身請け姫の純愛初夜~美貌の王子に娶られて~

身請け姫の純愛初夜~美貌の王子に娶られて~

この先出会う男性すべてを、あの人だと思えばいい──

あらすじ

「この先出会う男性すべてを、あの人だと思えばいい──」

 権力争いを嫌って城の外れの庭園に住む第六王女オデッタは、黒髪麗しい隣国の王子ヴィクトルと恋に落ちる。

 二人を妬んだ実の姉に命を狙われたオデッタは、差し向けられた刺客のわずかばかりの情けで、娼館に売られてしまう。

 命を奪われるよりはと震えながら覚悟を決める、処女のオデッタ。いよいよ開かれた二重扉の向こうから現れたのは……。

作品情報

作:日野さつき
絵:風街いと

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本文お試し読み

●0

 ふしだらな場所にいて、ふしだらに装う。
 娼館の世話人がほどこした装飾を、オデッタは見下ろした。
 部屋のわずかな照明に、オデッタの身体を飾る金属がきつい反射を見せている。
 世話人いわく、安い宝石や金属のほうがよく光るらしい。世話人の彼女はオデッタの身体に装飾をすると出ていった。
 これからはオデッタの仕事の時間だ。
 眼下に光る長く細い金属の鎖が、オデッタの裸身――首から乳房、下腹部と淫靡な軌跡を描いていた。それがはめられている場所を目にするだけで、羞恥から頬が熱くなっていく。
「……ん……っ」
 わずかにでも身体を動かすと、金属の輪がはめられた場所に意識が向いた。
 金属の鎖には、みっつのちいさな輪が付属していた。乳房の先端に輪ははめられ、さらにその下、淫裂に隠されてしかるべき蕾にもあてがわれていた。
 裸のオデッタを押さえつけるようにして、世話人はみっつの輪をオデッタの敏感な部分に装着した。いままでにそんなことをしたことがない。締めつけるほどではないが、それぞれがオデッタの身体に微妙な感覚を流し続けている。
 ひとりになった部屋で、オデッタは用意されていた夜着にゆっくり袖を通した。向こうがわが透けて見える仕立てのもので、これを着ると身体の線が丸わかりになる。
 夜着を身に着けただけなのに、それがじりじりと両方の乳首と陰核への刺激となっていく。
 オデッタは戸惑っていた。
 ベッドに腰を下ろしたものの、淫裂を開くようにすわることしかできない。輪をはめられた蕾への刺激が強すぎ、足を閉じると痛いと思ってしまうのだ。
「取ったら駄目……? これ、どうやって取るの……?」
 わざわざ世話人が装着していった。
 ――客に取ってもらいなね。
 耳の奥で世話人の声がよみがえる。
 オデッタはこれから、はじめての客を取る。
 はじめて会う男にふしだらな姿をさらし、純潔を散らさなければならなかった。
 胸のなかで愛しいひとの名を唱えてみると、ずきりと胸の奥が痛む。
「ぅ……、ん」
 身体をすこし動かしただけで、胸と下腹部をつないだちいさな輪のあたりに違和感が生じる。
 微妙な感覚が重なるなか、オデッタは身体をちょっとずつ動かしていった。そうしているうちに、違和感に埋もれた微細だったそれがじつは快感なのではないか、と気がついてしまった。
 刺激がすくないように、と開いたひざの間、淫裂が潤っている感覚がある。乳首と花芯が脈打っていて、そのたびにオデッタの戸惑いは深まっていく。
「どうしよう……」
 そのときノックの音がした。
 娼館ではじめてオデッタを買った客――その訪れを知らせるノックが響いたのだった。

