僕にさせてくださいませんか?」

あらすじ

「発情の香りがしますね。お手伝いを僕にさせてくださいませんか?」

 オタクな社会人だった現世から18禁乙女ゲームの世界に転生してきた悪役令嬢のキャロル。王弟殿下から婚約破棄されてしまう悲惨な結末を回避するため、キャロルは攻略対象外の執事、もふもふ尻尾の獣人ラドを味方にしようと画策する。
 だが以前から彼女を番(つがい)と定めていたラドの愛撫に、18禁ゲームならではの性的刺激に弱いキャロルの体は逆らえず……

作品情報

作:夕日
絵:風街いと
デザイン:BIZARRE DESIGN WORKS

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本文お試し読み

 第一章 悪役令嬢は前世に目覚める

 ――今夜も、気が重いことこの上ない。

 この世のものとは思えないほどの美貌の婚約者に手を引かれながらも、キャロル・フォーリーン伯爵令嬢の内心は憂鬱な思いでいっぱいだった。
 十八歳の花盛りであるキャロルは、パーティー会場にいるどの令嬢よりも美しく……どの令嬢よりも不幸せに見える。
 高く結い上げられた豊かな金髪は会場の灯りに照らされて輝き、色香漂う艶めかしい肢体を飾るワインレッドのドレスとセンスのよい装飾品は、キャロルの見るからに気の強そうな美貌を引き立てている。
 しかし……その表情は浮かないものだ。いや、浮かないどころか沼地の底へと沈みきっていた。
 金色のまつ毛に飾られた紫水晶の瞳は悲しげに伏せられ、形のいい唇は真一文字に結ばれている。その顔色は紙のように白い。誰が見ても、楽しげというふうにはまったく見えない様子だ。
 キャロルの憂いの原因は、眉間に渓谷のような深い皺を寄せた、婚約者の不機嫌な様子にあった。
 それはいつものことなのだけれど、慣れることなくキャロルの心は傷つけられる。
(もう少し、楽しそうにしてくださってもいいのに)
 そんなことを考え、キャロルはこっそりと息を吐いた。
 今夜は王妃主催のパーティーだ。キャロルは婚約者とともに、その招待を受けて王宮へと訪れていた。
 キャロルの婚約者はこの国の王弟殿下である、フレドリク・アシェル公爵その人だ。
 金色の髪、空の色を閉じ込めたかのような美しい碧眼。内面の神経質さが表れていても、魅力を損ねることがない整った顔立ち。すらりと高い背と引き締まった体躯はまるで芸術品のようだ。
 そんな婚約者にキャロルは恋焦がれており――そして忌み嫌われていた。
「……フレドリク殿下」
「なんだ」
「少しは婚約者の装いを、褒めてくださってもいいんじゃないかしら」
「なぜ、その必要がある」
 婚約者としては『当然の権利』であることをねだれば、にべもなく拒絶される。
 キャロルはつんと鼻の奥が痛くなるのを堪えながら、鋭い視線をフレドリクに向けた。
「一生を過ごす相手と、少しは穏便に過ごそうとは思わないのですか」
「お前との婚約は王命で俺が望んだわけではない。驕ったことばかりを言うな。……面倒だ」
 取りつく島もなく言うと、フレドリクはキャロルの手を離す。そして彼女を一顧だにせずにパーティーの人波の中へと消えていった。
(信じられない……!)
 手に持った扇子を強く握りしめながら、キャロルは歯ぎしりをする。
 いくら好いていない婚約者だからといって、ダンスの一つも踊らずに放置するなんて。あまりの行為に怒りで体が震え、目眩がしそうになった。そんなキャロルに周囲の人々は哀れむような、そして面白がるような視線を向ける。
 人混みに紛れてもフレドリクの秀麗な姿は目立つ。キャロルはいろいろな感情がこもった視線を彼に向け――目を大きく瞠った。
 フレドリクがキャロルの見たこともないような柔らかな表情で、一人の少女を呼び止めたのだ。
 薄桃色の髪に金の瞳を持つその少女は、同性でもつい見惚れてしまうくらいに愛らしかった。白菫のような謙虚さと清廉さを感じさせる美しさとでも言えばいいのだろうか。
 彼女はお仕着せを着ており、パーティーの招待客ではなく給仕に駆り出された王宮の侍女のようだった。
「――ッ!」
 その時……キャロルは気づいてしまった。
 少女を見つめるフレドリクの瞳に――甘い熱が宿ったことに。彼が、あの少女に恋をしてしまったということに。
(私という婚約者がいるというのに。なんということなの……!)
 怒りに任せて足を踏み出そうとした瞬間。頭の奥がずきりと強く痛む。
 その痛みは立っていられなくなるくらいに強くなり、キャロルの体は傾いで前に倒れた。
「――お嬢様!」
 どこかで聞いたことのある声が響いて、体が地面に落ちる前に逞しい腕に抱きとめられる。
(――あの光景を、私は知っている)
 意識を失う前に……キャロルが思ったのはそんなことだった。

 ◆ ◆ ◆

 パーティーで倒れた後。高熱を出して寝ついたキャロルは奇妙な夢を見た。
 それは――高度な文明が築かれた世界で、別の人間として生きる夢だった。
 夢の中のキャロルは黒髪黒目の凡庸な見た目の女で、キャロルやフレドリク、そしてパーティーの会場で見たピンク髪の少女が映し出される四角い『板』のようなものを楽しそうに眺めている。
『フレドリクルート、純愛って感じでやっぱりいいなぁ。悪役令嬢、ほんと邪魔。だけどキャロルがいないと、起きないイベントが結構あるしなぁ』
 女はそう言うと、チョコレートを無造作に頬張る。悪役令嬢というのは……どうやらキャロルのことらしい。
『板』に次々に映される光景から目が離せない。それはキャロルにとって、見るに堪えないような不都合な未来だった。
(なんなの、これは!)
 女の中でキャロルが悲鳴を上げる。そんなキャロルに気づかないまま、女は『板』に嬉々として見入っていた。
 ……そして、キャロルは悟った。
(――このままでは、私は幸せになれない)