●1

 老いた侍女の肩に、オデッタは腕をまわした。
 その細い肩をゆっくりさすり、耳元に囁きかける。
「気にしないで、カーリン」
 今日の身支度を手伝ってくれた侍女のカーリンは、しゃくり上げ首を振った。
「せっかくカーリンが結い上げてくれたんだし、夕食はこのままいただこうかしら」
 カーリンは今度はうなずいたが、どちらにせよ彼女は顔を覆い、しゃくり上げている。
 オデッタの金の髪を複雑に編みこむのも、そこに咲いたばかりの花を差しこみ飾り立てるのも、植物の染料で爪を強い青に染め上げるのも、すべてカーリンの発案だった。
 ドレスもそうだ。
 オデッタは正装用のドレスを持っておらず、用意してくれていたのはカーリンだった。
 以前から彼女は準備してくれていた。
 時間をかけ、あちこちの衣装部屋にずっと仕舞いこまれて虫食いのあったドレス――破棄寸前のものを数着集め、手を入れてくれていた。
 ――なにか、ドレスが入り用になるかもしれないじゃありませんか。
 使える部分を寄せ集めたはずなのに、同時期に流行っていたドレスを集められたからか、つぎはぎで仕立てられたそれは見事な出来映えだった。
 肩口から胸元、胸元から下腹部、そこから広がるたっぷりしたドレープ、そのそれぞれが可憐なレースでふんだんに飾られ、オデッタの身体にぴったりとした美しい仕立てとなっていたのだ。
「あんなにきれいなドレス、花嫁でもなければ着られないわ」
 若いころ一度侍女の職を辞し、生家に戻ってからカーリンは畑仕事とお針子に精を出していたという。孫にまで恵まれてから侍女に復職したカーリンの腕前は確かで、ドレス以外にもオデッタの日常的な衣類を仕立ててくれている。
「カーリンがいなかったら、ろくにお化粧もできなかったんだもの。ほんとうにありがとう」
 朝から支度に取りかかっていた。
 ドレスをまとい髪を結ったオデッタは、カーリンの声かけで集められた化粧品の数々に驚いていた。下女や出入りの商人の妻や娘が手を貸してくれたという。
 ――正装の必要な晩餐会など、オデッタが招待されるのははじめてのことだった。
 隣国ウルサースの王子が訪れたとあって、城内はここ最近慌ただしかったらしい。
 所用で裏口から出入りすることのあるカーリンは、城内で働く下女たちから話を仕入れていた。オデッタのもとに晩餐会の招待が届いたときには、カーリンは連日夜更かしをしドレスの手入れを急いでくれていたのだ。
 姉姫たちがどんなふうに装うか、カーリンは城内に働く下女たちの伝手を使って調べてくれたという。みなさん気合いが入っています、と報告された日、オデッタは山で薬草採集で忙しく歩きまわっていた。
 オデッタが恥をかくことがないように。そう懸命になってくれたカーリンのおかげで、オデッタは身なりを整えることができた。
 そして住まいである庭園の一角にある家をあとにしたのは、今日の夕方になろうという時刻だった。
 キングスオード王国の中央に城は建ち、堅牢な要塞然としたたたずまいを見せている。
 城の外れ、遙か昔の戦のときには捕虜をつないでいたという場所は、現在では優美な庭園が形成されている。
 国王には四人の王子と六人の王女がおり、末姫であるオデッタは第六王女――城内に居場所はなく、住まいは片隅にある庭園だった。以前は庭師が暮らしていたちいさな煉瓦造りの家に、オデッタとカーリンは暮らしている。
「……オデッタさま、せっかくおきれいに……」
 身なりを整えたオデッタだが、城についてすぐに辞することとなった。
 ――姉である第五王女アデリナが、オデッタのドレスに急に赤ワインを浴びせてきたのだ。
 一瞬なにが起きたか理解できなかった。
 兄妹の集まった場がしんと静まり、見下ろしたドレスの胸元から腹部にかけて、赤い飛沫が飛び散っていた。
 ああ、とオデッタはため息をついていた。
 頭のなかは冷静だった。これでは晩餐会に出られないこと、そして無残なドレスでカーリンの前に立つのはいやだと考えていた。
 居合わせていたのは兄妹と召使いたちで、賓客のいない席だったことは幸運だったのかもしれない。
 止まっていた時間が動き出すのはすぐだった。
 兄たちはアデリナを叱責し、当の姉は怒ったような顔をして黙りこんでいた。
「きっとお姉さま、カーリンが仕立ててくれたドレスがきれいだったから……あんなことしたのね」
 怒っているような表情には、妬みが混じっていた。
 ドレスの染みを隠せる、すっぽりと身体を隠せる外套を給仕頭が持ってきてくれた。ひとまずこちらを、といった彼は、手近なものを手に駆けつけてくれたのだろう。
 騒ぎはじめた兄妹声のなか外套をまとうと、オデッタは辞意をしめした。このドレスでは出席できない、と――実際オデッタは、正式な場に出るドレスの持ち合わせがほかになかった。
 オデッタの辞意に、その場の全員がほっとした顔をしたことが、胸のなかに棘となって刺さっていた。
 ――兄妹の間で、オデッタに起きたことは黙殺される。
 そう思ったオデッタの口は、勝手に動き出していた。
「でもね、さすがにこれはひどいと思ったから……お姉さまに、こんなことをしてきっと体調が悪いんでしょうから、お姉さまも部屋に下がって休んでくださいっていってきたの」
 顔を覆っていたカーリンが手をどかしていく。老いた彼女の頬が涙で濡れていて、オデッタは胸が苦しくなる。
「……では、アデリナさまは」
「お兄さまが、部屋に下がるよう命じられてたわ」
 長兄デニスの――次期国王の言葉は兄妹のなか絶対だ。
 アデリナににらまれたが、オデッタはデニスにお辞儀をして城を出てきた。
 オデッタにとって城は楽しい場所ではなく、これまでになかったほど気鬱に沈んでいた。
 城を退出する足取りは軽かったが、赤黒い染みの広がったドレスをカーリンに見せなくてはならない。そう思うと気持ちは重くなる一方だった。
 侍女はいつものように、家で仕事をしながら待っていた。ほかの王女づきの侍女たちと違い、食事をつくり家の裏で野菜の畑までつくっている。
 オデッタもまた、ほかの王女たちと違う。カーリンと並んで家事をこなし、畑の土いじりに抵抗がない。
 予定よりずっとはやく帰ってきたオデッタに驚いたカーリンは、起こったことを聞くと泣き崩れてしまった。
「……次にお城に呼ばれたら、今度はうかがえませんって突っぱねてやろうかしら」
 まだ涙で濡れているカーリンの目が吊り上がる。
「なにをおっしゃいますか!」
「お城はお城でやっていくんだし、そこに私が入っていっても」
「オデッタさまに失礼なのが、お城の決まりごとのはずがありません! オデッタさまに失礼を働くなんて、相手が誰であろうと許しません!」
 オデッタは笑い出していた。カーリンがそういってくれるだけで、なにもかもが救われる気がする。