 *

 目を開けると、部屋は薄闇の中にあった。
 身を起こして重い体を引きずるようにしながら寝台から下り、アンティーク調だと急に感じるようになった真鍮のフレームの鏡の前に立つ。
 そこには金髪と紫水晶の瞳を持つ、美しい少女が映っていた。そっと鏡面に手を触れると、それはひやりと冷たい。薄桃色の唇から息を吐き出せば、鏡の中の少女も同じように吐息を零した。
 前世の『女』と、現在の『キャロル』の記憶……そして人格。それが少しずつ合わさり、馴染んでいく。数度深呼吸をして、新しい『キャロル』は受け止めがたい現実を少しずつ受け止めていった。
(……理屈はわからないけれど。前世風に言うと異世界転生をしてしまったのね。前世の私がプレイしていた十八禁乙女ゲーム『王宮蜜恋奇譚』の、悪役令嬢キャロル・フォーリーンとして)
 前世で夢中になってプレイしていた……そして現世ではあまりにも重い現実となって伸し掛かっているそのゲームの内容を、キャロルは思い返した。
 ――『王宮蜜恋奇譚』は。
 王宮に侍女として勤めるヒロイン、ヴィヴィアナ・ドラーツィが麗しの貴公子たちと出会い、恋をする物語だ。
 次々に明らかになる貴公子たちの過去の傷。王宮で起きる陰謀劇。そして官能的な日々。困難や身分差を乗り越え、ヴィヴィアナの恋の成就はなるのか――というのが大まかなあらすじだ。
 オーソドックスな好感度が上がるように選択肢を選んでいくタイプのゲームで、難易度は低め。そして十八禁イベントがたんまりという、性描写とそのグラフィックに力が入ったゲームだ。
 前世のキャロルはいわゆるオタクな社会人で、乙女ゲームをこよなく愛していた。気に入ったゲームは完全クリアをした後も何度も周回する傾向にあり、『王宮蜜恋奇譚』もそんな琴線に触れたゲームの一本である。
(一度……状況を整理しよう)
 キャロルは自身を落ち着かせようとサイドテーブルに置かれた水差しから水をコップに注ぎ、ぐいと一息に飲み干した。こんな令嬢らしからぬ乱暴な仕草を今までしたことはなかったが、これも前世の影響なのだろう。
「先日参加したパーティーは、ゲームのオープニングのものよね。ゲームシナリオはまだはじまったばかりなんだわ」
 侍女として王宮に勤める男爵家令嬢のヒロイン『ヴィヴィアナ』は、ある日給仕としてパーティーに参加することになる。
 そしてそのパーティーで攻略対象たちと悪役令嬢と出会う……というのがゲームのオープニングだ。
 本来ならば。フレドリクとヴィヴィアナが楽しげに話していることに怒りを覚えた悪役令嬢が、二人に食ってかかるというシーンがあるのだけれど。それはキャロルが倒れたことで、なくなってしまった。
 キャロルの婚約者であるフレドリク・アシェルは、当然ながら攻略対象の一人である。
 フレドリクはペトル王国国王の弟であり、身分は公爵。カテゴリーで言うと『気難しいツンデレ枠』だ。
 フレドリクは優秀だが、身分の低い妾腹の子であるがゆえに軽んじられて生きてきた。そんな生まれのせいもあり、『いかにも貴族の令嬢』というキャロルのことを、蛇蝎のごとく嫌っている。
 キャロルとフレドリクの婚約は『フォーリーン伯爵家がどの派閥にも属していない中立派で、歴史だけはある』という理由から結ばれたものだ。この婚姻では王弟に力がつくことがなく、しかし婚姻の相手としては当たり障りがない……そんな国王の思惑が見え隠れしている。表向きは歴史ある伯爵家と王弟殿下のめでたい婚約、ということになっているが。
 そんな事情もあって、フレドリクはキャロルをますます嫌うのだろう。
「陛下から押しつけられた婚約者が気に入らないからって……あの態度はどうなのよ」
 パーティーでのフレドリクの態度を思い出し、キャロルは軽く親指の爪を噛んだ。苛立つとつい爪を噛んでしまうのは、キャロルの元からの癖だ。家庭教師に叱られてもなかなかやめることができない。
 たしかにキャロルは我儘で高慢な令嬢だ。しかしそれは貴族の令嬢という立場からすると、非常識というほどのものではない。そして、王家の内情に至ってはキャロルには関係のないことである。
 どう考えても、あそこまで冷たくされるいわれはないはずなのだ。
(……乙女ゲームのキャロルが、道を踏み外す気持ちもわかるわ)
 キャロルは爪から口を離すと、小さく息を吐いた。
『悪役令嬢キャロル』は、フレドリクと上手くいかない寂しさを埋めるためにいろいろな男たちと関係を持ちはじめる。そうしつつもフレドリクに焦がれ、その寵愛を受けるヴィヴィアナを嫉妬から虐めるキャラクターだ。そしてその二つのことが露見し――。どのルートでも婚約破棄をされ、ゲームから途中退場することになる。
 婚約破棄後のキャロルのことは語られないので、彼女がどんな末路を辿ったのかはわからない。しかし多数の男性と『火遊び』をし、王弟殿下に婚約破棄をされたご令嬢の迎える末路なんてろくなものではないだろう。
 このゲームが十八禁であることを考えると……。最悪、娼館行きだってあり得る。
 それに思い至った瞬間、キャロルの背中には寒気が走った。
(今は乙女ゲームがはじまったばかりの時期で、私は浮気やヒロイン虐めなどの過ちを犯していない。これは運がいいことね)
 これから自分がどうしたいのか。キャロルはそれに思いを馳せた。
(フレドリク殿下との関係改善に努める? ……いいえ、ないわね)
 前世を思い出した影響か……フレドリクからはすっかり気持ちが離れてしまった。
 いくらキャロルが気に入らないからといって、あの扱いはあんまりだ。関係を改善して円満夫婦をやろうだなんて気にはなれない。
(自分だって、ヴィヴィアナと浮気をするくせに。それを棚上げしてこちらだけ責められるなんて、理不尽すぎるわ!)
 そんな怒りが胸に燃え立ち、キャロルの全身を駆け巡る。