「私にはカーリンがいてくれるから、なにより心強いわ」
 侍女はまた泣き出しそうに顔を歪め、オデッタは彼女を抱きしめた。
「そ……そんな身に余るお言葉をいただいたら、夕食のデザートをふんぱつしなくちゃいけなくなりますねぇ」
 涙声でにじんだ言葉に、オデッタは彼女を抱きしめる腕を強くしていた。
 オデッタは第七王妃を母として生まれた。その母を八つのときに亡くし、以来この庭園の片隅で暮らしている。
 王女らしい生活とはかけ離れているが、暮らしそのものにオデッタは不満がなかった。
 兄妹たちはオデッタの生活を哀れんだり軽蔑しているようだが、それは余計なお世話だった。
「ね、帰ってきたときからいいにおいがしてるけど」
「……行商人が野菜を色々持ってきてくれたんです。それを煮こんでおります、一晩置いたほうがおいしいですよ」
 オデッタの腕から離れ、照れくさそうにカーリンは顔を前かけでぬぐう。
「じゃあ、今日はちょっと味見できるのね」
「味見だけなら――オデッタさま、花を抜いてしまいましょうか」
 着替えを済ませたが、オデッタの髪はまだ結い上げられたままだった。
 簡素なスカートに髪から抜き取られた花を受け、オデッタはわずかな時間くちびるを噛んだ。
 ――とても残念だった。
 城内に居場所がないことも、歓迎されていないこともわかっている。
 だがひさしぶりに肉親に会う時間が与えられ、いつもと違って美麗に装い、浮き足立っていたのは確かだった。
「夕食の支度をいたします、オデッタさまはそれまで休んでいらしてください」
 カーリンの言葉にうなずき、オデッタは化粧を落とすべく席を立った。一緒に爪の染料も落とすと、なにもかも終わった気分になる。
 さほど大きくない家だが、水場もしっかりつくられ暮らしやすくなっていた。
 城内でなにか催しがあるときは、使用人たちにも料理や食材が配られる。通りしな横目に見た台所には、カゴに山となった野菜と油紙に包まれた塊――肉だろう、それが置かれていた。
 二階の自室に下がったオデッタは、ベッドに四肢を投げ出す。
 窓から入る夕方の明かりだけで十分だ、まだ照明はいらないだろう。
 目に入る部屋の棚には、市場で買った陶器の人形や中古の本が並べられていた。
 それらはすべて、オデッタが自分で買ったものだ。編みものや刺繍をし、カーリンとジャムを煮詰め、採取した薬草を売り、市場で商うことで小銭をつくった。
 オデッタを王女と思わないひとたちはみな親切だったためか、市場に出るのは楽しかった。そこでは誰もオデッタが第六王女と知らず、カーリンの孫だと思っている。カーリンも心得たもので、人前ではオデッタを孫として扱ってくれていた。
「……あ、そうだ」
 身を起こし、オデッタは窓に駆け寄った。
 窓を開くと涼しい風が入ってくる。城壁の先、夏を前にした山々が望めた。旺盛な緑が風を受け、波をつくって踊っている。
 こちらとあちらで吹く風はおなじものだ。窓から受けた気持ちのいい風を、オデッタは明日は森で受ける気になっていた。
「カーリンとジャムの相談しないと」
 森に成る果実のことを思い、小走りに一階に降りていったオデッタは、カーリンの笑う声に迎えられた。
「オデッタさま、髪が潰れてしまってますよ」
「……あ!」
 今度も小走りに洗面台に向かう――そこに映ったオデッタの髪はぐしゃりと潰れ、今日一番のため息をつきながら解くことになっていた。

  § § §

 まだ夜が明けきらないうちから、オデッタは城壁を潜って森に足を向けた。
 背負ったカゴに赤い果実や野山の草を詰めながら進み、カーリンが焼いてくれたパンを囓る。
 さんざん歩きまわったオデッタが帰宅したときには、きっちり編んでいた三つ編みが乱れてしまっていた。それはお茶の時間も優に過ぎ、夕食の仕込みがされているような時間だった。
 足音を聞きつけたのか、カーリンが家の裏手から顔を出す。
「お、オデッタさま」
「ただいま!」
 くたくたになっていて、オデッタはひざから下の感覚が鈍くなっているほどだ。
 カーリンの前で下ろしたカゴのなか、野草は半分ほどを城壁の抜け道にところに置いてきた。いつもそこを通ることを黙認してくれている、老いた城壁守への心づけだ。
 それでもオデッタは収穫に満足していた。カーリンのこしらえるジャムは絶品で、近く開かれる市場に持ちこめるだろう。
「おかえりなさいませ、あの……」
「今日はとくにスグリがたくさん採れたの、木苺といっしょにジャムにしましょうよ」
 カーリンの顔色が優れず、オデッタは動きを止めた。
「……どうかしたの?」
「それが、かまどが」
 おろおろしている彼女を背に、オデッタは家のなかに入る。
「……なによ、これ……!」
 嵐でも通り過ぎていったのか、という状態になった屋内の様子に、オデッタの口から震えた言葉がこぼれ落ちていた。
「朝に……せ、洗濯物を預けに、洗濯人のところにいっていたんです。戻ってきたら……こんな状態で」
 棚やテーブルにあったものはなぎ倒され、床に破片が散乱し、かまどは崩れてしまっている。壊された瓶それぞれから立ち上る香りが混ざり合い、その場は呼吸をするのがつらくなる状況だった。
「カーリンに怪我はない? 兵には知らせた? こんなの……」
 賊か――これは誰かが故意をもっておこなったことだ。オデッタなりカーリンなりが家に残っていたら、賊に危害を加えられていたかもしれない。
「それが……見ていただいたんですが、つむじ風でも起きたのだろうと……」
 胸元で組んだカーリンの手指は、節が白くなるほど力がこめられていた。
「と……取り合って、いただけなくて」
 めちゃくちゃに崩れた台所を前に、カーリンが泣き出してしまった。その気持ちがオデッタにはよくわかる。オデッタも泣き出してしまいたい。
 二日も続けて涙をこぼすことになったカーリンが不憫だ。
 騒ぎを知り顔をのぞかせた庭師が、片づけに手を貸してくれた上に、修理の手配を請け負ってくれた。知り合いが専門に修理をおこなっていて、「猫のシンボルをつけた業者なのですぐわかります」という。庭師は終始オデッタたちに気の毒そうな目を向けていた。
 あらかた破壊されてものが片づいたときには日暮れとなり、からっぽの部屋ができ上がる。ガラガラになった棚がさみしい。
 気を取り直し、カーリンとふたりで、おもてに即席のかまどをつくっていく。石を集めて積み、鍋を置くと採ってきた果実を投じていく。
「台所のかまどが壊れても、石と薪があれば即席のかまどがつくれますからねぇ。修理がくるまで、おもてで煮炊きしましょう」
「カーリンは頼もしいわね」
 おたがいが平静を装っている声で話し、ジャムを煮ながら戸口で軽食を取った。
 ひどく疲れていて、ほとんど言葉のない状態になってから、おたがいの部屋に下がった。オデッタのなかでは誰の仕業かわかっていて、それはカーリンもおなじだろうと思われた。
 そして翌朝には、誰がやったものか判明した。
 オデッタの予測は当たっていたし、そのとなりでカーリンが「ああ」とちいさくつぶやいている。
 ――アデリナの騎士たちの仕業だった。
 庭園の家に彼らが入っていく姿を目撃したものがあり、またアデリナが指示する声を城内で聞いたものがあった。オデッタたちに知らせてくれたのは、城内の掃除人を統括する顔役だった。