「私の経歴に傷がつかない、穏便な婚約解消がしたい! 有責での婚約破棄なんてものをされて、人生が台無しになるのはまっぴらよ!」
 それが、キャロルの出した結論だった。
 家族を頼っても、叱られてそれで終わりになるだろう。歴史だけしかない伯爵家が、王命に逆らうなんてことはできない。
 今のタイミングでフレドリクに婚約解消をしたいと申し出ても、きっと聞く耳を持ってはくれないだろう。
 いくら婚約者を不快に思っていても、その動機だけで王命に逆らい、ただでさえ微妙な自身の立場をさらに危うくする道を彼は選ばないはず。
 そう。今のフレドリクには――なにかを賭して王命に逆らうほどの動機がないのだ。
 例えば運命の乙女に出会い、胸を焦がすような恋をした……とか。そんな動機が。
(乙女ゲームのような悪行は行わず、時期を見てからフレドリク殿下に婚約解消を打診しよう)
 フレドリクがヴィヴィアナに高い好感を持っただろう時期に話を持ち出せば、きっと婚約解消を前向きに検討してくれるはずだ。多少はキャロル側に瑕疵が残るかもしれないが、『複数の男たちと関係を持った』なんてことを表沙汰にされるゲーム中の婚約破棄と比べれば、天と地の差の婚約解消になるに違いない。
 そして自由になったら……。今度は浮気なんてしない相手を探して幸せになるのだ。
「うん、そうしましょう!」
「お嬢様、お体の具合はもういいのですか?」
 握り拳を固めて気合いを入れていると、背後から声がかけられる。
 振り返り、声の主を見て――キャロルは紫水晶の瞳をぱちくりとさせた。
 そこには自分の専属執事が立っていた。どこに行くのもいつでも一緒の、もはや空気のような存在とも言える『ラド』だ。倒れてしまったあのパーティーにも、キャロルはラド同伴で参加していた。
(倒れる前に聞いた声……。あれはラドのものだったのね)
 意識を失ったキャロルが崩れ落ちる前に助けたのも、屋敷に連れ帰ったのもラドなのだろう。フレドリクがそんなことをするとは思えない。
 ラドは二年前にキャロルの父フォーリーン伯爵が雇い入れた、この国では珍しい獣人の青年だ。赤い髪と緑の目を持ち、その見目は連れて歩くと多くの令嬢たちが振り返るくらいに整っていた。
 黒の執事服に包まれた体はすらりとしていて、見るからに均整が取れている。彼は穏やかな性格をしており、気働きも大層きく。年齡は二十四歳。キャロルの六つ上である。
 獣人は獣の耳と獣の尻尾が外見に表れた種族で、四足の獣にも変化することができる。ラドの場合は狼族なので、狼に変化できる……そのはずだ。キャロルがそれを実際に目にしたことはない。
 獣人の身体能力は人を軽々と上回り、キャロルは護衛を兼ねて彼が雇われたことを知っている。
(今までは気にもしていなかったけれど。獣人の執事なんて……本当に珍しいわね)
 ラドを眺めながら、キャロルはそんなことを考える。
 獣人の国であるヤール王国と、キャロルの住むペトル王国は一応は友好国だ。しかし五年前。ペトル王国の前王がとあることが理由で国境侵犯をし、手痛い報復を受けてからは、両国の関係は少しひりついている。そんな事情もあって、ペトル王国での獣人の働き手は少ない。
 前世の記憶を思い出すまで、キャロルはラドのことを『個人』として認識していなかった。彼は使用人で、キャロルは使用人に注意を払うような性質の令嬢ではなかったからだ。
(ラドは……こんなに美男子なのに攻略対象ではないのよね)
 そんなことを考えながらじっと見つめると、不思議そうに見つめ返される。
 ラドは乙女ゲームでも、『悪役令嬢』キャロルに影のように付き従っていた。
 そして、その美麗な容姿から、隠しキャラなのではとファンの間でまことしやかに囁かれていたのだ。
 ――しかし。
 ラドは徹頭徹尾悪役令嬢に忠誠を尽くし、物語の中でそれが揺らぐことはなかった。
 悪役令嬢とラドのカップリングが、ごく一部のファンに人気だったことは余談である。
(なにが起こるかわからないし、この世界での味方が欲しいわ。ラドはゲーム内では悪役令嬢を裏切らなかった。……信用しても、大丈夫なのかしら)
 心配そうに周囲をうろうろとするラドを観察しながら、キャロルは胸の内でそんなことを考えた。
「ねぇ、ラド」
「なんですか、お嬢様」
 声をかければ、ラドは緑の瞳を煌めかせながら大きく尻尾を振る。キャロルは彼にまったく関心を払っていなかったのにも関わらず、ラドは懐いてくれているらしい。
(……被虐趣味でもあるのかしら)
 そんな失礼なことを内心考えながら、キャロルは再び口を開いた。
「私が寝込んでいる間に、フレドリク殿下のご訪問はあった?」
 質問を聞いた瞬間。狼の耳がぺしょりと大きく下がってしまう。獣人の耳や尻尾が示す感情は、言葉よりも雄弁だ。
「それは……その。ありませんでした」
「では、見舞いの手紙や花は?」
「それも…………ありませんでした」
 どれも予想通りの答えだ。以前のキャロルであれば、『婚約者の見舞いにも来ないなんて』と癇癪を起こしていたのだろう。けれど――。
「お礼状を書く手間が省けたわね」
 今のキャロルが抱いたのは、そんな感想だけだった。
「お、お嬢様?」
 ラドはぽかんとした顔でキャロルを凝視する。キャロルはそんな彼に笑ってみせた。
「ラド。私はどれくらい寝込んでいた?」
「三日ほどです、お嬢様」
「そう、どうりでお腹が空くわけね。入浴と食事の準備をお願いしても?」
「はい、承知しました」
「それと。パーティー会場で倒れる私を受け止めてくれたのは、ラドなのでしょう? 怪我をせずに済んだわ、ありがとう」
「い、いえ」
 今までと違うキャロルの様子に混乱する様子を見せつつも、食事などの準備のためにラドは部屋を去っていく。
(婚約解消に向けて頑張らないとね)
 そんな彼の後ろ姿を見送りながら、キャロルはそんな決意を新たにした。