 下女や身分の低いものたちは、横のつながりが強いことがある。オデッタがアデリナに楯突いたといって、おもしろがっているものも城内にいるらしい。
 姉の仕業か、やはり、とうなずく。だがなにができるわけでもない。アデリナは食事会に出席できず、その怒りの矛先をオデッタに向けたのだろう。
 オデッタはひたすら無力だった。
 なにかが起きても声を上げられず、抵抗も反抗も、仕返しもできない。
 気持ちが暗くなっていても、カーリンのつくった食事はおいしかった。
 軽い昼食を取っておなかも満ち足り、家の横につくったかまどの火も落とした。
 つむじ風の起こった家のなかは、一晩経っても床にぶちまけられたジャムや酢漬けのにおいが残ってしまっていた。
 いまでは壊されるものも盗まれるものもない。換気ですべての窓を開けた家からオデッタは離れていく。
 昼食後、カーリンは庭師たちに挨拶にいっている。力を貸してくれた面々にオデッタもお礼にいきたかったが、それはカーリンに止められた。忘れてしまいがちだが、オデッタは身分をわきまえなければならない。
 そういえば自分は王女だった、とひとり歩き出しながらオデッタは笑みを浮かべていた。
 母が亡くなってからちいさな家で暮らし、かならず誰かが手を貸してくれている。
 王城で暮らしていたころもそうだった。使用人がたくさんいて、朝から晩まで誰かしらがそばにいて――暗い気持ちで過去を振り返る自分に気がついた。
 ――暗い顔をしてもいいことはないわ、楽しいことを考えましょうね。
 それはよく母が口にしていたことだった。
「そこの――」
 声が聞こえ、オデッタは首を巡らせた。
 城から庭園につながる道から、背の高い男が歩いてくる。
「……どなたですか?」
 見かけたことのない、黒髪の男だった。
 鬱陶しいだろうに、顔の半分が隠れてしまうくらい前髪をのばしている。その身なりも見かけたことがなかった。
 いったいどこの誰なのか、と警戒心が首をもたげたが、上着の襟元にのびをする猫のブローチがあって力を抜いた。
「ああ、俺は……」
「きてくれてありがとう、ずいぶんはやい到着だったんですね。もっとかかるって、勝手に思ってました――こっちです、案内します」
「え?」
 顔を隠した髪の隙間、そこからちらりとうかがった彼の顔立ちはとても整っていた。一瞬我を忘れそうになったが、オデッタの足は違わず動いてくれていた。
「すぐそこですから!」
 先導して歩きはじめ、戻った家にはまだカーリンの姿はなかった。
「どうぞ、こちらです」
「あ……ああ」
 換気を徹底したからか、家のなかにあった独特の臭気は薄くなっていた。
「このかまどなんです、どうでしょうか」
 台所を見回す彼の足はなかなか動かない。そこでオデッタは、彼がひどく身軽であることに気がついた。
「あの、仕事道具は……」
「ずいぶんひどいね」
 オデッタのとなりに並んだ彼は、かまどの残骸をのぞきこむ。
「壊れるにしても……これはふつうの崩れ方じゃないんじゃ」
 オデッタは口ごもり、体のいい理由を探す。城内で揉めごとがあるなど、早々口にするものではない。
「……ひとが出払った間に壊れていて……」
「壊れたというより、壊されたっていうほうが妥当じゃないか?」
 彼はかまどを様々な角度からのぞきこみ、どうやって壊されたか検証しようしているようだ。
「あまり、その……壊れた原因は……」
「どうして? こんなことをするものがいるなら、それこそ調べなければ」
 彼が勢いよく振り返り、前髪に隠れていた瞳を一瞬うかがうことができた。鳶色の瞳は真剣そのもので、オデッタは否といい返せなくなる。
「そのとおりなのだけど……あまり、表立って訴えられる相手ではなくて」
「……泣き寝入りするのか?」
「そんなつもりはないわ! だけど……ここは私と年配者しか暮らしていないから」
 ちいさく息をつき、彼はかまどとオデッタとを何度か交互に見比べた。
「と、とにかくかまどが修理できればいいの。おもてに簡単なかまどをつくって火を使うの、いまはいいけど手間といえば手間になるし……」
 外――かまどをつくった方向をしめすと、彼はそちらに足を向ける。
 家を出ていく背中を追うオデッタは、外のかまどの火を落としたことを後悔していた。せめてお茶くらい出せるようにしておけばよかった。
「それで、どのくらいで直せそうですか?」
 足を止めた彼は、前髪の間からオデッタを見ていた。
「天気が悪くなったらおもてで煮炊きできないし、はやいと助かるんです」
「あ――なんていうか、俺は……修理の職人では」
「そうなんですか? じゃあお弟子さん?」
 どうりで手ぶらのはずだ。納得したオデッタは、家のほうを指さした。
「職人さん、今日はこられないのかしら見た感じどう――あ、カーリン!」
 手に鍋を抱えたカーリンが戻り、黒髪の彼に首をかしげる。
「修理の下見に」
「あら、もう? 助かるわ!」
「それが、親方さんはまだこられないんですって」
「困りましたねぇ。状態はもう見ていただけましたか? しっかりお伝えください、いまのところは、おもてでかまどをつくって……ほら、お裾分けもいただいたので、いきなり飲み食いできなくなったりはしないと思うんですけど」
 カーリンが両手に抱える鍋の蓋を取ると、そこには野菜料理がおさまっている。
「その……すまないが、俺は」
「お茶もねぇ、いまのままだとなにもお出しできなくって。ごめんなさいね」
「もうかまどは見てもらったの、ずいぶんひどいって」
「でしょう! 見世物にしたいくらいのひどさですよねぇ」
 鍋を手にしたカーリンが家に消えると、彼はオデッタを手招いた。
「俺は……ええと」
「私はオデッタといいます。いま帰ってきたのがカーリン」
「……俺はヴィクトルだ」
「ヴィクトルさん、もうちょっとかまどの確認はします?」
「いや、その……もうけっこうだ。なんというか――すまない。あの……城へはあの道で?」
「そうよ、今日はありがとう」
 辞そうとする気配があり、彼はきた道を引き返していく。見送り手を振ったオデッタを、ヴィクトルは何度も振り返っていた。
 下見が現れたなら、かまどはもうじき修理される。オデッタは軽い足取りで家に帰り、水で出すお茶の支度をはじめた。
 無残な状態のかまどを前にすると、どうしても気持ちがふさぐ。カーリンとできるだけ明るい会話を心がけるなか、家を訪ねてくるものがあった。
「庭師長に呼ばれてきたんだが、かまどが壊れたんだって?」
 それは壮年の男で、背後には重たげな木箱を背負った少年をしたがえている。
「修繕の算段をしたいんだが、なかに入ってもいいですかね」
 オデッタとカーリンは顔を見合わせた。
 訪ねてきた男と少年は帽子を被っていた。頭頂部に一対の耳飾りがついていて、まるで猫の頭のようになっている。
 オデッタが見ていると気がついて、男は飾りを指さした。
「うちに看板猫がいるんだ。それにあやかって、わかりやすいように」
 さっきの黒髪の男は猫のブローチをつけていたが、こちらのものとは大分違う。
「ど、どうぞこちらに……ちょっと散らかってますが」
 カーリンが彼らを招き入れ、オデッタは場所を開けた。
 現れたふたりの手際はよく、荷物から道具を出して採寸をはじめ、少年がそれを石版に書きつけていく。
「ほかにお弟子さんなんかは……?」
 オデッタが尋ねると、作業の手を止めて男は首を振る。
「わたしらふたりだけですね、なにか?」
「い、いえ。もしお時間があるようでしたら、お茶を……」
「お気をつかわないでください! これはお困りでしょう、今日中の修繕は難しいですが、明日は朝から参ります」
 彼らが頭に被った猫の耳を見、オデッタはただうなずいていた。