 第二章 悪役令嬢は獣人執事と過ごす

 前世の記憶が戻ってから、二週間が過ぎた。
 キャロルは婚約解消への布石として、大人しく問題のない令嬢として過ごすことを心がけた。なにがきっかけで足元を掬われるかわからないのだから、品行方正に過ごすのは大事だと考えたのだ。
『あの女ならヴィヴィアナを虐めそうだ』なんて、印象からくる冤罪をフレドリクにかけられる可能性はできる限り減らしたい。
 そんなキャロルの変化に最初こそ周囲は戸惑っていたけれど、『王弟殿下の婚約者としての自覚がようやく出てきた』という形の納得をする者が多いようだった。
 そしてキャロルは……ラドとの時間を多く取るようになった。
「お嬢様、その」
「なに? ラド」
 キャロルとラドは屋敷の庭にテーブルを用意し、今が盛りの花々を眺めながら紅茶を楽しんでいた。キャロルと同じテーブルに着いたラドは終始落ち着かない様子で、狼耳を上げたり下げたりと挙動が実に忙しない。
「従僕がお嬢様と同じテーブルに着くのは、いけないことなのでは……」
「あら、たまにはいいじゃない」
 端整な美貌を困り顔にしたラドに、キャロルは嫣然と微笑んでみせた。
 一緒に過ごす時間を増やしたのは、『ラドを信頼していいのか見極めたい』という動機だった。けれど今では、純粋に彼との時間を楽しんでいる。
「たまにではなく、近頃は毎日じゃないですか」
「ふふ、そうね。ラドは嫌?」
「いえ、その。嫌では……ないですが」
 ラドは恥ずかしそうに言うと、耳をぴるぴると動かしながら尻尾をばふばふと振る。いつでも従僕の手本のように礼儀正しい彼だけれど、耳と尻尾の動きは制御できないらしい。
(私、断然犬派なのよね。ラドったら、本当に可愛すぎるわ! 前世の実家で飼っていた柴犬みたい)
 ラドの耳や尻尾の愛らしい様子を目にして、キャロルは平静を装いつつも――内心では身悶えしていた。
(ラドは優しいから一緒にいると癒やされるわ。フレドリク殿下も見習ってほしいものね)
 フレドリクのことを思い出すと、一気に暗澹たる気持ちになる。
 キャロルは小さく息を吐いてから、爽やかな風味の紅茶を口にした。
 好いていない婚約者相手だとしても、フレドリクの態度は紳士的ではない。さまざまな記憶を思い返して改めてそう思う。
 十五の頃に婚約が結ばれて今年で三年だ。三年もの間一緒にいたのに、フレドリクとの間に楽しい思い出はなにひとつない。
 ――けれどキャロルは、彼に執着をした。
(執着……せざるを得なかったのよね)
 フレドリクとはじめて会った日。キャロルはたしかに、フレドリクに恋をしたのだ。
 金髪碧眼の見目麗しい王族の男性。そんな男性に婚約者だと引き合わされ、恋をしない令嬢の方が少数派だろう。
 しかしその『恋心』は、丹念に丹念に長い年月をかけて踏みにじられた。
 王命で結ばれた婚約だ。好かれていないからといって、自ら手放すこともできない。
 逃げ場がない婚約だったからこそ、キャロルはフレドリクの気持ちが欲しかった。それしか……幸せになる方法がなかったから。
『恋』と言ってしまうには歪で、けれど切実な想いだと思う。
「お嬢様、お加減が悪いのですか?」
「あ……ごめんなさい。少し考え事をしてしまっただけ。体調はなんともないわ」
 気遣わしげに訊ねられ、キャロルは慌てて笑顔を作った。
「はい、ラド。ぼーっとしてしまったお詫びよ」
 一口大に切ったケーキをフォークに刺して差し出せば、ラドは困惑の表情になる。
「お嬢様……その」
「なぁに、ラド」
「僕は二十四歳の男でして。給餌行動をしていただかなくても一人で食べられますので」
「わかっているわよ。その二十四歳の男性に、私は食べさせたいの。はい、あーん」
「う……」
 言葉に詰まった後に、ラドはおずおずと口を開く。
 そしてケーキを口にすると一瞬目を瞠り、口元を少し緩めながらばふばふと尻尾を大きく振った。どうやらケーキの味はお気に召したらしい。
「ふふ。可愛い」
「お嬢様……」
 少しばかり締まりのない笑みを浮かべながら零したキャロルの言葉を聞いて、ラドは困ったように眉尻を下げる。しかし、ふっと表情を和らげた。
「お嬢様は、変わりましたね」
「……そ、そう?」
 内心ぎくりとしつつも、キャロルは波立つ感情を抑える。
 前世の記憶に目覚めたとはいえ、完全なる別人になったわけではない。
 とはいえ、以前とは『違う』ことはたしかで――。
(そこを勘ぐられたりしたら、正直面倒だわ)
 警戒心を瞳に宿らせながら、窺うように視線を送る。そんなキャロルの視線を受け止めてラドは柔らかに微笑んだ。
「以前のお嬢様も素敵でしたが、近頃の角が取れて丸くなったお嬢様も素敵です」
「――ッ!」
 突然の不意打ちに、キャロルの頬は熱くなった。
 夜会などで、キャロルに甘い言葉をかけてくる令息たちはそれなりにいる。
 しかし彼らの瞳には――あわよくばという『欲』がいつでも滲んでいた。
 フレドリクの婚約者という立場は、令息たちにとっては障害にならないらしい。それどころか――。
『王弟殿下に相手にされない不憫な令嬢。その心の隙間につけ込めば、きっと体を開くだろう』
 そんなふうに、思われていたのだ。
 令息たちは優しい言葉を用いてキャロルの寂しさにつけ込み、その体に触れる機会を虎視眈々と狙っている。
(そしてキャロルは……その罠にかかってしまうのよね)
 その結果が、乙女ゲームの『悪役令嬢』キャロルだ。
 頬に熱さを残したままラドを見つめる。すると彼は嬉しそうに尻尾を振った。
(こんなふうに純粋な気持ちで褒めてもらえたのなんて、いつぶりかしら)
 純粋な言葉をもらうのは、嬉しくて……少しむず痒い。
「……そんなふうに褒めても、お給金は上がらないわよ」
「はは、バレましたか」
 拗ねたように言ってみせると、おどけたように返される。
(――ラドと過ごすのは、本当に心地いいわ)
 しみじみとそんなことを考えながら、キャロルは紅茶を口にし……。ふと、あることを思いついた。
「ねぇ、ラド」
「なんですか、お嬢様」
 突然きらきらとした瞳を向けるキャロルを見て、ラドはきょとりとして首を傾げる。
「獣人って、獣の姿にもなれるのよね?」
 そう。獣人たちは自分の属する種族の獣になれる。つまりラドは狼になれるわけで……。ラドから許可さえ出れば、触らないと損だと犬派であるキャロルは思ったのだ。
「なれますが……。それがなにか?」
「ラド。狼の貴方が見たいわ」
「キ、キャロル様?」
 キャロルの言葉に、ラドは戸惑ったように大きな耳をぴるぴると震わせた。
「私、狼を触ってみたいの。ねぇ、ダメかしら?」
 胸の前で手を組んで、首を傾げながらお願いしてみる。
 顔の造作がきつめな自分がヒロインのようなあざとい仕草をやっても、さほど可愛くなるとは思えないが。ものは試しだ。
 ラドはキャロルをしばらく見つめた後に……頬を淡く染めつつ口を開いた。
「その……。狼になった僕を見ても、怖がりませんか?」
「ええ、怖がらないわ」
「では、お部屋でお見せしましょう。ここでは、他の使用人たちを怖がらせてしまうかもしれないので」
「ありがとう! ラド!」
 お礼を言うと立ち上がり、メイドに後片づけを頼んでから部屋へと向かう。
 そして扉を閉めると、わくわくとする気持ちを隠せない笑みが零れる表情でラドを見上げた。
「お嬢様」
「なに、ラド」
「獣化すると服が裂けてしまうので、見えないところで脱いでから獣化してもいいですか?」
「そ、そうよね。考えもしていなかったわ」
 魔法で変身、というものではないのだ。獣化は肉体の純粋な作用なので、衣類を着たままで獣になると当然びりびりに破けてしまうだろう。
「じゃあ……後ろを向いているから。獣化が終わったら教えてね」
「わかりました」
 キャロルはラドに背を向けると、しっかりと目を瞑った。すると背後から衣擦れの音が聞こえ、少しばかり落ち着かない気持ちになる。
(自分の部屋で男性が服を脱いでいるなんて……。こんなところを誰かに見られたら、まずいんじゃないかしら)
 嫌な汗をかきながら、キャロルは扉をしっかり手で押さえた。突然部屋を開ける使用人はいないと思うが、万が一ということもある。
 その時、腰のあたりになにかが触れた。それは数度、優しい力で繰り返される。明らかに、手で触れられている感触ではない。なんなのだろうと思いながら、背後を振り返ると――。
「わ……」
 見上げるほどに大きな体躯の赤狼がそこにいた。先ほどは、黒くつやつやとした鼻面でつつかれていたらしい。
 柴犬の被毛を『赤』と表現するが、あれは実際には明るい茶色だ。しかしこの狼の被毛は、燃えるような赤だった。人型を取っている時のラドの髪や尻尾の色と、同じ色合いだ。狼は緑の瞳でじっとキャロルを見つめる。その視線には……不安の色が宿っているような気がした。
「ラド、大丈夫。怖がっていないわ。ふだんの貴方も素敵だけれど、狼の貴方も素敵なのね」
 そう話しかけつつ手を伸ばすと、安心したようにマズルを手のひらに擦り寄せられる。その仕草が愛らしすぎて、キャロルの口元はだらしなく緩んだ。
「本当に素敵! もっと触ってもいい?」
 手をわきわきさせながら訊ねると、ラドは『おすわり』をその場でする。そして了承の意を示すように尻尾を大きく振った。
「ふふ、たくさん触っちゃうんだから!」
 前から抱きつくようにして触れると、ラドの体がびくんと跳ねる。大胆に触れすぎたかもしれないと反省しつつも、キャロルは『モフり』を継続した。
「狼の毛って硬いのかと思っていたら、案外ふわふわなのね。気持ちいいわ。ああ、ちょっと獣っぽくていい匂い……!」
 両手で被毛を撫でながら鼻先を胸のあたりの毛に突っ込んでくんくんと匂いを嗅ぐと、ラドがじたばたとしはじめる。恥ずかしいのかもしれないが、キャロルの欲はまだぜんぜん満たされていない。
「ラド、大人しくして」
 少し強めの口調で言えば、渋々という様子でラドの動きは止まった。
「ラド、次はごろんして。はい、ごろん!」
『ウゥ……』
 ラドは不満そうに唸り声を上げつつも、その場にごろりと転がった。そんな彼の側にしゃがみ込み、大きな手をぎゅっと握る。
「お腹の毛も、もふもふね! うわー、肉球が可愛いわ!」
 大きな手には、当然大きな肉球が鎮座している。キャロルがそれを指でつつくと、ラドはくすぐったそうに身を捩らせた。
 そのまま、二時間ほど狼のラドを堪能した結果……。
「お嬢様。その、獣化は……しばらくお休みにしましょう」
 人型に戻ったラドに、真っ赤な顔で『獣化の休止』を告げられてしまったのだった。

 ◆ ◆ ◆

 体調が快癒したという報告の手紙を送ったものの……フレドリクからの返事はない。
 今までならそんな婚約者の仕打ちに傷つき、ふさぎ込んでいたのだろう。しかし今では、驚くくらいに心が揺れることはない。
(あのパーティーからそろそろ三週間。順調にことが進んでいるなら、あそこでイベントが起きる頃合いかしら)
 序盤から中盤にかけては、悪役令嬢の介入がなくてもヒロインと攻略対象の親密度は問題なく上がる。フレドリクとの親密度が順調に上がっていれば、序盤に起きるイベントがそろそろ発生する頃合いなのだけれど……。
(そもそも、ヴィヴィアナがフレドリク殿下のルートに入るのかわからないのよね。その場合は婚約解消のための別の手立てを考えないと)
『ヴィヴィアナとフレドリクの親密度がある程度上がりきったタイミングで、婚約解消を切り出す』。キャロルが思いついたこの方法は、ヴィヴィアナがフレドリクのルートに入らない場合には成り立たない。
 王宮騎士、王宮勤めの文官など……攻略対象はフレドリクの他にも当然いるのだから。
(できれば……目視で進行状況を確認したいわね)
 そう考え、キャロルは王宮へ行くことを決めた。
「ラド。今から王宮に行こうと思うのだけれど、ついてきてはもらえない?」
「今から、ですか?」
 お茶の準備をしているラドに声をかけると、きょとりとしながら問い返される。予定にないことだったので、少し驚いたのかもしれない。
「ええ、王宮図書館に行きたくなって。それを飲んでから行きましょう」
 王弟殿下の婚約者であるキャロルは、王宮の一部の施設への出入りが許可されている。図書館はそんな施設のひとつだった。そして――。
(あそこは……攻略対象たちとヒロインの逢瀬の多くが行われる場所なのよね)
『逢瀬』と言っても、十八禁ゲームなので可愛いらしいものではない。初期のイベントから後期のイベントまで、まさに濡れ場の目白押しなのだ。
 この国での婚前交渉は、建前上は推奨されていない。
 しかし実情としては……『秘密の遊び』を隠れて楽しんでいる紳士淑女たちは多い。
 ただし処女に関しては守るべき一線だと認識されており、婚前にそれが失われていると激しい糾弾を受ける。ゲーム中の悪役令嬢の処女も……当然失われていた。
(……だけどヴィヴィアナも、処女なんて初期イベントで失われているのよね)
 キャロルは『不貞行為と処女喪失』を理由のひとつとして婚約破棄をされるのに、ヴィヴィアナが行っていた『不貞行為と処女喪失』への非難は一切起こらない。
 親密度の上げ方によっては、ヴィヴィアナはざまざまな攻略対象と肉体関係を持ちながらストーリーが進んでいくのにも関わらず……だ。
 悪役令嬢とヒロインという立ち位置の差により、同じ行為の結末にも天と地の差ができてしまう。なんとも不公平感が拭えないものだ。
「……殿下に、会いに行くわけではないのですね」
 キャロルの感情を測るように、窺う表情でラドが訊ねてくる。
 今までのキャロルであれば『婚約者の不調に見舞いの一つもないなんて!』と、とっくの昔にフレドリクの元へ苦情を言いに言っていただろう。それをしないのが、不思議で仕方ないのかもしれない。
「ええ、そうよ。図書館にしか用はないわ」
 きっぱりと言い切ってみせると、ラドは驚いたように目を瞠った。
「ね、ラド」
「なんですか、お嬢様」
「フレドリク殿下といるよりも、貴方と過ごす方が楽しいわ」
「……お嬢様」
 ラドの瞳が満月のように丸くなり、頬が淡い朱に染まる。赤い被毛に覆われた尻尾が、嬉しそうに大きく揺れた。
「だって、優しいし、柴犬みたいで可愛いもの。……柴犬じゃなくてラドは狼だけれど」
「……シヴァ……犬? ですか」
 この世界に、柴犬はいない。不思議そうな顔で首を傾げるラドを見て、キャロルはくすくすと声を立てて笑った。