  § § §

「たしかに、修理にきたなんていっていなかったわ」
 オデッタは庭園の影、庭師の資材置き場につながる横道に腰を下ろした。庭師たちが作業の合間に休憩するためのもので、いくつかの丸椅子がそこに用意されている。
「引き留めてしまっていたし、迷惑をかけてごめんなさい」
 庭師たちは今日は出払っている。森の一角、土の養生をする場所に揃って出かけていた。
「いや、俺もはっきり断らなかった。こちらこそすまない」
 オデッタのとなりに腰を下ろしたのはヴィクトルで、今日も前髪を鬱陶しく垂らしている。
「いつからお城に? ぜんぜんあなたのこと知らなかった。とはいっても、お城のなかのことはわからないから……」
「俺は――ウルサースからきたんだ」
「ああ、王子さまがいらしてるのよね。どのくらい滞在予定?」
「長逗留ではないだろうな」
 ヴィクトルはずっと手に布包みを抱えていて、ひざの上でそれを開いていく。
 開かれる前から甘い香りがしていて、包みが解かれるとそれは一層強くなった。
「おいしそうね」
「土産だ、昨日……なんというか、だますような真似をしたから」
 甘いバターの香りが濃厚な焼き菓子は、果物や木の実を練りこんであるのだろう、見るからににぎやかな装いだった。
 オデッタの顔は自然とほころんでいた。
「ヴィクトルさんは私のことをだましたりしてないわ。でも遠慮なくいただいても?」
「ああ、そうしてくれ」
 ふたたび布に包まれた焼き菓子を受け取る。ずっしりと重く、きっとカーリンも喜ぶだろう。
「かまどはいま、どうなってるんだ?」
「いま修理してもらってます。夕方までには直せるらしくて。カーリンが立ち会ってくれていて」
「あのおばあさんか」
「ヴィクトルさんは? 散歩に出ていて大丈夫? 私といてご迷惑じゃ」
 前髪の下、半ば隠された瞳が揺れるのがわかった。王子に同行したなら、彼は側近なり信頼された人物だろう。そう思って見れば身なりも整っている。
「いまはいいんだ。その……俺のことはヴィクトルと」
「ありがとう。お引き留めしてごめんなさい、どちらかに向かってたんじゃ」
「きみに会いにきたんだ。もうちょっと話ができたらと」
 オデッタは焼き菓子の包みを撫でる。まだ暖かい。どう口火を切るか迷い、結果率直な言葉を選ぶ。
「あまり私は……このお城で歓迎されていないの。一緒にいると、ヴィクトルがいやな目で見られるかもしれないわ」
 ヴィクトルの目が泳ぐ。髪で隠されている、彼本来の整った顔立ちを確かめてみたくなった。胸の奥が熱くなっている。これまでに体験したことのない熱で、オデッタは胸元に手を当てた。
「……くわしいところまでは聞かなかったが、わけあり娘が暮らしていると聞いた」
 オデッタは吹き出し、短く笑う――申しわけなさそうにするヴィクトルに、かまわない、と手を振った。もしかすると、彼はわけあり娘がどんなものか、それを見るために歩いていたのかもしれない。
「わけあり娘って、自分でもびっくりするいわれようだわ」
 第六王女とはいえ、とりあえずは王家の末席なのだから。
「他人は好き勝手いうからな――で、実際のところは?」
「自己弁護するなら、私ははわけあり娘というより……厄介払いされてるの」
 今度はヴィクトルが吹き出していた。
「それもそれで、どうかと思うくらいだな」
「そうかしら? ね、私のことはいいから、ウルサースのこと教えて。日が沈まないことがあるってほんとう?」
 書物で読んだ知識だが、にわかには信じがたかったものだ。
「ああ、白夜のことだな。ほんとうだよ、一日中昼の明るさが続いて、その日はお祝いをするんだ」
「今年は? もう白夜はあった?」
「これからだ。白夜のころには、ウルサースに戻っている……のかな」
 ヴィクトルの話は聞いていて楽しかった。
 ウルサースは隣国でありながら、オデッタの生まれたキングスオードよりずっと寒さが厳しいらしい。冬には雪に閉ざされ、しかしそんな過酷な気候であっても、草花は強靱な生命力で育っていくという。
 会話が弾むなか、修理を終えた職人が帰っていくのが遠目に見えた。手元の焼き菓子はすっかり冷めていて、味もなじんでいっているだろう。
「かまど、直ったのかな」
「きっと直ってるわ」
 ふたりして腰を上げ、オデッタは名残惜しさを覚えていた。
 もっとヴィクトルの話を聞いてみたかった。相変わらず彼の前髪を鬱陶しそうだとは思うが、それを不快に感じない。時折のぞく瞳の色が美しく、なにより彼の声でオデッタの胸は暖め続けられていた。
 はじめての経験で、オデッタはもっとそうしていたかった。
「あ、明日なら……お茶をごちそうできるわ。お菓子だって、味が落ち着いておいしくなってると思うし」
「おばあさんは迷惑がらないかな」
「カーリンが? そんなわけないわ、きっと喜んでくれると」
 オデッタの言葉はそこで途切れる。従者が勝手に動きまわれるものではないだろう。たとえ約束が反故にされることになるとしても、オデッタは彼と約束を交わしたかった。
 またヴィクトルと会えるのだと、そう期待しながら眠りに就いてみたい。
「……そうだな、また明日」
 彼の口元が微笑んでいて、オデッタは無上の喜びに包まれていた。
 昨日彼を見送った場所でまた別れ、焼き菓子を抱えて家に帰る。
 そこではカーリンが新しいかまどに目を輝かせ、薪をくべはじめているところだった。

(――つづきは本編で!)

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