 キャロルはラドを連れて登城した。城門を守っていた騎士たちはキャロルに一礼した後に目配せをし合うと、一人が持ち場を離れてどこかへと向かう。キャロルの登城を上官に告げに行ったのだろう。
 勝手知ったるという調子で図書館へ向かって歩いていると、持ち場を離れた騎士を伴った男性が近づいてくる。キャロルは男性を目にして、わずかに目を瞠った。
 カスペル・ヴェサール伯爵。短く切った黒髪と紅い瞳が特徴の、端整な美貌を持つ近衛騎士団長だ。
 ……そして、攻略対象の一人である。
「キャロル嬢。申し訳ないのですが、王弟殿下は現在公務中です」
 挨拶もそっちのけにして、カスペルは短くそう告げた。その礼を失した態度にキャロルは目を細める。
 カスペルはフレドリクと親しく――キャロルによい感情を抱いていない。
 キャロルが先触れもなしに、公務で王宮に上がっているフレドリクに会いに来たと考え、それを止めに来たのだろう。
「フレドリク殿下に会いに来たわけではなく、図書館に用があるのです」
 無礼に対する抗議の意を込め扇子をぱちんと鳴らしながら、キャロルはカスペルに言葉を返した。すると彼は、虚を衝かれたという表情になる。
「図書館に……ですか? 殿下にお会いになる気はないと?」
「ええ、調べたいことがありますので。フレドリク殿下を訪う予定はありませんので、ご安心くださいませ」
「それは……失礼を」
 訝しげな様子のカスペルの横を通り抜け、足早に回廊を進む。カスペルの視線が感じられなくなった頃合いに、キャロルは小さく息を吐き出した。
(……攻略対象はキャロルに悪感情を持っているか、無関心かの二択なのよね。本当にこの世界は『悪役令嬢』に厳しいわ)

 図書館は主殿から少し離れたところにある、貴族の屋敷と見紛うばかりに大きい煉瓦造りの建物だ。青々とした蔦が這うその外観は、重い歴史と風情を感じさせる。中に入れば高い書架が立ち並んでおり、紙と埃の匂いが鼻腔に忍び込んだ。
(フレドリク殿下とヴィヴィアナが来る保証なんてないし。のんびり本でも読んでいましょう)
 この場所での『イベント』はかなり多いとはいえ、明確な日時が決まっているわけではないのだ。遭遇したら運がいい。それくらいの気持ちでどっしり構えることにして、キャロルは目立たない一画で本を読むことにした。
 王宮にある図書館に立ち入れる人間は限られている。キャロルとラド以外の人間はおらず、静謐な時間が続いた。
 そうして、一時間ほど経った頃だっただろうか。
「この匂いは……」
 ラドがすんと鼻を鳴らし、めずらしく不快感を剥き出しにした表情になった。獣人は聴覚や嗅覚が人間よりも鋭敏だと聞く。図書館にやって来た、『誰か』の匂いと気配を感じ取ったのだろう。
「どなたかいらしたの?」
「フレドリク殿下と。…………女性の香りが」
 言葉尻は耳を澄ませていないと聞こえないくらいの声量で紡がれる。ラドの優しさを感じ、キャロルは頬を緩ませた。
「そうなのね。こっそり様子を見てみましょうか」
「お、お嬢様?」
「ラド。彼らはどこにいるの?」
「……こちらへ」
 戸惑う様子のラドに案内され、気配を殺しながら二人の元へと向かう。すると――。
「だめです、フレドリク様」
 高く愛らしい声が空気を揺らした。キャロルとラドは顔を見合わせ、声の方を覗き込む。
 そこには。侍女服を乱したヴィヴィアナと、愉悦の滲んだ表情で彼女に触れるフレドリクの姿があった。
 フレドリクはヴィヴィアナのスカートを捲くり上げ、白い足を剥き出しにする。美しい手が滑らかな肌に触れ、しばらく撫で擦った後にその上にある花園へと向かった。
「あっ」
 布地の上から秘所に触れられると、ピンク色の唇から悩ましげな吐息が零れる。そしてヴィヴィアナのか細い体は、その場に崩れ落ちそうになった。しかしフレドリクの腕にしっかりと抱かれ、地面に伏すことはない。
「やらしい子だな」
「人に見られて……しまいます……っ。あっ、だめぇっ」
「こんなところ、誰が来るものか」
 ――来てるんですよね、悪役令嬢が。
 そんなツッコミを心の中で入れながら、キャロルは二人を観察した。
 乙女ゲームのヒロインと攻略対象の睦み合いは、まるで絵画のように美しい。『流石ね』などと、つい感慨含みの妙な感心をしてしまう。
「お嬢さ……」
「しっ!」
 怒り含みの声を上げるラドの口を両手で塞いで黙らせる。そうしてから、キャロルは二人の様子の観察へと戻った。
(序盤だからまだルート確定はしていないにしても、フレドリク殿下のイベントはちゃんと起きているのね。ひとまず安心したわ)
 イベントが起きていることの確認はできた。だからもう彼らから目を離し、この場を立ち去るべきなのだ。それはわかっているのに、なぜだか目の前の光景から目が離せない。
 そして突如。――キャロルの背筋に甘い疼きが走った。
(なにこれ……っ)
 体の芯が熱を持ち、全身に快楽の火が灯っていく。それはあっという間に業火のように燃え盛り、全身を甘やかな熱に浸した。
「お嬢様?」
「……んっ」
 肩に手で触れられ、体がびくんと大きく跳ねる。下腹部が甘く痺れ、その場にへたり込みそうになるキャロルをラドが慌てて受け止めた。大きな体に包み込まれると、熱はさらに高まっていく。
(どうして? こんなに感じやすいなんて、どう考えてもおかしいわ!)
 つい最近までは、こんな体ではなかった。なにかの刺激でいちいち発情していたら、日常生活なんてままならなかっただろう。
(きっとなにか、理由があるはずよ!)
 ぐるぐると巡った思考は――やがてひとつの仮説にたどり着いた。
 このゲームの悪役令嬢は、本来ならば『たくさんの男たちと交わる』という役割を担っている。
(誘惑に屈しやすいように、ゲーム期間中の悪役令嬢は性的な刺激に弱い仕様になる……とか?)
 これが世界の強制力というものだろうか。慄きながらも、勝手に高まっていく体をキャロルはどうすることもできない。
「……ラド。体、熱いの。どうしよう」
 この熱をどうやって逃していいのかわからず、救いを求めて紫水晶の瞳を潤ませながら見つめると、ラドは整った顔を真っ赤に染め上げる。
「お嬢様、失礼しますね」
 ラドは小声で囁きキャロルを抱えあげる。そして図書館のとある一画へと足を進めた。
「自習室に行きましょうか」
 この図書館には、自習室と呼ばれる個室がいくつかある。狭いながらも防音に優れたその小部屋が、『乙女ゲーム』での情事にも利用されていたことをキャロルはふと思い出した。
 ラドがその存在を知っているのは、キャロルとふつうの目的で数度訪れたことがあるからだ。
 意外に男らしい体と密着すると、筋肉が張り詰めているのだろう肉体の感触と、清潔感溢れる爽やかな香水の香りがキャロルの官能をさらに高めていく。
 自習室に着くと、ラドはしっかりと扉を閉めてからキャロルを長椅子に下ろす。そして自身のループタイを少し乱暴に緩めた。その仕草から漂う色気にキャロルの喉はこくりと鳴った。
 抱きしめられ、鼻先を首筋に埋められる。ラドの吐息と紅い髪が肌に触れて、そのわずかな刺激にすら感じてしまう。すんと匂いを嗅がれる気配に恥じらいを覚え身を捩ろうとしても、力強い腕によってそれは叶わない。
「……発情の香りがしますね。いい香りだ」
「恥ずかしいこと、言わないで。ふ、あっ!」
 首筋をぬるりとなにかが這った。じっくりと味わうように、時折くすぐるように。自在な動きで肌に触れるそれがラドの舌だと気づいた時、キャロルは激しい混乱を覚えた。
「だめ、ラドッ」
「――お嬢様。お体の熱を解消するお手伝いを、僕にさせてくださいませんか?」
 キャロルの髪を指先で優しくかき上げるようにしながら、ラドが耳元でそっと囁く。
 温和で優しく気遣いに溢れ、耳や尻尾が感情豊かで可愛らしい。それがラドという人間だったはずだ。
 その印象を見事に覆す――色香溢れる獣がそこにはいた。
 緑の瞳は熱に蕩け、紅髪が窓からの光を弾いてきらきらと輝いている。白い頬は上気し、彼の欲情をはっきりと表わしていた。薄く開いた口元からは鋭い牙が覗いている。紅い舌がちろりとそれを舐め取るのを目にした瞬間……背筋を甘い刺激が走った。
「僕の舌であちこち舐めて、蕩けさせてあげます。舌を絡める口づけもたくさんしましょう? 絶対に気持ちいいですから、ね?」
 ラドからの……甘い誘惑。提案された行為をされることを想像するだけで、蜜口から蜜が零れて下穿きを濡らしてしまう。
「もちろん最後まではしません。お嬢様の矜持を傷つけるようなことをするつもりはありませんから」
「ふ、あんっ」
 耳穴にゆるりと舌が差し込まれる。それは濡れた音を立てながら内側を嬲り、狭い穴を濡らしていく。たっぷりと時間をかけて、性器同士の交わりのようなやらしい水音を立てながら片耳を虐められる。ラドがちゅっと音を立てながら唇を離した頃にはキャロルは息も絶え絶えだった。
 蜜壺からは蜜が溢れ、ドロワーズはお漏らしでもしたかのように濡れそぼっている。このままでは、蜜が足まで伝って垂れてしまいそうだ。
(嘘でしょう……こんなに濡れるなんて。耳だけで、こんな……!)
 現世も前世も、キャロルには性交渉の経験がない。だけどこれが異常な状態であることだけは理解できた。
(――十八禁ゲーム、怖い!)
 こんな体なら誘惑に負けても仕方がない。愕然としながらそう思うくらいに、悪役令嬢の体は感じやすいものだった。
「……お嬢様、舌を出してください」
「え……舌?」
「はい、お願いします」
 促されておずおずと舌を出すと、それは優しく吸い上げられる。
「んっ……」
 生まれてはじめての口づけは、理性が溶け崩れてしまうくらいに気持ちがいい。ぴちゃぴちゃと音を立てながら舌を絡め合っているうちに、胸の頂がぴんと尖る。それをラドの胸に擦りつけると快楽を感じることに気づいてからは、キャロルは夢中で胸を押しつけながらの口づけに耽った。
「貴女が、こんなにやらしい体を持っていたなんて」
 口づけの合間に熱を持つ口調でラドが囁く。悪戯な手がキャロルのスカートの中に忍び込み、白手袋越しでも熱く感じる手のひらが太ももを撫でる。触れられた部分からは淡く欲情が立ち上り、蜜壺はさらに潤みを湛えた。
「ふ、あっ……。ラド……」
「他の男にはこんな姿を見せてはいけませんよ。あっという間に狼たちに食い荒らされてしまう」
 ――いろいろな意味で、今『狼』なのはラドだ。
 そんな抗議をしたくても、言葉は唇によって隠されてしまった。
「お嬢様。どこに触ってほしいですか?」
「ど、どこ……?」
「ここですか?」
 瞬く間にドレスの前釦は外されて、コルセットの上から胸に触れられる。指先で頂をくるくるとなぞられると、体がぞくりと震えてしまう。胸の頂にある蕾がピンと立ち上がって硬くなり、ペチコートの布地と擦れる。その微かな刺激にも感じてしまい、キャロルは小さく喘いだ。
「それとも……ここですか?」
 スカートの内側にあるラドの手が、するりと上へと這い上がる。そして――。
「ぁんっ!」
 すでにぐっしょりと濡れたドロワーズの上から、秘裂の形をたしかめるように指が滑った。指は胸の頂を避けるように撫で、下で踊る指も肝心な箇所には触れてくれない。敏感な頂の蕾や花芽を擦りつけようとしても、するりと逃げられてしまう。そんなことを繰り返され、キャロルはすっかり涙目になってしまった。
(こんなの、拷問! ラドって……ラドって……)
 潤む瞳で見つめると、つい見惚れてしまいそうな笑みを返される。そして耳元で「どっち?」と甘く囁かれた。
(ラドって閨では加虐的なの……?)
 温厚で優しく、忠誠心に厚いラド。そんなキャロルの中でのラドのイメージが、ぺりぺりと剥がれ落ちていく。
「お嬢様。教えてくださったら、たくさんご奉仕してあげますので」
 欲情はすっかり高められ、けれど出口は与えられない。
 キャロルのわずかに残っていた理性の糸は……ぷつりと切れてしまった。
「お願い。……ぜんぶ触って」
「お声が小さいので聞こえません。もう一度言ってくださいませんか?」
 緑の瞳を細めながら、唇の端を少し上げて意地悪な笑みを浮かべる。そんなラドを目にして、キャロルは愕然とした。
(――嘘つき。獣人の聴覚は人よりも優れているくせに)
『手前まで』の刺激ばかり与えられ、気が狂いそうな熱が体に溜まっている。それなのに、ラドは欲しいものをくれない。
「う……っ」
 みるみるうちに涙が溢れ、嗚咽が零れる。子供のように泣きはじめたキャロルの頬に、ラドは優しく口づけた。
「ごめんなさい、少し焦らしすぎましたか」
「ラドの、ばか。もう知らないんだから!」
「――ああ、やりすぎたな」
 低く唸るような声の後に、ドロワーズの紐が解かれてするりと抜き取られてしまう。
 繊細な部分に、ひやりと空気が当たる。その心もとない感覚に不安を感じ足を閉じようとすると、それはラドの手によって拒まれてしまった。
「貴女が愛らしすぎて虐めてしまいました。たっぷりとご奉仕しますから……どうか機嫌を直してくださいませ」
 ラドは優しくキャロルの首筋に口づけをする。ちろちろと肌を舐められ、軽く甘噛みをされると、鼻から甘えるような吐息が零れてしまった。
「ら、ど……」
「はい、お嬢様」
「ちょうだい……お願い」
 具体的に自分が『なに』を欲しがっているのか。きちんと理解してはいなくとも、本能と敏感すぎる体がそんなことを口走らせる。
「わかりました、お嬢様」
 うっとりとした声で囁くと、ラドはキャロルのスカートとパニエを腰まで捲くり上げた。
 そして図書館の窓から入る光の下に晒された薄く生えた金色の柔毛と、ぴったりと閉じた処女の蜜壺に目をやり嬉しそうに笑うと――迷いなくそこに顔を寄せた。
「んっ、ああっ!」
 軟らかなもので花びらを撫でられ、キャロルは身を跳ねさせる。狼の舌によって、蕩けた蜜壺は容赦なく蹂躙された。
 舌が花びらをかき分け、内側を探り、甘やかすように……そして執念深いくらいに丹念に蜜を舐め取っていく。キャロルが体を震わせ軽く達しても、ラドの愛撫は止まらない。
 舐められ、啜り上げられ、花びらを甘噛みされ。愛おしい恋人にするような口づけを、何度も何度も繰り返される。
「や、ラド……っ」
 快楽からの涙で滲んだ視界にラドの愛らしく揺れる尻尾が映り、キャロルはその慣れた存在に少し安堵を覚えた。
「これが、お嬢様の味……。甘くて、美味しいです」
 恍惚とした表情でラドが小さくつぶやく。愛蜜で濡れた唇を拭う舌は紅く、その艶めかしさに背筋が震えた。
「――ああっ!」
 今まで放置されていた花芽を急に吸い上げられ、キャロルの視界は白く弾けた。体を激しく震わせながら太ももでラドの頭を挟み込むと、さらに強く花芽を吸われる。
「ひゃ、ああっ! あ……っ!」
 キャロルはがくがくと体を揺らしながら達し、蜜口から溢れんばかりの蜜を零す。その蜜は一滴も残すかとばかりに、ラドの唇によって拭われた。
「らどっ……」
 頼れるものが欲しくて手を伸ばすと、ふわりとした大きな狼耳に行き当たる。
 それをきゅっと握ると、ラドの体がぴくりと小さな反応を返した。
「耳、気持ちいい……」
 達した後のぼんやりとした心地で耳を弄んでいると、恨めしそうな感情を含む緑の瞳が向けられる。
「お嬢様」
「……ん?」
「獣人の耳や尻尾は……とても敏感な部位であることを知っていますか?」
「あ……痛かった? ごめんなさい」
『犬の耳や尻尾は弱点だから、強い力で触れてはいけない』。前世でそんなことを聞いた記憶が蘇る。
 慌てて耳から手を離せば、その手は大きな手に引き止められる。首を傾げながらラドを見つめると――。
「お嬢様に敏感な部分に触れられ、興奮してしまいました」
「――ッ!」
「だから責任を取って、もう少し触れさせてくださいませ」
 美しい獣が、獰猛な笑みを浮かべながら伸し掛かってくる。
 そしてキャロルは――ラドの手によってさらに啼かされたのだった。

(――つづきは本編で!)

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